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No.40336の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】[月桂](2014/08/15 00:02)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)[月桂](2014/08/15 23:44)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(三)[月桂](2014/08/21 22:47)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)[月桂](2014/08/25 23:54)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(一)[月桂](2014/09/03 21:36)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)[月桂](2014/09/06 22:10)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(三)[月桂](2014/09/11 20:07)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(四)[月桂](2014/09/16 22:28)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(一)[月桂](2014/09/19 20:57)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(二)[月桂](2014/09/23 20:30)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(三)[月桂](2014/09/28 17:53)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(四)[月桂](2014/10/04 22:49)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/12 02:27)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(五) [月桂](2014/10/12 02:23)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)[月桂](2014/10/17 02:32)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)[月桂](2014/10/17 02:31)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)[月桂](2014/10/20 22:30)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/23 23:40)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(一)[月桂](2018/06/22 18:29)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(二)[月桂](2018/07/04 18:40)
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[40336] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/10/23 23:40

 南近江 瀬田城


 三好政康の陣から馳せ戻った兵士を下がらせた三好長逸は、白く染まったひげをしごきながら何やら考えにふけっていた。
 往時は大勢の将兵が出入りしていたであろう広々とした軍議の間には、城主の席に座った長逸以外、誰の姿も見えない。
 長逸の傍らには長大な刀が置かれている。政康が持つ三日月宗近と同じく二条御所で得た戦利品の一つ、童子切安綱(どうじぎり やすつな)である。
 かつて酒呑童子の首をはねたとされる天下の名刀であり、数ある刀剣の中でも一、二を争うといわれるほど優れた業物であった。


 その安綱を手にとった長逸は無言で刀を抜き放った。あらわになった刀身が、城内に差し込んでくる陽光を反射して眩く煌く。その煌きをじっと見つめる長逸に横合いから声がかけられる。
「聞き分けのない甥御どのに苦労されておられるようですな、日向守どの」
「政康は我が甥というわけではないが、しかしまあ、おおむねそのとおりだ、義政どの」
 低く落ち着いた声の持ち主は初老の男性であった。名を仁木義政(にっき よしまさ)という。
 興福寺の一乗院覚慶から遣わされてきた使者であり、乱のはじめから今日まで長逸の傍に留まり続けている。
 年の頃は長逸とほぼ同じだが、長きに渡って戦陣を駆けてきた長逸とは異なり、体躯に逞しさはない。手も足も細く、長く、物静かな雰囲気とあわさってどこか鶴を思わせる。


 義政は覚慶の使者として幾度も長逸と顔をあわせたことがある。互いに囲碁好きであることも手伝って、時折碁盤を挟んで向き合う仲でもあった。
 義政はかぶりを振りながら云う。
「この城もずいぶん寂しゅうなってしまいましたな」
 これはまったくの事実で、三好政康が根こそぎ兵士を連れて行ってしまったこともあり、現在、瀬田城内の兵は小者を含めても五十に満たない。事実上の空城である。


 むろん、外から悟られないよう、城壁上には多数の軍旗をたてかけ、狭間(さま)には鉄砲を据え付けて、いかにも警戒が厳重であるように見せかけている。
 しかし、戦慣れした武将であれば城内に兵が少ないことは容易く看取できるであろう。
 幸いと云うべきか、今のところ敵軍は姿を見せていない。しかし、岩成友通が討たれた今、この幸運が長く続かないことは誰の目にも明らかである。一刻も早く瀬田城の守りをかため、かつ今後の方針を定めなければならない。そのため、長逸は政康に対して至急瀬田城に戻るように、と繰り返し急使を派遣しているのだが、返答は決まっていつも同じであった。


「すべては友通の仇を討ってから、か。まったく、そこまで惚れておったのなら、とっとと押し倒しておけばよかったものを」
「これは日向守どのとも思えぬお言葉」
 目を瞠る義政に、長逸は右の眉をあげてうっすらと笑った。
「なに、これでも若い時分は暴れまわっておったのだよ。義政どのとて若い頃は野心を滾らせておったろう? いや、今もなお、であろうか」
「さて、なんのことやら」
 水をむけられた義政はとぼけるように肩をすくめた。




 仁木義政は複雑な経歴の持ち主である。
 仁木家は足利一門に連なる名門だが、義政はこの仁木家の出ではない。実父は六角氏綱。六角家の先々代当主 定頼の兄にあたる人物である。
 氏綱は父親から嫡子に定められていたが、若くして病死したため、家督は次男の定頼が継ぐことになった。以後、六角家は定頼、義賢、義治と代を重ねてきたのだが、世が世であれば、義政こそが嫡流として六角家を継いでいた可能性もあったのである。


 むろん、それはあくまで「もしも」の話であり、現実の義政は政略によって伊賀仁木家を継いだものの、有力豪族が割拠する伊賀の統治は困難を極め、最終的には彼らによって追放されるという憂き目に遭う。この時、六角家から援軍が送られてくることはなかった。
 涼しい表情の裏側で濃い怨毒をたくわえる。義政はそういう一面を持っている。
 その後、六角家に戻ることもならず、各地を転々とした末に興福寺に身を寄せた義政は、自分に味方した伊賀衆と連絡をとりあいながら、ひそかに捲土重来を期し、同時に、窮地に陥った自分を見捨てた六角家に対する報復を誓っていた。
 


 義政はとぼけたが、長逸ならずとも、伊賀への復権、六角家当主への返り咲きを目論む義政の内心を見抜くことは難しくなかっただろう。なにしろ、今回の江南騒動において、義政は六角家の内情をこと細かに長逸に伝えてきたからである。観音寺騒動の詳細も、織田、浅井連合の侵攻も、長逸は義政から伝えられた。
 長逸は口許にうっすらと笑みを浮かべた。
「貴重な情報を伝えてくれた義政どのには感謝してもし足りぬ。もっとも、見方をかえれば、我ら三人衆は義政どのの復讐に利用されたと云えなくもないのだが」
 それを聞いた義政はぴしゃりと額を叩いた。
「これは手厳しい。そのような考えは微塵もござらんが、しかし、もし私がそのような狼心を抱く者であれば、今の状況には失望を禁じえなかったことでござろうな」
 そう云って、義政は人気のない軍議の間を見回した。


 足軽、小姓の姿さえ見えない城内。
 あれだけの情報を渡してやったというのに、この体たらくとは。
 そんな内心が透けて見える――いや、意図して見せ付けている態度であった。



 当然、そのことに気づいたはずの長逸は、しかし、顔色ひとつかえずに続きを促した。
「失望したならば、次は何をするのかな? そういえば、何用あってここへ来たのかをまだ訊いておらなんだが」
「これはしたり、うっかりしておりました。さきほど我が手の者が戻ってまいりまして、青地城の戦況を伝えに参ったのでござる。残念ながら、甥御どのは六角軍に敗れた由」


 その言葉を合図としたように、長逸の視界で陽が翳った。
 差し込んでいた陽光は失せ、黒雲は瀬田城の上空に居座る気配を見せている。寒々とした空気が広間を覆いつつあるのは、雨が降りだす前兆であろうか。
 義政はゆっくりと続けた。
「甥御どのは蒲生家の岡左内とやらいう者に討たれたとか。先の岩成どのといい、三好家に祟りますな、この者は。ともあれ、主将を失って乱れたった三好軍は、六角軍の追撃をうけて四散したらしゅうござる。遠からず敗兵が戻って来ましょうが、さて、まだ長逸どのに従おうという兵がどの程度いるものか。すでに城内の兵の大半は逃げ支度をはじめておるようですぞ」
「いたし方ない。この体たらくでは是非に及ばずだ」
 静かに呟いた長逸の顔は不思議なほどに穏やかだった。義政の目には、死を覚悟した者の表情と映った。


 相手の内心を探るように目を細めた義政だったが、まだ伝えるべきことが残っている。
 意図的に声を低くした義政は、つとめて平静を装いながら云った。
「それともう一つ、興福寺の御方より言伝を賜っております」
「ふむ、聞こうか」
「『これまでの働きに感謝する』と」


 義政がそう云った途端、物陰から複数の人影が姿を見せた。いずれも義政の部下であり、すでに刀を抜いている。甲冑を着込んだ彼らの数は五人。
 長逸の口許に苦い笑みが浮かんだ。
「……これまでの働きには感謝する。したが、これから先は不要である。そういうことか」
「ご明察。岩成どのと甥御どのが除かれた上は、三好三人衆の名乗りも虚しいというもの。日向守どの、ここが年貢のおさめ時でありましょう」




 引導を渡すように、義政が大きな憐憫と小さな優越を込めて言い放つ。
 長逸からの答えはなく、かわりに持っていた童子切を力なく床に置いた。それが諦観によるものと判断した義政は周囲を囲む配下にうなずいてみせる。
 主の意を悟った部下のうち、二人が進み出て長逸の背後にまわった。
「日向守さま、介錯つかまつる」
 覚慶や義政の蠢動を知る長逸を生かしてはおけない。
 だが、除くにしても、三好家の重臣として名を知られた三好長逸の最期が「何者かによって背後から斬り殺された」ではあまりというもの。事ならずと判断した長逸は武士らしく割腹して相果てた――そう思われるように葬ることが、義政のせめてもの情けであり敬意であった。



 しかし、結論からいえば、これは宋襄の仁であった。
 次の瞬間、今しがた手放したばかりの童子切を手に取った長逸は、振り向きざま刀を横薙ぎに振るう。
 ただ一振り。それだけで背後にまわった二人は声もなくその場に崩れ落ちた。甲冑などものかは、二人の腹部は無残に切り裂かれており、ほとんど両断されている。凄まじいまでの童子切の切れ味であった。


 切り裂かれた部位から大量の血液と臓物があふれ出し、びしゃりと音をたてて床に散乱する。直後、鼻をつまみたくなる悪臭があたり一帯に広がった。
 戦場に出た経験がある者にとっては嗅ぎなれた臭いである。慣れることは難しくても、耐えることくらいは出来るだろう。しかし、長く戦場から離れていた義政にはとうてい耐えられるものではなかった。


「ひぐィッ!?」
 痛みすらともなう激臭をまともに吸い込み、義政は悲鳴をあげて手で鼻を覆った。その目は張り裂けんばかりに見開かれ、長逸に向けられている。
 義政には長逸が諦めたという予断があった。抗ったとしても、簡単に屈服させられるという誤断があった。
 三人衆で注意すべきは智の岩成友通、武の三好政康の二人のみ。長逸は若い二人が担いだ御輿のようなものだと思い込んでいた。政治、外交には長じていても、荒事には向かない武将。それが義政の知る三好長逸だったのである。
 事実、今回の騒乱でも長逸は常に後方にあって戦場に出ていない。その長逸が瞬く間に甲兵二人を屠り去るなど、どうすれば予測できるというのか。



 義政は悲鳴をあげて後ずさろうとしたが、長逸にそれを見逃す理由はない。素早く振るわれた童子切は正確に義政の右足を捉えていた。
 膝から下を斬りおとされた義政は、もはや声もでず、ひきつったような絶叫をあげることしかできない。
「ひ……は! ふ、ひふ……がッ!!」
「政康が何故にわしを伯父御と慕うか、少しは考えてみるべきであったな。あれに武芸を仕込んだのはこのわしよ」
 長逸が刀を一振りすると、刃についた血が音をたてて床にはねた。
 それを見た残りの部下たちが、遅まきながら長逸に襲い掛かったが、童子切をもった長逸の剣勢は義政の配下が太刀打ちできるものではなく、たちまちのうちに一人が手首を切り落とされ、一人が頸部を切り裂かれた。
「ぬるいな」
 年齢にそぐわない長逸の剣の冴えを見て、残ったひとりは勝ち目なしと判断したのだろう、あえぐ義政に見向きもせずにこの場から逃げ出そうとする。しかし、長逸は刺客の遁走を許さなかった。鋭く伸びた童子切の切っ先が、背後から刺客の胸を刺し貫く。
 それでおしまいであった。



 激痛のためか、恐怖のためか、義政の両眼からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちている。斬られた右足からは今なお大量の血が溢れ出て、床を赤黒く染めていた。
 至急手当てをしなければ命に関わるだろう。むろん、殺されかけた長逸には、それをしてやる義務もなければ意思もない。
 長逸はすでに『この後』のことを考え終えていた。


 壁際に立てられていた燭台を一つ、また一つと倒していく。ともされていた火が、ゆっくりと舐めるように床や壁に燃え広がっていった。
 それを確認した長逸は、倒れている義政に歩み寄る。
「城に火を放っても、屍がなければ逃走を疑われるだろう。義政どのにはこの身の代わりとなってもらおうか」
「ひ……ぐ……ッ!?」
 必死に後ずさろうとする義政だが、右足を失った身で逃げられるはずがない。たちまち追いつかれ、部屋の中央に引き戻された。
 童子切を鞘におさめた長逸は、左手で義政の口を塞ぐと、義政の脇差を引き抜いた。そして、それを腹に突き立てるべく振りかぶろうとした、まさにその瞬間だった。



 燃え広がる炎の波をかきわけるようにして、何者かの気配が長逸に向けて殺到してきた。よほどの使い手であるのか、長逸が気配に気づいて振り返ったとき、影は長逸を間合いに捉えている。
 迫る来るのは虚空を貫くような槍の尖先。
 咄嗟に持っていた脇差で穂先を払おうとした長逸であったが、この槍は穂の両横に鎌のように上向きに曲がった刃がついていた。穂を払った途端、長逸はこの鎌刃に右手を深々と抉られてしまう。


 たまらず義政から離れ、槍の間合いの外へ逃れようとする長逸。
 相手は追撃をしかけてこなかった。闖入者は倒れている義政にまだ息があることを確認すると、手にもった十文字槍を肩に乗せて安堵したように呟いた。
「間に合った、か」
 低く通りの良い声を耳にした長逸は、はじめ、その人物が若い男性だと思った。
 しかし、すぐにそうでないことに気づく。
 麻の法衣に袈裟をかけ、頭に黒の頭巾(ときん)を乗せている姿は山伏のようであったが、法衣の胸元をもりあげる膨らみは明らかに女性のそれである。並の男性よりも頭ひとつ高い背丈。かろうじて肩に届く長さの髪は青みを帯びた黒色をしており、このようなとき、このような場所でなければ、短くしているのは惜しいものだと長逸は感じたに違いない。



 何者かと問いかけようとした長逸は、この場にあらわれたのが法衣の女性一人だけではないことに気づく。
 女性の傍らにもうひとり、長大な刀を背負った少女が佇んでいた。
「あはははは! 胤栄(いんえい)の槍をかわすなんて、おじさんやるね。覚慶があたしたちを差し向けたのも納得かな」
 そう云って少女は背中の刀をすらりと抜いた。
 ともすれば、握っている少女の背丈よりも大きいのではないかと思われる大太刀である。おそらく背中の鞘は、この太刀をすぐ引き抜けるように細工が施してあるのだろう。


 刀の長大さは重量に比例する。
 並みの筋力では、この大太刀を持つことはできても振るうことは難しい。まして意のままに操るとなれば、どれだけの膂力と熟練を必要とすることか。
 少女は決して大柄な体躯の持ち主ではない。むしろ同年代の少女たちと比べても小柄な部類に入るだろう、その程度の体格である。
 にも関わらず、太刀を握った少女は準備運動でもするかのように、二本の細腕で軽々と大太刀を振り回しまがら、いかにも楽しげに言い放った。
「おじさん、はやく腰の刀ぬいてよー。覚慶から聞いたんだけど、それってあの童子切安綱なんでしょ? この永則と打ち合わせてみたかったんだ」



 少女はここで少し残念そうな表情を閃かせた。
「本当ならおじさんが万全の状態で斬り合いたかったんだけどなー」
「……恨みがましい目で見るな、石舟斎(せきしゅうさい)。だから雑兵など相手にするなと云ったんだ」
「むー。挑まれて背を向けるわけにはいかないでしょ」
 石舟斎と呼ばれた少女はぶすっとふくれる。先に胤栄と呼ばれた女性は、軽く肩をすくめた。
「それで肝心要の目的が果たせなくなっていれば世話はない」
「えーい、うるさいうるさい! とりあえず、このおじさんの相手はあたしがするから、胤栄は手出し無用!」
「それはかまわないが、勢いあまって仁木様まで切り捨てるなよ。私たちはその方をお助けするためにやってきたのだから」
「そんなこと云われないでもわかってますぅ!」
 べーと胤栄に舌を出してから、石舟斎はあらためて長逸に向かい合った。



 長逸が眼前の二人の会話に口を挟まなかったのは、呆気にとられていたからでもなければ、腕の傷が思ったより深かったからでもない。単純に付け込む隙がなかったのである。
 石舟斎の言葉を聞くかぎり、おそらく一乗院覚慶から差し向けられた刺客なのだろう。義政では長逸を制することができないと判断し、これほどの使い手を二人も送り込んできたのだとすれば、覚慶は三好長逸という人間をかなり高く評価していたと思われる。
 そんなことを考えながら、長逸は石舟斎の求めどおり鞘に収めた童子切を抜き放った。背を向けたところで逃げ切れる相手ではない。活路を切り開くためには、正面からこの二人を退けなければならない。


 長逸の眼差しからその決心を悟ったのだろう、石舟斎はくすりと微笑むと、表情を切り替えた。少女の顔から剣士の顔へと。
「柳生石舟斎宗厳(やぎゅう せきしゅうさい むねよし)、参る」
 云うや、石舟斎は床面を蹴って前に出る。両の眼を戦いへの恍惚で満たした少女は、獲物を狙う肉食獣の動きで長逸に躍りかかっていった。






◆◆






 しばらく後。
 石舟斎と胤栄の二人の姿は城外にあった。今しも燃え落ちようとしている瀬田城の本丸を遠目に見やりながら、二人はこの後のことについて言葉を交わす。
「仁木様の手当てと護送はあちらの配下に任せるとして、私たちは善住坊に助力せよ、とのことだ。あの御坊、何やらしくじったらしい」
「えええ、めんどくさい! というか、なんで十六の女の子をつかまえてババア呼ばわりする狒々爺を助けてやんなきゃいけないのよ」
 それを聞いた胤栄は法衣の袖をつまみ、自分の身体を見下ろした。
「石舟斎がババアなら、私はとうに墓に入っている扱いなのか? まあ、善住坊の趣味はさておき、これは一乗院からの正式な要請ゆえ、宝蔵院(興福寺子院)の院主として私は従わざるをえない。石舟斎が来ないというなら、ここで別れよう」
「うん。なら、ばいばーい!」


 わざとらしく、にこやかに手を振った石舟斎は、すぐにがくりと肩を落とした。
「……というわけにはいかないのよね、こっちも色々あるからさー」
「そうぼやくな。善住坊が覚慶さまに助力を願ったのは、あの御坊が手に負えない使い手がいたからだそうだ。それも一人ではなく二人」
 強敵との戦いを願ってやまない石舟斎にとって、意味のない戦いにはならないだろう、と胤栄は云う。


 石舟斎は不思議そうに首をかしげた。
「ほへ? あいつ、剣もけっこう使えたでしょ。おまけに数珠丸も持っていて負けたの? そもそもあいつの任務って、京から逃げてきた和田なんとかの始末でしょ。まさか根来僧兵三十人も連れてって、女忍者ひとりに勝てなかった?」
 だとしたら大笑いなんだけど、と石舟斎は云う。
 これに対して胤栄はかぶりを振った。
「いや、惟政どのの始末は成功した、と善住坊は寺に使いを寄越している。ただ、殺せという命令は実行していなかったようだ。蒲生家の姫君を捕らえる際にも、味方であるはずの滝川家に邪魔されたというし、どうも御坊の悪い面が事態を引っ掻き回しているように思えてならない」
「うわ、なんかますます行きたくなくなった。しかも蒲生ってあの性悪女の管轄だし……ああ、でも善住坊が手におえなかった相手っていうのは気になるなあ!」
 どれだけ気に食わない相手であろうとも、杉谷善住坊が凄腕であることは石舟斎も認めている。その善住坊が単身ではかなわないと判断した相手だ、興味を覚えないはずがない。



 しばし考えた末、石舟斎は己の内に巣食うためらいを断ち切るように、力強くうなずいた。
「うん! とりあえず行ってみよっか。気に食わなかったら善住坊を叩き斬って抜ければいいことだしね」
「叩き斬るな。御坊は根来衆の重鎮。つけくわえれば、甲賀五十三家の一 杉谷家の出でもある」
「家柄と人格と能力はそれぞれ無関係ってことの生きた見本だねー」
「鬼と怖れられる柳生の姫がそれを云うのか、石舟斎」
 呆れた様子の胤栄に向けて、石舟斎は両手を頭の後ろにやって、けらけらと笑った。


「姫って云ったって、とうに勘当された身だしねー。おまけに家からたたき出されたとき、父親から『お前のごとき戦狂いは、どれだけ強かろうと世に盛名を馳せることは決してない。石を抱いた舟のごとく沈むだけよ!』とか罵られちゃったし」
「……そこから『石舟斎』という名乗りを思いつくのは、たしかに姫君らしからぬか」
「そゆこと。ま、今は覚慶の言葉に従って善住坊と合流しましょ。その使い手さんたちの話、しっかり聞き出さないとね」
 そう云うと、石舟斎は弾むような足取りで先に立って歩き出した。
 その後を胤栄がやれやれといいたげにかぶりを振りながら続く。


 そんな二人の頭上から、ぽつりぽつりと雨粒が落ち始めていた。



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