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No.40336の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】[月桂](2014/08/15 00:02)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)[月桂](2014/08/15 23:44)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(三)[月桂](2014/08/21 22:47)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)[月桂](2014/08/25 23:54)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(一)[月桂](2014/09/03 21:36)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)[月桂](2014/09/06 22:10)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(三)[月桂](2014/09/11 20:07)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(四)[月桂](2014/09/16 22:28)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(一)[月桂](2014/09/19 20:57)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(二)[月桂](2014/09/23 20:30)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(三)[月桂](2014/09/28 17:53)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(四)[月桂](2014/10/04 22:49)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/12 02:27)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(五) [月桂](2014/10/12 02:23)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)[月桂](2014/10/17 02:32)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)[月桂](2014/10/17 02:31)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)[月桂](2014/10/20 22:30)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/23 23:40)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(一)[月桂](2018/06/22 18:29)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(二)[月桂](2018/07/04 18:40)
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[40336] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/10/20 22:30

 南近江 青地城外 三好軍本陣


「申し上げます! 瀬田城の日向守さま(三好長逸)より御使者が――」
「どうせまた『戻って来い』という催促だろう。伯父御も諦めが悪い」
 床几に座した政康が淡々と応じる。
 困惑を隠せない様子の兵に対して、政康は言葉を付け足した。
「使者には、心配せずともすぐに兵を返すと伝えよ。青地を落とし、蒲生を討ち果たした、その後でな」
「……は、かしこまりましたッ!」


 どのような言葉を付け加えようとも、政康が実質的な上位者である長逸の命令を無視した事実は動かない。
 本陣に詰めている諸将はそのことを承知していたが、あえてここで反対を唱える者はいなかった。
 現在、政康が率いている将兵の数は一千弱。政康の手勢に加え、瀬田城を守っていた長逸直属の部隊、さらに先に敗れた岩成勢の敗兵も加わっている。事実上、三好三人衆(もうこの呼称は正しくないが)が保持しえる最大の戦力が政康の下に集結していることになる。


 この中で、もともと政康に従っていた武将は主の気性を飲み込んでおり、反対を唱えることが無駄であることを承知していた。旧岩成勢の武将は、政康同様、復仇に燃えているため、そもそも反対するつもりがない。
 唯一、長逸麾下の武将たちは、現在の瀬田城がほぼ空城と化していることを知っているため、青地城にこだわる政康に批判的な態度をとっていたのだが、政康はつい先日、そういった武将のひとりを捕らえ、配下の兵と引き離した上で瀬田城に送り返していた。
 己の指揮に従わない者はこうなる、という見せしめである。


 以降、少なくとも表面上は政康の指揮に異を唱える者はいなくなった。
 政康としては心置きなく城攻めができる態勢が整ったことになる。長逸麾下の武将を粗略に扱ったことは、後に必ず重大な問題を引き起こすことになるだろうが、今の政康は城攻めにのみ注力しており、その後のことはまったく考慮していなかった。
 腰に差した名刀 三日月宗近を抜き放った政康は、鋭利な輝きを放つ刀身をじっと見つめる。そして、感嘆したように呟いた。
「昨日だけで少なくとも十は敵を斬って捨てたのだがな。歪みも曇りもない。まこと、利剣、宝刀と呼ぶに相応しい切れ味だ。ま、あの公方の百人斬りに耐えた刀なんだ。十や二十の人間を斬っただけで用を為さなくなるはずもないが」


 云った途端、政康はぞくりと背を震わせた。
 二条御所で目の当たりにした足利義輝の阿修羅のごとき戦いぶりが思い出されたのだ。
 あの夜の戦いを思い浮かべるだけで、政康の手には汗がにじみ出てくる。むろん、実際に義輝ひとりで百人の兵を斬り捨てたわけではないのだが、もし友通が鉄砲を持ち出さず、あくまで兵数に頼って事を為していたのなら、それだけの被害が出ていても不思議はなかった。それほどあの日の義輝は圧倒的だったのである。


 その義輝が握っていた刀が今は自分の手に握られている。そして、あの日の義輝のように、今日は政康がこの刀で敵兵を冥府に送り込むことになるだろう。
「死出の道連れには不足しないぞ、友通。もっとも、あまりぞろぞろと道連れを送りこんでは、静穏を好むお前にぶつくさ文句を云われかねないのだがな」
 宗近の刃面に映し出された己の顔が、唇を曲げるようにして笑っている。確かに自分の顔であるはずなのに、何故だか政康にはそれが他人の顔に見えていた。
 と、いつの間にか物思いにふけっていた自分に気づき、政康は苦笑する。我が事ながら埒もないことを、とおかしくなったのだ。
 そうして、ここにはいない誰かに向けて、政康は小さく囁きかけた。
「もし文句があるなら俺の枕元に立ってみせろ。情の強いお前であれば、さして難しいことではあるまいよ」







「ご報告いたします! 青地城より遣わされた使者が、三好軍の大将にお目にかかりたいと申しておりますが、いかがいたしましょうか!?」
「殺して送り返せ」
「……は。しかし……」
 どれほど険悪な間柄であっても、軍使に手を出さないのは戦陣のならいである。
 しかし、政康は一向に気にかけなかった。
「この期に及んで和議も降伏もありはしない。勝った方が負けた方を殺しつくす、それ以外の決着はないのだ。使者の首を見れば、城内の連中は否応なしにそのことを悟るだろうよ」
 むしろ、今にいたってもなお交渉の余地が残っていると考えている敵の暢気さが政康には可笑しい。ここはひとつ、現実の厳しさを思い知らせてやるべきだろう。


 そんなことを考えている政康の前で、報告してきた兵はなおも何かをためらうようにチラチラと政康の顔をうかがっている。政康を諌めようとしているわけではないようだが、かといって素直に命令を実行する様子もない。
 はきつかない態度を見て、政康の顔に険があらわになる。それに気づいたのだろう、兵士は慌てたように平伏し、懐から布に包まれた「何か」を取り出し、地面に置いた。
「なんだ、それは?」
 訝しげに眉をひそめる政康に対し、兵士は思い切ったように告げた。
「城内からの使者が持参したものです。その者が申すに、おそらく今もっとも政康さまが欲しておられるものを自分は持ってきた、これはその証である、と」


 当然、兵士はすでに中身をあらためている。布を取り払った後、地面に残っていたのは一本の小刀――血がこびりついた鎧通しであった。
「……岩成友通さまを討ち取った得物である、とのことです」
 がたり、と大きな物音がしたのは、政康が立ち上がった拍子に倒れた床几の音である。
 政康は兵士のもとに歩み寄ると、地面に置かれ小刀を掴み取った。刃も柄も赤黒く染まった一本の鎧通しを、政康はしばらくの間、じっと見つめていた。睨みつけていた、と云った方がいいかもしれない。
 政康の口から低い笑声がこぼれおちる。ふふ、とも、ひひ、ともつかないその声は、岩成友通がことのほか嫌っていた笑声であった。




「偽りであれ、真であれ、ここで――俺の前で友通の名を持ち出すとはな。よほど命がいらぬと見える」
 云うや、政康は持っていた小刀を放り投げると、底冷えのする声で命じた。
「その使者とやら、今すぐここに連れてこい。わざわざ友通を殺したと告げてくる輩だ、用件は和議でも降伏でもあるまい。おそらく狙いは俺の命だろう。武器の類は残らずとりあげておけ」
「か、かしこまりました。ただ、差し出してきた小刀をのぞけば、使者は武器を持っておりません。大小を差さぬ白装束姿でございます」
 それを訊いて、政康は顔をしかめた。
「斬られる覚悟はできている、ということか。あるいはそれをよそおって何か騒ぎでも起こす気か。兵どもに城内の動きに注意するよう伝えておけ。こちらの注意を使者に集めておいてから、一気に決戦を挑んでくる策かもしれん」
「は、かしこまりました!」




◆◆




 姿を見せた青地城からの使者は、なるほど、報告のとおりの姿であった。
 着ているのは生地に厚みのない白装束。甲冑をまとわず、この装束を着てきた理由は、懐中に凶器を隠し持っていないことを示すためか。腰にはなぜか二本の扇を差している。
 殺気だった将兵に囲まれているというのに、眉ひとつ動かさない豪胆さは、かりにこれが虚勢であったとしても見事なもので、常の政康であれば名前くらいは確認しただろう。
 しかし、今の政康にそのようなゆとりはない。
 政康の対応は冷厳を極めており、はじめに使者に向けたのは言葉ですらなかった。


 地べたに座らされた使者の前に歩み寄った政康は、警告もなしに三日月宗近を一閃させる。
 ななめに振り下ろされた斬撃は、使者の右肩から左胸にかけて白装束を切り裂いた。否、着ている物だけでなく、刃先は使者の身体をも捉えていた。
 致命傷には遠いが、皮一枚を切り裂くような妙技でもない。切り裂かれた部位からにじみ出た血が、白装束をゆっくりと緋色に染めかえていく。
 傲然とその様を見下ろしながら、ようやく政康は口を開いた。
「ほう、着込みの一つも用意していると思ったが、本当に無防備のまま敵陣を訪れたか。いいだろう、何をさえずる気か知らぬが、話くらいは聞いてやる。ただしその前に『今もっとも俺が欲しているもの』とやらを出してみせよ。拒否すれば斬る。話をそらそうとしても斬る。この言葉が偽りと思うならば、諾以外の答えを返してみせろ。この三日月宗近の錆びにしてやる」


 かりそめにも使者を名乗った者に対する振る舞いではない。政康のそれは暴虐との謗りをうけても仕方のないものであったが、そんな政康を前にしても使者はなお平静を保っていた。おもむろに左の袖をまくりあげると『何者か』によって抉られた傷跡をあらわにする。
「持参したのは岩成友通を討ち取った者の身柄。すなわち、それがしのことです」
 傷を見た政康は、かすかに目を細めた。政康は岩成勢の生き残りから先夜の襲撃の全貌をすでに聞きだしており、その傷が意味するところを即座に看取した。


「ふん、やはりな。友通を討った者を差し出すゆえ兵を返せ。察するにそれが用向きか。俺がそのような申し出を受けると本気で思っているのだとすれば、おめでたいにもほどがある」
 苛立たしげに土を蹴った政康は、使者の眼前に血で濡れた刃先を突きつけた。
「直接に友通を手にかけた貴様はむろん許さぬ。だが、たまさか手柄をたてた雑兵ひとりを八つ裂きにしたところで俺の腹の虫はおさまらないのだ。友通を討った蒲生の軍兵はことごとく斬り捨てる。当主も、隠居も、将も、兵も、そのすべてをことごとく殺めてやろう。ことに、先の夜襲を企て、友通を嵌めた奴は念入りに切り刻んでやる」



 結果だけを見れば、友通は蒲生軍に良いようにしてやられた感がある。蒲生軍を率いるのは当主の賢秀であるが、賢秀が衆に優れた戦いをしたということはついぞ聞いたことがない。むしろ、浅井家との間で起きた野良田の戦いで不覚をとったように、賢秀の作戦指揮は凡庸の域を出ない。そんな人間が友通を策に落とせるはずがなく、誰ぞ賢秀に入れ知恵をした者がいるに違いない、と政康は睨んでいた。


 使者は落ち着き払った様子で口を開いた。
「嵌めたとは、わざと多めに兵糧を炊いて夜襲を誘ったことでしょうか?」
「なに?」
「それとも、賢秀さまを討ち取ったと称して本陣に入り込んだことでしょうか? あの時に用いた三好軍の鎧兜は、以前に鶏冠山で頂戴しておいたものです。先に貴殿の陣で流言をまく際にも利用させていただいた」
 その言葉は奇妙に政康の記憶を刺激した。まだ友通が討たれる以前のこと、あわせれば三千近い兵力で青地城を攻めたてていた政康は、あと一歩というところまで敵を追い詰めながら、相次ぐ撹乱と混乱によって態勢の立て直しを余儀なくされた。結局、その騒擾をしずめるために費やした時間が仇となって、敵増援の到着を許し、政康は退却せざるをえなくなってしまったのである。


「……貴様」
「青地城に捕らわれていた死刑囚を説き、賢秀さまを討ち取った裏切り者に仕立て上げたことも含まれましょうか? あれは何度も同じ策を用いては怪しまれると考え、古の越の宰相から智恵を拝借したのです。おかげで、友通どのをはじめとした諸将の注意は囚人にのみ向けられ、彼らを斬ったそれがしが友通どのに襲い掛かったとき、とめることが出来た者はただの一人もおりませんでした」
 誇るでもなく、嘲るでもなく、あくまで淡々と言葉を紡いでいく使者。
 その静かな迫力に感応したように、政康の顔から次第に怒気が拭い去られていった。



 刀を突きつけられ、周囲すべてこれ敵兵という状況で、こうまで平静を保つことのできる肝の太さは一朝一夕で養えるものではない。机上の学問で学べるものでもない。
 戦陣の経験が必要だった。それも勝ち馬に乗るような易い戦いではなく、生死の境を駆け抜ける死戦の経験が。
 たまさか手柄をたてた雑兵? この相手が?
 ばかな。こいつは断じてそんな可愛らしいタマではない。



「――何者だ、貴様」
 問うと同時に柄を握る手に力を込める。答えればよし、答えなければ斬り捨てるまで。
 いや、たとえ答えたとしても、この使者はここで斬るべきだ。
 怒気ゆえではなく、復仇の念ゆえでもなく、ただ戦将としての直感に従って政康は決断する。
 決断から行動へ。政康が動こうとするその直前、使者は静かに云った。まるで政康の殺意に楔を打ち込むかのように。


 
「越後上杉家家臣 天城筑前守颯馬」
「――――なに?」
 それはこの戦いで聞くはずのない名前であり、聞くはずのない家名。意表をつかれた政康の動きがわずかに鈍る。
 その隙を、使者は――天城颯馬は見逃さなかった。



 腰に差した鉄扇を引き抜いた天城が、下から上へ、みずからに突きつけられた刀を強く跳ね上げる。
 奇妙に澄んだ音をたてて、三日月宗近が高々と宙を舞った。
「ちッ!?」
 政康が激しく舌打ちした。
 常であれば、たとえ不意をうたれたところで刀を手放すような無様をさらす政康ではないのだが、この時はなぜか宗近の柄が手につかなかった。あたかも刀の側が政康に握られることを拒んだかのように、宗近は政康の手を離れてしまう。


 これも常であれば、政康はすぐに腰の脇差を抜いて天城を斬りふせにかかっただろう。ここで宗近に拘れば、今しも踏み込んでこようとしている天城に隙を見せてしまうことになるからだ。
 それでも、この時の政康の右手は、腰の脇差ではなく、宙の宗近に向かって伸ばされていた。ようやく手に入れた天下無二の宝刀、それに対する執着が咄嗟の行動に結びついてしまった格好だった。
 天城の側にその隙を見逃す理由などありはしない。政康とは対照的に、一片の躊躇もなく繰り出された鉄扇の第二撃は、未練げに宙を探る政康の右手の甲をしたたかに打ちすえていた。


 強い衝撃、鈍い音、直後に伝わってきた激しい痛み。たまらず政康の口からうめき声がもれる。
 さらに攻撃は続く。
 第二撃と同時に立ち上がった天城は、右手をおさえて後方へ下がろうとした政康の足を力任せに踏みつけ、相手の動きを封じこめた。そして、たまらず態勢を崩した政康の側頭部に三度、鉄扇を叩き付ける。


「がァァァッ!?」
 右手を打たれた痛みなど比較にもならぬ。頭蓋を揺さぶる強烈な一撃を受け、政康はもんどりうって地面に倒れこんだ。
 それを見た政康の部下たちが遅ればせながら動きはじめる。
 さすがに鉄扇だけでしのげる数ではない。政康を人質にとるにしても、鉄扇を突きつけるだけでは相手を怯ませることはできないだろう。三好兵もそれを計算にいれていたに違いないのだが。


 ちらと傍らを見やった天城は、右手に握っていた鉄扇を左手に持ちかえると、空いた右手で地面に突き刺さっていた刀の柄を握り締めた。むろん、それは政康の手から離れた三日月宗近である。
 まるではかったように、宗近は天城が手を伸ばせば届く距離で地面に突き刺さっていたのだ。


 優美な反りを持つ宝刀を手にした天城は、感嘆したように呟いた。
「天下五剣の一 三日月宗近、か」
 云うや、なぎ払うように宗近を真横に振るう。右腕に伝わるズシリとした重みが、これ以上ないほどの頼もしさをうむ。
 それを見た三好兵が、思わず、という感じで後ずさった。それは、今日まで政康が振るってきた宗近の切れ味を知っているからこその反応であったが、まるで宗近の刃そのものに威が込められているかのような、そんな光景にも見えた。


 敵の反応を見た天城はあらためて宗近を見やると小さく苦笑する。
 明らかに持ち主の腕と刀の質がつりあっていない上、左腕を怪我している今の天城は、この名刀を右手一本で扱わねばならない。扱いに難儀するのは火を見るより明らかであったが、天城はさして気にしなかった。
 別段、これからこの宗近で敵陣を切り裂いていくつもりはない。倒れこんだ敵将の首を切り裂ける程度の切れ味があれば十分なのである。



「動くな」
 倒れこんだ政康の首筋に宗近を突きつけた天城は、鋭い視線で周囲の三好兵を睨みつけた。
 主客は転倒し、今や命の危機に晒されているのは政康の方となっている。
 とはいえ、ここで政康が討たれれば、怒り狂った配下はすぐにも天城を八つ裂きにしてしまうだろう。必ずしも天城が危機を切り抜けたわけではなく、そのことを知る三好兵は口々に云い立てた。
「無駄なあがきはやめろ。おとなしく殿を放すがいい!」
「慮外者めが! 命が惜しくないのか!?」
 騒ぎ立てる彼らに対し、天城はいちいち言葉で応じようとはしなかった。


 政康の首に突きつけた刃先をすっと動かす。ぱくり、と開かれた傷から少なくない量の血があふれ出した。
 それを見て憤激の表情を浮かべる者たちに向け、天城は冷然と言い放つ。
「貴様らが無駄口をたたくたびに、主は冥府に近づくと知れ」
 陣幕の中がしんと静まり返った。
 天城が本気であるということは、単身、ここに訪れた事実が証明している。三好軍にしてみれば、ここで天城を討ち取ったとしても、かわりに政康を討たれてしまえば何の意味もないのだ。



 政康がうめくように云った。
「ぐ……きさ、ま。この場を……切り抜けられると、思っている、のか?」
 先ほどの殴打がきいているのか、政康の声も視線もふらついたままである。
 そんな政康に対し、ただひとりの味方も存在しない敵陣の只中で、いっそ堂々と天城は断言した。
「当たり前だ。切り抜けられない理由がない」


 ここで、はじめて天城の顔にはっきりわかるほどの憎悪があらわれた。
 より一層、政康の首に宗近の刃を押し付けながら、天城は嘲弄を込めて敵将に問いかける。
「逆に問おうか、三好政康。敵地へ単身乗り込んできた使者を多勢で囲み、あげく無様に得物を奪われ、捕らわれた愚将どの。貴様が将軍殿下を弑逆したは奸悪ゆえ、三好宗家に見放されたは不徳ゆえ、僚将を守れなかったは無能ゆえ。奸悪、不徳、無能とそろった貴様ごときが――」
 わずかに首を傾けて政康を見据える天城の両眼に、正視しがたい光が迸る。
 三日月形の笑みを浮かべた天城は傲然と言い放った。


「俺に勝てると思っているのか?」

 

◆◆
  


 同時刻


 岡左内と横山喜内の二人は、すでに先夜のうちに少数の兵を率いて青地城を抜け出していた。
 三好軍は先の城攻めに比して兵力が半分以下に減じており、城を完全に包囲することができずにいる。夜に紛れて城外へ抜け出すことは難しいことではなかった。
 いったん城を離れた二人は、そのまま兵を引き連れて三好軍の側面に回りこんで伏兵となった。間もなく出撃するはずの蒲生、青地両軍の攻勢にあわせ、側面から三好軍の腸を食い破るのが、この部隊に課せられた役割である。



「左内どの」
「む、なんじゃ、喜内坊」
「坊はやめてください。あの、一つお訊ねしたいことがあるんですが」
 そう云うと、喜内はややためらった末、以前に書物で読んだことのある言葉を口にした。
「相馬どのの策は、孫子でいうところの死間というものなのですか?」
「ほう、まだ若いというに、よくそんな言葉を存じておるな」
 左内が感心したように云うと、喜内はすこし得意気にうなずいた。
「殿がよく仰るのです。ただ槍働きにすぐれているだけではまことの武将とは云えない、と。それで、暇をみつけては兵書をひもといております」


 そこまで云った喜内は、急にはずかしそうに頬をかいた。
「まあ、何度読んでもよくわからないというのが正直なところなんですけど」
「それでも立派なものよ。蒲生家には尚武向学の気風が育まれておるのだな。喜内坊のような若者までが兵書に親しんでおるとなれば、蒲生はこれから巨大になっていくのかもしれぬ」
 そう云った後、左内は問われた事柄に返答した。
「孫子によれば死間は誑事(きょうじ)を為す者であるという。誑事とはすなわち、欺き惑わすこと。敵を欺くために味方を惑わし、敵陣に赴いた相馬は、ふむ、なるほど死間であると云えなくもないの」
 もっとも、そもそも北相馬は間者ではないので、実情を知る左内にとっては見当違いな表現であるのだが――


(いや、上杉家の間者と云えないこともないのかの?)
 思わぬ難問にぶつかったように、左内はむむむと考え込む。
 一方の喜内は真剣な表情で敵陣をうかがいながら、どこか不安そうな素振りを見せていた。
「何故、相馬どのはあそこまでするんです? みずからを餌として一騎打ちを申し込むだけでも無茶だというのに、四半刻も経たないうちに総攻めを行え、などと。あれでは悪くすれば――いえ、まず間違いなく三好軍に殺されてしまいます」
 喜内にしてみれば、敵将が一騎打ちを了承する可能性は皆無としか思えない。つまり、喜内の目には、北相馬の策は我が身を囮とした強襲策であるとしか映らなかった。


 北相馬が軍議で述べたのは一騎打ちのくだりだけであり、強襲策は軍議の後で限られた武将にだけ告げられた。三好家の密偵が城内に入り込んでいた場合に備えての措置であるとのことだったが、ここから判断するかぎり、北相馬もまた一騎打ちが受け容れられないことを予期しているとしか思えない。そのことが喜内の不安をあおるのである。
 喜内が抱える危惧は左内のそれとほぼ重なっている。
 しかし、左内は喜内のように不安を覚えたりはしなかった。喜内の半分も心配していない気楽な調子で、ゆっくりとかぶりを振った。


「案ずるなとは云わぬが、案ずるだけ損だ、とは云っておこうかの。軍議でわかったと思うが、相馬は六角、蒲生、青地、いずれの家のためにも死ぬつもりはない。それはもう一片もない。ゆえに、どれだけ無茶に見えたとしても、それは成算あっての行動なのじゃよ」
 むろん、成算とは戦場から必ず生還できる奇跡の方策ではない。どんな戦であれ、死の危険は常につきまとう。
 しかし。
「すでに戦場に出ている喜内坊には云うまでもないことであろうが、戦場では命を惜しむことがかえって危地を招くものじゃ。反対に、死ぬ覚悟で事に臨んで、かえって生を拾うこともままあることよ」
 喜内は素直にうなずいた。それは喜内自身も胸に刻んでいる戦場の心得であったから。


 左内はさらに続ける。
「若しとはいえ相馬は百戦練磨の武士(もののふ)。しかも、本人いわく、やたらと危ない戦にばかり関わってきたそうな。死生の狭間を見切る呼吸は、身どもや喜内坊の及ぶところではあるまいて」
「……信じているんですね、相馬どののことを」
 喜内の言葉に、左内は思わずという感じで目を瞠る。次の瞬間、その顔に浮かんだのは照れたような微笑――ではなく、いかにも胡乱そうな思案顔であった。
「うーむ、良く云えばそうなるかの?」
「良く云えば、とは?」
「歯に衣着せず申せば、殺しても死なないやつ、というのが相馬に対する身どもの評価でな。どうせ今頃は『貴様らごときが俺に勝てると思っているのか?』などと云うて敵将を挑発しておるに違いないわ。それも、こっそり手に汗をにぎりながらの。鉄の刃ならば知らず、舌の刃による一騎打ちで相馬にかなう者はそうそうおらぬ。この目で見られないのがまことに残念じゃ」
 そう云ってころころと笑う左内。
 一方の喜内はといえば、あまりといえばあまりの評価にひきつった笑みを浮かべるしかなかった。照れ隠しなどではなく、心底そう思っているのがわかってしまうだけに、他に反応のしようがなかったのである。



 青地城の城門が音をたてて開かれたのは、それからしばし後のことであった。
 どうやら三好軍はこの動きをある程度予測していたようで、すぐさま迎撃の態勢を整えていく。が、その動きは鈍く、ことに本隊と思われる集団はまったくといっていいほど動いていなかった。
 今日まで先頭に立って戦っていた三好政康の戦いぶりからは考えられないことである。おそらく、政康はなんらかの理由で動きがとれない状況に置かれているのだろう。
 それを確認した左内たちは身を潜めていた木立を抜けると、喊声をあげて三好軍の側背に姿をさらした。今まさに蒲生、青地の主力部隊と刃を交えようとしていた三好軍は、伏兵の存在に気がついて動きを乱す。
 敵陣に立ち上った動揺のもやを見逃さず、左内たちは間髪いれずに敵軍の柔らかい側面に喰らいついていく。


 青地城をめぐる最後の攻防は、こうして幕を開けた。



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