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No.40336の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第三部】[月桂](2014/08/15 00:02)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(二)[月桂](2014/08/15 23:44)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(三)[月桂](2014/08/21 22:47)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 京嵐(四)[月桂](2014/08/25 23:54)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(一)[月桂](2014/09/03 21:36)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(二)[月桂](2014/09/06 22:10)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(三)[月桂](2014/09/11 20:07)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 瑞鶴(四)[月桂](2014/09/16 22:28)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(一)[月桂](2014/09/19 20:57)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(二)[月桂](2014/09/23 20:30)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(三)[月桂](2014/09/28 17:53)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(四)[月桂](2014/10/04 22:49)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/12 02:27)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(五) [月桂](2014/10/12 02:23)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(六)[月桂](2014/10/17 02:32)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(七)[月桂](2014/10/17 02:31)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 雨月(八)[月桂](2014/10/20 22:30)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2014/10/23 23:40)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(一)[月桂](2018/06/22 18:29)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 黎明(二)[月桂](2018/07/04 18:40)
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[40336] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:fbb99726 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/10/12 02:27
 草津の士 岡左内の参戦は、青地城をめぐる攻防に大きな一石を投じることになった。
 ――後の蒲生家の記録にはそのように記されている。


 左内の策により乱れたった三好軍は、突出してきた城兵の勢いを支えかね、一時的に包囲を解いて後退する。
 むろん、この後退はあくまで部隊を再編成するためのものであり、城攻めを諦めて退却したわけではない。ただ、連日、三好政康の猛攻を耐えしのいできた城内の将兵にとっては貴重きわまりない休息を得られたことになる。彼らはまさしく生き返った心地であっただろう。
 わずか数十の手勢のみを率いた左内の入城は、将と兵とを問わずに歓迎され、攻防戦は次の段階に移行することになる。


 左内の策によって青地奪取の機を逸したかに見えた三好政康であるが、手元にはまだ城兵に倍する兵力を抱えており、これに後詰の軍を加えれば、総数は城攻め開始の時点を上回る。物資に関しては若干の不安があるものの、青地城の防備が一日二日で元通りになるはずもなく、仕切り直しをするには十分な条件がそろっていたといえる。
 これらの条件を鑑みて、政康は兵の再編を終え次第、すぐにも城攻めを再開しようとした。時を置かずに攻め立てることで一気に決着をつけようと考えたのである。
 しかしながら、政康は最終的にこの考えを断念せざるをえなかった。配下の兵の疲労が無視できず、また、旧六角兵の動揺を静めきらないうちに出撃すれば、再び同じ手にしてやられる恐れがあったためである。



 政康はじっくり腰をすえて問題の解決に取り組むこととしたわけだが、これに予想以上に手間取ってしまう。
 先夜の流言に関しては敵の策略であると宣言したものの、政康の苛烈な攻勢で大きな被害を出したのは敵も味方も同様であり、中でも最も被害が大きかったのは先陣に配された旧六角兵であった。
 目前にあったはずの戦勝が掻き消え、高揚が冷めた旧六角兵は、あらためて周囲を見回して不安と不審を禁じえなかった。みずから陣頭に立つ政康が、旧六角兵のみを死地に投じたわけではないのは確かである。だが、それは政康が彼ら降兵を慮ったわけではなく、旧六角兵だろうが直属の三好兵だろうが、等しく兵の死など気にかけていない、というだけのことではないのか。結局のところ、自分たちは政康の武勲のために使い捨てられてしまうのではないか――そんな疑念が兵たちの胸にたゆたっていた。


 左内の流言は、それまで政康の猛勇によって覆い隠されていた「混成軍」の弱点を的確についており、三好軍はこれを取り静めるために少なからぬ労力を費やさねばならなかった。
 おまけに、番頭義元(岩成友通の腹心)が指揮する後詰部隊は、左内が流した偽情報に惑わされて山中に分け入っており、こちらも合流までに無駄な時日を要してしまう。
 左内の策はこの戦況において黄金よりも貴重な『時』を稼いだのである。




 その効果はほどなくあらわれた。
 蒲生家中において剛の者として知られる結解(けっけ)十郎兵衛と種村伝左衛門の援軍が日野城から到着したのだ。
 この援軍は蒲生賢秀がかき集めた軍勢の第一陣であり、本隊の到着が間に合わぬと考えた賢秀が、取り急ぎ遣わしてきた部隊であった。
 騎馬十、足軽二百あまりの小勢であったが、大半の将兵が負傷していた青地城にとっては、まさしく地獄に仏というところであったろう。彼らは左内たちのそれに数倍する大歓声によって城内に迎え入れられる。
 また、この時の援軍の中には、後に蒲生家きっての驍将として名を知られることになる横山喜内の姿もあった。


 かくて、共に新たな戦力を加えた三好、六角両軍は、数日の時をおいて再び激突を繰り返す。
 攻める三好軍、守る六角軍という構図はそれまでと変わらなかったが、新たな援軍を得た上にさらなる増援が近づいていると判明した城兵の士気は高く、しばしば攻撃側を圧倒した。
 また、岡左内の献策によって、攻め手の三好軍に対しては連日のように声による攻撃が仕掛けられた。


 曰く、三好三人衆は主家から疎んじられており、実は窮地にいる。
 曰く、瀬田城は堅田衆の攻撃を受けており、いつ陥落してもおかしくない。
 曰く、三人衆にとって近江は捲土重来の地、富も土地もすべてを我が物にするつもりである。ゆえに近江兵がどれだけの手柄をたてようと報われることは決してない。


 曰く、曰く、曰く。
 度重なる攻声は、実際のところ、ほとんどが事実にもとづくものであり、だからこそ笑い飛ばせぬ重みと迫力に満ちていた。
 とはいえ、合戦の場で敵の嘲弄をいちいち真に受ける者がいるはずもなく、城兵の罵声が目に見えるだけの効果を生んだかといえば、決してそんなことはなかった。が、それでも、わずかな疑念、かすかな躊躇、ほのかな不安を植えつけることができれば、それはいざという時に大きく役に立つ。
 なにより敵の窮地を吹聴すれば、それは自然と味方の耳にも入る。三好軍の内情など知る由もなかった城兵にしてみれば、実は追い詰められているのは自分たちではなく敵なのだとわかったことは、激しい攻防の中にもゆとりを生じさせた。


 今や勝敗の天秤は一方のみを指し示すものではなくなりつつある。
 そして、揺れ動く天秤の動きを決定づけるものが戦場の外縁部に現れたのは、三好軍が攻撃を再開してから数日経ってからのことであった。
 蒲生賢秀率いる蒲生軍本隊が到着したのである。 
 


◆◆



 青地城に拠って戦う青地、蒲生両家の奮戦は観音寺城の情勢にも少なからぬ影響を与えていた。
 当初、六角義治が青地城に期待したのは、三好軍を足止めする駒となってくれることであった。青地城の陥落が遅ければ遅いほど、その他の城は防備を固めることができるし、六角軍本隊の出陣準備を整えることもできる。両藤が除かれ、動揺する家臣たちを落ち着かせる意味でも、義治にとって時間は貴重なものであった。


 その意味では青地城は十分に義治の期待に応えたといえる。むしろ期待に応えすぎた、というべきかもしれない。多くの者たちの予想を越えた青地城の奮戦は、観音寺城内における救援派遣の声の高まりを誘発したのである。
 三好軍を領内に引きずり込み、消耗を強いた上で野戦で一気に決着をつけるつもりであった義治は、はじめ、この声に対して無視を決め込んでいた。しかし、青地城からの詳報が伝わるにつれ、やがてそうも云っていられなくなってくる。
 このまま義治が戦況を注視しているだけでは、たとえそれが戦略的判断にもとづくものであろうとも他者はそう見ない。義治が戦いを厭い、三好家を怖れて青地城を見捨てたのだと囁きあうに違いない。


 また、鶴姫の言動によって蒲生家の援軍が青地城に向かっていることは城内で周知の事実となっており、これ以上の静観は「両藤に続いて蒲生家まで敵の手を借りて粛清するつもりなのか」という疑いを芽生えさせてしまう恐れがあった。
 さらに義治が憂慮している事態はもう一つある。それは、このまま青地、蒲生の兵のみで三好家を撃退してしまうかもしれない、というものである。
 この頃になると、義治のもとにも三好家内部における確執や、三人衆の窮状について情報が入り始めてきている。もし今、三好宗家が三人衆の追討に立ち上がれば、三人衆は近江から手を退かざるをえず、青地城を守り抜いた両家の名声は轟き渡り、反対に何一つ為す術のなかった六角家の――義治の名は地に落ちる。
 そうなれば、もはや六角家の権威など笑い話のタネにしかならない。江南の主権は他家の手に――おそらく三好軍を退けた両家、なかんずく蒲生家の手に渡ってしまうだろう。


 なによりもその恐れが義治の出陣を促した。
 観音寺城の留守は父の六角承禎に委ね、義治は三千の兵を率いて城を出る。当主みずからの出陣にしては兵数が少ないのは、両藤の家臣たちの叛乱に備えて城に直属の兵の過半を残したためである。それでも征路の途中で山中家、望月家などの援軍を加えて五千にまでふくれあがった六角軍は、一路、青地城を目指した。
 なお、蒲生家の鶴姫は義治の決定を喜び、援軍に同道することを強く望んだが、結局容れられることなく観音寺城に残っている。



 こうして、青地城をめぐる攻防はまた一つ段階を進めた。
 三好軍は、ただでさえ城を攻めあぐねていたところを蒲生賢秀に側面にまわられ、容易に身動きがとれない状況に陥っていた。そこに新たな、強力な五千の援軍の到着である。これで決着がついた、と考えたのは六角家ばかりではない。事実、義治の到着によって形勢は決し、三好政康は瀬田城の方角に兵を退く。
 追撃戦はあらゆる戦の中でもっとも勝ちを得やすい戦いである。あとは凋落の兵を討ち取って失地を回復するだけと判断した義治は、青地城に少数の兵を残して城から打って出た。
 この義治の判断は戦理に即したもので、反対を唱える者は誰もおらず、勇武を誇る三好政康、さらには三好三人衆の命運もついにここで潰えるか、と思われた。


 しかし――





◆◆◆





 北近江 小谷城


「時は来た。六角家との宿怨を晴らし、浅井の家名を高めるは今この時をおいて他にない」
 江北随一の要害として知られる小谷城、その軍議の間で浅井長政が静かに声を発するや、居並ぶ家臣たちの口から吼えるような歓声が発された。
 浅井家と六角家の争闘の歴史は長く、先代 久政の時代には従属を強いられたという苦い記憶がある。野良田の戦いで六角軍を打ち破り、実質的に独立を果たしたとはいえ、それ以後も度々六角家と干戈を交えてきた浅井家としては、六角家を討つ好機を前にして動かないという選択肢はありえない。
 観音寺騒動をはじめとした隣国の混乱を見て、浅井家はついに兵を発しようとしていたのである。


 もっとも、当主の長政は多くの家臣たちのように六角家憎しの感情で染まっているわけではなかった。
 長政は最初の妻を六角家の六家老の一、平井家から貰い受けており、短くはあったが仲むつまじい夫婦生活を送っている。六角家との敵対を決めた際、妻とは離縁して実家に送り届けており、今はどうしているか知る由もなかったが、それでもかつての妻や妻の一族のもとへ攻め込むとなれば心が軋む。浅井家を属国扱いする六角家の態度に怒りを覚えたことは一度や二度ではないが、その六角家から得た恩恵も一つや二つではないのである。
 ゆえに長政は、六角家を攻めるにしても武士たるの礼節をもってする、と心に決めている。敵国の混乱に乗じて領土、領民を荒らしまわる野盗のごとき戦いは長政の望むところではなく、家臣たちの過度の興奮をなだめておく必要があった。



 長政の視線が重臣たちに向けられる。
 浅井家には海北綱親、赤尾清綱、雨森清貞という重臣がおり、浅井三将ないし海赤雨三将と呼ばれ、浅井軍の中核を成している。
 長政はその三人に笑貌を向けた。
「綱親には是非とも我らの敵を屠ってもらわねばなるまいな」
 それを聞いた瞬間、智勇兼備をうたわれる宿将の強面がびしりとひびわれた気がしたのは、たぶん気のせいではない。
 主君の意を悟ったのか、家老のひとりであり、長政の信頼厚い遠藤直経が声に笑いを含んで続けた。
「たしかに殿のおっしゃるとおり。綱親は敵を、そして雨森どのには当家を包む闇を祓ってもらわずばなりますまい」
「ぐぬぬ……」
 からかわれ、拳を震わせる雨森清貞。
 それを見た長政が、最後とばかりにこうつけくわえる。
「そして清綱に我らの明日を築いてもらえば当家は安泰、皆も心安らかに日々を過ごすことができるというものだ」



 長政の笑い声はたちまち家臣たちに伝播していき、軍議の間は時ならぬ笑声に包まれる。
 そんな中、僚将たち同様、わなわなと肩を震わせていた赤尾清綱が大声でわめきたてた。
「ええい、しつっこいですぞ、殿! 一時の気の迷いをいつまでもねちねちと口になさるのは、主君としていかがなものでしょうかなぁ!?」
 浅井家の重臣筆頭の顔は怒りと羞恥でちょうど二等分されていた。
 清綱をはじめとした三人は以前にいろいろと困ったことをしていた時期があり、その発作(?)が落ち着いた今なお、ときおり罪のない笑いのタネにされることがある。
 むろん、この三人をからかうことが許されるのは、当主の長政か、あるいは三人と同格にある遠藤直経くらいなのだが。


 長政が笑って手を振った。
「はは、すまぬ。許せ、清綱」
「許せと仰るのなら許しますが、笑いながらでは説得力がございませぬ!」
「すまんすまん。そなたらの仮面姿を思い出すと、なかなかに笑いの気が消えてくれぬのだ」
「ぬぐうッ!」
 憤懣やるかたなし、と云わんばかりに顔を真っ赤にする清綱に、直経が澄ました顔でとどめをさした。
「自業自得よ。わしも殿も、そなたらのせいで幾度恥をかいたか知れぬのだぞ。所かまわずけったいなことを触れ回りおって。この程度のことは笑って流すがよい」
「ええい、云われんでも申し訳ないとは思うておるわい!」



 そんな重臣たちのやり取りを他の家臣は笑いをこらえて眺めている。
 先ほどまでの憎しみまじりの興奮がすでに祓われていることを察した長政は、ここで話を先に進めた。
「先に申したとおり、この戦いは我ら浅井にとって宿怨を晴らす好機である。そして、同時に家名を高める好機でもある」
 家臣たちは顔から笑みを拭い、表情を真剣なものへと改める。
 長政の声は静かであった。あたかも家臣たちにこの戦いの意義を染み込ませようとしているかのように。


「興福寺の一乗院覚慶さまから使者が訪れたこと、すでに皆も承知していよう。御使者によれば、六角義治どのは覚慶さまの腹心 和田惟政どのを幽閉したとのことだ。現在、六角軍と三好軍は江南で激しく争っているが、この一事を見るかぎり、六角家が衷心から足利家の御為に戦っているわけでないことは明白である。六角家は六角家の利益のために兵を起こしたに過ぎない。ゆえに、これを討っても不義と謗られることはない」
 長政の言葉を聞いた家臣のほとんどがうなずいた。
「残念なことに、盟友たる朝倉家は越前、加賀における一向衆との戦いが激しく、此度の逆賊討伐には加われない。しかし、我らは孤立無援ではない。美濃の織田どのが覚慶さまの請いに応じ、我らと行動を共にすることになっている。我が軍の力をもってすれば六角家に勝ち得ることはすでに野良田で証明された。この上、織田家の助力があれば万に一つの敗北もありえぬだろう。六角を破り、三好を討って、公方さまの無念を晴らす。そして都に正当なる将軍の後継者をお迎えするのだ」


 おお、という声なき声が軍議の間に響き渡る。
 家臣たちの気の高まりに応じるように、長政の声が一際高くなった。
「そうだ、我ら浅井家が新たな征夷大将軍を推戴するのだ! この義挙をもって浅井の武威と高義を天下万民に知らしめる! 皆の奮励、力戦を期待するッ!!」
「ははッ!!」


 浅井家の家臣は一斉に頭を垂れ、若き当主に対して来る戦いでの奮戦を約束する。
 彼らの中には今回の出陣に関して――もっと正確に云えば織田家の参戦に関して、不服を抱いている者もいたのだが、三好、六角の徒を討ち滅ぼすことに反対を唱える者は誰もいない。
 かくして、浅井軍は江南の戦局に関わるべく動き始める。


 そして、これに先立ち、近江の隣国 美濃でも同様の動きが起きていた。


  

◆◆◆





 美濃 岐阜城


 先年まで稲葉山城と呼ばれ、美濃斎藤家の居城として知られていた山城は、新しい支配者によって新しい名を付けられていた。
 岐阜城。
 それが、桶狭間の戦いで今川家を打ち破って以後、日の出の勢いで勢力を広げている尾張織田家の居城の名である。
 今、その岐阜城には、当主である信長の命令により、織田家の主だった武将たちが集められていた。



 織田家の武将でまず第一に名前が挙げられる者といえば、衆目の一致するところ、柴田権六郎勝家であろう。
 先代 信秀の頃より織田家に仕えてきた来歴の持ち主であり、勇猛なること無比とうたわれる剛武の将である。かつて信長の弟である信行に仕え、その謀反に加担したこともあるが、一度許されてからは忠実に信長のために働いてきた。
 年齢は三十の半ば。こわいヒゲで顔の下半分を覆った、見るからに猛将然とした面構えの持ち主であり、勝家が場に座ると周囲の家臣たちはその威を怖れて一様に口を噤む。もっとも、勝家本人はそれほど狷介な為人ではなく、無闇に他者を怒鳴りつけたりはしない。部下と酒の飲み比べをすることもあれば、大声で冗談も口にする。ついでに、可愛い子供を見て相好を崩す一面も持っていたりする。


 その勝家は、先刻からやたらとヒゲをしごきながら、家臣団の末席あたりにチラチラと視線を注いでいた。その顔は笑っているような、それでいて困惑を隠せぬような奇妙なもので、周囲からは時折怪訝そうな視線が向けられている。
 勝家の近くに座していた丹羽長秀が不思議そうな顔で勝家に問いかける。
「どうされました、柴田どの。そのようにそわそわなさって?」


 外見は勝家と同年代、しかして実年齢は十以上も下であるという老け顔の長秀は、勝家と同じく信長が信頼する家臣のひとりである。
 信長の直臣としての期間が長く、主君からの信頼という点では勝家や、尾張の林秀貞ら譜代の重臣たちをしのいでいるといってもよい。
 軍事のみならず民政や城普請にも通じ、後詰や輸送任務、治安の維持といった、武勲とは縁遠い役割も堅実にこなしてのける長秀は、織田家中では明智光秀と並ぶ人格者でもあった。
 織田家の家臣には新参者や尖った性格の者が多く(一番尖っているのは主君である信長なのだが)何かと角突き合わせることが多い。長秀は温和な為人を見込まれ、彼らの調整役となることがしばしばあった。
 さらには包丁をとらせれば信長も唸るほどの美食を用意する料理の達人であり、まさしく万能という言葉の生きた見本であるといえる。


 信長からは米のようになくてはならぬ者という意味で「米五郎」と呼ばれており、勝家も長秀には一目も二目も置いている。
 その長秀から問いを向けられた勝家は、ふむむと唸って何と答えたものか考えあぐねている様子だった。
 万事に直截な勝家としてはめずらしい反応で、長秀ははてと首をかしげる。
 と、そんな二人に向かって陽気な声をかけてくる者がいた。
「おお、これはこれは、柴田さまに丹羽さま。お久しゅうございまする!」


 その声に覚えがあるのは勝家も長秀も同じであったが、反応は見事なまでに二つに分かれた。
 にこりと笑って振り向いたのが長秀で、渋面になってそっぽを向いたのが勝家である。
「おお、藤吉――ではない、秀吉ではないか。久しいの。そなたが墨俣の城主に任じられて以来か」
「そうなりまするな。ところで丹羽さま、それがしのことは、どうかこれまでどおり遠慮なく藤吉とお呼びくだされ。いやさ、はじめてお会いした時のように猿でも一向にかまいませぬ! 丹羽さまに改まって秀吉などと呼ばれると、なにやらこう寂しさがわきあがってまいりまして」


 そう口にする人物――木下藤吉郎秀吉の顔は、なるほど、猿を思わせる造作をしていた。
 その顔には陽気さと愛嬌と、さらには才気がたっぷりと詰めこまれている。信長の草履取りから成り上がり、桶狭間の合戦で諸人が瞠目する大手柄をあげ、美濃攻めにおいても難所であった墨俣の地を奪い取るなど数々の武勲をあげて、いまや織田家家臣団の中核にまで上り詰めてきた秀吉に対し、長秀はからからと笑ってかぶりを振った。


「仮にも一城の主となった者に対して猿などとは呼べぬよ。半兵衛どのも久しぶりじゃな」
 秀吉の後ろに控えていた女性が、長秀と勝家に対して無言で会釈をする。
 竹中半兵衛重治。かつて美濃の斎藤家に仕え、わずか十数人の手勢で一城を落として今孔明と謳われた若き英才である。
 その後、理由は定かではないが、半兵衛は斎藤家を辞して野に伏し、山中の一画に庵を結んで隠棲生活に入った。織田軍が美濃に侵攻した際は斎藤家、織田家のどちらにもつかず、美濃を掌握した信長が招聘した時も応じる気配を見せなかった。


 その半兵衛が秀吉の招きに応じたと知ったとき、長秀は驚きを禁じえなかった。
 半兵衛は楚々とした風情の麗人であり、主である秀吉とは対照的に物静かな性格をしている。常に人の裏をかく軍師、策士とは思えない穏やかな為人をしており、無駄口を叩かず、酒も飲まず、暇があればいつまでも兵法書を読んでいるような人物だ。それでいて、他者を寄せ付けない狷介さは少しも感じさせない。
 どうしてこのような人物が諸事に騒がしい秀吉の招きに応じたのか、と長秀は首をひねったものである。
 つけくわえれば、自他ともに女好きと認める秀吉が、不埒なまねをして半兵衛に愛想を尽かされるのではないか、といらぬ心配もしたりした。
 この手の心配をするのは長秀に限った話ではなく、秀吉の知己である前田利家などは、秀吉が半兵衛を招いたと知って我が事のように喜ぶと同時に、面と向かって手を出さないようにと注意したほどである。




「ところで、お二人は何を話しておいでだったので?」
 再会の挨拶が一段落した後、秀吉はそう訊ねてみた。目の前の勝家の様子には気がついているが、勝家が成り上がりの秀吉を厭うのはいつものことなので、気にしても仕方ないとわきまえている。
 それに勝家は秀吉のいない場所で誹謗を口にすることはなく、面と向かって「わしはお前が気に入らぬ」と云ってくるような人柄なので、秀吉としても勝家は嫌いではないのである。正直、からかうと面白いとさえ思っていた。実際に口にすれば勝家自慢の大斧で脳天から両断されかねないので、絶対に口には出さないが。


「いや、柴田どのがなにやら気にかけているようなので――」
「五郎左、余計なことを云わずともよい! それと猿、ここは重臣の席じゃ。墨俣ごとき吹けば飛ぶような砦の主は、さっさと末席に――む」
 鉛を飲み込んだような顔で黙りこむ勝家を見て、長秀と秀吉は思わず顔を見合わせる。
 勝家が衆人の面前でこのような表情をすることは滅多にない。軽くひと当たりして様子を見るだけのつもりだった秀吉も、本気で勝家の調子を心配してしまったくらいめずらしいことであった。


「柴田さま、もしや御身体の具合がよろしくないので?」
「ええい、やめぬか、猿! おぬしに案じられるほどやわな身体はしておらぬわい。そうではなくてだな、おぬしが末席に移ると……」
「それがしが末席に移ると?」
 思わず、という感じで勝家の視線を追った秀吉と長秀は、ふとそちらの方向に見慣れない武将を見出した。


 それは見るからに小柄な人物で、ともすれば童ではないかとさえ思われた。
 艶やかな黒髪を頭の後ろで束ねているのだが、その髪の長さから見て女武将であろう。織田家は当主の信長からして女性であり、明智光秀や林秀貞をはじめとして重臣の中にも女武将は存在する。だからこの場に女性がいたとしても何ら異とするに足らないのだが、この場に居並ぶ者たちは織田家の中でもそれなりに名前が知られた者たちであり、長秀にしても秀吉にしても諸将の顔と名前はおおよそ一致する。
 しかるに、この小兵の将は顔も名前もわからない。
 これほど若く、しかも可憐な容姿を持つ女性に見覚えがないとは奇妙なこと、と長秀らは首をひねった。


 ――いや、見覚えがない、というのは間違っているかもしれない。
 名前に心当たりがないのは確かだが、小さく整った顔の造作は記憶の内にあった。今でも十分可愛いが、あと二、三年も経てばそれこそ国色天香と称えられるであろう容色は、どこか別の場所で、違う姿で、何度も何度も見かけたことがあったような……



『あ』
 期せずして長秀と秀吉の声が重なる。
「皆、揃っているようだな」
 信長が明智光秀を供として姿を見せたのは、それとほぼ同時であった。



◆◆



 美濃を制した織田信長の次の目的は上洛である。
 そのための準備は美濃制圧直後からはじめられており、義輝討死の報が届けられてからはさらに公然と軍備を整えてきた。
 よって、大和の興福寺から使者が到着した時点で織田軍団は出陣可能な状態にある。岐阜城に参集した織田軍の総兵力は一万二千に達していた。
 美濃と尾張の二カ国を制した今の信長は、望めば三万を越える兵を集めることもできる。それを考えれば一万二千という数は全力出撃には程遠く、この場に集った諸将の数も決して多くはない。
 何故そうなったのかといえば、濃尾の周囲では武田、朝倉、本願寺、松平といった国々が虎視眈々と織田家の隙をうかがっており、彼らに対する備えを怠るわけにはいかなかったからである。外征に使える将兵の数にはどうしても限りがあった。


 上洛戦で手間取れば周辺国は得たりとばかりに織田領に侵攻してくるだろう。
 ゆえに素早く攻め、素早く取るのが信長の基本戦略であり、そのためにも敵は可能なかぎり一つに絞るべきであった。
 何よりも先に確保しなければならない土地は、岐阜と京を結ぶ南近江である。そのためには北近江の浅井家と関係を構築する必要があった。
 信長はかねてから浅井家と結ぶべく働きかけているのだが、朝倉家と繋がりの深い浅井家は容易に首を縦に振らない。当主の長政は考慮する向きを示しているが、家臣の中に織田家と結ぶことに強く反対する者たちがいるのである。


 信長としては、長政が家中を説き伏せることができるだけの「何か」を与える必要があった。織田家が決して浅井家を裏切らないと証明するものを。
 古来より、険悪な二家を結ぶ妙なる一手とくれば婚姻と相場は決まっている。幸い、浅井長政は男性であり、信長は美姫と名高い妹を持っている。
 ――興福寺からの使者がやってきたのは、信長が秘蔵っ子である妹の市姫を用いるのもやむなしか、と考えていた矢先であった。
 一乗院覚慶の要請により織田家は上洛の名分を得ると同時に、興福寺の仲立ちで浅井家と結ぶことができた。これにより、信長は妹を浅井家に差し出すという案を懐にしまうことができたのである。




 集めた家臣たちを前に上洛の手配りを説明し終えた信長は、対浅井の外交戦略の変更をあわせて告げ、人の悪い笑みを勝家に向けた。
「もっとも、だからといってほいほいと家臣にくれてやるつもりもないがな。残念だったのう、権六?」
 信長がにやにやと笑いながら水を向けると、勝家はげふんごふんと咳払いしながらも、当然だとばかりに強くうなずいた。
「ざ、残念という言葉の意味はわかりかねまするが、妹君が当家に留まることに関しては、拙者、諸手をあげて賛同いたしまする。姫さまは当家にとって大切な御方、浅井の小せがれにくれてやる必要は微塵もござるまい。殿がご自分の手で愛育されるにしかず、と心得まする」
「手柄を重ねていけばいつかは、との夢も果てずに済むものなあ。こっそり胸をなでおろしたのは勝家に限った話ではあるまい」
 くつくつと笑う信長から勝家他数人の家臣が目をそらした。
 その中には木下秀吉も含まれており、傍らの半兵衛が呆れたようにそっと目を伏せる。



 ここで信長は語調を改めると、居並ぶ家臣たちの一角に鋭い視線を向けた。
「ところで、当人がどう考えているのかも聞いてみたいところであるな。どうだ、お市?」
 その言葉に驚いた者もいれば、驚かなかった者もいるが、どちらであれ家臣たちの視線は同じところに集まった。むろんというべきか、先刻、勝家らが気にかけていた件の女武将のところに、である。


 重く力感のこもった信長の声に応じたのは、銀の鈴を振るような清らかな声であった
「市はもうすこし姉様(あねさま)と共にいたく思っておりますので、嫁がずに済んだことは嬉しくおもっております」
 ケロリとした顔で答えた後、市姫はようやく自身の存在が明らかになっていることに気づいたのか、慌ててきょろきょろと周囲を見回した。
「あ、あれ……? ひょっとして気づかれてしまいましたか?」
「遅いわ、ばかもの。とうに気づいておったというか、むしろ、どうして気づかれずに済むと考えたのかを説明してほしいところだ」
「お、おかしいな。完璧な変装だと思ったのですけど」
 両の手をあげ、しげしげと自分の格好を確かめる市姫の可愛らしい姿に、周囲からは微笑ましげな視線が注がれる。勝家などは相好を崩していたが、信長にひとにらみされ、慌てて表情を引き締めた。



「でも、姉様。気づいていらっしゃったなら、どうしてすぐに追い出さなかったのですか?」
「軍議の席とそなたの前と、二度同じことを説明するのは面倒だと思ったまで。わかったらはよう出てゆけ。云うまでもないが、そなたはお冬と共に岐阜で留守居であるぞ」
「そこをなんとか――」
「ならぬわ、たわけ」
 取り付く島もない姉の返答をうけ、市姫はしゅんとした様子で立ち去っていく。


 勝家や秀吉らはその背を気の毒そうに見送った。市姫が上洛に同道したいと強く望んでいることを二人は知っていたのだ。
 とはいえ、さすがに市姫の願いに口ぞえしようとは思わない。むしろ、信長が妹の願いに折れるようなことがあれば断固として反対を唱えただろう。
 今回の上洛が激戦になること、一歩間違えれば織田家凋落の切っ掛けにすらなりえる危険な賭けであることを家臣たちは承知していた。そんな戦に珠のごとき姫君を連れていけるわけがない。
 市姫もまたそのことを知るからこそ、幼い身でも何かの役に立てるはずだと同道を志願したと悟ってはいても、その願いにうなずいてあげるわけにはいかなかったのである。





 市姫が下がった後、信長はあらためて諸将を見渡すと、覇気に満ちた声で云った。
「出陣の時日は先に伝えたとおり。近江との国境で浅井の軍と合流し、一気に六角を押しつぶす。しかる後、三好を打ち払って都を清め、義輝公の仇を討って興福寺から新たな将軍を迎え入れるのだ。満天下に織田の驍名を知らしめるにこれ以上の好機なし! 此度の戦、終わらせるまで三月を越えることはない。各自、その旨をしかと心に刻んで諸事に努めいッ!」
 六角家を蹴散らし、三好家を討って新たな将軍をたて、その後を確かめて岐阜に戻るまで三ヶ月をかけるつもりはない、と信長は明言した。


 本来であれば半年、一年をかけても成るか成らぬかわからない難問に対して、わずか三月。それは周囲に強敵を抱える織田家の事情が導いた期限であるが、仮に織田家が外憂を抱えていなかったとしても、信長が口にする期間はたいしてかわらなかったであろう。
 信長は待つべき時に待つことができる武将であるが、根本的には巧遅よりも拙速を尊ぶ気質である。そして、ひとたび動けば疾風迅雷、あらゆる艱難辛苦を蹴飛ばして。己が道を突き進む覇王が顕現する。
 織田家の家督継承、今川家との戦い、美濃の制圧、いずれにおいても信長は己の道を違えることなく目的に向かって突き進んできたのであり、そのことを家臣たちは承知している。
 ゆえに、信長が提示した三月という言葉を無理だと考える者はいなかった。
 彼らははかったように一斉に頭を垂れ、力強い声で主君の命令に応じた。


 そんな君臣の気迫に呼応したのか、稲葉山の頂きを発した強風が、木々を激しくゆらしながら麓まで駆け下りていく。
 風は家屋を揺らし、田畑を駆け、まっすぐに西方へと吹き抜けていった。



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