「私が危惧していたのは、申し上げました通り、衛宮さんが敵になるか否かです」
「その見極めの為、失礼になる事を承知で、幾つか衛宮さんの危機感を煽るような質問をしました」
「今しがた衛宮さんに向けた銃口も、その内の一つです」
「ですが衛宮さんは、最後までご自身を見失うことはありませんでした」
「衛宮さんの能力を信頼をするかどうかは別ですが、私は衛宮さん自身は信頼に値する人であると考えます」
「衛宮さんを試すような言動、そして数々の非礼……改めて心よりお詫びします」
■ 艦これ×Fate ■
人間生きていれば、振り上げた拳の処理に困る場面に出くわす事など、決して珍しい話じゃ無い。
幼少期の様に感情のままに振る舞っているのならまだしも、人は成長と共に論理的に物事を考え、筋道を立てて会話をするようになる。感情のままに振る舞うことは、社会が求めていないことを学んでいく。そうして様々な感情を内心に溜め込み、別の何かで発散したりするのだ。それは、艦娘たちとて例外ではない。
まぁ、つまり。何が言いたいかと言うと、
「本っ当に、全く、もう!」
怒り心頭と言った様子で歩く磯波。拳を小刻みに上下に振りながら、全身で『私怒っています』を表現している。何に対してそこまで感情を露わにしているのか。そんなのは今更言葉にするまでも無いだろう。
先行く磯波の後を追うようにして、士郎と満潮も人工の灯りで照らされる廊下を歩く。
すっかり暗くなった窓の外。大井に呼び出されたのが夕方。食堂から出たのが黄昏時。中々に時間は経過している。
「ぁぁぁぁぁぁ、もぅ!」
ぶんぶんぶん。だんだんと感情の抑えが効かなくなってきたのか。磯波の挙動が大きく、そして激しくなっていく。相当に腹に据えかねているのは間違いない。
……思えば。叩きつけられて、銃口を向けられて、挑発的な物言いをされて。大井に最も肉体的にも精神的にも嬲られたのは、3人の中では彼女であることは疑いようがない。ならばその感情も致し方なかろう。
「はいはい、もうすぐ人のいるところに出るわ。落ち着きなさい」
磯波を宥める様に満潮は声を掛けた。呆れを多分に含んだ言い方ではあるが、その発言は正しい。このままの状態でいれば佐世保鎮守府所属の面々の視線を集める事になるだろう。
磯波もそれは分かっている。分かってはいるが、そう簡単に感情に折り合いを付けられたら苦労はしない。振り返った顔。膨らんだ頬。真っ赤な怒りに燃える瞳。荒々しい息。平常に戻るには、まだもう少し時間が必要そうだ。
「はぁ、もう……トイレで顔でも洗ってきなさい。念入りに、ゆっくりとね。その状態でコイツを部屋まで送れないでしょ」
「……はーい」
不承不承と言った体で、磯波は満潮の言葉に従った。正当性は理解してるのだろう。傍の女子トイレに入ると。一際大きな溜息を彼女は零した。ドア越しに聞こえるくらいの声量だった。
「長くなりそうね。疲れているだろうけど、もう少し待ってくれる?」
「ああ、構わない」
「そ、悪いわね」
満潮は傍の壁に背を預けると。少し大きめに息を吐き出した。溜息未満の息の吐き出し方。だがその吐息に、疲労が存分に込められているのは想像に難くない。
彼女に倣う様に、士郎も壁に背を預けた。そして同じように、溜息未満の息を吐き出す。
「で、率直にどう思った?」
2人の息が同調したところで、満潮は意味ありげに士郎に問いかけを発した。
声に応じる様に士郎が視線を向ければ、満潮の挑発的とも取れる視線が絡み合った。
「……まぁ、半分本当、半分嘘ってところかな」
満潮の問いかけ。わざわざ磯波がいない場で。そして執務室から離れ、もうすぐ人のいるところに出ようと言うタイミングでの質疑。
その意味を士郎は理解して、言葉を選んで返答する。
「多分だけど、上には言っていない。近しい人には言っているかもしれないけど、決定権を持つような人たちには言っていないと思う。アレは俺の反応を見る為のブラフだろう」
内容は、先ほどまでの大井の発言に対して。彼女の発言の真偽の程。その推察の確認。
つまりは。士郎は大井の発言に嘘が含まれていると感じていた。
士郎の返答を聞いて、満潮は口角を釣り上げた。
「そうね。私も同じ理解よ。大井さんも言っていたけど、アンタの荒唐無稽な能力は、言伝だけで信じられるものじゃないもの。仮に言っていたとしても、世迷言として処理されるのがオチよ」
世迷言。満潮の言葉の通りだ。幼少期ならまだしも、いい歳になっても魔術なんてものを信じる輩は、この現代世界では極めて希少だろう。
無論、艦娘や妖精という不思議な存在は確かにこうやって存在する。深海棲艦などというアンノウンも存在する。だがそれは存在すると知っているから、理解し信じることが出来る。
だが魔術は違う。魔術は存在しない……或いは、公にはなっていない。少なくとも、大井を始めとする艦娘たちは知らないのだ。
ならば。魔術と言うのは空想上の技術であり、それを言伝のみで信じるのは無理がある話だ。
「上へ報告される可能性は極めて低いでしょうね。こんな空想染みた事実を信じる程、上は馬鹿でも阿呆でも無いわ」
目の当たりにすれば話も異なろう。だが知っているのは、満潮たちと、あとは妖精さんくらいだ。
そう考えれば、大井のスタンスは極めて特異な例だ。幾ら妖精さんから聞いたとはいえ、その真偽を疑わずに先ずは確かめようとする辺りに、彼女の思考の柔軟性が伺い知れる。
「上の俺への処分のくだりは、完璧に嘘だな。もしもバレたらそうなるだろうっていう、大井さん自身の推測でしかない」
「そうね。でもまぁ、バレたら実際大井さんの言う通りになるだろうから、改めてリスクを刻み込んどきなさい」
この鎮守府の最高戦力である大井が言うのだ。推測とは言え、内容は決して的外れなものでは無いだろう。モルモットとして飼い殺しになるか、或いは廃棄処分されるまで苛烈な実験を重ねられるか……いずれにせよ、望ましいものじゃない。
「と言うか、どこから満潮は察していたんだ? 大井さんが試している事」
「銃を磯波に突き付けたところね。妖精さんの加護が機能している艦娘に、対人間用の拳銃が効くわけ無いもの」
「あの時か……」
「私たちの――特にアンタの動揺を誘って、情報を引き出そうとしたんじゃないかしら。尤もアンタが想定外に冷静だったおかげで、目論見は失敗したみたいだけどね」
大井がこれ見よがしに磯波を叩き伏せて、銃を突きつけたところ。彼我の実力差を明示する為の行動だと士郎は捉えていたが……あれも大井の言うところの、煽りの一つだったのだろう。
「アンタも良く冷静でいられたわね。正直磯波と同じように飛び掛かると思っていたわ」
「冷静なんかじゃなかったさ。どうやって磯波を宥めるか、それしかあの時は頭になかった」
「ふぅん」
「それに、まぁ、満潮が冷静でいてくれたしな。おかげで、落ち着いて話が出来たと思う」
磯波は恐らく感情のままに行動した。満潮は事態を見極め、冷静を保ち続けた。相反する2人の感情を目の当たりにしたからこそ、士郎も事の把握に努めることが出来たのだ。
「言うじゃない。磯波にも見習ってほしいわ」
「……もしかしなくても、最後まで気付いていなかったのかな」
「そうでしょうね。あの子はあんな演技ができる程器用でも無いもの。……あと、アンタを嵌める様な手は絶対に取らないわ」
あの怒りよう。そして上の立場の者への反抗。
いずれも士郎の身を想っての行動。士郎自身それは嬉しく感じるが、反面不安も覚えてしまう。今後の彼女の立ち位置を思えば、それは悪手にしかないのは明らかだからだ。
「なんて顔してんのよ。あの子が勝手に反抗しただけよ。変に責任を感じる意味は無いわ」
「そう、かもしれないけど」
「かも、じゃないわ。そう、なのよ」
満潮は強い口調で言い切った。無用な心配をするな。言外に込められたその意図を、正しく士郎は理解する。
「ま、もしも責任を感じて仕方が無いっていうなら、これ以上此処の面々に変に勘ぐられる事のない様にしなさい。不慮とは言え、私たち以外に知られてしまっているんだから」
「……分かった」
「それにしても、妖精さんからバレるなんて……完全に盲点だったわ」
妖精さん。思えば、事の発端は彼女にあった。彼女が大井に報告した事で、事がバレたのだ。
「あの隠れ家には妖精さんがいたんだな。知らなかった」
「あー、まぁ、それは仕方が無いわ。あの研究所にいた面々は、皆妖精さんの加護を失っていたもの。唯一金剛さんにさっきの子が付いてはきていたけど、動向まで気にする余裕は無かったし……てかアンタ、妖精さん見えたのね」
「見えたって言うか……知ったのは今日の昼頃だよ」
リハビリ中に判明した、妖精さんと言う新事実。思えばその話は今日の昼過ぎの内容だ。時間に換算すれば、まだ半日と経っていない。だというのに、もう何日も前の話に思える。
何と密度の濃い時間を過ごしてきた事か。自覚と同時に、どっと疲労が重なる。今日はよく眠れそうだ。
「妖精さんには悪いけど、一応口止めお願いしなきゃな」
「それなら、さっきのやりとりで理解はしたと思うわ。アンタにあそこまで感謝の意を示しときながら、窮地に追い込むような悪手は打たないでしょ。……ま、誰に言っているのかだけは聞いとく必要があるけど」
バレるなら、絶対アンタからだと思ったのに。小さくボヤかれたその言葉を、士郎の耳はしっかりと拾った。中々に辛辣な評価である。
「何、その眼? 事実でしょ。アンタ、我慢できないじゃない」
「我慢って、何をだよ」
「誰かが犠牲になること」
そう言って、満潮は士郎の腕に手を添えた。左腕。深海棲艦に折られ、今も尚動きが鈍い左腕。
「叢雲から聞いているわよ。その左腕、ヌ級に生身で立ち向かって折られたんでしょ。しかも叢雲の為に」
「……」
「それに、最後のアレもアンタは無理を通していた。木曾さんから散々止められたくせにね」
今度こそ。満潮は溜息を吐き出した。過去の士郎の行動を思っての溜息。そしてジト目で睨み付ける。
「だから、バレるならきっとアンタからよ。だって、そういう方面のアンタは全く信用できないもの」
「……俺だって易々とバレる様な事はしないぞ」
「どーだか。自分のこれまでの行動を振り返ってみたらどうかしら?」
パシッ。軽く満潮は士郎の左腕を叩いた。そして口角を釣り上げる。挑発的な笑みだった。
「ま、バレたらバレたらで、その時は潔く磯波含めて心中ね」
「おいおい……」
「アンタにはそれくらいの枷が必要でしょ。嫌なら隠し通さない。何があってもね」
気軽な調子で、何てことの無いような口調で。彼女は容易く命を上乗せした。磯波と共に、士郎に上乗せをした。
だがそれは、決してこの場限りの酔狂や冗談と言った類ではない。口調以上に雄弁に、絡められた視線が語ってる。
二の句を告げようと士郎は口を開きかけるが、見計らったかのようにトイレのドアが開いた。
「ごめんなさい、お待たせしました。もう大丈夫です!」
「本当に?」
「……大井さんが視界に入らなければ」
「それ、大丈夫とは言わないと思うけど」
まだ完全には落ち着きを取り戻せてはいないらしい。だが表面上は一応、何時もの彼女と変わりは無い。言葉の通り、大井さえ見なければ今日のところは大丈夫なのだろう。
「まぁいいわ。戻りましょ。……今日は疲れたわ」
暫し磯波に疑いの視線を向けていた満潮だったが、頭を振って視線を切った。そう言って、返事も聞かず満潮は先を行く。付いてくることを疑わない足取り。
行きましょう。動きの鈍い士郎をエスコートするかのように、磯波は手を差し出した。反射的に手を重ねると、思いの外しっかりと握りしめられる。温かで柔らかな手が、士郎の手を包んだ。
「? どうしました?」
「あ、いや……」
満潮の発言によって、まだ動揺して動きが鈍い状態。そんな士郎に、磯波は笑顔を向けた。不安を取り除こうとするような、朗らかな笑み。
そんな彼女の額の一部分が赤くなっている。
恐らくは、テーブルに叩きつけられた時の痕。
……士郎の為に怒りを露わにしたから、付いてしまった痕。
「……ありがとう、磯波」
謝る事はしない。謝っても何も解決はしないから。内心に巣喰っている、後ろめたさとか、後悔とか、そう言った仄暗い感情から逃げるだけの行為にしかならないから。
だから口にするのは感謝の言葉。磯波の行動に救われた。その意を込めた、言葉。
士郎の言葉に、磯波は今日一番の笑みを見せた。
太陽のような、愛らしい笑みだった。
■
満潮との会話は、磯波の合流により一旦は終わりを見せた。
だが話の内容は、まだ終わってはいなかった。
士郎はまだ言っていない事がある。まだ満潮と共有していない内容がある。
だが士郎は。それを改めて口にはしなかった。
言葉は飲み込み、自身の内心にしまい込んだ。
……しなくていいと、そう思ったから。
『ここで、いなくなった事にするのが一番手早なくらいに』
大井が言った、その言葉。
士郎への煽りの言葉。
今はまだ、煽りの言葉。
だけど。もしも。その何かが起きれば。
きっと、彼女は――――
「……朝、じゃないよな」
身を起こし、溜息。そして苦々しい顔のまま、士郎は窓へと視線を向けた。
窓の外はまだ暗い。時計を見ればマルヨンマルマル。何時も起きている時間帯より、2時間は早い。
昨日、大井との会談(?)から解放され、部屋に戻ったのがフタヒトマルマル。それから食事をして、シャワーを浴びて、なんやかんやで就寝したのがフタサンサンマル。まぁ、4時間程度は眠れただろうか。
ハァ、と。もう一度溜息。それから弱々しく首を左右に振る。
「起きるか」
いつもの起床時間まで寝る事にするか、それとももう起きてしまうか。一瞬悩みはしたが、士郎は前者を選んだ。
今日もリハビリがあるのだから、体力を温存した方が良いのは当たり前の話。だが眠ろうにも、士郎には眠れないであろうという、無駄に後ろ向きな自信があった。
『ここで、いなくなった事にするのが一番手早なくらいに』
頭の中で、大井の言葉がリフレインされる。
昨日からずっと士郎の内心に巣食い続けている言葉。呪縛の様に纏わりつく言葉。
彼女の言葉のその真意に。士郎の思考は絡め取られたままなのだ。
「……ええい」
大井の言葉を振り払う様に、士郎は強めに己の頬を叩いた。どうにもクヨクヨと悩んでしまうのは、今の自身が置かれた状況の特殊性故か。だがそれにしたって、1人で悩んでも解決できない物事に、いつまでも思考を割くのは得策とは言えなかろう。
気合を入れ直すべく、もう一度士郎は頬を叩いた。先ほどよりも強めに。ジンジンと頬が痛むほどに。
それからストレッチ。身体の節々、そして指先一本一本にまで、己の意思通りに動く様に感覚を確かめていく。
「……走りたいな」
悩みを何もかも忘れてしまうくらいに。ひたすらに。そしてただただ我武者羅に。ストレッチだけでは、この悩みを振り払えない。
だがまだ怪我人に分類されている身ではそれは叶わない。余計な疲労をこさえれば、叢雲からのお小言が増えるだろう。可愛らしい顔でニッコリと笑われながら、それはそれは上品に罵倒されるのは、士郎の精神衛生上よろしくない。色んな意味で。
それにそもそも、この身は大井から警戒をされているのだ。下手にこんな時間に1人で外に出てしまえば、理由がどうあれ今後は監視の目が厳しくなるだろう。余分な疑念を膨らませても良いことは無い。
「いや、待て。敷地内なら平気か?」
以前に満潮に連れられて出た時は、特に何かを咎められることは無かった。夜間の外出は禁止の筈だが、敷地内なら大丈夫なのかもしれない……いや、微妙か。
なんだかんだで時刻はマルゴーマルマル。太陽は未だその姿を見せていないが、時間帯としては朝方だ。警備員に目的を話させすれば、もしかしたらぎりぎり許される時間帯かもしれない。
今から30分程度走って、戻ったらシャワーを浴びる。疲労もそこまでは残るまいし、気分もスッキリするだろう。うん、かなりいいプランだ。
「っし、なら――――」
善は急げ。思い立ったが吉日。好機逸すべからず。
それはそれは見事なまでに独りよがりなプランを立てると、士郎はそれ以上悩むことを放棄した。士郎にしては珍しくも、計画性も何も無い、己の欲望に忠実な行動。それはつまるところ、彼がそれだけ精神的に大きなストレスを抱えている証明であり――――
「わわっ!?」
「!?」
ともすれば。
まさか扉の外に誰かいるなんて。
そんなこと、分かるはずもなく。
「あー……川内?」
「いやぁ、あは、あはははー……」
困り顔の川内と、
「あの、その……」
「い……電、か」
数日前に出会った子が、
「……衛宮さん、ごめん。ちょーっとだけ、時間をもらっても良いかな?」
まさかこの時間帯に士郎に用事があるなんて、予見できるはずがなかったのだ。
■
窓を開け、朝の澄み切った空気を肺いっぱいに吸い込む。
肺に流れ込む冷たい感覚が、意識を優しく撫でていく。
既に夜の帳は薄れている。東の空は白み始めていた。陽が上がるまで、然程の時間も必要ないだろう。
「それで、用件は?」
部屋の換気を行いつつ、士郎は訪問者たちに話を促す。
だが電は黙って俯いて座ったまま。隣に座っている川内に視線を向けると、彼女は苦笑いを浮かべた。
「この子が、衛宮さんに訊きたいことがあるんだって。……ごめんね、こんな時間に」
「別に良いけど……起きてなかったらどうするつもりだったんだ?」
「最初は衛宮さんの病室は此処だよって、案内して終わりの予定だったの。でも部屋の電気付いていたし、起きているのかなって思って」
「耳を付けて様子を伺おうとしたと」
「そ。まさか間髪入れず扉が開くとは思わなかったよ……」
士郎は別に川内達の気配を察知したわけじゃない。本当に、アレはただの偶然だ。
川内はバツが悪そうに頬を掻いていた。士郎と視線を合わせようとしない辺り、本意で無い事は確かなのであろう。
「私、変則シフトでの夜勤明けでね。もう要件はこれで終わりにして帰って寝たい……って言いたいんだけど……」
はぁ、と。少し大きめに川内は溜息を吐いた。彼女の服の裾を、電は掴んでいる。
「電、ほら」
「あの、その……」
俯き、士郎と視線を合わせようとせず。それでも必死に言葉を絞り出そうとしているが、意味を為す前に尻すぼみ、声は虚空へと霧散する。
悪いね。そう言いたげに、川内は士郎に向けて肩を竦めた。
「ねぇ、電。日を改めた方が良いんじゃない?」
「そ、それは……」
「今回は突発的過ぎたしさ。心の準備とか出来ていないでしょ? 落ち着いてからの方が良いって」
川内の言葉に間違いは無い。いったい電が何の用で来たのかは置いておいて、今回の訪問が突発的であったことは事実なのだ。訊きたいことが何であれ、口を開くのに覚悟が必要なのであれば、相応の準備をした方が良いのは瞭然だろう。
だが電は、川内の言葉に首を横に振った。苦しそうに肩を上下させながら、それでもこの場から逃げる事だけは選択しようとしなかった。
「衛宮さん、時間は何時まで大丈夫そう?」
「朝6:00には、誰かしら来る。だからそれまでだな」
誰かしら。言わば、叢雲とか、磯波とか、その辺りだ。そして彼女たちが来れば、間違いなく川内達に怪訝な視線を向けることだろう。
彼女の話の内容にもよるが、言外にそんなに時間は無いと。そう電に認識させる。
「その……」
「ん?」
「あの……お話を、聞きたくて……」
「話?」
「はい……雷ちゃんの、お話を」
やっぱり、そうか。予測していたから驚きはない。が、想像通りの言葉に、士郎は内心で溜息を吐いた。
駆逐艦、雷。
鉄底海峡で出会った艦娘で、あの海域で分かれた3人の内の1人で、そして目の前の電の姉妹艦。
「……電。あのさぁ」
「分かっているのです! ……分かっているのです、川内さん。それは……受け入れています。ただ……どんな風だったのか。それだけ、知りたいのです」
はぁ、と。聞こえる様に川内は溜息を吐き出した。彼女も大凡予想はしていたのだろう。それから士郎にしかめっ面でアイコンタクトを送る。ごめん、迷惑かけるわ。
「叢雲ちゃんから、雷ちゃんは残っていると聞きました。生きているかとか、どうなのかは、良いのです。ただ、雷ちゃんがどんな生活をしていたのか。それだけ、教えてほしいのです」
ぽたぽたと。俯いたその顔から、雫が零れている。膝の上で握りしめている拳に、落ちては当たって弾けている。
叢雲が何をどう言ったかは分からない。だが彼女の事だ。不足が出る様な内容は言ってはいまい。漏れることなく、彼女の知りたいことは伝えたであろう。
だがそれでも。電には知りたい事があるのだ。
「……分かった」
意を決し、感情を溢れさせながら紡がれたその言葉を。
心を閉ざして拒絶出来る程、士郎は人間が出来てはいない。
「分かったよ。けど、15:00以降で良いか? 今からだと、多分全部は話しきれないだろうし」
「は、はい! 勿論なのです!」
初めて。電は顔を上げた。
顔をくしゃくしゃにし、今にも決壊しそうなのを堪えている。そんな酷い顔だった。
■
ただ。
結論から言えば。
この約束が守られることは無かった。
記録――――3月。
長崎県佐世保市。
佐世保鎮守府。
鉄底海峡に派遣した部隊からの帰還艦の内1艦が、ヒトマルマルマル頃に、急遽深海棲艦へと反転する。
反転した艦は、鎮守府内にて破壊活動を開始。以降、ヒトフタマルマルまで、大凡2時間破壊活動を継続。
さらにはその間に、深海棲艦による急襲も確認。
結果、佐世保鎮守府は多数の損害を受け、当座の間の活動の縮小を余儀なくされる。
反転艦は薄葉提督率いる艦隊の尽力により活動停止。
活動停止後は、事の原因を把握するため、呉鎮守府へ移送、解体をされている。
また、本件の重要参考人として。
鉄底海峡より帰還した一般人を拘束。
横須賀鎮守府への移送が決定する。