潮の香が一層強くなった。
頬にかかる水飛沫が冷たかった。
海面が照り返す朝陽が眩しかった。
そして吹き付ける風が心地よかった。
金剛は一人、全速力で最短に一直線に敵陣へと駆けていた。
一見すればそれはただの特攻である。持っているものはお守り代わりの三式弾三つと手榴弾一つ。だがそれを放つ武装も換装も無い。
言わば身一つ。拳が、脚が、そして敵艦隊群を前にしても翳りを見せぬ不屈の意志が今彼女が持ち得る武器であった。
「……邪魔ネー」
重巡リ級が5体。そして戦艦ル級が1体。
金剛の行く手を阻むように立ち塞がる。
だがコイツラに構っている余裕は無い。
「Go away!」
荒々しく吠える。そして気合と共に右拳を海面に叩きつけた。
衝撃で捲り上がる海水。それはまるでカーテンのように金剛と敵艦隊を分断する。
姿を隠すのは一瞬。
だが一瞬あれば充分。
カーテンが消え去る前に、金剛は勢いそのままに跳んだ。そしてル級の顔面を全力で蹴飛ばす。
ゴキッ、と。何かが砕ける音。
見るまでも無い。会心の一撃。
「退けッ!!!」
仲間には見せられぬような鬼気迫る表情。
形振り構ってはいられない。
それは普段の気品あふれる彼女からすれば、あまりにも隔絶した様相。
まるで最後の命を灯を燃やすような、そんな暴走。
そんな金剛に恐れを為したのか、敵艦隊も手出しをしようとはせずに取り囲むばかり。
……或いは、それが作戦か。
「……それ、surviveしているって言っているようなものネー」
ブラウンの髪を掻き上げる。そして呆れを隠そうともせずに金剛は溜息をついた。
尤もこの行為の意味を知ることが出来る者はこの場にいない。
いるのは悍ましいほどの敵の群のみ。
「さぁて、second round デース」
雷と荒潮はどこまで付いてきていただろうか。どこまで駆けてくれただろうか。
金剛には2人を振り返る余裕は無かった。
敵艦隊群に切り込んだ時点が、2人の姿を確認した最後である。
もしかしたら後ろを付いてきているのかもしれない。
もしかしたらどこかで奮戦しているのかもしれない。
もしかしたら……とうの前に沈んだのかもしれない。
だがそれでも。最早金剛には止まる足も退く足も在りはしない。
ただ敵を殴り、蹴り、押し退け、前に進み続ける。
それしかできない。
「気合が足りないネー!」
心が折れることは無い。
意思が折れることは無い。
そんなのはあの暗い部屋で既に味わってきた。
どん底まで堕ちたのだ。
ならば、あとは昇るのみ。
「――――ガッ!」
予期せぬ方向から衝撃を受ける。
おそらくは銃撃。思わず身体が流れるが、すぐに立て直す。どうやら敵側も漸く抵抗をする事にしたらしい。随分と遅い判断である。
だがその一撃を皮切りに、四方八方から銃撃が飛んでくる。
「……舐められたものネー」
妖精の加護も有限だ。が、この程度で崩れる様な柔な代物でもない。
金剛はそばで沈もうとしていたリ級を拾い上げると、それを傍の敵艦隊へと投げ飛ばした。
たかが一投。
されど一投。
戦艦のフルパワーで投げ飛ばされたリ級によって、銃撃の一角が崩れる。
無論、それを見逃す金剛ではない。
「You won't get away」
呟くように。呪うように。
金剛は言葉を吐き出した。
唸るような声色だった。
そして眼光が。遠くまで見渡せるように、誰一人として見逃さぬように鋭く狭められた眼光が。忙しなく周囲に走らされる。
金剛が探すのはただの一人のみ。
仲間たちの憎き仇。
全てを奪った諸悪の根源。
飛行場姫は生きている。絶対に。
確かに衛宮士郎の放った一撃は素晴らしかったし、アレを受けて沈まないでいられるかと問われれば答えに窮するだろう。
それでもあのしぶとい奴が沈むとは思えなかった。
それは根拠のない予想でしかなかったが確信があった。
だが事実として。その確信は確実なものとして固まりつつある。
「見つけた、ネー」
敵陣の奥。あの不愉快な姿を見間違えることは決してない。色素を失った、それでいて悍ましい白色の姿を見失う訳が無い。
飛行所姫が戦艦ル級に守られるように後方に下がるその姿を、確かに金剛は目にした。
「逃がすものかぁぁあああああッ!!!」
吠える。
雄々しく、猛々しく、そして呪詛を込めて吠える。
チャンスは今しかない。
仇が目の前にいる事も。
仇が弱っている事も。
今しか無いのだ。
「退、けぇぇえええええッ!!!」
跳びかかる。
飛行場姫を逃がさんと跳びかかる。
真っすぐに一直線に。
ル級が飛行場姫を守る様に立ち塞がるが行動が遅い。
倒すまでもなく、その頭を踏み台にさらに加速する。
右手に持つは三式弾。妹たちがくれたお守り。
それを大切に握りしめ、構える。
そしてそのまま、飛行場姫の頭蓋を砕かんと右拳を突き出した。
だが想定外の出来事なんて幾らでも起こり得る。
ガシッと。
突き出した拳は止められた。
貫いたのは黒い球体。
飛行場姫を守る様に現れた、正体不明の敵。
――――否、浮揚要塞。
「……shit」
硬直は一瞬。だがその一瞬が命取り。
右拳を引き抜いて、一旦仕切り直す。或いはそのまま空いた左手でストレートをぶっ放す。
そう思考するとほぼ同時に。腹部を冷たいものが貫いた。
せり上がる吐き気と、一拍置いて冷たさが熱さに、熱さが痛みへと変わる。
すぐに理解した。見なくても分かる。
貫くは敵の腕。
腹部に空いた穴。
妖精の加護が吹き飛ぶほどの一撃。
つまりは致命傷。
「――――ゴフッ」
我慢しきれずに、口から赤い液体が零れた。
だがすぐにそんな感覚すらも消えていく。
ポロポロと血と共に大切なものが零れ落ちていくのを感じる。
自分を構成していく大切なものが零れ落ちていく。
「……残……ねん、ネー」
ニンマリと。飛行場姫が笑った。
勝利を確信した憎らしい笑みだった。
抵抗が不発に終わった事への嘲りだった。
夢は夢でしか無いと言わんばかりの悪意だった。
「……fake、デース」
空いている左手。意識をそれに集中させ、隠し持っていた手榴弾を拳ごと飛行場姫のわき腹に全力で突き刺す。飛行場姫の顔が一瞬で苦悶に染まり、その食いしばった口から赤い泡が吹き零れる。
してやったり。
今度は金剛の番だ。
手榴弾を持ったまま、ずぶずぶと左拳を中に捻じり込む。
「Hey, how dou you like it?」
接吻でもするような至近距離。
憎き敵の苦悶の表情を存分に堪能すると、嘲る様に金剛は笑った。とてもではないが仲間に見せられるような表情では無かった。
あらゆる艦娘の憧れで、目標で、尊敬されるべき存在。
そんな栄えや誉れなどかなぐり捨てて、黒い感情のままに悪鬼の如く振る舞う金剛がここには居る。
――――だがそれで構わない。
妹を見捨てて。自分だけおめおめと生き残るつもりは無かった。
部下を救えずに。自分だけのうのうと逃げ出すつもりは無かった。
皆を置いたままなんて。そんなのは死んでも御免だった。
だから荒潮と雷が残ると言った時に、金剛は止めなかった。
だって同じだから。自分と同じだから。
自分と同じ表情を、あの2人は浮かべていたから。
だから止めなかった。止められる筈もなかった。
そして今。
唐突に金剛は自分の胸の内を理解した。
「I……go……too」
左手に握った手榴弾
そのピンを抜く。
何てことは無い。
いたかったのだ。
ここで。
この場所で。
私は。
私は。
ずっと。
皆と。
一緒に。
私は。
――――私は皆といたかったのだ。
■ 艦これ×Fate ■
海上を航行する。
燃料の消費を抑え、しかし可能な限りの速度で。
敵艦隊の包囲網は抜けた。
激戦区域も抜けた。
何ならうっすらとだが、遠目に本国の島影が見える。
今にも警備担当の艦娘が迎えに来るだろう。
到着までは時間の問題だ。
底抜けに青い空を、呆然と見上げる。
「……士郎。もうすぐ着くぞ」
吹き抜ける潮の香。
高く高く昇った太陽。
ちゃぷちゃぷと。
波が脚に当たり弾ける。
「……木曾」
弱弱しく。だがハッキリと。
その声は聞こえた。
「護られた……そうなんだな」
肯定はしなかった。
否定もしなかった。
いや、出来なかった。
分かっている。
本当は分かっているのだ。
助けられたのだ。
護られたのだ。
3人の命を犠牲に、ここにいる7人は護られたのだ。