御崎市依田デパートのフロアの一画。宙に浮く一つの小さな影。
先ほど『忠告』をしに行った"徒"に思わぬ反撃を受けた燐子。
『可愛いマリアンヌ』である。
その火に焦げた体を撫でているのは彼女の主、紅世の王"狩人"フリアグネである。
「ああ、マリアンヌ。ごめんよ。そんな危険な徒がいる所に君を行かせた事を許しておくれ。」
言い、彼女の体にフッと息を吹き掛け、その瞬間焦げていたマリアンヌの体が元のきれいな状態にもどる。
「ご主人様、どうしましょう。あの徒、かなりの力を持っています。
おそらくは"王"です。」
マリアンヌのその言葉にフリアグネは考える。
確かに、様子を見ようとした事が裏目に出てしまった。
考えていたよりも遥かに強大な相手らしい。
しかも、こちらの燐子を攻撃したという事は完全に敵に回ったという事だ。
何よりその強大な敵は『フレイムヘイズではない』。
厄介だ。下手に刺激せずに『都喰らい』に巻き込んでしまうべきだった。
だが、収穫もある。
「マリアンヌ。そのミステスは封絶の中で動いていたんだね?」
目の色を鋭くしてフリアグネは問う。
「はい。相当に珍しい宝具を宿していると思われます。」
なるほど。ついているのかも知れない。
宿主を封絶の中で動かす宝具など、宝具の狩人たる自分でさえそうお目にかかれない。
それに、マリアンヌの話を聞くにその敵は『強力な炎弾』を使い、燐子二人を瞬殺したらしい。
"ならば"勝てる!
「私達の永遠のため、邪魔になる者は狩らねばならない。
今度は私自ら行くよ。マリアンヌ。格の違いを見せ付けてやるさ」
少年・坂井悠二は混乱していた。
『人を喰らう"紅世の徒"』?
『世界のバランスを保つフレイムヘイズ』?
『喰われた人の代替物・トーチ』?
『因果孤立空間・封絶』?
目の前の少女の言葉はとても信じられるような話ではない。
だが、目の前の少女の言葉は、ついさっき自分の見た光景は『これが現実だ』とわからさせられる。
他でもない自分の頭が『現実だ』と確信してしまう。
だが、そうすると今自分を助けてくれたこの少女は‥‥。
「なっ、なら近衛さんがその『フレイムヘイズ』なのか?」
頭で考える嫌な予感と逆の事を訊く。
「"いいえ"」
しかし、かけた希望はあっさりと砕け散る。
「紅世の徒、"頂の座"ヘカテー。それが私の本当の名です」
ヘカテーはショックを受けた少年の心に止めをさす。
「貴方の言う所の"人喰いの化け物"。さっきの連中と同類です」
実際にはさっきのは徒の下僕たる燐子なのだが、この少年にとって大した違いもないだろう。
「じゃあ、何で僕を助けたんだ!?
何で僕はこの『封絶』ってやつの中で動ける!?」
その悠二の言葉になぜか言葉に詰まり、ヘカテーは質問の内、片方だけに答えを返す。
「貴方は『ミステス』。体内に紅世の『宝具』を宿したトーチです。
封絶の中で動けるのはそのせいでしょう。」
少年の顔がだんだん絶望の色に染まっていく。
少年を『トーチ』と断言したからだろうか。
ヘカテーはこの少年の表情の変化を見るのが好きだった。
だが、今の表情を見ているのは‥‥あまり楽しくなかった。
茫然自失としている少年がふと思い出したようにこちらを見る。
今までの困惑の色に別の感情が混じっている。
今までヘカテーが何度も見てきたその眼に宿る感情は‥‥。
『恐怖』だった。
ヘカテーの胸中はまた変化する。今度は猛烈な淋しさが込み上げて来る。
「そろそろ封絶を解きます。私はまだ、貴方には用があるので、この街を離れません。
詳しい話はまた後ほど。」
会話を切るように背を向け、封絶を解く。
世界が、正しく回り始める。
「行きましょう。」
少女の言葉に逆らう事なく悠二はついていく。
だが、坂井家に着くまでの道、少女の顔を見る事はできなかった。
少女も、少年の顔を見る事はできなかった。
坂井家に着くまでの道すがら、坂井悠二は自分の胸中にある程度整理をつけていた。
自分はいずれ消える坂井悠二の『残りかす』。
道で見かける人々に自分と同じ胸の灯りを見て、まず考えるのは母や友人達の事。
知らず残りかすとなってしまったのは自分だけではないかも知れない。
そしてもう一つ、前を歩くこの少女。
どうやら自分達をこの少女が喰らったわけではないらしいが、それでも人を喰らう怪物。
しかし、どんな事情があるにせよ先ほどあの怪物達から救ってくれたのも紛れもなくこの少女。
まだ、用があるというこの少女にどう接していいかわからない。
そんな事を考えながら着いたのは、坂井家。
この少女はどうやらまたこの家に泊まるつもりらしい。
少女のいつも通りの無遠慮な態度に、こんな時なのに気付かれないほど薄く、苦笑が漏れた。
少年は気付かない。
少年が見せた表情、そして自身の行動と感情に戸惑い、複雑に揺れる少女の胸中に、
少年はまるで気付かない。
その夜、坂井千草(悠二はトーチでない事を確認した)のスパゲッティを食べ(ヘカテーは箸だ)、昨夜と同じように部屋分けされた後。
時刻は12時過ぎ、坂井悠二の眠る。父・貫太郎の書斎のドアが静かに開く。
白いネグリジェ(昼の間に千草が買ってきた)を着た水色の髪の少女が入ってくる。
ヘカテーだ。ヘカテーは眠る悠二の胸の灯りを見て確信する。
灯りが小さくなっていない。
『零時迷子』のミステスだ。
これでこの『宝具』が『大命』の鍵たる物である事はわかった。
だが、この『トーチ』はどうなる?
どうすればいい?
わかりきっている。
まだ『戒禁』を越えるほどの『大命詩篇』は完成していない。
直接取り出すのはまだ無理だ。
だがそれならばこのトーチごと『星黎殿』に連れ帰ればいい。
それが、『巫女』として自分が取るべき事。
だが、そうした時、この少年はどんな顔をするのだろう?
また、先ほどのような恐怖の視線を自分に向けるのだろうか。
そこまで思い、ヘカテーは気付く。
まだ、この少年は自分を怖れているのだろうか。
怖れているに決まっている。
自分達を喰らう存在だと名乗ったのだ。
そう考えているのに、体は別の行動を取る。
寝ている悠二の手を取り、自分と悠二の『器』を合わせる。
自らと他者の器を合わせる"頂の座"特有の能力だ。
そのヘカテーに悠二の想いの一部が流れ込む。
怪物に襲われた恐怖。
この世の事実を告げた時の恐怖。
自分に向けられた、『人喰い』に対する恐怖。
そこまで感じて、『器』の接続を切ろうとしたヘカテーに違う感情が流れ込む。
今までと同じ様に過ごす自分に対する坂井悠二の『安堵』。
『人喰い』たる自分に対する『喰い残し』たる少年の安堵。
それが。何故か無性に嬉しかった。
『器』の接続を切り、そのまま布団に潜り込む。(今日は昨夜と違い、床に布団が敷いてある)
(『大命詩篇』が完成するまで、私がこの街で見張ってもいいはず。
『感情採取』も終わっていないし、おじさまも見つかっていない)
そう自分に『言い訳』して、少女は暖かい眠りに落ちて行く。
翌日の朝、叫びながら目を覚ました坂井悠二が母・千草に気付かれなかったのは幸運という他はない。
(あとがき)
アニメ版の設定引っ張って来ました。
ただし、『無限の器』では無く、『かなりでかい器』くらいと思って下さい。
無限だと何でもありになってしまいそうなんで。