今、自分の目の前に倒れる"虹の翼"。
そして、少し離れた場所で似たような状態にあるらしい悠二。
そして『炎髪灼眼の討ち手』。
「‥‥‥‥‥‥」
倒れた悠二にはいくつか切り傷が見られる。
『炎髪灼眼』も肩に傷を負っているが、明らかに悠二の傷の方が多い。
"虹の翼"を気絶させた今、事情を話してこの『腕試し』を中止するべきなのだろうが‥‥‥気にいらない。
そういえば、この『炎髪灼眼の討ち手』は『大命』における最大の邪魔者でもあった。
今、討ち果たしてしまおうか。さっきの手応えからして、自分なら倒せない相手ではない。
「どういう事か、説明してもらう」
刀をこちらに向け、そう言ってくる『炎髪灼眼』。
そのすぐ側には気を失った悠二。下手な真似はできない。
「"虹の翼"が全ての答えを持っていると言っていたな」
紅蓮の少女の首にさがるペンダントから、遠雷のような声が発せられる。
どうやらこの二人で一人の『炎髪灼眼の討ち手』もこの奇妙な状況に気付いているらしい。
「‥‥‥‥‥‥‥」
仕方ない、真相を話そう。
そういえばヴィルヘルミナ・カルメルにとっても大事な人のようだと悠二が言っていた(自分は朝の鍛練の時いつも起きられないから又聞きだが)。
「‥‥全ては"虹の翼"が仕組んだ事です」
ヘカテーは悠二に近づきながら説明を始める。
その内心は、
(‥‥覚えていなさい)
少々執念深い。
"頂の座"が、この状況を説明しながら近づいてくる。
少し後方に下がって、警戒する、だが、その気になれば一瞬でこの『ミステス』を消し去れる距離は保つ。
その間も、話は聞いている。
シロが仕組んだ腕試し、実にありそうな話だ。
というか『天道宮』で自分がシロと過ごした時間の全てがそれだったとさえ言えるからシロのその行動に何の不自然さも感じない。
言いながら、"頂の座"は倒れたミステスに手をかざし、
ブシッ
と、音を立てて、突然"頂の座"の肩に、頬に、二の腕に浅い切り傷が走る。
見れば、倒れたミステスの傷の深さが半分くらいまで浅くなっている。
変わった力だ。
胸元のアラストールが、驚いたような気配を感じる。確かに、前にアラストールから聞いていた"頂の座"のイメージと今、目の前で『ただの代替物』のために躊躇わずに自身を傷つけるこの"頂の座"がまるで噛み合わない。
というより、はっきり言ってまるっきり理解できなかった。
宝具を宿しているとはいえ、『これ』は徒どころか人間ですらない(徒は普通、人間の存在を軽視する)。
しかも、『零時迷子』ならば放っといても零時には『直る』はずなのに、今、自身を傷つけてまで『損傷』を緩和させるとは。
(‥‥‥変な奴)
紅蓮の少女は、ヘカテーを、『物』に並々ならぬ愛着を注ぐ変人と判断した。
そして、ヘカテーの『器』の共有によりダメージを半減された坂井悠二が、目を覚ます。
目を開ける。
そしてすぐに気付く。
(‥‥敗けたのか)
事情を知らない『炎髪灼眼の討ち手』に敗けたのに死んでいないというのは幸運かも知れない。
そして目に入るのは、見慣れた、小柄な少女。
(‥‥‥はぁ)
本当に、いつまで経ってもこの娘の前でいい格好が出来ないな。と、見栄っ張りな少年は思う。
そして、自分のダメージの軽さ、傷の位置、ヘカテーが水色の火の粉を零れさせている位置を見て、ヘカテーが自分と傷を『共有』したらしい事を察する。
何故そんな事をしたんだ!と、怒りたい所だが、今更言っても自分に傷は戻せない。
それに、情けないが彼女が心配してくれる、その事自体は嬉しいのだ。
ヘカテーが、自分の傷ついた頬に掌を当てる。
自分も、ヘカテーの水色の火の粉が零れる頬に手を添える。
そして言葉も無く、少しの間見つめ合‥‥‥
「‥‥"頂の座"。説明の続きをしてもらえぬか」
遠雷のような声が水を差す。
「「‥‥‥‥‥」」
というか、見られていたという事を今まで忘れていた。
ちょっと傷口に触れて見つめていただけなのだが、何故か妙に‥‥
(‥‥‥恥ずかしい)
「えーと!どこまで話したのかな!?」
無意味に明るく訊いて誤魔化してみる。
「"虹の翼"がこの子の腕試しを企んだ。という所までだ」
紅蓮の少女の胸元のペンダントが応える。
「え〜と、なら何で僕達がメリヒムまで攻撃したのかを話さないといけないのかな」
さっきまで気絶していたくせに迅速にこの状態を解し、説明する悠二に『炎髪灼眼』が僅かに驚く。
ちなみに、いい所(恋する少女の本能でそれがわかった)で水を差されたヘカテーはおかんむりである。
そして悠二は言って気付き、ふと見渡せばメリヒムが、ヘカテーにやられたのだろうが、そこでのびている。
いい気味だ。
「じゃあ、"カルメルさん"の事から話すよ」
そして、全ての誤解は解ける。
ほどなくして、待ち人来たる。
「‥‥‥‥‥‥」
夢の中にいるように虚ろな感覚の中、ヴィルヘルミナ・カルメルはゆっくり、ゆっくり歩を進める。
紅蓮の少女が、とても明るい笑顔になり、大好きな養育係に声を掛けたくなるが、今だけは堪える。
水色の少女は、最近仲良くなってきたフレイムヘイズの、再び想い人を目にする瞬間を瞬きすら惜しんで真剣に見つめる。
黒髪の少年は、不器用に編んだ自在式で捕らえた男を逃がさない事に余念が無い。
あの時、失ったはずだった。
『マティルダ・サントメールの望みを果たそう。
我々は‥‥ただそのためだけに‥‥ともに在ろう』
その言葉通り、マティルダとの誓いのためだけ、それだけしか自分に与えず‥‥
『俺は"彼女"の誓いを果たすためだけに、生き長らえてきたのだから。
君だって、そうだろう?』
その誓いを果たすためだけに、自分から永遠に去ったはず。
坂井悠二の言葉どころか、今、目の前にいるこの姿を見てさえ、まだ信じられずにいる。
失ったはずの想い人。
ゆっくり、ゆっくり近づいていく。
誰一人、口を開かない。
今度は、何を疑う?
自分の目か?
幻術の可能性か?
そんな馬鹿馬鹿しい事を頭で考えながら、
心は逆に向いていく。
(信じて‥‥いい?)
彼が‥‥生きている?
不機嫌そうにそっぽを向き続ける銀髪の青年。
座っているその男の前に、自分もしゃがみ込む。
その存在を確かめたくて、この『現実』を信じたくて、
手を伸ばす。
その手が彼に届くか否かという時‥‥
「触れるな、ヴィルヘルミナ・カルメル」
彼から告げられる拒絶。
そう、いつでも自分の想いを無視し続けた。
自分にとって忌々しい、腹立たしい拒絶。
(‥‥‥ああ‥)
それを、初めて"嬉しく"思った。
ようやく、この現実を信じる事を自分に許せる気がした。
彼だ。
自分の想い人、傲慢で、単純で嫌な、嫌な奴。
いつも張りつけていた、無表情の仮面が、崩れる。
「‥‥う‥‥う」
自分にできる精一杯の嗚咽を漏らし、
「う‥‥ふぅ、‥‥うぅ〜‥‥」
子供のようにクシャクシャになる顔を両手で隠し、ぼろぼろと涙を流す。
堪えきれない嬉しさと安らぎが、涙となってとめどなく流れる。
ダメだ。
彼が一心に気持ちを向け続けたマティルダと正反対の、弱い所はみせられない。
だが、涙は止まらずに流れ続ける。
そんな彼女の震える肩に、想い人・"虹の翼"メリヒムが返すのは‥‥
「‥‥‥ふん」
相変わらずそっぽを向いたままのそんな一言だけ。
全く、この男は‥‥
(本当に、本当にどこでも‥‥)
「嫌なやつ」
今まで、ヴィルヘルミナ・カルメルという人物を知る者が、誰一人として見た事が無いほどの‥‥
涙に濡れた、どこまでも綺麗な笑顔が、
そこにあった。
(あとがき)
今回は短めです。そして今回は言い訳無しにここで区切りたかったからです。
きつかったからではないです。