世の何処かを彷徨う星黎殿。
そこに今、常は姿を現さない一人の男が向かっていた。
「ここに帰ってくるのも久しぶりだな」
プラチナブロンドをオールバックにし、ダークスーツを着込んだサングラスの男、ヘカテーと同じ三柱臣(トリニティ)の一人、"千変"シュドナイである。
("炎髪灼眼"に、"虹の翼"か、ヘカテーに聞かせてやったらどんな顔をするかな)
そう、この紅世の王は、巫女・"頂の座"ヘカテーに対して異様な執着を持っているのだ。
もっとも、そのアプローチが報われた試しは一度としてない。
(それにしても‥‥厄介な事になったものだ)
『あの時』の戦いを、思い出す。
‥‥‥‥‥‥‥‥
「っは!」
自分の放つ炎弾、そのことごとくを『虹天剣』で掻き消し、さらに迫ってくる"虹の翼"メリヒム。
(‥‥この破壊力、やはり本物の"虹の翼"か)
幻術か何かの可能性も考えたが、どうやら本当に『大戦』で死んだと思われていた"虹の翼"のようだ。
だが、何故こんな大事な時にこんな強大な王が自分を阻む?
シュドナイは最高のチャンスを前にしていきなり現れた"妨害者"に激しく憤る。
「ゴォオアアアア!!」
その、虎の頭に変じさせた両腕から、濁った紫の炎の怒涛を放つ。
「ふっ!」
対するメリヒム、サーベルを一閃、『虹天剣』を放つ。
紫の怒涛と七色の閃虹がせめぎあうのも数秒、『虹天剣』が炎を押し退け、シュドナイを襲う。
「ぐぁあああ!」
右腕の虎の頭が吹き飛ばされる。
だが、ただ吹き飛ばされたわけでもない。
もう一方の左腕を虎のろくろ首のように伸ばし、今の攻防の隙に忍ばせていた"死角"からメリヒムを襲う。
「っ!」
ガッ!と虎の頭が、メリヒムの右腕とサーベルをその牙に捕らえる。
こんなもの、わずかの間しか捕らえておく事などできない。
だが、そのわずかの間で十分だった。
「はああああああああ!!」
たった今消し飛ばされた右腕を復元、巨大化させ、眼前の王に一切の加減無しに振り下ろす。
「くっ!」
サーベルから赤と橙の光線を発して、虎の頭を消し飛ばすメリヒム。
だが、
(避けきれない!)
その巨腕の一撃はもはや目の前。
ガァアアン!
サーベルでその膨大な質量の一撃を受けとめるも、当然のように弾き飛ばされ、近くのビルを貫いて民家に叩き込まれるメリヒム。
その手にしたサーベルは、中途から砕かれている。
(今だ!)
肉を斬らせて骨を断つ。
右腕を吹き飛ばされた隙を見事、逆転の勝機へと変えたシュドナイがさらに追い打ちをかけようと構える。
その背後から、
「があああ!」
背中を斬り裂かれる。
「くっ!?」
振り向けばそこには、
(炎髪灼眼の討ち手!?)
先ほど止めを刺しそこねた、本当に止めを刺さなければいけない相手。
しかも、その大太刀に宿るのは、先ほどまでは無かった、紅蓮の炎。
(炎が出せた、勢いが増してる)
炎髪の少女は、その初めての力に、感覚をゆだねる。
(それに、何だか‥‥)
心を燃やす。
(熱い!)
「っだああああああ!」
シュドナイの視界を、紅蓮が埋め尽くす。
「うっ!?おおおおお!」
紅蓮に燃えて、"千変"シュドナイが落下していく。
その視界に、叩き込まれた民家から飛び出てくる"虹の翼"が映る。
そこでシュドナイの脳裏を、最悪の『現実』がよぎる。
("炎髪灼眼"と"虹の翼"を、二人同時に相手する?)
いくら自分が強大な紅世の王だとはいえ、無茶にもほどがある。
『槍』も無い。
このまま戦う?
自殺行為だ。
(ここは‥‥退くか!?)
"炎髪灼眼"を前にして、逃げをとらねばならないこの状況を呪いながら、戦闘術者としての自分は迷わず逃げをとる。
(くそ!ここに"虹の翼"さえいなければ!)
心中で吐き捨て、体からコウモリの翼を生み出し、全速力で逃げる。
「離れていいのか?」
気障な口調の言葉が、遠ざかるシュドナイの耳に届く。
それと同時に爆発的な力の集中も感じ取り、振り向けば、自分に迫る七色の閃虹。
「こっ、のおおお!!」
シュドナイは再び炎を全力で吐き出すが、今度は数秒と保たずに吹き飛ばされる。
メリヒムの『虹天剣』の持つ、圧倒的な破壊力の他にあるもう一つの特性。
『距離によって威力が一切減衰しない』。
「ぐああああああああ!!」
"千変"シュドナイを、虹の光が包み込んだ。
‥‥‥‥‥‥‥
あの時、何とか生き残り、気配を隠した自分を"虹の翼"や"炎髪灼眼"は追って来なかった。
おそらく、深追いして不意打ちを受ける愚を犯さないためだろう(事実、それを狙ってもいたわけだが)。
何はともかく、自分が得た貴重な情報を、自らの所属する『仮装舞踏会(バル・マスケ)』、ひいては我らが巫女殿に報告しに星黎殿に戻って来ているのである。
(ふっ、俺のヘカテーが驚く顔が目に浮かぶな)
「ほう?"炎髪灼眼"を討ち損じたと。
それも"虹の翼"の妨害で?」
星黎殿に着いて最初に会ったヘカテーや自分の他のもう一人の『三柱臣』、"逆理の裁者"ベルペオルに事の次第を話したシュドナイ。
しかし、ベルペオルの反応は思ったよりも小さい。
何故だろう?
「"千変"、つくならもう少しマシな嘘をつきな」
‥‥なるほど、信じていないがゆえの反応か。
「嘘じゃないさ。俺がそんな嘘をつく理由がどこにある?ババア‥‥ぐぇっ!」
シュドナイの首が、鎖でキュッと締め付けられる。
「その呼び方はやめな。
ふん、大方、油断して"炎髪灼眼"を討ち損ねた言い訳に"虹の翼"なんて居もしない徒の名前を出したんだろう?」
「‥‥‥ふん、もういい。お前に信じてもらえなくても別に構わん。
それより、俺のヘカテーはどこだ?」
ベルペオルは、心中の動揺を微塵も表に出さずにシュドナイの質問に答える。
「ヘカテーなら今は『託宣』に出てていないよ。
それに、『俺のヘカテー』なんて言ってたらまた嫌がられるよ?いいのかい?」
「ふん、その無垢な所がいいのさ、俺のヘカテーはな。
いないのならしょうがない、どうせなら、今度は『"炎髪灼眼"を討ちとった』と報告してやるさ」
言ってベルペオルに背を向けるシュドナイ。
ところで、今の会話のどこに『無垢』なんて要素があったのか非常に気になる。
「おや、もう行くのかい?また寂しくなるねえ」
内心で喝采を叫びながらそう言うベルペオル。
「ふん、心にも無い事を。じゃあな、『参謀』殿」
そしてシュドナイは星黎殿をあとにする。
「お疲れ様です。参謀閣下」
言って、ベルペオルに近づく悪魔然とした中年、"嵐蹄"フェコルーである。
「こんな誤魔化しが効くのは一度きりだからね。
ヘカテーの所在はまだ掴めないのかい?」
「‥‥‥はい。手掛かりさえ掴めません」
申し訳なさそうに言うフェコルー。
「『暴君』も、『あれ』以来、動いていないんだろう?」
『あれ』とは、ヘカテーがいなくなってすぐに起こった『鏡像転移』。
悠二が"銀"を顕現させた時の事だ。
「はい。『あの現象』はおろか、通常の鏡像転移さえ起こっておりません」
「‥‥‥‥‥‥‥」
そう、あの時、悠二が"銀"を顕現させた時、『暴君そのもの』が転移した。
通常ならまずあり得ない現象である。
それこそ、よほど大規模な『大命詩扁』が起動でもしない限り。
そして、『大命詩扁』に干渉出来るとすれば、ヘカテーか、『零時迷子』本来の作り手たる"彩飄(さいひょう)"フィレスか、あるいは‥‥紅世の徒、最高の自在師"螺旋の風琴"か。(ちなみに『教授』には過去の大戦の事もあり、今は『大命詩扁』を持たせていない)
あるいは‥‥‥
そこまで考えて首を振る。
夢見がちな事など、考える柄じゃない。
"彼"は、ここにはいないのだ。
そして、他のヘカテーや"彩飄"にしても、看過できない事態なのである。
ヘカテーなら、彼女の身に何が起こったのかわからない。
"彩瓢"なら、再び『零時迷子』の奪取を企てねばならない。
"螺旋"は‥‥まずないだろう。
奴が、自分達を刺激するような真似をするとは思えない。
「急いでヘカテーを見つけておくれ。
それと、"壊刃"や"教授"もね」
いずれにせよ、今はただ探すしかない。
そして、気に掛かるのはさっきのシュドナイの言葉。
ベルペオルはシュドナイの言葉を信じていなかったわけではない。
ただ、あの場ではヘカテーの事を悟られないようにあえて、じっくりとこちらの様子を伺えないように首を絞めたのだ。
「‥‥‥"虹の翼"の情報も探っておくれ」
「はっ!」
そして、傍らでそれを聞き、自身もシュドナイの言葉を信じていたフェコルーが応える。
案外信用が厚いシュドナイである。
そして、仮装舞踏会は今日も家出娘を探し続ける。
「‥‥‥つまり、あの時に出した炎が初めて、という事か?」
メリヒムは"炎髪灼眼の討ち手"に訊ねる。
「‥‥‥‥うん」
自身、『完全なフレイムヘイズ』で在ろうとする少女は、その、自らのコンプレックスを指摘され、言いにくそうに応える。
そして何より、あれ以降、また炎が出せなくなっているというのが何より、自身、情けない。
その事はまだメリヒムにも、首にさがるアラストールにも、告げていない。
「‥‥‥‥‥‥」
メリヒムは、少女の首にさがるペンダントを睨み付ける。
あれほどの逸材が、あれから数年経っているにも関わらず、いまだに炎もまともに出せていなかったというのは妙な話だ。
そして、その原因はまず間違いなく、常に首にさがっている絶っ対に優しくない(と断言する)魔神の無能な監督によるものだ(と、こちらも断言する)。
「‥‥‥‥‥試すか」
「?、シロ?何か言った?」
「いいや、なんでもない」
あの戦いだけでは不十分だ。
この少女がこの数年でどんな成長を遂げたのか、見極めてやる。
幸い、『手駒』はあるのだから。
二人が向かう、その先は御崎。
(あとがき)
悠二やヘカテーが一切出ない回でした。
次回は佐藤家の夜から、御崎サイドを書こうと思います。