巨大な炎の狼が、崩れる。
その炎の中から飛び出てくる人影二つ。
様子から見て、『弔詞の詠み手』を殴り飛ばした悠二と、殴り飛ばされた『弔詞の詠み手』。
しかも‥‥裸。
以前、ゆかりに聞いた事がある。
男性は、発達した女性の胸部に魅力を感じる事が多いと。
‥‥大きい。
あの乳おばけよりさらに大きい。
あの姿を悠二が見た事になる。
何か‥‥無性に気に入らない。
と、思う間に『万条の仕手』がリボンで『弔詞の詠み手』を包み込む。
意識がないらしい『弔詞の詠み手』の落下を防ぐためだろう。
何はともあれ、これで裸では無くなった。
‥‥‥これからは『万条の仕手』ではなく、名で呼ぶ事にする。
それはいいとして、
「『星(アステル)よ』」
言いたい事は山ほどあるが、この方が伝わりやすいだろう。
‥‥生きているのが不思議だ。
ようやく戦いが終わったと思った矢先に明るい水色に包まれた。
ひどい。
「‥‥ヘカテー、一応怪我人なんですけど」
「調子に乗って特攻したあげく、『弔詞の詠み手』を暴走させた愚か者には丁度良い制裁でありましょうな」
「適正措置」
ヴィルヘルミナとティアマトーが横から口を挟む。
今、マージョリー・ドーはヴィルヘルミナがリボンで編んだ純白の衣を身に纏い、横たわっている。
ヘカテーはさっき『星』をぶちかましてからそっぽを向いてこちらの言葉に反応してくれない。
どうやら、怒っているらしい。
「‥‥‥‥‥‥‥」
いつかの時の勘違いと違い。今度は悠二の認識通りにヘカテーは怒っている。
自身その理由を理解してはいないが、とりあえず、
(悠二が悪い)
とする事にしたらしい。
悠二はとりあえず、拗ねている少女は放っておいて、マージョリー・ドーに近寄る。
そこで、
「てめえ!もし俺の酒盃(ゴブレット)に手え出してみろ、この場の全員噛み殺すぞ!!」
かたわらにあった、大きな本が声を出す。
「‥‥あんた、契約者か?」
「"蹂躙の爪牙"です」
悠二の問いに、ヘカテーがそっぽを向いたまま応える。
自分から無視し始めたくせに相手にされないのは嫌らしい。
困った子である。
そこで、
ラミーが、いまだに燃えている群青の炎をひとすくい、
『それ』を、その場の全員に映像として見せる。
目を開く。
自分は、敗けたのか?
横たわっている。
体に力が入らない。
横に目をやる。
『万条の仕手』、"屍拾い"、あれは‥‥"頂の座"?
何故あんな徒までここにいるのだろう?
そして、何故自分は殺されていないのだろう。
それらの思考は、一人の少年を視界に入れた時、どうでもいい事として忘却される。
(殺す、殺す!殺す殺す殺すころっ!?)
「ぐっ!、あう!」
動けない。傷が痛む。力が入らない。
「まだ、動かない方がいいよ。暴走のせいで回復力も落ちてるらしいから」
眼前で少年がそう言ってくる。
今さらのように気付く。
トーチ、いや‥‥ミステスか。
それに気付くと同時に、もう一つの事に気付く。
今の自分は、それに気付ける程度に冷静であるという事に。
「悪いけど‥‥見た」
悠二が目をやる先、老紳士のステッキの先に灯る群青の炎。
それは子分気取りの少年達にも見られた映像。
彼女にとっての悪夢。
「っ!ああっ!」
痛む体を無理に動かし、その灯りを奪い取る。
そのマージョリーに、悠二が声をかける。
この事は自分に任せて欲しい。
それが悠二がヘカテーやヴィルヘルミナに頼んだ事。
あの映像を見た悠二は戦いの前に聞いた話から抱いた疑問が解けていた。
その上で、何とかしなければならない。
「僕は‥‥"銀"じゃない」
「っ!、そんな事‥‥」
信じられるか!、そう続けたいマージョリーの声を遮り、さらに続ける。
「でも‥‥見た事ならある。正体も知ってる」
「!!」
その場にいる全員が驚愕する。
その事を悠二に伝え、口止めしたヘカテーも。
「なら答えろ!あいつは何処にいる!?」
もはや、目の前の少年が、ミステスが"銀"ではないとは頭のどこかで理解していたマージョリーが、
今度こその核心的な手掛かりに叫ぶ。
だが、
「今は、"教えない"」
その場の全員が、完全に言葉を失う。
これほどの執着を見せるマージョリーに、あろう事か"教えない"である。
しらばっくれるわけでもなしに。
「今、"銀"の手掛かりは僕だけだ」
言葉を失う一同に構わず続ける。
「"話して大丈夫"だと思ったら話す。それまで、"銀"への憎しみが抑えられないなら‥‥」
自分が求めていたものの正体を話す、その決定的な一言をマージョリーは信じられないように聞く。
「また僕"達"が止める。八つ当たりでも、構わない。
何度でも受けとめてやる」
また馬鹿げた事をぬかすミステスが、近寄ってくる。
「っ!」
咄嗟に身構えるが、
「大丈夫。何もしないよ。さっきも"マルコシアス"に脅されたしね。貴女に手を出したら噛み殺すって」
「うるせえ!今も変わってねえぞ。世界のバランスなんぞ知った事か。
辺りの存在全部飲み込んで、てめえらみんな殺して殺して殺して殺し尽くしてやる」
自分同様ボロボロのはずの相棒の優しい言葉に数百年ぶりに泣きそうになる。
そして、悠二。
「うん、何もしない。ただ、これ‥‥壊れてるけど」
マルコシアスの、フレイムヘイズに力を与える王とは思えない発言に、むしろ嬉しそうにクスリと笑い。
マージョリーに手渡す。
それは、さっき拾ったマージョリーの伊達眼鏡。
「それじゃ、"またね"」
それだけ言って、少年は去って行く。
それを後から、小柄な少女が、無愛想なメイドが、老紳士がついていく。
去りゆく少年から流れる火の粉が、壊れた世界を直していく。
その火の粉を、マージョリーは、『あれ』以来、初めて殺意無しで眺める。
銀色の光を。
「‥‥ぎっこんばったん、マージョリー・ドー‥‥、♪」
大天蓋の縁を、『グリモア』を抱えたマージョリーがヨタヨタと歩く。
「‥‥ベッドを売って、わらに寝た‥‥‥、♪」
ボロ雑巾のような体を引きずり、擦れる声で小さく歌う。
「‥‥みもちが悪い、女だね‥‥‥、♪」
自分の持てる憎悪の全てを、銀の炎にぶつけた。
今の自分は、悲しい?嬉しい?満たされている?渇いている?よくわからない。
「‥‥埃まみれで、寝る、なん‥‥て‥‥、♪」
ぶつけて、吐き出して、その後に振り返って気付くのは、
「止めさされず、手当てされて、おまけに八つ当たりしろだって‥‥ねえ、マルコシアス?何だか笑っちゃうくらいボロボロね」
何も持たない自分だけ。
「結局、空っぽ!ホント、惨めな女の一人旅♪」
狂気に駆られるわけでも、自棄になるわけでもない。
ただ、事実としてそう思う。
「おい、マージョリー」
「"俺がいる"、なーんてクサいセリフならやめてよね」
「そうじゃねえ、下だ」
マルコシアスの言葉に、下を見下ろす。
そこにいるのは、息を切らし、汗まみれで走ってくる少年二人。
「ちっぽけだが、居場所くらい残ってるみたいだなあ」
マルコシアスの言葉に、
ただ吹きゆく風に乗って、煌めく雫がこぼれた。
「いや、ホント‥‥すいません‥‥でした」
スマキのボロボロ、坂井悠二。
そろそろやめてあげないと零時を回る前に天に召されてしまいそうだ。
自業自得だが。
「僕"達"が止める、と。一体どの口がそのような事をぬかすのでありましょうな?」
「迷惑千万」
「‥‥‥悠二」
「坂井君、さすがにフォローできないよ。それ」
「やれやれ」
今は平井宅、坂井悠二おしおきタイムである。
今回、悠二の身勝手な行動に巻き込まれた面子は当然の権利を主張する。
勝手に炎をさらし、暴走させ、最後の最後で任せて欲しいと言うから任せてみれば、後顧の憂いまでしっかりと残してくれた少年をまさしく袋叩きである。
「‥‥‥‥‥」
あの後、平井は封絶の位置を確認して、佐藤と田中と一緒にタクシーで近くまで向かった。
自分が紅世に関わっている事。ミステスやフレイムヘイズや徒の関係者である事までは佐藤と田中に告げたが、それ以上は教えていない。
自分が何なのか話すかどうかは悠二やヘカテー自身が決める事だと考えているゆえにだ。
まあ、佐藤達の事を悠二達に話すのは構わないから機を見て話すつもりなのだが。
そんな思惑を抱きつつ、とにかく荒々しかった一日が過ぎていく。
異変といえばその翌日か。
「行くのですか?"螺旋の風琴"」
「ああ、永い間フレイムヘイズとの確執は避けてきた。今さら危ない橋を渡るつもりもないのでな」
朝、坂井家を訪れたラミーが、別れを告げる。
『弔詞の詠み手』の事もあり、ラミーはとにかく安全に、確実に力を蓄えたいのだ。
悠二の供給は惜しいが。
「師匠、元気で」
実は一番ラミーに傾倒していた悠二が名残惜しげに言う。
「‥‥ふむ」
その悠二を見て、何か考え込むラミー、いやリャナンシー。
「"頂の座"」
ヘカテーの耳元に顔を寄せ、
「これからは、不安になったら黙って抱きついてキスの一つでもしろ。それで何もかもがすぐにわかる」
「え‥‥?」
キスの持つ意味とリャナンシーの言葉の意味が明確にはわからないヘカテーが?を浮かべる。
悠二には聞こえていない。
「今はわからなくていい。覚えてさえいればな」
「いずれまた」
「再会」
「元気でね!」
どこから出てきたのか平井やヴィルヘルミナまでいる。
「さらばだ、因果の交差路でまた会おう」
そして老紳士は去って行く。
また会う日まで。
「‥‥キス?、不安になったら?」
そういえば、以前悠二が額に口付けしてきた時は気を失い、熱に浮かされたように自分から頬に口付けた事もある。
あの行為に伴う感情は、よくわからないが‥‥凄い。
研究の必要があるかもしれない。
リャナンシーの別れの言葉に妙に意気込むヘカテー。
「やれやれ」
「‥‥‥‥‥‥今‥‥誰がやれやれって言った?」
一つの戦いが終わり、悠二達に日常が戻ってくる。
熱い季節が、近づいてくる。
(あとがき)
ふぅ、四章終了。五章の構想練るのに少々時間を食いそうです。
時間食ってる間にモチベーション低下という罠が恐ろしいですね。