「‥‥‥はあ‥‥」
ベッドに身を預け、今日の話、そして先ほどの"実感"を思い出す。
今は夜中、悩める少女は平井ゆかり。
(異世界の"紅世の徒"、それに喰われた人の残骸"トーチ"、徒を倒すフレイムヘイズ‥‥‥か)
あの時、あの女性の言葉をなぜか信じる気になった。
その無根拠な確信が、
今は正解だと思う。
小さい頃から、親戚のおじさんに育てられてきて、おじさんは自営業なはずなのに、"なぜか"自分は離れたこの街に小さな頃からいる。
そして、"なぜか"自分の思い出にはおじさんやおばさんと日頃から過ごした記憶がある。
その事を、考えるどころか一点の疑問さえ覚えなかった。
そう、なぜ、自分はおじさんの援助で、"こんなに広いマンション"に一人暮らししているのだろう?
(喰われた人は‥‥その存在ごとこの世から消える‥‥)
そもそも、"なぜ"自分はおじさんの世話になどなり始めたのか、
いや、世話になっていたと思うのか。
つまりは、
(私の‥‥両親は‥‥喰われた)
いきなり両親などと言われても顔すらも知らない。
物心ついた時にはおじさんの世話になっていた。
そして、両親に関して、質問した記憶すらない。
だが、この記憶自体が、
存在の欠落による整合化、というやつなのだろう。
悲しい、わけではない。
それを実感できない。
名も、顔も知らない自分の両親、
それが、喰われて、自分は思い出す事さえできない。
当然、衝撃は大きい。
実感できなくても、自分の両親が喰われたと"理解"したのだから。
今までの自分の常識も覆された。
だが、自分は、
『どんな事情にせよ、一般人を巻き込んだ責任上、最低限の要望には応えるつもりであります』
あの、『フレイムヘイズ』の提案に対して、
『貴女に近しい人物の生存の確認、もし、貴女が真実、"事実"を知り、受けとめる望みと覚悟を持つのならば、私自らが確認し、貴女に通知させていただくのであります』
首を縦に振ったのだ。
どんな真実であろうと、何も知らずに日々を送る事に、納得できなかった。
それに、外界宿(アウトロー)の構成員らしい我が小さき親友、その親友と同居している我が鈍き親友の二人は、もうトーチでは無いと決まったようなものだ。
トーチを案内役に呼ぶわけもないし、坂井悠二は近衛史菜の身の上を知っている風だった(当人はごまかしたつもりなのだろうが)から、当然関係者なのだろう。
(そういう事情なら、話せるわけないか)
今まで、真実を話してくれなかった二人の親友を水臭くも思うが、納得もできる。
おそらく、自分が同じ立場でも話せはしなかっただろう。
「‥‥‥‥‥」
明日、あの女性に他の友人達の生存を確認してもらい、そして、二人の親友に、自分も真実を知った事を話すのだ。
こんな重すぎる問題を、あの二人だけで抱え込む事は無い。
いや、抱え込ませなどしない。
自分でも、何かしてあげられる事があるはずだ。
秘密を共有できる仲間がいる。
そう思ってくれるだけでもいい。
力になりたい。
少女は知らない。
二人の親友は確かに真実の関係者だ。
だが、"人でないがゆえ"の関係者である事を、少女は知らない。
この翌日、乱れた歯車が噛み合う。
「母さん、ヘカテーは?」
今朝起きたらいつものねぼすけがベッドに眠っていなかった。
たまに早起きする時は大抵無自覚な悪巧みをしている時だと相場は決まっている。
「ああ、ヘカテーちゃん?
今日は何か大切な用事があるって早くに出かけちゃったわよ。
学校もお休みするんですって」
「?、へえ」
正直、気にならないといえば嘘になるが、今さら人を喰うわけもないし、プライベートに立ち入るのはマナー違反だ(自分のプライベートなどすでに侵食され尽くしているのだが)。
「いただきます」
「ああ、待って悠ちゃん」
「?」
「朝の鍛練は?」
「かっ、母さん。今日はヘカテーいないのに」
「監督代理頼まれちゃったのよね。女の子との約束破っちゃダメよ?」
抜け目の無い娘だ。
「‥‥‥今日は素振りかな」
まあ、いつもに比べれば痛くないだけマシだろう。
(それにしつも‥‥)
昨夜見た奇妙な夢を思い出す。
夢なのに、不思議なほどはっきりと覚えている。
『どうにも、ならないのかな』
夢の中、問い掛ける自分。
『どうにも、ならないさ』
その問い掛けに応える、目の前に立つ"真っ黒な自分"。
『どうにも、できないのかな』
『どうにも、できないさ』
似た問い掛けをする自分、似た応えを返す黒い自分。
『どうすればいいんだ?』
この問いに、今度は黒い自分は問い返す。
『どうしたいんだ?』
『どう、したい?』
目の前の自分が、近づき、対等の相手として再び問い掛ける。
『そうだ。どうしたいんだ?、坂井悠二』
そこで、夢は途切れた。
交わした言葉と黒い自分、それらは異常なほど鮮明に覚えている。
だが、自分達は何について言葉を交わしていたのだろう?
その辺りはぼやけたように思い出せない。
(まあ、いっか)
たかだか夢だ。そう深刻に考える事も無いだろう。
「悠ちゃん、早く鍛練しないと遅刻しちゃうわよ」
「わかってるよ」
鍛練を終える頃には、悠二はもう夢の事を気にする事も無くなっていた。
御崎市近辺で一番高い山の頂に、水色の少女が一人。
坂井家の居候"頂の座"ヘカテーである。
久しぶりの『大命』、であるにも関わらず、お気に入りの山の頂まで行くわけにはいかない現状が、少々歯痒い。
しかし、あまり遠くまで行ってしまうと、悠二‥‥や『零時迷子』に何かあると困る。
いつもの一面白景色ではないから調子が狂うが仕方ない。
「"頂の座"ヘカテーより、いと暗きに在る御身へ」
祈る少女の小さな口から、祝詞が紡がれていく。
そして、長い錫杖を地に突き立てる。
「此方が大杖『トライゴン』に彼方の他神通あれ」
声の途切れるや錫杖が、明るすぎる水色の三角形を無数、周囲にばら撒いた。
それらが舞い、砕け、山頂全体を水色の竜巻とも吹雪ともつかない輝きの中へと包み込んでいく。
「他神通あれ」
その幻想的な景色は、ヘカテーの張った封絶に隠されている。
「他神通ぁ‥‥」
声が吸い込まれるように消え、相貌も光を失い、漆黒の闇を映す。
周囲の三角形は組み合わさり、頂を覆う球体となる。
その内部の闇の中、
銀が一雫、降る。
続けて降り注ぎ、ヘカテーや頂の大地に豪奢な銀の輝きを浴びせる。
やがて彼女の前に、宙に描かれた複雑怪奇な自在式が、銀の炎をもって燃え上がった。
「眼へ落ちたるに拠り紡ぐ式も」
途端、漆黒の球体が一挙に砕け散り、銀の雫も掻き消える。
「此処に詰みなん」
言葉を終えると同時に、ヘカテーの瞳に水色の光が戻る。
そして抱えるように持つ自在式を小さな珠に変え、錫杖の天辺につける。
「どうぞ、お早く‥‥」
「ふう、」
これで『託宣』は完了だ。
いつもより低い山頂だったせいか"彼"とまともに言葉を交わす事が出来なかった。
その事は非常に残念だ。
しかし、
『トライゴン』の先に取り付けた銀の珠を見て、少女はかすかに微笑む。
これで、『戒禁』を超えて、『零時迷子』に干渉出来る。
もう『零時迷子』を取り出しても、あの少年を消さなくていい手段もある。
そして、『大命』を果たし、ずっと一緒に‥‥
根拠の無い未来を夢想する少女は、なぜ自分がそんな未来を夢想するのかという事にすら気付かない。
御崎市の大通り、清げな老人とすれ違った消えかけのトーチ。
しかしそれが、いきなり消えた。
その日、様々な想いが御崎市において交錯する。
(あとがき)
約一週間ぶりの更新です。
忙しい期間も終わったので再開します。
大学の夏休みも終わったから前ほどの更新速度は保てないかも知れませんが、頑張って続けたいと思います。