この日の朝、坂井家の食卓はいつもと少し違う。
いつもの食卓のテーブルにいつもの様に朝食が並び、しかしその数が違う。
坂井千草の対面、坂井悠二の隣の席に、水色の髪の少女が一人。
御崎市に潜伏中の"頂の座"ヘカテーである。
昨日、坂井悠二の部屋のベッドで眠ったヘカテーは、今朝食も坂井家でご馳走になっている。
しかし...
ガシッ!ポロッ!コロコロ...ザシュッ!!
苦戦している。
そもそも食器をテーブルに出す時に悠二が気を遣って(悠二はヘカテーを外国育ちと思っている)ヘカテーの席には箸ではなくスプーンを用意しておいたのに、
「私は子供ではありません。」
の一言で、箸と取り替えさせたのだ。
もちろん千草にではなく悠二に。
自分だけ食器が違う事に敏感に反応し、子供扱いされたと勘違いしたようだ。
「素直にスプーンで食べればいいのに」
昨夜、少女に自室のベッドを譲った(少年の矜持は奪われたとは考えない)悠二は頑張る少女の気も知らずに思った事をそのまま口に出す。
常ならば年下の女の子にはもう少し気を遣う悠二であるが、この少女が自然体そのもの(無遠慮ともいう)で接するのでつい地が出てしまっている。
「私は子供ではありません。」
悠二の発言に対し、さっき言ったセリフをそのまま口にするヘカテー。
千草は息子の無神経さに少々呆れながらも不器用に箸で料理をつつくヘカテーを眺める。
食べ方はともかく、せっせと料理をパクつく様を見れば、この少女の舌にあった事ははっきりわかる。
ヘカテーの仕草の可愛いらしさも手伝って嬉しそうに微笑む。
「子供じゃないっていうけど近衛さん何歳なのさ。」
ヘカテーの言葉に、悠二は先程から抱いている疑問をぶつける。
子供じゃないと言うが、どうみても大人ではない。
悠二に訊かれ、ヘカテーはホテルでの経験を生かし、自分の見た目相応の年齢を応える。
「15歳です。それが何か?」
自分の外見に些か以上に自覚の無いヘカテーは自分の隣で固まる坂井悠二をただ不思議そうに見つめる。
発展著しい中国は上海市。
その河岸の街の一区画、通りから隠れるように細く、奥に長い、アール・デコの高層建築。
フレイムヘイズの情報交換・支援施設『外界宿(アウトロー)』。その一大拠点。上海外界宿総本部である。
その建造物の一室を今、一人の女性が訪れていた。
丈長のワンピースに白いヘッドドレスとエプロン、編み上げの長靴、まっすぐに伸ばされた背筋も含めて、完璧にメイド姿である。
しかもその格好で唐草模様の大きな風呂敷包みを背負っている。
「ああ、北京の『外界宿』からも似たような報告を受けている。」
その対面、机を挟んだ向かいの席から、スーツ姿に華美な拵えの直剣を腰に巻かれた紅梅色の帯に差した女性が給仕服の女性と話している。
「では、こちらに何か手掛かりになるような情報が送られているのでありますか?」
給仕服の女性は情感に乏しい声、奇妙な口調で目の前の女性に返す。
「ああ、『歪み』が発生する度、その周辺で何度もサングラスを掛けた男と金髪の子供二人の三人組が目撃されている。
外見以外の情報は見つかっていない。おそらく...」
途中で切ったスーツ姿の女性の言葉を給仕服の女性が続ける。
「気配隠蔽の自在法を使っていながら、封絶も張らず、トーチも残さずに人を喰らっているという事でありましょう。」
「推測」
給仕服の女性の言葉、そして彼女の頭のヘッドドレスから出る言葉にスーツの女性は頷き、訊ねる。
「任せて良いか?私もそう易々とここを空けられぬ身なのでな」
「問題無いのであります。」
「心配無用」
スーツの女性の言葉に間を置かず返し、話は終わったと判断したのか、立ち上がる。
そこで、大切なもう一つの用件を思い出し、訊く。
「『零時迷子』に関して、何か情報は?」
スーツの女性は最近送られてきた情報を思い出し、数秒して返答する。
「いや、それに関する情報は全く無いな。
そもそも『約束の二人(エンゲージリンク)』が未だ健在かどうかさえはっきりしていない。」
その言葉に悟られぬ程度眉をしかめ、給仕服の女性は別れを告げる。
「では因果の交差路でまた、"奉の錦旆(ほうのきんぱい)"帝鴻、『剣花の薙ぎ手』虞軒」
「再会約束」
「ああ、また会おう、"夢幻の冠帯"ティアマトー、『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメル」
再会を誓い、給仕服の女性は外界宿をあとにする。
今も世界のどこかにいる彼女の友人と、その友人を絶望させるであろう『宝具』の事を思い浮かべて。
御崎市の市街地、人通りの多い一画を、一人の少年と一人の少女が歩いている。
言わずもがな、悠二と、自称15歳の近衛史奈ことヘカテーである。
『悠ちゃん、近衛さんに街の案内をしてあげてね』
二時間前の母・千草の言葉である。
それだけ言ってさっさと『大切な買い物』とやらに出かけてしまった。
ちなみに悠二は了解どころかうんともすんとも言ってはいない。
しかし、振り向いた時にすでに白帽子と白マントを身に付け、早くしろと言わんばかりに準備万端な少女を見て、黙って支度を始めたのだ。
男は黙って何とやらである。
そのヘカテーは今隣で、街にある物一つ一つに反応しながら市内探索と洒落込んでいる。
何がそんなに面白いのかキョロキョロと忙しく辺りを見回している。
無表情だが...
(外国育ちにしても、珍しがり過ぎじゃないか?)
自分が勝手に外国育ちと決めつけている事も忘れ、思案する。
そこで、ふと振り返ってみると近衛史菜がいない。
不味い。あんな世間知らず全開な少女を一人でこんな人の多い所にいさせたら何があるかわからない。
慌てて辺りを探すと何やら柄の悪そうな男に絡まれている。
「そのタバコを今すぐにやめなさい。空気が汚れます。」
訂正、絡んでいる。
どうやら路上喫煙を注意しているようだ。
間違った事をしているわけではないが、あんな柄の悪そうな男に絡むのは危険だ。
男が何やら荒れて言い返している、今にも掴み掛かりそうな雰囲気だ。
(まずいっ!)
少女を連れてこの場を離れるべく駆け寄る悠二。
その悠二があと数瞬でたどり着こうというその時。
スコォンッッ!!!
景気の良い音がして男が昏倒する。
ヘカテーがマントの中から中程まで生み出した『トライゴン』を、目の前で堂々と、しかしほとんど視認できないほど早く突き出し、男の額を強打したのである。
封絶を張って始末する事も一瞬考えたが、この市内探索中にすでに二回、例の宝具を宿したトーチ・『ミステス』を探すために封絶を使っている。
今日はこれ以上目立つ真似はしない方が良いだろう。
ヘカテーはそのまま何食わぬ顔でその場を立ち去る。
倒れた男はかろうじて生きているのか小さく「三角が..三角が..」と呻いている。
慌ててその後に続く、あまりの事態に固まっていた悠二。
「こっ、近衛さん。今一体何したの!?」
少女の隣に並びながら動揺丸出しで訊く。
「乙女の秘密です。女性にそんな事を口に出して訊くようだから貴方はダメなのです」
千草から昨日の夜教わった『エチケット』という概念を早速使ってみるヘカテー。
言われた悠二としては面白かろうはずが無いが。
思い切り訊くなと言われている事を重ねて訊けるはずもなく、釈然としない気持ちのまま黙る。
(大体ダメって何だよ。ダメって)
まだロクに会話してもいない内にどうやら自分はこの少女に『ダメ』な奴と類別されていたらしい。
実際は、ヘカテーは別に悠二の事を嫌っているわけではない。
ただ、悠二は自分が思っている以上に考えている事が顔に出る、その表情の変化をヘカテーは、
(変な顔)
と心中楽しんでいるのである。
さっきはぐらかしてダメ扱いした時のうろたえながら苦虫を噛むような顔もなかなか面白かった。
わりと傷ついた坂井悠二は気を取り直して少女に街を案内する。
旧依田デパートの高層フロア、そこにある箱庭を見ている優男。
その表情には、困惑の色が濃い。
午前中、二度も封絶を使っておきながら、その封絶が解けた後に何の変化も無い。人を喰った形跡すらない。
警戒する程の存在ではない。
そう考えてもいるが、フレイムヘイズなら狩り、徒なら一言釘をさすべきかとも考える。
しかし、どちらにせよこちらから出来る事は無い。
場所が特定できない。向こうが封絶を張り、その時そこに向かうしかない。
とりあえず、次に封絶を張れば、そこに『燐子』を向かわせよう。
優男はそう結論付けた。
少女と共に歩む、その一歩一歩が少年の日常から少しずつ外れていく。
その事にまるで気付かずに。
(あとがき)
前話の最後の下りで、少し、修正を加えました。
例の爬虫類(ネタバレ防止の方便)は出すつもりです。
感想が来るとやたらとやる気出ます。
感想書いてくれる方、ありがとうございます。