「そろそろ、終わりにしましょうか」
またも戦闘の最中に夢想に入っていたヘカテーを、ティリエルの言葉が戦場に引き戻す。
「さあ、お兄様。いつもの様に、『吸血鬼(ブルートザオガー)』の試し切りをなさって」
「うん!『にえとののしゃな』が、てにはいる、までは、これでが、まん、するから!」
ティリエルの言葉に従い、兄、"愛染自"ソラトが前に出る。
いつの間に手にしていたのか、その右手にはハリウッドの映画にでも出てきそうな幅広鍔無しの西洋風の大剣が握られている。
(まずいですね)
今の自分の状態ではあの大剣の攻撃を避けられない。
この束縛を払う事と大剣を防ぐ事を同時にやるには距離が近すぎる。
どちらにしても捕まっていては話にならない。
蔦を焼き切る。
と、算段を立てるヘカテーの前にソラトが進み出る。
さらにまずい。先手を取られたようだ。
「へか、てー!」
だが、叫び、跳び掛かるソラトを、
「が、ぐえ!」
ティリエルの蔦が首を絞める形で止める。
「今、何とおっしゃいましたの?お兄様」
「ぐっ、でぃ、えぐ」
「お兄様には私だけ、他の女の名を呼ぶなど、論外」
今まで敵であるヘカテーにさえ向けていない程の怒りを最愛の兄に向けるティリエル。
またもや興味深く観察したい強い衝動に襲われたヘカテーだったが、今度は我慢する。
このティリエルの言動には何か学ぶ事が多い気がするが、さっきからぼーっとしすぎである(自分)。
これは勝機なのだ。
ヘカテーの唇から高い高音が口笛の形で発せられる。
と同時に、ヘカテーの周囲から水色の炎が沸き上がり、その身を縛っていた蔦を焼き切る。
それでようやくティリエルは兄を解放し、ソラトは同時に神速の踏み込みでヘカテーに斬り掛かる。
(早い!)
今までのなよなよした態度とはうって変わって、まるで獣か狂戦士の様な動きだ、それも相当な早さで。
(だが、間に合う!)
ギィン!!
焼き切れた蔦を振り払い、捕らえられても放さずにいたトライゴンで、ソラトが繰り出す斬撃を、間一髪、受けとめる。
途端、
ソラトの手にした大剣の刀身に、不気味な血色の波紋が浮かび上がる。
そして、
ボバッ
斬撃を受けとめたはずのヘカテーの全身から、水色の火の粉が血のように舞った。
「ちょっ、この運び方‥‥」
「うるさい。男を抱える趣味は無い。
もしお前に抱えられたいなどという願望があるのなら今すぐ斬る」
今悠二とメリヒムは沿岸から街に向けて飛んでいる。
ちなみに悠二はベルトだけ持たれて手提げかばんの様に運ばれている。
「それより、お前の考えとやらを当てにしていいんだろうな?
俺は"まともに"戦うのは数百年振りだ。
罠に飛び込むような真似は御免だぞ」
と、言うわりには声に自信がみなぎっている。
罠だろうと負けるつもりも無いが、こちらの考えも気になるといった所だろうか。
そして、思ったよりお年をめされていらっしゃる。
(数百年以上か、そういえばヘカテーって何歳なんだろ?)
などという事を考えながらも質問には応える。
「あんたに、ヘカテーと合流できたら、ほんの十秒程度でいいから、あの徒二人を同時に抑えておいて欲しいんだ」
「?、たかが十秒程度で何が出来る?」
「この仕掛けを崩す。
そしたら、後は普通のやり方で倒せるはずだ。
急ごう。向こうもそろそろこっちに気付くはずだし、ヘカテーの気配が弱まってる」
「よくわからんが任せるぞ。
出任せだったら後で斬る。」
メリヒムと運ばれている悠二は速度を上げる。
気配は、すぐそこまで来ている。
「どーだ!ぼくの『ぶるーとざおがー』!けんに、そんざいのちからを、こめると、ふれたあいてが、きずをおうんだ!」
全身から火花が飛び散り、力が抜けていく。
このまま、消えて行くのだろうか。
「‥‥悠、二‥」
なぜか、名前を呼びたくなった。
ティリエルが、驚いたような顔を見せる。
「貴女も、そんな顔をされるのですね。
人形の様な女だとばかり思っていましたのに」
貴女"も"?
一体、どんな顔だというのだろうか。
今の自分の表情がわからない。
「どういう、事、ですか?」
思わず、敵に訊いてしまう。
「ご自分の気持ちさえわからないようですわね。
今に消える貴女に、その事を伝えるのも酷でしょうから、」
ティリエルの周囲の蔦が蠢き出す。
「せめてもの情けです。
先ほど名を呼んだ殿方の顔を思い浮かべながら、逝きなさいな」
(悠‥二の顔?)
依田デパートの屋上で、今の様に傷だらけの自分と寄り添っていた時の悠二の顔が浮かぶ。
そんなヘカテーを今まさに貫かんとしていた蔦が、
弾け飛ぶ。
虹色の炎弾によって。
「!!、誰!?」
"愛染他"が叫ぶ。
戦いに夢中で気配に気付かなかった。
炎の色、現れた青年のかつて見た、今あるはずのない姿。
それらに驚くより先に、青年の手に吊られている少年に意識が向いた。
(‥‥悠二)
何故か、驚きは少なかった。
来るような気がした。
そして、嬉しい。
涙が出そうになるほどに。
悠二が駆け寄る。
自分を抱きしめる。
何を考えるでも無く、『器』を開き、重ねる。
そうする事が自然に思えた。
否、そうしたかった。
悠二とヘカテーの存在の力が均等になり、ヘカテーの傷のいくつかが消え、傷が消えた箇所の悠二の体に傷がはしる。
悠二はヘカテーと『器』を重ね、傷を共有しながら、安堵していた。
(間に合った!)
もう、『自分達の傷』は致命傷には程遠い。
自分やメリヒムが仕掛けの破壊に向かっていたら間に合わなかった。
自分の判断がヘカテーを助けたのだ。
その喜びと、少女が生きていた安堵を噛み締める。
そこで初めて後ろの徒二人とメリヒムに気を向ける。
あっさりと口約の十秒を破ってしまったが、メリヒムは迫りくる蔦を斬り払って、時間を稼いでくれている。
こっちも急がなければ、いつまでも感動しているわけにはいかない。
存在の力を繰る。
ヘカテーが夜の鍛練で自分に感じ取らせる感覚に、初めて『ピタリ』と合う。
「はあっ!!」
足に『力』を込めて、はるか高くへと跳びあがる。
「ヘカテー!集中して!」
その言葉にヘカテーは何を考える暇もなく、感覚を集中させる。
そこで気付く、今まで感じなかった数十の小さな気配。
それを感じ取る事ができる。
これは‥‥
(悠二の感覚?)
鍛練の時とは逆、『器』を合わせる事で、"悠二の感覚"をヘカテーに共有させる。
これなら、口で説明などしなくても位置をヘカテーに伝えられる。
ヘカテーと悠二を取り巻く光点が明るさを増す。
そして、ヘカテーの光弾なら。
「『星(アステル)』よ!」
全ての燐子を同時に破壊できる。
悠二の感知能力とヘカテーの連弾攻撃の連携。
悠二の狙い通り、空から降る水色の流星群が、街中の『ピニオン』全てを正確に貫いた。
「何故!?ピニオンの偽装が!?」
「さあな。俺にもあいつが何をしたかはよくわからないからな」
ティリエルの叫びにメリヒムは軽く返す。
「貴方達は一体何者ですの!?」
もはやパニックに陥っている。
当然だ。ピニオンが無ければ、"愛染の兄妹"は並の徒と変わらない。
「何者、か。応えるよりも見せた方が早いな」
言って、その手に持ったサーベルを向ける。
と、同時に、その背に七本七色の光線が輝き始め、その光が彼を飾る。
「虹の、翼?」
「そう、それが俺の真名、そして‥‥」
知らず、メリヒムの真名を口に出したティリエルに、メリヒムは続ける。
「これが俺の『虹天剣(こうてんけん)』だ」
メリヒムが言い終わるか否かという間に、光輝の塊がかざしたサーベルに生まれる。
その彼女らにとって絶望的な力の集中を感じ、ティリエルは咄嗟に自身をかえりみず、最愛の兄に自分を削る程の力を注いだ防御の自在法をかけて横に突き飛ばす。
だが、"愛染他"が全てをかけて守ろうと込めた力は、何の意味もなさなかった。
爆発的な『虹』の光輝が治まった後に残ったのは、かろうじて『虹天剣』の範囲から逃れた"愛染自"ソラトの山吹色の火花を散らす『右腕』と大剣のみ。
"愛染自"の右腕が火の粉となって消えた後に、
大剣が墓標の様に突き立っていた。
(あとがき)
次話、二章エピローグです。
三章の構想練ってます。
何編で行くか考え中です。