(これだけ近くにいて、全く気配を感じなかった)
山吹色の枯葉と炎の舞う、封絶のような自在法の防御陣の中。
他の"人間"達が動きを止めている中。
この防御陣を張った"徒"達以外に一人、水色の髪の小柄な少女が動いている。
(攻撃をしてくる気配は無い。
こちらが狙われているわけでは無い様ですね)
その手には、たった今清算したばかりの二人分の肉まんとコーヒー、紅茶(どちらもホット)。
海底探索の途中で、自分と悠二の分の買い出しに来ていたのだが、どうにも面倒そうなのに巻き込まれたらしい。
(『中』に取り込んだにも関わらず、こちらに気付いた様子は無い)
こっちの『タルタロス』の気配遮断を見抜いて、狙ってきたというわけではない様だ。
単なる存在の力の乱獲に巻き込まれただけだろう。
自分一人なら、他の徒の乱獲に口を出す事などないが、今はあの少年がいる。
この事を彼が知ったら、初めて自分の正体を明かした時のあの表情を浮かべるのだろう。
自分が通りすがりにそんな目にあわされる道理は無い。
それに、あの徒、あまりに無遠慮に喰らいすぎる。
トーチすら残していない。
あれだけ雑に喰らうのだから、彼らはこのまま街を去るつもりなのだろうが、まだこの街に留まる自分達には『討ち手』を呼び寄せるような真似をされるのは迷惑だ。
まだ、『天道宮』は見つかっていない。
そっと、右手につけた『タルタロス』を外す。
"頂の座"ヘカテーはまだ知らない。
連れの少年がすでに天道宮を見つけだしている事を。
そして、仮装舞踏会(バル・マスケ)の巫女、ヘカテーはもう忘れていた。
かつて"訓令"の際に自分を襲い、あしらわれた目の前の徒達を。
(‥‥どうしようか)
あの後、悠二は真っ先に海上に上がった。
いきなりの"紅世の徒"の登場に逃げ出した、という理由もあるにはあるが、どちらかというと酸素不足が原因である。
そして、そんな自分に対して何の行動も起こさなかった事で確信した。
この徒は、意識がない(見た目が白骨だから非常に判別しづらいが)。
少なくとも、身動きをとる事すら出来ない。
冷静に感じ取ると、本当に微々たる力しか持っていない。
人間どころか、そこらのトーチ程の力も無い。
この『カイナ』によって消滅を免れているだけなのは明白だ。
今の自分に何か出来るとはとても思えない(今朝の鍛練の事を思い出し、内心強がってみる)。
という分析のもと、再び白骨、そして『カイナ』の前に潜ってきている。
この白骨は紅世の徒、人を喰らう存在。
そして、今の自分なら‥‥いや、普通の人間でも簡単にこの白骨を砕けるだろう。
だが、悠二は有無を言わさず徒を殺せるほど、徒の事を知らない。
何より、知っている二人の"紅世の徒"。
その片方、今や誰より近しい少女は、とても殺す様な相手では無い。
だが、人を喰らう存在であるという事に変わりは無い。
自分と一緒にいるヘカテーはそもそも例外なのだ。
(これしかないよなぁ)
葛藤の果てに悠二が選んだのは、
少女との相談。
すなわち、
(ふっ!!、くうぅぅ!)
白骨を『カイナ』ごと陸地まで運ぶ事である。
(重い!重い!重い!!)
呑気に重たがっているが、陸地でもし人に見られた時。
白骨を海から引き上げる自分がどんな目で見られるか気付かない辺りが抜けている。
クラスの二人の親友から『微妙に要領が良い(部分的に要領が悪い)』と評される所以であろう。
「なっ!?この気配は!?」
"愛染他"ティリエルは動揺していた。
気配など無かった。
自分の『揺りかごの園(クレイドル・ガーデン)』は完璧な気配隠蔽だ。
気配察知も使わずに気付かれるはずがない。
脱出不可能な檻でもある。
そう誇ると同時に自惚れもせず、辺りの気配には気を配っていたはず、
それなのに、こんな小さな『揺りかごの園』の内に入る程の至近にこんな大きな気配の徒、いや、"王"がいる事に気付かなかったとは。
そんな動揺、最愛の兄を危険にさらした自らへの憤り、それらの感情はしかし、
すぐに別の感情へと変わる。
コンビニの中から現れた水色の光を纏う姿によって。
かつてあしらわれた屈辱。
最愛の兄に自分以外で名を呼ばれた存在への嫉妬。
それらへと変わる。
ほとんど反射的、本能的に『揺りかごの園』を拡大する。
彼女が今まで仕掛けた"燐子"『ピニオン』全てを取り込む大きさ、街全体を覆う程の巨大な大きさまで。
『揺りかごの園』は包み込む。
全ての『ピニオン』を、
沿岸にいる少年と白骨を。
「封絶!?」
(気配はまるで感じなかったのに、いきなり取り込まれた!?)
沿岸で白骨を人目につかない様にする事に必死になっていた悠二はその一点のみは助かったが、ひどく動揺していた。
理由はいくつかある。
この封絶が通常の物とは明らかに違う。
枯葉が舞い、霧のような光で封絶内が霞んでいる。
気配もどこか掴みづらい。
色もヘカテーのそれとは違い、山吹色だ。
そして、何より、この気配の数。
大きな気配は二つ、ヘカテーの気配も含めれば三つだが、それ以外にも、徒だと断定はできないが、小さな気配が"数十"にも及ぶ数、ある。
こんな数に今まで気付かなかった時点で驚愕である。
ただでさえ、消えかけの徒を前にしているというのに、ヘカテーの方も徒、しかも二人と対峙している様だ。
(徒同士だし、戦いとは限らないよな)
とりあえず、楽観的に(現実逃避気味に)そう考える事にした。
「お久しぶりですわね。
引きこもりのお姫様?」
金髪の徒達の少女の方が隠そうともしない敵意を向けて話し掛けてくる。
その挑発自体には特に何も感じないが、内容に気にかかる点がある。
「‥‥お久しぶりですね」
いまいち心当たりが無いが、多分この返答が正解だろう。
「貴女の様な方でも下界に下りる事があるのですわね。
これでも少々驚いていますのよ?」
「‥‥そうですね」
どうやら星黎殿で会った事があるらしい。
「以前は、貴女に不覚をとりましたが、私達の本来の力は人間の群れにあってこそのもの。
あのくらいで私達の力を知ったと思わない方がよろしくってよ?」
「‥‥そうですね」
脅しが利くならそれで追い払おうかと思ったが、どうやらすでに戦う気満々の様だ。
まあ、この封絶のようなものを拡げた時点でそうだろうとは思ったが。
というか、この徒達は以前自分に不覚を取ったのか、心当たりが‥‥‥ありすぎる。
「‥‥‥ところで、星のお姫様?」
「はい」
「私達の事を覚えていらっしゃいますよね?」
「ハイ。モチロン」
片言の喋り方だが元々起伏の薄い喋りなのでそうそうは見破れない。
「では、我々の名を答えていただきましょうか」
「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥」
ティリエルの周囲から、無数の蔦が地を裂いて現れ、ヘカテーに襲いかかる。
戦いが、始まった。
(あとがき)
何かヘカテーちょっと不自然だったかも。
ヘカテーと"愛染"の出会いは、短編小説『ボールルーム』からの設定です。