今日も今日とて朝の鍛練。
早朝から坂井悠二とヘカテーが狭い坂井家の庭で動き回っている。
「っ!痛っ!」
昨夜の鍛練で"存在の力"を繰る感覚だけは一応掴んだ悠二であるが、
「うわっ!ちょっ、ちょっとタンマ!」
聞いての通り、あまり昨日の朝と変化がない。
「何でだ?」
「存在の力自体はいびつですが繰れています。
ただ悠二はまだ『自分から』力を発する感覚しか感得できていません。
『他者の』繰る存在の力を感じとって躱すのが朝の鍛練の課題です。」
要するに防御がザルだという事らしい。
しかも、こっちの方は『器』を合わせて感覚をつかむ事ができないらしい。
考えてみれば当たり前だ。
そもそも本来わからない相手の攻撃を躱す事が鍛練の主眼なのだから、感覚共有したら意味がない。
それに、手をつなぎながら体術訓練などできるわけもない。
まあ、とどのつまりは、
「ぐえぇ!!」
自分はしばらくこの痛みと付き合わなければならないという事だ。
御崎高校の三時間目、今日はヘカテーにとって初めての体育である。
なのだが‥‥
「はあっ、はあっ、はあっ」
「何で、いきなり、マラソン、なんだよ」
「今日は、サッカーの、予定じゃ、なかったか?」
ただの退屈な無制限持久走だ。
最近職員の間で広まっている、『授業を乗っ取る転校生』の話を耳にした体育教師によるその転校生への嫌がらせである。
しかし、
「はあっ、はあっ、痛っ!!」
「ペースが遅れています。
単純な走行なのですから繰るのは難しくないはずです。」
「繰るって?」
「筋運動の話です」
「遅れてるって、一番前走ってるだろ!?」
「志が低すぎです」
「痛いって!!」
「坂井君、学習したら?」
標的たる転校生が堪えていない。
というよりむしろ楽しそうなのは気のせいだろうか。
一人だけ妙な格好もしている。
そんな苛立ちを覚える体育教師の目に、疲れてしゃがみ込む女生徒がうつる。
授業中の坂井悠二。
存在の力を雑にだが繰れるようになった悠二は今、クラスの先頭を走っている。
朝の鍛練ではわからなかったが今ようやく新たな力を身につけた事を実感し、その事自体には喜びもしている。
が、
そのすぐ後ろにいる二人がその喜びに水を差している。
一人はクラスの先頭を走っているにも関わらず、ペースが僅かでも遅れれば、容赦なくその手に持った竹刀を振るう、一人学校指定でないジャージを着たヘカテー、首に笛をかけている。
コーチのつもりのようだ。実にわかりにくい。
そして、もう一人。
ヘカテーが悠々とついて来ているのは当たり前だが、そのヘカテーの隣をこちらも悠々と走って、ヘカテーをあおる平井ゆかり。
実にハイスペックな少女である。
ちなみに田中と佐藤と緒方はその一周遅れ、池はさらに一周遅れである。
田中は運動神経自体は高いのだが、こんな無制限マラソンでやる気など出るわけがない。
「ほらほらっ、ペース緩めると、近衛コーチの竹刀がとぶよ!」
「ほんっと、体育と英語だけは完璧だよな。平井さん」
「だけ、とは失礼な!
他のだって坂井君よりマシなんだけど?」
「‥‥返す言葉もな痛っ!」
「勉強の鍛練もつけましょうか?」
「いいよ、そんなの」
「近衛さん、シー!『同棲』の事がばれちゃうよ!」
「っ!平井さん!?」
「「大丈夫です。誰にも聞かれていません」」
「‥‥‥‥‥‥」
最終的にははもっている。
この二人が組むとあらゆる意味でかなわない。
このマラソンも鍛練の一環としてヘカテーコーチに走らされているのだが、何故授業そのものがこんな内容になったのかがわからない。
いい迷惑だ。朝の鍛練だけで十分疲れているといるというのに。
無意味な愚痴を内心呟く悠二の耳に、
「吉田!何を休んでいる!」
その迷惑な教師の声が届く。
見れば、平井ゆかりの親友・吉田一美が息を切らしてしゃがみ込んでいる。
「お前がサボっとるから皆足を止めとるだろーが!!」
確かに皆足を止めて見ているが、それはどちらかというと理不尽に喚き散らす中年に注目しての事だ。
少し目に余るものがある。
何とかしようとヘカテーとアイコンタクトして、向かおうとする悠二とヘカテーを、
「二人共、今近づかない方がいいよ。
そろそろ危ないから」
平井ゆかりの声が制止する。
(どういう事だ?)
この平井ゆかりが教師を恐がって親友を見捨てるなんて事は考えられな‥‥
ドガアァ!!!
「ちょっと休ませろっつってんだろーが!!?
触んじゃねーよこのジジイ!!!」
体育教師が宙に舞い、見事に背中から着地する。
豪快な蹴りとセリフの発信源は、先ほどまで息を切らしていたはずの吉田一美。
クラス中、平井ゆかりとヘカテーを除く全ての人間が唖然として、その光景を眺める。
「一美ってたまーに、キレたりするとああなるんだよね。予感的中」
悠二とヘカテーの後ろから平井ゆかりが説明してくる。
「あっ!先生。大丈夫ですか?」
言って、体育教師に駆け寄る吉田一美嬢。
「よっ、吉田、貴様教師を足蹴にしよったな!?」
げしっ!!
今度は踏み付けられた。
何やらこのままだと何か不味い気がする。
「先生!危ないですよ?
トラックの中に突然入ってきたら!」
悠二が踏まれてさらに怒りに顔を染める教師に言う。
その言葉の意味を察した友人達、そしてクラス全員がそれに続く。
「だよねー、マラソンの最中だもんね!」
「先生もちゃんと気をつけないと危ないですよ!?」
「とっさには避けられないよなー!」
「あはは!先生カワイソ!」
「交通事故みたいなもんだよな!」
この『交通事故』を肯定する騒ぎが起こる。
「先生?」
もはや怒りと混乱で言葉も無い体育教師に吉田が声をかける。
笑顔だ。いつも通りの花の様な笑顔だ。
だが、そこからにじみ出るプレッシャーが、怖い。
ひたすら怖い。
「これからは気をつけて下さいね?」
吉田の言葉にコクコクと頷く。
「先生は保健室に行って下さい。私が付き添いますから」
「いっ、いや!一人で行けるから大丈夫だ!
この授業の残りはもう自習とす‥‥」
「いいえ、残りは私が引き継ぎます」
「もうっ!それでいいから!!」
半ば泣きながら体育教師は保健室の方に走り去って行った。
「さて、」
ここからは、
「授業を続けます」
どさくさに紛れて授業を奪い取ったヘカテーコーチの授業である。
夜の坂井家、
結局、当初予定していたサッカーを始めた体育(ヘカテーは参加していたから教師役の意味が無かった)も終了し。
『吉田一美を怒らせるな』という認識をクラス皆に植え付ける一日も終わり、後は寝るだけである(今日の夜の鍛練も昨日と同じ)。
「ゴールデンウィークに出かけますよ?」
パジャマ姿のヘカテーが声をかけてくる。
そう、今週末からゴールデンウィークだ。
「ああ、いいんじゃない?
平井さんと何か約束でもしたのか?」
軽い気持ちで了承する悠二。
「違います。見つけたいものがあるので、悠二と一緒に探しに行きます」
「って僕もか!?『出かけますよ』って確定なのか?」
こくりと頷く。
(いや、もういいけど、たまには気を遣って欲しい)
悠二の心中の切ない願いにヘカテーは当然気付かない。
「‥‥で?どこに行くって?」
どうせ予定もない。
「『天道宮』です」
香港から飛び立った二つにして三つの影。
それは、海上に現れた巨大な影によって別れた。
(あとがき)
本作品の吉田一美嬢は、アニメ版特別編のブラック吉田を参考にしています。
参考資料が少なくて厳しいかも。
無理あるとは思いますが、原作のよりブラックの方が好きなのです。
ブーイング覚悟の荒技に出てしまいました。
感想くれる方々、いつもありがとうございます。
モチベーションが湧き出てきます。