後日談。
僕自身も蛇足かとも思うのだけれどもついでということで話しておこうと、気まぐれにそう考えたわけである。
もともと蛇足といって語り始めたこの怪異譚のさらに蛇足とあっては、もはや何の役にも立たないがやたら珍しいことには珍しい蛇足にさらに足が生えたようなもので、一見ありがたみがあるように思えて実のところたいしたインパクトも楽しい感じもあるかわからないのだが、一応である。一応。
その夜。
僕が目を覚ましたとき、そこにはすでにおののきちゃんの姿はなく、僕はひとり北白蛇神社の境内で目を覚ましたのだった。
あたりを見回してみても、暗闇と遠くにさみしく電灯の光があるだけで、あとは小さく虫の音が聞こえるだけだった。
「……おののきちゃん?」
たずねるようにおののきちゃんの名を呼んでみたけれど、しかし返事はなかった。
ことの推移を鑑みて、おののきちゃんが僕をこの境内に運んできたことはほぼ間違いないのだが……
おののきちゃんの返事はなかったが、代わりに、僕の右手に何か握られているのに気がついた。
それは、簡単なメモで、おののきちゃんからの言伝であることが察せられた。
曰く、お姉ちゃん、これは影縫さんのことだろう、に呼ばれていて、早く戻らなければならないということらしかった。それは僕にも納得のできることで、ゆっくり僕とお茶でもしようというわけにはいかないだろう。怪異はやはり怪異側なのだ。
そして簡単に楽しい旅行だったと、僕にもああいった事件がなければおおむね同意だが、しかしその事件ゆえにまったく同意できない感想が書かれていて、そして文章の最後には、この休日のことについては、決して他言しないようにと書かれてあったのだった。
曰く、そのことについて他言すれば、それなりの“対処”をしなければならなくなる。ということらしかった。
うわぁ……
普通にこええな。今回の小旅行について、後悔はないし、まぁ文句自体もないわけで、いずれにせよ、僕自身みだりに言いふらしたりするようなつもりもなかったけど。
北白蛇神社から境内の端へと歩いていくと、山から煌々とあふれる街の灯を見下ろすことはできた。
僕は帰ってきたのだ。
阿良々木暦として、阿良々木家の長男として、直江津高校の学生として、そして手前味噌ながら、戦場ヶ原ひたぎと付き合いのある人間としてである。
#
そういうわけで、さっさと下山である。
3連休中の小旅行だったということだったけれど、結局、1日オーバーした4日後に帰ってくることになった。今日は普通に学校があったはずだし、直江津高校の生徒たちも普通に通学して、今頃は帰宅しているに違いなかった。
一応、山を降りる長い階段を下りているうちに圏内になった自分の携帯電話から戦場ヶ原にメールはしておいたのだけれど、まだ返事はなかった。
なんか、ソワソワするなぁ。浮き足立ってるんだろうか。
「オヤ、あら…… あらじおさんじゃないですか」
「うん?」
聞き覚えのある声に振り返ると、誰もいない、と思ってその下を見ると、ツインテールがピコピコしている少女がこちらを見上げている。こいつも久しぶりである。
「おい八九寺。僕を太陽熱で蒸発結晶させた海塩を日本の海水で再融解して作られる調味料みたいに言ってんじゃねぇよ。僕の名前は阿良々木だ」
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「じゃぁ、かけました」
「阿良々木とあらじおを!?」
一体どんな共通点があるんだ!?
「それにしても、阿良々木さん。どうもさっきから見ていましたが、どうしてお一人で山から下りてこられたんですか?」
「え? あ、うーん。そうだな」
どうやら八九寺はそこらへんのところから僕のことを見ていたらしい。
僕は帰ってきたらまず戦場ヶ原に会おうと心ひそかに決めたりしてたんだけどな……
数日来、久しぶりに会ったからか、どうも八九寺もうれしそうに見えるのは僕の気のせいかな?
それどころか、八九寺の目がそれこそ口ほどに物を言ってくるかのようである。
「おい、八九寺、やめろ、よせ。そんな目で僕にせまってくるんじゃない。くそっ、迫られれば抱きとめざるをえない、だめだ八九寺」
「……阿良々木さん、何を一人で盛り上がっていらっしゃるんですか?」
「うん?」
そこには一人で盛り上がる男子高校生と、それを冷めた目で見上げる幼女の姿があった。
なんだ、僕の幻想か。
疲れてるのかな?
「まぁ、なんていうか。ちょっとした野暮用だよ。聞いたってなんにもならないと思うよ」
「なるほどなるほど。まぁ私としては別に阿良々木さんがどんないかがわしいものを秘密裏に処分しようとも、いまさら引くような余地もないので心配なさる必要もないんですけれども」
「うるせぇよ。人聞き悪いわ」
「いいんですいいんです。最近は単純所持ですら危険だそうですからね。秘密裏になかったことにしておこうというお気持ちもわかろうというものです」
「お前がそれを言うと危険すぎるわ! ていうか違うっつってんだろうが」
こいつ今日は踏み込んでくるな。二次創作でもギリギリだ。
しかし、なんと説明すればいいのだろうか、そこらへんのことを他言すれば、“処分”しなければならなくなる。それがおののきちゃんの簡単な“警告”だったのだが、そこらへんのことが八九寺にまで適用されることになるのだろうか?
まぁしかし、わざわざ言う必要もないことには違いない。
「まぁほんとにさ、野暮用だよ。それより八九寺こそ変わりはなかったかい? 僕がいなくなって禁断症状とか出なかったか?」
「出るわけないでしょう。あなたと一緒にしないでください。それに、そんなに久しぶりというわけではないでしょう。そもそも阿良々木さんと私は昨日だって会ったじゃないですか」
「は?」
「は? って、昨日ですよ。街のほうでしたっけね」
八九寺は何を言っているんだ?
僕はそのころ、この街に、というか日本にすらいなかったのだ。
だから、1日前に、この街で僕が八九寺と出会えるなんて、そもそも有り得ないことである。
それなのに? 昨日僕と八九寺が出会っている?
くらくらと、地面が解けてなくなるような平衡感覚の喪失をおぼえるようだった。
唖然としたような表情をする僕に八九寺が言葉を続けた。
「まぁ、そういう冗談はさてオヒョフフェ……」
笑顔で言葉を続けようとする八九寺の口を、両サイドからムニュっとつまんでアヒル口にしてやる。
おかげで後半は何を言ってるかはわからなかったわけである。
「おい。ふざけんなよ八九寺。まじでビビっただろうが。そういうくだらない冗談言ってんじゃねぇよ」
「ぷはっ。なんですか阿良々木さん。ただの子供のあどけないジョーク、幼ジョークじゃないですか」
「自分で幼ジョークとか言ってんじゃねぇ」
「ははぁ。なかなか厳しいですねぇ阿良々木さん。昨今の幼女規制が厳しいことは聞き及んでいましたが、まさかここにまでそのような余波があるとは」
「そういうことで言ってないよ!? いっとくがな八九寺、僕は常に幼女の味方なんだぜ? たとえ世界が幼女の敵に回っても、僕だけは幼女の側につく」
「いやその物言いもどうかと思いますけどね。しかし、本当に久しぶりですねぇ阿良々木さん。阿良々木さんこそお変わりはありませんでしたか?」
急に話題を変える八九寺だった。
しかし八九寺のような幼女に大事ないかと心配されるのも、なんだか立つ瀬がないって感じだ。
「ああ、まぁ結構いろいろあったんだけどな。ここ数日、ちょっと街を離れてたよ」
「だと思いましたよ。街のどこを歩いても、阿良々木さんの姿をお見かけしませんでしたから」
「じゃぁちょっとさみしい思いさせちゃったか?」
「いえいえ、そういえばこちらでは、どこぞの政治家の事務所に生卵が投げつけられるなんて事件が巷を騒がせていたようですよ。恐ろしい話です。テロリズムにしたって、実に中途半端ではありますけどもね」
「それはそれでちょっと悪質だな。まぁ平和といえば平和なのかもしれないけどさ」
「阿良々木さん、ここだけの話なのですが、その生卵はどこで購入されたんですか?」
「いや僕じゃねぇよ。なんで僕が数日この街から離れて事務所に生卵投げてんだよ」
①
「ははぁ、やはりそう簡単に尻尾を出すつもりはないようですね」
「人聞き悪いこと言ってんじゃねぇよ」
「ではここ数日、阿良々木さんがどこで何をしていたか、詳しく教えていただけますか?」
「うっ、それは……」
「ははぁ、これはますますあやしいですね」
そういってしたり顔で笑う八九寺なのだった。
というか僕のほうは僕のほうで言葉をつまらせてしまったけれど、とはいえ説明のしようもないしな。
②
僕がしばしそういうことを考えていると、八九寺は少し不思議そうに僕の表情をうかがっていたのだが、そんなこんなでとりあえずは舗装された山道を僕と八九寺の二人で下山ということになった。
「そういえば阿良々木さん。数日街を離れていたとおっしゃっていましたが、どこかへお出かけだったのですか?」
スタスタ歩く僕の隣でついてくる八九寺がそうふいに聞いてくる。
「ああ、一人だよ。いや、一人というか、一人と一体かな?」
「ああ、やっぱり」
隣で得心げな八九寺だった。
「やっぱりってなんだよ」
「いや、なんだよっておっしゃいますけど。だって阿良々木さんは友達がいませんからね。だからといって、一人で旅行というのもなんだか趣というものがありますね」
「おいやめろよ、フォローするみたいに言ったら余計かわいそうな感じになっちゃうだろうが。まぁいいんだよ、別に僕は友達ができないんじゃなくて、あえて作ってないんだからな、いつか言ったかもしれないけど、友達なんて増えると人間強度が下がるんだよ」
僕がそういうと、八九寺が歩きながらしたり顔でフフンと笑った。
「まぁまぁ、そういう体ってことで別に私はかまいませんが」
「だからフォローする感じで言うんじゃねぇよ」
「さながら、いち人の侍という感じですね!」
「僕のぼっち感を強調するな。それは七人いるやつだろ!」
フォローされても遺憾だが、例えられてもグサっとくる。男子高校生は繊細なのだ。 したり顔の八九寺が言葉を続ける。
「いやいやしかし、私は安心しましたよ阿良々木さん。もし阿良々木さんが、ほかのどなたかと連れ添って小旅行になど行ってしまわれては、残された戦場ヶ原ひたぎさんがどう出るものかさすがの私にも想像がつきませんからね」
「そういえば八九寺お前、なんで戦場ヶ原が一緒じゃなかったって知ってるんだよ」
「それはもう存じ上げておりますとも、つい先日、私がいつものように街角を歩いておりましたらおみかけしましたから」
「ああそれでか、戦場ヶ原は普段と変わりなかったか?」
「変わりなかったというか、道端で虫眼鏡を持ってかがみこんで、蟻の行列をご覧になっていらっしゃいました」
「戦場ヶ原、あいつ何やってるんだよ……」
#
山道から街へ入って、しばらく歩いてから八九寺と分かれると、そのまま自宅へと向かった。北白蛇神社で目覚めてそうしばらくたっていなかったけれど、空がすでに暗くなってきていた。どうも結構な時間が経過していたようである。
時間だとすでに20時くらいだろうか、実のところ、戦場ヶ原の顔をはやく見たい衝動にはかられていたのだけれど、今から戦場ヶ原の家を訪ねるのはそれはそれで気が引けた。一応メールは送っておいたが、返事はまだない。
そういうわけで、なにはなくともとりあえず自宅へと向かったのだった。
小さな玄関口を通って、玄関の扉を開けると、
「ぐはぁっ!」
突然腹に衝撃が走った。一体何だ?
激しく泳ぐ目を自分の腹へと向けると、白い握り拳が僕の腹に突き刺さっている。
「でややっ!」
「ぐぇっ! ぐほっ!」
僕のでかいほうの妹の声とともに続けざまに1発、2発と立て続けに腹に拳が突き立てられる。何してんだこいつ!
しかし、それはまだかわいいほうだったかもしれない。
玄関から2、3歩下がって、たたらを踏むと、火憐ちゃんの後ろから小さいほうの妹の叫び声が聞こえてきた。
「おりゃああああしねえええぇぇっ!」
バールである。
バールのようなものを持ち上げた月火ちゃんが火憐ちゃんの攻撃にひるんだ僕にかけてきて、思いっきり振り下ろした。
「うおおぉぉっ!?」
さすがにシャレにならない。振り下ろされるバールをバックステップでかわすと、ドオンと音を立てて庭先に突き刺さった。
月火ちゃんはいつからバールキャラになってしまったんだろうか。そんなことを思っていると矢次ぎ早に月火ちゃんの上をジャンプで飛び越えた火憐ちゃんが空中から蹴りこんでくる。
「おいっ! なにすんだよおまえら!?」
眼前まで迫った火憐ちゃんの頭蓋骨を粉砕しかねない蹴りを寸前で頭を横に振ってかわす、実際にこの蹴りでコンクリートくらいは楽に砕く、すると着地した火憐ちゃんがはねるように裏拳をはなってくる。
「しっ! でやっ!」
「ちょっ! やめろ! どうしたんだおまえたち!?」
なぜ大好きなお兄ちゃんに、実際あまり仲がいいわけでもなかったけれど、どういうわけでこいつらはこのような暴挙に出たんだ。
皆目見当がつかない、僕はただ普段から妹たちにキスをしたり、おっぱいをもんだり、ごく一般的なスキンシップをしているくらいなのに。
家の前の道に出ながらそう考えている間にも火憐ちゃんの猛攻が続く。裏拳から左正拳突き、それを横にかわすと今度は逆方向から回し蹴りが飛んでくる。
「殺す気か!」
「問答むよう!」
どこで聞いたのか火憐ちゃんが何かのセリフのようなことを言いつつ、轟音をうならせながら頭部に疾らせる右回し蹴りを僕がしゃがむと、しゃがんだときにはアゴに左拳が下から迫り、ガンという音とともに軽く上に打ち上げられる。
意識が飛びそうになるがなんとか持ちこたえる、しかし体が軽く浮いてしまい、身動きをとることができない。その瞬間にも、火憐ちゃんは肩口から背中を向け、力をためた左足で地面を蹴ってそのまま肩口を僕の胸部に叩き込んだ。
「うぼぉっ!」
変な声が出て、ブワっと僕の体は宙を舞った。
ひと気のない道路の上空を舞い、しばらくしてアスファルトに落下する。
火憐ちゃん、一般人に鉄山功とかやってんじゃねぇよ。半分吸血鬼の半一般人でなければ病院送りである。
「ぐ、ぐはっ……」
僕が地面に激突して、身もだえしていると、玄関のほうから火憐ちゃんと月火ちゃんが駆け寄ってきて、もんどりうつ僕の様子をつぶさに観察して、
「なぁ、どう思う? 月火ちゃん?」
「んー、火憐ちゃんの攻撃をまともに食らってこの程度なら、たぶんお兄ちゃんなんじゃないかな? この丈夫さはなかなかいないよ」
「お、おまえら何を……」
地面に寝転びながら息も絶え絶えに尋ねると、火憐ちゃんのほうが頭をかきながらいった。
「いやーすまねぇ兄ちゃん。実は兄ちゃんが留守にしてる間、兄ちゃんに似ても似つかない野郎から僕はお前らの兄ちゃんだーって電話が来てさー」
月火ちゃんが続ける。
「私たち栂の木二中のファイヤーシスターズとしては、っていうかそうじゃなくても怪しいって思うじゃない? だから次お兄ちゃんみたいな人が家を訪ねてきたら、本当に私たちのお兄ちゃんなのか試してみようってことになったってわけ」
「いやでもさすが兄ちゃんだぜ。私の鉄山功を受けてその程度のダメージですむなんて、むしろ逆にちょっとショックだぜー」
「ていうか人間に鉄山功とかしてんじゃねぇよ」
しかしながら、とりあえずは僕は本当にこいつらの兄ということを示せたようだった。
息も絶え絶えに起き上がると、火憐ちゃんと月火ちゃんがこちらに手を差し出しているのに気がついた。
「え? 何? どうしたんだい二人とも?」
僕に手を差し出した二人が口々に言った。
「え、何って、お土産だよ兄ちゃん」
「そうだよお兄ちゃん。私たちは旅行に行ったお兄ちゃんがどんなお土産を買ってきてくれるのか一日千秋の思いで待っていたんだよ? さぁ私たちがびっくり仰天しちゃうようなお土産を出してお兄ちゃん」
「あ、お土産はないよ。すまんな」
僕の短い返事に、満面の笑みでこちらに両手を差し出した火憐ちゃんと月火ちゃんは互いの顔を見合わせた。
「なぁ、どう思う月火ちゃん?」
「そうだね火憐ちゃん。やっぱり私たちのお兄ちゃんじゃないかも」