朝である。
このハーレンホールドに来てから三日目の朝だった。
ロッジのベッドの中でまどろみながら上半身を起こすと、広めの部屋に窓から朝日が差していた。
結局昨日はレミリアのサイコキネシスで湖畔に投げ込まれたあと、ロッジに戻って軽くシャワーを浴びたあと、レミリアに忍を取り上げられて結局一人で寂しく眠ることになったのだ。いや、普通は一人で寝るもんなんだけど。
ベッドの上で少しおきぬけのけだるさを感じながら隣を見ると、レミリアの逆方向を向いてスースー眠る忍をレミリアがガッチリホールドして健やかに寝息を立てていた。
ていうかこいつ、何の警戒心もなくよく男の部屋で眠れるよな。
まぁ僕がレミリアに何かすることなどまずないし、仮に万が一手を出したところでまたぞろ窓から吹っ飛ばされるのがオチである。
ベッドから抜け出して、隣のレミリアの寝顔を見ると、忍の金髪に顔をうずめながら、まるで桃源郷にでもいるかのような至福のニヤけた寝顔である。
「やっぱりサイコレズじゃねぇか……」
僕は寝息を立てる忍とレミリアのそばで一人でそうつぶやくと、次にちょっとはねた髪をなでつけながらドアに向かった。
ドアのほうに歩きながら、忍とレミリアの眠るベットの足のほうの掛け布団が乱れているのに気がついた。
忍は体が小さいのでまだ体は布団に覆われているのだが、レミリアはというと布団がはだけてふくらはぎまで見えてしまっていた。
「ったく、風邪ひいちゃうだろ」
別に冬季というわけでもなかったので、それほど問題ということでもなかったのかもしれないが、そこはけっこうキッチリしいの僕である。
しかたなしという風に微笑しながら、布団を持ち直すと
「んんっ?」
ちょっと布団を上げるときにレミリアの膝まで目に入ったのだった。ふくらはぎからして、スラっとした、健康的な細足である。
そういえば昨日からレミリアはショートズボンだったのだった。
その健康美的なレミリアの足に思わず目を奪われてしまう。
「なるほどなるほど?」
そこからは興味本位である、布団を賭け直すついでに、布団をペラペラとめくっていくと、やわらかい膝から、ほっそりと、しかし肉付きのいいふとももがのぞき、そして。
「あ、あれ、ちょっと」
気がつくと、布団をペラペラ少しずつめくり上げていた僕の体は、部屋の中空にフワフワと浮かび上がっていた。
僕は体をジタバタさせるが、ばたつく脚は床にかすりもしない。
僕が顔を上げると、ベッドの上のほうで目を覚ましていたレミリアが、掛け布団を胸元まで引き寄せて、ワナワナとした表情で僕を強く見つめているのだった。これはまずい。
「おい、レミリア。ちょっとまてよ。落ち着け。別に他意はないんだ、布団をかけ直そうとしただけで」
そういいながらも自分でもそれは無理のある申し開きだと、そう自覚せざるをえなかった。右手にパンツをつかんで無実を叫んでいるようなものだった。レミリアはおきぬけにもかかわらず、今にも噴火しそうな様子で。
「朝から何してるんだこのロリコンやろおぉぉぉぉ!!」
と、ほかの誰に言われてもお前には言われたくねぇよというようなことを叫びながら、僕の体はひとりでに開いた窓から高速で射出され、今度は50M先の澄んだ湖畔に3回ほど水切りしてゴボゴボ沈んでいったのだった。
#
「あはは、朝から水泳なんてコヨミは元気だなぁ」
「ま、まぁね。元気が有り余っちゃってさ」
その後、湖から上がってシャワーを浴びたあと、メアリーに誘われてロッジの裏庭でレミリアの格闘訓練に付き合っていた。
今日はこのエクソシスト学園、レメンタリークアッズの生徒たちのトーナメント戦、コロッセオが行われる日である。
メアリーは、意気消沈してコロッセオを辞退しようとするサリバンに代わってコロッセオに出場するということだった。なのでその準備運動も兼ねてである。
「大丈夫なのかよ。ほかの学園生たちは剣とか獲物を使うんだろ?」
「そうだね。とはいえ私も手甲や脚甲はつけるよ」
「まぁそれならいいっちゃいいもんなのかな。でも結界だけで肉弾戦で勝算とかあるのかな」
「どうかな。でも勝つか負けるかじゃない。やるかやらないかだと私は思うよ」
「そういうもんかね。気持ちはわからんでもないけどさ」
僕とメアリーは拳打や蹴りを応酬しながら話していた。昨日の新聞は、サリバンだけではなくトパンズの生徒たちにそこそこの精神的なダメージを負わせているらしい。メアリーはサリバンの代わりにその雪辱をそごうとしている。それ自体は僕も応援している。
「しかしお前は結構情に厚いところがあるんだな。僕はてっきり戦闘のことしか頭にないんじゃないかと思ってたけどさ」
「うん? だいたいそうだけどね」
メアリーは僕のハイキックを左手で受け止めながら、キョトンと意外そうな顔をして続けた。
「正直、ほかの人間なんてどうなろうがどうでもいいんだよ私は。あんまり他人に入れ込みすぎると身動きが取りづらい、それは自由じゃないからね、好ましくないと思うな。でもサリバンたちは特別なんだよね。私は勝手にあいつらのことを家族だと思ってるんだよ」
他人に入れ込みすぎると身動きが取りづらいか、それは僕にも大いに納得できることだった。友達を作ると人間強度が下がる、このバトルジャンキー女との意外な共通点だった。
確かにな、昨日の夜を思い出しながらそう思う。もしメアリーがところかまわず友人を作っていたら、もしかしたら何かのいさかいをきっかけに誰か殺しちゃうかもしれないもんな。まぁこの学園においては結界術があるのでそういうことにもならないんだろうけど。レミリアがメアリーに秘密をもらさないように言っていたのも今なら同意できる。
「僕もいいやつらだと思うぜ」
「そうでしょう? コヨミもどうだい? レミリアなんて、義理の妹にしたい人は学園にもたくさんいると思うよ」
「え? 僕がレミリアを義理の妹にかい?」
あのクレイジーサイコレズのレミリアである。
まぁ確かに学園内でのあいつの小動物ぶりや、外見的なかわいさは学園の生徒たちにファンクラブを作らせてしまうのはわからないでもなかった。
それに悪いやつでもない。メアリーはサリバンやマットやレミリアにえらく入れ込んでいるが、あいつらが愛される資格はあるといってもいいんじゃないかと思う。
しかし、レミリアにそんなことを言うのはどうにも照れくさいことだ。
メアリーの問いに、僕は冗談っぽく笑って答えた。
「レミリアが頼むんなら僕はやぶさかでもないけどね。でも僕からはやめとくよ、身が持ちそうにないしな」
「だ、誰が頼むかっ!!」
ロッジのほうからそういう叫び声が聞こえ、ついでボコっと僕の頭におたまがヒットした。
調理器具のおたまである。
メアリーと僕がそちらを振り向くと、おたまを投げ終わった体勢のレミリアが目に入った。
「メアリー! そんな変態ロリコン野郎におかしなこと持ちかけないでよね! そんなの私だってお断りよ!」
「またまた。そんなこと言ってまんざらでもないんじゃないの?」
「そんなわけないでしょっ! 今朝ご飯作ってるから、もうしばらくしたら切り上げて戻ってきてよ!」
レミリアがロッジの裏口のそばで、メアリーにそう強く言った。
メアリーがわかったよと応えると、レミリアの後ろから忍がひょこっと顔を出し、こちらにとことこ歩いてきた。
すると、それを引き止めるようにレミリアが
「忍ちゃん。今おいしいポトフを作ってるんだけど、一緒に作らない? 味見とかしてよ」
と言うと、忍は無言のままで綺麗に反転してレミリアと一緒にロッジに入っていったのだった。
あいつめ……
「コヨミ。まだやれるかな?」
「ん? ああ、ぜんぜんいけるよ」
その後も、僕とメアリーは格闘訓練をしばし続けたのであった。
#
「ふ~っ。お腹減っちゃったよ。レミリア?」
僕とメアリーは、その後しばらく格闘訓練を続けたあと、時間を見計らっていったん休憩を入れ、ロッジのダイニングへと入っていった。
メアリーがそういってレミリアを呼ぶ。
ダイニングには、レミリアの姿はなく、ダイニングのテーブルで二つおかれた朝ごはんの片方を食べようとする忍の姿があった。
「おい待て忍。どう見てもそれは僕の分だろ。どう考えてもお前は味見しまくってるんだから僕の分は残しとけよ」
「……」
忍は僕のほうをしばらくじっと見ていると、次に再びポトフにスプーンを運んだ。
僕は機先を制してその手をガっとつかむと、両手をつかんでイスから引き剥がした。
「レミリア? レミリアー?」
メアリーはダイニングから入って、姿のないレミリアを探して階段のほうに頭が隠れている状態だった。
「のうお前様よ」
忍が興味なさそうにイスに座った僕に声をかけてきた。
テーブルでは、パンやサラダが並べられており、ポトフがホカホカと湯気を立てている。
「どうした? いっとくが半分までしかやらんからな。そこは僕の絶対防衛ラインだ。譲れないね」
「違うわい。あのレミリアとか言う娘、先ほど玄関のほうから誰か男が尋ねてきて、一緒にどこかへ行ったようじゃったぞ。まぁワシにはどうでもいいことじゃがの」
ゾワリ、と喉が緊張するのを感じる。
昨日の今日で、レミリアが誰かに連れ出されたのか?
それも、メアリーに何も言わずだ。有無を言わさずレミリアを連れ出したとしたら
「なぁ忍。その尋ねてきたやつはどんなやつだったか覚えてるか? 何を言ってたかわかるか?」
「うーん」
急かす僕に、忍は思い出すようにうつむき、はっと何かを思い出したようにして顔を上げた。
「そうじゃの。確か言葉端にアイリー・レオニードがどうとかと聞いたがの」
「まじかよ……」
それを聞いて、僕は手付かずの朝食を置いてダイニングのイスを立った。
#
忍が言うには、そのほかに、科学棟、と言う言葉も漏れ聞こえたらしい、できれば忍には、その男が尋ねてきたときにレミリアをとめて欲しかったけれど、さすがにそれは無理か。
ダイニングの席を立った僕は、忍にそこまで聞いて、レミリアがロッジにいないことに気づいたらしいメアリーと一緒に、しかしアイリー・レオニードの名前は出さずに学園の科学棟を訪れていた。
まだ早朝ということもあり、校舎の周りには生徒はほとんどいなかった。僕とメアリーがここまで来るのにランニングする生徒に2、3人すれ違ったばかりである。
「レミリア! レミリアー!」
科学棟の近くまで来たところで、メアリが大きな声でレミリアの名前を呼んだ。
もしかしたら、またあの交霊室のようなことになっているのだろうか。
いや、考えながらその疑いは却下した。
今のレミリアなら、あのサイコキネシスを使えばあいつをどこかに監禁することはおそらくできない。
では、レミリアはどこにいるのだろうか?
そもそも、なんでこんな時間にレミリアが呼び出される必要があるのだ。
叫びながら歩き回るメアリーの隣で昨日のことが思い出される。
北西の森のあの“ホール”で、ルシウス・ヴァンディミオンはレミリアに求愛した。
結果的にそれは不調に終わったが。それをあのダイアスの女王、アイリー・レオニードの耳に入ったとしたら。
夜があけてすぐのこの時間帯だということは、焦燥感をにわかに募らせた。
しばらくレミリアを探しているときである。
科学棟の中庭を歩く僕とメアリーの行く手に人影がさえぎった。
「あらぁ。トパンズのみなさまではありませんの。ンフ、ンフフ」
ゆったりとした口調に淫蕩な笑い声。
その顔を確認するまでもなく。そこにいたのはアイリー・レオニードである。
なんでお前がこんな時間にここにいるんだ。
僕がそう尋ねる前に、僕の隣にいたメアリーが飛び出した。
「ひぃっ!?」
アイリー・レオニードが短く悲鳴を上げた。その間にもメアリーはさらに地面を強く蹴ってアイリーに疾走する。
僕はメアリーに彼女のことは告げていない。
しかし、レミリアが何も告げずに消えた点、こんな早朝にレミリアが消えた科学棟にアイリー・レオニードがいる点、もろもろ考え合わせると、やはりそのピースの交差点上に彼女が浮かび上がらざるをえない。
「おい、メアリーやめろ!」
あわててメアリーを静止する。
その声は届いただろうがメアリーは止まらなかった。走りながら、すでに左手を振りかぶっている。
しかし、メアリーのこぶしはアイリーを打たなかった。
アイリーに肉薄したメアリーは、しかし、その直前でピタリと動きをとめていた。
見ると、メアリーの首元に、朝の陽光を反射してギラつく白刃が突きつけられていた。
いつのまにかに、本当に気がついたときに、そこに急に出現したかのように、あの“山犬部隊”の第七席、アルザス・クレイゲンがメアリーの目の前に立ちはだかり、抜き去った長剣をメアリーの喉下に突きつけたいたのだ。
それ以上進めば、メアリーの首ははねられていたに違いない。
「メアリー。やめろ、ひけ。証拠もないんだ」
「……」
僕もメアリーをなだめるようにそういった。
“山犬”アルザス・クレイゲンは、何の感情も見せず、しかしメアリーを厳しくねめつけている。
メアリーは、しかし、数拍の間をおいて、ザッザと後ろに下がった。
その状況を把握したアイリーが笑い声をもらした。
「ンフ、ンフフ。よかったですわね。あなた。もし私に手を出していれば、それこそただでは済ませなかったでしょうね」
クスクスと笑うダイアスの女王に、メアリーの代わりに僕が尋ねた。
「なぁアイリーさん。あんたがこんな時間になんでこんなところにいるのかは、この際いいとして、僕らはレミリアを探してるんだよ。あんた、もしかしてレミリアがどこにいるか知ってるんじゃないか?」
「レミリア? レミリア・ワゾウスキさんですの?」
ダイアスの女王は、僕の質問をはぐらかすようにクスクス笑い。
次に科学棟の一角を指指していった。
「ンフフ。そういえば、011室あたりで、彼女を見たような気がいたしますわ」
011室。中庭から、アイリー・レオニードが指差したのがその部屋なのだろう。
僕とメアリーが、アイリーが指差したその3階くらいにある011室を遠目に見たとき。
それにちょっと間が開いたあと、アイリーが指差したその部屋の壁面が轟音とともに大爆発した。
「なっ!?」
その轟音と、その部屋の爆発で壁が吹き飛び、朝の空に立ち上がる爆炎に思わず身構えて声が絞り出された。
遠目にその部屋の壁を全壊させメラメラと巨大な炎が噴出している。
「まぁ~」
僕ははっとしたように、目の前のアイリー・レオニードを見た。
彼女はその炎を驚いたように見ると
「なんでしょう。でも、とても美しいですわねぇ」
と、まるでウットリするようにその炎を見ながら言った。
ちょうどそのとき、僕の近くで炎のような熱気が発生したかと思い、次にメアリーがいないことに気づいた。
あたりを見回していると、次に、その教室からメアリーの叫び声が聞こえてきた。
「コヨミ!! 救急車を呼んで!! レミリアが、救急車を!!」
「わ、わかった! 番号を教えてくれ!」
「ンフ、ンフフフフ」
どうもその爆発が起こった教室にレミリアがいたらしい。しかも、状況はよくないらしかった。
急いでズボンのポケットを探る僕の後ろで、アイリー・レオニードの淫蕩の笑い声があたりに響いていた。