「悪いおののきちゃん。ちょっと遅れたかな」
僕がかけあしで、このエクソシスト学園、レメンタリークアッズの横広の校門へと向かうと、そこにはいつもの格好のおののきちゃんが、一人でチョコンとたっているのがわかった。
校門の周りも学園の学生がたくさん往来していて、その中に混じって一人8歳ほどの背丈の童女がいるとなかなかに浮いて見える。
「そんなことないよ、鬼いちゃん。僕には鬼いちゃんを待つ時間すらも楽しいものだよ」
僕が声をかけると、先ほどまで微動だにしていなかったおののきちゃんが僕をやや見上げ気味にするようにしてそういった。
「別に僕たち恋人じゃないけどな。あんまり待たせてなかったようならよかったよ」
忍はどうやら僕の影の中でまた眠ってしまっているようである。
僕とおののきちゃんは、そのまま二人で坂を下りハーレンホールドの街へと向かった。
「鬼のお兄ちゃん、何か言いたそうだね。遠慮せずに言ってくれてかまわないよ」
「え、そう?」
ハーレンホールドの街は、5年大祭で相変わらずにぎやかだった。広い街道には露天がひしめき、僕とおののきちゃんの隣を子供たちが大騒ぎで走って通り過ぎていった。
通りの向かいでは、ピエロに扮した芸人のような人たちが通行人たちにおどけながらねりあるいている。
昨日爆破テロなどがあったのをものともしないようだった。人的被害はかなりおさえられていたようではあるのだが。まぁ、そういうものなのかもしれない。土地柄っていうのもあるかもしれないし。
おののきちゃんは、午前中はハーレンホールドの街を調査していたハズである。
一方僕はレメンタリークアッズで”存在移し”の痕跡を探ってみたが、どうも自由参加授業に”存在移し”が現れた様子は伺えなかった、一応、耳をすませてはいたのだが”アララギコヨミ”の名前を聞くことはなかった。
おののきちゃんは、僕と隣に歩きながらいった。
「いや、鬼のお兄ちゃんが言わなくても、だいたいわかるよ。なんで僕が裸エプロン姿ではないのか、そういうことが言いたいんだろう?」
「いわねーよ。僕はどういうことで頭がいっぱいなんだよ」
「え、違うの? そんな、バカな……」
「まじめに愕然としないでくれよ。傷つくだろ」
「そうはいっても、鬼いちゃんがどうしてもやれというのなら、泣いて頼むのなら、今からでも裸エプロンになるのもやぶさかではないんだけどね」
「意外とハードル高いぞそれ。ていうか街角で幼女が裸エプロンなんてしてたらすぐ警察がすっとんでくるよ」
「かわいい僕はその点もぬかりがないのさ。そういう場合は、鬼いちゃんを速やかに突き出すんだけどね」
「いや僕捕まってるじゃん! 牢屋にぶち込まれちゃってるじゃん!」
「まぁまぁ、それも貴重な経験ってことでさ」
「そんな経験はないに越したことはねぇよ!」
ていうかどんな罪に問われるんだろう。
街頭で幼女を裸エプロンにする罪。
いや、絶対に僕自身が確かめたいとは思わないけど。
「そうじゃなくてさ。おののきちゃん。”レオニードの鍵”のことや”樹魅”のことだよ。レオニードの鍵をなんであいつが持ってるのか突き止めないと、”祟り蛇”がどうにもできないんだろ?」
「いきなり核心つくじゃないか。確かに、不死の祟り蛇がハーレンホールドを襲うなんてことになったら、どれだけ被害がでるかわからないよ。でもだからって避難命令を出すということにはなってないみたいだ。そもそも、防衛戦力においてこのハーレンホールド以上に確かな場所なんてよっぽどないからね。ハーレンホールドの威信にかけても防衛しきるというのが上層部の決定だよ。まぁもともと外部と隔絶しちゃってるから、それしかないっていうこともあるんだけどね」
「へぇ、それで団結できるなんて、信用されてるんだな。信じるものは救われるみたいな価値観っていうのかな」
「一応、それだけ戦力を集めてる場所だからね。でもボクは信じるものは救われるなんて価値観のほうは信じないかな。信じるものは救われるということは、逆に言えば信じないものは救わないってことだよ。そんな狭量な巨視的な存在はずいぶんと矛盾してはいないかい。まぁボクは憑喪神人形だから、そもそも神が救う救わないどうのっていう枠外だろうけどね」
「そういうもんかね。まぁハーレンホールドの自警団がかなり大規模だってのはなんとなく僕にもわかったよ」
「北西のハーレンホールド本部ビル周辺は、認識結界で付近に近づけないようになっているようだよ。そこらへんはさすがに対応が早いよね。”樹魅”のほうは、やっぱり北西の森に相変わらず潜伏しているらしいね、こっちは今日の夜に”山犬部隊”が山狩りを行うから、とりあえずそっちに期待ってところかな」
「ハーレンホールドの本部ビルを壊しただけじゃないのか」
思わずため息がもれる。
しかし、それで姿を消されないということは、僕たちが”存在”を取り戻すチャンスがあるということだ。
「そういうことだね。北西の森で”樹魅”は何かやっている。あるいは何かを待っているのかもね」
「しかも”祟り蛇”まで森のどこかにいるんだよな」
あの森には絶対に近づきたくねぇ。
「もうひとつ、”レオニードの鍵”についてだけど、こっちは相変わらずお手上げだったよ。ハーレンホールドの自警団でもこれは最優先事項として調査されてて、現存のレオニード家の28人にもストレステストっていうのかな、改めてレオニードの鍵が流出した形跡がないか入念に調べられたそうだけど」
「ああ、それでかな。学園のほうでアイリー・レオニードを見かけなかったよ」
「でも、やっぱり誰の”レオニードの鍵”も流出してないってことがわかるだけだったんだよね」
「でもさ、樹魅はレオニードの鍵を持ってるんだろう?」
「ああ、それはもう間違えのないことさ。”祟り蛇”を不死たらしめて、レオニードの鍵を使った呪殺まで呪詛返ししたんだから、そうだとしか思えない。幸い、レオニード家の秘中の秘だという呪殺の組成式までは知らないみたいだから樹魅が呪殺まで使えないっていうのはまだましだといえるけどね」
「そこはたいした問題じゃないような気もするけどな。もうかなり殺されてるよな」
「そうだね、自警団の発表では384人やられてるってことだよ」
「とんでもないな」
昨日一晩でそれである。
自警団の本部ビルが、一夜にして樹木の根に幾重にも貫かれ、その中の人間は一人残らず殺されつくした。
もう今すぐにも逃げ出したかった、しかし”存在”なしにそれはできない。
こんな状況でも、表情ひとつ変えないおののきちゃんがいつにもまして頼りがいがあるように思えてくる。
「え、なに? 鬼のお兄ちゃん、なんだか目線に熱がこもってるように思うよ」
「そうかな? まぁ正直言うと結構期待しちゃってるんだろうな」
「仕方がないなぁ。まぁ僕はかわいいからそれもわからないでもないけどね。でも夜まで待ってよ鬼いちゃん」
「たぶんおののきちゃんが思ってることと違うと思うぞ! いや絶対に違うね!」
変にキョドりまくる男子高校生の姿がそこにはあった。
完全に僕なんだけど。
「それで、これからの予定とかってあるのかい?」
「ああ。まぁ雲をつかむような話ではあるんだけど、とりあえずレオニードの鍵について探る必要はあるから、レオニード家の周辺を探りを入れてみようと思うよ。だからこれからレオニードの屋敷に向かおうと思う」
#
レオニードの屋敷に向かう。
そういったおののきちゃんが向かったのは、しかし、このハーレンホールドの中央部だった。
僕はかすかな疑問を抱きながらおののきちゃんの隣を歩いていたが、最終的にハーレンホールドの中央に立つ100メートルくらいありそうなビルへとたどり着き、そこがレオニードの屋敷なのだと伝えられた。
「や、屋敷?」
屋敷というから、僕はまたえらく大きな敷地の中の由緒正しい木造の屋敷を想像していたのだが、おののきちゃんが入っていくこのレオニードの屋敷は、屋敷というか、完全にビルだった。このビルがすべてレオニード家の所有物なのか?
「どうしたの鬼いちゃん? 一応、許可はとってあるから入っても銃殺されないから安心してよ」
「あ、うん。ていうか今の話で逆に不安になったけどね」
レオニード家はこのハーレンホールドにおいて絶対だというのはどうやらダテではないらしい。
このハーレンホールドの中心部に位置するレオニード家のビルは、やはり厳重に守られており、自警団でもなければ入ることもできないようであった。
警備員が二人で囲んでいる入り口のエントランスから入ると、一階の広いロビーに入った。
その広いロビーの中央には、3メートルほどの高さの男の石造があり、右手に大理石でできた槍をかまえて僕たちを向かえた。
「あ、その石造動くからね」
「えっ、まじで!?」
「うっそぴょーん。いぇーい、ピースピース」
と言っておののきちゃんは横ピースしてみせる。もううざいとか通り越して心臓に悪い。
「あ、でも動かないのは僕たちが許可をとっているからであって、緊急時には動くよ」
「やっぱり動くのかよ……」
その石造の両脇の壁には、肖像画が並べられている、おののきちゃんはそれをさして
「あの肖像画は、レオニード家の歴代当主のものだね」
「へぇ……」
レオニード家は3千年から続く家系だということらしかったが、その広い壁にかけられたレオニード家の頭首の肖像画は最初はシロクロで、途中から油絵になり、最後のあたりは写実的な絵画となっていた。
最初のほうはシロクロだからわからなかったが、レオニード家の頭首はだいだい白髪であるらしい。
「でもレオニード家の家系の最初のあたりには、赤い髪の頭首もいたそうで、その人たちは中でも特に霊力っていうのかな、そういう力に秀でていたらしいよ」
おののきちゃんが補足して言った。
そういえばレメンタリークアッズのダイアスの女王、アイリー・レオニードは赤い髪だったことを思い出した。わざわざ”山犬”の護衛がつくのもそういった事情もあったのかもしれないな。
一階のロビーでしばらく待っていると、しばらくして黒いスーツの老人が歩いてきて僕たちをエレベーターへと通してくれた。
エレベーターが上昇する加重感にしばらく浸っていると、隣でおののきちゃんが
「とりあえず、ちょっと前に怪死したっていう筆頭執事の部屋でも調べてみようかなってことでさ。正直いまさら何か出るとも思えないんだけど一応ね」
とこっそりと伝えてくる。
エレベーターの入り口のところに立っている老執事は、しかし何の反応も見せる様子はない。
チン。とエレベーターが指定の階についたことを告げると、エレベーターを出てその老執事に、怪死したという筆頭執事の部屋へと案内してもらった。
エレベーターから出ると、装飾華美な廊下には赤い絨毯がしかれ、ところどころに彫刻やら壺やらがおかれている。まるで王族か何かである。こんな家に住んでる人間なんてビルゲイツかジョージソロスかなんとかみたいな大富豪とかくらいだと思っていたけど、いや正確にはそこまで思ったこともなかったが、レオニードは資産においてはおそらくそういう範疇なのだろう。
老執事に通された部屋は分厚い木彫りの扉だった。
その扉を開けると、しかし、それまでの様子と比べるとややこじんまりとした、しかし十分に広い部屋に足を踏み入れた。
ここが、数ヶ月前に怪死したという筆頭執事の部屋であるということである。
「というか、よくそのまま部屋ごと保存しておこうって気になるよな」
部屋を見渡しながら一人つぶやく、広い部屋には、割と古めかしい丁度や、本棚に上から下まで羊皮紙の本から最近の本までそろっている。
部屋の隅にある木製の大きな机は、レオニード家の筆頭執事が使っていた机だろう。
「レオニード家の屋敷だからね。そもそも部屋なんて有り余っているんだろうよ」
おののきちゃんがそういって、部屋のソファにポフポフと座った。
「いい椅子使ってるね」
ここでレオニードの筆頭執事が怪死していたとのことである。
「なぁ、おののきちゃん。その筆頭執事はどうやって死んでたんだっけ」
「うん? たしか、この部屋で全身の血をぬかれたように、干からびて絶命していたということだよ。それこそ、吸血鬼に血を吸われたようにね。密室の状態だったらしいよ」
「吸血鬼か……」
吸血鬼でも、あるいは可能だったかもしれない。吸血鬼でも、なかでも上位のものになれば、霧になることも、影になることも、闇になることもできる。
それならばこのような木製の扉であっても、それこそザルを通り抜ける水のように突破することはできるだろう。
「とはいっても、ただの扉でもないんだけどね。ここがレオニードの屋敷だということを忘れないでね。この扉にだってそれなりの結界は張られてるんだよ」
「なら窓からとかはどうかな?」
「それもどうかな。狙撃にだって気をまわしてるからね。コウモリが窓のそばまで来たからと言って、素直に招き入れるってこともないと思うけどね」
「んん、そうか……」
つぶやいて、おののきちゃんが座る反対側のソファに身を沈めた。確かに座り心地がよかった。
この部屋でその筆頭執事が怪死していたのである、全身を干からびさせて。
ソファに身を沈めて天井をぼんやりながめながら、昨日の悪夢が脳裏によぎった。あの自警団本部ビルの死体。
「なぁおののきちゃん。このレオニード家の筆頭執事、”樹魅”が殺したって可能性はないかな?」
「うん? あのファッキンアナーキストがかい?」
「あんまり汚い言葉を使うのはよくないよおののきちゃん」
「ごめんごめん、大目に見てよ。ここはノー罰金でお願いするよ」
「うまいこと言おうとしてんじゃねぇよ。ていうか僕らの間で罰金とか初めて聞いたわ」
「見てご覧よ。この部屋はいいものしか使っていないよ。そういう意味ではノー百均だよね」
「無理矢理だぁぁぁ!!」
話の腰を全力でサバ折りされた感じだ。
「それで鬼いちゃん。何を言おうとしていたのさ。続きをどうぞ」
「あ、ああ、”樹魅”だよ。全身を血を抜かれたように死んでいるっていうのは、昨日自警団のビルで見ただろ? そういう殺し方なら、吸血鬼だけじゃなくて、”樹魅”にだってできたはずだ」
「確かにそれは可能だろうね。でも問題なのは、レオニードの筆頭執事が殺されたのが、まさにこの部屋だってことだよ。”樹魅”についてはわからないことのほうが多いのは事実だけどさ。あいつにレオニードのビルのこの部屋の前まで、誰にも見つかることなく忍び込むことができるかな?」
「ああ、確かにそりゃそうだな。いや、でもさ。”存在移し”が力を貸していたらどうかな?」
「ん。その可能性があったか」
おののきちゃんは、ソファに座ったまま、人差し指で自分のアゴをつつくようにして、天井あたりにしばらく視線を泳がしたあと続けて言った。
「例えば”樹魅”がこの屋敷の執事の誰かの”存在”でも移されて、この筆頭執事の部屋の前まで来て、あいつのあの”樹”を扉の前からこの部屋の中に伸ばして、筆頭執事の体液を吸い尽くした。なるほど、いろいろ気になるところはあるけど、可能性として不可能ではないかもね」
あくまで可能性でしかないが、もしレオニード家の筆頭執事を殺したのがあの”樹魅”だとすれば、あの怪異は数ヶ月前から計画を進めていたということになる。
しかし、それならその理由はなんだ? なぜレオニード家の筆頭執事は殺されなければならなかったんだ?
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僕とおののきちゃんは、その後レオニード家の屋敷、というかレオニード家のセントラルビルを出て、しばらく5年大祭でにぎわう街頭を二人で歩いているところだった。
おののきちゃんが尋ねたところでは、数ヶ月前から複数人の使用人の出し入れはあったらしく、存在移しが介入することは比較的容易であると推察されるということだった。
しかし、レオニード家の筆頭執事が殺された理由はもうひとつわからなかったし、レオニードの鍵をどうやって樹魅が入手したかもいまだにつかめていなかった。
ただ二人で歩くにはせっかくのお祭り気分だったので、近くの露天でりんご雨を二つかって一つをおののきちゃんに渡し、もうひとつを僕がかじりながらそこらへんの話をしていたのだった。
「悪いね、鬼いちゃん。でもここらへんでフランクフルトやチョコバナナを渡してこないところは詰めが甘いよね」
「お前は僕をどんなやつだと思ってるんだよ」
そこらへんでちょっと迷ったけど、どうせ突っ込まれるのであえてりんご飴を選んだことは言わないでおいたのだが。
というかおののきちゃんの思ってるままのやつだった。あえていうなら僕の気の小ささを勘案していなかったというところである。
「しかし、やっぱりもうひとつ決定打に欠けたよね。ここは今夜の”山狩り”に期待を寄せてみようか」
「あ、ああ。そうだね」
このハーレンホールドの北西の森である。そこに潜伏していると思われる”樹魅”をこのハーレンホールドの自警団の上位部隊”山犬部隊”が総出で狩り出すということだが。
「おや、ハネカワ・コヨミ君じゃないか」
どこかから、僕を、いや、僕の偽名を呼ぶ声、その声がするほうを見ると、少し目線の下から僕の名前を読んでいたのは、レメンタリークアッズのルビウムの男子生徒、ティリオン・ラニスターだった。
僕がちょっと声がするほうを探して、背の低い彼を見つけて目線を下げると、ティリオンは薄く、自嘲気味に笑った。
「正直、君のことを探していたんだよ。もしよければでいいんだが、これから少しいいかな。おごらせてもらうよ」
「え? 僕に? ええと、それは……」
おののきちゃんのほうを見ると、おののきちゃんはちょっと考えて、
「ボクのことならかまわないよ。それじゃぁ、鬼いちゃんに携帯電話を渡しておくから、それで連絡をとってくれればいいよ」
「ああ、了解したよ」
「聞いていると、どうやら大丈夫そうかな?」
横からティリオンが尋ねた。
「ああ、付き合わせてもらうよ」
「それじゃぁ立ち話もなんだから、近場のカフェにでもいこうか」
#
おののきちゃんと一時分かれて、このルビウムの男子学生、ティリオン・ラニスターとカフェテリアに入店し、奥の席のテーブルに着席すると、しばらくしていったん席を立っていたティリオンが戻ってきて席に座った。
ティリオンの背丈は、相変わらずおののきちゃんの背丈よりもさらに小さい。イスの背もたれに隠れながらティリオンは軽くイスを引いてそのイスに座った。
「さて、ハネカワ君。このハーレンホールドはどうだい? 楽しめてはいるかな?」
ティリオンは注文して運ばれたコーヒーをスプーンで混ぜながら言った。
「もしかしたら、ハーレンホールド、クアッズの風土には多少のカルチャーギャップのようなものを感じているかもしれないと俺なりに危惧もしているんだよ」
「そうだったのか。心配してもらって痛み入るよ。でもいいところだと思うよ」
僕がコーヒーを飲みながら言うと、ティリオンは片まゆを持ち上げて乾いた笑いをもらした。
「ハハハ、それはありがたい。ここは俺の故郷でもあるのでね、そういってもらえると正直悪い気はしない。それにハネカワ君は、存外胆力もあるようだ。ハーレンホールドはいい土地だ。それも平時においてはもちろんそうだろう。しかしそれは自警団の本部ビルが半壊した今でもそう思ってくれているのだな」
僕のコーヒーを持ち上げていた手がピクリと止まる。
クアッズの生徒たちは、それを知らないようだった。しかしこの目の前の小男は、どうやらそれを知っている。
ティリオンはそういう僕の内心を察したようで、
「ハネカワ君のいいたいこともわかるよ。確かにハーレンホールド中に、昨夜の事件の真相については徹底して戒厳令が敷かれているし、半壊した自警団本部ビルには認識結界が今もはられて関係者以外立ち入れないようにすらなっているそうじゃないか。まったく恐ろしい話だ、俺がラニスター家の人間でなければ、やはり今頃、アホ面さらして5年大祭の熱気にうかれていたに違いないのだ」
「なるほどそうか、あなたのようなラニスター家の人間のような一部は例外なんだな。もしかして、昨日のことで僕に何か用でもあったりするのかい? でも悪いけど、あんまり役には立てないんじゃないかな」
僕が言うと、ティリオンはくっくと忍び笑いをもらしながら、右手をあげて僕を制するようなそぶりを見せた。
カフェテリアの店内はオレンジのやわらかい光に、店の手前では多くの人がにぎわい、店員がせわしなく店を行きかっている。
「いいんだ、いいんだ。どうか気をもまないでくれよ、親愛なる君。正直なところ、俺はこのことについて誰にも話すことができなくてね。実際けっこう寂しい思いをしているんだよ。俺の小さい体はこれ以上身を小さくしようもないのにね」
「ああ。それもそうか。本当なら大ニュースになってるようなものだもんな」
ティリオンはイスに座った小さい身体で、コーヒーのカップを傾けると、そのコーヒーの苦味を少し舌の上で転がして話を続けた。
「大ニュース。ラニスター家はそれどころではないよ。なにせラニスター家の”天剣”がやられたんだからね」
「ああ、そうなのか。ティリオン、なんていえばいいのか……」
ティリオンの小さな身体からは慙愧の念が隠さずもれだすようだった。
僕はそれになんと言えばいいのかわからない。そして同時に、ティリオンの兄であるという山犬部隊第三席”天剣”サー・ジェイム・ラニスターが”樹魅”にやられたということのどこまでを知っていることにすればいいのか、内心で注意しなければならない。
「ジェイム兄さんは、そこらの天才のくくりで捉えられる人ではなかった。一匹で小さな街ひとつを消し去ってしまうような悪鬼を100体相手にしても、傷ひとつ受けずにすべて切り伏せてしまった。あの兄さんがやられるなんて、実を言うと俺は今日まで想像だにしたことがなかったのだ。まったく、世の中には知らないことばかりだよ」
「ああ、僕もそう思うよ」
知らないことばかりだ、ティリオンの言うとおりだ。
そして僕や目の前でスプーンを握るこの小男がやはり知らないことがこのハーレンホールドを訪れてもいる。
”樹魅”、”不死の祟り蛇”、”レオニードの鍵の流出”、”存在移し”、そしてさらにそれ以外。ティリオンはどこまで知っているのだろう?
「本当のことを言うとだな、俺はこの手でジェイム兄さんをやった”もの”を八つ裂きにしてやりたいと思っている」
ティリオンが右手に持ったスプーンは簡単に粘土のようにひしゃげてしまっている。
「だがしかし、兄さんがやられるようでは、おそらく俺が数万の怒れる津波となってその”もの”に殺到しても、平穏な波のように乗りこなされてしまうのだろうな」
そういって、ティリオンは自嘲気味に肩をすくめ、そこで右手のひしゃげたスプーンに気づき、
「おっと。これは弁償しておかなければな」
とこともなげにつぶやいた。
「ティリオン君。彼がそうか?」
ティリオンを呼ぶ声は、しかし別の誰かだった。
ティリオンが彼を呼ぶ声に気づいて後ろを向いて席を立って、そちらを確認し次に僕にいった。
「ハネカワ君。君は嫌いではないが、実は俺は君を探していたんだよ。ちょっと頼まれてね。俺のほうは、神にかけて君を疑う気持ちは微塵もないのだが。少しこの方の質問に付き合ってほしい」
席をたったティリオンと入れ替わるように、ティリオンの横に立った男は、40歳前後くらいの紳士的な笑顔で僕に小さく頭を下げた。僕もそれにあわせて、「あ、どうも」と応えた。
その様子を見て横からティリオンが加えていった。
「ここは俺が紹介するべきかな。彼は”山犬部隊”第四席、ヴァルツ・K・ランダ大佐だ」
「……」
僕は、たぶん外見では平静を保っているハズだったが、内心では心臓が飛び出しそうだった。
”山犬部隊”が僕に一体何の用があるというのだろう。
ランダと紹介された”山犬”の男は、おどけたように両肩をすくめた。
「アハハ、大佐はやめてくれたまえ。今は軍属ではないのでね」
「これは失礼。しかし”山犬部隊”がじきじきに彼にどのような質問を?」
ティリオンがランダにそう尋ねると、ランダは先ほどまでの笑顔から、真顔になってティリオンを見下ろした。
「ハーレンホールドの一介の学生が、”大佐”に質問をするとは耳を疑うが、それは私の神経過敏か?」
「いや、失礼した。どうやら俺は退散したほうがいいようだ」
そういってティリオンは僕に小さな手をふると、ヒョコヒョコとした歩き方でその場を後にした。
後に残されたのは、僕”ハネカワコヨミ”と軽快な様子で笑い顔をしている”山犬”の男である。
”大佐”はテーブルの前で立ったままで、しばらくそうしていると、出し抜けに先ほどまでティリオンが座っていた席をしめしていった。
「もしよければ座っても?」
「あ、ああはい。それはもちろん」
「ハハハ、それはご親切にありがとう」
大佐が僕の席の正面のイスに座ると、女の客員がやってきて、メニューを差し出した。しかし、大佐はメニューを断り
「あー、ええと。なんといったかな、ハネ、ハニ?」
「ハネカワです。ハネカワ・コヨミといいます」
僕が大佐の言葉を補うと、大佐は驚くような表情で、
「あーそう。ハネカワだ。実にいい名前だ。ハネカワ君は、この店のシュトルーデルはもう食べたかな?」
「シュトルーデル、ですか? いいえ、食べたことはありません」
というかシュトルーデルが一体どんなものかもわからないのだけど。
そういうと、大佐は満面の笑みで右手で僕を指さした。
「では是非食べてみてほしい。もちろん私がご馳走しよう。私と彼にシュトルーデルを、それに私にはエスプレッソを頼むよ」
首を伸ばすようにしてウェイトレスに注文し、ウェイトレスがいってしまうと、次にスーツの内ポケットからシガレットケースを取り出した。
「ああ、タバコを吸ってもいいかな?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとう」
ランダ大佐はニッコリ笑うと、棒タバコに古めかしいマッチで火をつけて、2、3回スパスパと煙を吸い込んだ。
しばらくすると、煙の甘い香りが僕のほうにも漂ってきた。
「それで、ムッシュハネカワ? ティリオンとは、どこで知り合ったんだ?」
「ティリオンですか? 彼とは、ここに来るまで知り合いではありませんでした、彼の家柄も。レメンタリー・クアッズの中で、偶然に」
「ハネカワ君。邪魔してすまないが、あまり緊張しないでくれ。私はただ単に、このハーレンホールドの治安をあずかるものとして、君に二、三、形式的な質問をしておきたいだけなんだよ」
「そうなんですか。それはなんというか、ご苦労さまです」
言いながらチラっと思う、それならそれで、わざわざハーレンホールドの上位組織である”山犬部隊”の人間がそれを行う必要があるのだろうか。
「アハハ、まぁそういうことだ。ハネカワ君はハーレンホールドにはどのような目的で? やはり観光かな?」
「ええ、そうです。友人の誘いで、ハーレンホールドの5年大祭にレメンタリー・クアッズの短期留学生として来ました」
「ハッハッハッハ、それは結構なことだ。楽しんでもらえているかな?」
「ええ、それはもう」
それはもう。もうたくさんだというくらいにである。
そこで、先ほどランダ大佐が注文したシュトルーデルというサクサクとしたパイのような菓子とエスプレッソがやってきた。
ランダ大佐は、しかし右手を振って
「ああ、クリームを注文するのを忘れてしまっていた。すまないが、シュトルーデルのクリームを二つと、この店で一番大きいパフェを頼むよ」
ウェイトレスは、注文を受けてまた店の奥へとその場を離れた。
僕の目の前にもシュトルーデルが置かれている。
一緒に配られたフォークをもって、その何層もかさなったサクサクした生地をつつこうとすると、ランダ大佐が片手で制して
「ノンノンノン、クリームを待ってくれたまえ」
ともったいつけるような笑顔で言うので、言われたとおりに僕もフォークを下げた。
ランダ大佐は次にエスプレッソを飲み、ゆっくりと煙草をひと吸いして、その余韻をすこし楽しむようにしてから尋ねた。
「ではハネカワ君。説明してくれ。なぜただの未成年が、レメンタリー・クアッズに短期留学としても入り込むことができた?」
「は、はい」
”大佐”の言っているのは、エクソシストの学園に、どのようなツテで席を置くことができたということだろう。
「僕自身は、特別にツテを持っていたわけではありません。ただ、僕の友人がそこらへんのことに通じているようで、手続きはそちらでとりはからってもらいました」
「その友人というのは?」
そこでちょっと間が空いてしまった。彼女は、本来の名前はオノノキ・ヨツギだが、今その名前をそのまま言うわけにはいかない。
今、オノノキ・ヨツギは”樹魅”なのだから。
「カゲヌイ・ヨツギという、怪異の専門家です」
「ふむ。たしかにこちらの調査と一致するようだ」
ランダ大佐は、取り出した紙片に目を落として、次に僕のほうを見て笑顔を作った。
ちょうどそのときに、さきほどのウェイトレスがやってきて、僕と大佐のシュトルーデルにクリームをスプーンで乗せ、次にパフェを持ってきますといって再びその場を後にした。
ウェイトレスが行ってしまうと、ランダ大佐は人差し指で念を押して言った。
「これがおいしくてね。どうぞ召し上がってくれ。クリームをたっぷりつけてね」
「はい。いただきます」
言われたとおりに、クリームをつけて、サクサクした生地をフォークでわけてシュトルーデルなる菓子を口に運んだ。
「どうかね?」
「あ、はい。おいしいです」
それは確かにおいしかった、のだと思う。
ただ僕のほうはというと、緊張でその味がほとんどわからなかった。
「アッハッハ、そうだろう? 私はこれが好きでね」
ランダ大佐は笑ってシュトルーデルを二口食べると僕にニッコリ微笑んで見せた。
次に、店の奥からウェイトレスがガラスの大きな器にパフェを持って運んできた。
ランダ大佐は遠めにそれを見つけると
「ああ、あのパフェだ。ハネカワ君」
彼はそういって、僕の視線を促して遠くからこちらに歩いてくるパフェを持ったウェイトレスに向かって右手を上げると、その右手をゆっくりとひねった。
そしてそのまま次にパチン、とスナッピングをした。
すると、そのまま、ズル、と50センチほどのパフェのガラスの器ごと、中ほどが真っ二つに両断されたように、上の器ごと切り落とされてトレーにごとんと落ちた。
ランダ大佐はちょっと距離のあるところで驚くウェイトレスに言った。
「そのパフェと器の代金は、”山犬部隊”に好きなだけ請求しておいてくれ。ああ、好きなだけといっても、良識は守ってくれたまえよ」
そういってウェイトレスが逃げるようにその場を後にすると、ランダ大佐は次に僕の方を振り返って言った。
「今見せたように。もし君がこの場から逃げ出せば、その瞬間に、あのパフェのように君の首を落とすことができる。質問を続けてもいいかな?」
ゴクリ、と口の中のシュトルーデルを飲み込む。逃げれば首を落とすといわれて、質問を拒否することはできなかった。
「ハネカワ君。説明してくれ。昨日、ちょうど爆破テロと、本部ビルの事件が起こる直前に君たちは審議会を開いていた、それを陽動だったと決めつけるのは私は反対なんだが。一応君の出自について尋ねておこうか。君の家族は?」
「それは……」
それは、今の僕にとってはどう応えればいいのか、悩みどころだった。
とりあえず、日本の僕が住んでいる街の所在地を話す。
しかし、家族について、なんといえばいいのか、アララギコヨミとしての家族構成を話していいのか?
「家族は、4人家族で父と母と、姉が一人います。ハネカワツバサという名前の」
「なるほど」
結局、僕はハネカワ・コヨミの偽名にしたがって話すことにしたのだった。羽川翼が聞いたらまた説教だろうけど、緊急なので仕方がない。
ランダ大佐は、右手にタバコを持ったまま、じっと僕の顔を見つめ、次にふっと笑い、次にポケットから携帯電話を取り出した。
「では、電話してみてくれたまえ」
「はい? 電話ですか?」
「その通り、何か問題でも? 安心してくれていい、電話番号はこの場で消去しよう」
「は、はい」
僕にとっては問題はそこではなかった。
ランダ大佐に携帯電話を渡される。僕はその携帯電話を見つめながら、しばし逡巡した。
どうする? ここで、電話を断るのは、あきらかにおかしい。今日は休日だ、羽川は家にいるだろうか? いなければ留守だったですむ。確率は低くはない。
ピ、ポ、ピ、とボタンを押して、結局電話をかけるしかなかった。幸い電話番号はなんとか思い出すことができた。さすがに自宅の電話番号を覚えていないというのは通らなかっただろう。
僕が電話番号を入れ終えると、ランダ大佐は笑顔で携帯電話を取り上げ、その電話を耳にあてた。
「んー。呼び出し中だ。今日は留守なのかな?」
ニッコリとしてランダ大佐が言う。
「え、そ、そうですね。両親やお姉ちゃんは結構フットワークが軽いので」
「あー。ハネカワさんのお宅ですか?」
やばい。どうやら電話がつながったようである。
ランダ大佐がはっとした様子で、電話の向こうに日本語で話す。
「おねえさんですか? いや、お宅の弟の、ハネカワコヨミ君のことなんですがね」
「……」
心臓の鼓動が大変だった。周りに聞こえているんじゃないかというくらい、タイコのように鳴り響いている。
羽川、家にいるようだった。休日は外出することが多いんじゃないのかよ。
ランダ大佐は、耳に携帯電話を当てたまま、笑顔でええ、ええと受け答えをしばらく続け
「わかりました。ご親切にどうも、マドモワゼル」
といって電話を切り、携帯電話をポケットにしまって、無言の僕に、ニッコリ笑っていった。
「確かに、間違いなく君はハネカワ家の弟らしい。出自のほうはけっこうだ」
「え、そう、ですよね」
携帯電話をしまった大佐は、しかし、僕がハネカワ・コヨミだと納得した様子だった。
おそらく、羽川である。あいつが突然の電話に、おそらく僕が何かの事情でそうしたことを、察しがよすぎるくらいに察して話を合わせてくれたに違いない。
それはもう、あいつの行き過ぎた察しのよさが今の僕には九死に一生のありがたさだった。
ランダ大佐は、タバコをもう一本取り出して火をつけ、ゆっくりと煙を吸い込むと、
「フー、ほかにも、君に尋ねたいことがあったのだが……」
「な、なんでしょうか?」
大佐は、タバコをくゆらせながら、僕の顔をまっすぐ見つめ、次にニッコリと微笑んで
「……何を聞こうと思っていたのか思いだせんよ。たぶんたいしたことではなかったのだろう」
といって、右手に持っていたタバコを、半分まで食べたシュトレーゼルのクリームに押し付け、さっさとスカーフで両手を拭くと、すぐにイスから立ち上がりその場を後にしたのだった。
テーブルには、僕一人と、僕のシュトルーデルの皿と、タバコが刺さった半分のシュトルーデルが残った。
僕はランダ大佐がどこかへいってしまったことを念入りに確認したあと。
「ハアアァァァァァ……」
と深く息を吐いてイスに深く沈みこんだ。
しばらくして、携帯電話に連絡があった、おののきちゃんは、もう少し調べたが、やはりめぼしい情報は見つからなかったらしい。
もうほとんど日はくれようとしている。
とりあえず”山狩り”の推移を待つ、というのがその後の僕とおののきちゃんの結論だった。
僕はあれこれの連絡をおののきちゃんと取ったあと、そのカフェテリアを出て、一路レメンタリー・クアッズの宿舎へと向かった。