この街を訪れて二日目の午前である。
午前はこのエクソシスト学園における公開授業があるのだそうで、サリバン、メアリー、マット、レミリアはその授業に出席するということらしく、同時にその公開授業にはほかのクラスとの混合でもあるらしかった。
僕としても、授業そのものにも少々の興味はあったし、ダイアスというクラスに所属しているかもしれない”存在移し”を探すという点でも、なかなかに都合がいいように思われ、僕もその自由参加の授業に参加したいと申し出た。
「ああ、もちろんだよコヨミ! せっかくクアッズに来たんだから、5年大祭だけじゃなくて学園でも有意義な時間を過ごしてもらいたいもんさ!」
一軒立てのロッジ内の一階のテーブルで、僕が尋ねると、レミリアと口論をしていたサリバンが顔を輝かせながら笑顔で答えた。
「ああ、そりゃありがたいよ。でも大丈夫かな? 僕はなんか、エクソシストの予備知識とかほとんどないんだけど……」
僕がそういうと、テーブルの向こうでコーヒーを飲んでいたマットがあいたほうの手を振りながら言った。
「まぁ、単に知識だけでいうなら、サリバンがほとんど把握しているから、この宿舎でも十分なんだけどな」
それを受けてサリバンが、
「大丈夫だと思うぜ、もしわからないところがあれば僕がフォローするしさ、第一、実際に術式の実演なんかになると先生にやってもらったほうがいいからね。そこらへんは肩の力抜いてくれよ!」
「でも操作ミスったら爆発しちゃうかもね~」
横からささやき声が聞こえてくる。
僕がその声に反応してそちらのほうを向くと、レミリアがそっぽを向いているだけだった。
「はは、レミリアお前、そんなおどしで僕がビビるとでも思ってるのかよ? でもまぁ、あんまり専門的なこと学んでも仕方ないかもしれないし遠慮しとこうかな……」
と、その時点でやや心が折れかけていたが、右手のほうでコーヒーのコップを傾けていたメアリーがフォローした。
「大丈夫だよコヨミ。今日の授業で爆発するようなものは扱わないからさ。レミリアはコヨミのことが気になって逆にいじわるしたいだけなんだよ。大目に見てあげてよ」
「え、そうなの?」
「はぁ!? 違うわよ!! そんなわけないじゃない!!」
さっきまでそっぽを向いていたレミリアがはっとしたように立ち上がっていった。
他方でマットも席を立って、
「許してやれよコヨミ。失うことを恐れるあまり必要なものを手に入れることも断念するという人は、理屈にも合わないし、卑怯である。というのはプルタークの言葉だけどな。レミリアはまだ好意をどう表現していいのかわからないだけなんだよ。それじゃぁそろそろ俺たちも教室に向かおうか」
と言っていったん自分の部屋に向かって階段を登っていった。
サリバンもメアリーもテーブルを立ち簡単な準備をはじめ、再びリビングに集まって、玄関のドアを開けて外に出て行き始めた。
「絶対にそういうんじゃないからね!!」
とプリプリとした様子で言っているレミリアを適当にいなしながらである。
いや、僕も別にレミリアが好意とか持っているのではなく、単にスキンシップ的な感じでつっかかっているようなのはわかってはいるんだけど。
どうもレミリアは、こいつが本当に僕に好意を持っているということになっていると思っているようで、それを否定しようとやっきになっていた。しかしそう思っているのはこの5人の中でレミリアだけである。
途中でレミリアがキッとした感じで僕をにらんできたが、そもそも上目遣いでかわいい感じになっているだけだった。
「フグッ」
思わず僕が吹き出してしまうと、ボグッ! と僕の太ももにレミリアのローキックが突き刺さった。
「いってぇ!」
「フンッ! くたばれ!」
レミリアはそういい捨ててさっさと玄関を出て、栗色の髪を左右に振りながら先に歩いていっていたメアリーの隣へと行ってしまった。
僕もはぐれないようにしないように、サリバンたちを追って少し早足で宿舎を出た。
#
教室は、トパンズの宿舎区画から出た先の本校舎の一室であるようだった。
一軒立てのロッジを出て、トパンズの一軒立てのロッジが遠めに密集する宿舎区画の林を出て、朝もやが晴れた広めの湖畔を大きくまわり、北東の宿舎区画から学園のキャンパスに入って、巨大な城然とした校舎へと5人で入っていったのだった。
今頃おののきちゃんは、ハーレンホールドのことをいろいろと調べているに違いない。僕も午後からはそちらに合流することになっている。
「こっちだよコヨミ」
前を歩くメアリーが後ろを見て僕に声をかけた。
本校舎に入ると、かなり広いエントランスに入った、入り口の上のステンドグラスからは、グラスの色を帯びたとりどりの太陽光がエントランスの床を照らしており、クアッズの生徒たちと短期留学の学生たちでひしめいている。
その人の波をややかき分けるようにして階段を登り、レンガ造りの廊下を進むと、木製の扉に突き当たった。
ガチャリ、と前の四人が扉をくぐり、僕も入室すると、そこは500人収容ほどの大教室が目の前にひらけた。
相変わらず、室内はレンガ作りだが、教室の後ろから前へと階段を下るようになっていて、横長の机が段々に備えられている。
サリバンに促されて、僕も前から8列目くらいの席に4人と一緒に座った。
「本当に全部のクラスのやつがいるんだな」
僕がその大教室を見回すと、ルビウムやアクアマリンなど、首に巻いたチョーカーでそれとわかる、このエクソシスト学園において4つに大別される全クラスの学生がこの教室に混在していることがわかった。ただ、ルビウムはルビウム、アクアマリンはアクアマリンで固まって席を取っているようではあった。
「でも、それぞれのクラスで固まっちゃいるんだな」
僕がそうつぶやくと、机の上にノート類を広げたマットがそれに気がついて
「それは正論だが、5人で固まってる俺たちが言うことでもないんじゃないか? コヨミも一人で席を取ってみるかい?」
「確かに…… というかこの中で僕一人だと心細すぎて干からびちゃいそうだよ」
「それにクアッズではダイアス、ルビウム、アクアマリン、トパンズそれぞれで仲間意識が強いんだよ。クラスごとの成績で次の年の予算が決まったりするからな。まぁ、結局優秀な生徒が集められたダイアスが優遇されることになるんだけどな」
「へぇ、競争心の刺激っていうのかな? けっこう大変なんだな」
同時に、その大教室の学生たちの視線がときどきコチラに向くのが僕にもわかった。
その視線の向く先はレミリアである。そういえばこいつファンクラブとかあるんだっけ。
レミリアはというともはや慣れてしまっているのか特に気にしない様子でメアリーと話している。
しかし、この様子をまたぞろあのダイアスの女王、アイリー・レオニードに見つかりでもしたら何を思われるかわかったものではない。
それでまた教室を見回してみたが、どうもアイリー・レオニードはこの授業には出席していないようである。
もうひとつ、ルビウムのティリオン・ラニスターの姿も見ることができなかった。山犬部隊、第三席”天剣”サー・ジェイム・ラニスターの弟である生徒である。
昨日の事件、事件というかほとんど悪夢だったように思うけど、あれは戒厳令が敷かれているとはいえ、あの災厄そのもののような怪異”樹魅”に”天剣”がやられたというのは、ティリオンは聞き及んでいるのだろうか? ”樹魅”については聞かされなくても、”天剣”のことについては何か知らされているかもしれない。だとすれば、とても授業に出てこようなどとは思わないに違いない。
同時に、それらについて、僕はサリバンたちに話すべきか否かということもそこそこの悩みの種ではあった。
サリバンたちは先日、ハーレンホールドの南東で爆破テロが発生したことまでは知っているようで、それだって大事件ではあるのだが、一方でハーレンホールド北東の自警団本部ビルが全壊し、ビルの中にいた数百名の自警団は惨殺されつくしていたことは知らない。
自警団は戒厳令を敷いたまま解決することを決めているらしいが、今だってかなり危険な状態であることには変わりがないのだ。
しかも”樹魅”にはほぼ間違いなく”存在移し”がついているのだ。
もし仮に、別の存在を移された”樹魅”が今、この3百から4百人がひしめく大教室にまぎれこんでいるとして、”樹魅”がその気になれば一瞬で全員が皆殺しにされるだろう。
しかしそれを話したところでどうなるものでもない、というか、メアリーなんかはむしろ”樹魅”を探しに向かいさえしそうであった。それだと余計に話してはならない気分になる。僕の身も危なくなりそうだし。
おののきちゃんは、別に存在が戻らなくてもこのまま怪異退治の専門家として別の存在として生きればいいとも言っていたが、当然のことながら、僕のほうがそれを了承することはできない。
「レミリア・ワゾウスキさん? もしよかったら、俺たちと授業を受けませんか?」
僕が考えていると、聞きなれない男の声がレミリアの名前を呼ぶのが聞こえ、そちらを見ると、レミリアにルビウムの生徒が3人、声をかけているのがわかった。
たぶんレミリアのファンクラブの会員なんだろう。祭りの高揚感も手伝って大胆な動きに出たのか、そもそもこの学園ではこういうノリなのかは僕にはわからなかった。
「あ、あの、私は…… ええと」
レミリアは、しかし、伏し目がちに言葉を濁してしまっていた。
こいつ、僕にはズケズケくるくせに、どうも学園の生徒には丁寧に対応するよな。
言葉をつまらせているレミリアの隣のメアリーが野生的に微笑みながら言った。
「私ならいいんだけどなぁ。できれば、その後に一勝負お願いできればありがたい」
ルビウムの3人の男子生徒たちは、それでうっとのけぞるようだった。
メアリーのショートの銀髪を揺らした野生的な微笑みは、僕から見れば息を飲むような健康美をともなったものだったが、同時に、この男子生徒たちにはメアリーのバトルジャンキー的な側面も知れているらしく、メアリーがそう誘いかけると、逃げるようにそそくさと退散してしまった。それを見送りながらメアリーは「残念だなぁ」とつぶやいて肩をすくめた。
「レミリア、お前本当に人気があるんだな」
「はぁ? うるさいんだけど」
「でもなんか、それだけ人気だと逆にめんどくさそうだよなぁ」
後ろの席に座っているレミリアの二重人格のような軽いジャブにも動じなくなった僕はそう続けた。
レミリアは少し肩透かしをくらったような表情をしながら
「でも、仕方ないじゃない。やめてっていってもやめてくれるようなものでもないし。ところでコヨミ、今日は忍ちゃんはいないの? 忍ちゃんは?」
「どんだけ必死なんだよ。忍は今日は…… ええと、別行動で5年大祭をまわってると思うぜ」
「なんでこっちに連れてこないかなぁ。忍ちゃんのいないコヨミなんてソバのないザルソバみたいなもんだわ」
「はいはい悪かったな。ってちょっとまて、ソバのないザルソバってただのザルじゃねーか。ただの忍スタンドみたいになってるじゃないか」
実際に忍は今も僕の影の中にいるので、それはあながち間違いでもないのだが。
ちなみにその場合奇妙なスタンド的なのは忍である。
「はぁ…… 一晩中忍ちゃんをモフりたい……」
「願望が口に出てんだよサイコレズ。ちなみに僕は昨日忍と、イヤ……」
「私はレズじゃない。それで? 昨日忍ちゃんとどうしたのよ?」
「いや、なんでもない。それじゃぁこの話はここで終わりだ」
昨日一晩中忍と同じベッドで寝た。
そんなことを言ったらレミリアに何をされるかわからないからな。
話を打ち切って教室の前を向いていると、突然後ろから野球ボールをぶつけられたような衝撃で、軽く前方につっぷしたようになってしまう。
僕が驚いて振り返ったが、特に何かぶつけられたものが床に落ちた様子もない。
ただレミリアが笑いを我慢してる感じでそっぽを向いているだけだった。
「おい、レミリアお前だろ。バレてんだよ」
「は? 何? 私が何かしたっていうの? プククッ」
「笑ってるじゃねぇか。笑いをこらえきれてねーんだよ」
「私のサイコキネシスで何かできるわけないじゃない? バカなんじゃないの?」
「ああそう。そう出るなら僕は別にかまわないぜ。なんかレミリアのサイコキネシスがなんかえらく強く……」
「わーっ! わーっ!」
僕がいいかけたところで、レミリアが大声を出して身を乗り出して僕の口を両手でふさいだ。
「もう、わかったわよ。悪かったわよ」
「へっ、わかればいいんだよ」
「あとでひねり潰すからね」
レミリアが僕の口から手を離すところでそうささやいたが、冗談だよな?
僕たちの周りは、レミリアが大きな声を出したので、視線が少し集まったが、同時に僕に殺意のような眼光が複数突き刺さるのを感じたが、また霧散するようにそれぞれの会話に戻っていった。
レミリアもまた注意を引いてしまったことがわかったようでつぶやくようにいった。
「はぁ、でも、ファンクラブなんてないほうがいいのに…… 別の存在にでもなれればいいんだけどなぁ……」
「いや、それはよく考えたほうがいいと思うけどな……」
僕がすかさずそういうと、レミリアは少し不思議そうな表情をした。
まぁ、自分の”存在”を失うことのやっかいさというのは、実際にそうなって体験してみないとなかなかわからないことかもしれない。
レミリアがそういったのをマットが受けて言った。
「名前を変えたところで、レミリアはレミリアだしな。メアリーも名前は変わったけど、結局はメアリーに違いはないし」
「えっ、そうなの? そういうことってできるもんなのか?」
僕が少し驚いてメアリーに聞くと、メアリーはしかしあっけらかんとした様子だった。
「ああ、実はそうなんだよ。私の家庭がそもそもちょっとゴタついてたのはコヨミも知ってると思うけど、それで結局、家庭裁判で保護をする上で戸籍を分けることになって、そのときに名前を変えられるってことになったんだよね。それで、もともとはマリー・ロアートって言う名前だったんだけど、今のメアリー・ロゼットハートに落ち着いてるんだよ」
「へぇ、自分で名前をつけていいのか、僕の国ではあんまりなじみがないなぁ」
感心したかんじでいうと、サリバンが言った。
「確かコヨミってジャパンから来たんだったよね? それだったら時代によってはそういう文化はあったと思うぜ。確か、安土桃山時代の三英傑といわれる豊臣秀吉なんかも木下藤吉郎、木下藤吉郎秀吉、羽柴秀吉、豊臣秀吉って感じで名前が変わっていってたと思うよ!」
「あー、そういえば、そうかもな。そういえばファーストネームとかセカンドネームとかって話も聞くし、結構そういう文化もメジャーなのかもなぁ。ていうかサリバン、僕より日本文化に詳しいかもな……」
それにしても、虐待家庭から保護されて、名前まで自分で変えて、しかし、メアリーはそういった陰的な雰囲気をまったく感じさせない。
過去のことは過去のことだから。そういうことで、割り切れるものなのだろうか。
もしかしたら、僕にはできないかもしれない。それは僕が実際にそれを体験してないからわかりにくいということなのだろうか。
「なんだろうなぁ。でも、私はけっこうこの名前が気に入ってるんだよ。私はどうも自由を好む性分らしくって、でもサリバンたちとの生活は好ましいと思ってるんだけど、それ以外は、将来も世界を放浪できたらいいと思ってるんだよね」
「おいおいそれは吹っ飛びすぎじゃないか? 結構根無し草なやつなんだな」
「あはは、そうかもね。コヨミも一緒にくるかい?」
「僕はひとかけらも同行したい的なことは言ってないよ! 受け答えまでフリーダムかよ!」
僕が言うと、メアリーはかみ殺すように笑いをもらした。
サリバンいわく、怪異退治の専門家になればそういう生き方も余裕だということらしかったが、そのためにもしっかり鍛錬しなきゃねということらしい。
話していると、再び、レミリアが別の生徒に話しかけられているところであることに気がついた。
ただその相手は、あのダイアスの主席の男子生徒であった。ルシウス・ヴァンディミオンだっけ、後ろにダイアスの男女生徒が5,6人くらいが立っているがアイリー・レオニードはここにはいないようだった。
「どうかな? レミリアさん。この前の話は?」
「あの、まだ、結論が出ていないというか……」
レミリアに何か尋ねるルシウスに、レミリアは先ほどと同じように答えにつまっているようだった。
「まぁ、じっくり考えてくれればいいよ」
一方でルシウスは大仰に右手を振った。
今度は単に一緒に授業を受けようといった話でもないらしい、こいつら一体何の話をしてるんだ?
ちょうどそこで教室が入り口のほうから静かになり、教師であると思われる男が教室に入ってくるところであった。
ダイアスの生徒たちもそちらで固まっている席へと向かい、レミリアが聞かれていたことについては、結局プライバシーだとかだということで、僕たちも授業を受けるために前方の教師と壁にかかった巨大な黒板のほうを向いた。
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500人以上を収容できる大教室の前方では、一人の男性の教師が、天井まで続く巨大な黒板の前に立って、右手に分厚い教科書を持って対面で座る3、4百人の生徒のほうを向いて授業を始めるところだった。
教師の男は、ガッシリとした体系のゆるくウェーブした黒髪の風体で、しかめ面で教科書のページをめくりながら言った。
「あー。私はルビウムの結界術の教師をやっている、イングリット・ポートマンだ。短期留学生に関しては会うのは今日だけになるだろう。名前は覚えなくていい。授業の内容を参考にしてくれ」
その教師は巨大な黒板にチョークで文字を書き込んでいく。
「まず結界術の初歩で行うのは単層物理結界だ。単層物理結界について説明できるものは?」
その教師は静かに尋ねると、その大教室を広く見渡した。
3、4百人の生徒たちは、少しシンとした様子で、しかしルビウムの生徒たちがチラホラと手をあげている。
そして僕たちの近くでは唯一、サリバンだけが喜色まんめんに右手を高く掲げている。
教師の男は、しかし、前のほうで手をあげるサリバンには目線も合わせず、ルビウムの生徒の一人を指摘すると、その生徒が立ち上がっていった。
「単層物理結界は、クアッズにおいて最初に習得する結界術です、最初はチョーカーの魔術回路を補助にオドをくみ上げ、皮膜結界として身体にまといます。この結界術は物理攻撃に対して、結界のオドを集中して空間を固定化し、反作用力で衝撃を拮抗させることによりダメージを軽減します」
「結構。つまり、この結界は、基本的に鎧のようなものだと考えてよい。これを二重、三重にしていくと強度は上がるが、同時に回路の作成技術も乗数的に増す。では実際に見せてみよう」
教師がルビウムの男子生徒を一人指名すると、その男子生徒が立ち上がり、教室の前のその教師の隣まで歩いていき、教室の隅から刀剣を一本取り出してきたものだから、その教室の、特に短期留学生たちを中心として少し騒然としはじめた。
その教室のちょっとした騒乱に教師は少しわずらわしそうに言った。
「静かに、次うるさくしたものは減点する。といっても、短期留学生には意味のないことか」
教師は言うと、隣で長めの刀剣を握る生徒に合図した。
すると、その男子生徒は小さくうなずき、ゆっくりとその刀剣を振りかぶると、フッと息をはきながら目の前の教師の男にたたきつけた。
「ッ!?」
それを見ていた僕も思わず息を呑んでしまっていた。
しかし、それはやはり言われていたとおり、教師のわき腹に丁度当たる格好のままで、ギリギリと震えながら、しかしその衣服を裂くことすらなく停止していた。
教師の男が男子生徒に合図して続ける。
「今のは3層連結物理結界だ。まぁこの程度の衝撃なら、オドを練れば単層でも十分に防ぐことができる」
僕が説明を続ける教師の話を聞いていると隣でサリバンが小さい声でいってきた。
「今ポートマン先生が何をしたかわかるかい? 僕たち学生はチョーカーの術式回路補助を得て単層物理結界を張るんだけど、今先生は何の補助もなしで、一瞬で三層物理結界を張ったんだよ。プロの結界術師でも熟練者にしかあんなことはできないよ」
「へぇ、でも、あれがあれば防弾チョッキとか必要ないな。しかも全身だし、ちなみにオドっていうのはなんのことなんだ?」
「おいおい。コヨミは何にも知らないんだなぁ!」
「なんにも知らないわけじゃねぇよ。知らないことだけだ」
どんな切り返しだよ。おっと自分で突っ込んでしまった。
そう思っているとサリバンが補足して説明してくれる。
「オドっていうのは、術式を練る上での力のもとみたいなものだよ。ほかにもマナとか、チャクラとか、いろんな呼び方で呼ばれているね」
「ふぅん」
僕にもあるのかな、そのオドってやつ。
サリバンいわく、人間の誰にでもあるものだが、訓練を経ないと絶対量が足りないということらしい。
サリバンが補足し終わったところで、刀剣を持っていた生徒を席に帰した教師の男が次の質問を投げた。
「では、結界術の種類について体系的に説明できるものはいるか?」
尋ねて、教師は大教室中を静かに見回した、教室内では、今度はルビウムの生徒たちも誰も手を上げる様子がないようだった。
ただ、さきほどと同じようにサリバンだけが、やはり右手を高く上げている。
「誰もいないのか?」
教師の男は、しかし、やはりサリバンを指名することはなく、特にルビウムの生徒たちに向けてそう回答を促したが、しばらくしても誰も手を上げないことを確認すると、少し嘆息気味に言った。
「では、サリバン・ワゾウスキ君」
「はい。結界の種類は、基本的に攻撃に対して身を守るものであるので、攻撃の種類と同じだけの結界が開発されてきたと言うことができます。我々がクアッズでまず習得するのは、物理結界ですが、対怪異のエクソシストとしては、それ以外にも、対術式結界、概念結界、空間結界、攻性結界、それに、人払いのための認識結界も習得すべき重要な結界としてあげることができます。我らがハーレンホールドの自警団においては、自警団に配布される血盟の指輪を補助霊装として、6連直列結界を貼ることができ、特に対霊に威力を発揮します。さらに”山犬部隊”では、最低でも17層結界を霊装なしで即時発動できるというような噂を聞きますが、さすがにこの真偽を確かめることはできませんでした」
「もういい。座りたまえ。君は学術だけはできるようだな。おおむね正しいが、残念ながらハーレンホールド自警団の上位部隊である”山犬”たちがどんな結界を使っているかは、機密情報であり授業で教えることはできないし、一学生に知られるようでは大問題になってしまう」
教師が右手でいさめるようにサリバンの着席を促した。
「しかしながら、空間結界や概念結界については、結界師の中でも複数で組める人間すらも希少だ。いわんや学生に使えるどころか、そもそも知識が必要かどうかすら疑わしいが、一応素養として身に着けておいてもかまわないだろう。それでは生徒の諸君からここまでで質問はあるかな?」
教師の男が質問を許すと、教室がにわかにざわつきはじめ、生徒たちがチラホラと手を上げて質問をはじめた、教師は、仕方なしという様子で質問に答え、補足していく。
僕もその様子をわりと真剣に聞き入っていたが、ふと気になったことがあったので前に出過ぎない程度に手を上げると、しばらくして教師の男が僕を指名した。
「あ、はい。あの、これは人づてに聞いた話なんですが、四方八位結界っていうのはどういうものなんでしょうか?」
「……」
教師は、先ほどまでとは打ってかわって何も答えなかった。
それどころか、少し目を開くように僕を観察し、あきらかに警戒の圧力を増した。
しまった。と思った。
四方八位結界。おののきちゃんが言っていたハーレンホールドの自警団ビルを守護していた結界である。
「君は、短期留学生だな。なぜ、”四方八位結界”なんだ?」
「いえ……」
なんて答えればいいだろう。
この様子だと、ハーレンホールドの自警団本部ビルにこの結界が使われていたことは知っているのだろう。
おののきちゃんいわく、戒厳令が敷かれているということだったが、それ以上は知っているのだろうか?
「ふむ。四方八位結界については、詳しい説明はここでは省いておくが、一流の結界術師が16人、4人で1方、計四方で術式を立てて二日二晩をかけて展開する。仮に自警団で使う6層直列結界をアリだとするなら、四方八位結界はビスマルクやティルピッツといったような超ド級戦艦、あるいは超ド級空母を想像すれば最低限のイメージはできるだろう。いわば鉄壁であり、難攻不落であり、空間的に断絶したものだと考えてよい」
「な、なるほど……」
僕がどもりながらそういうと、教師の男はそれを気にせず続けた。
「もし、もし仮にだが。四方八位結界を破れるような怪異に対面したとすれば、速やかに、なにをおいてもその場から退避することだ、もっとも、退避することができればの話ではあるが」
その教師の言には、おさえがたい圧があり、その大教室はしばし静まり返ってしまったが、教師の男がさらに説明を続けると、再びもとの授業の様子のままでその後は穏やかに過ぎて行った。
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「どうだったコヨミ? しかし結界術の授業でまだよかったよなぁ! 退魔術の授業だったらきっとちびってたぜ!?」
「そんなのまであるのか。そりゃぁ運がよかったんだな……」
サリバンに僕はそう返したけれど、そもそも”存在”が奪われている時点で運勢は大凶だった。
授業が終わり、教室を出て、僕たち5人がキャンパスを歩いているところだった。
それにしても、エクソシスト、いわゆる怪異の専門家の世界も結構複雑なようである。
まぁ、怪異というと、基本的に攻撃的なものも少なくはないだろうから、それに対する防御みたいなものは、必要だといわれればそのとおりなのだろうけど。
ていうかああいう結界術のひとつでも使えれば、ボクシングや総合格闘技で余裕でチャンピオンになれそうな感すらあったのだけれど、それは厳重に監視され、禁止されているようだ。なんかもったいないな。
ああいう技術が世の中に蔓延するのも確かに怖いんだけど。
前を歩いているメアリーが歩きながら軽く振り返っていった。
「でも危なかったねコヨミ。ポートマン先生、明らかに気をもんでたもんね。クアッズの学生だったら絶対に山積みの課題を出されてるところだよ」
「まじかよ。やっぱり蛮勇は身を滅ぼすな、気をつけないと」
「教室のクアッズの学生はみんな内心ハラハラしてたんじゃないかな。下手したら全員巻き添えを食らいかねないからね。でも私はコヨミのそういう向こう見ずなところも好ましいと思うよ」
「お前が抜き身すぎるんだよ! やっぱり気をつけることにするよ!」
いいながら今さらな気もするけど。
続いて僕の隣のサリバンが
「それにしてもコヨミ、四方八位結界なんてよく知ってたね! 僕でも古文書の隅にあったのをちらっと覚えているくらいだよ。そもそも使い手がいないし、禁術に指定されてるくらいの結界術なんだよ」
「あ、まぁ、人づてにさ……」
僕があわてながらごまかしていると、キャンパスを歩く僕たちに3人の男子生徒が声をかけてきた。
その男子生徒は、僕たちというより、メアリーが目当てであるようだった。
「僕たちは短期留学の学生なんだけどさ、君は名前はなんていうんだい? よかったら一緒に大祭をまわらないかい?」
どうやらその三人の短期留学生の学生はメアリーを誘っているようだった。
「へぇ、私でいいのかい?」
「そりゃぁもう!」
「ふぅん」
メアリーはそういうと、野生的に目を細めて笑顔を返した。
ああ、まずいな。というのがそのときの僕の率直な印象だった。
確かに、メアリーは外見は相当な美人だと僕も思う、しかしその内面をこの3人の学生ははかりそこなったのではないか。
いや、それはもちろん悪いやつということではないんだけど。
「ああ、私はかまわないよ」
「本当かい?」
メアリーが柔和な感じで快諾すると、3人の男子学生は喜色満面に湧き上がるようだった。
「僕たちは幸運だよ。この5年大祭を君みたいな美人と一緒にまわれるなんてさ」
「あはは、おだてても何も出ないよ。それじゃぁ校舎の裏にでも行こうか。君たち単層結界は使えるよね?」
メアリーがそういうと、喜びに沸く3人の男子学生たちと一緒に校舎の横手へと消えていった。
僕たち残された4人のうちで、マットが口を開いた。
「人は道を進むために勇気を要するが、同時に蛮勇はその身を滅ぼしかねない。彼らは身をもってそれを俺たちに教えてくれた」
そういって、冗談めかして大きく十字を切るのだった。
「先にロッジに帰る?」
「ちょっと待っておこう。せっかくだしみんなで戻ろうよ」
とレミリアにサリバンが答えた。
そういえば、そろそろおののきちゃんと合流する予定なのだった。ちかくの時計を見ると12時40分。もしかしたら、もうすでにおののきちゃんが学園の校門前に来ているかもしれない。
レミリアに見つかると、またぞろあいつまでついてきかねない。単に大祭をまわるのであればそれがさして問題ということにもならないのだが、”存在移し”や”ハーレンホールドの鍵”を調べるということだとそういうわけにもいかない。
うまいこと離れないとな。
「そうだ、そういえばサリバン」
「ん? なんだいコヨミ?」
僕はさっきちょっと気になっていたことをサリバンに尋ねてみた。
「サリバンお前さ、”賢者の石”って知ってるか? その作り方とかさ」
賢者の石。昨日、あの悪夢のようなビルの中で”樹魅”がその手にとり、偽者だと看破するやいなや軽々に捨てさってしまったものだった。そして去り際に作るしかないと漏れ聞いたのだけど。
「ああ、もちろん知ってるさ! 割りと有名な霊具だからね!」
サリバンが表情を輝かせながら説明してくれた。
「賢者の石っていうのは、世間一般では鉛を黄金に変える触媒っていう風に言われているけど、エクソシストの界隈では、エリクシル、フィロソフィアズストーン、東洋では仙丹とも言われていて、膨大な霊力と術式回路素地を持ってるといわれていて、不老不死や超越者の力を与えるとも言われているものだよ。ここだけの話、ハーレンホールドの自警団本部ビルの最深部に強力な結界に守られて保管されてるって噂もあるんだけどね、おっとこれは他言しちゃダメだぜ!」
「あ、ああ。もちろんだよ」
「作り方は、今のところ確立された方法はないと言われているね。今のところ成功か失敗かを考慮しなければそれと思しき方法は三つ、ハージャス・ローリングっていう大魔術師が僻地の村落をまるごと小さな石にしたとか、大怪異ジーンムルガルドの心臓を変換したとか、大霊脈そのものが結晶化したって記述があったけど、でもそのあとの賢者の石っていうのは、どれも消失されたものとされているからね。本当にそれで賢者の石が作れたのかっていうのは少々疑わしいものだよ」
「なるほどな」
しかし、それでもどうにも雲をつかむような話である。
「それにしても、サリバンはなんでも知ってるよな」
「まぁ一度読んだものだからね!」
「んん」
瞬間記憶力ってやつだろうか。うらやましい能力である。
「ちなみにさ、サリバンは賢者の石を作るとしたらどうする?」
「賢者の石をかい!? そりゃぁ魔術師たちが長年追い求めてなお実現できていないことだぜ? さすがに僕の灰色の脳細胞をもってしてもポンと思いつけるようなことじゃないと思うぜ!」
「んん、やっぱそうか」
僕たちが雑談をしていると、しばらくして、先ほどの校舎の裏からメアリーが戻ってきた。
校舎の横から出てきたところでメアリーの姿を僕が確認すると、メアリーは満面の笑みで手を振ってきた、どことなくエネルギーを充填した感じでテカテカしているような印象がある。さきほどメアリーについて行った3人の男子生徒の姿は予想どおり見当たらなかった。
「ごめんごめん、待たせちゃったかな」
メアリーがかけてきてそういうと、マットが肩をすくめるようにして言った。
「いいや、気にするなよ。それでどうだった?」
マットが尋ねると、メアリーは右手で頭の銀髪を軽くクシャっとするようにして
「うーん。やっぱりもうひとつだったかなぁ。結界術式にもなれてないみたいだったから3人とも気絶しちゃったよ」
メアリーはちょっと不満そうにそうこぼした。
こいつ、やっぱり僕たちが全員予想したとおりに、あの3人の男子学生を校舎裏に連れ込んだあと、格闘戦を申し込んで僕たちがちょっと話している間に全員の防御結界をクラッシュさせて気絶させてしまったようである。
こいつ、いいやつなんだけど闘争欲が半端なさすぎるな。
メアリーは野生的な笑みを僕に向けて言った。
「やっぱりコヨミくらい動いてくれないと、そうでしょコヨミ?」
「いや僕に同意を求めるなよ。しらんけどな、格闘戦の楽しさ加減とかさ」
そろそろおののきちゃんが待っているであろう学園の校門前に向かわなければならない。
どうもこのままでは明らかに動き足りない感を隠さないメアリーに決闘でも持ちかけられそうだった。
それを制すようにこの後待ち合わせがあることを告げて、4人と別れて校門へと向かったのだった。