「アイリー・レオニードのことを言うな?」
僕とレミリアが交霊室からやっとのことで出て行くと、外はほとんど暗くなっており、
大祭中だからだろう、遠くから、そこかしこで学園の生徒たちの歓声が聞こえてくる。
「あんたの言いたいことは大体わかるけど、あんたはこの学園のことを知らない。これは私の言うことにしたがって」
レミリアは交霊室から出れたことで、少しほっとした様子で、しかし厳しい口調で僕に戒厳令を強いてきた。
いわく、あのダイアスの女王、アイリー・レオニードが僕とレミリアを交霊室に閉じ込めたことについて、他言をするなということである。
僕が懐疑的な様子でレミリアに聞き返すと、レミリアは小動物的な大きい目で、しかし強い意志をもって僕を見上げた。
「いいから! ここで騒いでも余計こじれるだけなの!」
「いや、そうはいうけどさ、これって結構、一大事だろ? もしかしたら僕たち命すら危なかったのかもしれないんだぜ?」
僕はそこまで言ってから、頭によぎった疑問をレミリアにたずねた。
「なぁレミリア、お前もしかしてこういうことされたの、これがはじめてじゃないのか?」
「いや、ここまでのことは初めてだったけど……」
「はぁ。ならいいんだけどさ、いやよくないんだけどさ。これは場合によったら警察まで出てくるべき問題だと思うぜ?」
「じゃぁ何か証拠があるの?」
「は、証拠?」
「そう、あの人が、あんたと私を交霊室に閉じ込めたって、誰もが納得するような証拠」
レミリアにそうたずねられて、僕はしばらく考え、首を振った。
「いや、ないけどさ。でもそれは明らかなことだろ? 僕とレミリアを交霊室につれてきたのはあいつなんだから。証拠なんてそれだけで十分なんじゃないのか?」
「そんなのただの言いがかりってことにしかならないわよ」
レミリアは両手を振って、ためいきをついてから、その事情について僕に説明した。
「いい、彼女はアイリー・レオニード。レオニード家の令嬢なの。ハーレンホールドと、この学園では彼女の名前は絶対なのよ。その彼女に、なんの証拠もなしに交霊室に監禁されたなんて主張しても、誰も相手にしない。それどころか、逆に私たちが攻撃対象にされるのが落ちよ。いと高きレオニードの名にキズをつけようとする不敬者だってね」
「うーん。そういうもんなのか。僕にはそういうのよくわかんないけどな」
何をやってもお咎めなしなんて、まるで王族だな。しかも暴君だ。
「あんたがわかろうがわかるまいがどっちでもいいわよ。とにかく、このことは他言しないで! 命令よ!」
「命令って、僕別にお前の臣下じゃないんだけど。何回も言うけど僕は一応短期留学生だからな」
「どっちでもいいから! 他言無用!」
レミリアのあまりの剣幕に、僕としてもしぶしぶ了承せざるをえないところだった。
なにせ僕もここにきて、まだ1日とたっていないのだ、郷に入りては郷に従えという言葉があるが、少なくとも郷に入って数日の間はそうしておいたほうが無難であるに違いなかった。そしてその相手が下宿先の同居人とあっては、信頼のしるしとしても、やはりそうすべきであるように思われる。
「ああ、わかったよレミリア。この件について学園側や警察に届け出るのはやめておくよ。でも一応、サリバンやメアリーには言っておいてもいいだろ? セキュリティ上の意味合いでもさ」
「絶対ダメ!」
僕がそういった瞬間、レミリアは飛び上がるように、食ってかかるように語気を強めてそういった。
「兄さんやメアリーに言ったら、後先考えずにレオニードに食ってかかっちゃうかもしれないもの! みんなには絶対に言わないで!」
「いや、でもなぁ……」
これはちょっと困った問題である。レミリアへの信頼のしるしに、他言無用を約束しようというものの、同じ同居人であるサリバンたちにこのことを言わずにすませるというのも、これはこれで信頼にもとるというものだ。
どちらかを立てれば、どちらかに不敬というものである。どうしたものか、ちょっとしたジレンマである。
「お願いだから兄さんには言わないで! あんたそれで兄さんがレオニードに食ってかかって退学にでもなったらどうするつもりなのよ! なんでもするから絶対言わないで!」
「え、そこまでのことになんの? まぁ、そういうことなら…… ん?」
そこで僕はレミリアの口から発せられた気になる言葉に気づいて聞き返した。
「レミリアお前、今なんでもするって言ったよな?」
「は、はぁ!?」
それは僕としてはちょっと気にかかったので聞いてみただけだったのだが、レミリアは僕がそう聞くと、顔を赤らめて両手で自分の体を抱きしめて2,3歩僕から後ずさった。
僕としては重ね重ね心外だった。
「そ、そんなの言葉のあやよ! なんでもはしないわよ! この変態!」
「いや、別に他意があって聞いたわけじゃないんだけどさ」
「くたばれ! 切腹しろ!」
「あーもうわかったよ。警察にも学園にも、サリバンたちにもいわねーよ」
「しんじゃえ!」
「目的が変わってるよ!」
テンションがおかしなことになって、具体的に行動にうつりそうだったレミリアをなんとかなだめた後、もうひとつのことについて話を切り出した。
つまり、先ほどの現象である。
僕が目の前の交霊室を見ると、その扉はなくなっており、外庭の遠くのほうにひしゃげたおした鉄の扉が、くしゃっとして転がっていた。
「何って、わかんないわよ。私にわかるわけないでしょ?」
「僕が見た感じ、あれってレミリアがやったように見えたんだけど」
少々のタイムラグはあったように見えたが、あのとき、つまり交霊室の扉が外れたとき、レミリアが手をかざし、それからしばらくして交霊室の扉が吹き飛ばされたように、僕の目には見えた。
「はぁ? 違うわよ。私のサイコキネシスは、あんなに強くないわよ。スプーンを持ち上げるのがせいぜいだって、昼に見たでしょ?」
「うーん、まぁそうなんだけどさ」
たしかに、スプーンを持ち上げる力というのは、100gを持ち上げる力にも満たない。そういう力では、あの分厚い鉄扉を紙を丸めるようにくしゃくしゃにしてちょうつがいから吹き飛ばしてしまうなどということは到底不可能である。
しかし、現実に交霊室の鉄扉は吹き飛ばされ、僕たちは交霊室から外に出ることができたわけである。
「じゃぁ、あの扉を吹き飛ばした、あれはなんだったんだ?」
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とりあえず、黒い帳の下りた学園のキャンパスを、まわりに学生たちの歓声を聞きながら、僕とレミリアは大講堂を目指していた。
レミリアいわく、今夜は大講堂でこの学園の生徒たちが会して晩餐会が開かれるということである。日本ではちょっと見たことがないようなことだった。そういうパーティってあんまりしないもんな。仮にそういうパーティがあっても、たぶん僕は参加しないだろうし。
「それにしてもコヨミ。あんたは何か力があるの?」
歩きながら、レミリアが聞いてきた。
僕は周りの男子生徒の殺気のこめられた目線を見てみぬふりしながら答えた。
「力って、なんの力だよ」
「だってクアッズにこれるってことは、何らかの異能か、それに携わる勢力にいないと、できないことでしょ? でもあんたが何かの集団に属してるようには思えないし」
「うるせーよ。あえて所属してないだけなんだよ」
「じゃぁ何かの異能があるってことになるじゃない」
「んん……」
ちょっと痛いところをつかれて、少し狼狽することになってしまった。
どう答えればいいだろうか。素直に僕が半端な吸血鬼であることを言うか、それとも黙っておくのがいいだろうか。
というか吸血鬼って言っても大丈夫なのか? 除霊とかされないだろうな……
「そこはアレだよ。この街に来てる連れがいてさ、その子が取り計らってくれたんだよ。僕自身は、そんなたいしたものじゃない」
「ふーん。まぁ短期留学のくせにトパンズにまわされるくらいだもんね。そりゃそうか」
レミリアは僕の隣で勝手にうんうんうなずいて、再び口を開いた。
「で、その連れって誰? その子ってことはもしかして幼女?」
「なんだその質問は。別に僕の連れが誰だっていいだろ。ていうか変なところにアンテナが鋭いな、レミリアお前、やっぱりサイコレズじゃないか」
「うっさい! 私はレズじゃないって言ってるでしょ!」
「いってぇ! また蹴りやがった!」
バシッ、と僕の太ももにローキックが突き刺さった。なんでこいつはこんなに手が出るのが早いんだろう。
絶対に客人に対する態度じゃないだろこれ……
「で、その子って誰? もし忍ちゃんみたいにかわいい子なら私にも会わせてよ。ていうか忍ちゃんをちょうだいよ」
やはり、というかだいたいわかってはいたけど、誤魔化せなかったようである。
あと忍はやらねぇよ。あいつは僕の金髪幼女だ。
「いや、えーっとだな……」
「それは僕だよ。栗毛のお姉ちゃん」
それは、僕でも、そしてレミリアでもない声だった。
僕とレミリアが声のするほうを振り返ると、そこにはずっと小さい、年齢にして8歳くらいの幼女、斧乃木余接が、右目に横ピース姿で僕を見上げているのだった。
「いぇーい。ピースピース」
僕を見上げて、うざい横ピースをするおののきちゃんだった。
彼女はこのハーレンホールドの自警団に入るために、学園の僕とは別行動をしていたのである。
その横ピースをするおののきちゃんを、さっと黒い影が覆った。
「か、かわいいぃぃぃぃ! 誰? 誰この子!?」
おののきちゃんを覆った影は、やはりレミリアだった。
おののきちゃんが目に映るやいなや反射的に飛び掛りおののきちゃんを抱き上げたのである。
「……」
おののきちゃんは、レミリアに抱き上げられ、頬ずりされ倒されながら、僕のほうを見た。
「あ、そいつはレミリアで、この学園の僕の同居人だよ」
「かわいいいぃぃ! かわいすぎるうぅぅぅ!」
おののきちゃんは僕がそういうと、再びおののきちゃん自身の体に顔をうずめるレミリアのほうを見て、そして右手を掲げひとさし指をピンと立てた。
「おいちょっとまて、お前なにしようとしてるんだよ」
僕が言うと、おののきちゃんは人差し指を立てたままピタっと体の動きをとめ、再び僕のほうを見て口を開いた。
「やだなぁ。鬼いちゃん。ジョークだよ。式神人形ジョークだよ。僕が僕の必殺技、このたったひとつのさえたやり方、"アンリミテッド・ルールブック"でこの美人のお姉ちゃんをどうにかしようなんて、そんなこと、この僕がするわけないだろう。やだなぁ鬼いちゃんは、発想が鬼すぎるよ」
「だいたい自白してるじゃねぇか。いいからその指を下ろせよ」
「いぇーい。ピース」
おののきちゃんは、その右手の人差し指をおろすかわりに、横ピースした。
「かわいすぎるうぅぅぅぅ!!」
「おいサイコレズ。いい加減にその手を離せよ」
僕がレミリアに言うと、レミリアはきっとした表情で、それでもかわいかったが、僕のほうを向いて、しかし我に返ったようで、口惜しそうにおののきちゃんを地面におろした。
「私はレズじゃない。それで? この子があんたの連れ? この子の名前はなんていうの? 忍ちゃんとこの子のどっちを私にくれるの?」
「どっちもやらんわ。えーと、この子は……」
そこでちょっと言葉につまってしまう。
この子は、僕とレミリアの目の前でうざい横ピースを飛ばすこの幼女は、影縫余弦の使役する、斧乃木余接。式神でつくもがみ人形である。
しかし、僕と同様に、その"存在"を奪われた状態のおののきちゃんを、おののきちゃんとしてレミリアに紹介するというのは、あとあと禍根を招きそうではあった。
なぜなら、おののきちゃんの存在を奪った"存在移し"が、その存在を使ってハーレンホールドの自警団に潜入している可能性が高いからである。
「僕の名前は影縫余接。プリティーかげぬいちゃんと呼んでくれてかまわないよ」
「影縫ちゃん? じゃ、ヨツギちゃんでいいかな? あーかわいい~」
こいつ、さらっと自分の使役主の名前を騙りやがった。
「僕はかわいいから、プリティーかげぬいちゃんって呼ばれたほうがいいんだけどなぁ」
「ぜんぜんよくねぇだろ。で、おのの、いやヨツギちゃん。学園に来たってことは、そっちはそっちで何か進展があったのかい?」
僕がそう尋ねると、おののきちゃんは気がついたように横ピースを下ろして話を続けた。
「あ、そうそう。かわいい僕が、このかわいさで自警団にはたらきかけたんだけどね。なかなかガードが固い。でもやっとこさなんとか取り付けたよ。今夜、自警団で、僕が自警団に入ってもいいか審議する"評議会"が開かれるらしいんだけど、僕一人でいくのもなんだか心ぼそいから鬼いちゃんにも一緒に来てもらおうと思って遠路はるばるここまでやってきたというわけさ」
「かわいい~、かわいすぎる~。ねぇヨツギちゃん、今から晩餐会があるんだけど、私と一緒にこない? ヨツギちゃんの食事も用意するから、一緒に食べようよ」
「レミリア、お前ちょっと静かにしててくれよ。あとで忍を好きなだけモフらせてやるから」
「えっ!? いいの!? う~ん、忍ちゃん、ヨツギちゃん、う~ん……」
僕とおののきちゃんの横で忍をとるかおののきちゃんを取るか、究極の二択を悩み始めたレミリアをよそに、おののきちゃんと話を進める。
「"評議会"か。僕もいっていいのなら。もちろんかまわないぜ」
「即答だね。いくら僕がかわいいとは言え、命の危険もかえりみず即答しちゃうなんて、かっこいいんだから鬼のお兄ちゃんは」
「え、命の危険があるの!?」
なら考え直すぞ。リスクとリターンを天秤にかけるぞ。
心細い程度のことで無駄死にはごめんだ。
「冗談だよ。たぶん命の危険はないと思う、いいじゃないか、ただでさえ鬼いちゃんはそこらへん、どうでもいいことなんだから」
レミリアの手前、おののきちゃんは濁しているが、それは僕が軽い不死であるということを言っているに違いない。
しかし、あらかじめどういう危険度なのかはいっておいてくれないと、それによって心構えというものが違ってくる。
「まぁ、でもいくさ。いくけどさおのの、ヨツギちゃん」
「おのの? おののいもこちゃん? それは飛鳥時代の遣隋使でしょう、鬼いちゃん」
「なんで微妙に歴史に詳しいんだよ。そんな脈絡ないこといわねぇよ。ただ、その"評議会"に行く前に、サリバンたちに、僕の同居人たちに一言だけいっておきたいから、先に大講堂ってとこに行ってもいいかな?」
「ああ、それはかまわないよ。今生の別れになるかもしれないから、ゆめゆめよく言っておくことだね」
「だからいちいちこえーよ……」
そういうわけで、僕は一人悶々と悩んでいるレミリアを我に返らせ、おののきちゃんもともなって晩餐会が催されるという大講堂へと向かったのだった。
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レミリアに連れられて向かった大講堂は、ずいぶんと巨大な建物で、夜のハーレンホールドの空をその電飾で煌々と照らしていた。
大講堂のまわりでは、レメンタリークアッズの学生たちでにぎわっていた。集団でガヤガヤと歓談している学生や男女で話している学生と、今このハーレンホールドは5年大祭というでかい祭のさなかであることを思い出させた。
「コヨミ、レミリア! こっちだよ」
僕たち3人が大講堂に入って、またえらくだだっぴろい講堂内に並べられたいくつもの長い凝った装飾の長テーブルにそって歩いていくと、僕たちを目ざとくみつけたメアリーが僕たちに手を振った。
「遅かったじゃないか? 二人だけでずいぶん楽しんでたようだね」
メアリーが茶化すように言うと、レミリアがプリプリした様子で抗議した。
サリバンとマットはというとすでにテーブルに座り、二人で歓談しているところだった。
「だから俺は思うんだがサリバン、水には表面張力があるだろう? この引き合う強さがある水で人間の体の7割を構成している。人と人が引かれあわないはずがないのさ」
「いや、それは違うよマット。水の表面張力っていうのは、水素原子と酸素原子の陽子数と原子半径の差に起因する電気的な引力と分子構造のベクトル的な偏りによって発生する分子間引力によって発生しているに過ぎないから、人間の心情とはまったく無関係だよ!」
「まったく、サリバンにはこの哲学がわからないかなぁ」
サリバンがなんかよくわからないことを言うと、マットは文字通り手を上げて首を振った。
メアリーはまた、僕の後ろにチョコンとたたずんでいるおののきちゃんに気づいたようで
「コヨミ、その子は誰だい? いや、みたところ。ずいぶん強いね」
といっておののきちゃんを見ながら野性的に目を細めた。
その視線の先のおののきちゃんは
「僕のことかい? たしかに僕は強いよ、強い上にかわいいよ。いぇーい」
といって横ピースをした。
「私の名前はメアリー・ロゼットハートという。きみの名前はなんていうんだい?」
おののきちゃんに興味を持った様子のメアリーを制して言った。
ていうか僕が口をはさまないとこの二人が決闘でもはじめてしまいかねない。
「メアリー。お前また決闘でも持ち掛けそうな勢いだけど今は抑えてくれよ。このあと僕らはちょっと用があるんだよ」
「なんだ、つまらないな。じゃぁコヨミでもいいよ。あとでやろうよ」
「僕も一緒に用がある感じでいっただろ。どんだけ僕が眼中にないんだよ」
「そうなの? アハハ、ごめんごめん」
そこで気がついたのだけど、どうも僕たちの座っているテーブルの近くで、喧騒が、ザワザワとした声と怒鳴り声のようなものが途切れ途切れに聞こえてきているのがわかった。
僕が何事かと思ってそちらを見やると、テーブルに座っていたトパンズの学生たちが、ある大柄の学生に、よく見ると、アクアマリンをあしらったチョーカーをしている学生に怒鳴られているところであることがわかった。
「なんか、もめごとかな? どうしたんだ?」
僕がそういうと、メアリーやサリバンたちも気づいた様子である。
「どうしたんだいコヨミ?」
「いや、あそこだよ。なんか喧嘩、ってほどじゃないけど。ゴタついてるみたいでさ」
僕に尋ねるサリバンにそう答えると、ちょうどそのときアクアマリンの学生がトパンズの一人の学生の胸倉につかみかかったのが見えた。
僕の出る幕ではないかもしれないが、乱闘騒ぎになってもまずいので、一応僕も席をたってそちらへ向かった。
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「いったいどうしたんですか?」
どうもゴタついているその場所まで行って、胸倉をつかむ大柄な学生にそう尋ねた。
「あぁん?」
その大柄な男子学生は、険悪な様子でそう言い放つと、相手の学生の胸倉をつかんだまま首をぐるりと僕のほうにまわして、嘗め回すように僕をねめつけた。
しばらくして、僕の大体の様子がわかったらしく、男はニヤリと顔をゆがめた。
「なんだ、お前も"トラッシュ"じゃないか。俺はまとめて出て行けといっているんだ」
男の口からはどうも刺激のある臭いがもれ出ている、たぶんアルコールだと思ったけど、ここって学生が酒を飲んでもいいのだろうか?
異郷の文化はよくわからなかったが、どうも泥酔している様子で立ちが悪そうだということは察することができる。
「せっかくの5年大祭の晩餐会を、なぜアクアマリンのこの俺が、お前らみたいなゴミと一緒に迎えなければならないのか。業腹に尽きぬというものだ! わかっているのか!? "トラッシュ"どもが!!」
男が語気を強めると、胸倉をつかまれたトパンズの学生がひっと小さい叫び声を上げた。
「そうは言っても、いいんじゃないですか? 見た感じ、机ごとに各クラスで分けられているみたいですし」
僕がそういうと、男は赤ら顔をさらにゆがめて叫んだ。
「”トラッシュ”がアクアマリンの俺に意見をするのか!? 俺はな! お前らと同じ息をするだけで我慢がならんと言ってるんだ!! わかったらさっさと出ていかないか!!」
どうも聞く耳持つ気もないようだった。
僕が返答に窮していると、後ろからサリバンたちもやってきたようで、サリバンが僕の前に出て目の前の大男に話しかけた。
「やぁやぁ、アクアマリンの、グィナスさんでしたね。ずいぶんご機嫌のようだ!」
サリバンはこの学園の全員の名前を覚えてでもいるのか、たまたま知り合いだったかは僕にはわからないが、その生徒の名前を呼んでなだめるようにそういった。
「ご機嫌!? ご機嫌に見えるか!? お前ら”トラッシュ”のせいで俺はいまだかつてないほど不機嫌にさせられている!!」
「それは意外だなぁ! この5年大祭にいったい機嫌を損ねて何の得があるというのか。もしよろしければ、その理由をお聞かせ願ってもかまわないでしょうか?」
「あぁぁ。よく聞け!! 俺は、アクアマリンのこの俺は、貴様らのようなゴミどもと同じ空間で5年大祭の晩餐を迎えることに我慢ができん! 貴様らはこの大講堂にふさわしくない! さっさとここを後にしろ!」
サリバンは言われて、ハハと笑って言った。
「しかしながら、グィナスさん。これはすべての学生に、正統に認められた権利というものです」
「それがどうした! そもそも、お前ら"トラッシュ"に権利を主張することなどできん!」
「なるほど。確かにアクアマリンは粒ぞろいだ。そして何よりも名誉を重んじる」
サリバンの言葉に、男はニヤリと笑って言葉を続けた。
「そのとおり、俺の名誉にかけて、貴様らとの同席は御免被る!」
「しかし残念だなぁ。そのとおり、われわれは名誉を重んじる。そしてその名誉は法によって担保されるものだ。ならばハーレンホールドの守り人たるわれわれが、どうしてその法をかるんじていいものか!」
「んん?」
ふいをつかれたような男をよそにサリバンは両手を軽く開いて話を続けた。
「その法こそが我々の勇ならば、いささかの不機嫌よりも、学園に定められた我々の領分をこそ遵守するのがアクアマリンの気高い名誉に資するものでありましょう! いかがですか?」
サリバンの、ともすれば大げさな演説は、確かに筋は通っている。
それは泥酔した男にもわかったようだった。
しかし、男は話は終わりだと言わんばかりに叫び声を上げた。
「う、うるさぁぁぁい! 出て行かぬのならば実力行使に出る!!」
「ごめんコヨミ。乱闘になるよ」
論理矛盾に耐えかねて叫んだ男を前に、サリバンが僕のほうを見て小さく笑った。
その間に、周りからはほかの学生たちは避難を終えていたようで、泥酔した大男は僕とサリバンを標的にしているのは明らかだった。
サリバンはそれを承知でこうとりはからったのだろうか。確かにどちらにしても乱闘になるのなら、こちらのほうが被害が出ずにすむかもしれない。
「二人とも、面白そうなことしてるじゃないか」
僕が声がする後ろを振り向くと、そこにはメアリーがあの野生的な笑みでそういい、その整った顔立ちにペロリと赤い舌の先をのぞかせた。
うわぁ。やる気だよこいつ。
というかメアリーが、この好戦的なバトルジャンキーが出てくると余計にめんどくさいことになりそうだった。
しかし、そこで僕が心配しているような事態にはならなかった。
気づくと、あたり一面が静まり返り、僕たちを囲んでいたアクアマリンやトパンズの生徒たちも誰一人口を開いていなかった。
そして僕たちの目の前で泥酔した大男もまた、赤ら顔でさっきまでの様子とはうってかわって、口を横一文字に結んでまっすぐに気をつけの体勢になっていた。
その原因は、すぐにわかった。
僕がほかの生徒たちの目線の先をたどると、そこにはダイアスの生徒たちをまわりにはべらせた、あのダイアスの女王、アイリー・レオニードが立っていたからである。
ダイアスの女王は、立っている、というよりは、立ち尽くしていた。
その呆然とした目線の先には、レミリアの姿を捉えたいた。
「あなた……なぜここに……?」
アイリー・レオニードは驚きをもった口調でそうこぼした。
それはおそらく、今ごろ交霊室に監禁されているレミリアが、なぜここにいられるのか、という意味だろう。
アイリー・レオニード以外、誰も口を開かないこの状況だった。
さっきまで泥酔していた大男も、また酔いがさめたようで、起立したまま固まってしまっている。
ならばそちらの問題はおいておいて、僕はアイリー・レオニードのほうに向き直った。
「そりゃぁどういうことだよ? レミリアが晩餐会にいるのは、至極当たり前のことだろ? もしかして、意外なのか?」
シーンと静まり返った晩餐会場でさらに続ける。
「なんで僕たちが交霊室にいないのかってことが?」
僕がそう尋ねると、アイリー・レオニードはゴクリと喉を動かし、しばらくして、高らかに笑い出した。
「ンフ、ンフフフフ。何をおっしゃっているのかわかりませんが? トパンズのあなたが、このワタクシに、レオニードの人間に、何か言いがかりでもつけようと?」
「いや……」
そこで言葉につまってしまう、確かに、このアイリー・レオニードが僕たちを交霊室に閉じ込めたという証拠は、僕たちの証言以外にはない。そして僕たちの証言は、この様子だとおそらく証拠として取り上げられることはないだろう。
そして、アイリー・レオニードにそういわれた僕に対する、周りの学生たちの圧がにわかに高まっているのがわかった。その圧は、よそ者に対する敵がい心と、そんなことをしていいのかという恐怖心があるようだと察せられた。
僕は僕で、だんだんと空恐ろしくなっていた。もし今このダイアスの女王が一声をかければ、ここにいる学生たちや、あるいは”山犬”まで僕に襲い掛かるに違いない。
「いや、そういうわけじゃ、ありませんが」
僕がなんとかそう答えると、アイリー・レオニードは唇を笑い顔にゆがめて笑い声をもらした。
「ンフフ、ンフフフフ。そうでしょう、そうでしょうとも。このいと高きレオニードの人間に、まさかトパンズの人間が何か文句でもつけようはずがありません」
―――それではみなさんごきげんよう。
アイリー・レオニードはそういってゆったりときびすを返すと、その場を後にした。
他方で、すっかり酔いがさめた様子のアクアマリンの男は、さきほどのサリバンの論理を飲み込んだようで、ぶつくさと罵声をはきながら自分の席へと戻っていった。
「大丈夫だったかいコヨミ? さぁゴタゴタも片付いたみたいだし、僕たちもテーブルにもどろうよ! 今夜の料理は豪勢だぜ!」
「あ、ああ……」
サリバンになんとかそう答える僕を、後ろのほうでおののきちゃんがじっと見つめている、その目線はそろそろ出発しないといけないという感じだった。
「なぁ、サリバン。悪いけど僕は急用が入ったから、晩餐会は4人で楽しんでくれ」
「用事?」
サリバンは意外な風に僕に振り返って、さらに続けてたずねた。
「そりゃぁもったいないよコヨミ! 外せない用事なのかい?」
僕はサリバンに小さく笑って答えた。
「ああ、悪いな。たぶん、命に別状はないと思う」
実際のところ、そうあってほしいと僕が願っているだけだったのだけど。