ハレンホールドの北に位置するエクソシスト校レメンタリー・クアッズは、高校という規模ではなかった。
でかい校門をくぐるなり、最初の建物までかなりアスファルトが続いている。
それはキャンパスといえるようなもので、建物も遠くまで点在している。
そのキャンパスを僕はおののきちゃんに連れられるままキョロキョロあたりを見回しながら歩いていた。
「あ、それと鬼いちゃん」
歩きながらおののきちゃんが説明した。
「もしかしたらこの学校でレオニード家の人間に会うことがあるかもしれないけど、もし会っても絶対にいざこざにはならないようにね」
「それはずいぶんと剣呑だねおののきちゃん」
「レオニード家っていうのはハレンホールドの盟主ともいえる家系でね、特にこの時期はその家系にまつわる特別な事情で厳重に守られてるらしくて、下手に手を出すとかなり重い罪に問われることになると思う」
「その特別な事情って言うのは今言えないのかい?」
「言えるには言えるよ。その筋のものならみんな知ってることだからね」
そういっておののきちゃんがそのレオニード家について説明してくれた。
「レオニード家っていうのは、この街の始祖みたいなもので、レオニード家の開祖がこの地に安定をもたらしたっていわれてるんだ。それで、その安定をもたらした力が『レオニードの鍵』って言われてるんだよ」
「それじゃぁかなり歴史があるんだな」
「ほとんど世界最古の部類なんじゃないかな。その『レオニードの鍵』っていうのは、ハレンホールドの霊脈と同調する力のことである種の霊的なアルゴリズムみたいなものらしいんだよね。霊脈が励起してる今なら、レオニード家の人間が「レオニードの鍵」を通じて念じただけで相手の人間を殺せるくらいの力があるって話だよ」
「とんでもないな。でもそれって気まぐれで発動されたりってことはしないんだろ?」
「もちろんだよ。まぁそれがハレンホールドの警備力のひとつでもあるから、さっきみたいなオークションが集中する要員にもなってるんだけどね。でもレオニードの鍵のアルゴリズムが知れると、それが悪用されかねないから、特にこの時期レオニード家の人間は厳重に守られてるんだよ」
「だいたいわかったよ。まぁそもそも僕はそのレオニード家の人間に用があるわけじゃないからね」
用があるのは存在移しで、そっちのほうがやっかいではありそうだけど。
「といってもレオニードの人間はクアッズではダイアスに所属してるはずだから、よほどのことがない限り直接接点を持つことはないだろうけど、一応用心しておいてね」
おののきちゃんとそのような話をしながら学校の受付に行き、そこでおののきちゃんが手続きを済ませてくれた。
なんだかおののきちゃんに頼りきりだが、いかんせんこの辺は勝手がまったくわからないので自分を容赦してあげたい。
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「健闘むなしくトパンズです。鬼いちゃん」
別れ際におののきちゃんはそういって僕に宿舎の地図と書類を渡してくれた。
宿舎は数人で使う一軒家であるらしく、待遇が悪いと聞いていた割にはそれでもそう悪いものではないように思われた。
「ダイアスはタワーマンションらしいけどね」
とおののきちゃんが付け加える。
「ちなみに休むのはトパンズの宿舎でもいいし、もしアレだったらホテルのあの部屋を使ってくれてもかまわないよ。それじゃ僕はそろそろハーレンホールの自警団に行くね。鬼のお兄ちゃんの健闘を祈るよ。ピースピース」
おののきちゃんはそういって街へと引き返していった。あの横ピースやめさせる方法はないかな……
とりあえず僕はその地図を頼りに、学校の北西の宿舎区画のほうへと向かった。
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おののきちゃんに渡された地図にしたがって向かった先は、一軒のログハウスだった。
あたりにもログハウスが点在しており、そのログハウスにも人の気配がある。
ちょっと緊張はしていたが、しばらくそのログハウスの手前に棒立ちして、そのあと意を決して扉をたたいた。
コンコンコン
「すいませーん。短期入学のものなんですがー」
そういってから、しばらく待ったが、反応がない。
もう一度扉をたたこうと手を上げたときに、急に扉が開いた。
「……どちら様?」
扉を開いたのは、背の低い女の子だった。
栗色の髪にちょっとウェーブ気味に背中の中ほどまで伸びている。
目は大きい二重で、少々あどけない顔立ちである。というかかわいかった。
「あっ」
ちょっとどもってしまった。
「すいません。僕は短期入学で、宿舎をこちらだと紹介された阿良々……」
言いかけて口を閉ざした。
扉を半分開けている女の子はいぶかしむような表情になる。
うっかりしていた。
今の僕は、存在を奪われた僕は、阿良々木暦ではなかった。そう自己紹介すること自体は可能なことだけど、もしそれで存在移しに僕のことが知れるというのはいいことではない。
そこで思考をめぐらせ、目の前で疑惑の目を向けている少女に。
「……羽川暦です」
と自己紹介をした。下の名前くらいはまぁいいだろう。
なぜ苗字を羽川といったのかは、自分でも謎である。
「……ああ、短期入学の……」
その小柄な女の子がそこまで言ったところで、その後ろからもう一人別の人間が顔を出した。
「短期入学生かい!? いやぁ君は運がいいなぁ。なんてったって僕がいる宿舎に割り当てられるんだから! 僕の名前はサリバン・ワゾウスキ、君の名前は?」
「あらっ…… 羽川暦です。よろしくお願いします」
あららぎといいかけて修正する。習慣とは簡単には直せないようだ。
出てきた人は男性で、そこそこの背の元気そうな人だった。
「ささっ、立ち話もなんだから早速上がってよ。あ、ちなみにこいつはレミリア・ワゾウスキ、僕の妹だよ」
「うっさい。気軽に呼ばないで」
さっきの少女はツンケンした様子でそういってさっさとログハウスの中に入ってしまっていた。
「あはは…… 妹は最近ちょっと反抗期でさ」
男のほうはえらく活発そうな印象を受けるけど、なるほど言われて見ると女の子のほうと目元が少し似ているかもしれない。
あの時期の妹は、とかく兄に対してツンケンするものなのだ。
なぜ僕にそれがわかるのかというと、火憐ちゃんと月火ちゃんがそうだからである。
「ほかにこの宿舎にはマットとメアリーの4人がいるんだけど、まぁそこらへんはおいおい紹介するよ。それじゃぁ上がってよコヨミ。あ、僕のことはサリバンって呼んでくれていいからね!」
「あっどうも……」
いい人そうだけど。
なんか近いなぁ、距離感。
悪い人じゃなさそうだけど。
そういうわけで、このサリバンに勧められるまま、僕はその宿舎へと足を踏み入れたのだった。
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そのログハウスは2階建てで、5人が寝泊りするにはかなり大きなつくりだった。
僕はサリバンという生徒にログハウスの中へと案内され、リビングの大きい机のイスに座らされていた。
目の前のテーブルにはコーヒー。
その向かいのテーブルにはサリバンが座り
「マット! こっちにきてくれ! 転入生がうちにも来たんだって! レミリアもこっちに座りなよ。 メアリーは、まだ外かな」
とほかの部屋に大きな声で叫んだ。
すると、先ほどのレミリアという女の子と、もう一人は男性が出てきた。
レミリアはサリバンが隣の席のイスを引くと、しかしそこをスルーして対面の僕の隣の席に座り、サリバンが引いたイスにはもう一人の男性がそのまま座った。先ほどであったばかりだがサリバンがちょっとかわいそうな感じだった。
「よし! とりあえずは自己紹介しようか! 僕とレミリアはさっき言ったよね。んで隣のこいつがマット! いいやつだよ」
「よろしく」
マットと呼ばれた男性は紹介されるとほほえんでテーブルごしにこちらに手を伸ばしてきた。
僕も手を伸ばして握手を交わした。
「あらっ…… 羽川暦です。よろしく」
「ハハハ、そのあらっていうの、コヨミの国の挨拶か何かなのかい?」
サリバンが笑って僕に尋ねる。
「いや、ちょっと緊張しちゃって」
僕はもともと人見知りなほうなのだし、そこらへんはしょうがないことである。
握手しおわったマットが
「俺は哲学書が趣味なんだよ。ショウペンハウアーが好きなんだけど。コヨミは好きな哲学者なんているかな?」
と聞いてきた。
「いや、特には……」
ていうか普通好きな哲学者とかいないだろ。
羽川はわからないけど。それって日本だけのことなんだろうか。
だとすればカルチャーショックである。
「マットは偏屈なところがあるからね! 気にしなくていいよコヨミ。それでこの僕、サリバンこそ何を隠そうトパンズ最強の男なのさ」
「またその話?」
僕の隣でレミリアが両手を振っていった。
その口調にはうんざりした様子がありありと表れている。
「事実だからいいだろう!? 僕はトパンズで、いや学年で唯一、ダイアス主席のルシウス・ヴァンデミオンに膝をつかせた人間なんだからね!」
「でもサリバン、確かにお前の学力は学年トップレベルだけど、肝心のエクソシストの能力はまだないだろう」
「能力の目覚めは個人差があるのさ。その点僕は有望だよ!」
マットが指摘する。
聞いた話では、ダイアスはこの学校では成績優秀なものが集まるらしいから、その主席というと学年トップクラスの人間だと予想できる。
その人間からダウンを奪うとは、なるほどこの自信のある物言いも多少は理解できる気がする。
「そういうわけで、コヨミ、このサリバンと短期間でも一緒に生活できるってのは幸運なことなんだぜ? 僕は将来山犬部隊に配属されることになるかもしれないんだからね!」
「ないない」
レミリアがどうでもよさそうに言った。
「山犬部隊はさすがに厳しいと思うぜ、サリバン。正直、ダイアスの主席でもなれるかどうかってレベルだろう」
「それなら僕にもチャンスがあるってことだろ? まぁ山犬部隊じゃなくても別に警護団でもいいんだよ。まぁ見てなって。そうなったらレミリアにもいろんな服でも買ってやるからさ」
「別に頼んでないし」
レミリアが右手をヒラヒラ振った。
なるほど反抗期である。
次にマットがレミリアについて
「レミリアは雑誌のモデルなんかやってるから、服はいやってほど着てるだろう? 俺たち4人はもうずっと小さい頃からの付き合いだから実感ないけど、学園でもレミリアのファンクラブまであるくらいだからな、コヨミもレミリアのことが気になるんじゃないか?」
と急にこっちに振って来た。
「えっ? 僕? あ、うん。かわいいと、思うけど」
「ふんっ」
そういってレミリアは顔をそむけた。
ツンツンしすぎだろ。
というか、なんか僕がおいてけぼりだった。
おいてけぼりというか、今まで会ったやつらとずいぶんと毛色が違った人達である。
新鮮といえば聞こえはいいかもしれないけど。
「そうだ。メアリーの紹介がまだだな」
マットが気がついたように言って
「メアリーなら裏庭だろう」
と続けてサリバンに言った。
「そうだ。そろそろ兄貴が呼ばれるころなんじゃないの?」
とレミリア。
サリバンの様子が、さっきまで元気だった雰囲気が少し曇った感じだった。
「え、そ、そうかな。そうだコヨミ! メアリーも紹介するから一緒に裏庭にいこう!」
「え? あ、ああ」
そうあいまいに同意して、僕はサリバンについてログハウスの表のドアから外に出て裏に回った。
僕の先を歩いていたサリバンが、裏庭に向かって声をかけた。
「おーい! メアリー! 今日から短期入学で一緒に寝る生徒が来たよ! コヨミって言うんだよ!」
僕もそちらに歩いていって裏庭のほうに目をやった。
裏庭には、かなり広いスペースに、ところどころ丸太が立てに伸びていた。
それは正確にはただの丸太ではなく、丸太の横から木の棒が飛び出した、いわゆるクンフー用の、木でできたサンドバックみたいなものである。
そして、その丸太に囲まれて立っているのが、おそらくメアリーと言われる人だった。
その人は女性で、僕よりもうちょっと背が高い感じだった。
髪は白みがかったアッシュブロンドで、短めにシャギーがかかっている。
体格は、かなり肉感的で、人世代前のゲームのストリートファイターみたいな感じだった。
サリバンに呼ばれて、メアリーと名前を呼ばれた人がこっちを振り向いた。
「君が短期入学生か、私はメアリー・ロゼットハートというんだ。よろしくコヨミくん」
「ああ、うん。よろしく」
彼女の声は、しかし見た目から思ったより、ずっと柔和な感じだった。
アッシュブロンドの髪で瞳は褐色、整った顔はかわいいというよりはどこか猫科的な、猫というよりは狐のような健康的な綺麗さがあるといったほうがいいかもしれない。
そのメアリー・ロゼットハートの顔が、僕のほうを見たままふいにほころんで、ニコリと笑っていった。
「それじゃぁ早速だけど、一勝負してみようか」