シュターデンの敗北、レンテンベルク要塞失陥につづくオフレッサーの裏切りと処刑・・・
辺境地区でのキルヒアイスの快進撃と合わさって、ガイエスブルク要塞に籠もる貴族連合軍は面白くない日々を過ごす事を強いられていた。
敗戦続きの彼等に与えられた唯一の勝利が、貴族と名乗るのもおこがましい貧乏帝国騎士の手によるものとくれば、尚更であろう。
また、その面白みに欠ける勝利もラインハルト傘下の一艦隊に少しばかり灸を据えた程度で、
戦局を決定づける大勝利とは程遠いものであった。
■小さな凱旋■
ガイエスブルク要塞宇宙港に収容された艦隊旗艦アースグリムに接続されたタラップを優雅に降りる貴公子然とした男は、
一般兵を中心とする集団から投げ掛けられる勝利に対する称賛と歓声に手を上げて応える。
大貴族達に面白くない勝利であっても、平民階級の兵卒達にとっては歓喜するべき勝利だった。
勝利を齎す名将の存在は、非力な彼等を故郷に帰してくれる希望なのだ。
「ファーレンハイト中将!ご戦勝おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます
閣下の指揮を間近で見られた事は、私に取って何にも代え難い貴重な経験となりました」
興奮した面持ちで走り寄って来たアルフィーナ・フォン・ランズベルクは、キラキラとした眼差しを食詰に向け、称賛の言葉を惜しまなかった。
初陣で華々しい勝利を体験した彼女は、それを成し遂げた男に心酔してしまったようである。
ある種の英雄崇拝といったところであろうか?そんな少女の様子に苦笑いを零しながら、
ファーレンハイトは、少女の頭にやさしく手を乗せて髪をクシャクシャとしてやる。
「ちゅっ中将!?なっ何を…!?」
『フロイライン、この勝利は始まりに過ぎん。まだまだ先は長いぞ』
「はい!」
少女の元気な返事に満足そうに頷いたファーレンハイトは、副官のザンデルス少佐を伴って総司令官メルカッツ上級大将の下へと向かう。
一先ずの勝利と、続く困難な戦いへの対策を早急に協議する必要があったのだ。
貴族連合軍に置ける『Gangster488』の立場は、あくまでマイノリィティーに過ぎない。
主流派門閥貴族と違って、潤沢な資金も戦力も有さず、発言権も小さい。
この不利な状況を好転させるため、勝利し続けるしかない。
一度でも敗れるようなことが有れば、彼等の伸長を望まぬ門閥貴族達の手によって、
無残に切り捨てられ、破滅の門を揃って潜る事になるのだから…
■■
「ファーレンハイト中将、見事な勝利だった。失った物は少なくは無いが
それを最小限に抑えることが出来たのは、卿の功績だ。よくやってくれた
貴官等も、不利な状況で中将を補佐し、厳しい戦いをよく乗り越えてくれた」
戦勝とそれに先立つ敗北の損害を報告する僚友達に、総司令官メルカッツ上級大将は惜しみなく労いの言葉を掛けた。
敗残の兵を救い、勝利の勢いに乗る名将を相手に無事に帰還することが、どれほど困難な事か、
この場で誰よりも永い戦歴を持つ帝国の宿将は、良く理解っていたのだ。
『一勝一敗で五分の形だが、味方の損害の方が敵を遥かに上回っている…
この事実と、そうなった原因を貴族のお偉方が理解してくれれば、
これからの苦労も減りそうですが、総司令官閣下も楽は出来無さそうですな』
一方、メルカッツにしては珍しい激賞を受けても、ファーレンハイトの方は特に舞い上がりもせず、
変わる予兆を一向に見せない厳しい現実、貴族連合内に蔓延る歪んだ特権階級意識に目を向け、苦々しい表情をしていた。
「盟主のブラウンシュバイク公の力量では、リッテンハイム侯を初めとする副盟主派の
不満を抑えつつ、我々の様な跳ね返りを許容しながら、軍を纏める事は難しいでしょう」
「ふむ、黄金樹の下に集った人々が、心を一に出来ないとは思いたくは無いが
大佐の言が正しいのだろう。誇りを欲に変えてしまった貴族ほど醜悪なモノはない」
貴族達の傲慢さが、近い将来リップシュタット連合の分裂を招くと予測するシューマッハ大佐の正しさを真っ先に肯定したのは、
この場で一番高位の爵位を有するランズベルク伯アルフレッドだった。
彼は、先のアルテナ会戦において、同じ立場の門閥貴族の醜態を間近で見せ付けられた事で、
ロマンチズム的な要素残しつつも、より現実的な思考をするように変わっていた。
「ともかく、我々は勝ち続け、実績を持って発言権を地道に高めて行くしかない
貴官等には、これからも厳しい戦いを強いることになってしまうが、耐えて欲しい」
「閣下、この場に集った者は、先の辛苦困難など、とうに覚悟しております」
頭を下げるメルカッツに、その必要が無い事を告げる副官のシュナイダー少佐は、
力強い意志を等しく持ち、この場に集った『覚悟した男達』に黄金の輝きを見出していた。
■
絶望的な戦いを前にしても、彼等『Gangster488』の心が最後まで折れる事は無かったと、多くの史家は口を揃える。
また、彼等は味方の無能と言う最も絶望的な状況に果敢に挑んだ『愚かで優秀な挑戦者』と評し、
もし、ゴールデンバウム朝の皇統を巡る騒乱で、メルカッツやファーレンハイト等がローエングラム侯ラインハルトに与していたら…
銀河の歴史が貪る流血は何十万トン単位で減らすことが出来ただろうと、選択されなかった未来を惜しみ、深く嘆いた。
■凋落のゴールデンバウム■
アルテナ会戦でファーレンハイト等の活躍で何とか矜持を保ったリップシュタット連合であったが、
それも長くは続かず、レンテンベルク要塞失陥以後も、辺境聖域ではキルヒアイス上級大将率いる艦隊に悉く敗れ、
各地の星域を争う戦闘でもラインハルトに見出された優秀な艦隊指揮官達に、自尊心だけが肥大化した無能な貴族どもが勝てる訳も無く、
一向に勝ち星が溜まる気配をみせず、忍耐とは無縁な生活を送って来た
高貴なる人々のフラストレーションは、あっという間に限界を迎えようとしていた。
自陣奥深くまで敵を引き込み、疲弊した相手を討つと言う基本方針を掲げたことを忘れてしまった貴族達は、
傲慢に勝利を無条件に与えろと、総司令官のメルカッツに要求するようになる。
また、副盟主のリッテンハイムの乏しい自制心も限界を迎えようとしていた。
生来の高い地位故か、他人に頭を下げることに慣れていない男は、盟主と同じ場に居る事すら耐えられなくなり、
取り巻きの貴族、それに従う多くの私兵集団を引き連れ、ガイエスブルク要塞を後にする。
事実上の分派行動であったが、キフォイザー星域に位置するガルミッシュ要塞を拠点に、
敵陣営に奪われた辺境星域を奪還すると言う名目で、それはあっさりと認められることになる。
どうやら、盟主のブラウンシュバイクの方も、副盟主のリッテンハイムの顔を見るのに、うんざりし始めていたらしかった。
総司令官の命を受けてラインハルト軍迎撃に向かうファーレンハイト率いる二万隻と、
副盟主リッテンハイム侯が率いる三万八千隻の艦隊がガイエスブルク要塞を後にしたのはほぼ同時期であった。
帝国歴488年7月、帝国内で起きた騒乱の炎は大きく燃え広がる…
■■
「貴族のわがままで出撃とは、そんなに勝利が欲しいなら、自ら出戦すれば良いものを」
「そう不貞腐れるなザンデルス、俺達が出ることで、貴族の我儘で殺される兵が
減ると考えれば、そう悪くあるまい。今は勝利の為に何をするかを考えるべきだ」
「はぁ、久しぶりの出撃で気が逸るのは結構ですが、閣下の戦いに
付き合わされる身としては、愚痴の一つや二つも言いたくなりますね」
リップシュタット連合に参加して以来、少々愚痴っぽくなった副官の様子に苦笑いしながら、
ファーレンハイトは艦隊をシャンタウ星域へと向ける。
目的地とした場所は、それほど戦略上重要な要地ではないが、ラインハルト傘下の艦隊が居る一番手近な星域だったのだ。
さして意味の無い出戦であるなら、出来るだけ補給物資を要せず、
敵と遭遇する回数を最小限に抑えられる近場を選ぶのは、当然の選択であった。
アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトという男は、戦いを嗜むと評された烈将であったが、
無謀な戦いとは無縁な位置に身を置くことが出来る理性も併せ持っていた。
そして、その二面性が、彼と彼に従ってきた者達に、多くの勝利を齎してきたのだ。
「敵艦隊、およそ二万隻!旗艦識別から指揮官はファーレンハイト中将です!!」
「ファーレンハイトが相手か、ミッタマイヤーが苦杯を嘗めさせられた相手に
寡兵で立ち向かうのは骨が折れそうだ。頃合いを見て退くのが良さそうだが…」
ロイエンタールは通信士官の報告を聞くと、片手を顎に当てながら、その明晰な頭脳を働かせ最良な判断を下そうとする。
自ら率いる艦隊の数が相手を下回っている状況で、正面から当たるのは無為無策と言って良い。
ましてや、相手は貴族のボンクラでは無く、歴戦の勇将である。
戦略上の要地でも無い場を死守した所でも、それほど益が有る訳でもない。
一時的な敗北で自身の声望は失われ、自分の勢いは鈍り、下り切った貴族連合の士気を上げてしまうかもしれないが、
奪われた地の奪還戦を主君であるラインハルトに乞えば、その心証は悪く無いものとなるだろう。
部下より、主君である人間が有能であるという機会、失地回復という場をラインハルトに提供してやると考えれば、
少々の後退や敗北など問題ないと考えられる度量を、金銀妖瞳の男は持っていた。
「ただ、目の前の男が易々と退かせてはくれまい」
智と勇のバランスに置いて主君であるラインハルトや敵将ヤンに優ると評されるロイエンタールは、
迫りくる獰猛なファーレンハイト艦隊を相手に決死の撤退戦を試みることになる。
シャンタウ星域会戦は、逃げるロイエンタール艦隊と、それを捕えようとするファーレンハイト艦隊によって、
後世の教本となるような撤退戦、追撃戦を繰り広げることになる。
8割の兵力で被害を二割程度に抑えて撤退したロイエンタールの手腕を褒める者も居れば、
僅か数隻の被害で3000隻以上の艦艇を効率的に撃沈したファーレンハイトの効率的な攻勢に唸る者も同時に存在した。
開戦から勝者と敗者の立場が明確になっていたシャンタウ星域会戦は、戦略的な価値を殆ど生みださなかったが、
理性的な二人の用兵巧者によって演出された『最も効率的な殺戮劇』と戦史家達の探究心を彼等の死後、数世紀も擽り続けることになる。
いかに退き、いかに追うか?いかに攻め、いかに守るか?
もっとも基本である故に、それ行なう者の手腕がより大きく影響した戦いであった。
■
一流の職人芸のような戦いがシャンタウ星域で行われているのと同時期に、
キフォイザー星域において、戦略上は非常に重要な戦いの戦端が開かれようとしていた。
実質的な分派行動に出た副盟主リッテンハイム侯率いる4万5千隻の大艦隊が、
キルヒアイス上級大将によって占領された辺境星域を奪還せんと、進軍してきたのである。
この辺境星域を巡る戦いで勝利すれば、リッテンハイムは盟主ブラウンシュバイク公に対する大きなアドバンテージ、
巨大な武勲と辺境とはいえ、広大な生産地帯を手にする事になる。
また、死守する方の宇宙艦隊副司令長官キルヒアイス上級大将にとっても重要な意味をこの戦いは持っている。
辺境星域を確保することで、敵陣営奥深くに進軍する本隊の兵站を安定させ、維持することは、
彼が率いる別働隊に取って至上命題といっても良かった。
リップシュタット連合での主導権を確保する上で勝利する必要のあるリッテンハイム軍、
ラインハルト率いる本隊の攻勢を支えるために負けられないキルヒアイス率いる別働隊の戦いは、
帝国内の騒乱の今後を占う重要な一戦となる。
■■
「敵が弱過ぎたとはいえ、キルヒアイス司令官の才覚はローエングラム侯に匹敵するな」
「そして、この事実は我々に取って喜ばしい限りだが、門閥貴族に取っては最悪の事実だ」
「確かに、門閥貴族からしてみれば、同時に別の場所で
戦争の天才ローエングラム侯が存在するようなものだからな」
自分と同じ別働隊副将のルッツの言葉に頷きながら、
勝利の美酒を入れたグラスを片手に、ワーレンは未だに黒煙をあげ続けるガルミッシュ要塞を眺めていた。
リッテンハイム軍とキルヒアイス率いる別働隊の戦闘は原作通りの展開で進み、
寡兵だが統制されたキルヒアイス軍と比べて、艦艇の配置すらバラバラな貴族軍が敵になる訳も無く、
45,000隻対30,000隻の戦力差を活かすこと無く、リッテンハイムは無残な敗北を喫することになった。
僅か800隻程度別働隊を率いたキルヒアイスに艦隊を散々に掻き乱され、死の恐怖を感じたリッテンハイムは、
早々にガルミッシュ要塞への逃亡を決断し、『あの場所に、あの場所にさえ行けば…』と、
うわ言の様に呟きながら、必死に逃げ続け、途中で逃走経路を邪魔する位置に居た味方の輸送艦隊を砲撃して逃げる始末であった。
当然、そのような愚挙を行なえば人心が離れるのも当然で、敗戦から一日を待たずに、
リッテンハイム侯は、部下の手によってヴァルハラに強制的に送り込まれる事になる。
「これからは、貴族であるから何をしても良いという時代が
終わったと言うことを多くの人が認識することになるでしょう」
「そして、新しい時代の到来を告げるために
我々は勝たなければならないと言う訳ですな?」
遅れて艦橋に入って来た赤毛の司令官の言葉に、ワーレンはグラスを掲げながら言葉を返し、僚友のルッツもそれに倣う。
宇宙の片隅、辺境での戦いではあったが、
新しい時代の到来を感じさせる『意味ある戦い』の勝利の立役者達は、グラスを片手にお互いの勇戦を称えあう。
黄金樹の輝きは、辺境星域を中心に急速に失われつつあった…
■貴族と平民■
キフォイザー会戦での敗戦及びガルミッシュ要塞失陥、副盟主リッテンハイム侯の横死の報が届くのと、
シャンタウ星域を奪還したファーレンハイト艦隊がガイエスブルク要塞に凱旋したのは、
奇しくも、出戦と同じで、ほぼ同時期のことであった。
そのため、戦勝気分に士気を上げる事も、敗戦で綱紀引き締めるにも、中途半端に為らざるを得ず、
形の上ではアルテナ会戦と同様に、一勝一敗と言った形ではあったが、失われた戦力の大きさから、
ローエングラム陣営に比して、貴族連合側の損害は非常に大きな物であった。
ただ、リッテンハイムの横死による副盟主派の失墜と、総司令官派であるファーレンハイトの勝利は、
『Gangster488』の小さな発言権と、影響力を行使することが出来る兵力を増すことには成功していた。
既に三分の一近くの兵力を失い、ギリギリ11万隻を少し超える兵力を残すだけとなった貴族連合軍の
4割程度を動かす力をメルカッツ等は手にすることになったのだ。
■■
「そういえば、ファーレンハイト中将は、御存知ですか?
閣下の事を兵卒達が烈将と呼び、称賛し、熱烈に支持している事を」
「ほう、少しばかりの勝利でも、敗戦続きの中だと目立つらしい」
総司令官メルカッツ上級大将への戦勝の報告と、恒例となっている戦略戦術討議を終えたファーレンハイトは、
要塞内の高級将官食堂で待ち伏せしていたアルフィーナ・フォン・ランズベルクと遅めの昼食を共にしていた。
少女に取って英雄である食詰は、彼女から聞かされる自分の異業とやらに時折吹き出しそうになりながら、話を聞いてやった。
目を輝かせながら、自分を慕ってくれるアルフィーナに、故郷に残してきた姪の姿を知らずと重ねていたのかもしれない。
「中将、どうやら妹が食事の邪魔をしているようで、申し訳ない」
「兄さま!!邪魔なんて酷いです」
「ランズベルク伯、御心配には及びません。ほとんど聞いていませんでしたから」
「えぇ!!中将まで!酷いです!!」
途中から来たアルフレッドの言葉と、ファーレンハイトの珍しく茶目っけタップリの返しに、
あたふたとしながら、抗議の声を上げる少女の微笑ましさ…
『覚悟を終えた』二人の男は穏やかに笑う。
困難な戦いを控えた束の間の休息を心温かいものにしてくれた少女に、感謝の念を抱きながら…
ヴェスターラントで大規模な平民の反乱が起こったのは、それから2週間後の事であった。
貴族の支配による時代は終わりを迎え、平民が力を持つ新しい時代が直ぐそこまで来ていた。
・・・ヘイン・フォン・ブジン大将・・・銀河の小物がさらに一粒・・・・・
~END~