「待てよシャルル。たまには一緒に着替えようぜ」
アリーナでの特訓を終えた後の更衣室で、ISスーツのまま帰ろうとしたシャルルに唐突に上半身裸の一夏が言った。
勘弁してくれよ、と同時に、とうとう始まったか、とも思った。
「え?」
「え、じゃねえよ。お前いつもすぐに帰るよな? シャワーも部屋で浴びてるみたいだし」
困惑するシャルルに一夏が詰め寄った。微妙にキレている。
温和な一夏が、一緒に着替えないだけでキレている。
「そ、それが何かいけないの?」
「当たり前だろ!? 男同士の親睦を深めるには裸の付き合いが一番じゃないか」
なに言ってんだコイツ。
シャルルは振り払うように腕を振るった。本気で嫌がっているようだ。
「い、イヤだよ! どうして一緒に着替えないといけないのさ!」
「日本にはな、裸の付き合いって言葉があるんだよ。ありのままの自分で隠し事をしてませんよ、っていうアピールなんだ。
裸になって素の自分をさらけ出すことで初めて深い仲になれるんだよ」
「う……」
そういう言葉はあるけど、別に裸になる必要はないと思う。
さも日本の伝統文化なんですとばかりに語られたことと、後ろ暗い面のあるシャルルが言い淀んだのを見て、一夏はさらに詰め寄った。
「というか、むしろどうしてシャルルは俺と一緒に着替えたがらないんだ?」
「どうしてって……その、恥ずかしいから……」
「慣れれば大丈夫。さあ、俺と一緒に着替えようぜ」
「ひいっ!」
迫真の顔つきで迫る一夏に、シャルルの表情が怯えで強ばった。
「お、おかしいよ一夏! 男同士でなんて! ほ、本当は一夏ってホモなんじゃないの!?」
「安心しろ。俺はホモじゃない。ただ男同士の親睦を深めたいだけだ。
さあ、三人で一緒に着替えようぜ。慣れれば病みつきになるぞ」
もうコイツわざと言ってるんじゃないかな。
追い詰められたシャルルは「あわわ」とガクガク震えたかと思うと、
「うわぁぁあああ! 榛名助けて!」
おれの背後に隠れ、一夏から距離を取った。
君ら、困ったらおれを盾にすればいいと思ってない?
「榛名、一夏をなんとかしてよ!」
「榛名からもなんとか言ってやってくれよ」
前からも後ろからも……どうしろって言うんだよ。
テンパり、返答に窮したおれは、女のシャルルを優先すべきと結論づけ、庇うように腕を広げて一夏に言った。
「一夏、おれを見ろ」
「ッ!?」
「は?」
「そんなに裸が見たいならおれのを見ろ」
「榛名!?」
シャルルの当惑の叫びが耳朶を叩く。いや、もう、おれもどうすればいいかわからないんだよ。
一夏はきょとんとして、
「榛名とは毎日着替えてただろ。もう見飽きたよ」
「それもそうか」
「榛名、おかしいよ!? どうしちゃったの榛名ぁ!?」
シャルルがおれの肩を揺さぶる。繰り返すけど、もうどうすればいいかわからないんだ。
「シャルルだって部屋だと普通に着替えてるだろ? なんでおれとはダメなんだ?」
「一夏、シャルルは恥ずかしがり屋なんだよ。二人きりでも堂々と着替えたりしてないから、一夏が嫌いとかいうわけじゃないって」
「う、うん! そうだよ!」
シャルルも便乗してどうにか誤魔化そうとしたら、一夏は益々気に食わないと顔をしかめた。
「んだよ、シャルル。尚更ダメだろ。男の付き合いって言うのはな、良いもんだぞ。楽しいぞ。
郷に入ったら郷に従えって言うし、食わず嫌いせずに一回やってみろって」
「いぃい、良いよ僕は!」
「こんなに嫌がってるんだし、強要しなくてもいいんじゃないか。シャルルは外国人だし、まだ異国に馴染めなくても仕方ないだろ」
「うーん……そこまで嫌ならしょうがないか。これで馴染んでもらえると思ったんだけどな」
申し訳なさそうに一夏が謝罪した。
シャルルがおれの制服の二の腕部分を握り締めて震えている辺り、かなり怖かったようだ。
まあ、冷静に考えれば男が女の子に脱げって迫ってるんだし、怯えても不思議ではない。
一夏は頭を掻いて、
「今日、山田先生から大浴場の使用許可が下りたからみんなで入ろうと思ったのに、そこまで裸になるのが嫌なら誘うの諦めるよ。
二人で入ろうぜ、榛名」
「え?」
一夏に言われて、入学当初から一夏が頼んでいた案件の許可がようやく下りたのか、と何とも言えない気分になった。
やたらとしつこかったのはそれが原因か。
誘われなかったシャルルは目が点になっている。
「だ、大浴場に、男同士で?」
「当たり前だろ」
「は、裸で入るの? 水着じゃなくて」
「当たり前だろ。風呂に入るんだから、洗うとき邪魔になるし」
「……」
シャルルが黙り込む。また妙なこと考えてるな。この子耳年増だからなぁ。
「榛名はもちろん来るよな? 約束したもんな」
「うん、行くよ」
「はは、そういや榛名と二人きりになるのって久しぶりだな。
シャルルが来てからは初めてじゃないか?」
「そうだねー」
ゆっくり風呂に浸かるなら、疲れもとれるかも。
大浴場……銭湯みたいなものか。もう長い間行ってないから楽しみだ。
IS学園に来てからはシャワーばかりだったし、一夏も足を伸ばして湯船に浸かれるのを心待ちにしていたみたいだし。
「……」
「……」
何か、また背後から不吉な視線を感じるんだけど、振り向きたくないな。
「一夏……」
「一夏さん……」
「あれ? 鈴、セシリア。何でいるんだよ」
魂の抜けたような声に仕方なしに振り向くと、ゆらりと幽鬼の如く近寄ってきたのは、鈴音さんとセシリアさんだった。
悍ましいことに、目に光がない。薄く笑っているのも恐ろしさを増長させている。
花も恥じらう乙女なのに上半身裸の一夏に反応すらしてない。二人は小さく、低い、囁くような声音で。
「お風呂、入るのね。金剛くんと一緒に」
「裸で、一緒に湯船に浸かったり、背中を流し合ったりするんですのね」
「ああ、当然だろ。大浴場なんだし」
一夏が顔色変えずに言い切ると、背後でISの装着音がした。
「よし殺す!」
「何でそうなる!?」
あ、これヤバイやつだ。おれは一夏と違い、本気で命を狙われたら何だかんだで助かる気がしない。
紫雲を展開して逃げよう。待機状態では紫紺の宝石がついただけの質素な指輪の紫雲を展開しようとした、その時だった。
「あ、いたいた! 織斑くーん! 私とペア組んでー!」
「ダメよ、私とー!」
「きゃっ、織斑くん裸じゃない!」
「触っていい? 触っていい?」
女子が雪崩込んできて、更衣室の一角がごった返した。
いま男子が着替えしてるんだけどな……
「どわ!? な、なんだ?」
「はっ――そ、そうでした。すっかり忘れてましたわ!
お待ちなさい、一夏さんと組むのは私でしてよ!」
「なに言ってんのよ! 一夏と組むのはあ・た・し! そうでしょ一夏!」
「は? うわ、ちょ、ちょっと待てぇ!」
女子に揉みくちゃにされ、あっぷあっぷな一夏。
ああいうの見てるから、モテたくないって思っちゃうんだよ。
まずウチの女の子ってさ、怖すぎじゃない? 物理的に強いよね。
「帰ろっか」
「うん」
取り残され、言い様のない疎外感に襲われたおれとシャルルが、この隙に立ち去ろうとした。が、
「お、俺は榛名と組むからやめてくれ! な、榛名。そうだよな!?」
一夏がまるで溺れている最中のように必死な声音で叫ぶ。
それで全員の目がおれに向けられたものだから、足を止めて答えた。
「いや、おれはシャルルと組むぞ」
「残念だったね、一夏」
「へ……?」
先ほどの意趣返しとばかりにシャルルがほくそ笑むと、一夏の表情が絶望に染まった。
悲痛な語調で一夏が再度叫ぶ。
「な、なんだよそれ! ずるいぞシャルル!」
「ずるくないよ、早い者勝ちだもん。ね?」
勝ち誇るシャルルと、対照的に負け犬そのものの一夏。
シャルルがおれに同意を求めてきたが、セシリアさんと鈴音さんが凄惨な目つきでおれを睥睨していたため、おれは目を逸らした。
「クソ! 何でだよ……! 俺だって榛名がよかったのに!」
本気で悔しがっている一夏。黄色い声をあげる女生徒たち。
一夏……気持ちは嬉しいけど、気づいているか?
お前、上半身裸なんだぞ? 上半身裸で、群がる女子高生たちより男がいいって言ってるんだぞ?
セシリアさんと鈴音さんの目を見てみろよ。虹彩がドス黒く染まってるぞ。
自分の状況に気づいていないのか、一夏は手を合わせ、頭を下げてまで頼み込んできた。
「後生だ! 代わってくれシャルル!」
「ベー。一夏は女の子と組なよ。みんな一夏と組みたがってるんだから」
「そ、そんなぁ……」
「行こ、榛名」
シャルルに手を引かれ、今度こそ更衣室を後にする。
去り際に怒号と嬌声が聞こえた気がしたが、決して振り向かなかった。
一夏の場合、誰か特定の女性を選んだら色々と終わるような気がするんだけど、こればかりは、おれにもどうすることもできない。
女難って命に関わるんだなあ。強く生きてくれ一夏。たぶん八割がた自業自得だ。
●
「ふー、いいお湯だ。生き返るな」
「そうだなー」
床一面、浴槽に至るまで隈なく大理石で誂えられた大浴場。
目に優しい緑の点景を湯船に浸かりながら一望できる、眼の癒しまで考慮した造り。
日替わりの湯は乳白色で、濃厚なホットミルクの中にいるかのよう。
異性に囲まれ、知らず知らずのうちに肩肘を張った生活を強要されていたおれと一夏は、広大な湯船で羽根を伸ばしていた。
脱力し、お湯の暖かさに身を任せていると、全身から鬱積したものが軒並み放出されてゆくような、ゆったりとした心地よい憩いの場に揺蕩する。
あー……いいなぁ、これ。ホントいいや、これ。
「今日は酷い目にあったな……誘ってくれたっていいだろ榛名」
あまり気持ちよくてうとうとしていると、一夏が恨みがましく睨んできた。
おれは瞑目しながら言った。
「おれが学年別トーナメントの話を聞いた時には、もうシャルルが組もうって頼んできたからな。
一夏とは組みたくても組めなかったんだよ」
「抜けがけされたのか……あーもう、どうすりゃいいんだ……」
一夏が悲観に暮れているが、もう申請しちゃってるからなあ。
一夏には悪いけど、頑張って一人を選んでもらうしかない。それでどうなるか知らないけど。
「なあ、そういえば最近、織斑先生が妙に機嫌いいけれど、一夏何でか知ってる?」
「ん? 千冬姉か? どうだろ。引っ越してから毎日マッサージと晩酌されてるけど」
それか。厳格そうに見えるけど、あの人もやっぱりブラコンなんだ。
血は争えないな。
「榛名はどうなんだ? シャルルとの相部屋は」
「んー……楽しいと言えば楽しいよ。一夏といた時よりは気苦労も増えたかもしれないけどさ」
何せ女の子だし。視覚的には問題ないけど、着替えの時の衣擦れの音とか、シャワーの水音、夜の静寂の安らかな寝息、湯上りの芳しい女の子の薫りが、忘れてる頃に異性だってことを殊更に強調させるものだから、おれの気が休まる時がない。
一夏は大っぴらにしてるから初めこそ面を食らったけれど、それ以降は気兼ねない日常を送れてたから、ルームメイトとしては助かっていた。
肉体的にも心情的にも。
引っ越して初めてそのことに気づいた。
「一夏は? 久しぶりに姉弟水入らずはどう?」
「はは、普段と変わらねえよ。家だと少しだらしなくなる程度で、あとはいつもの千冬姉だ。
あ、これは内緒だぞ? 俺が言ったって言うなよ?」
「言わない言わない」
取り留めのない会話が浴室に木霊して、顔を付き合わせてると、どちらともなく笑いあった。
何だか久しぶりに一夏と話をした気がした。
そのまま閉場時間ギリギリまで湯に浸かっていたおれたちは、おれが湯当たりして一夏に肩を貸してもらい、大浴場を出たところで盗み聞きをしていたクラスメートと遭遇し、あらぬ誤解を受けたことをおれが弁解しようとするも一夏が天然発言で更なる誤解を拡散して、部屋に帰るとシャルロットにアレコレ詰問されるという、奇天烈な結果に終わった。
でも、癒された……かな?
あとがき
DeNAが勝ったので投稿しました。
疲れていた主人公もこれで癒されたでしょう。