①
数日後。
ヒデオは丁寧に頭を下げ、シャルロッテの執務室に足を踏み入れた。
今度は呼び出されたわけではない。用件を伝えるため、こちらから出向いたのだ。
「さて、ヒデオさん。どういったご用件でしょう? 聖魔王だと証明するための準備が整ったのでしょうか」
デスクに両肘をついた姿勢で、そう問いかけてくるシャルロッテ。ヒデオは俯きがちに首を振る。
「いえ……それは、まだ。今日は、転移の原因究明について。協力していただきたいことがあるのですが……よろしいでしょうか」
「ええ、もちろん。こちらから言い出したことですから約束は守りますよ。詳しく話してください」
「では。これと似たような物に、心当たりはないですか」
片手に持ったノートPCを掲げるヒデオ。シャルロッテは訝しげな表情。
「コンピューターですか? それはまた、なぜ」
「こういった機械に、詳しい知り合いがいまして。彼女がいれば、色々と。情報を得られるはずですので」
「コンピューターのある場所を探せば、その彼女も見つかる……と?」
「はい、きっと」
帰る方法を見つけるために、まずウィル子を探す。それがヒデオの出した結論だった。
他の方法もあれこれと考えてはみたが、恐らくそれが一番確実な方法。
“確実って言うけど、もしこの世界にいなかったら? 神だって無限に生きるわけじゃないわよ”
確かにそうかもしれない。神が不死だとしたら神殺しの血なんてものは存在しないだろうし、この未来の世界にどんな神がいるのかなど自分には知りようもない。
だが、ウィル子だけは別だ。
自分の中の何かが彼女の存在を訴えている。胸に感じる繋がりのようなもの。
きっとそれは、唯一無二のパートナーとしての絆。大会の時と同じあの感覚が今も自分の内側に宿っていた。
だからウィル子はまだ生きている。それだけは間違いない。
“ふ~ん。ラブラブなのね”
…………。
いや、あの、そんな風に表現されると何かすごく安っぽく聞こえるというか……。
“だいたい同じようなものでしょ。それよりほら、さっきの質問はいいの?”
(…………。)
若干疲れたような顔になったヒデオが、ノアレとの会話から意識を戻す。
シャルロッテが言った。
「心当たり、ですか……信憑性はあまり高くありませんが、それでもよろしければ」
「ええ。構いません」
「……旧文明時代の遺跡の中には、極少数ですがまだ生きている物もあると聞きます。それらを探し、一つ一つ調査してみればヒデオさんが求めるものが見つかるかもしれません」
「……その遺跡の場所は」
「今の段階では何とも。ご希望ならば調べておきますが……」
間を取るようにシャルロッテが一息。
意図を察したヒデオがすかさず言う。
「そちらの仕事を、手伝え……と?」
「話が早くて助かります。帝国の人員にも限りがありますし、大陸の情勢的にもこれからが大変な時ですので……手を貸していただけないでしょうか?」
ヒデオはこくりと頷いた。
仕事を手伝うのは最初から条件に含まれていたし、部屋と食事を用意してもらった上に調査までタダで……というのはさすがに気が引ける。
自分が出来ることなど限られているが、仕事自体に異論はない。
ヒデオの同意を得て、シャルロッテが続けた。
「すでに知っているかもしれませんが、先日ミスマルカを攻めたルナスが敗走しました」
「ルナス……様、とは。確か第三皇女の」
ヒデオとてこの数日をただ寝て過ごしていたわけではない。
大陸の情勢や歴史について調べていたので、ある程度の事情は把握しているつもりだ。
迫り来る魔王という名の脅威や、それに対抗するべく人類を一つにまとめるという帝国の大義。そして統一のための戦争。
反帝国連合の中心、ミスマルカという国へ聖魔杯を取りに行ったルナスのことも聞き及んでいる。
「はい。そしてその失敗により聖魔杯の防備はますます磐石になってしまいました。そこでヒデオさんにお願いなのですが、聖魔杯の情報について探ってきていただけませんか?」
「……探ってこい、と言われても。具体的には」
「今、ミスマルカでは聖魔杯復活のための選抜隊を募っています。対象は勇者のみ。その中に潜り込んできてください」
実に綺麗な笑顔で、シャルロッテがすごいことを言う。
「……いや、あの。僕は勇者ではないのですが」
「偶然ですがここに勇者の紋章が一つ落ちていました」
「…………」
いや。いやいやいや。常識的に考えてそれはマズいのでは。
「別に。勇者として、行かなくても」
「もちろん他の諜報員は送っていますが、もしかしたら選抜隊の勇者だけに与えられる情報があるかもしれません」
「なら他の勇者を」
「残念ながら帝国が飼っている勇者は全て弾かれるでしょう。無名の勇者なら潜り込めるかもしれませんが、それでは実力に欠けてしまう。全く顔を知られてない実力者はヒデオさんくらいしかいないんですよ」
「もし、選抜隊に入ってしまったら。こちらの探し物をする時間が」
「ああ、そこまで長居をする必要はありません。どうせこの紋章の効力はあまり長く保ちませんし」
完全に論破されたヒデオがガックリと肩を落とした。
「……というか。そんな怪しげな紋章を使って、本当に大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫ですよ。一部の枢機卿を買しゅ……じゃなかった、説得してありますので、しばらくは本物の勇者として活動できるはずです」
「……もし。バレたら」
「異端審問官に死ぬまで追われ続けるでしょうね」
…………。
ノアレ、異端審問官とは?
“ま、簡単に言えば異端認定された相手を排除する人間のこと。ヒデオの知り合いだと、クラリカが元異端審問官ね”
……マシンガン片手にエリーゼ興業へカチ込みをかけた、あの?
“そう。魔殺商会の屋敷でロケランぶっ放そうとしてた、あの”
……。
…………。
……………………。
ヒデオは半ば涙目で、シャルロッテの方に顔を向けた。
「勇者ヒデオ、がんばッ♪」
たぶん、この世界に神はいない。
②
ヒデオがミスマルカ城下にたどり着いたのは、選抜会を翌日に控えた夜のことであった。
ここに来るまで散々迷ってしまった。元々土地勘がないところを、帝国から直接中原に入るのは危険ということで、大陸東部のヴェロニカを経由してやって来たのだ。
もちろん現代のように便利な交通機関があるわけでもなし。帝国領内でこそ魔導機関車に乗ることが出来たものの、移動の大半は馬車と徒歩。むしろ間に合ったのが奇跡という他ない。
とはいえ本当に大変なのはこの先である。明日の選抜会に備えるため、ヒデオは早速宿を取り、指定された部屋に入った。
“もっといい場所に泊まればよかったのに。帝国からたくさんお金貰ったんでしょ?”
とノアレは言うが、そうそう無駄遣いもしていられない。
いつどれだけ必要になるかわからないし、貰った金を使い込むのも何か悪いような気がする。
“真面目ねぇ……自分のお金じゃないんだからパーっと使えばいいじゃない。すっごい剣とか鎧とか買って、格好だけでも勇者っぽくしちゃえば?”
現在のヒデオの格好は、旅用の衣服に胸当てなど最低限の防具を付け、その上に厚手のマントを重ねた冒険者風の旅装。勇者にしては少々地味かもしれないが、立場上あまり目立ちすぎても困る。
そもそも使えもしない装備を買えるほどの余裕はない。
“つまんなぁーい……”
というか、そこまで言うならノアレがそういうのを出してくれたらいいではないか。守護精霊から装備を授かるなんて、ファンタジーな世界でよくありそうな話だが。
“別に出そうと思えば出せなくもないけど”
けど?
“だいたい呪われてるのよね。欲しければあげるわよ、手に取ったら発狂する剣とか”
…………。
戦闘のたびに発狂する勇者とか嫌すぎる。絶対いらない。
と、そんな会話をしつつ、旅装を解いたヒデオは食事をとるため階下の食堂兼酒場へと向かった。
夕食時ともなればどこの酒場も賑わうものだが、今日はいつにも増して人が多い。選抜会のために集まった勇者たちと、それを一目見ようとやって来た野次馬で溢れかえっていた。
どうにか隅のテーブルを確保したヒデオは、パンとスープ、サラダという簡単なメニューを注文し、ようやく一息。
明日のことなど考えつつ、黙々と皿をつついていると。前触れなくヒデオに声がかけられた。
「汝、悪いもの憑けてない?」
半ば唖然としながら振り向くと、お下げ髪のシスターが据わった目つきでこちらを睨んでいた。
「あの……よく、意味が」
「何というかこう、汝から異端者っぽい雰囲気がするんだけど」
「……そんなことは、ないと。思いますが」
「そうかしら……。あたしの勘だけど、なーんか怪しいのよね……」
むー……と唸りながら顔や肩をぺたぺたと触ってくるシスター。対するヒデオは動揺を隠すだけで精一杯。
仮に新宿あたりで同じことを言われたらまず勧誘を疑うところだが、今回は事情が違う。心当たりがありすぎる。
まさかとは思うが、彼女が異端審問官だったりするのだろうか。あのクラリカがそうだったというのだから、可能性としては十分にありえるかもしれない。
そして通路を塞ぐようにシスターが立っているので逃げることも出来なかった。となれば、そう。言い訳するしかあるまい。
「何を馬鹿な。勇者である、この僕が。そのようなものを、憑けているはずが」
「あれ、汝勇者だったの? 見たことない顔だけど……神託を受けた年は? ランクは?」
墓穴。
自らの言葉によって完全に退路を断たれたヒデオが、いよいよ腹痛を訴えて逃走しようかと思い至ったそんな時。
「……おい、何やってんだ」
仏頂面で割り込んできたのは一人の少年だった。
革ベストに麻ズボンの粗末な身なり。そして右目と右腕が欠けた姿。
完全な初対面なら違っただろうが、帝国で何度か噂を聞いていたヒデオにそれほど驚きはない。
確か……彼の名はジェス。独眼龍と呼ばれる、救国の英雄。
「あ、ちょっと聞いてよ我が勇者。この自称勇者が怪しくて……」
「アホかてめぇ。怪しいも何も、本人が言うなら勇者なんだろ」
「な、汝ねえ……素直なのはいいけど、ちょっとは疑わないと。もし異端者だったらどうするのよ。汝、この男の顔知ってる?」
「知らねぇ」
ジェスの言葉を聞いたシスターが、それ見たことかと胸を張る。
「ほらやっぱり怪しいじゃない。絶対に異端者よ異端者。あたしの異端者センサーに間違いはないんだから」
「いや。この酒場にいる勇者全員知らねぇ」
「…………。とにかく、一回確認を……」
「シスターなら汝疑う事なかれじゃねえのか。そもそも勇者の詐称なんて自殺志願者でもやらねえだろ」
「そ、それはそうだけどさ……」
そうなのか。自分は自殺志願者以下だというのか。
改めて異端審問会の恐ろしさを垣間見て内心で怯えるヒデオに、ジェスが言った。
「悪かったな」
「……いや」
「酔っ払いの言うことだ。気にしないでくれ」
彼は最後にこちらを一瞥すると、まだ騒ごうとするシスターを強引に連れて自分たちの席へ戻っていく。
(…………。)
金輪際シスターには近づかないことにしよう、とヒデオは決意を胸に秘めた。
そして彼女が戻って来ないうちにと皿に残った料理を素早く片付け、人目を避けるように静かな足取りで階段を上がり、自分の部屋に戻る。さすがに彼女もここまでは追って来るまい。
一安心したヒデオはとうとう疲労に耐え切れず、ベッドに倒れ込む。
(疲れ、た……)
しかしそうも言ってはいられない。考えるべきことは無数にあった。
明日の選抜会、シャルロッテとの勝負、ウィル子の居場所……そして、このミスマルカにあるという聖魔杯。
おそらく。確証はないが、闇すら喚び出したあの神器のチカラなら元の世界に帰ることも可能なのではないだろうか。
あるいは、聖魔杯のチカラで眠っている闇を喚び覚まし、再契約することが出来れば新たな道が開けるかもしれない。
……しかしそれは、この世界の人々が許さないだろう。そして、それ以前に自分が許せない。
鈴蘭はかの神器を平和の象徴だと言っていた。
争いが起きた時。奪い合いになった時。そのチカラのせいで悲しいことが起きる前に……割れてしまうように作った、と。
彼女のそんな想いを知っているからこそ、聖魔杯には頼れない。自分一人のために奪うような真似は決して許されない。
仮に自分が戦争を止め、魔王に打ち勝つことが出来たならば、改めて聖魔杯に頼ることもあるかもしれないが……それこそ夢物語。
仲間という最大の武器を失った自分に、そんな大それたことが成せるはずもない。
(…………)
旅をしてみて、改めて思う。自分は恵まれていたのだと。
一人というのは想像以上に辛いものだった。かつてニートだった頃には何とも思わなかったようなことが、今では大きな重圧となって心身を苛んでいく。
仲間に恵まれすぎたがゆえの弊害。結局自分は一人じゃ何も出来ないのかもしれない。
“……十分頑張ってるじゃない。それに……他の誰がいなくても、私がいるわ”
……ああ、わかっている。
最近ノアレと話す機会が増えているのも、夕食前のからかうような会話も、自分を気遣ってのことだというのは十分すぎる程にわかっている。
だからこそ、ヒデオは悔しかった。
優しい少女に気を遣わせてしまう自分が……すぐ弱気になってしまう自分が、どうしようもなく腹立たしかった。
もし自分がもっと強ければ。本物の勇者である翔希のような強さがあれば……そう思わずにはいられない。
“ヒデオ……”
眠れない夜が、更けていく。
◆
「定時」
《こちら風一号。対象は宿に入った。出てくる気配なし》
《風二号。酒場で対象と独眼龍が接触。会話内容に問題なし。現在は部屋に戻った様子》
「噂に相違なしか」
《一号相違なし》
《二号相違なし》
嘆息を一つ。
「……しかしあの監視対象の男、誰なんだろうな。見た目だけで判断するなら大量殺人者か、クスリの密売人か……」
《後者かもな。時々何もない場所を見てたりするし、自称勇者ってのもラリってるなら納得できる》
《いや、わからんぞ。本当に霊や何かが見えてるのかもしれん》
《おい二号……本気か? 意外と信心深かったんだなお前》
《……噂で聞いたことがあるんだ。人数が決まっているはずの定時連絡。他に誰もいないはずの通信。しかしよく聞いてみれば……そこには謎の四人目の声が……》
《おい馬鹿やめろ。そんな非科学的なことが起こるわけ……》
…………。
「……なあ。それ、ただの特号じゃないか?」
《…………》
《…………》
「…………」
《案外空気読めないよな、お前》
《本当勘弁して欲しいもんだな》
…………。
「……真面目にやれ、真面目に。麗しき皇女殿下のご命令だぞ」
《そうは言っても暇なんだよなぁ……久々の仕事がヤク中の監視じゃやる気も起きん》
《あのアホ王子も最近はずっと城にこもってるしな》
《せめてミスマルカにもお姫様がいれば、少しは気合が入るのに》
《だな》
「一応同意はしておくが……仕事だから仕方ないだろう。ヤク中の監視だろうが何だろうが仕事は仕事だ」
《でもなぁ……》
《だってなぁ……》
「ああ、もういいもういい。次の定時は二一〇〇。各員相違なしか」
《一号相違なし》
《二号相違なし》
「通信終わる」
◆
その頃、帝都ロッテンハイム宮。
《姉上。ライン要塞に到着した》
「そう、ご苦労様」
ユリカの報告を聞いたシャルロッテは、受話器に向かって返事を告げた。
最前線であっても妹の声は相変わらず無感情。淡々と現地の情報が並べられていく。
そして最後に。僅かに険を含んだ声でユリカが言った。
《……今度は何を企んでるの》
「何の話? はっきりと言いなさい」
《ヒデオのこと。わざわざミスマルカに潜入なんてさせたところで、あの王が勇者ごときに聖魔杯の情報を漏らすとは思えない。選抜隊に入れたとしても、結果はどうせ一緒》
「ま、そりゃそうでしょうね。聖魔杯の情報なんか初めから期待してないわよ」
《だったらどうして……》
困惑したようなユリカの質問に、シャルロッテは簡潔に答えた。
「実力を測るために決まってるじゃない」
《……実力?》
「そう。どの程度の力があるのかを測るには、敵国に突っ込ませるのが一番いいと思わない?」
《それはいくらなんでも、姉上……ルナスじゃないんだから》
「単身で帝国に乗り込んで来た男よ? 中原に行った程度で死んでもらっちゃ困るし……仮に死んだら死んだで、その程度だったってことでしょ」
生きて帰って来れば合格。そうでなければ不合格。
実に単純明快、それでいて手間もかからない。
《でも。試すにしても、ただ偽の紋章で潜入するだけじゃあまりに簡単》
「ふぅん……私は結構難しいと思うけど。帝国の将軍クラスでも無事に戻って来られるか微妙なところじゃないかしら」
そんなシャルロッテの言葉に、ユリカはいよいよ呆れたように。
《姉上。行って戻ってくるだけなら、顔さえ知られてなければ誰にでも……》
と続けようとするユリカの言葉を遮って、シャルロッテが言った。
「あ、そうだユリカ。近々ヒデオがそっちに行くと思うからよろしくね」
《……どうして。ミスマルカに潜入してる彼がここに来るはずない》
「それがそうでもないのよ。逃げ込むとしたらそこしかないだろうし」
《逃げ……? ちょっと姉上、何を。勇者がどこの誰に追われると……》
シャルロッテは笑う。
「ふふ、だって……」
実に楽しそうに。普段は出さない、弾んだ声で。
「あの勇者の紋章――ただのオモチャよ?」
《………………えっ?》