「(この馬鹿)」
と言うのが、池速人が真っ先に抱いた感想だった。
御崎アトリウムアーチに於ける、吉田一美とのデートのエスケープ。その埋め合わせ。
何事もなくスムーズに行くのは難しいだろうと見ていたこの案件を、池思うところの馬鹿である坂井悠二は………
「吉田さん、今度の日曜、大丈夫かな?」
よりにもよって、放課後の教室で持ち掛けやがったのである。しかも、まだ号令が済んで間もなく、殆どのクラスメイトが残っているタイミングで。
「は、はい! 大丈夫、全然です!」
この瞬間を、はち切れんばかりの期待と不安で待っていた吉田はと言えば、今という状況に気を回す余裕もなく変な返事をしている。………下から見上げて来る好奇の視線に気付きもせずに。
「これ、大戸ファンシーパークのチケットなんだけど……この前の埋め合わせに」
「行きます」
案の定、吉田ではない誰かがせっかちに了解する。二人が視線を下に向けたらば、そこには水色の瞳を輝かすヘカテーの姿。呼ばれてもいないのに同行する気十分である。
「ありゃま」
傍で見ていた平井がニヤニヤと笑い、池が額を押さえて嘆息する。ああなったらもう、ヘカテーは梃子でも動かない。そうでなくとも、吉田の性格では「ついて来るな」とは言えないだろう。
「(まぁ、予想できた事ではあるけど………)」
悠二が吉田と二人の時に誘えば良かった話だが、それをあの朴念仁に期待するのは不毛だった。吉田に対してはそれなりに意識して接しているのだろうが、他への注意が全く足りていない。
ともあれ、悠二と吉田とヘカテーで遊園地………“お守り”という言葉が目に見える構図だ。
ならば、いっそ。
「お、ファンパーか。そう言えば僕も行った事ないな」
まるで偶然見掛けたように……いや、偶然見掛けたとしか思えない自然な声色で、池は悠二の手元を後ろから覗き込んだ。
「……ふぁんぱー?」
「遊園地だよ。近衛さん、行った事ある?」
「……ありません」
そしてすかさず、眼をパチクリさせるヘカテーの好奇心を刺激する。この辺りで、悠二は漸く自身の失態に気付いた。
「(い、池君………?)」
その、まるで近衛史菜の参加を促すような池の行動に、吉田は見知らぬ土地に取り残されたチワワのような眼を向けた。
そして当然、池はその視線にも、吉田の不審にも気付いている。
「(任せて)」
眼鏡を押さえて正面から見える表情を隠し、横目で吉田にだけアイコンタクトを送る。
「(あ………)」
それだけで、内心で焦りに焦っていた吉田は開きかけていた口をつぐんだ。
目が合っただけで「何とかしてくれる」と思わせる事が出来る、それがヒーローたる池の人徳なのだ。
「いや、池、これは……」
「どっちにしたって、近衛さんはついて来てただろ」
埋め合わせが台無しになりそうな流れに口を挟む悠二にも、耳元で小さく言い含める。
「あ……そうだよ、な……痛っ!?」
大方、緊張を伴うデートが流れる事に内心で日和ったのだろう。悠二はどこかホッとしたように呟く。その足をキッチリ踏みつけてから、池の眼鏡はターゲットを移した。
「平井さんも行きたいよね? 遊園地」
「へ? あたし?」
或いは悠二よりもヘカテーと仲が良い、平井へと。
要は、現地で悠二と吉田を二人きりにさせれば良いのだ。そして悠二からヘカテーを引き離せるとしたら、それは平井ゆかりを措いて有り得ない。性格から考えても、まず断る事は無いだろう。
そう確信して訊ねると、
「…ぁ…………」
何か、ハッとした風な吐息が聞こえて、
「良いんじゃないかな。平井さんも一緒に行こうよ」
何故か、平井が応えるより先に悠二が促した。その、やや不自然な流れに、平井は触角を目聡く揺らす。
「う~む。いいよ、その代わり………」
わざとらしく腕を組んで平井は唸る。勿体つけた言い回しで言葉を止めて、
(はっし!)
ちょうど後ろを通って帰ろうとしていた少女の手を取り、
「行くならシャナも一緒だからね!」
「え……なに?」
自分の手と一緒に、高々と振り上げた。シャナと呼ばれた少女、大上準子は、話が見えずに困惑する。
そして池は、シャナ以上に困惑する。
「(お、大上さん……?)」
この少女がヘカテー相手に一歩も引かず、隔意無く接する平井を投げ飛ばす様を池も見ている。
悠二と他人ではないらしい事も含めて、ある意味ヘカテーより強力な難敵である。
「何の事か知らないけど、勝手に決めないで。あと、その名前……」
「良いじゃん、どうせヒマでしょ! そだ、メロンパン奢ったげるから」
池が内心で冷や汗を流す間にも、相変わらずの平井ハリケーンが炸裂している。物理的に撃退された事もあるというのに、へこたれない少女だった。
「良いん、じゃないかな。大上さん、転校して来たばかりだしひん!?」
「シャナって呼ぶの!」
おまけに、吉田までも控え目に賛成した。これで実質、大上準子の参加は決まったようなものだ。
こうなると、空気を読んで様子を見ていた残る二人も黙っていない。
「待てぃメガネマン! そういう事なら俺たちも混ぜて貰おうか」
「サ~カ~イ~、女子にばっか声かけやがって。お前はそういう奴だったのか!?」
「どういう意味だ!?」
一応“美”を付けてもいい容姿を持つ佐藤啓作と、大柄ながらも愛嬌があるので他者を威圧しない田中栄太だ。最近は個性的な面々とばかり知り合っていたから遊ぶ機会も少なかったのだが、悠二にとって池に次いで親しい二人である。
デートと言うならお邪魔するほど野暮ではないが、これだけ人数が増えたなら黙って見送る理由は無い。
「言っとくけど、チケットは二枚しか無いからな」
そして勿論、悠二たちが断る理由も無かった。むしろ男女比から見ても、名乗り出なければこちらから誘っていただろう状況である。
「只の遊具と侮るなかれ! 遊園地とは老若男女問わず胸躍らせる興奮のサンクチュアリなのだよ!」
既に、平井による遊園地説明講座がヘカテーとシャナに施されている。デートの埋め合わせという当初の目的からは外れた気がするが、この雰囲気は今の悠二には堪らなく心地好い。
いい感じに話がまとま………
「あーっ、それファンパーのチケット!?」
ろうとした所で、後ろから微妙にぎこちない声が上がった。
何事かと振り返ると、そこにはショートカットの、可愛いと言うよりは格好いいと言うべき容姿の女子が立っている。
「緒方さん?」
緒方真竹。
その名の通り竹を割ったようにカラッとした性格の、バレーボール部員。………だが、別に『いつもの仲間』と呼べるような間柄ではない。
平井が分け隔てなく接するクラスメイトの一人、佐藤や田中と話している姿を見た事がある、といった程度。ハッキリ言って、友達と呼べるかどうかも微妙な相手だった。
そんな緒方が何故こんなタイミングで話に食い付いて来るのか、悠二には皆目見当もつかない。
「大戸に新しく出来たヤツだよね。前から行ってみたかったんだぁ。お願いっ、私も一緒に連れてって!」
パンッと両手を合わせて一同に懇願する緒方。その目がチラチラとシャナや平井、時々田中を見ている。
「いいんじゃね。オガちゃんと遊ぶのとか中学以来だし」
「オガちゃん、遊園地好きだったんだな」
まず、同じ中学出身らしい佐藤と田中が賛成し、
「わ、私も全然構いません。大歓迎です」
「ふぅん。オガちゃん意外と頑張るじゃん」
仲間内に女子が増えそうな空気に吉田は興奮して、平井は何やらニヤリと口の端を引き上げる。悠二にヘカテー、シャナや池もまた、反対する理由は無い。
「よし、じゃあナビゲートはこのメガネマンが引き受けよう」
斯くして、吉田とのデートの埋め合わせは予想外の展開を経て、十人近い仲間らのイベントと化した。
―――今はただ、日常の続きとして、先に在るモノに気付く事なく。
「“私のベッドの四つの角に 巡って覗けや四人の天使”」
近隣で最も高いビルの屋上で、朗々たる歌声が響き渡る。
「“一人は見張り 残りも見張り”!」
その結句を受けて、天を差した指先から街中へと群青の波紋が広がる。広がった波紋は“この世ならざるモノ”に触れると跳ね返り、術者にその居場所を知らせてくれる。
身を隠す標的を見つけ出す為に使われる、気配察知の自在法だ。
その効果は違わず今も発揮され、標的の居場所を伝えているのだが、術者たる女性は苛立たしげに頭を掻くのみ。とても成功したという顔ではない。
「また違う場所ぉ? 一体なにがどうなってんのよ」
栗色の長髪をポニーテールにした、モデル顔負けのスタイルを持つ美女。装いは群青色のスーツドレスに、伊達眼鏡を掛けている。
その容姿に異様な貫禄も相まって、若くして大会社を立ち上げたやり手の女社長か何かのようにも見えるが、実際はそうではない。
人間を捨て、その器に紅世の王を宿し、世界のバランスを守る“物”……フレイムヘイズである。
「マージョリーよぉ、いつまであ~んなザコ追い回すんだぁ? 捕まえんのが面倒なわりに歯応えはゼロ、ち~っと面白味に欠けるぜ」
そのフレイムヘイズが広げる、画板を幾つも重ねたようなどデカイ本が火を吹いて嘆息する。女はその本をビシリと叩いた。
「お黙りバカマルコ。見つけた獲物はキッチリしっかりブチ殺さないと、シャツのタグが引っ掛かってるみたいで気持ち悪くて堪んないのよ」
「ヒーヒッヒッ、そりゃ律儀なこったなぁ我が勤勉な殺戮者マージョリー・ドー」
「そーよ、絶対に逃がさない」
本型の神器『グリモア』に乗って、女は飛ぶ。世界のバランスを守る……否、紅世の徒を殺す為に。
「必ずブチ殺してあげるわ、“屍拾い”ラミー」
女の名は“蹂躙の爪牙”マルコシアスのフレイムヘイズ―――『弔詞の詠み手』マージョリー・ドー。