尋常ならざる風切り音を立てて、不自然なほどしならずに、棒切れの一撃が振り抜かれる。
「く………ッ」
直線的な一閃を少女の棒切れが容易に捉え、防いだ。乾いた衝突音と共に大気が弾ける。万全な体勢で受け止めたのに、棒を握る手が痺れるほどの豪撃。
「っだあ!!」
すかさず二撃目が飛んで来るが、やはり直線的。今度は真っ向から受けず、太刀筋を見切って横から叩いた。
自重を乗せて打ち込んでいたせいで、打撃と一緒に少年の身体まで微かに流れる。その隙を見逃す事なく、
「痛っ!?」
少女の棒切れが、少年の胴を強かに打ち据えた。ついでとばかりに回し蹴りが繰り出され、胸の辺りを思い切り突き飛ばす。
「痛ぅ〜〜…今の、一本余計だろぉ……」
痛む脇腹を押さえつつ、坂井悠二はノロノロと立ち上がる。
いつもの朝、真南川河川敷で行われる鍛錬の習慣。見慣れた光景の中で唯一つ違うのは、悠二が相対する稽古相手である。今は髪と瞳を黒く冷やすフレイムヘイズ、『炎髪灼眼の討ち手』。
いつものように河川敷にやってきた悠二とヘカテーを、彼女が当たり前の顔をして待っていたのである(ついでにメリヒムも)。
「……お前、鍛錬だからって手を抜いてるんじゃないでしょうね」
「そんなわけないだろ。打たれたら痛いんだから」
あからさまに不審な目を向けて来る少女に、悠二は痛みから即答する。棒切れで自分の肩をトントン叩く少女の顔には、『期待外れ』という色が濃い。
が………
「とりあえず、剣術は私の勝ち」
どこか勝ち誇っているようにも見えるのは、気のせいだろうか。
そもそも、なぜ鍛錬に参加しようなどと考えたのか。ヘカテーのように悠二を鍛えてくれようとしているなどとは、あまりにも考えにくい。
「っ………」
などと思う悠二の前髪に擦って、不意の一撃が少女を襲った。横に払う棒切れの打撃を、少女は身を屈めて油断なく避ける。
慌て下がった悠二が目を向ければ、さっきまで観戦を貫いていたメリヒムの姿があった。
「格下相手に満足するな。次は俺だ」
「うん」
そのまま普通に第2ラウンドに突入する少女と骨。悠二が文句を挟む暇も無い。
「(要するに、大上さんも鍛える必要ありってわけね………ん?)」
「…………………」
勝手に納得して肩を竦める。そんな悠二の袖を、ヘカテーが引っ張った。……どうも、気楽に観戦とはいかないらしい。
「ん〜む………目が追い付かない」
二人一組で打ち合いを始める悠二らを眺めているのは、土手の階段に腰を下ろす平井ゆかり。喩え些細でも紅世に関わる事には積極的に参加しようという気構えの下、彼女は毎日の鍛錬を欠かさず見学している。……ついでに、流れに乗って坂井家の朝食にも参加していた。
こちらは既に“いつもの事”となっていたので、悠二も特に気にしたりはしなかったのだが……平井は現在、微妙な違和感に包まれていたりする。
「………カルメルさん、どうしたんですか」
平井と一緒に、監察という名目で来ているヴィルヘルミナの様子がおかしい。
いつもなら悠二らに程近い場所に立ち、時折偉そうに悠二の未熟さをコキ下ろすのが常の彼女なのだが……今は何故か平井の隣で小さくなって座っている。
見ようによっては隠れているように見えなくもない(隠れられていないが)。さらに言えば、鍛錬の様子も殆ど窺っていない。まるで、顔を向けづらいとでも言わんばかりに。
「………別に、何でもないであります」
「詮索禁止」
平井の質問には応えず、自分の頭ごとティアマトーを殴るヴィルヘルミナ。とても何でもないという感じでもないが、禁止と言われては仕方ない。
「(そもそも、大上さんと一緒に住まないのも変なんだよね)」
ヴィルヘルミナは、少女たちが襲撃したその日の内に行動を開始し、今はもう彼女らの家を用意している。……だと言うのに、未だヴィルヘルミナは平井宅の居候を続けていた。
相手は『天道宮』で一緒に過ごした家族同然の身内であるにも拘らず、である。
「(……ま、色々あるって事かな)」
平井は溜め息を一つ零して、不自然なくらいヴィルヘルミナの顔を見ようとしない銀髪の後頭部を眺めた。
非日常からの来訪者による日常の変化は、鍛錬の時間のみに止まらない。彼女が悠二と同じクラスに転入して来た以上、これは既に必然だった。
「そんな所を空白にしても、原文を丸暗記してないと出来っこない。お前が持ってるマニュアルをページ単位で写してるだけだから、そんな事になるのよ」
無遠慮にして正確無比な指摘を受けて、英語教師の岡田先生の表情が歪み………
「私に教えるつもりなら、もっと勉強してから出直しなさい」
直後、ムンクの如き叫びを上げて教室から走り去った。本日二人目の犠牲者である。
「(やっぱ、こうなるんだなぁ………)」
転校初日の昨日の時点で、悠二にはこうなるのではという悲しい予想が出来てしまっていた。
教師が軒並み論破されて撃退される、という具体的なものではなく、『何かしら非常識な行動を起こして“浮く”のでは』という漠然とした予感ではあったが。
「……もうちょっと手加減しても良いんじゃないか?」
「何が?」
椅子を斜めにして後ろの席の少女に一言言ってみるも、何の事だか解らないらしい。ヘカテーと違って元は人間の筈なのだが、あまり常識的な感性を期待できない。
「(あいつ、やっぱり知り合いだったのか……?)」
「(ヘカテーちゃんと言い大上さんと言い、やはりロリ属性持ちか……!)」
「(なるほど……侮れんやつめ!)」
教師が去った事で雑談に包まれそうな教室は、何故か今だけ静かだ。要するに、坂井悠二と大上準子の会話に耳を傾けている状態である。
何せ、転校初日の質問祭りは………
『しつこい』
最終的に、突き放すような一言一睨みで皆“黙らされて”しまったのだから。外見に似合わぬ異様な迫力に誰もが声を掛けるのを躊躇う中で、“またも”坂井悠二。注目を集めないわけがない。
「だから、もっとこうやんわりと………」
「? だから、さっきから何の話よ」
しかし悠二は、そしてクラスの皆は、まだ知らない。本当の波乱は、もうすぐそこまで迫っているという事を。
(キラリ)
人知れず、ヘカテーの瞳が水色に瞬いた。
「やたーっ! 昼ご飯だー!」
四限目終了のチャイムが鳴り響き、平井が元気良く両手を伸ばす。
いつものようにガタガタと机を動かす途中に、
「ほら、大上さんも一緒に食べよ!」
何という事もなく、話題の大上準子を昼食に誘える辺りは流石というべきか。返事も待たずに周囲の机を次々くっつけて、あっという間に輪の中に取り込んだ。いつも真ん中に位置する悠二の真後ろなのだから、自然少女も皆の中心的な位置取りとなる。
「はら減ったー」
「おまえ早弁してただろ?」
「ごめん、ちょっと机借りていい?」
田中は気の良い男だし、佐藤は軽薄な割りに馴々しさに嫌悪感を抱かせない少年である。メガネマン池は言わずもがな。悠二や平井が居る状況で大上準子を敬遠するような三人ではない。
「あの、えっと……隣、座ってもいい? 大上さん」
「勝手にすれば」
一人例外的に人見知りする吉田が、おっかなびっくり少女の隣の席に着く。離れて座れば済むように思うかも知れないが、吉田の場合はそうもいかない。
「あの、どうぞ……」
手作りの弁当を悠二に渡す為には、少なくとも斜め前の位置は確保しなければならないのだ。先週までは正面が吉田の定位置だったのだが………今は大上が座っている。
「あ、うん。ありがとう………」
照れ臭そうに笑って、悠二は弁当箱を受け取る。以前はこれだけで満足してしまっていた吉田だが、今は喜びの中に不安が混じる。
悠二の笑顔……その奥に、微かな躊躇いがあるように見える。好意を受け取る事に対する躊躇……いや、後ろめたさに似たもの。
「(近衛さんに……? それとも……)」
吉田は勿論、
「(石頭め。……余計なこと言っちゃったかな)」
そのやり取りを横目に見ていた池でさえ、目聡く気付く。気付いて……かつての自分の忠告を悔いる。
「(このままじゃダメだって、解ってるんだけどな………)」
そんな二人の内心にはまるで気付かず、悠二は唯々自身の気持ちを手探りする。
自分の境遇を言い訳にはしない……つもりだが、安易な結論を憚らせるには充分すぎる理由だった。それこそ、吉田への好意を明確に自覚できてから悩むべき問題なのだろうが、それも未だ形にならない。
ミステスだの不老だの以前に、一人の少年として駄目な現状に、悠二は心底ゲンナリする。
複雑そうな顔で弁当の包みを開ける………そんな悠二を、
「………………」
隣席のヘカテーが、ジッと見つめていた。あわよくば気に入ったおかずをせしめる為に。
蓋が開く。エビフライに標的を定める。こちらからは何を出そうかと、自分のおかずを眺めていると………
「………?」
不意に、疑問が湧いた。
思ってそのまま、口に出す。
「………どうして悠二に、お弁当を渡すのですか」
「ふぇ!?」
今更かつ無神経な質問に、吉田は縮こまって椅子ごと跳ねるという器用なリアクションをした。
何か言わねばとパクパク口を開閉するが、肝心の言葉は中々出て来ない。正確には、もっともらしい建前が浮かばない。当然、こんな形で“本当の理由”を告げるなど論外だ。既に周知の事実だろうと、断じて。
「あの……えっと……」
「いや……その……」
結局ヘカテーの質問は応えを得られぬまま、妙にモヤモヤとした雰囲気が場を包む。
「…………………」
結果的に質問を流されたヘカテーは、何も言わない悠二と吉田を睨む。
俯いて赤くなり、チラチラと互いを盗み見て、目が合うと慌てて顔を背ける。
その様子が………何故だか無性に不愉快に思えて、ヘカテーは常の無表情にあからさまな冷たさを帯びる。理由は解らないが、兎にも角にも、嫌な気分だった。
ので………やり返してやる事にした。
「あげます」
「………へ?」
自分の弁当箱から一摘み、玉子焼きを悠二の蓋の上に分け与える。
それで満足したのか、ヘカテーは微妙に勝ち誇った顔で自分の弁当を食し出した。
「はむっ……♪」
静かな戦いの幕開けを余所に、『炎髪灼眼の討ち手』はメロンパンを齧る。