軽業よろしく連続でバック転する路面に、次々と鋭い穂先が突き立つ。
「っ……」
三角跳びに蹴ったビルの壁を、鋼鉄の柱じみた蔓が二つに割った。
「(何て、出鱈目な力……!)」
『天道宮』から“愛染”を引き離す事に成功したヘカテー……だが、その内心は表情ほどに平静ではない。
ヘカテーが回避に専念している間も、ティリエルは全く惜しむ様子も無く無尽蔵な力を振るっていた。
未熟な徒にありがちな、力の使い過ぎによる自滅は……この“愛染他”には期待できない。何せ、自身とは別の場所から存在の力を供給されているのだから。
「『星(アステル)』よ」
もう何度目か、水色の流星群が妖花の上から降り注ぐ。膨れ、弾けて、キノコ雲を上げるほどの爆炎の中から……こちらも何度目か、妖花に乗った兄妹が平然と姿を現す。
「学習しませんわね。無駄だと言うのが、まだ御解りにならないのかしら?」
滞空するヘカテーを嘲笑い、ティリエルの妖花が蔓を伸ばして襲い掛かる。ティリエルの攻撃も まだヘカテーを捉えてはいないが、明らかに愛染の兄妹が追い詰めている。
………ように、見える。
「(何て、出鱈目な力……!)」
余裕の笑みの内側で、ティリエルもまた、ヘカテーと全く同じ言葉を吐き捨てていた。そう、顔や言葉に表しているほど、ティリエルに余裕など無いのである。
自在法『揺りかごの園(クレイドル・ガーデン)』。
この結界は事前に範囲内のトーチに仕掛けた燐子『ピニオン』が周辺の人間を喰らい、その力を兄妹に流し込むという、概ねヘカテーの推測と違わぬ効力を持っている。
そうと気付けても対処出来ない偽装や隠蔽の力も合わせて、ティリエルに絶対の自信を誇らせる切り札だった。この複雑極まる自在法を維持し得る宝具もまた、彼女の手の内に在る。
「(今までの相手とは桁が違う。こんな化け物が居たなんて……)」
だと言うのに、その自信が今まさに脅かされている。
自在法も、宝具も、燐子も、何の問題もなく機能している。敵も結界を破る術を全く見出だせずにいる。
なのに……それが、何の工夫もなく、真っ向から打ち破られようとしている。
「(忌々しい女)」
ピニオンを使って結界中から集めた力を、ヘカテーはその身一つの生み出す力で猛然と削り取っていた。
「「(………このままだと、いずれやられる)」」
互いの心中を隠した、恐ろしく高次元の根比べに………
「(持久戦は、不利)」
敗北したのは、ヘカテー。
力を使い切ったわけでも、心が折れたわけでもない。総量では敵わないと諦めて、力で対抗するのを止めたのだ。
これは、両者に見えているものの差。ティリエルはヘカテーの持つ莫大な力を、圧倒されながらも正確に認識できる。逆にヘカテーには、ティリエルの力の正体も総量も全く掴めていない。ゴールの見えないマラソンというものは、体力と精神力を著しく消耗させるのだ。
「(……でも、結界を破る方法が見つからない)」
消耗戦を避けると判断した以上、今までのように敵の防御の上から光弾を叩きつける選択は無い。防御も回避も許さぬ接近戦に移るべく、錫杖を斜に構えるヘカテー。
「!?」
その感覚に、嘘のように、冗談のように、新たな気配が現れた。戦いの最中でもハッキリと判る存在感が、“海の方に”。
「(……悠、二?)」
そう思った瞬間、不可解な温かさが胸に疼いた。疼いて………直後に、寒さへと逆転した。
「(悠二……!?)」
今の悠二は、こんなにハッキリと“自分を顕現できない”。存在の有無はともかく、その位置を感覚だけで掴めるなど有り得ない。
つまりこれは、悠二ではない。“悠二ではない何者かが、海の方に現れた”。
「何を止まってらっしゃるの!」
「っ……!?」
一瞬の自失。凍り付くような硬直は、八方から迫る無数の蔓によって無理矢理に解かれた。正面から唸り、横の民家をぶち抜き、背後の路面を砕いて、一斉にヘカテーを襲う。
「く……っ」
閉じる顎門のような一斉に攻撃を跳んで躱す。逃れた先を、天を這う豪撃が狙い撃つ。それを、絶妙な飛翔で身を翻して避けたヘカテー。その背中を………
「ふっ!」
串刺しにする勢いで突き出された蔓を、ヘカテーは脅威的な反応で躱した。回避する延長で蔓を跳ねて逆さに浮く少女の上空から、さらなる蔓が弧を描いて降って来た。
「(しつこい。……ッ)」
直撃の寸前に焼き払おうと視線を向けたヘカテーは、思わず目を剥いた。迫る蔓の先端に、今まで妹の庇護下で傍観していた“愛染自”ソラトが乗っている。
「あはははは!」
兜から金髪を溢れさせる少年は、蔓の刺突に先んじて跳躍した。タイミングをずらされ、炎を練る余裕の無いヘカテーに、容赦無く大剣を振り下ろした。
「(でも、甘い……!)」
疾くも重い、猛獣じみた荒々しい一撃。それを、ヘカテーは逆さになった不安定な体勢でしっかりと受け止める。
直後、幅広の刀身に、血色の波紋が揺れて………
「え――――」
不可解に理不尽に、炎が舞う。
刻まれた全身の傷から血飛沫のように噴き出す、水色の炎が。
手荷物よろしく運ばれた悠二が、やはり物のように放り出される。港のコンクリートに手を着いて着地した悠二は、文句を言うよりまず困惑しながら自分を“持って来た”男を見上げた。
「ど、どういうつもりだ……!?」
なるべく毅然と振る舞おうとした声も、みっともなく震えている。そんな悠二を、銀髪の騎士は怪訝そのものの眼で見下ろしていた。
「一つの大きな気配と、二つの小さな気配。どっちがお前の知り合いだ?」
そして、やはり悠二の質問は無視して一方的に問い質す。その偉そうな態度に、十人並の自尊心しか持たない悠二もカチンと来て………
「っ」
文句を言う前に、口をつぐんだ。この騎士、一見すると強烈な違和感と存在感を撒き散らしてはいるが、その実、持っている力……つまり悠二から奪った力は、ほんの一雫でしか無い。
こんな力でこれだけの顕現をしている徒に畏怖を感じて、悠二は警戒しつつも大人しく答えた。
「大きい方だ」
そんな悠二には眼も向けず、騎士はその気配の方角だけを眺め続けている。
「これなら俺も、呆気なく決着が着くと思っていた。だが、見てみろ」
男が顎で指し示すとほぼ同時、大きな気配が必殺の力を練り上げ、次の瞬間、水色の爆発が天を衝いた。
「な……っ」
しかし、悠二は暢気に喝采など上げられない。爆発の寸前、街中に点在する小さな気配から、とんでもない量の存在が流れ込むのを感じ取ったからだ。
案の定、爆発の後にも二つの気配は健在である。
「この結界の効力だろうな。少し面倒な事になっている」
「だったら、あの発生源の気配を壊せばいいじゃないか。ヘカテーの自在法なら、簡単に出来る筈なのに………」
殆ど何も考えず、思ったままの疑問を悠二が口に出すと、不意に沈黙が下りた。
それを訝しんだ悠二が顔を上げると、戦いの気配に向けられていた男の視線が悠二を見ている。
「……発生源の気配?」
「え? だってさっきの、感じただろ。街中に、えっと……二十六個」
さも当然とばかりに言ってのける悠二に、男は密かに目を見開いた。
悠二の言う気配は、百戦錬磨を自負する紅世の王にも掴めていない。有する力の割りに間抜けなミステスだと思っていたが、感知能力が取り柄だったらしい。
「(さて、どうするか)」
目の前のミステスの特性を知った上で、男は軽く思考を巡らせる。
さっき弾みで吸収した程度の力では、何をするにも不足に過ぎる。今さら未練も無いが、このまま何もせず消えるというのも味気ない。
このミステス……人間ではない代替物を喰って去る、というのも悪くはないが、その為にはまず、この結界を何とかしなくてはならない。
そして、問題はもう一つ。
「(さっき、“ヘカテー”と言ったな)」
“頂の座”ヘカテー。
紅世の徒 最大級の組織『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の最高幹部にして、絶大な尊崇を集める『巫女』。もし本当に“頂の座”だとすれば、彼女のミステスに手を出す事が、結果的に『世を騒がす事』になるかも知れない。
「(いずれにしろ、雑魚を片付けるのが先だな)」
男はそう結論づけて、悠二の傍らに降り立ち、促す。
「その気配を、もっと深く探れ。そして俺に教えろ」
偉そうながらも何故か協力的な徒に、悠二も言われるまま意識を集中させる。まだ信用したわけではないが、明らかにヘカテーと敵対している徒の弱点をバラすのは、悠二にとっては何のリスクにもならない。
そう思って意識を集中する間にも、再びの爆発。
「(捉えろ………!)」
眼を鎖し、爆音も無視し、存在の流れだけを正確に感じ取る。すると、
「(これは………)」
幾多の気配から力が供給される寸前、全体に同調させるような複雑な振幅が、ある一点から奏でられている。
「見つけた!」
それが核だと確信して、悠二は思わず叫んだ。男は予想以上の感知能力に感嘆して、しかし顔には出さない。代わりに、一つの要求を突き付ける。
「方角を教えて力を寄越せ。そうすれば、俺が終わらせてやる」
存在を喰わせろ。
その要求に、悠二は本能的な忌避感を抱いて、だが、感情のまま反論はしない。
「このまま連中に負ければ、どちらにしろ喰われて消えるだけだぞ」
「…………………」
悠二の『零時迷子』は、毎夜零時に力を回復させる。存在の力そのものを渡す事に問題は無い。
それに、この男はその気になれば悠二の許可など得なくても一方的に力を奪える筈なのだ。
「……………解った」
理屈で解って、感情で恐れて、躊躇いがちに手を伸ばしたその時、
「うっ!?」
ヘカテーの気配が、急激に小さくなった。その危機感に促されるように、悠二は男の手を素早く握る。
「(後から敵に回る事も考えて、ヘカテーよりは少なくしないと………)」
などと往生際悪く計算している内に、一方的にゴッソリ奪われた。文字通りの喪失感に戦慄いて跳び退る悠二だが、今度は尻餅を着かずに済んだ。
激しく脈打つ心臓に手を当てながら、滅茶苦茶に膨れ上がった徒の……否、王の力に、今さらの後悔が湧き上がる。
「(こいつッ、ヘカテーより強いんじゃ……!?)」
悠二の力を根こそぎ奪ったわけでもないのに、あの“狩人”以上の存在感。味方とすれば頼もしいが、敵に回ったら……もう、“終わり”なのではないか。
「で、どっちだ」
最初に触れた時点で手遅れな後悔に苛まれる悠二の葛藤など露知らず、男は端的にそれだけを訊く。
一瞬なにを言われたのか解らなかった悠二は、すぐ我に帰って慌てる。
「解った。すぐ案内するから、それで………」
「不要だ」
駆け出そうとした悠二の足を、男の一言が止める。
「方角だけ指で示せ。それで十分だ」
振り返った悠二の視界に、炎が燃える。七色の光を絡ませ揺らす、虹色の炎が。