晩御飯も済ませ、酒を飲みながら本を読んでいた。
その日は良い調子で酒が進み、半時もしない内に酒瓶を一本空けてしまった。
調子良く飲んでいたからか、いつもならそうそう二本目を開けることもないのだが、些かの物足りなさを感じ、二本目を持ってこようとした。
しかし残念なことに今のが最後の一本だったらしく、もう酒瓶は残っていなかった。
(まだ里の飲み屋はやってるよな……)
人間の里には意外と深夜まで営業する店が多い。
人間がいなくなってしまっては妖怪も困るので、妖怪は人間の里で暴れてはいけないという暗黙の了解があるからだ。
特に酒を出すような店は大抵深夜まで営業している。
妖怪達の主な活動時間は夜なので、深夜までやっている飲み屋などでは妖怪と人間が酒を飲み交わす光景も珍しくない。
そういった所でやんややんやと飲むのは僕の性には合わないので、さすがに酒屋はもう閉まっているだろうから飲み屋へ行って直接酒瓶を売ってもらおうと思い、さっそく出発した。
今の時刻はまだ深夜というような時間でもないので、今から行けば確実に店は開いているだろう。
しばらく歩いて人里に到着し飲み屋へ向かおうとすると、ふと遠くの空が紅く燃えているのが見えた。
あれは迷いの竹林の辺りだろうか、誰かが空で弾幕ごっこをしているようだ。
燃えるように紅い鳥が放つ炎の弾幕と、何重にも重ねられた虹色の弾幕が交差する。
(綺麗だ……)
その圧倒的な美しさに、しばし目を奪われた。
空を覆い尽くす鮮烈な紅と虹。
いつまで見ていても飽きることはないだろう、それ程までに洗練された弾幕であった。
しかし、終わりは唐突に訪れた。
虹色の弾幕の一つが紅い鳥へ命中したかと思えば、そこから連鎖的に弾が当たりだした。
しばらく耐えていたものの反撃の機会は与えられず、ついに紅い鳥はその翼を失い地上へと落ちていった。
(良いものを見させてもらったな)
めったに見られないような素晴らしい決闘だった。
落ちていったのはあの翼からして妖怪だろうから、例え地面に叩きつけられてもそうそう死ぬようなこともないだろう。
普段は夜遅くに買い出しなどはしないのだが、こんなレベルの高い決闘を見れるのならわざわざ出てきた甲斐があったというものだ。
だが次の瞬間、僕はそれが高潔な決闘などではなかったことを知る。
「……おいおい」
思わず声が出てしまった。
あろうことか先の決闘の勝者は、地上へと落ちていった敗者に向かって弾幕を放ち始めたではないか。
もう明らかに勝負はついているのにも関わらず、勝者は止めだとでも言わんばかりの勢いで弾を打ち込んでいく。
その弾幕には美しさの欠片も見い出せず、ただ力の塊を打ち込んでいるだけのようだった。
心なしか、風に乗って高らかな笑い声が聞こえてくるような気もする。
そいつはひとしきり打ち続けていたが、やがて満足したのか竹林の奥へと去っていった。
(なんという……後味の悪い……)
あれでは如何に強力な妖怪でも無事では済まないないだろう。いや、それどころか死んでしまっていてもおかしくないような激しい追撃だった。
どうしようか迷っていたところで、自分がとっくに飲み屋を通り越していたことに気付く。
僕の足は、既に竹林へと向かっていた。
迷いの竹林を彷徨い歩く。
この竹林の中には永遠亭がある。
月都万象展が開催された時には、開催中に何度も足を運んだものだ。
月出身の兎がある程度の説明はしてくれたが、向こうも僕一人を相手にし続けるわけにもいかなかったので、結局知ることのできなかった月の道具がまだ多くある。
あの時ほど使い方まではわからないこの中途半端な能力を恨んだことはないだろう。
(そういえばあの時の兎は、別に永遠亭側に落ち度があったわけでもないのに随分と僕に謝ってきたな)
あれは細部に至るまで説明を求めるという単なる僕の我が侭だったのだが、それでもお役に立てずにすみませんと彼女は何度も頭を下げた。
頭を下げる度にぴょこぴょこと上下する彼女の耳を無意識に鷲掴んでしまい、絶叫と共に恐ろしい形の弾幕を飛ばしてきた月の兎。
(結局、すぐにやって来た永琳が一撃で沈めたんだよなあ)
乾いた笑みを張り付けたまま鳩尾へと強烈な一撃を叩き込んだ永琳を真正面から見てしまい、慌てて退散した情けない自分に少し自己嫌悪する。
「……ん?」
今、微かに声が聞こえたような気がした。
声の聞こえた方へ行くと、何かが血だらけで呻いていた。
(あれは……)
その正体は、鳥の妖怪ではなく。
「……妹紅?」
「う……」
「大丈夫か? 今、永遠亭へ連れて行ってやる」
「うう」
「なんだ?」
「うがあああああああああああああああああああああっ!!!!!」
「!!!」
いきなり叫びだした妹紅に驚いて思わず尻もちをついた自分に、本日二度目の自己嫌悪をした。
色々あって、今僕は妹紅をおんぶして彼女の家に向かっている。
あまりに酷い怪我だったので、僕は妹紅を永遠亭へ連れて行こうとしたのだが、彼女は頑なにそれを嫌がった。
「ほら、全身怪我だらけじゃないか。早く医者に見せないと」
「……いいんだよ。ほっとけば治るんだから」
「そんな軽い怪我じゃ……ああ、そうか、君は」
「……ああ。私は、不老不死だから大丈夫なんだ」
何時だったか、霊夢がそんなことを話していた。
不老不死の人間は果たして人間と呼べるのだろうかと、熱い議論を交わしたのを覚えている。気付いたら霊夢は炬燵で丸くなっていたが。
「それにしたって痛みは感じるのだろう? なら……」
「おいおい、ほっときゃ治るって言ってるだろう。それに私がどの面下げて永遠亭に行くって言うのさ」
「それはどういう……?」
「……ああ、あんたは知らないのか。今まで私と殺し合ってたのは、永遠亭の輝夜だよ」
「……なるほど。それは確かに、行けないな」
万象展で輝夜を見た時は、その立ち居振る舞いから正にお姫様だとも思ったのだが、どうやらさっきの姿が本性らしい。
それにしても、先ほどの決闘が単なる殺し合いだったとは。僕の感動を返せと言いたい。
「わかった。医者に行かなくても治ると言うのなら、僕はもう何も言わないよ」
「分かればいいんだよ。ってか、あんたはなんでこんな所に……何やってんだ?」
「ほら、早くおぶさってくれ」
「は……?」
「君の怪我は治るにしたってすぐにとはいかないだろう? だから、今夜は僕が家まで送るよ」
「い、いいよ。こんなの、別に初めてじゃないし」
「そんなにしょっちゅうなのかい……?」
「まぁ、ね。あいつとの殺し合いが日常となってるくらいには」
「……二人とも、仮にも女の子だろうに」
「仮にもってなんだよ。私はれっきとした女だ」
「ああ、これは失礼。じゃあ、早くおぶさってくれ」
「だから……もう、わかったよ。あんた、見かけによらず強情なんだな」
「別にそんなんじゃない。このまま立ち去るのも後味が悪いと思っただけさ」
「ははっ。そういうとこが強情だっていうのさ」
僕におぶさった妹紅は、思った以上に軽かった。
「それで、あんたはなんで竹林なんかにいたのさ」
「酒が切れてしまったから里まで買いに来ていたんだよ。その途中で君らが弾幕ごっこをしているのを見つけてね。あれ……? ということは、あの紅い鳥は君だったのか?」
「紅い鳥……? ああ、あれか。私はスペルカードを発動させる時、炎の翼を纏うんだ」
「なるほど、そういうことだったのか。遠くから見ていたから鳥の妖怪だと思っていたよ」
「私は人間だ」
「ははは、わかっているよ」
「ったく……それにしたって、なんで人里からわざわざこっちまで来たんだよ」
「僕も行くつもりはなかったんだが、永遠亭のお姫様は君が地面に落ちてからも弾を打ち続けていただろう? それを見て、さすがにやりすぎだと思って様子を見に来たんだ」
「……なんというお人よしだ……」
「何を言うんだ。君だから問題なかったが、あれは普通の妖怪なら死んでいてもおかしくない程の攻撃だった」
「まぁね。確かに、最後の弾幕は完全にルール違反だったな」
「そうだろう」
「ま、私も逆の立場の時は同じことしてるけど」
「…………」
「ああもう、なんか思い出してイライラしてきた!」
「……まぁ、お互いが納得してるのならいいか」
「あ、そこ右な」
「はいはい……ん? この道は……もしかして、君は慧音の家の近くに住んでいるのか?」
「ああ? なんでお前が慧音の家を知ってんだよ」
「いや、前に何度か行ったことがあるだけだが……」
「あー、そういや慧音がたまに言ってたっけ。霖之助の昔がどうのこうのって」
「最近は寺子屋が忙しいようで、僕が行くことも彼女が来ることもほとんどないけどね」
「そうだったのか。私は今、慧音と一緒に暮らしてるんだ」
「……へえ。それは、良かった」
「ん? なにが?」
「いや、なんでもない。ほら、もうすぐ着くよ」
「はいよー」
本当のお人よしというのは、上白沢慧音のような者のことを指すのだろう。
彼女は自分が傷つくことも顧みず、人間を助けようとする。
見返り等も一切求めず、逆に親切過ぎてこちらが疑ってしまうくらいだ。
悲しいことや辛いことがあってもそれをおくびにも出さず、一人で抱え込むような、そんな慧音は。
(そうか……慧音は、支えてくれる友を得たのか……)
それは、本当に。
「本当に、良かった……」
「だからなにが?」
「……ほら、到着だ」
「まぁ、いいや。ありがとな」
「もうだいぶ傷も塞がってきているな。これなら後は自分でできるだろう。僕はこれで帰るよ」
「何言ってんだよ。ここまで運んでくれたあんたをこのまま帰せるわけないだろう?」
「いや、ちょっとした収穫もあったんでね。今からでも里に戻って酒を飲みたい気分なんだ」
「ならうちで飲んでけよ。今夜は慧音がまだ帰ってないから酒の相手がいないんだ」
「慧音はまだ帰ってないのか? そういえば、明かりが点いていないな……」
「慧音は里に行ってるよ」
「なんだ……じゃあ、僕はすれ違っていたのかもしれないな」
「酒を飲むために里に行くんだったら、うちで飲んでっても同じだろ。。ほら、何の問題もないじゃないか」
「いや、それでも……」
「あ」
「……なんだい?」
「服」
「服?」
妹紅が鏡を持ってきて、僕の後ろに回った。
背中を見ろということなのか、僕は首だけ動かして鏡越しに自分の背中を見る。
「あ」
「……ごめん」
僕の背中と後ろ髪は、妹紅の血で真っ赤に染まっていた。
そんなことがあったので、妹紅は余計に僕を強く引き留めた。
他人の血が付くというのは確かに気持ちの良いものではないが、僕自身妹紅を背負えば血が付いてしまうということを失念していたので特に気にしなかった。
だが、彼女は不老不死の自分の血を他人に付着させてしまったことにかなり慌てていて、一刻も早く血を洗い流すように言ってきた。
「なら、なおさら早く家に帰って風呂に入りたいんだが……」
「わかった。風呂だな。直ぐに沸かすからあんたは服を脱いで待っててくれ」
「いや……ここの風呂じゃあなくてだな」
「不老不死になったらどうすんだ!」
「いや……いくら君が不老不死だからって、君の血を浴びたくらいで僕まで不老不死になったりはしないよ」
「そうかもしれないけど、そうじゃなかったら私は……私は……!!」
妹紅は混乱しているようで、こっちの話を落ち着いて聞く余裕はなさそうだった。
仕方がないので、彼女の言うとおりにしようとした。
しかし。
「そうか! 私の炎で血を蒸発させればいいのか!」
「待て! 君の言うとおりにする! だからそれはやめろ!」
掌に炎を生み出した妹紅へと、僕は必死で言ったのだった。
いざ脱衣所で服を脱ぐと服の背中から膝裏の辺りまでぐっしょりで、かなり血が染み込んでいたことがわかった。
妹紅は溜めた水の中に手を入れて、生み出した炎の熱を利用して一瞬で風呂を沸かし、落ち着かない様子で僕の着替えを手伝おうとした。
「おいおい、子供じゃないんだから」
「いいから早く脱げ!」
「うおっ! わかったよ、わかったから服を引っ張るな」
「うう……」
「ああ……それとな、君がいると脱ぐに脱げないんだが……」
「私のことは気にするな!」
「いや……気にするよ、普通……」
「頼むよ……頼むから……!!」
「…………」
よく見れば妹紅は、その瞳にうっすらと涙をにじませていた。
尋常ではない妹紅の様子に驚きつつも、これはもう仕方がないかと腹を括った。
僕は彼女の両肩に手を置き、強めに言う。
「わかったよ、妹紅。だからせめて、後ろを向いていてくれ」
「……ああ、その……すまない、取り乱してしまって」
「ああ。それじゃあ僕は風呂に入らせてもらうから」
「うん……」
妹紅も少しは落ち着いたようで、僕は風呂場へ入った。
とりあえず先に髪の毛に付いた血を落とそうとしたところで、後ろの扉が開いた。
「髪の毛は私に任せろ!!」
前言撤回。
妹紅は少しも落ち着いてなどいなかった。
「痒いところはないか?」
妹紅が袖と裾をまくって、僕の頭を洗いながらそんなことを聞いてくる。
「……ああ」
「そうか、それは良かった」
「というか、さっきから明らかに後ろ側だけしか洗ってないんだが……」
「完全に血が落ちるまで洗い続けるからな」
「……さすがに十回も洗えば完全に落ちてると思うよ……」
「うん……でも、まだ見えない所に付いてるかもって」
「……そう言ってからもう五回は洗ったよ……」
「う……でも……」
「なあ、妹紅。君は妖怪退治を生業としてきたのだから、今までにもこういうことは経験しているだろう? その内一匹でも不老不死になった妖怪はいたかい?」
「それは……いない、と思うけど」
「だろう? こんなことで不老不死になるはずがないのさ」
「…………」
「……妹紅?」
「…………昔は」
「…………」
「…………」
「……ああ、話してごらん」
「…………」
「…………」
「…………私が、不老不死になったばかりの頃は、そういうこともたくさんあったよ」
「うん」
「普通の人間とは一緒に生きられないと理解してから、妖怪を倒せるほどの力を得るまでは何回も死にかけた……いや、死んで生き返って、死んで生き返ってを繰り返したって方が正しいかな」
「……うん」
「でも、段々と妖怪にも勝てるようになって。怪我もしないようになって。そして、完全に圧倒するようになった」
「……そうか」
「もう、何百年振りだよ。誰かに、不老不死以外の者に私の血を浴びせたのは……」
「そうだったのか……」
「わかってるんだ。血がかかったくらいで不老不死が移るはずはないって。……でも私は、もう誰にも不老不死なんかになってもらいたくないのさ」
「……ああ」
「だからな、私は、私のせいで誰かを不老不死にするくらいなら……」
頭から、お湯をかけられる。
だからそれは、きっと僕にはよく聞こえなかったのだ。
「刹那も迷わずそいつを殺すよ」
後悔しているのか?
そんなこと、聞けるはずもなかった。
その後、妹紅は「充分あったまってから出て来いよ」と言って、風呂場から出て行った。
僕は普段から長風呂はしない方で、ほとんどを水浴びで済ませてしまう。
風呂が嫌いというわけではなく、単に自分しか入らないのに風呂を沸かすのが面倒なだけだ。
だから風呂にゆっくり浸かるのは久しぶりで、とても気持ちが良い。
しかしそれ以上に、誰かに頭を洗ってもらうという、このなんともむずがゆい気持ちに整理がつくまではとても出る気になれなかった。
しばらく何も考えずに体を温めよう、そう思うのだが、頭には妹紅のことが浮かんでは、消える。
不老不死。
終わりのない時を生きる人間。
不老不死の人間は果たして人間と呼べるのかという疑問。
その答えは既に得ている。
もしも、今日僕が彼女の血を浴びたことで不老不死となってしまっていたのなら。
もしも、彼女がそれに気付いた時、もう僕を殺すことが不可能であったのなら。
妹紅は、終わることのない彼女の時間全てを僕に捧げるのだろう。
そんな弱い生き物は、人間しかいない。
風呂場を出ると、僕の着替えらしき服が置いてあった。
どうやら着物のようだ。
豪勢な物ではなく寝まき用の着物だったが、見たところ、あまり使われた様子はないがかなり古いものだと分かる。
この家には慧音と二人で暮らしていると妹紅は言っていたが、なぜ男物の着替えがあるのだろうか。
着てみると大きさはほぼ僕に合っていて、古い生地特有の匂いがした。
この匂いは嫌いではない。
「妹紅、出たよ」
「おう、どうだった?」
「いいお湯だった。こんなにゆっくり浸かったのは久しぶりでとても気持ちが良かったよ」
「そうか。それじゃあ私もひとっ風呂浴びてくるから、帰らないで待ってるんだぞ」
「わかっているよ。ああそれと、この着物なんだが……」
「それは、私の父上の着物だ」
「え?」
「いや……正確には違うんだけど、それは生前父上が愛用していた寝巻きと似てる気がするんだよ。といっても、父上の寝間着姿なんて一度しか見たことがないからもしかして全然違うかもしれないけど」
「ああ、そういうことか」
「ちょっと前にたまたま里の服屋で見つけてね」
「しかし、これは相当高かったんじゃないか?」
「いやまあ、最初は高くてとても手が出そうになかったんだけどさ。何年か後に竹林で妖怪に襲われていた子供を助けたら、その子はその服屋んとこの子供だったんだよ。何かお礼をって言うから服を一着貰おうと思って見て回ったら、まだその着物が残ってたんだ。だからお礼としてその着物をもらうことにしたってわけ」
「へえ……。でも、ならなおさら僕が着てしまっても良かったのかい?」
「いいんだよ。この家にあってもその着物を着るやつはいないからな。ようやく着てもらえて、その着物も本望ってもんさ」
「そうか……」
「ああ。酒とつまみを用意しておいたから、私が出るまで先にやっていてくれ」
そう言うと、妹紅は風呂場へ歩いていった。
何はともあれ、着物を貸してくれたのは助かった。
「なんだ、飲んでないじゃないか」
「妹紅。もう出たのか」
「あー、いつもはもうちょいゆっくりなんだが、今日はあんたを待たせてるからな」
僕は縁側で月を見ていた。
満月ではないが、良い夜だ。
風呂上りの妹紅の髪はしっとりと濡れ、、風通しの良い恰好をしている。
「気を遣わせてしまったね」
「いんや、まぁとにかく飲もうぜ」
「ああ、貰うとしようか」
妹紅が酒を注いでくれたので、こちらも注ぎ返す。
特に何かを話したりはせず、時々口を開く程度で、僕らは酒を楽しんだ。
慧音はまだ帰ってきていない。もうそろそろ日付が変わるような時間だ。
妹紅が言うには、人里で何か問題が起こると遅くまでそれに付きっきりになることが度々あるのだそうだ。
君は行かなくていいのかと尋ねると、慧音は本当に困った時には私に手伝いを頼むし、そうじゃない時に手伝ってもかえって慧音を困らせるだけと答えた。
慧音がどれだけ妹紅を信頼しているかが分かる。
気付いたらいつの間にか杯が空になっていて、それに気づいた妹紅がまた酒を注いでくれる。
「……ふふっ」
「……なんだい、いきなり笑い出したりして」
「いや! 何でもない! 笑ってない!」
「まぁいいが……ほら、もう一杯」
「あ、ああ。ありがと」
「こちらこそ、こんなに美味い酒を飲ませてもらうんだ。これくらい当然さ」
「そ、そうですね……」
「? なんでいきなり敬語なんだ?」
「な、何言ってる! 私は敬語なんか使ってない!」
「なんだ、もう酔ったのか」
「酔ってない!」
「ははは、妹紅が下戸だったとはなあ」
「だから、私は酔っていない! さっきは! あー、さっきは、その……」
「その?」
「その、なんだ、あんたが、その」
「なんだ、はっきりしないな」
「その、な、なんだか、父上と酒を飲んでいるような気がして……」
「なんと。君はその頃から父親と酒を飲むような娘だったのか」
「飲んでない! それどころか私は父上にお酌すらしたことはないよ……」
「そうなのかい?」
「ああ。昔はそれが普通だったんだ」
「それは、少し寂しいな……」
「でも、あんたがその服を着ているからかもしれないけど、なんとなくそんな気になったんだ」
「そうか……」
妹紅はそれきり黙り込んでしまった。
今までとは違う、少し気まずい雰囲気だ。
仕方がない、少し強引に話題を逸らすことにした。
「そういえば、先ほどの君は随分と可愛かったな」
「へ!? な、何をいきなり言い出すんだ!」
「ほら、脱衣所で涙目になっていたろう? あの時の妹紅は可愛かったなあ」
「な、何言ってんだこの馬鹿!」
本当だ。何をいきなり言い出すんだ僕は。
妹紅を下戸だなどと馬鹿にしておきながら、僕にも少し酔いが回ってきたのだろうか。
「馬鹿とは心外だな。可愛いものを可愛いと言って何が悪いんだ」
「いや、だから私は可愛くなんか……」
「妹紅は可愛いよ」
「か、可愛くない」
「顔が真っ赤になってるところも可愛いよ」
「ま、真っ赤になんてなってない!」
「ところがどっこい、君の顔はまっかっかである。だがそれも可愛い」
「可愛くないってば!!」
「なんで可愛くないと思うんだ?」
「いや、だ、だって私はがさつだし、男っぽいし、化粧とかもしないし……」
「はっはっはっはっは!」
「うわっ! なんだよ、びっくりするだろう!」
「君は何にも分かってないんだなあ。仕方ない。ここは僕が、君の可愛さについて存分に語ってあげようじゃないか」
「なっ! おい、やめろ!」
「任せてくれ。こう見えても客商売をしてるんだぞ? 僕の舌はよく回ると、幻想郷では有名なんだ」
「私は聞いたことないが……」
「まずは、君の長い髪から順に説明していこうか」
「ちょ! 私の話を聞けっ!」
「おいおい、酔い過ぎだろ妹紅。話を聞くのは、僕じゃなくて君じゃないのかい?」
「言葉の意味がわからん……そして酔ってるのは間違いなくお前だ!」
「では始めるとしよう。君の顔は―――――」
「髪の話じゃないのかよ!?」
目利きには少々自信がある。
店では客が来る度に商品の長所を探し、それが最大限に伝わる言葉を厳選する。
そんなことを何年と繰り返しているのだ。物に限らず、何かを褒めるのは嫌というほど慣れている。
僕は妹紅を見る。
彼女は面倒くさそうな顔で僕を見ている。
まるで、僕を酔っ払いと認識しているような、そんな目だ。
失礼な。僕は酔っぱらってなどいない。
これから妹紅の可愛い所を、頭のてっぺんから足の爪先に至るまで、彼女に教えてあげねばならないのだ。
外見だけでなく内面も重視し、彼女にまつわる話を記憶から引きづり出す。
そう。
今から僕は。
不老不死の彼女を。
褒め殺す。
翌日に慧音から聞いた話なのだが、妹紅は酒には滅法強いらしく、博麗神社で行われる宴会でも最後まで小さな鬼と飲み合える程らしい。
つまり、酔っぱらっていたのは、最初から僕だけだったということだ。
慧音が帰ってきたのは明け方頃だったようで、縁側で寝てしまっている僕らを発見し布団まで運んだのだと言う。
酒に強いというのなら、なぜ妹紅まで縁側で寝てしまったのかはわからないが、数時間前に大怪我をしていたこともあってきっと疲れていたのだろう。
妹紅は血がとれそうもない僕の服は燃やしてしまったらしく、代わりにと言って今僕が借りている着物をくれた。
少し挙動不審だったが、別れ際に「また来いよ」と言ってくれたので、僕の勘違いだろう。
迷惑をかけたと二人に詫びて、僕は香霖堂へと帰ることにした。
「霖之助は昔から酒に弱かったが、妹紅が酔い潰れるなんて久しぶりだな」
「私は酔い潰れてなんかないよ」
「でも、私が帰ってきた時は縁側で寝てたじゃないか」
「それは……」
「顔も真っ赤だったし」
「それは!」
「な、なんだ。いきなり大きな声を出して……」
「い、いや、すまん。とにかく、顔が赤かったのはあいつのせいで、っていやそうじゃなくて、ああもう、そうだよ酔ったんだよ酔い潰れたんだよそういうことにしてくれよ!!」
「ふふふ、久々の二日酔いで取り乱すなんて、可愛いとこあるじゃないか」
「私は可愛くなんかない!」
「? 妹紅は充分可愛いと思うが……」
「慧音もか、慧音まで私を裏切るのか!?」
「何を言って……」
「くそぅ……ちょっと輝夜殺してくる!!」
「あ、おい! 妹紅!」
その日。
迷いの竹林の上空で行われた弾幕ごっこは、怒れる不死鳥の圧勝だった。