<000―1>
ほの暗い紅魔館の地下室で、二つの声が響いていた。
「ねぇ、魔理沙は姉妹とかいないの?」
その一つはフランドール・スカーレット。
この館の主である吸血鬼、レミリア・スカーレットの妹だ。
「いないぜ。今はどうなのか知らないけど」
もうひとつは霧雨魔理沙。
この館に不法侵入した泥棒である。
「ふーん」
「なんだ、レミリアとなんかあったのか?」
「……べっつに。いつもと同じだよ」
「同じか」
「うん。ホント、馬鹿の一つ覚えみたいに、外に出るのはダメって。意味もなく暴れたりなんかしないのに」
「……あ、あはは」
フランドールが言うように、確かに彼女は意味もなく暴れたりはしない。
しかしそれは『フランドールが自我を保っている状態』であることが大前提であり、その意識の変化はたやすく狂気の方向へと移行してしまう。
それを知っている魔理沙は軽く口元を引きつらせながら、フランドールの頭をポンと叩いた。
「レミリアが嫌いか?」
「……別に。普通」
「好き?」
「……わかんない」
「そうか……」
魔理沙は思う。フランはレミリアのことが好きで、大好きなのだけど、愛されていると思えないから不安なのだろう、と。
しばしの沈黙。
フランドールは質問の意味が分からなかったためであり、魔理沙はとある計画を実行するかどうかを悩んでいたからである。
少しして魔理沙は「よしっ!」とフランドールに向き直り、言った。
「じゃあ、出てみるか?」
「……え?」
「外に。レミリアたちには内緒で」
「いいの!? ……あ、でも、咲夜が食事を運びに来るからそれでバレちゃうかも……」
「フハハ。そんなこともあろうかと、ちゃんと用意して来たぜ。その名も『等身大フランドール人形アリススペシャル』!!」
「おおー!!」
魔理沙が大きな風呂敷から取り出したのは、その名の通り等身大のフランドールそっくり人形であった。
あまりに自分とそっくりなので、思わず感嘆の声をあげながらパチパチと拍手をするフランドール。
「すごいすごい! これ、わたしにそっくりだよ」
「まあな。アリスの渾身の一作だ」
「アリスって確か……人形のひと?」
「うーん、まあ、そんな感じだぜ」
魔理沙は知っている。
フランドールの狂気は何がスイッチとなるかわからない。
だからレミリアは妹を不用意に外へ出せないのだ。
「やったあ!」
「こらこら。これはお忍びなんだから、騒いじゃ駄目だぜ」
「だね」
しーっ、と二人は人差し指を口にあて、くすくすと笑い合った。
霧雨魔理沙は知っている。
フランドールが自身の在り方について悩んでいることを。そして自身の狂気を抑え込む努力をしていることを。
この姉妹は本当に互いに対して不器用で、姉の方は理解してなおその姿勢を変えることはなかった。
結局のところ他人でしかない自分が踏み込んでいい問題なのかと、魔理沙は自問し続けた。
レミリアがフランを嫌っているとは思えない。
彼女に何か思惑があり、自分がしゃしゃり出てそれを台無しにしてしまわないか。
それだけが魔理沙の心配事だった。
(……まあ、そう思っていたのも随分前だけど)
もうそろそろいいだろう、と。
友達が友達を誘って悪いことなどあるのか、と。
依然として早計ではないかという思いはあったが、昔と違い、今の魔理沙は幻想郷を代表すると言っても過言でないほどの力量の持ち主だ。
異変解決も霊夢抜きでこなすことができる。狂気に呑まれたフランを無力化することも可能だろう。
力をつけたのは自分のために他ならないが、後から加わった理由の一つはこれだった。
レミリアがフランに自由に外出させないのは能力の暴走、狂気の解放を危惧しての処置だ。
ならばその狂気をいつでも抑止できる存在を傍に置けば、レミリアの決断を覆すことは可能である。
それに加えて、あくまで魔理沙の推測ではあるものの、レミリアはフランドールが自身の狂気を完全に支配することは不可能だと思っているのだろう。
気が触れているとは、つまりはそういうことなのだからと。
たとえ本当にフランドールの狂気が無くなったとしても、それを確認する術はない。
魔理沙は過去に、父親から言われたことがある。
『やらなかった罪というのは、比較的すぐに償える。だが、やってしまった罪を償うには、途方もない時間がかかる』
言われてみれば当然な話なのだが、魔理沙は子供心ながらにもの凄い説得力を感じたのを覚えている。
たとえば、すると約束した部屋の掃除をしなかった時。
これは約束を守らなかったことを反省し、部屋を掃除すれば一件落着である。
だが、出来心で店先の商品をくすねた場合はどうだろう。
反省し、然るべき料金を払えば一件落着といくのだろうか。
そうではない。
今日はやらなかった。なら次の日はやるかもしれない。
次の日もやらなかった。ならその次の日は?
やらなかった。じゃあ来月? 来年?
いったいいつまで『やらない』を続ければいいというのだろうか。
前者は『やること』で信頼を回復できるが、後者は『やらない』ことしかできない。
魔理沙の推測が正しければ、フランドールの今の生活が改善されることはない。
フランドールが真の意味で自由になることはなく、外出は『許可』されて初めてでき、常に監視者を伴うという現状は変わらない。
レミリアは血を分けた家族であり監視者でもある上位存在。
咲夜はレミリアの専属メイドであるため、言わずもがな。
ならば私は、と魔理沙は思わずフランドールを抱きしめて、胸中にて誓う。
「魔理沙……?」
ほの暗い地下室で、純粋無垢な子供がひとり。
そんなのは嫌だ。そんなのは許せない。
それが友人であるなら、なおさらだった。
「魔理沙……どうしたの……?」
「なんでもない。なんでもないけど、なんかこうしたくなったんだ」
「…………」
狂気に染まらないフランドールは、相手から発せられる感情にとても敏感だった。
情操教育は受けていないので、それが自分にとってプラスかマイナスかでしか判断のつかない少ない選択肢ではあったものの、その分だけ本人に自覚はないが正確に愛情と悪意を見極めることに成功していた。
今の魔理沙から伝わる感情はフランドールにとってとても心地よく、背中に回された腕も自分が痛くならないようにと優しさが込められているのが分かった。
心の底から、フランドールは思った。
きっと自分は今、愛されているのだ、と。
「……そっか。じゃあ、わたしもー」
フランドールは魔理沙の背中に手を回し、ぎゅっと抱き返す。
「えへへ。魔理沙、あったかいね」
魔理沙の複雑な心境をよそに、フランドールはどこまでも純粋に一直線だった。
「フランも、あったかいぜ」
目の前をゆらゆらと揺れる七色の羽が、フランドールの喜色を魔理沙に教えてくれる。
「あは。じゃあ、おそろいだね」
「ああ。一緒だ」
―――そう。一緒なのだ。
遠い昔、愛する人に語られた種族の違い。
魔理沙は顎先にフランドールの髪の柔らかさを感じながら、彼女の価値観を大きく左右したある人の告白を思い出していた。
そして、その時その人から課せられた宿題の答えを、魔理沙はすでに得ていた。
(いつか、こーりんに言える日が来るのかな……)
彼は覚えているだろうか。
(私は子供だったけれど、こーりんの泣きそうな顔を見たことなんて初めてだったから)
だから、その時の光景は言葉と共に魔理沙の心に焼き付いていた。
そしてそれは否が応にも、胸の中の少女を意識させる。
知能が高くなるにつれて、生物は理不尽を嫌悪する。
レミリアは血を分けた家族であり監視者でもある上位存在。
咲夜はレミリアの専属メイドであるため、言わずもがな。
(……ならば私は、フランの友達で、共犯者となろう)
フランの髪に手を添えながら、魔理沙は無意識に空を仰ぐ。
目に映るのは、冷たい壁と人工の明かりだけだった。
<000―2>
「くははははは!!!」
「あははははは!!!」
夕日が山の向こうへと落ち、辺りが暗くなり始める頃。
二つの影が縦横無尽に空を舞っていた。
「いやー、しかし、なんとかなるもんだな」
「うん! すっごいドキドキしたよ!!」
かねてから二人で計画していたフランドールの地下室脱出作戦は見事成功し、フランドールは初めての無断外泊に胸を躍らせていた。
ふらふらと空を漂いながら、二人は魔理沙の家を目指す。
「……?」
吸血鬼であるフランドールは身体能力は勿論のこと、その感覚器官までもが常人を遥かに超えるスペックを有している。
その卓越した視力が、二人のいる場所に向かって飛んでくる何かを捉えた。
「魔理沙。誰かこっちに飛んでくるよ」
「ん? どこどこ」
「えっと、あっちから誰かくる」
「うーん……見えん」
「たぶん、あれは紅白の巫女……かな?」
「ってことは霊夢か? ……やば。フラン、ちょっとあっちの方に隠れててくれ」
「うん、わかったー」
そう言うやいなや、フランドールは一瞬で姿を消し、森の中へと姿をくらませた。
魔理沙は視界の隅でそれを確認して、進行方向はそのままに、低速で前へと進み始める。
しばらくすると、先ほどフランドールが見つけた人影がくっきりと形を帯び始めた。
フランドールの言う通り、博麗霊夢であった。
「ああ、良かった。探してたのよ」
「いきなりだな。何があった?」
「ちょっと緊急事態なの。悪いんだけど、頼まれてくれない?」
「とりあえず話してみ」
「ええ。掻い摘んで話すけど、いま里で子供が何人か行方知れずになってて、話を聞くとどうにも山の方に遊びに行っちゃったらしいのよ」
「妖怪の山に? 子供って、ただの人間の子供だろ? なんだってそんな馬鹿なことを……」
「そうなのよ。大人でさえ近づかない、ましてや子供なんかは特にきつく出入りを禁止されてるから、妖怪側から仕掛けたって線で、今既に慧音が捜索に出てるの」
「それで、霊夢にもお鉢が回ってきたってわけか」
「……これだけならまだ良かったのだけど」
「まだなんかあるのか?」
「馬鹿な不死者が二人、竹林で大暴れしてるのよ」
「……それって、けっこういつもの風景じゃないか?」
「それが、なんだか今夜はいつもより激しいらしくて、里の人たちから『あっちもなんとかしてくれ』って言われちゃって」
「なんだそりゃ。子供の方が優先だろ」
「私たちからするとそうなんだけど、やっぱり不安なのよ。絶対に当たらないって分かってても、目の前で派手な殺し合いされたら飛び火するんじゃないかって心配
になるじゃない」
「まあ、気持ちは分かるけど」
「それで、あんたの家に向かってる途中だったってわけ。それで……頼める?」
魔理沙はほんの少しだけ、フランドールのことを考えた。
それも一瞬。ここまで話を聞いておいて、親友の頼みを断ることなどできようはずもない。
「わかった。私は竹林に向かえばいいんだな」
「助かるわ。お礼はまた今度するから、じゃあ頼んだわよ」
「ああ。任せとけ」
魔理沙から了解の返事を聞くと、霊夢はすぐに飛び去った。
その後ろ姿はすぐに見えなくなり、魔理沙は木の陰に隠れているであろうフランドールを呼んだ。
フランドールは程なく森から出てきて、その雰囲気からおおよそのことを把握しているようだった。
「お仕事?」
「あー、うん……ちょっと、な。すぐに終わらせてくるからさ」
「お仕事なら、しょうがないよ。でも、私、どうしようか」
「そうだな……うん? おお、ちょうどいい場所があった。竹林に行って、騒ぎを収めて、帰ってくる。……うん、ちょうどいいかな」
「???」
「もうちょっとこの先を行くと、森の入口の辺りにぼろっちい変な店があるんだよ」
「……それって、魔理沙がよく話してくれるお店のこと?」
「そうそう。そこに暇つぶしにいい場所があるんだ」
「へー。でも魔理沙は行っちゃうんでしょ? 私がいきなり行っても大丈夫なのかな?」
「大丈夫だよ。許可をとらないから、断られることは絶対ない」
「あ、あはは……。えっと、それこそ、大丈夫なのかな……?」
「だいじょぶだいじょぶ。私も昔はよくやったし、後でばれたことはあるけど直接見つかったことは一回もないんだ。……お、見えてきたぜフラン」
二人の視界の先には古ぼけた一軒の家があった。
その家の裏手には見るからに倉庫と思しき建物があり、辺りには人影もないため隠れるには絶好の場所だと魔理沙は言った。
そんな魔理沙の言葉に、フランの心は自然と高揚していった。
フランドールは狭い地下室(一人部屋としては充分過ぎるほど広かったが、いかんせん閉じ込められているというネガティブな思いがフランドールにそう感じさせていた)で、長い間ずっと思っていたことがある。
この幻想郷全てをフィールドとしてみんなで鬼ごっこをしたら、それはそれは楽しいのだろうと、そんな夢を見ていたのだ。
今回の人数は魔理沙と自分の二人だけであるが、その夢の一端として、今日という日の出来事を忘れることはないだろうとフランドールは思った。
普通に考えれば魔理沙が帰ってくるのを待つだけなので鬼ごっこではないのだが、フランドールは今日のような出来事は初めてだったので、鬼ごっこの定義などどうでもよくなっていた。
魔理沙に導かれ、フランドールは倉庫の前へと下りる。
慣れた手つきで魔理沙は錠前を外し(あまりに自然な動きだったので、フランドールにはいつ魔理沙がピッキング用の針金を取り出したのかも分からなかった)、音を立てずにそっと扉を開けた。
「さあ、香霖堂の倉庫探検ツアーといこうか」
フランドールは恐る恐る、倉庫の中へと歩を進める。
薄暗い空間はどこか紅魔館の地下室を思わせ、そのことに少し安堵してしまう自分に対し、たまらなく嫌気が差すフランドールであった。
<000―3>
フランドールに簡単に倉庫の中の説明をした後、魔理沙はすぐに竹林へと向かった。
持ち主に見つかると面倒なことになるので、フランドールには置いてある物を壊さず静かに待っているようにと言ったが、倉庫と言っても目を見張るほど広いという訳ではないため、数時間も飽きずに留まり続けることは難しいだろう。
魔理沙は一段階速度を上げ、一直線に竹林を目指す。
既に魔理沙の瞳は弾幕ごっこ特有の色鮮やかな光を捉えていて、頭の中で沈静化のための戦術を考えていた。
(……とりあえず殺すと生き返るから、意識を刈り取る方向に決定っと)
妹紅と落ち着いて話すことさえできれば、慧音の名前を出してこちらに引き込むことも可能だろうが、遠目に見る限り、妹紅は若干七色の弾幕に押されているようだ。
機嫌の悪い所を下手につついて三つ巴となっても始末が悪い。
乱戦は魔理沙の得意とするところではあるが、時間制限があり、また相手が一度の奇襲でいつまでも混乱してくれるような戦闘初心者でないという現状において、それは最大の悪手であった。
二人を一挙に仕留めることができればそれがベストなのだが、近距離では片方しか範囲に収まりきらず、遠距離からの精密射撃を二人同時にこなす自信は魔理沙には無かった。
(パチュリーならできるんだろうけど……)
パチュリーのような固定砲台タイプにとっては必須スキルであるが、魔理沙のように素早い動きで戦場を飛び回るタイプは同じ戦局の中で『静止する』という状況がほとんど無い。
あるとしても、それは一種のミスディレクションであったり、マスタースパーク等の大技を放つためであったりなど、遠距離からの精密射撃は魔理沙にとって勝敗を左右するスキルではないのだ。
(だとすると、やっぱこれが一番かな)
射線上に二人を捉えての魔理沙の十八番。
弾幕ごっこという名の殺し合いに夢中になっている二人を繋いだ線の延長から放つマスタースパーク。
魔理沙はマスタースパークを初めとする様々な種類の弾幕を扱うことができる。
その多くはミニ八卦炉の補助で成り立っており、中にはそれがないと制御しきれないものもある。
そのことについて、魔理沙は特に問題視しているというわけでもない。
と言うのも、ミニ八卦炉を作り魔理沙にプレゼントしてくれたのが、魔理沙の想い人だからである。
彼に頼らずとも一人前の魔法使いになってみせる、という気持ちはもちろんあるが、それとは関係無しに、否応なく彼との絆を感じさせてくれるミニ八卦炉を魔理沙は愛していた。
もちろん、ミニ八卦炉が単純に高性能な補助道具であることもそれに拍車をかけている。
(じゃ、ちょっくら下から潜り込むか)
迷いの竹林とはまさにその通りで、一度でも中に入ってしまうと、上空に抜けない限りなかなか自力での脱出は難しい。
なので、魔理沙は竹の上をすれすれに飛んで、輝夜の背後に向かって大きく回り込むように箒を進めた。
本来ならば決闘に水を差すのだから、無駄だと分かっていても一礼はして然るべきである。
魔理沙も泥棒稼業ではあるものの、こういった第三者として弾幕ごっこへ介入するようなことはあまり乗り気ではない。
しかし今は状況が状況であるし、多少強引だが里への迷惑行為と見なして最初から全力でいくことに決める。
というか、実際のところ、かなり里に近い場所でそれは行われていた。
霊夢には子供が優先だと言ったが、これは里の人間が恐怖を感じてもおかしくない距離であった。
(なんだ……単に保身を優先したって訳でもないのか)
多分、産まれたときから『博麗』だった霊夢には分かり辛い感覚なのだろう。
そう結論付けて、魔理沙は懐からミニ八卦炉を取り出し、風を切らない無音飛行で輝夜の後方へと回り込んだ。
輝夜は妹紅に夢中であり、その戦いは終局に近づいていた。
今宵の勝者は輝夜で決まりのようで、既にもうすぐ止めの弾幕の展開が始まるような雰囲気であった。
(妹紅の状態が思ったより良くないな……)
妹紅は輝夜の弾幕に押し上げられるように、かろうじて宙に留まっているような有様であった。
(作戦変更。相手が相手だし、大事なのは、最初の一撃で必ず輝夜を仕留めること)
この一撃で妹紅も、という考えを、魔理沙は捨てた。
妹紅はもう戦える体ではない。確実に輝夜を仕留めて、それで仕事は終わりである。
魔理沙は妹紅が死んでしまう前、リザレクションが始まる前にカタをつけるため、輝夜の弾幕の展開開始と同時に浮上し、輝夜の死角から無言でマスタースパークを放った。
普段ならいざ知らず、不意打ちをするのに声を出すことなどありえない。
マスタースパークも今回に限っては『衝撃』を与えるのに特化させたアレンジバージョンであった。
平たく言えばただの強力な突風、衝撃波なのだが、ミニ八卦炉を通して放ったそれはマスタースパークの親戚のようなものなので、間違っているというわけでもない。
輝夜が妹紅に止めを刺す瞬間。
油断するその好機に合わせて放ったそれは、しかし輝夜に届く直前、霧散した。
「な……!!」
輝夜は驚く魔理沙へと、気だるげに声をかける。
「なにか用?」
楽しい時間を奪われたからか、あるいは背後からの奇襲に苛立ちを感じているのか、輝夜はそっけなくそう言った。
「……あーあ。妹紅、落ちちゃった」
「え……?」
輝夜の言葉通り、妹紅は地面に向かって落下していた。
落下する体からは淡い光が発せられていて、それは妹紅のリザレクション特有の現象だった。
その光を見て、全てを理解した。
魔理沙が輝夜の後方へ回り込むずっと前から妹紅は死んでいて、輝夜はその遺体を弄って遊んでいたに過ぎなかったのだ。
殺し続けていた、とでも言うべきか。
「狂人が!!」
嫌悪感が先走り魔理沙は咄嗟に叫んだが、すぐに戦闘が始まることを察知し、箒へ魔力を流して高速機動へと切り替える。
「もちろん、続きはあなたがしてくれるのでしょう?」
魔理沙の叫びと輝夜の言葉はほぼ同時に発せられ、それが弾幕ごっこの開始の合図となった。
先手は輝夜だった。
妹紅に飛ばすはずだったスペルカードは既に展開されており、それをそのまま魔理沙に向けて放つ。
「神宝『蓬莱の玉の枝 ―夢色の郷―』」
いきなりの大技。
フランドールのこともあって一撃離脱の方針でいたために、未だ魔理沙は完全な戦闘態勢へは至っておらず、避けるのに精いっぱいだった。
しかし、あと一秒でも高速機動への切り替えが遅れていたら、立て続けに被弾して既に戦闘は終わっていただろう。
そのことを考えれば、あの状態では最善だったと言える。
だが、輝夜はそれでは満足がいかない。
「……はぁ。もう、仕方ないわね。これで体を温めなさいな」
輝夜は一旦スペルを止めて、袖を振るった。
大玉と小玉の組み合わせが交差し合う、無名の弾幕。
スペルを展開するための時間稼ぎ、牽制といった意味合いが強いそれが魔理沙を襲う。
「ああ! もうっ!!」
上手くいかないぜ! と心で付け足して、魔理沙は回避に集中する。
急襲が失敗すればこうなることは分かっていたのに、無意識のうちに成功することを前提で考えていた自分が腹立たしかった。
それら失敗の全ては「フランドールが気がかりだった」という一点に起因するのだが、フランドールを悪く考えることのない魔理沙はそれに気付かない。
そしてそれは、魔理沙の失敗は続くということに他ならなかった。
「ぐあっ!!」
いつもならかすらせもしないような単調な弾幕、見え見えのフェイント。
魔理沙はそれらに面白いように被弾していった。
この場に霊夢がいたら、きっとこう言うだろう。「お前は誰だ」と。
魔理沙の姿に化けた妖怪だという方が、よほど説得力がある光景だった。
「…………?」
また、魔理沙の実力を概ね把握している輝夜にとってもそれは不審であり、妹紅を甚振って高揚していた彼女の精神を落ち着かせる結果となっていた。
あるいは、今の落ち着いた状態の輝夜に事情を話せば、迅速且つ平和的な解決が成ったのかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
魔理沙は焦りからパニックになる寸前で、それどころではなかったのだ。
そんな様子の魔理沙を見て、
(ちょっと様子を見てみましょうか……)
そう思い、輝夜は止めていたスペルカードを再発動させ、その照準を魔理沙に定めた。
「うえっ!?」
突如として動き始めた輝夜の上位スペルカードに、魔理沙のパニックは最高潮に達しようとしていた。
しかし自分が今パニックを起こしていると理解できる程度には正気であり、それが魔理沙に中途半端な前進を許した。
(……あそこで交差する弾幕を一気に抜いて、近距離から一発かましてやる!)
そう決めるや否や、魔理沙はその場で小さく円を描いて加速をつけた。
きっと普段の彼女であれば、その判断を是とはしなかっただろう。
何せ魔理沙自身が輝夜に与えたダメージは全くの零である。
妹紅がいくらかダメージを与えていたとはいえ、それも魔理沙が苦戦している間に回復の兆しを見せている。
状況に勢いもなく、魔理沙のそれはただの特攻に過ぎない。
だから、気付かなかった。
「え?」
自身にかすらせてかわしたと思っていた全ての弾幕は、ただの目くらまし。
大きな曲線を描く派手な弾幕を眼前にてやり過ごした先に、それはあった。
弾幕ごっこにおいて、初歩とまではいかないが、決して高難度の技術ではない弾幕の重ね打ち。
反撃しようとした矢先のことで、態勢は最悪。
魔理沙にとっては、これ以上ないほど綺麗にカウンターを決められた形となる。
そして、次の瞬間。
(やば!!)
頭部に衝撃を受け、魔理沙の視界は暗転した。
<000―4>
「うわー。なんか、ごちゃごちゃ」
魔理沙が竹林で撃墜された頃、フランドールは隠れ家となった香霖堂の倉庫を探検している最中だった。
魔理沙とはいったんは離れ離れになったが、今日中には戻ると約束してくれたので、フランドールは特に機嫌が悪くなるということはなかった。
「うーん」
だが所詮は香霖堂。
これが紅魔館の倉庫や宝物庫ならば話は違ったのだろうが、霖之助が個人で所有している倉庫の広さなど高が知れている。
入口から軽く首を回すだけで奥まで見通せる程度の面積しかないのだ。
案の定、フランドールの探検は咲夜が一部屋を掃除する時間よりも早く終わった。
「うたを歌おう」
フランドールは唐突にそう宣言し、一人で歌い始めた。
魔理沙を責める気は全くないが、遊ぶものがある分、まだ地下室の方がマシだと思った。
「まいごのまいごのこねこちゃん♪」
「あなたのおうちはどこですかー♪」
「おうちーをきいてもわからないー♪」
「なまえーをきいてもわからないー♪」
「ニャンニャンニャニャン♪ ニャンニャンニャニャン♪」
「なーいてばかりいるこねこちゃん♪」
「いっぬっのー♪ おまわりさん♪ こまってしまって」
「わんわんわわーん♪ わんわんわわーん♪」
フランドールの歌が順調だったのは、そこまでだった。
「……あれ? この後に続きがあったような……うぅ、思い出せないよお」
思い出せないものは仕方がない。
フランドールは倉庫の最奥でドアの正面に向かって腰を下ろし、魔理沙の帰りを待つことにした。
ひたすらに、その歌の一番だけを歌い続けて、ただただ、彼女は待っていた。
「これじゃあいつもとあんまり変わらないなぁ」
その日の夜。
結局魔理沙が帰ることは無く、フランドールは一人、倉庫の中で夜を明かした。
魔理沙の帰りを待つだけのフランドールは、いつまでもドアを眺めて歌い続けていた。
<001>
「う……」
誰かの話し声が聞こえて、魔理沙は目を覚ました。
「あら、噂をすれば」
「噂って、最初から目の前にいたじゃないか。そういうのは噂って言うのか?」
声の一つは霖之助だとすぐに分かった。
意識は未だにはっきりとはしないが、想い人の声を聞き間違えるほど魔理沙の気持ちは軽くはなかった。
「ここは……?」
「永遠亭の診療所よ。ごめんね、ちょっと目を開いてくれる?」
「ああ……」
魔理沙はぼんやりする頭でそう生返事をし、言われるままに目を開いた。
すると突然ライトを目に当てられ、一気に頭が冴えてくる。
「うわっ!!」
「はい、終わり。そのままでいいから、ちょっと質問に答えてね」
魔理沙はきょろきょろと周囲を見渡し、自分がベッドに寝かされていることに気付いた。
目の前には白衣を着た八意永琳。
そしてその後ろから覗き込むように、森近霖之助が立っていた。
「うわああ!!!」
先ほどよりも幾分か驚きの度合いを増し、魔理沙は叫んだ。
どこかのブン屋もびっくりな速度で布団を手繰り寄せ、頭から被って籠城する。
「だから言ったじゃない。レディの寝顔を盗み見るなんて良くないって」
「い、いや、でも、心配じゃないか。頭を打ったって言うし。魔理沙、僕が分かるかい? ほら、昔君の家で……」
「お前はでてけ!!!」
「……だって。あなたの気持ちも分かるけど、患者の希望を優先したいの。ほら、出てった出てった」
「わ、わかったよ……。僕は外で待ってるから」
「はいはい」
「何かあったらすぐに呼んでくれよ」
「わかったから」
「ああ、何か必要な物とか……」
「いいからでてけー!!!!」
さすがに魔理沙の治療の邪魔となっていることに気付いた霖之助は、すごすごと部屋から出て行った。
扉の閉まる音を聞いて、魔理沙は布団から少しだけ顔を出し、周りを確認する。
「彼はもう行ったわ。……で、状況は分かってる?」
「じょう、きょう?」
(私は霊夢に頼まれて、輝夜と妹紅の戦いを止めようとして……)
「そ。なんだか、私が留守の間にウチの姫様が迷惑をかけたようで……よく言い聞かせておいたから。痛みと共に」
「……そうだ。子供はどうなった? 里の、行方不明の子供は」
「白沢が見つけたわ。スペルカードも理解できない下位の妖怪の仕業だったみたい」
「全員無事?」
「ええ。巣に帰る途中でなんとか見つけられたって言っていたから、もう少し発見が遅れていたらアウトだったんじゃない?」
「……まあ、あれだ。とりあえず無事で良かった」
「そうね。……じゃあ、診察を始めるわね」
そう言って、永琳はちょくちょく質問を混ぜながら検査を進める。
永琳が診たところ、魔理沙の精神は落ち着いているし記憶が飛んでいるということもなさそうであり、緊急に対処すべき事態は起こっていないようだった。
もちろん、頭部を強打して意識を失った魔理沙にはしばらく入院してもらおうと考えている。
それらを魔理沙に伝えると、当の本人はぽかんとした顔になった。
「頭を打った? 私が?」
何か大事な、とても大事なことが抜け落ちているような気がする。
しかし魔理沙が思い出そうとすればするほど、まるで両手から砂が零れ落ちていくかのようにその何かを掴みとることはできない。
「ええ。……まあ、場所が場所だし、しばらくは安静にしていることね。こっちにも非はあるし、入院費はいらないわ。本当なら妹紅と姫とで折半にするのが筋なんだけど、あっちはあっちで大変みたいだし」
永琳が言うには、事情を聞いた上白沢慧音の怒りはそれはもう凄まじく、一発思いきり拳骨を落とした後、問答無用で妹紅の首根っこを掴んで去って行ったそうだ。
一発と言えど、慧音は半人半獣。
冗談抜きで一回死んでいてもおかしくない威力だ、と永琳は語った。
『ありゃあ死んだわね。くくく、ざまあみろ馬鹿妹紅』
そんな残念な発言をしたらしい輝夜に同じ罰を下し、涙目になった主に嘆息しながら永琳は魔理沙の治療に向かった……というのが、魔理沙が気を失ってから今までに起きた大筋の出来事らしい。
「姫様がしたこととはいえ、あなたには迷惑をかけたわ」
「いいんだ。私の実力不足が招いた結果だから」
「それでも、あなたの人生の貴重な三日間を奪ってしまったことに変わりはないわ」
「……ちょっと待て。いま、なんて言った?」
「? あなたの人生の……ああ、そうだ、肝心なことを言ってなかった」
永琳は申し訳なさそうに魔理沙へとその言葉を告げた。
「あなたは気を失ってから約三日の間、ずっと目を覚まさなかったのよ」
「三日?」
「ええ。事情を知っているのはあなたに依頼した霊夢と、どこから嗅ぎつけたのか知らないけど霖之助。……ああ、それと―――」
霖之助。
こーりん。
香霖堂。
倉庫。
「紅魔館からも十六夜咲夜がお見舞いに来ていたわ。ちょっと様子がおかしかったけど……」
咲夜。
紅魔館。
借りっぱなしの本。
大図書館。
地下。
地下室。
「フラン!!」
思い出した。すぐに時系列を整理して、理解した。
魔理沙はフランドールをあの倉庫に、三日間もの間置き去りにしたのだ。
その事実に、魔理沙は愕然とした。
「行かなきゃ、すぐに行かなきゃ」
半ばうわ言の様にそう繰り返して魔理沙はベッドから降りようとしたのだが、永琳がそれをやんわりと止めた。
「駄目よ。言ったでしょう? 今は体も衰弱しているし、なにより患部が頭なんだから安静にしていなさいって」
衰弱しているというのは本当のようで、永琳が軽く押さえただけで魔理沙は動けなくなってしまう。
当の魔理沙も検査で疲れたのか、頭がぼうっとしてきていた。
このままではいけない。
誰にも何も伝えられないままでは、またフランドールは一人ぼっちだ。
「こーりん!!」
恥も外聞もなく、魔理沙は叫んだ。
「こーりん!!!」
「ちょ、ちょっと。どうしたの」
きっと彼が何とかしてくれると、理由もなくそう信じていた。
「どうした魔理沙!!!」
霖之助が慌ててドアから入ってきて、魔理沙を支える。
薄れゆく意識の中、魔理沙は早口でまくしたてた。
それは衰弱と混乱で、ひどく支離滅裂だった。
魔理沙本人にも、いったい自分がいま何をどんな言葉を用いて伝えているのかよく分かっていなかった。
ただ、ひとつだけ覚えていたのは。
最後に「助けて」と霖之助に告げ。
「わかった。僕に任せろ」
その言葉を聞いた瞬間、ああ、もう大丈夫だ、と心底安心し、魔理沙の体から一気に力が抜けた。
無責任なのは分かっていた。
フランドールと二人で建てた計画を自分が台無しにしたことも分かっていた。
傷つけたことも分かっていた。
二度と笑顔が見られないかもしれないということも分かっていた。
それでも、彼に任せれば、なんとかなる。
大きな背中が遠ざかって行くのをぼんやりと眺めながら、魔理沙は再び眠りについた。
/002
魔理沙から聞いた話によると、どうやら香霖堂の裏手の倉庫の中にレミリアの妹であるフランドールという少女が隠れているらしい。
一体全体何がどうなってそのような状況になったのかは甚だ疑問だが、今は一刻も早く店に帰ることが先決だ。
また、魔理沙の話を聞いて、咲夜についての疑問も晴れた。
魔理沙に渡したミニ八卦炉には、彼女が撃墜した時に自動で僕に連絡がくる装置が仕込んである。
もちろん魔理沙はこれを知らない。
どうせ知ったら「はずせ」とごねるに違いないので、最初から言わなかった。
本当のことを言えば、常時発動型の発信機すら付けたいと思っていたが、さすがにそれはやり過ぎだと思い断腸の思いで諦めた。
そういうカラクリがあって僕は魔理沙が倒れてから最速で永遠亭に行くことができたのだが、それとほぼ同時にやって来たのが咲夜だった。
鈴仙がした「魔理沙のお見舞い?」という質問に対し、咲夜は「そんなところよ」とかなんとか曖昧な返事をしていたようだが、あれはどう考えてもおかしい。
その時の僕は魔理沙のことで気が気じゃなかったので、それに気付かなかった。
今なら分かる。咲夜は、いなくなったフランドールを探していたのだ。
「……ふぅ。やっと着いた」
早足で帰ったので、自分の額にうっすら汗をかいているのが分かる。
いったん店の中に入って懐中電灯を手に取り、また玄関から出て、ぐるりと半周して裏の倉庫の前に立つ。
かかっていたはずの鍵は外されていた。
たしかにこの三日は倉庫に入らなかったが、何度か扉の前を通ったことはあった。
「なまっているなぁ」
勘も、観察眼も、その他いろいろも。
中にいるのは少女ということなので、一応ノックをしてから扉を開ける。
僕の正面、倉庫の最奥に、七色の歪な羽を持つ少女が一人。
(ふむ。これは……綺麗だな)
僕はただただ、見蕩れていた。
懐中電灯の光を七色に反射させ、薄暗くて小汚いはずの店の倉庫が、想像もできないような幻想の世界へと変化していた。
「……魔理沙?」
倉庫の奥から、声が聞こえた。
「違うよ。魔理沙は事情があって来られなくなったから、代わりに僕が来たんだ」
「……そっか。もう、遊びは終わっちゃってたんだ」
すくっと立ち上がり、スカートをぱんぱんと叩きながら、フランドールはそう言った。
「えっと……あなたはだぁれ?」
「お姉さんから教わらなかったか? 人に名前を尋ねる時は、まず自分からするものだ」
「……あなた、アイツの知り合いなの?」
「まあ、そうだな。僕と彼女の関係は知りあいという言い方が一番しっくりくると思う」
「……お友達じゃあないの?」
「僕とレミリアがお友達、か。……どうだろうな。別段長い付き合いでもないし、特に親しいわけでもない。果たしてこういった相手を友と呼べるのか……君はどう思う? フランドール・スカーレット」
「……なによ。私のこと、知ってるんじゃない」
淡い金髪に真紅の瞳。
魔理沙から「ちっちゃくて可愛いやつ」と聞いていた通り、僕の腰を少し超えるほどの身長のようだ。
何よりも特徴的なのが、七色の羽だった。
その形状を羽と呼ぶのかは甚だ疑問だが、場所的に羽で間違いないだろう。
一本の筋からぶら下がるようにして揺れている透明な石が七つ、それぞれ固有の色を持っていた。
(これじゃあ飛べないだろうに)
羽をバタバタさせて飛ぶ訳ではないということは分かっているが、レミリアと違ってその片鱗すら見せない歪な形をしていた。
「あなたが、モリチカリンノスケ?」
「魔理沙から聞いたのかい? そうだ。僕は森近霖之助。香霖堂という古道具屋の店長をしている。そしてなぜか魔理沙が君の隠れ家に選んだこの倉庫の所有者でもある」
「えっと、か、勝手におじゃましてます……」
「まあ、それはいい。事情は概ね、魔理沙から聞いたよ」
大変だったな、などとは決して言わない。
僕は『紅魔館の地下にはレミリアの妹が住んでいる』という元々あった情報と、先ほど魔理沙から一方的に聞かされた情報しか持っていない。
また先ほど、魔理沙自身、フランンドールの軟禁に対して「レミリアの真意が掴めない」というニュアンスの言葉を口にしていて、迷っているくらいなら行動するなと言いたかったが、あれだけ必死に懇願されたら兄貴分としては助けざるを得ない。
普段の魔理沙ならまずフランドールを僕に紹介し、間髪入れずに「じゃあ預けるから頼んだぜ」とか言って飛んで行ってしまったのだろうが。
もっとも、多分だが、もともと僕の家に寄る予定はなかったのだろう。
フランドールの家出に手を貸し、なんらかのアクシデントがあってフランドールを倉庫に一時避難させたが、魔理沙はすぐに帰ってくるつもりだった、と。
しかし、結果はこの通りである。
(……それにしても、とんだ厄介事だな)
今回の件には関して、僕は完全に巻き込まれた形だ。
先にフランドールに言ったように、僕とレミリアはとても微妙な関係にある。
レミリアは吸血鬼なので、基本的に活動時間は夜となる。
それに比べて僕は朝起きて夜寝るという極めて一般的な生活習慣であり、特別なことがない限りそもそも会う機会がないのだ。
(それも今日までかね)
今回の一件は明らかにスカーレット家への干渉だ。
それも、フランドールは長い間、軟禁に近い状態だと聞く。
プライドが異常に高い吸血鬼という種族であるレミリアが親族相手にそこまでするということは、やはりそれに見合うだけの事情があるのだと思う。
もう、はっきり言って、嫌な予感しかしない。
「ねぇ、眩しいよ」
「え? ああ、すまない」
懐中電灯を点けたまま思考に没頭してしまっていたらしい。
この懐中電灯の動力源である『電池』は外の世界の物であり、ストーブの灯油と同じように八雲紫からしか手に入らない。無駄遣いは禁物であった。
僕は入ってすぐの所においてあるランプの灯りを点け、懐中電灯のスイッチを切った。
途端に倉庫内は明るくなり、フランドールは目をぱちぱちさせている。
「これでいいか?」
「うん。……あ、モリチカ、パチュリーと同じだ」
「パチュリーと? 何がだい?」
「眼鏡。それに、背もすごく高いんだね」
そういえば、さっきまでは暗い中でこちらから懐中電灯を当てていたから、如何に夜目の利く吸血鬼といえどフランドールの方からは僕が全く見えていなかっただろう。
「改めて、初めまして」
「うん。はじめまして」
フランドールはすっと背筋を伸ばすと、スカートの端を掴んでちょこんとおじぎをして見せた。
よくできた娘さんだ。
「さっそくだが、本題に入ろう」
「本題?」
「先に言っておくが、僕は君の事情を概ねは把握しているが、正確かどうかは分からない。だから、君の口から聞きたいんだ」
「……なにを?」
「君の話さ。君はどうしたい? 魔理沙は言わなかっただろうけど、ここまでしたってことは、きっと君を受け入れることも考えてる」
「……えっと、つまり?」
「フランドールがもし紅魔館に帰りたくないと言うのなら、魔理沙の家に住んでもいいってことさ」
「……それは、お泊まりとは違うんだよね」
「ああ。紅魔館には二度と帰れないかもしれない」
「それは、ちょっと、ヤ、かも」
「そうか」
きっぱりと、とはいかないものの、フランドールからは比較的すぐに答えが返ってきた。
この辺りは魔理沙のミスだなと思いつつ、話を進める。
「なら、フランドール。今から君を紅魔館まで送って行こうと思うが、どうする?」
「……モリチカは、なんでも私に聞くんだね」
「そりゃそうさ。僕にとってはそれが一番動きやすいんだから」
魔理沙は言っていた。フランドールは私にとって妹のようなやつだと。
それはもう、本当に楽しそうに言っていたのだ。
きっと魔理沙はフランドールのことを本当に妹のように思っていて、好きで、大事で、大好きで。
だからこそ、気付けなかった。
フランドールを力と狂気を持て余す子供だと決めつけてしまった。
「私に決めさせるなんて、魔理沙みたい。ウチじゃあ、私が何かを決めることなんてほとんどないもの」
全部決められちゃってるんだ、と片足をぶらぶらさせながらフランドールは言った。
その様子を見ていたら、唐突に昔のことを思い出した。
『紅魔館の地下には悪魔の妹がいる』という情報が誰からもたらされたのかを思い出したのだ。
(……そうか。あの話をしてから、もう百年も経っていたのか)
僕は以前、八雲からこんな聞いたことがある。
吸血鬼が住む紅魔館。その地下には、悪魔の妹がいる、と。
館の主人であり実の姉でもある吸血鬼に幽閉されているのだという。
その年月、実に四百年。
なぜ実の妹にそんなことをするのか意味が分からなかったが、八雲には分かっているようだった。
結局幽閉の理由は聞けず、それから百年近い時が過ぎ、現在に至り。
そして今、僕の目の前には件の少女が立っているというわけだ。
「決められている?」
「うん。その日にすることだとか、食事の内容だとか。希望を言えば叶うこともあるけど、結局それは許可されているだけで、私が自由に判断していいことなんて本当に、本当に瑣末なことだけ」
「なぜ君は逆らわないんだ? 君の能力なら脱出は可能だろう?」
「そんなことしても意味がないもの。私はただ知りたいだけ。なぜあいつが、お姉様が私を地下に閉じ込めようとするのか」
「本人に直接聞いたことはないのか?」
「あるよ。いつ聞いても同じ答えしか返ってこないけど」
「それを……僕が聞いてもいいか?」
「『ああ、フラン。私の可愛い妹。外は危険がいっぱいだから、貴女一人で外に出ては駄目。大事な大事な約束よ』」
「……それで?」
「これだけ。有無を言わさぬ感じの笑顔で言われるの」
「そうか……」
としか、言いようがない。
多分フランドールにとって、それは約束でもなんでもなく、ただのレミリアからの通達なのだろう。
「お姉様の言うことが真実で、結局私が子供っていうだけのことなのかな」
「自分で自分が子供だと分かるようなら、充分大人だと思うけどね」
「ふふ。矛盾だね。そういうの好きだよ」
そう言って渇いた笑みを張りつかせるフランドールを見て、僕は思った。
(魔理沙はきっと、早まったんだな。……彼女は人間だから、仕様が無いことなんだけれど)
所詮は人の子。それも、二十年も生きていない、僕やレミリアから見れば子供も子供。
そしてそれは、フランドールから見てさえ例外ではない。
魔理沙が気を失う前に言った「もうそろそろ、外に出たっていいだろう」という言葉は、あくまで人間としての尺度で計った時間であり、それは僕らのような人外には適応しない。
年をとるにつれて、同じ一年でも段々と短く感じるようになった、などという経験はないだろうか。
これは諸説あるが、人生全体の中で一年という時間の占める割合が段々と少なくなることに起因する、という説が有力である。
同じ一年でも三歳児にとっては人生の三分の一、二十歳なら人生の二十分の一、ということになる。
そして五百歳の吸血鬼にとっての一年は、その人生の僅か五百分の一だ。
もちろん、『僅か』という言い方が正しいのかは各々の判断に依るのだが。
しかし五百年も生きれば(僕が現在五百歳ということではない)日常は恒久化してきて当然であり、日々の中で新しい発見だとか、新鮮な気持ちになるだとか、そういうことはほとんどなくなる。
知恵を持ってしまったが故に、退屈によって自殺してしまうようなケースすらあるのだ。
フランドールはしばらく紅魔館に対する愚痴をこぼしていたが、唐突に止めたかと思うと黙って下を向いてしまった。
「……紅魔館が恋しくなったのかい?」
「そう……なのかな。こんなにおうちを離れたのは久しぶりだから」
「ああ、そうだ。言ってなかったけど、咲夜は君を探しているようだったぞ」
「え、そうなの? ……なんだ。あの人形、もうばれちゃったんだ」
「人形?」
「あ、ううん。なんでもないなんでもない」
「…………」
大方、魔理沙がアリスを言いくるめて、脱走の時のカモフラージュ用にフランドールの等身大人形でも作らせたとか、そんな話だろう。
「私、どうしよう。どうすればいいのかな」
「……とりあえず、今すぐ決めるべきことは一つだな。紅魔館に帰るか、帰らないか」
「帰るか、帰らないか……」
「魔理沙は怪我をしちゃってね、だからすぐに君を迎えに来ることはできない。でも、君が紅魔館でなく魔理沙の元にいると決断したのなら、魔理沙が回復するまでは僕が責任を持って君を隠すよ」
既に永琳には口止めを依頼してある。
この倉庫は基本的に密室となっているので、このまま隠れていれば少なくともあと一週間ほどは見つからないだろう。
ただでさえ僕とフランドールには毛ほどの接点もないので、僕が匿っていると疑われる心配もほぼないと言っていいと思う。
「魔理沙、怪我したの?」
「ああ。意識が戻らなかったんだが、ついさっき目を覚ましてね。その時に君のことを聞いたんだ」
「だ、だいじょうぶなの?」
「頭をやったみたいだから何とも言えないけど、永琳……ああ、幻想郷で一番優秀な医者が診ているから、たぶん大丈夫さ」
「お見舞いとかは……ははは、きっと無理、だよね?」
「今回の件で魔理沙は君に罪悪感を持っているみたいだったから、君が彼女を許してくれるというのなら、行ってやってほしい」
「許すなんて、そんなの当たり前だよ」
「そうかい。なら、行ってやってくれると僕も嬉しいよ」
「でも、今家に帰ったら、しばらくお外には出してもらえないよ」
「そこはレミリアに頼んでみるんだな」
また俯いてしまったフランドールは、小さく、本当に小さな声で、「うまくいかないな」と呟いた。
「紅魔館に帰れなくなることは嫌なんだろう?」
「……咲夜はあいつの犬だから、きっと、あいつの命令で私を探してる」
僕の質問を華麗にスルーしたフランドール。
きっとこの子は情緒不安定なんだと自分に言い聞かせて、話を聞く。
「そうだろうな」
「……じゃあ、お姉様はどうして私を探せって咲夜に命令したのかな?」
「そりゃあ、きっと君のことが心配だったからじゃないのか?」
「心配……してるのかな、わたしのこと」
「していなかったら、咲夜を使ってまで探そうとはしないと思うよ」
今にして思えば、咲夜のあの対応の速さは異常である。
魔理沙が怪我をしたのはフランドールを脱走させた少し後のことらしく。
咲夜が永遠亭に訪れたのは、魔理沙が怪我をしてすぐの頃だ。
フランドールの脱走がすぐに咲夜にばれていたのだとしても、そんなに早く永遠亭に到着できるのか。
時系列を考えれば、脱走してすぐに事態を把握し、息つく暇もなく能力を使って探しに出たとしか思えない。
そして、咲夜に命令できるのは彼女の主だけである。
「……分かっているの。でも不安になるの。すごく嫌な感じなの。だってそうでしょう? 一番簡単に答えを出すなら、お姉様は私のこと、きら、きらって、るんじゃないかって、そんな、馬鹿なこと、か、考えちゃって、わ、わたし……」
話の途中でフランドールの瞳に涙がにじんだかと思ったら、せき止める間もなく、ぽたぽたとそれらは落ちていった。
「……わたし、何がいけなかったのかな?」
きっとそれは僕への質問ではではなく、自問だったのだと思う。
「どんな悪いことをしたんだろう? どんな嫌われるようなことをしたんだろう? わからないの。覚えてないの。だって、気付いたらわたしは地下にいて、お姉様に生かされるようになってたんだもん」
その問いの答えを知る者は、レミリアと、恐らくは八雲だけであろう。
もしかしたら咲夜も知っているかもしれないが、答えを知り且つフランドールを救える者となれば、当事者であるレミリアだけだ。
「レミリアに聞いてみたことは?」
「……ない」
「君を地下に閉じ込める理由は聞いたことあるんだろう?」
「……うん。だけど、私のことをき……どう、思ってるかってことは、聞いたことない。……聞けない、聞けないよ、こわくて」
一番幸せで分かりやすいシナリオを考えるのなら、レミリアもフランドールのことを愛していて、その想いの行き違いの結果こうなった、というのが最上であろう。
話し合いの場でも作ってどちらかが一歩でも前へ進めば、その分だけ無条件で解決に近づく。
しかし、フランドールの気持ちは理解したが、レミリアの真意は分からない。
無責任なことを言うわけにもいかず、結局は当たり障りのない返答しか浮かばない。
長い年月を生きればそれに応じた知識は身に付くが、生きた分だけ賢くなるという訳ではないのだ。
とりあえず紅魔館に帰る、という方向は決定のようなので、その流れで話を進める。
「頑張って、直接聞いてみる気にはならないか? 僕も一緒に行くからさ」
「……え?」
それは予想外だとばかりに目をきょとんと丸くさせるフランドール。
あれ、何か間違っただろうか。
「一緒に? 私と?」
「ああ。魔理沙とか、親しい人が一緒だと逆に聞きづらいこともあるだろう?」
フランドールは相変わらず目をぱちくりさせて、今度はさらに口をぱくぱくさせた。
「……何か僕は、変なことを言っただろうか」
「え? あ、ううん、違くて、そうじゃないの」
「ならいいが。……それで、どうする? 本音を言えば、僕としてはいい歳のお嬢さんを無断外泊させているようなものだから、帰ると決めたのなら、早いとこ家に送り返したいんだ」
「……うー、ちょっと待ってよ」
ぐしぐしと袖で涙と垂れかかっている鼻水を拭こうとするフランドール。
そんな彼女にポケットから取り出したハンカチを差し出しながら、僕はレミリアのことを考えていた。
本音を言えば、レミリアとの友好関係を悪化させるのは何としても避けたい。
それもこれも、全ては大図書館のため。
レミリアとの関係悪化は紅魔館の、延いては大図書館への立ち入り禁止を意味するからである。
せっかくできたパチュリーという読書仲間も重度の出不精で、僕から会いに行かない限りは年に一回会えるかどうかであろう。
彼女ほどのビブリオマニアを友人に持つということの重要性を、僕は正しく理解しているのだ。
そこに舞い込んできた、今回の家出騒動。
上手く立ち回ればフランドールはもちろん、レミリアとの仲も深まることは間違いないのだが、別にそういうのは求めていない。
僕にとってレミリアはあくまで紅魔館への立ち入りを許可する存在であり、それが許されている今はその現状を保っていたかった。
他者との距離は、近すぎても遠すぎても問題を呼ぶものだ。
鼻をかみ、涙を拭いたフランドールはしばらくぼうっとしていたが、やがて唐突に言い放った。
「帰る」
「わかった」
とりあえず、レミリアとの衝突は免れないだろう。
面倒くさいことになったと思う反面、それも良しと考える自分がいた。
しかし。
『たすけて……こーりん』
魔理沙に頼まれてしまった。助けて、と言われてしまった。
そして僕は、それを嬉しいと感じるのだ。
「支度はどうする? お腹が空いていたりとか、何かあるかい?」
「ううん。多分、咲夜はまだ探してるだろうし、すぐに帰るよ」
「そうか。じゃあ、行こうか」
「うん」
フランドールは倉庫を出て、紅魔館に向けて歩きだした。
飛んだ方が遥かに早く着くだろうに、僕に気を使ったのか、はたまた怒られると分かっている家に帰るのを少しでも送らせたいのか。
恐らくは多分、後者だろうけれど。
「ねえ、モリチカ」
「なんだい?」
「『犬のおまわりさん』って知ってる?」
「もちろんさ。外の世界から流れて来た童謡のことだろう?」
流れてきた、と言うとまるで外の世界で幻想となったかのようだが、正確には、八雲が取り入れたという言い方の方が正しい。
いや……まあ、うん。白状すると、幻想郷にこの童謡を広めたのは僕であると言っても過言ではない。
二十年ほど前のことだろうか、僕が所用で八雲の家にお邪魔していた時に、橙が口ずさんでいたのがこれだった。
なかなかに興味を惹かれて橙に教えてくれと頼んだところ、快く了解をもらったのだ。
もっとも人里には詰め所のようなものはあるが、外の世界で言う「交番」は存在しないから、当然「お巡りさん」の方も存在しないのだが。
しばらくして僕は霧雨店に住まいを移し、その際、特に他意は無く里の子供たちに広めてしまった。
もちろん、それを知った八雲からこっぴどく怒られたのは言うまでもない。
「うんとね、あれって、二番まで歌詞があったよね」
「ああ。僕が知る限りでは、二番までで終わりのはずだ」
「歌ってよ。わたし一番は歌えるんだけど、二番の歌詞を忘れちゃって」
「お安い御用だ」
童謡とは不思議なもので、長い間歌っていなくとも意外と歌詞や音程を覚えているものだ。
一番は一緒に歌い、二番からは僕が一人で歌った。
歌い終わってからしばらくの間、フランドールは黙って何かを考えているようだったが、その後突然口を開いてこう言った。
「こねこちゃんは、結局どうなったの?」
「歌詞だと、カラスやらスズメやらにも聞くんだけど、小猫ちゃんの家を突き止めることはできなかったみたいだな」
「……そうなんだ」
初めて知った時にも思ったが、童謡という子供向けの歌にしては、随分な終わり方だ。
前方に湖が見えてきた。
フランドールは羽を揺らして宙に浮くと、小さく呟いた。
「結局、小猫ちゃんはずっと家に帰れないんだね」
その言葉が、果たして童謡の内容に関してのみの発言だったかは、僕には分からなかった。
/003
「も、もうすぐだね」
湖の上を緩いスピードで通過する。
緊張しているのだろう、紅魔館に近づくにつれてフランドールの口数は少なくなっていき、なんだか随分と久しぶりに彼女の声を聞いた気がする。
「そうだな」
かく言う僕も、彼女には及ばないまでも多少の緊張を覚えていた。
恐らくは相当に機嫌の悪い吸血鬼を相手に、僕という迂闊な奴は、防具的な意味でも、理論武装的な意味でも、何の準備もしていないということに今更ながら気付いたのだ。
とは言え、それは本当に今さらの話であり、どうしようもない。
「…………」
「…………」
どうでもいいのだが、フランドールはレミリアへの呼称がよくごっちゃになる。
いや、どうでもよくないのかもしれない。もしかしたら、それが何かの鍵となるのかもしれない……と思うのだが、如何せん情報が少なすぎて僕の推理は何の発展も見せない。
そうこうしているうちに、紅魔館の正門に到着してしまった。
門番の美鈴はなぜか姿が見当たらず、僕はこれに少なからずショックを受けた。
温厚な彼女にクッションとして同席してもらう、という即興ながらなかなかに良い案を思いついていたからだ。
そんな僕を尻目に、さすがに覚悟も決まったのか、館の内側に下りたフランドールは特に渋るようなこともなく、潔く玄関に向かって歩を進めていた。
僕も彼女の後に続き、小さく「お邪魔します」と言って扉を超えた。
ロビーには誰もいなかったが、二階から口論の声が聞こえていたので、二人でそちらに向かう。
「いいから、貴女はもう休んでいなさい」
「ですがお嬢様……」
廊下の突き当りの先から聞こえた声からすると、どうやらレミリアと咲夜が口論を起こしていたようだった。
さてどうしたものか、と少しその場に立ち止まって思案しようとする僕だったが、クイクイと袖口をフランドールに引っ張られた。
「着いてきてくれるんだよね……?」
「ああ。それと、もし僕が殺されそうになったら、すまないが助太刀を頼むよ」
「うん、わかった。約束するよ」
何とも情けないことではあったが、レミリアを相手にするにはやはり不用心過ぎたのだ。
実際のところ、冷静に見れば今回の件に関して僕は魔理沙とフランドールの起こした騒ぎに巻き込まれたというだけなので、むしろフランドールの居場所を知って説得し、ここまで連れてきたという僕の行動はレミリアからすれば恩を感じて然るべきものだ。
レミリアが冷静な判断をしてくれればいいが、フランドールと一緒にいる僕を問答無用で屠りにくる、なんて可能性も無きにしも非ずであり、そのための保険のようなものだった。
繰り返すが、緩衝剤として傍にいてもらうはずだった美鈴は、門にはおろか今のところ館の中にいるのかさえも分からない。
「じゃあ、行こう」
僕の袖口を握ったまま、フランドールは突きあたりを曲がった。
「……!!」
「あ……」
まずレミリアが、次いで振り返った咲夜が僕らに気付いた。
「あ、あのね、お姉さ」
―――パシンッ!
レミリアが有無を言わさず、フランドールをぶった。
半ば予想していた展開ではあったが、あどけない顔の少女が頬を張られるシーンというのは、なんというか言葉に詰まる。
「……何故、黙って外へ出た」
「そ、それは……」
「勝手に外に出たりはしないと、あの約束は?」
「お姉様、聞いて……」
「私との約束を破ったのか」
倉庫でのフランドールとの会話を思い出す。
『『ああ、フラン。私の可愛い妹。外は危険がいっぱいだから、貴女一人で外に出ては駄目。大事な大事な約束よ』』
『……それで?』
『これだけ。有無を言わさぬ感じの笑顔で言われるの』
約束とはそのことなのだろう。
「あ……わ、わたしは……」
結局、押しに押されたフランドールは何も言えずに、その瞳は大粒の涙でいっぱいになっていた。
「もう、いい」
レミリアはそう言って一度溜息を吐いた後、こう続けた。
「自分の部屋に戻りなさい」
「…………!!」
それだけ。
たったそれだけの言葉しか与えず、レミリアはフランドールから視線を外した。
フランドールは一目散にどこかへと駈け出していってしまった。
慌てて咲夜がそれを追いかける。
そのやり取りを、まるで他人事のように見ているレミリア。
そんなレミリアの態度に、少しだけ、ほんの少しだけ、理不尽な苛立ちを感じた。
「……ちょっといいかい。近いうち、永遠亭に魔理沙の見舞いに行くから、その時フランドールを連れて行きたいんだ」
どうせ咲夜から聞いているのだろうから、魔理沙の説明は省いて要点だけ伝えた。
「……だから? というか、なぜお前がここにいるんだ」
まあ、最もな質問だ。
僕は事の経緯を、魔理沙が脱走の手助けをしたということまで余すところなくレミリアに話した。
魔理沙のことに関しては調べればどうせ分かってしまうので、下手に隠すよりはかえって言ってしまった方がいいと判断したのだ。
その流れでフランドールをお見舞いに連れ出したいと申し出たが、やはりと言うべきか、即断で却下された。
「駄目だ。フランは部屋に戻す」
「そりゃまあ、明日明後日が無理だとしても、一週間後くらいなら罰も終わっているだろう? 君の妹を、友達の見舞いに行かせてやってくれよ」
「……あの子を外へは出さない。これは我が家の問題だ。部外者が口出しをするな」
「我が家だと? 君だけの問題じゃないのかい?」
「……もしかしなくとも、今、私は喧嘩を売られているのか?」
「おいおい、長く生きている割には随分と沸点が低いな。まあ、持ち前の身体能力の高さがあれば、知恵などなくとも生き続けることくらいはできるか」
「ほざけ。所詮は持たざる者の僻みに過ぎん。聞く価値もない」
「吠えるじゃないか。持たざる者の血が無ければ生きていけない半端者がよく言えるな」
「ハハ!! 半端者か!! 傑作だな……まさか半妖の貴様にそのようなことを言われるとは」
ああ、まずい。止まらない。
肩入れするほどの仲でもないというのに、なぜ僕はこんなにも必死にフランドールを庇っているのだろう。
そらみたことか、レミリアの視線が、純粋な殺意を乗せて僕を射抜いている。
しかし不思議と恐怖を感じない。体も声も、萎縮もしなければ震えることもなかった。
「今度は暴力か? さすが、実の妹を五世紀近く監禁するような変態は考えることが単純だ」
何がトリガーとなったのかと言えば、多分、この一言だったのだろう。
「お前には関係のないことだ」
「関係なくても、知ってしまった。あの子は泣いていたぞ」
「そうか。迷惑をかけた。見逃してやるから、さっさと出て行け」
「出て行くさ。君がフランドールのことを、どう思っているのかを聞いたらな」
「私が、フランを? 愛しているに決まっているだろう」
「それを一度でも、一度だけでも……彼女に伝えたのか?」
そこで初めて、レミリアの攻勢が止んだ。
「君が彼女を愛していることと、彼女それを理解することは決して同義ではないだろう?」
「私はフランを……愛している」
「君の自己満足を『愛』という言葉に置き換えるなよ」
「何を馬鹿なことを……」
「なら言ってやろうか。君は魔理沙がフランドールに会うのを止めなかったな。紅魔館の立場からすれば魔理沙はただの強盗だ。それも、パチュリーや咲夜を以て
しても守りを抜かれることの多い、厄介な存在。その対策がいつまでも為されなかったのはなぜだ? 答えは簡単、君がそれを許したからだ」
「何を……」
「魔理沙はよくフランドールに会いに来たらしいな。それも、君には在ってフランドールには無かった存在……つまり、友達として」
「……言って……」
「君は自分の愛情がフランドールに伝わっているとは思っていなかった。さらに、改善するにはあまりにも長い時間が経ち過ぎてしまっていた。そんな時に、魔理沙
が現れた」
レミリアの真意……かどうかは別として、例え表層だけであろうと、とりあえず彼女の気持ちは理解した。
楽観はできないが、どうやら僕の考えていた一番幸せで分かりやすいシナリオがどんぴしゃりだったようだ。
「なるほど確かに、君はフランドールを愛しているのだろうさ」
ならば、後はそれを元に話を繋げればいいだけである。
ここからは僕が一方的に口を開くだけであった。
「魔理沙を疎ましく思う一方で、妹の友となってくれた彼女に感謝していたのだろう?」
全てが全てその通りである確証なんてあるはずもなく、結局はただの推論だった。
しかし、状況がその推論を後押しする。
「紅霧異変は、フランドールを自由にするために起こしたんじゃないか?」
先のフランドールとのやり取り、そして少しの会話から、レミリアを黙らせるための要素は揃っていると判断した。
そしてそれは、僕の意図通りの効果を発揮した。
「フランドールを外に出さないのは、彼女が問題を起こして幻想郷に居場所がなくなるのを危惧しているからなんだろう?」
咲夜が息を切らして部屋に戻ってきた。
しかし止まらない。止めるつもりもなかった。
なかったのだが、僕が口を閉じざるを得ない命令を、レミリアは咲夜へと発した。
「咲夜」
「はい、お嬢様」
「この男を殺せ」
「……了解、致しました」
咲夜は一目、その紅過ぎる瞳で僕を見て。
前へと一歩、踏み出して。
「……え?」
あれだけの攻勢がたった一瞬で引っくり返されたことに、僕は思わず瞬きを繰り返した。
考えてみれば当然。吸血鬼を相手に喧嘩を売るなど自殺行為としか言いようがない。
だというのに、さっきまでの僕は本当にその可能性が頭から抜けていた。
そして。
「がっ!!」
二、三度繰り返した瞬きの後の世界では、役者が一人増えていた。
信じられないかもしれないが、僕の目が狂ってしまっていない限り、咲夜は先ほど部屋から飛び出して行ったはずのフランドールに首を掴まれ、壁に叩きつけられているという状況であった。
「フラン!!!」
レミリアには見えていたのだろう、そのフランドールの行為に対し咄嗟にレミリアが糾弾するが、それも一度だけで終わった。
フランドールが涙で赤くなった瞳を、どこまでも暗く、どこまでも冷たくさせて、レミリアを睨みつけているのだ。
そして、一言。
「お姉様がモリチカを殺すなら、私は咲夜を殺すよ」
それを聞いた僕は、とてつもない後悔に襲われた。
フランドールにその言葉を言わせてしまったという事実が、そしてそれによって生き永らえているという自分が、何よりも情けなかった。
踏み込んではいけない領域だった。僕は引き際を間違えたのだ。それも、これ以上ない程に。
「咲夜は私の、このレミリア・スカーレットの従者だ。それを分かって、言っているのか?」
その問いの真の意味は、きっと同じ吸血鬼であるフランドールにしか分からない。
しかし、決して好意的なニュアンスを含んでいないことだけは確実だった。
「ピンチの時には駆けつけるのが、本当の友達なんだって」
「……魔理沙か」
「うん。……これはね、お姉様も咲夜もパチュリーも美鈴も、誰も教えてくれなかったことなんだよ」
「……そうか」
僕らはいつ本当の友達とやらになったんだ、と質問してみたい衝動に駆られもしたが、さすがに自重する。
先ほどから、妙に自分の思考に違和感を感じていた。
さっきもそうだった。
いくら魔理沙からの頼みとはいえ、別段仲が良い訳でもないフランドールを命がけで擁護する必要などまったくなかったのに、僕はなぜか彼女を庇い立てしていた。
なんだかなぁ、と緊張の糸を切らした途端に、至って簡単な今回の騒動の解決方法を思い付いた。
というか、最初からそのつもりでフランドールに着いてきていたのに、まるで思考が狂わされたかのようにすっかり忘れていたのだ。
膠着状態となった二人に、僕は声をかけた。
「フランドール、何かレミリアに聞きたいことがあったんじゃないのか?」
「え?」
「レミリアも、言っただろう? 伝わっていないのは、君が伝える努力を怠っているからだ」
「あ?」
何様のつもりだ? と殺意を伴った目でそう訴えるレミリア。今度は恐怖で鳥肌が立ったが、僕は続けて言った。
「フランドールが聞きたいことと、レミリアが言いたいことは同じだってことさ」
「フランが私に、聞きたいこと?」
「え、あ、も、モリチカ!? 一緒にって!!」
「大丈夫だよ、フランドール」
一緒に聞いてやると言ったのは嘘ではないけれど、レミリアの真意を知った以上、僕にとっては答えの分かりきった問答である。
「お姉さんを、信じろ」
うるうると瞳を濡らし、非難がましい目で僕を見るフランドール。
しかし、無責任だと言われようが、後のことを考えればこの場には僕がいない方が良いに決まっている。
「部外者の僕は外で待たせてもらうとするが、言い出しにくいことは年長者から言ってやれよな」
レミリアに対し一方的にそう言って部屋を出て行こうとしたところで、驚愕の事実に気付いた。
「……フランドール。そのままだと咲夜が死んでしまう。離してやってくれ」
「あ……」
三日間も自分を探してくれていた相手に対し、あまりにもひどい対応だった。
フランドールから気を失っている咲夜を受け取ると、今度こそ僕は部屋を出て行った。
/004
廊下に出ると、そこには待ち受けていたようにパチュリーが立っていた。
「随分と無茶をしたものね」
「ああ、本当に。本当に僕は今、よく生きているものだ」
「全くよ。冷や冷やさせないでちょうだい」
別室に案内され、気を失っている咲夜をベッドに寝かせた。
見た所、少しの生傷はあったが軽傷で済んでいるようだ。
「咲夜が起きない原因の大部分は、疲労と寝不足よ」
言いながら、パチュリーは僕に紅茶を差し出した。
「ありがとう」
近くの椅子に深く腰掛けて、それを飲む。飲んでから、それがミルクティーだと気付いた。口の中に広がる甘さ。不意に涙が出そうになった。
「…………?」
カタカタという音が聞こえると思ったら、僕の手が震えてカップを鳴らしているようだった。
死んでいてもおかしくない。今ここに僕が生きていることは奇跡のような出来事なのだと、ようやく脳が、体が、理解したらしい。
「すぅ……はぁー……」
深呼吸をして、全身に隈なく血液を行き届かせる。
音が止んだ。
パチュリーが両の手で、僕の手を包み込んでいた。
「あ……」
「大丈夫。もう、大丈夫だから」
パチュリーの手が触れている部分から、暖かい何かが体中を巡っていく気がした。
震えは段々と収まっていき、心身ともに大分落ち着いた。
「ありがとう。おかげで落ち着いたよ」
「……どういたしまして」
僕はどうにも、パチュリーの前では気絶したり恐怖に体を震わせたりと、情けないところばかり見せている気がする。
「……あの、パチュリー? 僕はもう大丈夫だから」
「え? あ、ああっ!?」
慌てて手を話すパチュリー。
彼女が慌てる姿を見るのは、これが初めてかもしれない。
「ご、ごめんなさい」
顔を伏せてなぜか謝ってくるパチュリー。
「なんで君が謝るんだ」
苦笑しながら僕がそう答えると、それもそうね、とパチュリーが言い、二人して笑った。
いつしか震えは完全に止まっており、今度は音を立てずにミルクティーを飲むことができた。
「……じゃあ、少し話をしましょうか」
僕が調子を取り戻したのを感じ取ったのだろう、パチュリーはそう言って今回の騒動について、家出が発覚してからの紅魔館の面々の動向を話し始めた。
まず気付いたのは咲夜らしい。その鋭い嗅覚(もちろん比喩表現である)を以て不穏な空気を察したらしく、それとなくフランドールの部屋を訪ねれば、中には誰の気配もない。
返事もないので中の様子を確かめると、精巧ではあるものの明らかに生物の気配を持っていないフランドールの等身大人形を発見。
すぐにレミリアに報告し、そのまま捜索が始まった。
その際、たまたま寝ずの番の当番から外れていた美鈴(実際は偶然でなく、魔理沙が調べたのだろう)とパチュリーが加わって、捜索隊が組まれた。
パチュリーが魔法で敷地内にフランドールがいないことを確かめてから、咲夜と美鈴、そしてレミリアが敷地外を捜索することになった。
パチュリーはそのまま館に残って各人の連絡係を務めたらしい。
「まず犯人候補に挙がったのは魔理沙だったわ。人形のこともあったしね」
ああ、そうか。と納得する。
咲夜にとって、やはりフランドールを探す上で魔理沙は有力候補だった。
また僕の予測通り等身大人形はアリスの作品で(ご丁寧にサインがしてあったそうだ)、彼女は魔理沙と交友がある。
しかし実際、その魔理沙は竹林で負傷し、永遠亭で保護されているような状態であった。
その時間はおおよそフランドールの家出の時間とかち合っていて、とてもフランドールの家出の共犯とは思えなかった、というわけか。
「こういう言い方はアレかもしれないが、監視体制のようなものはなかったのか?」
「ええ。今までは、暴れ回った結果その勢いで脱走、ということは何度かあったけど、今回のようにお忍びで家を出たことは初めてだったの」
僕の質問に答えながらも、話の腰を折らないでよ、と眉を歪めて僕を見るパチュリー。
確かに、こういう時は質問があるなら最後まで話を聞いてからする、というのが礼儀である。
素直に謝罪し、先を促した。
「コホン。……まあ、そうは言っても、後は大体あなたも知っての通りよ。レミィは太陽が昇っている時は外に出ないから、咲夜と中国が三日間休みなしで探し回って、ついさっきレミィがフラフラになった咲夜を館まで連れ戻したってところ」
「それは今知ったな。しかし、なるほど。あの口論はそういうことだったのか」
「私も"目"を散らして探してはいたけど、全く足取りが掴めなかったわ」
「目?」
「ええ。これよ」
人差し指を上に向けると、そこには文字通り"目"があった。
「うわ、これは……随分とグロテスクな」
「そう? 眼球をイメージして作ったからこうなるのは仕方ないのよ」
「これもある意味、機能美と言えるのかね……?」
「さてね。まあ、機能重視で外見に気を配っていない、という点では、間違っていないわ」
そして、話の続き。ここからはフランドールがレミリアの叱責を受けた後の話だ。
僕も見た通り、フランドールは有無を言わさぬ勢いでレミリアに責められて、地下の自室に駆け込んでわんわんと泣いたらしい。
これはまずいと、"目"を通して一連の出来事を見ていたパチュリーはフランドールの部屋へ向かい、ドアの前でフランドールの後を追ってきた咲夜と鉢合わせた。
そこで二人は僕とレミリアを二人っきりの状況にしてしまったことに気付き、慌てて咲夜が戻った。
パチュリーは、首謀者である魔理沙と縁があるとはいえ、曲がりなりにも妹を送り届けた僕に対してレミリアがすぐさま危害を加えることはないだろうと思っていたのだが、フランドールを慰めるために部屋に入りながら"目"を通して部屋の様子を確認すれば、僕がレミリアを糾弾しているような状況だった。
ついフランドールの目の前で、「このままだと霖之助が死んでしまう」と零してしまい、今度はそれを聞いたフランドールが目にも止まらぬ速さで飛んで行った、という訳だ。
「……つまり、僕の命は、その、アレか。いっぱいいっぱいだったのか」
「ええ。咲夜が少しでも躊躇しなかったら。フランが少しでも戸惑って部屋に入るのが遅れていたら。私の速さでは全力で飛んでも間に合わなかっだろうから、多分、死んでいたわね」
「……でも、それならなぜレミリアは直接僕を殺さなかったんだ?」
「それは……私にもわからないわ。どのみちレミィが殺す気になっていたら、館にいる誰が止めようとしたところで無駄よ。そういう運命にされてしまうから」
「君にも分からないか」
「レミィと私は親友だけど、何もかも知り尽くしているわけじゃないわ」
ここらで閑話休題、といきたいところだったが、この場合の本題であるレミリアたちの話し合いは未だに終わらないようで、とりあえずは閑話続行である。
また、こうして一段落して落ち着くと、レミリアたちをことが気になりだす。
上手くやっているはずだが、変にこんがらがっていやしないかと、不安になるのだ。
恋愛事ではよくある話だ。周囲から見れば両想いなのは分かりきっているのにも関わらず、当の本人たちがなかなか踏み込めない、なんて話は。
「それにしても」
「……どうしたの?」
「いや、僕が言うのも何なんだが、なぜフランドールは僕を助けてくれたんだろう、と思ってね」
思い浮かぶ可能性は二つ。倉庫の件で僕に恩を感じているからか、レミリアへの反抗心からかのどちらかだろう。
何気なくパチュリーにも聞いてみたら、予想外の答えが返ってきた。
「どちらもはずれよ」
「え? ……じゃあ、なんだって言うんだ」
「私はこの三日だけは屋敷の中にも"目"を飛ばしていたから、あなたたちが入って来た時も部屋でモニタリングしていたの」
「そうだったのか」
「ええ。それで、その時あなた、フランに言っていたじゃない。殺されそうになったら助太刀を頼むって」
「あ…………え?」
「そしてフランは了承し、約束した。約束を守って、あなたを助けた。それだけよ」
あるいは軽口ともとれるような、そんな口約束を。
「フランドールは、姉と……敵対してまで、出会ったばかりの僕なんかとの約束を守ったというのか?」
「吸血鬼は盟約を尊ぶ生き物よ。口約束だからとか、親交の深さとかは問題じゃないの」
レミリアに対して思う。全く、とんだ自慢の妹じゃないかと。
「でもね、霖之助。これだけは憶えていおて」
「なんだい?」
「狂気は……フランの持つ狂気は、伝染する。そしてそれが狂気である以上、自覚することは絶対にない」
「狂気が、伝染する?」
「今回のあなたは、随分と出しゃばりだったわ。普段の、と言えるほど私たちは親密な仲ではないかもしれないけれど、きっと普段のあなたなら、あそこでレミィを怒らせるような発言はしなかっでしょう」
「それは……」
その通りだろう。
事実、僕がなんだかんだ言って特に何の対策も持たずにのこのこと紅魔館までやってきたのは、倉庫の管理を怠っていたという以外は僕に非がないことと、話す機会さえあればそれを正確に伝えることのできる自信があったからである。
「普段のあなたなら絶対に避ける行動。しかし、そうするに至った思考。今思い返せば、何か違和感だとかを感じるんじゃない?」
そこで、レミリアの部屋で感じた思考の違和感を思い出す。
確かにおかしい。まるで思考に“狂い”が生じたかのように、おかしかった。
僕とフランドールは本当に出会ったばかりで、互いのために命を懸けれるような、そんな関係ではない。
しかし現実、僕は彼女のために命がけでレミリアを論破にかかり、フランドールは僕を守るため咲夜を殺そうとまでした。
「思い当たる節は、あるわよね?」
「あ、ああ。ある。あるけどしかし、一体これはどういうことなんだ?」
「だから、それこそがフランの狂気なのよ。フランは元来、感情の揺れ幅が大きいの。悲しくても、普通ならば泣くのを我慢できるところを、あの子は我慢できない。これは喜怒哀楽、全ての感情に対して言えること」
「でも、僕といた時はそんな素振りは見せなかった」
「そうね。フランは五〇〇年以上を生きる吸血鬼だもの。最近は違うけれど、長い間、ただ無為に時を過ごしてきただけだと聞いているわ」
それでも、それだけ長く生きていれば自制くらいできるようになるわよ。とパチュリーは言った。
「それは……矛盾じゃないか」
「そうね、これは矛盾だわ。狂気はその間に生まれたのか、生まれてから地下に幽閉されたのかはわからないけれど……」
子供で大人。矛盾。
「フランの中には狂気があって、いくつもの矛盾した精神がある。人格、とも言い換えることができるわ」
多重人格。これもまた、ある意味で矛盾。
「矛盾。矛盾。矛盾。これだけが、あの子と苦楽を共にしてきた。そうさせたのが狂気なのか、その結果が狂気なのか。そこまでは私には分からない」
思い出すのは倉庫でのフランの言葉。
『ふふ。矛盾だね。そういうの好きだよ』
唯一、自分と共に在ったもの。それが……
「矛盾と矛盾が生み出したもの、というわけか」
あるいは、矛盾を生み出したものか。
「そして、フランが持つ狂気は他者へと移る。フランが心を許せば許すほど、その狂気はフランから相手へと委ねられていく」
「僕の感じた違和感は、その分だけフランが心を開こうとしてくれた証ということか?」
「そうなるわ」
「なら、君らはどうなんだ?」
「紅魔館に住む者はレミィの能力でフランとの運命を閉じられているのよ。だから、私たちは明確な意思を持って会いに行かなければフランには会えない。けれど私たちは運命が繋がっていないから、狂気が移らない」
「運命ね……。ひどく、曖昧だな」
「この場合の運命は縁(えにし)よ。縁を断たれれば、仲は発展もしないけれど悪化もしない」
縁を断たれれば仲は悪化しそうなものだが、それも違うらしい。
レミリアの能力の加減がそうさせるのだろうか。
「……それじゃあ、魔理沙はどうなるんだ。魔理沙とフランドールの仲の良さは君も知っているだろう? 魔理沙もレミリアの能力を受けているのか?」
二人の仲は、ここ数年でより深いものになっている。とすれば、魔理沙とフランドールとの縁がずっと断たれた状態でいたとは考えにくい。
そしていくらなんでも、魔理沙がフランドールに会いに来る度にレミリアが能力で運命をいじるということも考えにくい。
レミリアだって外出することはあるし、そうそう都合よくいくとは思えなかった。
「いいえ、魔理沙は初めからレミィの能力下には置かれていないわ。……そこなのよ。魔理沙がフランの狂気に侵されているようにはとても見えない。だから、レミィは判断しかねているの。もしかしたら、魔理沙がフランを救う鍵になるかもしれないと」
「フランドールは魔理沙に全く心を開いていない、という可能性は?」
「……それも、わからない。フランは狂っているから、計算ができないのよ」
一に一を足せば二である。
これは一の次の数字が二である、という絶対条件のもとに成り立つ式であり、例えば一の次の数字が三だったり四だったり、その都度気まぐれで変動していくような場合は計算できない。成り立たない。
もっとも、心なんてものを計算しようとするのは魔女だけなのだろうけど。
「まあ、それはおいおい考えよう。……というか、この話を僕にしてよかったのか?」
「フランはレミィと敵対してまであなたを守った。あなたはもう関係者よ」
「……まさか僕に、フランの従者になれ、とか言い出さないよな」
「フランがそれを望んだとしたら、あなたは断れないでしょう?」
命の恩人だものね、と付け加えて、パチュリーは笑った。
僕としてはとてもじゃないけど笑えない。
そうなれば自然と香霖堂は閉店せざるを得なくなり、今まで積み上げてきたものは全て水泡に帰す。
近い将来にそんな未来を想像し、僕は溜息を吐いた。
「きっと大丈夫よ。結果的にレミィたちを仲直りさせるきっかけを作ったのはあなたなんだし、貸し借りは無しになるんじゃない?」
「……だと、いいけどね」
もう一度溜息を吐こうとしたところで、廊下から二つの話声が聞こえてきた。
パチュリーが扉を開き、こっちよ、と二人を招き入れる。
「あっ、モリチカ!!」
仲良く手を繋いで入って来たのは、レミリアとフランドール。
レミリアは恥ずかしいのか慣れていないのか、心なしか頬を染め、所在なさげな顔をしている。
しかし嫌々手を繋いでいるという感じは全くしない。
「あのね、モリチ……こ、この裏切り者めっ!」
笑顔を見せたのも束の間、フランドールはハッと何かを思い出したように、僕を罵倒した。
きっと、いや間違いなく「レミリアに一緒に聞いてあげる」という言葉を反故にされたことに対して言っているのだろうが、もちろんそれにはそれなりの理由がある。
聡明なレミリアなら分かっているだろうと期待を込めて彼女を見る。
「…………フッ」
しかし、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるレミリアの顔を見れば、彼女が訳を分かっていてフランンドールに伝えなかったことが嫌でも察せられた。
ぎゃーぎゃー僕に文句を言うフランドールと、その隣で不敵に笑うレミリア。
そんな二人は誰がどう見ても仲の良い姉妹であり、僕は先ほどよりも深く息を吸い、大きな溜息を吐くのであった。
/005
「お見舞いには行ってもいいが、必ずその日のうちに帰ってくること」
僕が紅魔館を後にする直前、結局これを条件に、フランドールは外出許可を手に入れた。
「行ってもいいの?」
「必ず帰ってくるのよ? それを守れるなら行ってもいいわ」
とは言っても、魔理沙の状態が未だ不安定のため、実際に行くのは少なくとも永琳の許可を得てからのことになるだろう。
それを伝えると、フランドールも渋々ながら了解してくれた。
その際に、
「うらぎりものー、うらぎりものー」
「……もう何度も謝っただろう? いい加減に許してくれよ」
「ぜっっっったいに許さないんだから! 私はちゃんとモリチカとの約束を守ったのにっ!!」
「だからそれには理由があってだね……」
というやり取りが不毛なまでに繰り返された。
レミリアはもちろんのこと、パチュリーまでも止めようとはしてくれず、僕はなんとか、「後日、フランドールに香霖堂を案内する」という条件で事態の収拾に成功した。
狂気云々に関してはレミリアが何かしたのか、もう自身の思考に乱れは感じなかった。
話が一段落したところで、レミリアがフランドールに言う。
「フラン。こいつの見送りの前に、咲夜に謝ってきなさい」
「え……う、うん」
「大丈夫よ。今は寝ているけど、怒っていないから」
「そうかな……そうだといいけど……」
目に見えてしょぼくれたフランドールをレミリアが激励し、ちょっと行ってくるね、と言ってフランドールは部屋を出て行った。
パチュリーもそれを見届けた後、中国に連絡してくると言って自室に戻った。
「ここ三日の間、咲夜は眠っていないのか?」
パチュリーから話は聞いていたので、僕は確信を持ちながらも、レミリアに質問した。
思い出すのは、レミリアに僕を殺せと命じられた時の、不自然なまでの咲夜の赤い瞳。
あれは、寝不足で目が充血していたのだ。
「ええ。フランには内緒よ? それに、咲夜もきっと知られたくないと思っているわ」
「分かっているさ。……それにしても」
僕は横目にレミリアの瞳を見て、苦笑する。
「……なによ」
「いや、別に。君は……怒ると、口調が変わるんだなって」
僕が苦笑した理由はこれとは違うことだったが、わざわざ言うのも野暮だと思い、咄嗟に話題を変えた。
「言われてみれば、そうね。特に意識しているわけではないけど」
「ということは、やっぱりあっちが地なんだろうなぁ」
「……なにか文句でもある?」
「い、いや、そう言う訳じゃない」
軽く睨みつけてくるレミリア。僕はつい先ほどの恐怖を思い出して、思わずどもってしまった。
そんな僕を見て更に追及しようとしたのだろう、レミリアの口が一瞬開いて、しかし何も言わずに息を吐いた。
「……一応、ありがとう、と言っておくわ」
「フランドールのことなら気にしなくていい。元はと言えば魔理沙のしでかしたことだ」
「それもあるけど。……あの時、フランと二人っきりにしてくれたこと」
「ああ、それか。……まあ、どこまでいっても、僕は紅魔館にとっては異物でしかないからね」
今回、異物である僕の役割はレミリアとフランドールの橋渡しであり、過度な干渉を控えることでもあった。
前者はともかく、後者に関しては全く控えていなかったが、最後の一線だけは越えずにすんだ。正確には、越えてしまったけれど足を着く前にフランドールが連れ戻してくれた、といった感じか。
仲直りというものは、可能な限り関係者だけで行うべきなのだ。
第三者の存在は後々になって影響してくることがあり、それでは仲直りは成功とはいえない。
「……もっとも、僕を殺そうとしたことは一生忘れるつもりはないけど」
「それは一向に構わないわ。あなたじゃどう頑張っても私に復讐なんてできないから」
残念ながら、その通りだった。
「それより貴方、いつの間にパチェや咲夜をたらし込んだのよ?」
「たらし込んだって……酷い言い草だな。交流があることは否定しないが、そこまで特別な仲という訳ではないよ」
「……ふぅん。まあ、いいわ」
パチュリーの名前が出たことで、彼女が「レミィは能力で縁を操作できる」と言っていたことを思い出し、それについて聞こうと思ったのだが、それを妨げるかのように部屋のドアが開いた。
フランドールが帰ってきたのだ。
「ただいま。咲夜やっぱり寝ちゃってたから、お手紙かいてきた」
「そう。咲夜、きっと喜ぶわ」
「うん……。『ごめんなさい』って」
「悪いことをしたと思うのなら、もう二度としちゃだめよ?」
「……うん!」
話が綺麗にまとまったところで、レミリアが僕を追い出すかのように出発を急かす。
「ほら、あなたはもう帰りなさいよ」
「はいはい。じゃあ、永遠亭でお見舞いの許可をもらったら連絡するから」
「……モリチカ、もう帰っちゃう?」
「もう夜も遅いしね。明後日にでもまた会えるさ」
「うん……じゃあ、またね」
フランドールの頭を一撫でして、僕は言う。
「ああ。それじゃあ、おやすみ」
この場にいないパチュリーと咲夜にもよろしく、とレミリアに伝えて、僕は玄関扉に手をかけた。
「妖怪どもはこれからが本領なんだから、さっさと帰りなさい」
半妖である僕に対する嫌味なのか、はたまた僕の身を案じているのか。
後者はないな、と思いながら、軽い仕返しを実行する。
「分かっているさ。君の方こそ、良い睡眠を」
レミリアが呆れたように肩を竦めて後ろを向いた。
まるで咲夜と同様、不自然に赤くなったその瞳を見られたくないかのような、そんなレミリアの荒い見送りであった。
/006
面会の許可は、魔理沙が目を覚ましてから五日後にやっと下りた。
もっとも僕は暇ということもあり、魔理沙の見舞いには毎日来ていた。
まあ、結局は魔理沙に会えないので、輝夜の茶会に招待されたり鈴仙の手伝いをしたりといったことがほとんどだったが。
迷惑じゃないかと永琳に聞くと、「あなたが来ると姫様が早起きするから助かるわ」と言われた。
なるほど、客は来れども主人は床の中、というのは些か失礼に当たるもの。
しかし、それは僕が輝夜の安眠を妨害しているのではないか、と逆に不安になったりもしたけれど。
また、昨日は霊夢と一緒に見舞いに来た。
目覚めてからの五日はほとんど検査入院のようなもので、本人は退屈で仕方なかったようだ。
久しぶりに会った僕と霊夢に対し、随分とはしゃいだ様子を見せていた。
今日は霊夢は用事で来れないらしく、「暇だったらまた来てあげる」と言っていたが、つまりは明後日にまた来ますという解釈で間違いないだろう。
「それでさー、輝夜に散々馬鹿にされたんだよ。『……貴女、結局何しに来たの?』だって」
家出騒動が一応の解決を見せてから十日後であり、魔理沙が目覚めてから七日後。
僕は永琳から許可をもらった次の日にそれを紅魔館に伝え、その次の日、つまり今日なわけだが、僕はまた魔理沙の見舞いに来ていた。
「よし。僕が後で叱ってこよう」
「い、いや、そこまでしなくてもいいんだけど……。もう昔みたいな子供じゃないんだし」
話題は二転三転し、しかし魔理沙は本題であるフランドールの話に触れようとしなかった。
とは言え、魔理沙の心境を思えばそれも致し方ないことかもしれない。
フランド-ルを一人ぼっちにさせないための家出計画だったのに、真っ先に自分がその状況に追いやってしまったようなものだ。
そんなことを考えていたからだろう、急に黙り込んだ僕を魔理沙が訝しげに見ていた。
「こーりん?」
魔理沙から聞きづらいならば、やはり僕の方から切りだそう。
『言い出しにくいことは年長者から言ってやれ』とは、僕がレミリアに言った言葉でもある。
「……あー、魔理沙。その、な。フランドールのことだがな」
「!!」
実際、僕が見舞いに来た時からこの話題が気になっている様子を隠せていなかった魔理沙だ。
一瞬顔を強張らせて、力なく瞳を伏せ、それでも魔理沙は先を促した。
「……ああ。どう、なった?」
僕はパチュリーから聞いた「フランドールの狂気」以外の全てを魔理沙に説明し、ひとまずの解決が見えたことを伝えた。
魔理沙にはレミリアからもまた別の接触があるだろうが、それは魔理沙が自分で始末をつけることである。
「そうか……良かった、本当に」
自分のせいでフランドールとレミリアの関係が壊れてしまわなくて、本当に良かった。
話を聞き終えた魔理沙は、そんな安堵の声を漏らした。
「……なあ魔理沙、君はいつだか言ってたな。パチュリーは弾幕ごっこの時、考えすぎて弾幕が追い付いてないって」
「……言ったかもな」
「きっと、今回の考え過ぎは、君だったのさ」
「……うん」
「フランは純粋で一直線なんだ」
「……うん」
「フランは、君より子供で、だけど君より大人だから」
「う゛ん……!!」
魔理沙は必死に唇を噛み締めて涙をこぼさぬようにこらえていた。
たとえ中身が薄かろうと、ただ多くの時を無為に過ごしてきたというだけであろうと、フランドールは五百年という長い年月を生きた吸血鬼なのだ。
その年月の二十分の一すらも生きていない人間の娘との価値観に多少の相違があっても、なんら不思議なことではない。
「きっと、怒ってるよな……」
「フランドールが? いや……」
と、そこで。
窓の外、首に包帯を巻いた十六夜咲夜の姿を見た。
「…………」
咲夜は窓越しに僕と目が合ったのを確認すると、一礼してすぐにいなくなった。
しかし、それで充分だった。
「……うん、まあ、本人に聞いてみればいいんじゃないか?」
「今さらどのツラ下げて会えるってん、だ……よ……」
魔理沙の声は段々と小さくなり、その目は開けっぱなしになっているドアに釘付けとなっていた。
ぴょこん、と。
一度見たら忘れないであろう、特徴的な翼の端っこが、ドアの向こうに見えていた。
「入っておいで、フランドール」
僕がそう声をかけると、翼がびくっと大きく上下し、その持ち主である少女の顔がそろそろと現れ始める。
「……ま、魔理沙が怪我したって聞いて。それで、その、お、お見舞いに来たんだ……」
ついには零れてしまった涙を見られないように。
くしゃくしゃになった泣き顔を見られないように。
とことこと近寄って来たフランドールにしがみついて、その体に顔を押しつけ、くぐもった声で「ごめん……ごめんな……」と魔理沙は謝り続けた。
フランドールは、きっとどうしたらいいのか分からないのだろう、手と羽をパタパタさせて、胸の中の魔理沙に「どこか痛いの?」「お医者さん呼んでくる?」などと聞いている。
結局、魔理沙に釣られてフランドールまで泣きだしてしまい、そんな二人の様子に安堵して、僕は静かに部屋を出て行った。
「何事なの?」
部屋を出ると奥の方から泣き声を聞きつけた永琳がこちらに向かってきており、僕は唇に人差し指を立てながら中を見れば分かると目で伝えた。
中の様子を覗き見て事情を察した永琳は、無言で僕を診察室に案内した。
「騒がせてしまってすまないな」
「いいえ、構わないわ」
「助かるよ」
「もともと用があったのはあなただけだから」
「どんな用があったんだい?」
「魔理沙のこと。明日にはもう退院しても大丈夫よ」
「ほう。それは良いニュースだ」
「あと、霊夢が少し怪しんでたから適当に誤魔化しておいたわ」
「それは……悪いニュースだな」
こと異変に関して、霊夢の勘は馬鹿に出来ないものがある。
行き当たりばったりな捜査をするくせに、結局は核心に辿り着いてしまうのだ。
「霊夢からすれば自分が応援を頼んだせいで魔理沙が怪我をしたってことになるから、多少なりとも罪悪感があるんでしょう」
「……まあ、黙っていればフランドールにまで行き着くことはないだろう」
「そうね。せっかくそっちが丸く収まったんだもの。わざわざ巫女さんに伝えて大事にすることはないわ」
「ああ。すまないが、そうしてくれ」
「口止めの報酬は、またいつか、ね?」
「ハァ……君には借りばかりが増えていくな」
「早く返さないと取り返しのつかない要求をするかもしれないわよ?」
「まさか。そこは君を信じているさ」
「私じゃなくて、ウチの姫様が、よ」
「それは……こわいな」
「でしょう?」
輝夜のことは未だによく分からない。
最近はよく手紙のやり取りをしていて、さすがお姫様とでも言おうか、輝夜からの手紙は『上品』や『高貴』といった言葉がよく似合う。
しかし、たまに……というかここ最近の話だが、永遠亭で会ったりすると、とてもそんな手紙を書く女性とは思えないような奔放さを窺わせたりする。
これは早急に対策をたてる必要がありそうだ。
「輝夜と言えば、まさか盆栽に興味がある娘だとは思わなかった」
「へぇ……姫様、そのことまで話したの」
「『優曇華』なんて見たのは初めてだったから、感動だったなぁ」
「地上にはない植物だからね」
「つい、欲しいとせがんでしまってね。考えておくって言ってたけど、まあ無理だろうな」
「珍しい……というか、幻想郷ではここにしか存在しない植物だから、さすがに難しいでしょうね」
「対価次第では今すぐあげてもいいって言ってたけど、結局どうすればくれるのかは教えてくれなかったよ」
「そ、そう……あ、アハハ、一体どんな対価でしょうね」
無理をしてでも手に入れたかったためどうしても教えてほしいと粘ったのだが、
『ま、まだ早い! てゆーか無理、言えない! か、顔が近いっ!!』
といった調子で、一向に教えてくれなかった。
聞き方が多少強引だったかと反省したが、最後には「考えとく!」と言ってくれたので、検討の余地はあるらしい。
そんな話をしばらくしていたら、結構な時間が経っていたことに気付いた。
「さて……じゃあ、そろそろ向こうに戻るか」
「あら、もうこんな時間」
「今日はあの娘を必ず連れて帰らなきゃならないんだ。行きは咲夜で、帰りは僕が送るっていう約束だからね」
「ふぅん……姫様には会って行かないの?」
「今日はこのまま帰るよ。どうも魔理沙をいじめてくれたみたいでね。まあ、怒っているとかじゃないけど」
「分かったわ。……どうせ明日も来るんでしょう? じゃあ明日、また会いましょう」
また明日、と軽く挨拶をして、僕は診察室を出た。
「……どうやら、輝夜はまだ恋愛対象ですらないみたいねぇ」
/007
帰り渋るかと思われたフランドールだったが、どうやら紅魔館で相当絞られたらしく、「そろそろ帰ろう」という僕の言葉にすんなりと頷いた。
魔理沙もさすがに引き留めはせず、僕は「また明日来るから」と言ってフランドールと共に永遠亭を後にした。
「楽しめたかい?」
「うん! 魔理沙、元気そうで良かった!」
「そうだな」
夕日が落ちて間もない空は、暗いのに明るいという何とも矛盾した色を作っていた。
フランドールはよっぽど嬉しいのだろう、先ほどまでの魔理沙との会話を僕に聞かせる。
「それでね、魔理沙がね……」
「ほうほう」
僕は適当に相槌を入れつつ、頭では別のことを考えていた。
今回の騒動を思い返していたのだ。
(……しかし、全く以て今回は迂闊だったな)
結果として、僕がしたのは魔理沙とフランドールの関係を今まで通りに保っただけである。
レミリアのことにしても、フランドールとの仲直りはあくまで「黙って家を出た」ことに対してであり、二人の長年の溝を埋めることないだろう。
これからもフランドールは地下室で過ごすだろうし、勝手に外に出ることも許されはしない。
そしてフランドールが知りたいと言っていた原点となる地下幽閉の理由にも、結局辿り着くことができなかった。
二人の仲直りの時、僕が席を外したもう一つの理由がこれだ。
フランドールがレミリアに聞きたいことは「自分のことをどう思っているか」と「幽閉の理由」の二つである。
前者だけなら僕がいてもそこまで問題はなかっただろうが、後者の場合はそうはいかない。
もっとも、その後の様子を見る限りでは、あの場で聞いたのは前者のみだと思われ、またフランドールもそれで満足しているため、しばらくの間はこれ以上の発展は望めないだろう。
(やはり可能性が一番高いのは……)
吸血鬼はプライドが高く、自分より下の種族と交流することはあっても馴れ合うことは滅多にないと言われている。
その反面、家族や盟友への愛情はとても深い。
(……血族殺し、か?)
理性ある全ての種族にも該当するであろう禁忌中の禁忌。
そして家族、血族への愛情が深い吸血鬼にとっては、忌避すべき悪夢である。
愛する家族が愛する家族を殺すという、許したくても許すことのできない悪夢。
(まあ、ただの予想にすぎないが……)
彼女らの『事情』とやらを知らないので、フランドールがこれに当てはまるのかは分からない。
しかし、フランドールの持つという狂気、そして五世紀に渡る地下での軟禁を考えれば、正直な話、一番納得がいくのはこの仮説なのだ。
今でこそ『フランドールが暴走してその立場を危ぶめないため』、という理由が成立するが、五百年程前の頃はまだスペルカードルールも制定されておらず、幻想郷での立場への配慮などを考える必要はなかった。
ましてや、吸血鬼は最上位と言っても過言でないほどの力を持った種族である。
過去にフランドールは狂気で自我を失い、その凶悪な能力でレミリア以外の家族を手にかけてしまった、という仮説。
(……まあ、僕がここでいくら考えたところで答えは分からないし、分かったところで僕に利することはないか)
無益どころか、変に首を突っ込んでまたレミリアを怒らせでもしたら、今度こそ命はないだろう。
スペルカードルールでの勝負なら断ることができるし、戦いが避けられない状態になったら霊夢に審判を頼んで即降参すればいい。
輝夜と妹紅じゃあるまいし、さすがに博麗の巫女の前で白旗を上げる相手に弾幕を向けることはないだろう。
だが、もしルールなど関係なしに本気で殺しに来た場合。
吸血鬼にとってこの幻想郷は決して広いとは言えず、逃げ切れる可能性はまず間違いなくゼロ。
付き合いの長い八雲一家は匿ってくれるかもしれないが、賢者と呼ばれる大妖怪にとって僕にそうまでする価値があるのかというと、やはり期待はしないほうがいいだろう。
僕に対して借りのある幽香なんかも、ここぞとばかりに味方になってくれそうだ。
もっとも、それだと死ぬのが少し先延ばしになって相手がレミリアから幽香に代わったというだけで、根本的な解決には至らないけれど。
「……チカ! モリチカってば! 私の話ちゃんと聞いてる?」
「え? ああ、聞いてる聞いてる」
どうやら思考にのめり込んでいたらしい。
ぷくっと頬をふくらませたフランドールが上目遣いに僕を睨んでくる。
しかし、レミリアに本気で殺意を向けられた僕を恐怖させるには、些か迫力が足りていなかった。
そんなフランドールを微笑ましく思い、僕は彼女の頭を撫でながら言った。
「……なあ、フランドール」
「なあに?」
「前の話……『犬のおまわりさん』の話だけどな」
「えっと、うん」
「僕は思うんだがな。あれはきっと、犬のおまわりさんが無能だったんだよ」
「……へ?」
「だって、そう思わないか? 同じ犬でも、君んとこの咲夜のように有能だったら、名前も家も分からなくたって両方探し出してくれるさ」
心の中で、今回フランドールを見つけることは出来なかったけど、と付け足した。
「……あは、はははっ! モリチカは面白いこと言うんだね」
無邪気に笑うフランドールを見ていたら、なんだか僕も釣られて笑ってしまった。
前方には紅魔館が見えていて、門の前には二つの人影が立っている。
「あれ? お姉さまと咲夜だ」
僕の何倍も視力の良いフランドールはその人影を識別できたらしく、そんなことを言った。
きっと心配で外にまで出てきてしまったのだろう。
フランドールはスピードを上げ、僕を置き去りにして二人の方へと飛んで行ってしまう。
「おかえり、フラン」
「おかえりなさいませ、妹様」
レミリアと咲夜の出迎えに、フランドールは満面の笑みで答える。
「ただいまっ!!」
そのやり取りを見て、僕は少しだけ、ほんの少しだけ、家族がいないことを寂しく思うのであった。
フランドールを送り届けて紅魔館から帰る途中で、違和感を覚える。
「……ん? そういえば、美鈴に会っていないな」
廻りが悪かったのだろうと結論を出し、僕は歩を進めた。
「どこですかー!? フランドール様ぁ!! うぅ……次は川を渡って、彼岸の方まで行ってみよう……」
後で聞いた話によると、美鈴は彼岸の方まで探しにいっていて音信不通になっていたらしい。
憐れ、美鈴。