――――――――生きるのに、飽きてきた。
香霖堂の店主、森近霖之助は唐突にそう思った。
いや、唐突ではなかったのかもしれない。前々から漠然とはしていたものの、こういった想いを抱いたことはあったと思う。
生きるのに最低限の金を稼ぎ、ただ平穏に本を読んでいられたらそれで満足だと思っていた。
実際、霖之助は香霖堂のさびれた雰囲気が気に入っていた。おせじにも繁盛しているとはいえないので、自分の店への愛着だといわれてしまえばそれまでの話ではあったが。
贅沢をしなければ自分を養うには十分な収益はあったし、たまに霊夢や魔理沙が勝手に商品を持って行ったりもするけれど、高価な物や珍しい物は裏手の倉庫にしまってあるのでたいした損害にはなっていない。しかし、店に来ては何かしら壊したり奪っていったりするのでそれらをいちいち帳簿に記帳していたのだが、記帳の数がなかなかの量になってしまい、今では店の帳簿とは別にツケ帳を作ったくらいだ。それに毎回ツケとして記帳してはいるが、代金が払われることも何か代わりの品が届けられることもないと思うので、記帳することもやめてしまっていいかと思う。
しかし最近、どうにも原因のわからない焦燥感のようなものが胸にこびりついている。
(うーん。どうしたものかな……)
刺激のない毎日を過ごしてきたと思う。受動的な性格であることもそれに拍車をかけていた。
(……しかし、これはちょっとまずいな)
店のカウンターで一人つぶやく。先ほどから本は開いているが読んではいない。
人間とは比べ物にならない程の長い寿命を持つ生き物は、相応の力を持つ代わりに、ある悩みがついて回る。
『退屈』である。
もちろん人間だって退屈だと感じることはあるだろうが、どれだけ長く生きても人が百の年月を超えることはない。
だが人外の存在は違う。人間と妖怪のハーフである僕もまた長い寿命を持っている。
それだけにこの気持ちを抱えたまま生きていくのは辛い。好奇心は猫をも殺すと言うが、退屈は妖怪を殺すのだ。
そして自覚してしまった以上、もう誤魔化せそうにもなかった。
(困ったな……。なんとかしないと)
そういえばここ一か月ほど霊夢と魔理沙の姿を見ていない。
厄介事しか運んでこない彼女らだが、いざ来なくなってしまうと一抹の寂しさがある。
「はぁ……」
駄目だ。考えれば考える程気分が沈んでいく。
そろそろ日も沈む頃なのでこれから来る客もいないだろうから、今日はもう店を閉めて気分転換に散歩でも行こうかと思った時、扉が開いた。
「こんばんわー。霖之助さんいるー?」
「よーっす。こーりんいるかー?」
突然の二人の訪問に、しばらく言葉を失った。
「何固まってるのよ、早くお茶をちょうだい」
「そうだぜ、こーりん。お茶菓子はいつものせんべいでいいからな」
「あ、ああ。いらっしゃい。今お茶を持ってくるよ」
とりあえずお茶とお茶菓子を用意しようと台所へ向かう。
ついさっきまで『二人が来なくて寂しい』などと思っていたためか、少し気まずい。
そんなことを考えながら作業をしていたので、手元が疎かとなり、来客用の湯呑みを落としてしまった。
ガチャン、という湯呑みの割れる音を聞いて二人がこちらへと向かって来る。
「ちょっと、今なにか割れる音がしたんだけど」
「すまないね、湯呑みを落としてしまって」
「おいおい、こーりんにしては珍しいミスだな。片づけは私がやるから、霊夢はお茶を頼むぜ」
「はいはい、わかったわよ。霖之助さんは居間で休んでて」
「い、いや、僕が割ってしまったんだから片付けは僕が……」
「いいから、こーりんはもう休んでろって」
「でも、お茶っ葉や菓子の場所を知らないだろう?」
「お茶っ葉はそこの棚の一番上の段で、おせんべいはその隣のひきだしでしょう?」
「ああ、うん、その通りだが……いや、それにしてたって店番があるから……」
「それなら大丈夫よ。私たちが来た時に店じまいの看板を出しておいたから」
こ、この子らは遠慮というものを知らないのか?
「ふぅ、わかったよ。お言葉に甘えるとしよう」
「最初から素直に言うことを聞いておけばいいんだぜ」
魔理沙の一言を聞き流し、軽く後ろに手を振って僕は居間に向かった。
しばらくすると、お茶とせんべいを持って二人が来た。
「ふー、一仕事終えると気持ちがいいぜ」
「ふふ、その通りね」
「二人ともありがとう。そいうえば、なんで君らはお茶っ葉やせんべいの場所を知っていたんだい?」
「今さら何言ってんのよ。勝手知ったるなんとかってやつでしょ」
「この家なら引っ越してきても初日からぐっすりだぜ」
暖かい会話に一瞬涙がでそうになったが、何とかこらえて「そ、そうか……」とだけ言った。
その後しばらくお茶を飲みながらまったりしていたが、せんべいがきれたところでふと外を見てると、もう完全に夜になっていたので二人を帰すことにした。
つい先ほどまであった原因のわからない焦燥感は、今はもうなかった。
「じゃあね、霖之助さん。また一週間後に来るわ」
「私は明後日くらいに来るぜ。早ければ明日になるかもだけど」
「ああ。まぁ、暇な時にでも顔を出してくれると嬉しいよ。ツケを払ってくれればもっと嬉しいが」
「や、やあねぇ霖之助さんったら。次のお正月にはお賽銭たくさん入るんだから、その時に返すわよ」
「私は死ぬまでに返すぜ」
「霊夢、少しづつでも返していかないとお正月のお賽銭は全部僕が回収する、なんてことになってしまうよ?」
「う……、待って。何とかしてツケを払わなくて済むように考えてみるから」
「素直にツケを払う気はないのか……」
「はっはっは、霊夢らしいぜ」
「魔理沙もだ。君は金が手に入り次第僕のところに来なさい」
「おいおい、とんだ悪徳金融がいたもんだぜ」
「僕が悪徳金融なら、君は性質の悪い窃盗の常習犯だよ」
「あははは、うまいこと言うじゃない」
「笑いごとじゃあないんだがね……」
そうこうしているうちに夜は深くなっていく。
二人を見送るために玄関まで来たのだが、ここでまた会話がしばらく続いていた。
若い娘が夜遅くまで男の家にいるのもよくないだろうと思い、二人に帰宅を促した。
「ほら、二人とも。もう夜も遅い。そろそろ帰りなさい」
「ええ、そうね。それじゃ、そろそろ行くわ。お茶っ葉ありがとうね!」
「ああ。じゃあまたなこーりん。ちゃんとせんべい補充しとけよ!」
「はいはい。二人とも気をつけて帰るんだよ」
挨拶をすますと二人は飛んで帰っていった。途端に辺りが静かになる。
(……ふう。しかし、単純なものだね、我ながら)
退屈がどうのと言っておきながら、二人が来てからはもう胸のモヤモヤはなくなっている。
(退屈、ねぇ)
もしかしたら、退屈などではなく、もっと別の感情だったのかもしれない。
しかし、それを認めるには僕は永い時を生き過ぎている。
(あるいは、まだそれを認められない程度にしか生きていないのかもしれないな……)
そんなことを思いながら居間へと戻り、そういえばまだ今日は晩御飯を食べていないことを思い出した。
そのまま台所へと向かったが、今から晩御飯を作りさっきまで会話の絶えなかった居間で一人もそもそと食べるというのもなんだかむなしいので、今日はもう食べないことにした。
(そういえば魔理沙がおせんべいがどうのと言っていたな……)
今日の分を引いても明後日くらいまでの分は残っているはずだが、念のため確認してみた。
何もなかった。
中に紙切れが一つ落ちていた。
『補充頼んだぜ』
慣れているので特に怒ったりはしないが(こういう所が商才に疑問を持たれる原因なのだろう)、明日せんべいだけを買いに人里まで行くのは少しめんどうだった。
(そういえば、霊夢も何か変なことを言っていた気がする……)
案の定、お茶っ葉も約一週間分がなくなっていた。
こちらにも紙切れが一枚落ちていた。
『買いにいくのがおせんべいだけじゃ寂しいだろうと思ったから、お茶っ葉も一緒にどうぞ』
さすがは幻想郷で起こる数々の事件を解決している名コンビ、息がぴったりだった。
こうも思考を読まれるのは、仮にも彼女たちの何十倍も生きている半妖としてどうなんだろう、と考えてしまう。
しかし、今日その彼女たちから生きる活力をもらったのも事実で。
(……まぁ、今日のこれはツケ帳には記載しないでおいてやろう)
とりあえずツケ帳の記載は絶対に続けようと思いつつ、財布の中身を確認しに居間へ戻る霖之助であった。
一方その頃。
「なあなあ霊夢」
「なによ」
「ほんとにあれでよかったのか?」
「よかったのよ。多少のイレギュラーはあったけど、概ね台本通りだったじゃない」
「そ、そうだったか?」
「そうだったのよ!わざわざ紫が貸してくれた外界の恋愛指南書を学んで作った台本よ? 完璧だったの!」
「いや、確かに台本は完璧だったかもしれないけど……。『女の子は軽々しくデレてはいけません。普段はツンツンしているくらいで良いのです。それがここぞという時に見せるあなたのデレを最大限の威力にします』だろ?」
「その通りよ」
「でもさあ」
「さっきからなんなのよ」
「あれ、いつもの私らがしてることとあんまり変わってないんじゃ……」
「…………」
「…………」
「な、なに言ってるの。私はお茶っ葉を、あなたはおせんべいを強奪するというこれまでにないツンをしたじゃない」
「よく考えたらお前が神社で飲んでるお茶は、もうここ半年くらいこーりんのとこからパクってきたやつじゃないか。かくいう私も自慢じゃないが、もう自分でお茶請けを買った記憶はかなりおぼろげだぜ」
「…………」
「それに、台本ではもっと攻撃的な会話のはずだっただろう? 最初は霊夢の『この豚之助!』から始まる予定だったのに、いつまでたっても霊夢が言わないからなし崩し的に普段通りの雰囲気になっちまった……というか、むしろこーりんを労わってなかったか、私たち……? ま、とりあえずお茶っ葉とせんべいの強奪には成功したけどさ」
「……だって」
「ん?」
「指南書に書いてあったデレっていうのも、この一か月研究したけど結局よくわからなかったし……」
「ああ。あれにはお手上げだったな。ツンとデレの使い分けよりも、まずはデレを習得しないとだぜ」
「それに、霖之助さんの顔を見たら、『この豚之助!』なんてとても言えそうになくて……」
「あー、まぁ、気持ちはわかるぜ。弾幕ごっこで負けてたら言うのは私だったけど、たぶん私でも無理だったと思うし……」
――――――――二人は気づいていない。それこそがデレなのだと。
「…………もう夜も遅いし、早く帰りましょう」
「…………そうだな」
そんなこんなで、夜は更けていく。
「……今日、泊まってく?」
「おう。今夜は徹夜で今日の反省会とこれからの作戦会議だぜ」
「そうね。私たちツンはもう充分しているから、これからはデレを研究しないとね」
否、少女たちの夜はまだ終わらない。