(ここは……どこだ……?)
意識を取り戻しながら辺りを見渡すも辺りには何もない。いや、何も見えない。どこからが地面でどこからが自分なのか分からない。闇に包まれた世界。熱さも寒さも感じない。何気なく自分の体と思われるものを触りながら確かめる。確かにそれはある。だがそれが一体どんな物でどんな形をしているのかが分からない。
(俺は……誰だ……? なんでこんなところに……確か……)
己の名も忘れてしまっている。何もかもが理解できない状況。普通であれば狼狽し、取り乱してもおかしくない異常事態。視覚も聴覚もない無の世界。だが恐れはなかった。それどころか懐かしさを、安心を覚えてしまうほど。
(ああ……そうか……)
ようやく答えに辿り着く。ようやくその事実を思い出す。あまりにも慣れ親しんだ感覚につい忘れてしまっていたこと。それは
(俺……死んじまったんだな……)
自らが命を失ってしまったということ。まるで他人事のように淡々としながらもアキはただその世界で自分が何者であったかを思い出すのだった――――
そこは戦場の跡地だった。何もない荒れ果てた荒野。大地は崩壊し、隕石が落ちたかのようなクレーターがあちこちに生まれている。世界大戦が起きたのでは思えるような惨状。だがそれはたった二人の男の戦いの爪痕。
「…………」
一人は無言のままその場に立ち尽くしている黒髪の男。見るもの全てを震え上がらせるに足る闘気をその身に纏っている戦王ウタ。だがその表情はどこか寂しさを、無念さを感じさせる物。その体には傷一つない。それどころか服に埃すらつけていない。これ程の戦いを繰り広げながらも全く息一つ切らすことないまさに怪物。四天魔王の名に相応しい最強の一角。ただウタは己の振り抜いた拳を戻すことなくその拳の先にある光景に目を向け続ける。
そこにはもう一人の男がいた。黒の甲冑に黒い剣を持った金髪の男。金髪の悪魔と呼ばれる存在、ルシア・レアグローブ。新生DCの最高司令官に相応しい実力を持った王者。だが既にその威風はどこにもない。ルシアは一言も発することなくただその場に仰向けに倒れ込んでいるだけ。微動だにすることもない。何故なら既にルシアの戦いは終わっていたのだから。
『アキ……?』
心ここに非ずと言った風にルシアの胸元にいるマザーは問いかける。だがそれにルシアが答えることはない。まるで眠ってしまっているかのように瞼を閉じたまま。その表情は声をかければ今にも起きてきそうなほど穏やかな物。
『い、いつまでそうしておるつもりだ……儀式はまだ終わっておらぬのだぞ! さっさと立たんか!』
まるで言い聞かせるようにマザーは声をかけ続ける。まだ儀式であるウタとの戦いは続いていると。早く立ち上がり戦えと。
そう、まだ終わっていない。まだルシアはウタの一撃を受けただけ。たった一撃。何のことはない、ただの正拳突き。しかも直接食らったわけではなく離れた場所からその拳圧を受けただけ。その証拠にルシアの体に表だった負傷はない。だがそれだけで十分だった。ルシアの奥義である闇の爆撃波を吹き飛ばして余りある威力。それをまともに受ければどうなるか。
『アキ……』
マザーはようやく悟る。自らがいるルシアの胸元から鼓動が感じられないことを。その息遣いが止まってしまっていることを。その体温が失われていることを。
自らの主であり、担い手であるルシアが既に生き絶えている。逃れようのない残酷な現実を。
『っ!? な、何をしておる!? さっさと目を覚まさんか! 主でもやっていい冗談と悪い冗談があるぞ!』
悪い冗談だと言わんばかりにマザーはそれまで以上の剣幕で自らの主に向かって声を荒げる。いつものように変わりなく。そう、いつも通り。自分が悪ノリし、ルシアが辟易しながら言い返してくる。当たり前のやり取り。だがそれはいつまでたっても訪れない。その現実にマザーはしばらく絶句するもすぐさま辺りを見渡しながら声を上げる。
『……! ア、アナスタシス、何をしておる!! すぐにアキを再生しろ! 今こそ貴様が役に立つ時であろうが!?』
『…………』
マザーは必死になりながら儀式を見守っていたアナスタシスに吼える。アナスタシスは再生を司るシンクレア。その名の通りどんな傷も再生することができる。時間逆行という禁忌の力。だがアナスタシスはマザーの叫びを聞きながらも応えることはない。応えることはできない。その意味を理解しマザーもまた言葉を失う。本来ならこれはバルドルを賭けた儀式でありシンクレアは介入することはできない。破ることはできない絶対のルール。だがそれを抜きにしてももはやアナスタシスにできることはなにもない。
『………マザー、アキ様はもう……』
それはルシアが再生を司るアナスタシスでも不可能な領域に陥ってしまっているからこそ。
『死者蘇生』
死者を蘇らすことはシンクレアの、エンドレスの力を以てしても不可能。かつての担い手であるハードナーですら失った妻を蘇らすことはできなかった。覆すことができない世界の真理。
『な、何を言っておる……ア、アキは死んでなどおらん! まだアキはここにおる! 我がいる限りアキが死ぬことなど……』
声を震わせながらマザーは必死に抗うも既に感じ取っていた。自分とルシアの間にあった繋がりが、ダークブリングマスターとシンクレアの間にある契約が消え去ってしまっていることに。
『う、ああっ……ああああ…………』
マザーはただ泣き続けることしかできない。魔石であるマザーは涙を流すことはできない。だが間違いなく泣いているであろうことが分かるほど泣き声。必死に声を抑えようとするも叶わない。それはシンクレアが主に対して抱く感情を大きく超えたもの。
儀式において担い手が脱落する。
それはシンクレアであれば誰であれ覚悟すべき、当たり前の事態。それほどまでに四天魔王の壁は高い。それを乗り越えられなければ生き残ることはできない。だからこそマザーは自身でできる限りルシアを鍛えてきた。例え煙たがられようと、悪態をつかれようと全てはルシアを生き残らせるために。
だがここにそれは潰えた。全力を尽くしてもなお四天魔王であるウタには敵わなかった。弱肉強食。単純な、それ故に絶対の理。
シンクレアとして役割を全うするためバルドルもアナスタシスも言葉を発することなくただ泣き続けるマザーを見つめ続ける。まるで今のマザーにかける言葉などないのだと悟ったかのように。
「……どうやらここまでか」
「ホム」
顎に手を当てながら今まで儀式を見守っていたメギドはどこか落胆の色を含んだ呟きを漏らす。それに応えるようにアスラも声を出すもそれが何を意味するのかは誰にもわからない。メギドは改めて倒れ伏しているルシアに目を向ける。その器の大きさを確かにメギドは感じ取っていた。間違いなく大魔王に相応しい器をルシアは持っていた。だがそれでもウタには届かなかった。確かにウタは四天魔王の中での最強に位置する存在。しかし大魔王とはそれを従える存在。強さこそが魔界における全て。
既にウタは戦闘態勢を解き、その場から立ち去らんとしている。その背中にはどこか哀愁が漂っている。自らの全力を以て戦う機会を得られたものの、やはり満足がいく戦が味わえなかった。ただそれだけ。
「もうよいであろう……せめて我らの手で弔うことにしよう」
メギドは一度目を閉じながらも巨体を動かしながらルシアの元に向かわんとする。そこにはまだ自らの主が命を落としたことを嘆いているマザーがいるものの流石にいつまでもそのままにしておくわけにはいかない。
ウタは戦闘体勢を解き、一度倒れ伏しているルシアに視線を向けた後そのまま背中を見せながらその場から離れて行く。既に儀式は終わったのだと告げるように。もっともウタにとっては儀式などどうでもよかった。求めていたのは心躍る戦い。全力を出すことはできたもののやはりそれを得ることはできなかった。ただそれだけ。それを理解しているメギドは去っていくウタを止めることもなくそのままルシアの骸の元へと赴かんとするもふと動きを止める。それは
「いいえ、まだよ……」
共に儀式を見守っていたもう一人の四天魔王であるジェロがその場から動こうとしなかったから。メギドはジェロの不可解な行動に首を傾げるしかない。確かにルシアはジェロが見定めてきた担い手。ある意味四天魔王の中でもっともジェロはルシアに入れ込んでいた。だがそれでも結果は既に明らか。ウタとの戦いによってルシアはその命を失った。自然の摂理。絶望の二つ名を冠するジェロであれば自らが見出した担い手が脱落したとしてもこれほど不自然な行動を取ることはあり得ない。だがメギドは確かに感じ取る。ジェロが瞬きをすることなくその瞳で倒れ伏しているルシアを映していることを。その身をジェロが震わせていることを。それは高揚。今まさに起こらんとしている事態、永い間待ち望んだ瞬間が訪れたことを感じ取ったが故の反応。それは
「今、ようやく器が満たされたわ……」
待ちわびた大魔王の器。それが今、ついに満たされたことを意味していた――――
(そうだ、俺は……)
暗闇の中、アキはようやく己の名と記憶を取り戻す。ルシアの体に憑依し、この世界にやってきたこと。そこでの金髪の悪魔である自らの正体を隠しながらの潜伏生活。その中でのハル、エリーとの出会い。ダークブリングマスターとしての力を磨きながらも世界を救うために、何よりも自分自身が生き残るために必死にあがいてきた。
DC。キング。六祈将軍。BG。ハードナー。六つの盾。ドリュー遊撃団。鬼神。四天魔王。
この世界において悪、敵側とされる者たちとの邂逅。その渦中に飛び込みある者は倒し、ある者は従え、ある者には認められながら行動してきた。自らが起こした影響によって知り得た未来から外れた結果を修正するために。
戦いと無縁だったアキにとってそれは決して容易なことではなかった。できるのなら全てを投げ出して逃げ出したかった。だが状況がそれを許さなかった。逃げたところで世界が無くなってしまえば意味がない。それだけの力がアキを縛っている。
『エンドレス』
終わり亡き者。星の記憶の時空操作によって生まれた怪物。偽りである並行世界を消滅させんとする力。その一部である母なる闇の使者シンクレア。それと契約してしまった以上、アキには既に選択肢は残されてはいなかった。
(やっぱダメだったか……でも、やるだけはやったよな、俺……)
自嘲気味にアキは己の行動を、悪あがきを思い返しながらも心は穏やかだった。なし崩し的に動いてきた結果だったがやるだけのことはやった。間違いなく自分の全力を出し切った。本来の道筋からは外れたものの闇の組織はDC以外は全て壊滅。ハル達は誰も死ぬことなく健在。レイヴも恐らく四つ手に入れており残るは一つ。真実のレイヴを手に入れればハルは全てのレイヴを、エリーは記憶を取り戻し魔導精霊力の完全制御が可能になる。四天魔王が残っているがきっと問題ない。ハル達は正義側、光の存在。何よりも悪、闇側の本来なら最後の敵となるはずのルシアである自分は既にいなくなってしまったのだから。思えば最初からこうすれば良かったのかもしれない。世界の敵であるルシアがいなくなる以上の解決策など存在しないのだから。
(それに、何だが眠くなってきたな……少し疲れたし、このまま……)
次第に意識が遠のいてくる。目の前の暗闇のせいで自分が目を開けているのか閉じているのかも分からない。アキは知っていた。ここが生と死の狭間であることを。今の自分が魂とでもいえる状態であることを。何故なら元々アキはそういう存在だったのだから。だからこそアキは安堵する。死が決して恐ろしいものではなかったことに。必死にそれから逃れるために足掻いてきた。だがこの世界は決して怖いものではない。むしろ安心を覚えるほど。あるべき姿に戻っただけ。今までのことは夢のようなもの。死の間際にみる走馬灯。全てを理解し、受け入れながらアキは眠りにつかんとする。二度と妨げられることのない深い眠りに。だが
「――――」
それは寸でのところで止められる。それは声だった。耳を澄まさなければ聞き取れないような微かな声。女性の泣き声。それが何なのかアキには分からない。だがそれを耳にした瞬間、失いかけた意識が蘇って行く。
名前を思い出せない。忘れてはいけない大切な名前だったはずなのに。長い間一緒にいた、聞き慣れた誰かの声。それがアキの心をざわつかせる。
――――気づけば拳を握っていた。
それは自分の名を呼んでいた。まるで子供のように。みっともなく、それでも必死に。縋りつくように。
――――既に顔は上がっていた。
聞き慣れた、それでも聞いていて辛くなるような悲痛な泣き声。いつものような傍若無人さは欠片も残っていない。
――――知らず口元は笑みを浮かべていた。
アキはようやく理解する。どうやら自分は死んでもあれとは縁が切れないのだと。静かに眠ることなどあれと契約した時点で許されるわけがなかったのだと。
それは光の糸だった。まるで地獄に垂らされた一歩の蜘蛛の糸。今まで見えなかった微かな光明がアキの前に現れる。しかしそれはアキにとって救いの糸とはなり得ない。
アキは本能で悟っていた。その光の糸は触れてはならない物。人の手には余る禁忌の力。手を伸ばせば、染まれば逃れることができない呪縛。誰かが告げる。それを手にするなと。このまま眠れば全てが終わる。もう争いに巻き込まれることもない。わざわざ茨の道に戻ることはない。なのにアキは頭を掻きながら大きな溜息を吐くだけ。まるで自分の馬鹿さ加減に呆れかえっているかのよう。当たり前だ。
「……ったく、何で俺がこんなことしなくちゃなんねえんだ……」
たかが石ころ一つのために再び争いの真っ只中に戻ろうというのだから。自分でも辟易としてしまうほどのお人好し、物好きさ加減。これではいつかのレイナの言葉も否定できないかもしれない。そんなことを思いながらもアキはその手を光の糸に向かって伸ばす。
瞬間、紫の光が全てを照らし出していく。破壊と滅びを意味する力。初めて自らの意志でアキはその力を手にした――――
『うう……うぐっ……ひっ、ひん……』
息を殺すようにマザーはルシアの胸元で泣き続ける。もうそれに意味がないことはマザーとて分かり切っている。自らの担い手が敗北した。ただそれだけ。だがマザーにとってはそれ以上の意味がそこにはあった。担い手に対する以上の感情が。結局それを伝えることもなく全ては終わってしまった。全ては自分の気紛れから始まったこと。しかしそれがあったからこそ今のマザーがある。その全てが消え去った。できるのはただ骸の上で泣き続けるだけ。だがそれは
「……おい、いつまで人の胸元でぎゃあぎゃあ泣いてやがる。気色悪いんだよ」
ぶっきらぼうな、聞き慣れた声によって終わりを告げる。
『…………え?』
「え? じゃねえ。いつまで似合わねえことやってやがる。さっさと泣きやまねえとこのままジェロのところに投げ飛ばすぞ」
マザーは呆然としたまま自分に話しかけてきている人物に目を向ける。そこにはいつもと変わらぬ主であるルシアの姿がある。間違いなく本人そのもの。呆れかえり、ジト目をしながらマザーをその辺の石ころ同然に持ちあげている。だがそれはあり得ない。何故ならルシアは間違いなく先の戦いによって命を失ったのだから。イリュージョンの幻影かと疑うも間違いなく今のルシアには実体がある。いつもと変わらない温もりが。
『お、お主……本当にアキなのか……?』
「他の誰に見えるってんだ? とうとう頭までおかしくなったのか」
『た、たわけっ! 我は正常だ! お主こそどういうことだ!? お主は間違いなく、し、死んでいたはず……』
「ああ……まったく、二度死んで二度生き返るなんてなんの冗談だっつーの……これじゃあネクロマンシーみたいじゃねえか……流石に生き返っただけでダメージはそのままか……ま、何とかなるだろ」
『アキ……お主、一体……?』
マザーは信じられない事態の連続に呆気にとられるしかない。死んだはずの主が生き返った。それだけでも十分にもかかわらずその主はまるでそれを意に介することなくぴんぴんしている。それどころか自分の体を触り、準備運動をし始めてしまう始末。気が触れてしまったのではないかと思えるような奇行。だがそれはアキにとってはただの確認。自らの体の状態、そして何よりもこれから始めようとすることへの。
その光景にマザー以外のシンクレア、メギド、ウタは目を奪われ動くことができない。死んだはずの担い手が蘇るというあり得ない事態。驚いていないのはジェロとアスラだけ。そんな視線を受けていることに気づかないままルシアはゆっくりと地面に落ちている自らの愛剣であるネオ・デカログスをその手に掴む。
「マザー、てめえは黙ってそこで見てろ。『大魔王』の力を見せてやるよ」
瞬間、マザーから紫の光が生まれルシアを包み込んでいく。同時に凄まじい力の波動が大地が揺るがし始める。風が巻き起こり、地面が震える。その中心にはルシアがいる。その圧倒的な力の奔流が全てを支配する。だがそれはマザーの力ではない。まだバルドルは儀式におけるシンクレアの封印を解除していない。つまりそれはシンクレアの能力ではなくルシア自身の能力、仕業であるということ。
『バルドル……これは一体? あなたの仕業ですか?』
『……いいえ、違うわ。あたしは何もしてないし、マザーも何もしてないわ。あれは担い手自身の力よ』
『担い手……アキ様のですか? ですがあの力は……』
『ええ、あれは我らの、エンドレスの力。あの担い手はエンドレスの力を自身の意志で引き出しているのね』
理解できない事態に狼狽するアナスタシスとは裏腹にいつもの天然さを微塵も感じさせない冷静さを見せながらバルドルは今、ルシアが何を行っているのかを感じ取る。
『エンドレス化』
その名の通り、その身をエンドレスと一体化させることで神にも等しいエンドレスの力をその身に宿す奥義。人の身に余る、扱うことができない存在であるエンドレスを統べることができる者しか体現できない到達点。
『っ!? それは……ですがそれは私達を全て集めなければ扱えない力のはずでは……?』
『そうね。本来なら五つのシンクレアを全て集めて我らを一つにしない限り発現しない力よ。でも今あの担い手はそれを成し遂げている。もっとも完全なものではなくその一端、いわばエンドレスがはみだしたような状態ね』
バルドルはエンドレスの力を扱い、その身に宿しているルシアの姿を見ながら告げる。
五つのシンクレア。その役割は自らを扱うに足る担い手を見つけ出すこと。だがもう一つ、重要な役割があった。それがエンドレスを扱う力を担い手に身に着けさせること。それぞれが持つ能力もその一環に過ぎない。極みに辿り着くことは最低条件。シンクレアの一つすらも完璧に扱えない者には純粋な力の塊であるエンドレスを操ることなど不可能。そしてその力は五つのシンクレアを全て揃え、次元崩壊のDB『エンドレス』を完成させることで発揮することができる。だがそれを今、ルシアは一端とはいえ扱っている。いくらダークブリングマスターとしての才能があったとしてもあり得ないこと。しかしそれを為し得る理由がルシアにはある。
(きっとあの担い手の魂がエンドレスと繋がってるからこそできる偶然の産物……いえ、マザーの気紛れとはいえもしかしたら最初から決まってたのかもしれないわね……)
バルドルはどこかやれやれと言った風に溜息を吐きながらも全てを理解する。マザーの担い手は正規の担い手ではない。肉体はレアグローブの末裔のものではあるがその魂は別人。時空操作によってマザーが呼び寄せ、その力によってこの世に留めている仮初の存在。いわばエンドレスの力、繋がりによって成り立っている。一見すれば死者蘇生であるように見えるが本質はネクロマンシーと変わらない。だからこそマザーは儀式の際に自らの能力のみを封じるようにバルドルへと懇願した。もしエンドレスとのつながりまで絶ってしまえばその瞬間、ルシアはこの世から消えてしまうのだから。
だがそのおかげで今、ルシアは遥かなる高みに到達した。残されたエンドレスとの繋がりから力を引き出すことによって。偶然と呼ぶにはあまりにもできすぎたシナリオ。奇しくもそれはマザーの間違いの結果。ルシア・レアグローブにとって最適な魂ではなく、自らにとって、エンドレスにとって最も適性がある魂を呼び寄せたことによって起こった奇跡。
(これは……)
ウタはただその光景に目を、心を奪われていた。自らが倒したはずの相手が再び立ち上がった。いや蘇った。信じられないような事態。だがそれすらもウタにとっては些事だった。あるのはルシアが身に纏っている光にこそある。紫の光。まるでマザーの絶対領域にも酷似したもの。だがそれは次元崩壊ではない。絶対領域の光は次元の境界を意味する物。バルドルによってシンクレアの能力が封じられている今使うことはできない。その光はただの力の奔流。エンドレスという世界を崩壊させる力の一端がはみ出した結果。奇しくもそれはウタが纏っている戦気に酷似している。その能力も特性も全く同じ。根源である力が同質であること、ルシアが直接ウタの能力を目にし、その身に受けたことで生み出した力。それはつまりルシアがウタと同格の域にまで到達したことを意味する。
知らずウタは笑みを浮かべ、拳を構えていた。体が震えている。こんなことは生まれて初めてのこと。武者震い。これまでの戦いとは違う。自分と五分の力をもつ相手との戦を前にすることでウタはただ歓喜する。
「その力が大魔王に相応しいか……見せてもらうぞ、器よ」
儀式の再開を意味する言葉と共にウタの体もまた光によって包まれていく。戦気。戦王の称号を持つ者のみが辿り着く至高の闘気。だがそれを前にしてもルシアには恐れはない。あるのはただあり得ない程の高揚感。まるでエンドレスの力にあてられてしまったかのよう。だがそれ以上にルシアの心を昂ぶらせるもの。それは
「……行くぞ、マザー」
『……ふん! よい。では往くとしようか、我が主様よ』
自らの胸元に輝いている小さな魔石。それにいい恰好を見せてやるという子供じみた意地だった――――
瞬きにも満たない刹那。二つの光が真っ向からぶつかり合う。全く同じ光を纏いながらもお互いの武器は全く別物。剣と拳。本来なら素手で剣に立ち向かうなどあり得ない。だがそんな常識は戦王ウタには通用しない。自らの肉体こそが彼にとっては最高の武器。大してルシアは黒い大剣を以て立ち向かう。ネオ・デカログス。今までいくつもの戦いを共に潜り抜けてきた戦友であり相棒。互いの最高の武器がぶつかり合う。
瞬間、大地が崩壊した――――
剣と拳がぶつかり合い、火花を散らす。纏っている光が己以外の光はいらぬと鬩ぎ合う。衝撃によって大地は吹き飛び、両者の足元は深くめり込んでいく。先程までの戦いがお遊びに見える規模の戦い。それが拮抗した四天魔王同士、大魔王の域に指をかけた者同士の戦い。
「ぐっ……うううう!!」
「ぬううううううう!!」
ルシアとウタは至近距離で睨みあいながらも互いに一歩も譲らない。ルシアはその剣で相手を切り裂かんと剣を押し込み、ウタはその拳で相手を打ち砕かんと迫る。完全な拮抗状態。だがついにそれに耐えきれないとばかりに先に大地が悲鳴を上げ崩れ去って行く。互いに足場が崩れたことによって剣と拳が弾きあい、両者に距離ができるもそれは一瞬。息をつく暇もなく二人は再びぶつかり合う。
剣舞と拳舞。一刀一撃がまさしく一撃必殺に相応しい威力を持った技の応酬。目にも止まらぬ高速戦。金属音と火花だけを残しながらルシアとウタは自らの全力を以て戦い続ける。
二人の間にはもはや回避という概念はない。
前へ。ただ前へ。
前進のみをもって向かって行く。一歩でも、一瞬でも後ろに下がれば敗北することが分かっているからこそ。剣と拳が全て交わっているわけではない。中には防ぎきれない剣撃、拳撃が両者の体を襲うもその全てが纏っている戦気によって決定打には至らない。全く同じ能力を得た両者の間だからこそ起こり得る事態。純粋な剣と拳の勝負。
今、ルシアは鉄の剣を以てウタに挑んでいる。そこには何の能力もない。体同様剣もエンドレスの力によって包まれているものの他の剣のように特殊な能力は使ってない。だがそれは相手がウタだからこそ。
先の戦いでルシアは文字通り身を以て知っていた。ウタには小細工は通用しない。その全てがウタの戦気と技術の前には無力。対抗するには己自身の力、純粋な剣技しかない。強さという単純な絶対値を覆さない限り勝機はない。
さながらそれは先のルシアがハルに対して行った戦いと同じ。十剣という能力に囚われることなく、剣士として戦うことを意味するもの。
今、ルシアはただ全身全霊を以て剣を振るう。それにネオ・デカログスも応える。例え能力はなくとも使い手と心を一つにすることでその力を引き出すかのように。
それはまさにかつてのジークとの、ハードナーとの戦いの再来。いやそれを遥かに超えるほどの力がデカログスから生まれて行く。
先の戦いでルシアはウタに劣っているものがあった。
一つが身体能力。戦気という防御に加えそれによる超人的な身体能力こそがウタの真骨頂。その前には十剣の能力すら通用しなかった。だが今のルシアにはそれが為し得る。エンドレスというダークブリングマスターだからこそ扱える力。それによってルシアはウタに匹敵する防御と身体能力をその身に宿している。
もう一つが剣技。
魔界一の剣の使い手、剣聖の称号を持つウタにかつてのルシアは及ばなかった。しかし今のルシアは既にウタと互角に渡り合うことができている。ルシアはシバの幻との修行、そして今までの戦いの経験からすでにその領域に踏み込まんとしながらも至ることができないでいた。だが命を賭けた、自らと同格以上の相手との戦いによってついにその壁をルシアは突破する。剣聖という世界における剣の頂点。シバとウタしかたどり着けなかった領域。今ここにあり得ない三人目の剣聖が誕生した。
「面白い! 器よ……もっとオレを楽しませてくれ!!」
拳を振るいながらウタは喜びに打ち震え、絶叫する。もはやこれが儀式であることなどウタの頭に中には微塵も残っていなかった。あるのはただ歓喜のみ。自らの全力と渡り合える武人とめぐり会えた。何万年も待ち続け叶えられることのなかった願いが今、目の前にある。
その一撃に、その一歩に万感の思いを込めながらただウタは戦い続ける。それに相手は応えてくれる。自らの拳に匹敵する剣と剣技によって。間違いなくこれまでの中で最良の戦。おそらくこれから先二度と味わえないであろう武の極致。だがウタには迷いはない。戦とは勝つこと。勝ってこそこの戦いを最良の物とできる。手を抜いて長引かせることなど愚の骨頂。否、そんな隙を見せればその瞬間に勝負は決する。ウタは己の全力を以て拳を振るう。力も技も互角。ならばどちらが先に力尽きるか。それがこの戦いの決着となる。そうウタは考えていた。だがその考えは
「何っ―――!?」
ルシアの一閃によって覆される。ウタはまるであり得ないことが起こったかのように驚愕の表情を浮かべるしかない。それは先程の剣と拳の衝突。力も技術も拮抗しているが故の相打ち。そうなるはずの攻防に競り負け、ウタは後方へと吹き飛ばされる。
(馬鹿な……!? 一体何が……)
理解できない事態に困惑しながらもルシアが間髪いれずに距離を詰めながら剣を振るってくる。だがその剣の速さは変わらない。何か特別な剣の形態を取っているわけでもない。もし取ったとしても戦気の前には無意味。強さ以外の要素がこの戦いに入り込む余地はない。にも関わらずウタはルシアの剣撃によって一撃一撃、確実に押し込まれていく。ウタが手を抜いているわけではない。体力が落ちてきているわけではない。むしろ体力においてはルシアの方が分が悪いはず。生き返ったとはいえその体はウタの正拳を受けたもの。先に根を上げるのはルシアであるはず。にも関わらずウタは追い詰められていく。
それはまるで未知の力がルシアにはあるかのよう。
瞬間、ようやくウタは感じ取る。それは数多の戦いを潜り抜けてきた戦士でしか持ち得ない感覚。優れた剣士は剣を合わせただけで相手の心を知ることができる。それは剣でも拳でも変わらない。事実、ウタは先の戦いでルシアの心を感じ取っていた。
『生き残るために』
それがルシアの戦う理由。ある意味単純な、これ以上にないもの。戦いとは己を生かすための物。闘争の本質。何もおかしいことはない。だが今のルシアの剣は違う。ウタには理解できない理由を以てルシアは剣を振るっている。
その想いがルシアの剣に力を与えている。信じられないような、あり得ない事態。だがそれを前にしてもウタはまだ認めることはできない。それを認めることは今までのウタの戦いを否定しかねないもの。
心。思想。戦いにおいては不純物であり、何の役にも立たない虚構。思想が戦士を強くすることなどあり得ない。絶対的な強さを持つ者こそが思想を語る資格がある。
だがそれを覆す者がここにいる。夢でも幻でもない。ただその想いを乗せることによってルシアの剣の重みが増していく。
『想いの剣』
それが剣聖ではないもう一つの剣の終着点。自分ではない誰かのために。他人のために限界以上の力を引き出すことができるもの。デカログスが伝えることができていなかったルシアに足りなかった最後のピース。その全てが揃ったことでルシアは自らの全てを込めた剣を振りかぶる。もはや恐れはない。今の自分は誰にも負けない。
初代レイヴマスター、シバ・ローゼス。剣聖と呼ばれる世界最高の剣士。だが彼を最強たらしめていたのは剣の腕だけではない。それはたった一つの想い。
『リーシャのために』
五十年前、世界のために命を失った少女との約束を守るために。その想いこそがシバの根底であり強さ。そして
「ああああああああああ―――――!!」
『マザーのために』
それがルシアの、ダークブリングマスターであるアキの戦う理由。いつも我儘ばかり、迷惑をかけてくる。それでも自らを案じ、涙を流し、共に生きてきた存在。そのために剣を振るうことがアキが得た答え。
その想いの剣がウタの絶対であるはずの戦気を切り裂く。それがこの儀式の終わり、そして大魔王が誕生した瞬間だった――――
「ハアッ……ハアッ……! な、何とかなったか……」
ルシアはまるでフルマラソンを終えたかのように肩で息をしながらも何とかネオ・デカログスを杖代わりにすることで体を支える。だが既に疲労困憊に加え満身創痍。ウタとの戦いに加え無理やりエンドレスの力を引き出した代償。だがそれがなければこの窮地を乗り切ることはできなかった。五分と五分であったにも関わらず勝てた理由は分からないものの何とか命拾いした形。もっとも一度は死んでいるのだが。
『…………』
「……おい。いつまで黙ってやがる。これで文句ねえだろ……やっぱどっかおかしくなってんのか?」
『っ!? な、何でもない! う、うむ、中々悪くなかったぞ。だがそのみっともない姿はどうにかならんのか。いつもいつもギリギリの戦いをしおって……やるならちゃんと最初からやらんか!』
「や、やかましい! できたなら最初からやっとるわ! てめえこそ情けなくぎゃあぎゃあ泣きわめいてたくせに偉そうに……」
『わ、我は泣いてなどおらん! あれはあまりにもお主が情けないから情けなさのあまり涙が出てしまっただけで」
「ほう、石のお前が涙を流せるなんて初耳だな。今度ぜひ見せてもらいたいもんだ」
『くっ……まあよい。褒められた内容ではないがよくやった。これでお主は正真正銘のダークブリングマスター……大魔王に認められたわけだ』
「あっそ……」
すっかりいつもの調子に戻っているマザーに辟易しながらもとりあえずルシアは自らにとっての最大に危機を乗り切ったことを実感する。大魔王になったというのは悪い冗談のような話だがこの際この魔界探検ツアーが終わるのであれば何でもいいか思えるほど。具体的にはさっさとアナスタシスで再生したいところだった。だが
(ちょ、ちょっとやりすぎちまったかな……? でもこいつ相手に手加減なんてできるわけないし……)
その前にルシアは仰向けになったまま倒れ伏しているウタに向かって目を向ける。その胸には一文字に切り裂かれた傷跡が残っている。先の最後の一刀によるもの。ルシアとしては手加減も容赦もない全力の一撃だったのだがそれでも命を取りとめていることがウタが四天魔王である証のようなもの。だが流石にダメージが大きかったのか身動き一つしようとしない。流石にまずいかと思いルシアが声を掛けようとした時
「見事だ……器、いや大魔王よ……」
ぽつりと、まるで呟くようにウタはルシアに向かって言葉を漏らす。それは惜しみなき称賛。そして自ら戦士としての敗北を認めるもの。その証拠に器から大魔王へとルシアへの呼び名が変わっている。だがルシアはそれに応えることはない。ただその光景に目を奪われていた。それはウタが涙を流していたから。戦王であるウタが涙を流すなど想像できないような状況。だが顔を手で押さえながらさらに続ける。
「感謝する……想いがこれほどまでに戦士を強くすると知った……」
傷ついた体をゆっくりと起こしながらもウタは感謝の言葉を述べる。想いの力という自分が知り得なかった可能性を示してくれたルシアへの感謝。その力に敬意を払うかのようにウタは頭を下げたまま。一刀だけとはいえルシアの渾身の一撃を受けたウタにもはや力は残っていない。にも関わらずルシアはその場から一歩も動くことができない。何故ならこれと同じ光景をルシアは知っていたから。
「そして許してほしい……これはオレの我儘、いや願いだ……永遠に叶うことがないはずの夢を今、ここで果たさせてほしい……大魔王よ」
「…………え?」
ルシアはまるで言葉の意味が分からないかのように間抜けな声を上げるしかない。だがルシアの答えを聞くことなくウタは天を仰ぎみるかのように体勢を変える。瞬間、この世の物とは思えないような殺気が全てを支配していく。その殺気だけで敵を葬れるのではないかと思えるような呪いにも似た闘気。それに呼応するかのように肉体までもが変化していく。
腕と足の筋肉は膨れ上がり、口からは牙が、頭の角が伸びて行く。そこには既に誇り高き戦王の面影はない。あるのはただ闘争本能のみ。戦うことだけを追求した狂気の具現。
『戦鬼』
戦いを愉しむことすら捨て去った純粋な修羅。永遠に戦い続ける戦鬼。それが永遠のウタの真の姿。命を削る、禁じられた力を持つウタが四天魔王最強とされる所以。
「ウオオオオオオオオ――――!!」
咆哮と共にウタは全ての理性を消し飛ばしながら力を解き放つ。例えそれが大魔王に逆らう行為だとしても。
『挑むこと』
それがウタが望み続けてきた永遠に叶うことがないとあきらめていた夢。自らの全力を以てしても敵わない相手に『挑む』
例え戦うだけの獣になったとしても構わない程に待ち焦がれた瞬間。
今、大魔王ルシアの最初で最後になるかもしれない命がけの仕事の幕が上がった――――