その場にいる全て者達の視線は一人の女性に注がれていた。いや、釘づけにされたと言った方が正しい。何故なら彼女が現れてから誰一人身動きが取れなかったのだから。傷つき、その場に倒れ伏しているハル達だけではない。魔王として真の姿を晒したドリューですらただ突然の何の前触れもなく現れた乱入者にただ息を飲み、目を奪われることしかできない。だがそれは当然のこと。この場にいる者達の中でドリューとレットだけが彼女の正体を悟っていた。にも関わらず両者とも声を上げることもできない。二人にとって目の前の女性は存在してはならない、存在すら疑われていた女王なのだから。
だが自分がそんな視線を集めていることなど全く意に介すこともなく女はそのまま優雅に歩きながらハル達へと近づいて行く。一歩一歩、ただ歩みを進めて行くだけ。そこには何の意志もない。歩くという当たり前の行為。だがそれだけでハル達の周囲の温度は急激に低下し、地面は凍りつき、吐息が白くなり、呼吸が苦しくなっていく。だがそれは物理的な話。それ以上に目に見えない力がハル達に襲いかかってくる。それは重圧。まるで地べたに這いつくばらなければならないかのような重圧がハル達を押しつぶさんと迫る。そしてついにハル達の目の前まで女が到達しようとした瞬間、
「……っ! てめえ、それ以上ハル達に近づくんじゃねえ!!」
決死の表情を見せたムジカが残された全ての力で銀槍をその手にしながら女に立ち向かって行こうとする。自分を襲っている重圧も何もかも振り切りながら。それはハル達を守るため。既にハルは重傷を負い意識不明。エリーはそれを庇うように抱きかかえている。そんな二人にこれ以上近づかせるわけにはいかない。ムジカが満身創痍の体を酷使しながらもハル達を守らんと構えようとした時
「―――っ!? やめるんじゃ、ムジカ!! 矛を向けるでない――――!!」
断末魔のようなレットの声が間一髪のところでムジカの動きを止める。ムジカだけではなくその場にいる仲間達は驚愕の表情でレットに視線を向ける。そこには普段では考えられないような表情を浮かべているレットの姿がある。顔は苦渋に満ち、汗を流し、体は震えている。まるで恐れを為しているかのようなあり得ない状態。ムジカ達にとってレットは常に冷静であり、戦闘においては他を許さない程の覚悟を持つ者。事実、ドリューとの圧倒的な実力差を前にしても決してあきらめることなく命を捨ててでも足止めをせんとした程。だからこそムジカ達は驚愕し、戦慄するしかない。そんなレットが誇りも何もかもかなぐり捨てて手を出すなと絶叫する。目の前の女がそれほどの存在なのだと。
だがそんなやりとりすら目には入っていないのかのように女はただ真っ直ぐに歩き、ムジカ達の横を素通りしていく。そのあまりの自然さに応戦しようとしたムジカですら身動きを止めたまま女が横を通り過ぎて行くのを黙って見過ごすしかない。同時に戦慄する。それはあまりにも単純な事実。女は最初からムジカ達のことなど眼中になかったのだということ。つまりムジカ達は女にとっては例えるなら道端に転がっている石、雑草同然。気に止めることすらない存在。女がムジカ達の横を通り過ぎて行ったのはただ彼女の目的の場所にたどり着くまでの間に偶然彼らがいただけ。そしてようやく女の足が止まる。女の視線がゆっくりとその人物に向けられる。
「……お前がドリューね。ようやく見つけたわ……」
夜の支配者パンプキン・ドリュー。魔王の称号を持つ存在。この場を支配していた王者。その証拠に既にドリューを倒さんとしたレイヴの騎士たちも、六祈将軍も敗北した後。夜の闇に支配されたこの場ではドリューが頂点となる。だが知らずドリューは気圧されていた。目の前の女に。その力の片鱗に。それは本能。魔界の住人であれば誰であれ抗うことはできない感覚。
ドリューはまるで信じられない物を見たかのように目を見開く。だがそれは当たり前だ。魔王とはその名の通り魔界の王族を指すもの。それが人間界にいるだけでもあり得ない事態。それに加え、ドリューですら驚愕するしかない理由があった。
今、魔界は三人の王によって統治されている。
『獄炎のメギド』 『永遠のウタ』 『漆黒のアスラ』
ドリューが生まれる前、何万年も前から続いてきた支配体制。その力の前には逆らえる者などいないと言われるほどの『四天魔王』と呼ばれる魔王達。だが魔界の住人たちですら知らない存在があった。それが存在しない四番目の魔王。二万年以上前から姿を消してしまった四人目の魔王がいたのだという話。もはやお伽噺にすらなってしまっているような存在。だがその名をドリューは知っていた。
「……貴様、まさか……四天魔王……『絶望のジェロ』なのか……?」
『絶望のジェロ』
二万年以上前、自らを氷漬けにし眠っていたはずの氷の女王が今、ドリューの前に姿を現していた。
「……呼び捨てにする無礼を許した覚えはないのだけれど……まあいいわ……」
ジェロは狼狽しているドリューの姿を見ながらも全く表情を変えることはない。それどころか既にその瞳はドリューを映してはいなかった。あるのはただドリューの胸元にある二つの闇の輝きだけ。ヴァンパイアとラストフィジックス。持つ者に闇を統べるに相応しい資格と力を与える五つの頂きの内の二つ。
「……そう。本当にシンクレアを二つ持っていたのね。手土産は一つの予定だったのだけれど……手間が省けるからよしとしましょうか……」
「……貴様、一体何の話を」
まるで見えない何かと話をしているかのように独り言をつぶやいているジェロの姿に困惑しながらもドリューは身構えながら問いたださんとする。一体何の目的でここにやってきたのかと。だがそれは
「その二つのシンクレアを渡しなさい。それはあなたには相応しくない。大人しく渡せば命だけは助けてあげるわ」
これ以上ないほどの理解できないジェロの宣告によって氷解する。だがドリューはもちろんムジカ達ですらジェロの言葉に凍りつく。シンクレアを二つ差し出せ。それがジェロの命令。力づくで奪うのではなく渡せ。つまりジェロにとってはドリューは格下。争うことすら必要ないということ。その証拠にジェロは細い氷のような手をドリューに向かって差し出したまま。ようやくその言葉の意味に気づいたドリューは凄まじい憤怒の形相を浮かべ今にも飛び出して行きかねない殺気を纏いながらも魔王としての誇りからあえて言葉によって応える。
「ほう……興味深い話だな。だが聞き違いだろうか……私がシンクレアに相応しくないと言っていたように聞こえたが……?」
「……言葉通りの意味よ。お前にシンクレアは相応しくない。それはアキ……ルシアにこそ相応しい物」
「ルシア……? そうか、貴様……金髪の悪魔の、ルシアの差し金か?」
ドリューはようやく納得がいったかのように声を上げる。目の前のジェロが自分の持つシンクレアを手に入れるためにこの場にやってきたこと。その背後にルシアがいることを。六祈将軍だけでなく四天魔王の一人まで配下としていることに驚きは隠せないもののドリューは今まで知らず圧倒されていた自分に活を入れ、改めてジェロと向かい合う。確かに四天魔王は魔界において敵う者がいない最強の四人。だがそれは過去の話。ドリューは人間界に渡ってからその頃とは比べ物にならない程力をつけてきた。闇の頂点とまで言われたキングと互角の力を。そして二つのシンクレアという闇の頂きの力を。ルシア同様二つのシンクレアを手にしている以上そこには大きな力の差はない。ならばその配下となっているジェロに自分が敵わない道理はない。そしてようやくドリューは気づく。それはジェロの胸元。そこに一つの輝きがある。それは
「貴様……それは、シンクレアか……?」
最後のシンクレア『バルドル』 魔界でアスラが守護していたはずの最後のシンクレアが今、ジェロの胸元にある。だがドリューは気づけない。ジェロがバルドルを持っている意味を。その役割が何であるかを。ただあるのは歓喜だけ。そう、この場に新たなシンクレアが向こうからやってきてくれたのだから。それが五つ目のシンクレアだとすれば後はルシアを倒せば全てのシンクレアが揃う。もしそれがルシアが持っている二つのシンクレアの内の一つであったとしても手に入れればドリューは三つのシンクレアを手にし、ルシアは一つ失うことになる。そうなればドリューの勝利は揺るがない。ドリューに恐れるものは何もない。人間界だけではない。魔界を含めた全ての世界を支配するに足る、大魔王に相応しい力をドリューは手に入れることができる。知らずドリューの口元が怪しく歪む。永い間求め続けていた自らの絶対王権が目の前にまで迫っていることに。
「……聞こえなかったのかしら。その二つのシンクレアを渡しなさい。これは王の命令よ」
そんなドリューの思考など知ることなくジェロはその手を差しだしながら最後の命令を下す。知らず辺りの気温が下がって行く。まるでジェロの気配に呼応するかのように。その感覚にムジカ達は戦慄する。自分たちに向けられているわけでもないのに気を失ってしまいかねない魔力が辺りを支配し始めていることに。ドリューは気づかない。自分が今まさに触れてはいけないものに触れようとしていることに。ドリューは知らない。ジェロの言葉が紛れもない王としての慈悲であることに。
「フ……それはこちらの台詞だ。大人しくそのシンクレアを渡せば命だけは助けてやろう。人間に下った魔王など私の敵ではない。私が本当の魔王の力を見せてやろう」
ドリューはついにその言葉を口にしてしまう。ジェロの前で最も口にしてはならないものを。
『魔王』という魔界における最も畏怖されるべき称号を。
「驚いたわ……王に対する数々の無礼。無知なだけか……それとも……」
ドリューの宣戦布告を受けながらもジェロは溜息をつく。それは怒りではない。ただ純粋な憐れみ。自分が眠っている間に魔王という格式が落とされてしまったという許されない事実。何よりも自らが求めた大魔王の器足るルシアを侮辱されたこと。ジェロはそのまま自らの胸元にあるバルドルへと視線を向ける。まるで何かの許可を得るかのように。
「いいわ……光栄に思いなさい。アキよりも先にお前に儀式を受けさせてあげるわ」
ジェロがその手にバルドルを手にする。瞬間、全てを紫の光が照らし出していく。だがそれは一瞬。ムジカ達は何か攻撃が行われたのかと思い身構えるも何も起こっていない。あるのは先程までと変わらない静寂だけ。ドリューの持つ二つのシンクレアの能力を目の当たりにしているムジカ達はそれに匹敵する力が発動されたと思っていたにもかかわらず何の変化もない事態に困惑するしかない。だがそんな中にあってドリューだけは違っていた。
「―――っ!? き、貴様、一体何をしたっ!?」
ドリューは驚愕の表情を見せながらジェロに向かって吠える。だがその表情には既に先程までの魔王の風格は薄れつつある。あるのはあり得ない事態が起こってしまったことに対する困惑だけ。しかしドリューの体には何の変化もない。ダメージも全くない。ドリュー自身には先の光は何の効果もない。あるのは
「簡単な話よ。あなたのシンクレアを全て使えなくした。それだけよ」
ドリューが持つ二つのシンクレアが使えなくなってしまった。ただそれだけ。単純な、これ以上ない能力。それこそが最後のシンクレアである『バルドル』の力。
五つのシンクレアはエンドレスから生まれしもの。その大本であるエンドレスの力があって初めてシンクレアはその力を発揮できる。エンドレスとシンクレアを繋ぐこと。それこそがバルドルの役割。彼女の力を持ってすれば他の四つのシンクレアですらただの物言わぬ石へと姿を変える。他の四つのシンクレアの役割はシンクレアに相応しい担い手を探しだすこと。そしてバルドルの役目はその担い手がエンドレスに相応しいか見定めること。
『シンクレアを統べるシンクレア』
事実上この世に存在するDBの頂点となるバルドルの前では全てのDBは無力と化す。例えそれがシンクレアであったとしても。
「ば、馬鹿な……こんなことが……!?」
ドリューは目の前で起こっている信じられない事態に声を上げるだけ。当たり前だ。DBの頂点であるシンクレアがその力を失ってしまったのだから。それはまるでシンクレアを前にしたDBのよう。今、ドリューは自らの二つの能力を失った。
『引力支配』と『物理無効』
ヴァンパイアとラストフィジックスによって得られていた加護。それはつまり
「力を示しなさい……母なる闇の使者を持つ者。器足りうるかどうか試してあげるわ」
シンクレア以外の力。自らの力だけを以て四天魔王を打倒しなければならないということ。それがバルドルの役目であり四天魔王の役目。大魔王の器を見定めるための儀式。
かつてルシアが聞いたものと同じ言葉を告げながらジェロは儀式を開始する。だが根本的に違うこと。それはこの儀式が一年前とは違い手加減など無い本物の儀式であったこと。
「―――っ! この私を侮辱する気か―――!!」
瞬間、弾けるようにドリューは走り出す。その瞳には既に先程までの困惑はない。夜の支配者たるに相応しい姿。確かに二つのシンクレアの力が使えないのは大きな痛手。だがドリューには自負があった。自らの力がシンクレアだけではないこと。DBを操るだけではない魔王としての力。それを以てしてドリューはジェロへと向かって行く。その手には黒い剣が握られていた。しかしそれは宵の剣ではない。ドリューが持つ剣の中で最強の力を誇る剣、漆黒丸。それによって斬られた者は例外なく蝕まれ死に至る。その死の一刀が容赦なくジェロの首筋に刺さる。ジェロは微動だにすることができない。後はそのまま剣を振り切り、首と胴を切り離すだけ。あまりにもあっけない決着。だが
「――――っ!?」
ドリューの声にならない声によってかき消される。ドリューは自らの剣が確かにジェロの首筋に叩きつけられたのを見た。だがそれだけ。いくら力を込めようと刃がそれから先に動かない。まるで氷を削り取っているかのような音が響き渡るもジェロの首筋には微かなヒビができるだけ。あり得ない事態に驚愕する間もなくドリューは目にする。
それはジェロの瞳。だがそこにはおよそ感情というものが見当たらない。まるで虫けらを見るかのような無慈悲な瞳だけ。それを目の当たりにすることでドリューはまるで金縛りから脱するかのように凄まじい速度でその場から距離を取る。そこには戦略も何もない。ただ純粋な逃走。あの場にいれば命はない。捕食者を前にした餌同然。さらにドリューは目にする。それはジェロの首筋にあったはずの傷跡。それが一瞬で消え去って行く。まるで何もなかったかのように。
『自動再生』
それがジェロの持つ能力の一つ。氷の体を持つジェロは外からのどんなダメージも通用しない。傷を受けた瞬間に瞬く間に再生してしまう。その力はアナスタシスに匹敵、凌駕するほど。時間逆行ではない純粋な再生。その前ではいかに漆黒丸といえども無力。TCMでさえも封殺されてしまいかねない無敵の肉体。
「そう……私はウタほど剣は得意ではないのだけれど……いいわ、遊んであげるわ」
ドリューの攻撃などまるで初めからなかったかのように呟きながらジェロは無造作にその手をかざす。瞬間、凄まじい冷気の力と共にその手に一本の剣が姿を現す。それは氷の剣。何の能力もない、ただ氷によって造られただけのもの。その言葉が示すように構えなど無い、無防備な姿を見せながらもジェロは手に剣を持ちドリューに向かって歩いて行く。一歩一歩静かに。それでも逃れられない絶望の足音を奏でながら。
「貴様ああああ――――!!」
自分をなめきっている、馬鹿にしているかのようなジェロの言動によって激昂しながらドリューはその剣を以てジェロを打倒せんと向かって行く。瞬間、漆黒丸と氷の剣がぶつかり合い、衝撃が大地をゆるがす。まるで先のドリューとハルの攻防を彷彿とさせる物。だが一つ違うこと。それは
「お、おい……何の冗談だよ、ありゃあ……」
ドリューが為す術もなく追い詰められているということ。既にドリューは防戦一方。ジェロが振るう剣を何とか防いでいるだけ。そんなあり得ない光景にムジカ達は言葉を失くす。もしかしたらドリューが弱くなってしまっているのではないかと思ってしまうほど。だがそれは間違い。ただ単にジェロが強すぎるだけ。
そしてもう一つムジカ達が戦慄している理由。それはジェロの剣の腕。それは確かに凄まじい。だがそれはドリューに及ぶものではない。剣捌きも、足捌きも、剣士としてはドリューの方が上回っている。かつてのキング、ゲイルに匹敵する剣の腕がドリューにはある。にも関わらずジェロが上回っている理由。それは単純な身体能力の差。剣の速さも、重さも使い手に左右される。つまり剣の腕という技術を補って余りある純粋なスペックの差。ドリューの剣に捧げてきた年月を気まぐれで無にできるほどの出鱈目な力。それが絶望のジェロの、四天魔王の称号を持つ者の力。
そして終わりは呆気なく訪れた。何合目かの剣のぶつかり合い。ついに耐えきれなくなった漆黒丸が氷の剣によって刀身を破壊される。そのままジェロの無造作な一閃がドリューの首へと迫る。避けようのない完璧なタイミング。だがその瞬間はいつまでたっても訪れなかった。
「――――何のつもりだ」
およそ感情が感じ取れない声でドリューは問う。ドリューの視線には自らの首元で止まっている氷の剣の姿がある。首の皮一枚。その冷気が間違いなく剣がそこにあることをドリューに伝えてくる。自らが剣で敗北した。あり得ないような事態。しかも明らかに剣の腕は自分に劣るであろう相手に負けるというこれ以上にない屈辱。だがそれすらも忘れてしまうほどに今の状況はドリューにとっては不可解なもの。
「言ったでしょう、お遊びだと。これが最後の慈悲よ。大人しくシンクレアを渡して二度と魔王の名を口にしないと誓いなさい」
ジェロははじめと変わらない感情のない声で宣告する。慈悲という名の情け。自分に対する数々の無礼。本来なら死を以てしか許されない罪。それを許すというあり得ない言葉。それはジェロにとって、四天魔王にとっての悲願である大魔王の器が誕生する瞬間がすぐそこまで迫っていることによるもの。だがそれはドリューにとっては死よりも許すことができない屈辱だった。手加減をされるという無様。ドリューは悟っていた。剣を止めたのは自分にラストフィジックスというシンクレアがなかったからなのだと。もしそれがなければこの瞬間、勝負は決していた。つまりシンクレアがあったとしても自分には遠く及ばない。ジェロはそうドリューに見せつけた。バルドルの力など無くともドリューなど相手にはならないのだと。
「……アワレムナ……私を哀れむナ……闇を哀れむな――――!!」
その事実に、自分が哀れまれていることを知ったドリューはまるで気が狂ってしまったかのように悶えながらその力でジェロへと向かう。魔法というもう一つの力。魔王の姿を晒したドリューによって無数の黒い雷と魔力弾がジェロに直撃し、辺りの建物ごと全てを破壊しつくしていく。要塞であるクリーチャーが墜落してしまいかねない規模の範囲攻撃。その全てがジェロを飲みこんでいく。それに巻き込まれまいとムジカ達は必死にその場を離れようとするもその足は止まってしまう。何故なら
「……もう気は済んだかしら?」
魔法の嵐を受けながらも傷一つ負っていない氷の女王が君臨していたからに他ならない。ジェロはその場を一歩も動いていない。剣で防いだわけでも、魔法で相殺したわけでもない。ただそこに立っていただけ。それはつまりドリューの魔法では無意識で放っているジェロの魔力すら突破できなかったということ。ジェロはそのままゆっくりとドリューへと近づいて行く。先の攻撃はジェロからすれば子供の駄々のようなもの。だがもはや先程までの慈悲はない。最後の機会をドリューは自ら棒に振ってしまった。ドリューはようやく悟る。いや、既にジェロと相対した時点で本能で悟っていた。ジェロと自分の間にある天と地ほどもある力の差を。
「私は……私は負けるわけにはいかぬ……認めるわけにはいかぬ……!」
だがそれでもドリューは退くわけには、ひれ伏すわけにはいかなかった。魔王として。そして闇の一員として。ドリューは思い出す。忘れることができない絶望を。
かつて人間に焦がれ、魔王の身分を捨ててまで人間界へやってきた日々。そこで受けた屈辱。光の裁きと呼ばれる仕打ちによって死の淵まで人間によって追い詰められた日々。そこで手に入れた闇の頂きであるシンクレア。そして誓い。
「人間どもに……光どもに私の味わった闇と絶望を味あわせるまで私は負けぬ―――!! 全ての生命に死を――――!!」
自らの味わった闇を、絶望を人間達に思い知らせる。それこそがドリューの野望。その時に受けた仕打ちに、絶望に比べればどんな恐怖も恐れるに足らない。例え四天魔王であったとしてもドリューは恐れることはない。否、恐れることなどあってはならない。
ドリューは自らの手をかざしながら最後の呪文を詠唱する。禁呪。最強の闇魔法を発動させるために。例え無限の再生力を持つ相手だとしてもこの魔法の前には通用しない。全ての生命を吸い取る魔法。かつて金術の究極技ですらかき消したドリューの切り札。
『黒き最後』
全てを塗りつぶす闇が、生命を根絶やしにする光が全てを覆い尽くしていく。もはや逃げ場はどこにもない。大地すらも殺す闇の力がジェロを、クリーチャーを飲みこんでいく。だがドリューは知らなかった。
「…………絶望ね。いいわ、特別に見せてあげるわ。究極の絶望とはいかなるものか……その身を以て味わいなさい」
絶望の名を冠する四天魔王。何故ジェロが絶望の二つ名を持っているのか。その意味を。
宣言と共に初めてジェロが動きを見せる。それは構え。剣を持ちながらも決して見せることのなかった構えをジェロは見せる。両手を自らの前に交差させる姿。瞬間、全てが凍てついて行く。この世の物とは思えないような魔力がジェロの周りを包み込んでいく。魔力が、光がドリューの放った最強の闇魔法をかき消していく。それどころか冷気が、氷の力がドリューに向かって襲いかかって行く。だがそれはただの余波。まだジェロはその力を解き放っていない。ただその構えを取っているだけ。つまりドリューの魔法はジェロの構えによる魔力すら突破できず、追いやられてしまっているということ。
あり得ない、悪夢のような光景の中、ドリューは確かに聞いた。己の最期となるであろう言葉。それは
『絶対氷結』
ジェロの持つ究極の魔法。その名の通り逃れることができない絶対の凍結を意味する禁呪。
ジェロがその名を告げ、両手を解放した瞬間、全ては終わった。この世の物とは思えない冷気が、吹雪がドリュ-へと襲いかかって行く。それだけではない。凍りついて行く大地から氷柱が生まれ、決してドリューを逃がすまいと取り囲んでいく。その全てが氷と一体となりつつあるジェロの体から生まれている。
それこそが絶対氷結の力。術者を永遠に溶けることのない氷とすることで相手を永遠に封じ込める大禁呪。だがそれは術者の命を代償にして初めて可能な魔法。しかしジェロにはそれが為し得る。四天魔王の中でも最強の魔導士であること、そして何よりも生きた氷の化身であるジェロであるからこそ可能な奇跡。
逃れられない絶望の中でドリューはようやく悟る。自分がいつ間違ってしまったのか。
ジェロと戦った時か。
シルバーレイを使ってしまった時か。
オウガを倒した時か。
キングと争った時か。
幽撃団を作った時か。
だが間違いはそれより遥か昔。自らが作った街で、迫害され死の淵に瀕した時。その闇の中で手に入れてしまった物。母なる闇の使者シンクレア。それを手にしてしまった時点でこの結末は決まっていたのだと。あの時、命を終えることができなかったことがドリューの不運。
「お眠りなさい……決して目覚めぬ深き絶望の中に……」
残ったのは決して溶けることのない氷にされてしまったドリューであったものだけ。ドリューは死すら許されずただ永遠に生き続ける。終わることのない悪夢と絶望を抱いたまま。
それが夜の支配者パンプキン・ドリューの最期。そして四天魔王であるジェロが『絶望』と呼ばれる所以だった――――