月と星だけが明かりを灯す深い闇の世界。サザンベルク大陸の沿岸部。その海上に一隻の巨大な要塞が飛んでいた。ドリュー幽撃団の本拠地『クリーチャー』そこで一つの決戦が行われていた。船の主であるドリューとDC最高幹部六祈将軍の一人レイナ、レイヴの騎士達。三つの勢力による争い。だがそれは三つ巴ではなくドリューに対してレイナとレイヴの騎士たちが共闘するような形で幕が上がった。何故ならレイヴの騎士同様、レイナの目的もまたドリューを倒し、シルバーレイを止めることだったのだから。ここにドリュー一人を相手にしたまさに総力戦に相応しい決戦が始まった。一体多数。多勢に無勢。数の差というこれ以上にない圧倒的な優位。だがそれは
「どうした、もう終わりかね。私を倒すのではなかったのかな」
この夜の世界に君臨する一人の怪物の前には通用しなかった。パンプキン・ドリュー。ドリュー幽撃団のリーダーでありかつて闇の頂点とまで呼ばれたキングと引き分けたことすらある王者。ドリューはまるでつまらなげに自らの周りを取り囲んでいるハル達に言葉を投げかける。だがハル達はそれに応えることはない、否、応えることすらできない。
「く、くそ……!」
「冗談きついぜ……」
「予想以上じゃ……まさかここまでとは……」
ハル、ムジカ、レット。レイヴの騎士たちの中でも最強の三人が苦渋の表情を浮かべながらも何とかドリューと向きあうもののそこには既に戦いが始まる前の姿は見られない。その証拠に体は皆傷だらけ。剣によって斬られた傷が体中に刻まれている。出血と痛みによって三人は立っているのがやっとのような満身創痍。それに対してドリューは全くの無傷。息一つ切らしていない。まるでハル達を相手にすることなど造作もないのだと告げるかのように。
「もう理解しただろう。クズがどんなに集まっても所詮はクズ。大いなる闇の力の前には通用しない。その傷ではもう私が相手をするまでもない。残念だが朝日を迎えることはできそうもないな」
ドリューは自らの手にある黒い剣をハル達へと見せつける。その刀身は既にハル達の血によって赤く染まっている。
『宵の剣』
闇魔法がかかった剣でありこれによって斬られた傷は決して癒えることはない。さらにその傷は夜が深くなるほどに悪化し相手を死に追いやる。既にハル達は宵の剣によって大きなダメージを受けている。徐々にそれは悪化し、傷は深くなっていくだけ。このままでは深夜を迎えるだけでハル達は命を落としてしまう。それはハル達だけでなくレイナも同様。既に深いダメージを負い、まともに戦うことができるであろう時間がわずかであることをレイナは感じ取っていた。だがそれでもレイナの表情にはあきらめはない。あるのはただ怒りと焦りのみ。
「ごちゃごちゃうるさいわ! その前にあんたを倒せばいいだけよ!!」
叫びと共にレイナは自らの持つ六星DB『ホワイトキス』の力を解放し、ドリューの周囲に無数の銀の塊が生まれて行く。回避することも防御することもできない絶対包囲。そこから放たれる銀の槍の雨こそがレイナの本気。一切の容赦ない全力の槍の雨がドリューに向かって降り注ぐ。体をハチの巣にして余りある銀術の嵐。だがそれを
「無駄なことを……その程度の攻撃では私には傷一つ負わすことはできん。少しは学習したらどうかね」
ドリューはその場から一歩も動くことなく全てを弾いてしまう。まるでドリューの周囲に見えない力が働いたかのように銀の槍は力を失い地面へと落ちて行くだけ。レイナはその光景に舌打ちしながらも止むことのない槍の雨を降らせ続けるもそれはドリューに届くことはない。その光景にレイナはもちろんハル達も戦慄するしかない。
『斥力』
物体同士が離れようとする引力とは対極に位置する力。ドリューが持つシンクレア『ヴァンパイア』の引力支配の能力。それによってハル達は戦闘が始まってから未だに一度もドリューにダメージを負わすことができていない。それどころか触れることすらできない。剣も、拳も、銀も。その全てがドリューの持つ闇の頂きの前では無力。
「まだだ……! いくらシンクレアでも力には限界がある!」
「その通りじゃ……何度でも立ち向かって見せよう!」
「銀術師をなめるんじゃねえ!」
力の差を見せつけられながらもハル達は再び己が全力を以てドリューを倒さんと駆ける。既に余力は残されていない。あらゆる攻撃は斥力の前に通じず、宵の剣によって受けた傷は時間が経つごとに悪化している。まともに戦える時間の限界は刻一刻と迫っている。こうしている間にもドリューに操られている鬼神達によってシルバーレイが使われんとしている。ハル達はあきらめることなく己の最高の攻撃を繰り出す。
「二重の大爆破――――!!」
「天竜虎博――――!!」
「銀槍グングニル――――!!」
「白銀の帝――――!!」
その全てがドリューを同時に襲う。逃げ場のない全方位からの同時攻撃。レイナはもちろんハル達の渾身の攻撃はまさに六祈将軍もかくやという威力。それが四つ。だがそれは
「――――無駄だ」
ドリューの無慈悲な宣言と共に全て無力と化す。その手をかざした瞬間、まるで見えない力が爆発したかのようにハル達に襲いかかり、攻撃の全てが弾かれてしまう。その凄まじい力場によってドリューの足場はクレーターのように崩壊し、衝撃波によってハル達は為すすべなく木の葉のように吹き飛ばされていく。ハル達は絶望するしかない。先程までドリューはシンクレアの全力を見せていなかったのだと。つまり手加減していた斥力すら自分達は突破できていなかったのだと。
「みんな!」
「そ、そんな……あのハルさん達が手も足も出ないなんて……」
「プーン……」
「ハ、ハル……し、しっかりするポヨ! まだ負けたわけじゃないポヨ!」
ハル達が為すすべなく翻弄される様を見ながらもエリー達には打つ手がない。もしこの場でハル達の援護に向かっても足を引っ張ってしまうのは火を見るよりも明らか。そうなればハル達にはさらに勝機がなくなってしまう。エリー達は己の無力さをただ呪うことしかできない。
「ハアッ……! ハアッ……! ガハッ!」
「っ! ハル、それ以上は動いてはならぬ! 本当に死んでしまうぞ!」
だがついに異変が起き始める。それはハルの容体。斥力によって吹き飛ばされたダメージ自体は大したものではない。問題は宵の剣による傷。ムジカ達も同様の傷を負っているもののハルの傷の深さはその比ではない。それは属性の問題。ハルはレイヴマスターの名に相応しい光属性。そしてドリューは闇属性。両者は対極に位置する属性であり、同時に互いに天敵となりうるもの。闇魔法がかかった宵の剣のダメージはハルにとっては深刻な致命傷となってしまう。
「どうやら終わりの時が近づいてきたようだな……愚かな。先の塗りつぶす悪夢で砕け散っていれば余計な苦しみを味あわず済んだものを……そうは思わないか、下等生物」
「お、お前なんて怖くないポヨ! 僕がお前を止めて見せるポヨ!」
「フ……どうやらその魔法剣を手に入れたことですっかりその気になっているようだが早く魔法を使ってきてはどうだ。まさか闇変身と魔法反射しか使えないのか?」
「ポ、ポヨ……」
ドリューの挑発にルビーは歯を食いしばるもそれ以上反論することはできない。何故ならドリューの言うようにルビーはその二つしか新たな魔法を習得できていなかった。きっかけはその手のある鐘型の魔法剣ベル・ホーリー。かつて蒼天四戦士の一人、ダルメシアンが使っていた物の一つ。リリスによって攫われ、財産をだまし取られあとは用済みと始末されかけた時、ルビーはベル・ホーリーの力によって窮地を脱した。それはエールダウンと呼ばれる移動魔法。それによってルビーはサザンベルクの深海に結界を敷きレイヴを守っていたダルメシアンによって魔法を授けられた。敵が闇魔法の使い手であることが大きな理由。それに対抗する術を身に着けたルビーが駆けつけたことでハル達は九死に一生を得た。だがルビーは攻撃魔法を習得しているわけではない。できるのは相手の魔法を利用し跳ね返す魔法反射だけ。それもドリューには通じず相殺された。ルビーにはもうドリューに対抗する術は残されていない。
「六祈将軍、お前はどうだ。最初の勢いはどこに行った。私を倒してシルバーレイを止めるのではなかったのか?」
「く……!!」
ゆっくりと視線を向けながらドリューがレイナに向かって挑発する。自分を倒すと言っていたにもかかわらず何もできないレイナを嘲笑うかのような態度。だがそれを前にしてもレイナは言い返すことができない。度重なるDBと銀術の行使によって余力はほとんど残っていない。その全てが通じず体は宵の剣の傷によって蝕まれ満身創痍。
(まさかここまで力の差があるなんて……下手したらキングよりも……!)
レイナは痛みと悔しさによって貌を歪ませながらも悟っていた。自分とドリューの間にある絶対の壁を。成り行きとはいえレイヴの騎士たちとの共闘。その力もシンフォニアで会った時より増しており六祈将軍に近い。だがそれを合わせてもドリューに傷一つ負わすことができない。まるでかつてのルシアとの戦い。それを彷彿とさせるほどの圧倒的な力。もしかすれば先代キングよりも上なのではと感じてしまうほどの実力。何とか打開策がないか模索するも時間はもう長くは残されていない。残された手ははルシアに救援を求めること。だがルシアの方からワープロードでこの場に瞬間移動することはできない。それを期待するのはあまりにも絶望的。それを振り切ってこの場にやってきた以上このままおめおめと引き下がるわけにはいかない。シルバーレイを止めることをあきらめるわけにはいかない。だが残酷な現実の前にレイナは唇を噛むだけ。
「どうやら戦意を失ってしまったようだな……いいだろう。ここは一つ私が余興を見せてやろう」
戦意を失いつつあるハル達に業を煮やしたようにドリューはハル達から視線を外し、離れた場所から戦況を見守っている者たちへと向ける。その手がゆっくりとかざされる。そこにはGトンファーを構えているエリーの姿があった。だが
「きゃあ!?」
エリーは為すすべなくそのまま見えない力に引き寄せられるかのようにドリューの元へと引き込まれる。それはヴァンパイアの引力。それによってエリーは一瞬でドリューの手によって掴まれてしまう。何とかそれから逃れようとするもドリューの力の前に抗う術はない。同時にその手がエリーの首へと伸び、締め付ける。
「うあっ……くうっ……!」
その万力のような締め付けによってエリーは息ができずに嗚咽を漏らすことしかできない。必死に両手で手を離さんと、両足でドリューを蹴り続けるもドリューにとってそれは何の意味もない行為。次第にその手の力が増し、逆にエリーの体から力が抜けて行く。
「っ!? エリー!!」
「くっ……近づけん!!」
「ちくしょう……!! 何で体がこれ以上動かねえんだ!?」
仲間であるエリーの危機にハル達は弾けるように動きだす。もはや自分たちの負傷のことなど頭にはない。その全てを振り切りながらハル達はドリューからエリーを助け出さんと向かって行く。だがハル達はある一定以上の距離からヴァンパイアの斥力によって先に進むことができない。自分の体が砕けても構わない程の力を以て向かって行くも見えない壁があるかのようにハル達はエリーに近づけない。ただできるのは次第に息ができなくなり、苦しみ悶えているエリーを見ていることだけ。
「一人ぐらい犠牲があった方が貴様らも燃えるだろう?」
それこそがドリューの目的。あえてハル達の目の前で女であるエリーを殺すこと。その様を見せつけることでハル達の怒りを引きだしてやろうとする行動。自らが戦う以上こんな呆気ない結果では満足できない。誰一人楽には殺さず苦しませ、絶望させる。そのための最初の生贄としてドリューはそのままエリーの息の根が止まるまでゆっくりと手に力を込めて行く。ムジカとレットは残された力でそれを救わんとするも届かない。今の二人の力ではドリューには、シンクレアには届かない。だが
「エリ――――!!」
その可能性を持つ唯一の存在。DBに対抗できるレイヴを操る力を持つハルはそのまま自らの持つTCMに力を込めながら叫ぶ。その瞳には今にも命が尽きんとしているエリーの姿がある。その光景にハルは凄まじい怒りとそれによる力によって剣を振るう。だがどんな攻撃も斥力には通用しなかった。しかしハルにはまだ残された手段があった。ハルが持つ知識のレイヴがそれをハルに伝える。
『封印の剣』
いかなる魔法も切り裂く魔法剣。だがそれは魔法だけではない。普通の剣では斬れない物を斬ることがこの剣の能力。それは見えない力、斥力であっても例外ではない。
「何っ!?」
瞬間、戦いが始まってから初めてドリューが驚愕の声を上げる。自らの絶対と言ってもいい防御を突破されてしまったのだから。ただ突破されるだけならまだ分かる。事実オウガの全力の金術の前には突破されてしまったことがあるのだから。だが今、ハルによって斥力は消滅させられてしまった。それこそがTCMの、レイヴの力。
「ああああああ!!」
ハルは最後のチャンスを逃すまいと残った全ての力を以てドリューに向かって斬りかかる。瞬間、ドリューはまるで弾けるようにエリーから手を離し両手で宵の剣を構える。それは剣士としての直感。このままエリーを捕まえたままでは、片手では今のハルを相手にできないという感覚。それは正しい。だがドリューは見誤ってしまっていた。ハルの底力を。その逆鱗であるエリーに手を出してしまった意味を。
秒にも満たない刹那。ハルとドリュー。二人の剣士が剣をぶつけ合い、瞬間衝撃によって大地を、クリーチャーを揺るがす。それはまるでキングとゲイルのぶつかり合いの再現。同時に宵の剣の傷口から出血が宙に舞うもハルには既に痛みの感覚はなかった。ハルはこの感覚を知っていた。シンフォニアでのルシアとの戦い。その中で掴んだもの。その脳裏に焼きついた剣技。ついにそれが実を結ぶ。あるのはただ一つの感情だけ。
『エリーを守る』
ただそれだけ。好きな女の子を守ることが今のハルの全て。その想いに応えるようにハルの持つ三つのレイヴが凄まじい輝きを放つ。限界以上の力がハルに漲って行く。かつてのジンの塔での戦い、それを超える力が今、目覚めた。
「――――」
ドリューは声を上げることすらできない。ただあり得ない光景に目を奪われているだけ。それは自ら手にしている宵の剣。いや、宵の剣であったもの。既にその刀身が砕け散ってしまっている。他でもないハルの剣によって。剣士としてあり得ない事態。かつてキングと戦った時ですら起こり得なかった剣で後れを取るという失態。シンクレアを使うことも、魔法を放つこともできない完全な隙が生まれる。ようやくドリューは気づく。ハルの持つ剣はそれまで見たことのない形態へと姿を変えていることに。闇に支配されたこの世界であり得ないような輝きを放つ一本の剣。宵の剣とは対極に位置する存在。闇属性が光属性の天敵であるように、光属性もまた闇属性にとっては天敵となり得る。それは
「太陽の剣ミリオンサンズ――――!!」
TCM第八の剣。闇を打ち砕く力を持つ光属性の剣。まさにドリューにとっての天敵、切り札となり得る希望。
その一刀がドリューを貫く。その光景にその場にいる者全てが目を奪われる。まばゆい光が闇を切り裂いたかのようにドリューはその場から動くことができない。闇魔法を極めたドリューはその代償に極端に光に弱くなってしまっている。それは日の光でさえ苦痛に感じるレベル。太陽の名を冠する剣による一閃。
「っ! エ、エリー大丈夫か……!?」
ハルはそのまま剣を振り抜きながらすぐさまエリーの元へと向かわんとする。ドリューを倒したことももはや頭にはなかった。仲間たちもまた目の前の光景に安堵し、歓声を上げんとした時
「……なるほど、どうやら私はお前の力を見誤っていたようだ」
それは絶望の悲鳴へと変わってしまった。
「……ハル?」
エリーはどこか心ここに非ずといった風に呟くしかない。だがその頬には何か温かい物が触れている。それは鮮血。目の前にいるハルから飛び散ってきた物。エリーはようやく悟る。それがドリューによって体を貫かれたハルの血であることを。
「いやああああああ!!」
エリーの絶叫と共に体から黒い剣が抜き取られハルはそのままその場に倒れ伏す。その剣は宵の剣ではないもう一つのドリューの剣である漆黒丸。その能力は宵の剣すら超える物。既にハルに意識はない。エリーは泣き叫びながらハルに縋りつくもハルは目を覚ますことはない。その体には穴が空き、夥しい出血がエリーの手を朱に染めて行く。急所は外れており、一命は取り留めているもののいつ死んでもおかしくない程の重傷。すぐさまプルーが止血を行うもそれは傷をそのものを治すものではない。そんなハルとエリーを庇うかのようにレットが前に出るもその表情は困惑の極み。何故なら先程のハルの攻撃は間違いなくドリューを切り裂いた。光の剣であるならドリューを倒すことは不可能ではなかったはず。にも関わらずドリューは傷一つ負っていない。それは
「分からない、といった顔だな。見るがいい、これが私が持つもう一つのシンクレア『ラストフィジックス』の力。私にはどんな物理攻撃も通用せん。だが褒めてやろう。私にこれを使わせたのだからな」
ドリューが手にしているもう一つのシンクレア『ラストフィジックス』の力。『物理無効』という最強の一角。例え斥力を突破することができてもドリューには物理攻撃は届かない。切り札足りうる太陽の剣も剣である以上通用しない。いやそれだけではない。それは事実上ハル達攻撃が全て通用しないことを意味していた。
「そ、そんな……そんなDB倒せる訳ないじゃないですか!?」
「む、無理ポヨ……もう打つ手がないポヨ……」
その場にいる者全ての心をグリフとルビーが代弁する。もはや万策尽きた。斥力を突破できたとしてもドリューに攻撃は通用しない。唯一それを倒せる可能性があったハルが敗れた。希望を失ったに等しい絶望がレット達を包み込む。だがそれでもレット達はあきらめるわけにはいかなかった。
「ルビー……ワシが時間を稼ぐ。その間にハル達と共に蒼天四戦士の元に逃げるのじゃ。もはやそれしか手は残っておらぬ」
レットは決死の覚悟を見せながらルビーへと後を託す。既にドリューを倒す可能性は潰えた。だがそれはこの場での話。ハルがさらなる力をつければまだ可能性がある。そのためにできるのはこの場からハル達を逃がすこと。そのためにレットは自ら命を捨てる覚悟を決める。傷つき破れてしまった上着を破り捨てながらレットは単身ドリューと向かい合う。
「ほう……まだあきらめていないとはな。たった一人で私を相手にできるとでも?」
「そ、そうポヨ! 無理ポヨ! それここではエールダウンは使えないポヨ! ドリューの魔力のせいで逃げられないポヨ!」
泣きながらルビーは己の無力さを嘆くしかない。今この場にはドリューの結界が張られている。何人もこの場から逃がすことはない。魔王からは逃げられないと告げるかのように。
「百も承知じゃ……魔法が使えぬならその足で走れ。主ならできる」
レットとてそれは承知の上。できるのなら既に撤退している。できるのはただハル達がこの場から離れる時間を稼ぐだけ。もしドリューの力が斥力だけであったとしたならまだレットには勝機があった。
『神竜一声』
その身をささげることで竜の神、天下無双の力を手にする竜人の奥義。命を犠牲にする最後の技。それを使えば例えドリューを倒すことができなくとも手傷を負わせることはできる。だがその可能性は消え去った。物理無効というシンクレアの力によって。いかに神竜一声の力を得た戦士であってもその攻撃は全て物理。ドリューの前には通用しない。ならばそれを使わずにできる限り時間を稼ぎ、最後の最後でそれを使い体が朽ちるまでドリューの足止めをする。
「……参る!」
レットはその拳を以てドリューへと立ち向かっていく。それが決して敵わぬ戦いであると知りながらも。
「…………」
レイナはただ呆然と目の前の光景を見ていることしかできない。既に体には力が入らない。戦意は完全に失われ、あるのは凄まじい虚脱感と恐怖だけ。ドリューの持つ二つのシンクレアの圧倒的な力。その前ではレイナの力は通用しない。万が一にも勝機はない。この場から撤退することも、シルバーレイを止めることも叶わない。共に来たランジュ達も助からない。全ての希望は消え去った。レイナはただ自分の浅はかさに絶望する。最初からルシアと共に来ていればこんなことにはならなかった。自分のちっぽけな自尊心のために全てを台無しにしてしまった。自分の一人の命ならまだいい。自業自得で済む。だがこの場には自分以外にも自分を慕ってきてくれた仲間がいる。それだけがレイナの後悔。まだ戦い続けているレイヴの騎士たちの姿にただ目を奪われる。
何故まだ戦うのか。勝てるはずなどないのに。天と地ほどに離れた実力差がドリューと自分達にはある。それが分かっていないはずはない。レイヴマスターが倒されたことでいつ心が折れてもおかしくないはず。それなのに何故――――
「レイナ――――!!」
「っ!?」
瞬間、自らを呼ぶ声によってレイナは咄嗟に我に帰るも目の前には既に剣を構えたドリューの姿。戦意を喪失しているとはいえレイナは六祈将軍。残る敵の中では最も危険度が高いと判断したドリューはそのまま漆黒丸を振るいレイナを切り裂かんとする。だがそれを間一髪のところでムジカは銀の槍によって受け止める。だがそれを捌き切ることができず胸を切り裂かれ、斥力によってムジカはレイナもろとも遥か彼方に吹き飛ばされる。
「がっ……あ……!」
「……っ! あんた何を考えてるの!? 私は敵なのよ、何でわざわざ助けるような真似を……」
既に満身創痍に関わらずレイナを庇ったことでムジカは立つのがやっとのあり様。レイナはそんな理解できないムジカの行動に呆気にとられるしかない。自分はDCであり相手はレイヴ側の存在。わざわざそれを助ける意味など無い。だが
「何言ってんだ……今のオレ達の敵はドリューだろ。違うのか?」
さも当然だとばかりにムジカは告げる。まるでこの場にいる以上レイナも仲間だと信じ切っているかのように。
「……正気なの? そもそもまだドリューに勝てる気でいるわけ? あなたも見たでしょうあいつの力を……私達ではどうやっても……」
「いや……一つだけあるぜ、あいつを倒す手段がな」
その場から立ち上がることができず、ただ座り込んだままあきらめているレイナに向かってムジカは示す。残された最後の可能性を。ドリューを倒し得る技を。それは
「絆の銀だ。あれなら斥力も物理無効も関係ねえ……必ずドリューを倒せる」
二人の信じあう銀術師が揃うことで可能な銀術の究極技。それがドリューを倒せる可能性がある唯一の方法。
「何を言っているの!? あれは信じ合う銀術師でなければできない技よ! 私とあなたでできるわけがないわ!」
「かもな……でも目的は同じだろ? シルバーレイを止めるためには、仲間を救うためにはこれしかねえ……このままじゃどの道全滅だ……それにこのままやられっぱなしじゃ我慢できねえだろ?」
ムジカはどこかからかうような笑みを見せながらレイナに向かって手を伸ばす。だがレイナはただその手を見つめているだけ。今のレイナには既に恐怖はなかった。まるでここが戦場であることを忘れてしまうほどにレイナはただその言葉によって貌を上げる。やられっぱなしでは我慢できない。
「……どうしてそう思うわけ?」
およそ今まで言われたことのないような言葉。その問いに
「何言ってやがる。あんたみたいな気が強い女、他にいるかよ」
ムジカは間髪いれずに応える。女性に対する物とは思えないような失礼な物言い。だがその差し出した手は血にまみれ震えている。それは戦いによる恐怖。レイナは悟る。ムジカもまた怖いのだと。当たり前だ。あれほどの力を、強さを持つ相手に戦いを挑んでいるのだから。だがそれを上回る覚悟と勇気で戦っている。自分よりも年下の少年が。同じ銀術師として負けるわけにはいかない。そんな対抗心が絶望に染まっていたレイナの心に火をつける。
「……いいわ。乗ってあげる。その代わり、ドリューを倒したら覚悟しておくのね」
男なら誰であっても見惚れてしまう笑みを見せながらレイナはムジカの手を握り、立ち上がる。今ここに二人の信じあう銀術師が揃う。瞬間、見えない力が辺りを支配した。
「っ! ムジカ……!?」
「何ポヨ!? 一体今度は何が起きたポヨ!?」
単身で何とかドリューを抑えんとしたものの敵わず斥力によって吹き飛ばされてしまっていたレットはふらつきたちあがりながらもその光景に目を奪われる。レットだけを残すわけにはいかないとベル・ホーリーを持ってドリューに立ち向かおうとしたルビーもまた動きを止めてしまう。そこにはムジカとレイナがその手を繋ぎながらドリューに向かって行く姿がある。そしてその繋がれた手には互いの銀の象徴がある。ドクロと蛇。二つの銀が混じり合いながら光と共に見えない力を生み出していく。ドリューもまたその光景と光によって動きを止めてしまう。そうなってしまうほどの、何人にも犯してはいけない神秘がそこにはある。
ムジカとレイナはその手をかざす。握り合った手を離すことなく。今ここに銀の光が解き放たれる。
物理攻撃ではない。信じる心を持った二つの銀が合わさる時、どの魔法にも属さない無属性魔法にも似た衝撃を生む。
それこそが銀術の究極技 『絆の銀』
信じる心を持った銀術師と信じる心を取り戻した銀術師。その奇跡の力が全てを飲みこんだ――――
後には何も残らなかった。あるのは巨大な要塞が墜落してしまうのではないかと思えるような穴だけ。そこから夜の空と海が見え、新たな風が吹き込んでくる。それが絆の銀の真の威力。シルバーレイと同じ力を持つものだった。
「こ……こんなにすげー威力だとは思わなかったぜ……」
「そうね……失敗すれば私達の方が消え去ってたでしょうね……」
ムジカは自らが放った絆の銀の威力に唖然とするしかない。実際に使うのは師に教えてもらって以来。しかも修行では手順だけであり使ったことはなかったためこれだけの威力があるとはムジカは想像していなかった。それはレイナも同様。
「ド、ドリューはどうなったの……?」
「ま、まさか、本当にやっつけたポヨか……?」
「……どうやらそのようじゃの」
エリー達はまるで信じられないかのように呆然としながらもようやく悟る。先の攻撃によってドリューが文字通り消滅したのだと。実感が湧かない程に絆の銀の衝撃は凄まじかった。だが絶望的な戦いが終わったことでやっと皆の顔に笑みがこぼれる。ルビーやグリフはあまりの嬉しさに泣き出し始める。
「ったく……ほんとにヤバかったぜ。何度死ぬかと思ったか……」
大きな溜息を吐きながらもムジカは安堵する。これでようやく長かった戦いが終わったのだと。シルバーレイを止めるという役目も果たすことができた。だが喜ぶのはまだ早い。自分たちの傷もだが何よりもハルの傷は一刻を争う。ならすぐに動かなくては。同時にムジカはレイナとまだ手をつないだままだったことを思い出し悩むしかない。このまますぐ離すべきか、冗談だとは思うがまさかドリューを倒した後は本当に自分を倒すつもりなのでは。そんなことを考えながらもムジカはようやく気づく。
レイナの手が震えていることを。
その意味を悟るよりも早く
「少々驚かされたぞ……まさかこの姿を晒すことになるとはな……」
悪夢は再びムジカ達の前に姿を現す。夜の闇と一体になったかのように影を纏いながら。その姿は先程までとは全く違う。爪は伸び、体は禍々しく変形し、尾のような物まで生えている。男爵のような雰囲気は既に欠片も残っていない。あるのはただ恐怖の具現のような恐ろしい異形のみ。それが夜の闇を吸収したドリュー。『魔王』の称号を持つ者の真の姿だった――――
「ば、馬鹿な……確かに絆の銀は直撃したはず……」
「絆の銀……? 先程の攻撃のことか。確かに凄まじい威力だったが今の私には通用せん。一度同じ技を見たことがあったものでね……」
ドリューはまるで感情を感じさえない声で告げる。ドリューは既に同じ攻撃を見たことがあった。それはオウガとの戦い。その金術の究極技。確かにその威力は凄まじかったが魔王の力を発揮したドリューであれば対抗することはできる。物理攻撃ではないもののそれは逆に魔法に近い攻撃。なら魔導士でもあるドリューには防ぐことも可能。闇魔法を極めしドリューだからこそできること。これは分かり切っていたこと。銀術を超える金術を扱うオウガですらドリューに敵わなかった。これ以上にないほど明確な、そして逃れようのない絶望。
「『魔王』の前では生命など無に等しい。力なき者よ……ひれ伏すがいい」
魔王は告げる。全ての終わりを。魔界を統べるに相応しい称号を持つ王者。その前ではいかなる力も通用しない。その意味を誰よりも知っているレットは膝をつき、己の敗北を悟る。ムジカとレイナもまた立ち尽くしたまま微動だにできない。できるのはただ手を繋いでいることだけ。エリーは涙しながらハルを抱きしめ、ルビーたちもその周りでへたり込む。
ここに勝敗は決した。レイヴの騎士たちの敗北。後は光が闇に飲み込まれるだけ。弱肉強食。人間であれ亜人であれその理から逃れることはできない。そう、例えそれが魔王であったとしても――――
サザンベルク大陸の沿岸部。人の気配が全くない静寂の世界に突如として人影が現れる。まるで突然その場に現れたかのように。だがそれは間違いではない。その人物は瞬間移動によってこの場に飛んで来たのだから
「ハアッ……ハアッ……! 何とか着いたか……」
肩で息をしながらもルシアはようやくサザンベルク大陸に辿り着いたことで安堵の声を漏らす。だがすぐさま頭を振り、意識を切り替える。のんびりしている時間は一秒たりともないのだから。
『ふ、ふん……何だその有様は……全く……これでは先が思いやられる、ぞ……』
「……悪いが今のお前に言われてもこれぽっちも説得力がねえぞ。大人しくしてろ」
『アキ様の言う通りです。今のあなたには力が残っていないのですから黙っていなさい。無駄に疲れるだけですよ』
『う、うるさい……くそ、お主だけ回復しおって……この卑怯者め……』
『ひ、人聞きがわるいこと言うんじゃねえ!? 仕方ねえだろうが! DBを回復させる手段なんて持ってねえんだからよ!』
息も絶え絶え、今にも気を失ってしまうそうな声でマザーはルシアに食ってかかって行くも既に虫の息。それは先の大破壊の代償。五十年前の再来とも言える力を行使したことでマザーにはもう力が全く残っていない。それはルシアも同じはずなのだがそのルシアは疲労した様子を見せていない。
『エリクシル』
世界最高の医者であるアリスが作り出したどんな怪我も治すという霊薬。それを飲むことでルシアは自らの体力を回復させていた。アナスタシスとは違い体力も回復できるのがその利点。ルシアは潜伏生活をしている間に何本かのエリクシルを確保していた。無論原作で登場したエリクシル改ほどの効果はないが戦闘可能な域まで回復することができた。だがそれでもDBを回復させることはできない。つまりマザーの力をドリューとの戦いでは使用できないことを意味する。
(確かにマザーを使えないのは痛いが回復するのを待ってる余裕はねえ……シンクレアの極みにだけ注意しながら一瞬でケリをつけるしかないか……)
ルシアにはマザーの回復を待っている時間はない。その間にレイナ達が全滅してしまえば全てがお終いになってしまうのだから。ヴァンパイアの極みは厄介だが地力であればルシアはドリューを大きく超えている。ネオ・デカログスだけでなくアナスタシスもある。ルシアは己を鼓舞しながらすぐさまDBマスターとしての感覚でドリューの位置を探る。ルシアがいる場所からドラゴンであれば十分ほどかかる場所。だが同時にルシアは戦慄する。それは
(っ!? や、やべえ……ホワイトキスが完全に戦意を喪失してやがる!? まだやられてはねえみたいだが時間の問題だ……!)
レイナが持つホワイトキスの気配。それはまさに絶望に染まっている、すぐそこに敗北があるかのような状況。加えてドリューが持つ二つのシンクレアもすぐ傍にあり交戦中なのは明らか。だが今から向かったのでは到底間に合わない距離。ルシアは汗を吹き出しながらもすぐさまドラゴンで向かわんとする。だが心の中では既に最悪の結末を覚悟していた。シルバーレイとオウガという原作でのレイナの死亡フラグは消し去ったもののやはり死の運命は変えられない。違う形でレイナは死んでしまう。助けることはできない。だがそんなルシアの思考は
『……マザーではありませんが、本当にアキ様は面倒事に巻き込まれる才能がおありなのかもしれませんね』
「…………え?」
アナスタシスのらしからぬ呟きによって止められてしまう。ルシアは一体アナスタシスが何を言っているのか分からず呆気にとられるしかない。アナスタシスが自分と同じようにDBの気配を感じ取っていることに気づいたルシアは改めて状況を確認せんとする。だがその瞬間、ルシアの時間は完璧に止まってしまった。
知らず息を飲み、体は震えている。それは恐怖。忘れることができないトラウマ。それがルシアの動きを完璧に支配する。
ルシアは感じ取る。それはシンクレアの気配。今、クリーチャーにはドリューが持つ二つのシンクレアが存在する。ヴァンパイアとラストフィジックス。それは間違いない。それをルシアは感じ取っている。にもかかわらずあり得ない感覚がルシアを戦慄させる。
それは三つの目のシンクレア。ルシアが知らない三つの目のシンクレアがドリューとホワイトキスのすぐ傍にある。だがルシアはマザーとアナスタシスの二つをこの手にしている。それはつまり
最後のシンクレア『バルドル』が今、あの場に存在しているということ。
そしてついにルシアは理解する。直接それを目にすることによって。それは海岸。夜の闇に支配された広大な海。ようやくルシアは気づく。あるはずの音が全くなかったことに。それは波音。潮の満ち引きによる海岸であれば必ず聞こえるはずの物が今、完全に消え去っている。雲に隠れていた月明かりがそれを照らし出す。そこには
辺り一面が氷と化している、白銀の世界があった―――――
「―――――――」
それは足音だった。まるで氷の上を歩いているかのような足音と共にあり得ない第四の勢力がドリュー達の前に姿を現す。ドリュー達はただその光景に縛りつけられる。まるでその場の空気が凍りついてしまったかのように。だがそれは決して間違いではない。まるで氷河期が訪れたかのように辺りの熱は奪われ、全てが凍りついて行く。
その中心に一人の女性がいた。雪のように白い肌と見る者を虜にするような美しさ。だが同時に人形のような生気を感じさせない矛盾を内包した美女。だが彼女にはある二つ名があった。
「楽しそうね……私も混ぜてもらっていいかしら……?」
魔界を統治する四人の魔王。四天魔王の一人。
『絶望のジェロ』
今、逃れようのない絶望が人間界に降臨した――――