南の地、サザンベルク大陸。日が沈み夜の闇が全てを支配する空に一隻の船があった。だがそれはとても船とは思えないような巨大な要塞。『クリーチャー』それがその巨大要塞の名。夜の支配者であるパンプキン・ドリュー率いるドリュー幽撃団の本拠地だった。そしてその中に一つの人影がある。黒の短髪に額にピアス。首に銀でできたドクロを身に着けている青年。
「すまねえ、みんな……オレの我儘に付き合わせちまって……」
銀術師ムジカ。彼はどこか申し訳ない表情を浮かべながら自らの後ろから一緒に付いてきてくれる仲間達に向かって礼を述べる。だが
「何言ってんだよムジカ、オレ達仲間じゃねえか。勝手に出て行くなんて水臭いぞ」
「そーだよ。あたしたちだってムジカにはいっぱい助けてもらってるんだから。そんなの気にすることないよ」
『プーン!』
そんなムジカの心配など無用だといわんばかりに満面の笑みを浮かべながらハルとエリーはムジカの後に続く。二人だけではなくレット、グリフ、プルーも同じ。今この場にはレイヴの騎士達が集っている。その目的は皆同じ。この要塞の主であるドリューを倒し、シルバーレイを止めること。
だがムジカはそれを一人で成し遂げる気だった。ハル達はシンフォニアを出発し、いくつかの中継地点を経ながらも四つ目のレイヴがあるここサザンベルク大陸へと向かっていた。だがそこに到着しようとした矢先に予想もしなかった事態が起こる。帝国の崩壊とドリューの声明。そこで明かされたシルバーレイの存在。それを知ったムジカはいてもたってもいられず行動を起こす。単身ドリューの元へ乗り込みシルバーレイを破壊するという無謀とも言える行動を。シルバーレイを破壊することはムジカにとっては師であるリゼから託された遺言であり使命。それがついに見つかった以上ムジカはそのまま黙っていることなどできない。だが相手はあのドリュー。自分の勝手な行動にハル達を巻き込むわけにはいかないと黙って出撃したもののそれを見越していたかのようにハル達はここへと救援に現れた。仲間であるムジカのことを誰よりも理解しているハル達だからこそできる行動だった。
「気持ちはありがてえが……相手はあのドリューだぜ。レット、お前もいいのか。確か前もドリューには手を出すなって言ってただろ」
「……確かにドリューはかつてのキングに匹敵するといわれておる。だが戦を避けられん以上仕方あるまい。ワシらの力も増しておる。多勢に無勢、ワシの理念には反するがワシら全員で戦えば勝機はあろう」
「そ、そうですよ! いくら強いと言ってもハルさん達も強くなってるわけですし……」
「そうか……悪いな、みんな……」
ムジカはレット達の言葉に感謝しながらも気持ちを新たにする。最悪自分が死ぬことになってもシルバーレイの破壊だけは成し遂げる気だったのだがハル達が力を貸してくれるならドリューを倒すことも不可能ではない。同時に焦り、周りが見えていなかった自分自身に活を入れる。言わばそれはハル達を裏切る行為だったのだから。だがもうムジカには迷いはない。仲間たちと共にドリューを倒し、シルバーレイを破壊するだけ。
「気にすんなって! それにルビーのこともある。早く助けに行かねえと……」
「うん! でもどうしてルビーだけをさらって行ったんだろ?」
「おそらくルビーの持つ財産を手に入れるためじゃろう。てっきりあきらめたものとばかり思っておったが……」
「だがそうなら少なくとも命の心配はないんじゃねえか? 手荒なことをすれば財産も奪えねえだろ」
「ウム……だが急ぐに越したことはない。ここはいわばドリューの手の内。何があるか分からぬ」
ハル達は状況を憂いながらも再び要塞の中心部、ドリューがいるであろう城に向かって動き出す。ハル達がここにやってきたのはムジカを追って来たこともあったがもう一つ、仲間であるルビーが攫われてしまったのを取り戻すためでもあった。風に変化する能力を持つ女であるリリスに奇襲によってルビーはドリューの元へと攫われてしまった。恐らくはルビーが父親から受け継いだ莫大な財産を奪うために。元々ハル達はルビーを匿ったことでドリューと敵対していたのだから。だが今はそれだけではない。シルバーレイという超兵器を使った虐殺。加えてシンクレアという悪の根源を持っているとされること。レイヴマスターとして戦うことは避けられない相手。
「でも思ったよりも敵の数が少なくないか? てっきりもっと大勢いると思ってたのに……」
「確かにそうだな。途中で何人かの幹部は倒したが大したことない奴らだったし……連合組んでるっていう鬼も一匹も見当たらねえ」
「い、いいじゃないですか! 敵が少ないに越したことはありませんよ!」
「グリフの言う通りだよ。いっぱい出てこられた方が困るし」
「その通りだが……やはり妙じゃ。仮にワシらを侮っているにしてもこれだけ警備が手薄だとは思えぬ」
レットはハル達の疑問を聞きながら改めて不可解な状況に首を捻るしかない。クリ―チャ―に乗りこんでからレット達は何度かの戦闘を行った。幹部と思われる狼男を操るマミーと呼ばれる博士。自らの手足を巨大化させるDBを持つ大男ビリー。そして一般兵と思われる集団。その全てを倒し、既に城は目の前。順調すぎるほどの状況。だがあまりにも自分たちに都合のいい展開にレットが気を引き締めている中
「ねえ、あそこがゴール?」
「ああ、きっとそうだ! 大きな城と門がある!」
ハルとエリーは目的地である城が目の前に迫ったことに気づき声を上げるも同時に辺りの景色が変わり始めていることに目を奪われる。それはまるで水晶のようなものが溢れている空間。暗闇に包まれている要塞の中にあって異彩を放つ物。だがそれすらも目の入らない程の想像できない光景がそこにはあった。
倒れ伏している無数の兵士達。その全てがドリュー幽撃団の構成員。そしてその中で一人息一つ切らすことなく髪をたなびかせている女性の姿。ムジカ達はその女性が何者であるかを知っていた。
「お前は……レイナ……?」
六祈将軍の一人、ムジカ同様銀術師でもある女性、レイナ。
「…………」
レイナはムジカに声をかけられ一度視線を向けるもそのまま振り返り城の中へと向かって行こうとする。まるでムジカなど、レイヴの騎士達など眼中にないかのように。その纏っている空気もかつてシンフォニアで戦った時とは比べ物にならない程研ぎ澄まされている。甘さが全くない冷酷な六祈将軍として貌。ムジカはもちろんハル達も予想だにしていなかった状況にどうしたものかと狼狽し身動きが取れない。そんな中レットだけは冷静に今の状況を分析していた。
(なるほど……六祈将軍、DCが侵入していたので敵の目がそちらにも行っていたということか……)
レイナの周囲に倒れ伏している兵士達。それはすなわちレイナがドリュー達を倒すためにここへ侵入してきていることを示すもの。自分達とは違うDCというもう一つの勢力が侵入していたことによって警備が割かれてしまっていたことがこうもあっさりと城までたどり着けた理由であったことにレットは気づく。だがそれは同時にもう一つの危険を孕むもの。それは
(やはり狙いはドリューが持つというシンクレアか……もしルシアも侵入してきているとすればワシらの手には負えん……)
DC最高司令官であるルシアがこの要塞に侵入している可能性があるということ。もしそうであればドリュー以上に危険な相手であり自分たちに勝ち目はない。もしそうでなくとも六祈将軍が複数きているだけでも自分たちにとっては厄介極まりない事態となり得る。最悪ドリューとDCを同時に相手しなければならない状況すらあり得るのだから。だがムジカだけは知っていた。レイナにはシンクレア以外のドリューと戦う理由があることを。
「レイナ……あんたもシルバーレイを狙ってここに来たのか?」
「…………悪いけどあんたと話をしている時間はないわ。邪魔をするなら殺すわよ」
シルバーレイという銀術の最終兵器。レイナにとっては父の最後の作品を奪い返すこと。そのためにレイナはここへやってきている。単独行動という裏切り者とされてもおかしくないリスクを負いながら。ランジュやソプラたち女戦士部隊はドリュー以外の構成員を殲滅するために別行動を行っている。その隙を狙いレイナは単独でここまでたどり着いていた。だがその表情には全く余裕がない。それは目標であるシルバーレイがどこにも見当たらないことにあった。最悪シルバーレイの攻撃の囮になる覚悟だったにもかかわらず攻撃は行われずそれどころかその姿すら影も形もない。その大きさから隠すことができるようなものではないにも関わらず発見できないことに疑問を感じながらもレイナはクリーチャーに潜入する作戦を取る。シルバーレイを持っているドリューからシルバーレイの在処を聞き出すために。その邪魔をするなら何者であれ容赦しない。レイナとムジカ達の間に緊張が走り、今にも戦闘が開始されんとした時
「ほう……どうやら今宵は千客万来らしい。だが他人の城の前で争うなどいささか礼儀に欠けるとは思わんかね?」
そんなどこか場違いな台詞と共に城の主が一歩一歩門から近寄ってくる。漆黒の衣装を身に纏った男爵のような姿。だがその圧倒的な王者の風格を隠し切ることはできない。ただその場にいるだけで空気が重くなるような感覚に全員が襲われる。その場の全ての者は悟る。目の前にいる男がまさに夜を支配するに相応しい力を持っていることを。
夜の支配者 『パンプキン・ドリュー』
かつてのキングに匹敵するといわれるもう一人の王が今、ハル達の前に現れた。
「……お前がドリューか」
「いかにも。私がこの要塞の主であるパンプキン・ドリューだ。初めましてといったころか、レイヴマスター……光の者よ」
「そんなことはどうだっていい! ルビーはどこだ!?」
「ルビー? ああ、あの下等生物のことか。残念ながらあれがどこに行ったのかは知らぬ。今頃どこかで野たれ死んでいるかもしれんな。まあ財産は全て手に入れた以上どうなっていようが構わぬがな」
「っ!? お前―――!!」
「落ち着けハル! 唯の挑発じゃ、闇雲に突っ込んでは返り討ちに会うだけじゃ!」
「そうだよハル、落ち着いて! 知らないってことはきっとルビーは上手く逃げ出したんだよ」
「くっ……わ、分かった。ごめん、みんな……」
激昂し、すぐさま斬りかからんとするハルをレットとエリーが寸でのところで押しとどめる。戦闘が既に避けられないことは分かり切っているがそれでも単身で突っ込んでは勝機は薄い。相手はかつてのキングと同格とされる男。怒りに支配され闇雲に戦って勝てるほど甘い相手ではない。頭に血が上りやすいハルであってもようやく落ち着きを取り戻し再びTCMを、レットは拳、エリーはG・トンファーを同じように構えながらドリューと対面する。
「なるほど……どうやら少しは楽しめそうだな。クッキーが抜けているとはいえ我が配下達を倒しただけはあるということか……」
ドリューは全く動じることなく冷酷な視線をもってハル達を射抜く。だが以前その腕を組んだまま。隙だらけにも見える体勢にもかかわらずハル達は微動だにできない。まだ戦ってもいないにも関わらず気圧されてしまったかのように。だがそんな中
「あんたがドリュー……確かに話に聞いた通り暗そうな奴ね」
ハル達の間に割って入るかのようにレイナがドリューの前に一歩出る。その視線だけで人が殺せるのではないかと思えるほどの怒りを秘めた瞳をみせながら。
「ほう……六祈将軍か。だが舐められたものだな。まさか六祈将軍如きがこの私に挑もうと?」
「そんなことはどうだっていいわ。聞きたいことは一つだけよ……シルバーレイはどこ?」
「シルバーレイだと……? シンクレアではなくあの兵器を気にしているのか? それがルシアの命令ということか」
「ルシアは関係ないわ! 質問しているのは私よ! さっさと答えなさい!」
ヒステリックとでもいえる凄まじい剣幕でレイナはドリューへと迫る。自らの目的であるシルバーレイが一体どこにあるのかという問い。それを奪い返すために命令違反をしてまでここまでレイナはやってきたのだから。今も配下であるランジュ達は時間を稼ぐためにドリューの兵と戦っているはず。なら一分一秒でも無駄にすることはできない。そんな想いと焦りがレイナを駆り立てていた。
「……なぜそこまでシルバーレイに執着しているかは知らんが残念だったな。シルバーレイはここにはない」
「っ!? ど、どういうことだ!? まさかシルバーレイを持ってるってのは嘘だったのか!?」
ドリューの予想だにしなかった答えに今まで黙っていたムジカが大声を上げる。当たり前だ。ハル達を危険に晒してまでここまできたにもかかわらずその目標の一つであるシルバーレイがないと言うのだから。
「言葉が足りなかったようだな。今、この場にはないということだ。今頃シルバーレイは鬼達によってエクスペリメントに到着している。新たな目標を消すためにな」
「―――っ!?」
だがドリューの言葉によってハル達は言葉を失う。何故ならその言葉通りならシルバーレイによってエクスペリメントが消滅させられてしまうことを意味しているのだから。ムジカは自分が大きなミスをしてしまったことを悟り、顔を歪ませるしかない。今からエクスペリメントに向かったとしてもとても間に合うような距離ではない。もはやシルバーレイが再び使われることを防ぐ手はない。だがそんなムジカ達よりもさらに衝撃を受けている人物がいた。
(エクスペリメントですって……!? まさか……!!)
それはレイナ。レイナは息を飲みながらただドリューが口にした目標を頭の中で反芻するもその答えは変わらない。『エクスペリメント』そこはDCの本部がある街。そこをシルバーレイで攻撃するという偶然で済ませることができない事態。
「どうやら気づいたようだな。お前が考えている通り、DCの本部があるエクスペリメントを最高司令官であるルシアもろとも消し去ることが私の目的だ」
「っ!? ど、どうして本部の場所を知っているの!? あの場所は限られた者しか知らないはず……」
レイナは焦りと動揺を隠すことすらできぬままただ疑問を口にすることしかできない。DC本部の場所は秘匿され、限られた者しか知らされていない。例え捕まって拷問されたとしても口を割るようなことはあり得ない。だが
「何、簡単なことだ。知る者を捕まえて本人にしゃべってもらっただけだ。殺した後、死者として蘇らせてな。そうなれば私に逆らうことなどできはせん」
「…………」
ドリューは何でもないことのように種明かしをする。知る者を捕え殺し、それをネクロマンシーとして蘇らせることで場所を聞き出したのだと。拷問する必要もないあまりにも合理的な、非人道的な手段。ハル達もドリューが死者を蘇らし、操ることができることよりもそのあまりの残酷さに言葉を失ってしまう。
(ちっ……! なんてこと……じゃあ私はまんまと一杯喰わされたってことじゃない!)
レイナは己の道化ぶりにただあきれ果てるしかない。シルバーレイが見つかったことで頭に血が上り、正確にその所在を確かめることなく単独行動をした結果がこのざま。シルバーレイを止めることもできず、あろうことは本部であるエクスペリメントを危険に晒してしまうという大失態。いくらルシアといえども大陸すら消し飛ばすシルバーレイに狙われれば命はない。再び何十万もの命がシルバーレイによって奪われることになる。
「……! あんた本当に分かってるの!? あれを使えばどうなるか……私から父を奪っただけではなく今度はその作品まで貶めようっていうの!?」
「レイナ……お前……」
「父……そうか、お前の父があの兵器を造ったということか。だがあれを奪ったのは私ではなくオウガだ。もっとも使ったのが私なのは事実だがね」
「くっ……!!」
まるで子供のように自らの心の内を晒すレイナに向かってあくまでも冷酷な表情を崩すことなく淡々とドリューは応えるだけ。シルバーレイを使うことも、数十万の命を奪うことも全く気にすることはない。ドリューにあるのはただ自らの絶対王権を作りあげることだけ。かつて光を、人間を信じ裏切られた復讐。闇の世界を作り上げるためならどれだけの犠牲があろうと構わない。否、犠牲だとすら思っていない。それこそが闇の使者たるシンクレア、ヴァンパイアに選ばれたドリューの資質。
「フム……まあいい、一つだけお前達にとって希望をくれてやろう。今、シルバーレイを動かしているのは鬼共。だがその鬼共は全て私のネクロマンシー、操り人形だ。つまり、私を倒せばシルバーレイを止めることもできるということだ」
少し考えるような仕草を見せながらもドリューはおよそ理解できないような事実を口にする。自分が鬼神を全て死者にして取りこんでいることを。そして自分を倒せばそれを止めることができることを。
「馬鹿な……鬼神を取りこんだじゃと……?」
「そ、それってヤバすぎなのでは……?」
レットとグリフはドリューが口にした事実にただ戦慄するしかない。もう一つのシンクレアを持つ勢力である鬼神を同盟ではなく完全に支配下に置いている。間違いなくDCに匹敵する規模の組織へとドリュー幽撃団は力を増している。もしこの場でドリューを倒すことができなければ次は鬼神も同時に相手にしなければならない。それはつまりもう一人のキングと同格とされる存在、オウガと戦うことを意味する。ドリューを相手にすることですら精一杯にも関わらずオウガも出てこられれば勝ち目はない。ある意味今がドリューを倒す最後の機会。
「でもあいつの話が本当ならあいつを倒せば鬼神も、シルバーレイも止められるってことだろ?」
「そーだよ! あたし達がドリューを倒せばいいだけじゃない!」
ハルとエリーは戦う意志を取り戻したかのように告げる。この場でドリューを倒すことができれば全てが上手く行くと。いわば全てがドリューを倒すことへと集約している、これ以上ないほど分かりやすい答え。
「……一体どういうつもり? わざわざそんなことを私達に教えて何を企んでいるの?」
そんな中、レイナだけは逆に冷静さを取り戻しながら問いかける。何故そんなことを自分たちに教えたのか。ドリューにとっては何のメリットもない行動。逆に自分やレイヴの騎士たちに闘志を与えかねない言葉。レイナはそれが偽りなのではないかと疑う。だが
「心外だな、全て事実だ。お前達が希望を持てばそれを奪った時の絶望、闇もさらに深くなる……私はそれが見たいのだよ」
ドリューは不敵な笑みを見せながら宣言する。先の言葉が全て事実であることを。希望を与え、それを奪うことでさらなる闇へと相手を陥れる。それこそがドリューの狙い。そして
「来るがいい……『私を倒す』など誰にもできん。光の力がいかに微々たるものか思い知らせてやろう……」
自分を倒せる者などこの世には存在しないという絶対の自負。魔王としても誇りがその理由。もはや言葉はいらぬと告げるかのようにその手に黒い剣が姿を現す。宵の剣という闇の支配者に相応しい武器が。
その瞬間、夜の魔王であるパンプキン・ドリューとレイヴの騎士達、そして六祈将軍レイナ。様々な思惑が入り混じった戦いが始まった――――
時同じく、エクスペリメントでもまたもう一つの争いが巻き起こっていた。いつもの賑やかな街の雰囲気は欠片も残っていない。あるのは悲鳴のような声とパニックになった人々が街から離れようとしている光景だけ。だがあまりにも多い人混みによって人々は思うように避難することができない。だがそれでも人々はただ逃げるしかない。つい先日帝国を消滅させた兵器であるシルバーレイ。それがエクスペリメントに向かっているという情報によって。その力が振るわれれば大都市であるエクスペリメントであっても一瞬で消滅させられてしまう。しかし人々には逃げることすら許されてはいなかった。
『鬼神』
ドリューによって不死のネクロマンシーとして操られている鬼神によってエクスペリメントは包囲されてしまっている。そこから逃げ出すことなど一般人には不可能。交通機関や出口となる場所は全て封鎖されてしまっている。その手際の良さは先の帝国戦の比ではない。それこそがドリューの狙い。帝都崩壊は予行演習に過ぎず、この戦いこそが本命。その狙い通り全く無駄のない洗練された動きによってエクスペリメントはまさに陸の孤島と化した。魔導士による空間転移を封じるために各所に魔水晶と呼ばれる魔力を宿した水晶も設置されている。あとはシルバーレイの射程範囲にエクスペリメントが入るのを待つだけ。だがそんな絶望的な状況の中で避難することなく留まっている者たちがいた。
「ダメです……やはり既に包囲は完成しているようです。応戦している部隊も既に……」
苦渋の表情を浮かべながら参謀であるレディは現在の状況をルシアに報告する。だがその内容はどれもが最悪を示すもの。全てが後手に回り打つ手がない状況。まるでこちらの手の内も戦力も全て見透かされているかのような手際の良さ。加えて本部であるここエクスペリメントには最低限の人員しか配置されていない。あまりに多くの人員を配置すれば逆に本部の場所を特定されてしまう危険を考慮した処置。だがそれが今裏目に出てしまっている。しかし例え万全の戦力があったとしても恐らくは同じ結果だったろう。何故なら相手は不死の存在。倒すことができず、疲れることのない無敵の肉体を持つ鬼達なのだから。
「……ルシア様、どうかここはルシア様だけでも撤退を。ルシア様だけなら包囲を突破することも難しくないはずです。シルバーレイを使われる前に動かなければ危険が……」
意を決したようにレディがルシアに向かって進言する。だがその表情は硬く、汗が流れている。だがそれはシルバーレイや鬼神に恐れをなしているわけではない。最高司令官であるルシアに向かって進言すること、しかも撤退を促すという内容。もし逆鱗に触れればこの場で処刑されてもおかしくない。だがそれを理解しながらもレディは参謀としてルシアいこの場を離脱することを勧める。自分たちが死んでも代わりはいくらでもいるが最高司令官であるルシアの代わりなど存在しないのだから。横に控えているディープスノーも心は同じなのか何も口にすることなくただ頭を下げているだけ。だが肝心のルシアはただ無表情でその場に立ち尽くしているだけ。まるでここにはいない誰かと話しているかのように。だがそれは間違いではない。この場にはルシア達以外にも二つの意志を持つ存在がいたのだから。
『アキ様……レディが言う通りこの場は一旦退くべきです。いくらマザーの力があるとはいえ万が一もあります。とりあえずワープロードが使える場所まで移動した後、サザンベルク大陸まで飛べばいいのです。後はドリューを倒せば二つのシンクレアが手に入ります。そうなればもはや私達に敵う者はいません』
そのひとつであるアナスタシスが主であるルシアに向かって提案する。一旦この場を離れ、ワープロードによって移動し、ドリューを倒す。これ以上ないほどに分かりやすい無駄のない作戦。マザーの力を使えば無力化できるとはいえわざわざシルバーレイの攻撃を受ける必要もない。不死である鬼神達は厄介だが包囲を抜けるだけならルシアには造作もないこと。だがルシアはアナスタシスの言葉に頷くことができない。何故ならアナスタシスの言葉には決定的に欠けているものがあったから。
(確かにアナスタシスの言う通りだ……でもそうなっちまったら本部の連中と街の人間が全滅しちまう……!)
それはルシア以外の人間への配慮。アナスタシスにとって優先すべきは主であるルシアの命のみ。それ以外の存在など気に留める必要はない。ある意味合理的な、機械のような冷たさがそこにはある。かつてマザーが口にした言葉。六祈将軍は駒でありルシアが王。例えそのすべてを犠牲にしても主を優先し、全てのシンクレア揃えること。その二つを持つドリューの居場所が判明した以上後はそれを手に入れるだけ。シンクレアとして当然の選択。だがそれを選択すればこの場にいる自分以外の全ての人間を見捨てることになる。しかしここでシルバーレイに、鬼神達に時間を取られればその間にハル達が全滅してしまう可能性もある。もしドリューを倒せたとしてもシンクレアが四つ揃ってしまう。どの選択をしても得るものと失うものがある。どれが正しい選択なのか、正解があるのかどうか分からない二択。時間だけが刻一刻と過ぎて行く。選ばないという選択肢はない。ルシアがただその重さに翻弄されている中
『全く……いつまで愚痴愚痴悩んでおる、情けない。さっさとシルバーレイを止めてドリューの元に行く。それだけであろうが』
『…………え?』
どこか拍子抜けするかのような声と共にルシアは我に帰る。それはマザーの声。だがその内容にこそルシアは呆気にとられていた。まるでそれ以外などあり得ないと言わんばかりの空気がそこにはあった。
『……? 何を言っているのですか、マザー。今はこの場にいても何の益にもなりません。一刻も早くドリューを倒し残る二つのシンクレアを手に入れるべきでしょう。シルバーレイと鬼神を相手にするなど何の意味もありません』
『ふう……これだから頭が固い奴は困る。そもそも何も分かっておらぬのはお前の方だ、アナスタシス。残るシンクレアなどいつでも手に入る。だがここでシルバーレイと鬼神を見逃せば多くの犠牲が出る。そうなればヘタレな我が主様は気にせずにはおられん。そのせいで戦闘に支障が出れば本末転倒であろう』
やれやれと言わんばかりの態度を見せながらマザーは自らの考えを吐露する。この場でシルバーレイを見逃すことのリスクを。もしそのせいでルシアの動きに支障が出るようでは困ると。
『……あなたが何を言っているのか分かりません。そもそも全てのシンクレアが揃えばこの並行世界は消滅するのです。なのに何故そんなことを気にする必要があるというのですか?』
『ふん、前にも言ったであろう。我は我がやりたいようにする。それだけだ』
『……そうでしたね。聞いた私が浅はかでした』
アナスタシスの疑問に答えることなくマザーはただ自分がやりたいようにするだけだと告げる。唯我独尊、他人を省みることなどあり得ないマザーらしい姿。だがそれにアナスタシスだけでなくルシアも驚かざるを得ない。ルシアの脳裏にはいつかの光景が蘇っていた。奇しくも同じエクスペリメントでの出来事。エリーが魔導精霊力を暴走させ、世界が崩壊しようとした時のやり取り。マザーは口にした。今のアナスタシスと全く同じ意味の言葉を。だが今のマザーの言葉は明らかに違う。まるでルシアの迷いを、考えを見抜いたかのような言葉。その意味をルシアが気づくよりも早く
『大体あのシルバーレイというのが気にくわん。揃いも揃ってあの程度の物に恐れを為しおって……そうは思わぬか、我が主様よ?』
マザーはルシアに告げる。ルシアには見えた。マザーがいつものように、いつも以上に邪悪な、不敵な笑みを浮かべていることを。ルシアは知っていた。かつて同じ光景があったことを。ルナールとの再戦の前に動揺していた自分を鼓舞するかのような言葉。ダークブリングマスターである自分を奮い立たせるもの。
『さっさとあの紛い物に教えてやるがいい……本当の『破壊』とはいかなるものかをな』
ルシアは悟る。マザーの言葉の意味を。そして自分が何を為すべきかを――――
「レディ……今、サザンベルク大陸に一番近い六祈将軍は誰だ?」
「は? 六祈将軍ですか……? 確か、ジェガン将軍だったかと……」
「分かった。ならジェガンにレイナを止めるように連絡しろ。できるかぎりドリューとは交戦を避けるようにもだ。それが終わり次第お前達は全員この街を脱出しろ」
「そ、それは……!?」
レディはルシアの言葉に絶句するしかない。何故ならその命令から明らかにルシアがこの場に残ろうとしていることを感じ取ったから。その証拠に既にルシアはその手に剣を持ち、DBを装備している。その視線がある一点を見つめていた。シルバーレイが向かってきていると思われる方向に。
「同じことを何度も言わせる気か。俺は命令してるんだぞ」
ルシアのこれまでとは違う圧倒的な雰囲気にのまれながらレディはただ首を垂れ、その場にしゃがみこむしかない。もはや言葉は必要なかった。レディはすぐさまその場を離れ命令を全うするため動きだす。参謀足る役目を果たすために。残されたのはディープスノーのみ。だが彼の目にもまた迷いはなかった。いやどれそれどころか歓喜すら見える。自らの主であるルシアの姿を目にすることによって。そしてこれから自分に命じられるであろう命令を悟ったからこそ。
「ディープスノー、この街から全ての人間が避難するまで鬼神どもを足止めしろ。できるな?」
ルシアはディープスノーに告げる。DC構成員だけなく、全ての民間人が脱出するまで鬼神を足止めしろと。正気とは思えないような命令。不死である鬼神達をたった一人で短時間とはいえ足止めしろと言うのだから。だがルシアには全ての鬼を相手にする時間はない。その間にシルバーレイが使用されれば全てが水の泡。ならばルシアは最短でシルバーレイまで向かうしかない。避難する者たちとは反対方向に。そうなればルシア以外の誰かが鬼神達に応戦するしかない。それを為し得るのは六祈将軍であるディープスノーのみ。だがディープスノーであってもそれは不可能に近い任務。現に一度ディープスノーは帝国で彼らに敗北しているのだから。だが
「……お任せ下さい、ルシア様」
ディープスノーは一片の迷いもなくそれに応える。半年前となんら変わらない、その時以上の忠義がそこにはある。できるかどうかなど些細な問題に過ぎない。任された以上、命じられた以上それを全うするだけ。
「……頼んだぜ、ディープスノー」
ルシアはそのままディープスノーの肩に手を置きながら告げる。自分の命令の理不尽さ、DCだけでなくこのエクスペリメント全員の命を背負う重さをディープスノーにも与えてしまう申し訳なさを含んだ、本来なら見せるべきではない、掛けるべきではない言葉。
「……はい。ではご武運を、ルシア様」
一瞬、驚いた表情を見せながらもすぐにいつもの表情に戻りながらディープスノーは部屋を後にする。自らの任された戦場に向かうために。それを見届けた後、ルシアもまた出発する。自らの戦場へと。既にルシアには迷いはない。
『……行くぞ、マザー、アナスタシス』
『よい。では征くとしようか、我が主様よ』
『微力ながらお力になります、アキ様』
魔石使いと母なる闇の使者。世界を終焉に導く者たちが世界の終焉を防ぐために動きだす。
サザンベルク大陸とエクスペリメント。二つの戦いが何をもたらすか知らぬまま――――