『帝国』
皇帝を頂点とした世界最大の国家。その名に相応しい規模と力を持った帝国本部がある都には多くの民が住んでいた。何故なら帝都はこの世界で最も安全な場所。事実かつてDCが世界を支配しかけていた時期ですらこの都は攻められることはなく健在であった。周りは外敵の侵入を防ぐために強固な外壁に囲まれ、多くの兵士と兵器を有している難攻不落の軍事基地とでも言うべき場所。だがようやく人々は知ることになる。絶対に安全な場所などこの世のどこにもないことに。
「ち、ちくしょう……! 一体どうなってるんだ!? 援軍はまだなのか、もうこれ以上はもたないぞ!」
「ダ、ダメだ……他の隊とも連絡が取れねえ! もしかしたらもう……」
悲鳴にも似た怒号が戦場に木霊しながらも銃声がそれをかき消すかの如く激しく鳴り続ける。戦場の真っ只中でありながらも帝国兵たちは未だ現状が信じられないでいた。まるで悪い夢の中に、悪夢にうなされているかのよう。きっかけは所属不明の一隻の船が発見されたという報告。完全な防空網を持つこの帝都の空域に侵入してくるなど自殺行為。警戒態勢を取りながらも帝国兵は誰しもが思いもしなかった。ここが攻められることなどあり得ないと。長くの平穏によって失われてしまった危機感。それを責めることは誰にもできない。これは当然の帰結。例え危機感を持っていたとしても、万全の状態であったとしてもその軍勢を止めることは彼らにはできなかったのだから。
『鬼』
正体不明の船を迎撃する準備に入らんとした瞬間、突如として鬼の兵たちがまるで狙ったかのようなタイミングで帝都へと侵入してきた。だがそれはあり得ない。帝都は外壁によって強固に守られ東西南北にある四つの門も内側からしか開けられない仕組みとなっている。にもかかわらずそれは一瞬で崩れ去った。文字通り粉々となって。何故そんなことが起こったのか分からないまま戦闘は開始される。
『鬼神』
オウガをリーダーとした鬼の集団で構成されるかつて闇の世界で三本の指に入る組織の一つ。現在はドリュー幽撃団と連合を組んでいるとされているグループ。帝国は瞬時にそれを理解し反撃に打って出る。確かに日々の安全な生活によって気が抜けていたとは言ってもここは帝国本部。能力が秀でている者たちが集まっているいわばエリート部隊。すぐさま体勢を立て直し鬼達を帝国から追い出さんと動き出す。いかに鬼が亜人として人間よりも優れた身体能力を持っていたとしても、DBを持っていたとしても帝国もそれに後れを取るものではない。剣や銃などの近代兵器、何よりも圧倒的な兵力の差。覆しようのない数的有利が帝国側にはある。それこそがかつてのDCもうかつには帝国に攻め入らなかった理由の一つ。だがそれは
「ど、どうなってるんだ!? た、確かに弾は当たってるはずなのに……!?」
「こ、こっちもだ! こ、こいつら……剣で切ったのに全然平気な顔してやがる……鬼にこんな力があるなんて聞いてねえぞ!?」
信じられないような事態によって呆気なく崩れ去ってしまう。帝国兵たちは目の前のあり得ない光景に戦慄し震えることしかできない。自分たちの攻撃が当たったはずにも関わらず鬼達は全くダメージを負うことがないのだから。傷を負うどころか銃撃を受けた傷も、剣によって斬り落とされた手足さえもまるで何事もなかったかのように再生していく。夜の闇にまぎれながら迫ってくるその姿はまさにゾンビ。不死の軍勢とでも言うべき悪夢が迫ってくる光景に帝国兵たちは戦意を喪失し次々に敗走を始める。恐怖という人間にとっての本能によって。だがそれすらも彼らには許されてはいなかった。
「残念だがここから誰一人生かしては逃がさん」
死神の死刑宣告にも似た声と共に凄まじい速度で一匹に鬼が敗走を始めんとする帝国兵に向かって襲いかかる。その動きと風格からその鬼が他の鬼達とは一線を画していることは明らか。鬼の名はガワラ。鬼神遊撃隊長という地位が示すように戦闘員として強力な力を持っている戦士。特にその防御力は鬼の中でも一、二を争うほど。だがそれすらも上回る恐ろしさがガワラにはあった。それは
「っ!? な、何だ!? 体が動かねえ!?」
「体が石になっていく!? う、嘘だろ……助けてくれえええ!!」
触れた者を石に変えてしまう能力を持つDB『ストーンローゼス』 その名の通りガワラに触れられた者はその瞬間、物言わぬ石へと姿を変える。優れた格闘能力を持つガワラにそれが加われればまさに無敵。例え攻撃を防御したとしてもその部分から体を石化されてしまうという厄介極まりない戦法。帝国兵たちはその力の前に為すすべなく石の彫像へと姿を変えられていく。すぐにその場は生きた者がいない鬼と石だけの世界へと変わり果ててしまった。
「フム……どうやら本当にこの体は不死身のようだ。疲労もないとはな」
「ガワラ隊長……この辺はあらかた片付けましたがどうしますか?」
自らの拳を見つめながらつぶやいているガワラに向かって配下の鬼達が次の指令を伺ってくる。ガワラはその声に応えるようにぐるりと自らの兵たちを見渡す。その数はここに突入した時から変わっていない。だがそれはあり得ない。自分たちの数の数倍はある帝国兵たちと先程まで戦闘していたのだから。隊長であるガワラはともかく鬼の一般兵まで一人も死なずにいるなど不可能。しかし鬼達は全く数を減らすことなく、それどころか傷一つ負っていない。
「決まっているだろう。ここから一人も逃がすなというのか総長の命令だ。行くぞ」
さも当然だといわんばかりにガワラは配下と共に自らの役目を果たさんと動き出す。都の出入り口である門から誰一人逃がさないこと。それがガワラ達に与えられた任務。外敵からの侵入を防ぐ強固な壁も一度敵の侵入を許せばもはや鳥籠同然。帝国兵はもちろん民間人も都から脱出するにはガワラ達遊撃隊を突破するしかない。それはすなわち今の帝国ではここから脱出する術は失われたことと同義だった。
時同じくして各地で大きな爆音と共に火の手が次々に上がって行く。帝国兵たちは混乱しながら消火作業に追われるも火の手は収まることはない。何よりも大きな問題はその全てが武器庫、弾薬庫が何者かによって襲撃されたことによって起こっていたこと。だがその特性上武器庫は普通の施設よりも強固な施設と警備が敷かれており、その場所も秘匿されている。敵にそれがバレてしまうことは敗北に直結してしまうからだ。だがそんなことなど全てお見通しだとばかりに不敵な笑いを見せている鬼がいた。
「馬鹿だねえ。オレには全部お見通しだってのによ……おい、B班! そっちじゃねえ、南の施設だ、間違えんじゃねえよ!」
スキンヘッドにサングラスを掛けている鬼が口元にあるマイクに向かって大声をあげている。それに呼応するように新しい爆発共に新たな火柱が帝都に生まれて行く。それが男、鬼神工兵長ヤンマの実力。戦闘員としてはガワラには劣るものの工兵長の名が示すように機械、兵器に関する知識、それに加え戦場では工作部隊を指揮する役目が与えられている。
「しかし帝国もたるんでるねえ……動きが全部丸見えじゃねえかよ。もっともオレにかかれば隠れても見え見えなんだがよ」
ヤンマは久しぶりの戦闘に高揚しながらも自らの掛けているサングラスに手を伸ばす。瞬間、ヤンマの視界には戦場の全ての情報が見えてくる。建物の中の兵士の数も、その能力も、隠されている通路までもが筒抜けにされてしまう。それこそがヤンマのDB『千里眼』の力。壁から岩まで透視することができるのにも加え、それを極めたヤンマには相手の弱点、果ては思考まで盗み見ることすらできる。攻略戦、組織同士での戦いにおいて絶大な効果を発揮することができることがヤンマが工兵長に抜擢されている理由。それを証明するように既に帝国は武器と逃げ道を失い混乱状態に陥りつつある。
「よし、次は東の地区だ! てめえら、ぼけっとしてねえで動けよ! 手柄をたてるチャンスだぜ!」
「そ、そんな無茶言わないで下さいよ! まだ先に行った班も戻ってきてませんし……」
「ハァ!? なに寝ぼけたこと言ってやがる! 死なねえんだからどんなに突っ込んでも問題ねえだろうがよ! 総長もいらっしゃるんだ、みっともないとこ見せられるかよ!」
「少し落ち着くんだなヤンマ。いくら不死身とはいえ戦うことには変わらん。いきなり捨て身で戦えるほど全ての兵が達観しているわけではないぞ」
興奮したヤンマを戒めるかのようにどこからともなく落ち着きを感じさせる声が響き渡る。だがその姿はどこにも見渡らず鬼達は焦りながらもどうすることもできない。そんな中、ヤンマだけは知っていた。いや、正確には見えていた。その声の主の正体を。
「っ! ゴッコ、てめえ任務が終わったならさっさと戻ってこいって言っただろうがよ! それに何でわざわざオレの後ろに隠れてやがる!?」
「決まっているだろう。お前がそのDBを着けているからだ。気持ち悪くて前に立てん」
静かな声と一人の鬼がまるで壁から突然現れたかのように姿を見せる。両目を閉じ、両手を合わせた修行僧のような雰囲気を纏った戦士。鬼神砲兵長ゴッコ。それが彼の名だった。
「て、てめえ……これは総長からもらった大切なDBだ! 外せるわけねえだろうが!」
「ならこのまま話させてもらう。指令通り奴らの航空戦力は全て無力化してきた。これで文句はないだろう?」
「ちっ……ああ、こっちでも確認してる。これで奴らはリバーサリー……じゃねえシルバーレイには手が出せねえ。オレ達の役目は果たしたわけだ」
ヤンマはようやく落ち着きを取り戻しながらもDBによって航空戦力があった区画に目を向ける。だがそこは既に火の海。もはや空に飛び立つことができる戦闘機は一つも残っていない。航空戦力の無力化こそがヤンマ達の最重要任務。ここに向かっているシルバーレイの航行の妨げになる危険を排除するための物。そのためにはヤンマの能力が最適だった。しかしそれだけではここまで迅速に事は運べなかっただろう。それを為し得たのがゴッコの持つDB『スルー・ザ・ウォール』 その名の通り壁を通り抜けることができる移動系の能力。隠密作戦、潜入任務において絶大な効果を発揮する力であり『千里眼』と組み合わせることで最高の力を発揮するもの。もっともDBはともかく個人の相性では問題がある組み合わせだった。
「なるほど……ではこのまま撤退するか?」
「冗談じゃねえ……やっと今までの鬱憤を晴らすチャンスなんだ。てめえこそそのまま壁の中に隠れててもいいんだぜ」
「ふっ……どうやらそこは意見は一致したようだな。では次の目標地点に行くとしよう」
いがみ合いながらもヤンマとゴッコ。二人の鬼は自らのDBの力を駆使しながら帝国を翻弄し、蹂躙していく。二人は戦闘能力と言う点では六祈将軍にも遠く及ばない。だがこと攻略戦においてはそれを凌駕する。加えて今の彼らには以前は持ち得なかった反則の特性がある。それこそが今、帝国を絶望的な状況へと陥らせていた――――
「とにかく民間人の避難が最優先だ! 南の地区とはまだ連絡が取れんのか!?」
「一体どうなっておるのだ!? 鬼神とは言っても所詮は少数! 我ら帝国本部の精鋭たちであればすぐに殲滅できるはずだ! とにかく戦力を集結させろ! 奴らをこれ以上好きにさせては帝国の名に泥を塗ることになるぞ!」
「お二人とも落ち着いてください。とにかく情報を整理することが最優先です。ここが混乱していては戦場もまともに機能しません」
「そんなことは言われんでも分かっておる! だが無線の内容も荒唐無稽な物ばかりではないか! そんなことをいちいち気にしていては話にならん! とにかく兵を集結させて攻勢に出なければ……!」
鳴り響く無線の嵐の中、三人将軍は帝国本部の会議室においてもう一つの戦いを繰り広げていた。それは指揮という戦場におけるもっとも重要な戦い。だが突然の奇襲によって浮足立ったのは兵士だけでなく将軍たちも同じ。自分たちが攻めることは考えてはいても攻め込まれることを想定に入れていなかった甘さを露呈した形。いわば帝国という国の縮図がこの会議室の有様だった。だが将軍たちが混乱するのも当然のこと。数の上では圧倒しており、自陣というこれ以上ない地の利もある。奇襲で序盤押されることがあったとしても持久戦に持ち込めば帝国側の勝利は揺るがない。DBを計算に入れても覆ることない事実。数多の戦場を潜り抜けてきた将軍だからこそ読み違えるはずのないもの。だがそれは今、覆されてしまっている。出入り口である門は封鎖され、戦力の要である武器と航空戦力はほぼ無力化されてしまい身動きが取れない状況。こちらの動きが全て読まれているのではと思えるほどの手際の良さ。このままでは一隻とはいえ制空権も奪われてしまう。そうなればさらなる窮地に立たされてしまう。ワダとブランク、二人の将軍は初めて直面する帝国の危機に狼狽することしかできない。だがそんな中でもう一人の将軍、ディープスノーだけは違っていた。
(まさかここまで劣勢になるとは……やはり無線の内容は事実だということか……?)
ディープスノーはいつもと変わらぬ冷静な表情のままもう一つの顔を見せる。スパイであり六祈将軍である本来の姿。今の鬼神と帝国の交戦はディープスノーにとっては想定外ではあったもののある意味好都合な展開ではあった。ディープスノーは帝国の戦力も情報も全て記憶している。ルシアに報告したように壊滅させることはさほど難しいことではないものの命令がなかった以上ディープスノーは引き続きスパイ活動を続けていた。その目的は帝国を使って残る闇の組織であるドリュー、オウガを叩くこと。壊滅させることができなくとも少しでも戦力を殺ぐことができればルシアが、DCが戦う際に有利になると見越しての行動。事実ディープスノーは帝国の動きを誘導するよう動いてきた。そんな矢先のこの事態。計画とは違うもののここで鬼神の戦力を削れるならそれでよしと考えていたもののその目論見は崩れてしまう。
(ともかくこのままここにいては埒が明かない……敵は鬼だけのようだがドリュー達がいないのは不可解だ。鬼達だけが先走った可能性もあるが……)
とにもかくにもディープスノーはこの場を抜け出す機会をうかがっていた。このまま会議室で不毛な言い争いに参加していても得る物は何もない。帝国が崩壊するにしても何の情報も戦果も得られないままでは自らがスパイとして帝国に潜り込んでいた意味がない。何よりもディープスノーには二つ気にかかることがあった。
一つがドリュー幽撃団の動き。連合を組んでいるためこの奇襲に参加していてもおかしくないにも関わらず全く鬼以外の兵がいたという報告が上がってこない。鬼神だけが独断で動いた可能性も捨てきれないがやはり不可解。
もう一つが情報の中で上がってくる敵が全く死なない、傷つかないと言った類の報告。二人の将軍たちは世迷言だと切り捨てているものの現状のあり得ない被害からそれが現実である可能性をディープスノーは感じ取っていた。DBの力であれば確かに可能性はある事態。しかし再生となるとルシアが持っていたシンクレアに匹敵する能力であり、それが一人ではなく鬼達全員にあるなど俄かには信じがたい。やはり直に戦場で確認するしかないとディープスノーが判断しかけたその時
「ほ、報告です! 皇帝護衛部隊が門の解放のために出撃したとのことです!」
「っ! そ、そうか! 皇帝陛下が直々に命令をお下しになったということか!」
「よし、皇帝護衛部隊が動いたとなればこれ以上鬼どもの好き勝手にはさせん!」
通信兵からの報告によって今まで狼狽していた二人の将軍の表情に活気が戻ってくる。それほどまでにその報告は帝国を勇気づけるに足る意味があった。
『皇帝護衛部隊』
常に皇帝の一番近くで護衛を務めてきた最も強靭な帝国兵に与えられる称号。
『繭籠りのダルトン』 『白炎のレゼンビー』 『月輪のムーア』 『金眼のブロスナン』
帝国最強の四人の兵士。普段は皇帝の守護のために表に出ることはない彼らが動いたことは全帝国兵の士気を向上させ、この窮地を乗り切るためには必要不可欠のものだった。
「分かりました……では私も直接彼らを指揮することにします。お二人とも、この場はお任せします」
「そうか、お前が出てくれるのであれば何の問題もあるまい。ここは俺とブランクに任せてくれ」
「頼んだぞ、ディープスノー! 帝国の力を奴らに示してやってくれ! ワシらはここで陛下をお守りしながら他の帝国兵の指揮を取る!」
ディープスノーは渡りに船とばかりに自らが前線に赴き指揮をとることを申し出る。二人の将軍もディープスノーの戦場での活躍を知っているからこそそれを迷いなく快諾する。皇帝護衛部隊に加え将軍であるディープスノーが攻勢に出れば反撃のチャンスが生まれると判断してのこと。だが彼らは全く気付いていなかった。ディープスノーの狙いが自分たちとは全く異なっていることに。
(何とかうまくあの場を抜けることができましたね……とにかく今は皇帝護衛部隊と合流しなければ……)
ディープスノーは身に纏っているコートをはためかせながら凄まじい速度で皇帝護衛部隊が解放に向かった門へと疾走する。帝国のスパイである以上表だってディープスノーはDBを使用することができない。にも関わらず将軍の地位にまで上り詰めるほどの力があるもののディープスノーは自らが戦闘に参加する気はなかった。現在の状況をと正確な情報を得ることがスパイとしての彼の役目。加えて皇帝護衛部隊は実力でいえばかつてキングが従えていた王宮守五神に匹敵するもの。いくら鬼神とはいえ易々と後れを取るものではないことをディープスノーは知っていた。彼らの力を利用し鬼神の戦力を削ることができれば。だがそんなディープスノーの狙いは
「ヨゥ、兄ちゃんそんなに慌ててどこに行こうってんだ。ちょっとオレと遊んで行かねェ?」
あまりにも場違いな、戦場には似つかわしくないからかいの声によって木っ端微塵に砕かれてしまった。
「…………」
ディープスノーは一瞬で走るのをやめ、その場に立ち止まる。だがその表情は無表情のままであったものの見る者が見れば気づいただろう。ディープスノーが今、極度の緊張状態にあることに。その証拠に知らずディープスノーは息を飲み、背中には冷たい汗が滲んでいる。まるで幽霊に出くわしてしまったかのよう。だがそれは無理のないこと。あり得ないことではあるがまさに目の前に幽霊が、死人が立っていたのだから。
「あなたは……まさか……」
「お、どうやらようやくオレのことを知ってる奴に会えたみたいだな。自分で言うのも何だけど『粉砕クッキー』って結構有名だと思ってたのに誰もオレだと気づかねェんだ。やっぱ十五年経つとこんなもんかね……」
ようやく自分を知っている人物に会えたことでクッキーは満足したかのように笑い始める。ガムを噛み、風船のように膨らませながら。だがそんなどこか陽気な姿とは対照的にその周囲には死の匂いとでも言えるような隠しきれない不気味な気配が漂っている。それは六祈将軍であるディープスノーをして気圧されてしまうほど。
『粉砕クッキー』
最凶の殺人鬼。かつて千人以上の人間を殺し、十五年前帝国によって処刑されたはずの極悪人。そのあまりの恐ろしさは親達が子供が悪いことをした時にクッキーが来るぞと叱るために使われるほどの。まさに伝説になるほどの人物が今、ディープスノーの前に現れていた。
「あなたは確か十五年前に処刑されていたはずでは……生きていたのですか……?」
「へえ、よく知ってるね。その通り、オレは十五年前に死んでるぜ。というか今も死んでるんだけどヨォ」
「今も死んでいる……? 一体どういうことですか……?」
ディープスノーは困惑しながらもクッキーに問いかけるしかない。ディープスノーは座学によってクッキーの存在を知っていた。実際に見たことはないが間違いなく目の前の男がクッキーであることは明らか。もしかしたら帝国が嘘の情報を流していた可能性もある。だがクッキーは笑いながらそれを否定する。自らが死んでいると。あり得ないような事実。だが
「今のオレはネクロマンシー……要するにゾンビってわけ。ドリューの反魂の術でオレは操られてるってことだ」
それを為し得る力をドリューは持っていた。闇魔法の一つである反魂の術。死んだ人の魂を肉体に戻す高度な魔法。それによって蘇った者は支配者であるドリューの操り人形となる。まさに夜の支配者に相応しい力だった。
「ドリュー……やはり鬼神と連合を組んだというのは間違いなかったようですね。どうやらあなた以外にはドリュー側の構成員は見当たらないようですが」
冷静に会話をしているように見せかけながらもディープスノーはクッキーに気づかれないように距離を取らんとしていた。正しくは間合いを計っていた。そうしなければならない理由がディープスノーにはあった。一つがこの場からの離脱のため。もう一つが単純にクッキーから距離を取る必要があったため。それだけの能力がクッキーにはある。
『オールクラッシュ』
その名の通り全てを粉々にしてしまう能力を持つDBをクッキーは持っている。人でも物でもクッキーに触れたものは全て粉砕される。同時に物理的な攻撃すらクッキーには届かない。無敵の殺人鬼。人々に語り継がれる伝説の存在。それにどう対抗するべきか。だがそんなディープスノーの思考は
「連合? なにふざけたこと言ってるんだ兄ちゃん。鬼の野郎たちがドリューに取り込まれたんだろうが」
クッキーの何気ない言葉によって停止させられてしまう。ディープスノーはそのまま目を見開き、動きを止めてしまう。本来なら見せてはいけない程の隙。だがそうなってしまうほどの衝撃がクッキーの言葉にはあった。
「……あなたこそ何を言っているのですか。現に鬼達は今も行動している。ドリューに黙って従うほど大人しい連中ではないことはあなた達の方が知っているはずですが……」
「確かにその通りだ。鬼の連中、オウガが殺されたってのにまだ抵抗を続けるもんだからよ、そのまま皆殺しにしてやったのさ。ただそのまま殺すだけじゃもったいないってんでドリューの奴が全員をネクロマンシーにして支配下に置いたってわけ。どうだ、分かりやすいだろ?」
こいつは傑作だといわんばかりにクッキーは顔に手を当てながら大笑いを始める。だがそんなクッキーの様子など既にディープスノーは気に止めてすらいなかった。ただ明かされた、知らされた情報の重大さにディープスノーは息を飲むしかない。
(まさか……本当にオウガがドリューに倒されたとしたなら……!)
簡単にクッキーの言葉を鵜呑みにすることはできないものの今の状況が限りなくそれが事実であることを証明している。鬼神だけの単独行動。そしてまるで不死身のようにどんな攻撃を受けても倒すことができない鬼の軍団。
「オレはこいつらのお目付け役で来たってわけ。まあ支配者であるドリューに逆らうことなんてできねえから体面的な話だけどな。俺が言うのも何だけどネクロマンシーってのは支配者が死なない限り粉々になっても再生するから放っておいても問題ないんだけどネェ」
「……なるほど、本当に不死身というわけですか」
「オゥ、震えたかい? オレの伝説は永遠さ。一応オレを処刑した帝国への復讐ってのも含まれてるからヨォ、悪いけど兄さんにも死んでもらうよ? 流石に三日三晩追いかけ回されたのには参ったからな。ま、今ならどんなに動いても疲れたりしないんでこっちの方が便利だけどな」
面白い小話を聞かせるようにクッキーは自らが処刑された話をディープスノーに聞かせる。全ての物理攻撃を無効化するクッキーを捉えることは不可能かに思われていたが帝国はまさに捨て身に近い持久戦をクッキーに仕掛ける。いくらクッキーとはいっても体は人間。寝る間も与えない程の持久戦に持ち込み、そのDBを奪うことによって帝国はクッキーを捕えることに成功した。もちろん数えきれないほどの帝国兵の犠牲によって。だが今のクッキーにはその弱点はない。しかも不死の体を得たことで生前は有効であった遠隔攻撃すら通じない。まさに無敵の殺人鬼の名に相応しいデタラメぶり。
(これは……一旦この場から撤退した方が良さそうですね……)
ディープスノーは自らが置かれた絶望的な状況を前にしても冷静さを失うことなく最善の選択肢を選ぶ。このままクッキーと戦闘をしても勝ち目が薄いことをディープスノーは瞬時に見抜いていた。遠距離戦はゼロ・ストリームを持つディープスノーにとっては得意分野。血液の流れ、この場であれば風を操ることでクッキーを倒すこともできただろう。それが生前のクッキーであれば。死者であり不死であるクッキーにはゼロ・ストリームは通用しない。切り札の五六式DBも肉弾戦である以上オール・クラッシュの前には通用しない。かつて力づくで抑えたジラフのツイスターとは条件が違う。生前を加えれば二十五年以上クッキーはオール・クラッシュを使い続けている。その練度は極めているといっても過言ではない。何よりもディープスノーが果たさなければならないのは鬼神がドリューによって倒され、操られていることをルシアに伝えること。撤退し、都から脱出するだけならディープスノーだけでも可能。瞬時に決断を下し、ディープスノーがその場を離脱せんとした時
「なんだ、まだ片付けてねえ奴がいたのかよ。オレ達ばっかり働いててめえはサボってるってわけか?」
もう一人の新たな人物の登場によって阻まれてしまう。いや、その姿によってディープスノーは戦う意志すらも失いかけてしまう。何故ならそうなってしまうほどの圧倒的な力と存在感があったから。先程まで対峙していたクッキーが可愛く思えてしまうほどの桁外れの王者の風格。
「別にサボってたわけじゃねえヨ。あんたこそちゃんと加減して戦ってるんだろうな。あんたが皆殺しにしたんじゃわざわざ船をここまで持ってきた意味がねえ」
「ガハハ! そいつは残念だったな。だがオレがドリューに言われたのは邪魔者を排除しろってだけだ。大体こんなに帝国の連中が弱えとは思ってなかったぜ。せっかく不死身になったっていうのにオレにかすり傷を負わせられる奴すらいねェ。これじゃ何のために出てきたのか分かんねェな」
拍子抜けだと嘲笑いながらボリボリとオウガは頭をかきむしる。まるで散歩に来たのだといわんばかりの自然体。ここが戦場だというのに全く気負いが見られない姿にディープスノーは圧倒されるしかない。同時に戦慄する。目の前にいるのはキングと同格の力を持つという王の一人でありシンクレアに選ばれた王。そして改めてその意味に気づく。そう、ドリューはそのオウガすら自らの戦力に加えてしまったのだから。
「ん? なんだこいつは? さっきの妙な四人組の仲間か? じゃあ期待できそうにないな、四対一にしてやったってのに一分も持ちゃしねえ……こんなことならさっさと帝国に攻め込んでおきゃよかったぜ」
ようやく気づいたとばかりにオウガがつまならなげにディープスノーに向かって吐き捨てる。だがその言葉によってディープスノーは確信する。目の前にいるのが間違いなくあのオウガなのだと。そして皇帝護衛部隊が全滅してしまったことを。あまりにも圧倒的な力。だがそれ前にしてもディープスノーはどこか妙に自分の精神が落ち着いていることに驚きを隠せない。まるで死期を悟った老人のよう。
「…………どうやらドリューが鬼神を取りこんだというのは本当のようですね」
「あん? ああ、その話か。癪だが認めるしかねェな……いけ好かねえ奴だがこうなっちまった以上仕方ねェ。せっかく生き返ったんだ、後は楽しまなきゃ損だぜ、だろクッキーちゃんよ?」
「ま、そーだな。オレも人を殺せるっつーんなら何だっていいさ」
「いいねェ! 生きてりゃオレの部下にしたかったぐれェだ! ゾンビになっちまった以上ドリューにはどうやっても逆らえねえし、シンクレアを手に入れれば女どもは好きにしていいって約束だからな、精々暴れさせてもらうぜ」
オウガは一瞬殺気のようなものを放つもすぐに気を切り変えながら自らの目的を明かす。鬼の王として敗北した事実は求認めることができない屈辱。だがいくら意地を張ったところで死んでしまったことは変わらない。しかし何の因果か死者としてこの世界に留まることができた。ならそれを楽しまなければ仕方ない。抵抗したとしても再び骸に戻るだけなのだから。否、抵抗することすらオウガにはできない。支配者であるドリューはネクロマンシー達にとって絶対の存在なのだから。他の鬼達もそんなオウガの後に続くように動いている。奇しくも連合が成り立っているといってもいい状況だった。
「なるほど……ではもう一つだけ。シンクレアは今もあなたが持っているのですか……?」
「ん? んなわけねえだろうが……ラストフィジックスはドリューの野郎が持ってやがるぜ。オレはこの不死の体があるしな。もうドリューの野郎に敵う奴なんていねえ。ま、そんなことになったらオレ達も消えちまうから勘弁だがな」
ディープスノーは最後にもっとも知りたかった情報、シンクレアの在処をオウガから聞き及ぶ。つまりドリューはルシア同様二つのシンクレアを持っているということ。それはすなわちキングを超える力を手に入れたことを意味する。ディープスノーは全幅の信頼をルシアに置いている。その忠誠は今も変わらない。そんなディープスノーであっても今のドリューが一筋縄ではいかないほど厄介な力を手に入れてしまったことを認めるしかない。だがこの情報を生きて持ち帰ることができれば不測の事態は避けられる。だが
「さて……無駄話はこのくらいにしてそろそろ始めようか。オレとやりたくねェんならそっちのクッキーちゃんとでもいいぜ。どっちにしてもここからは逃がさねェけどな」
「オレも同意見だけどヨォ……そのクッキーちゃんてのやめてくれねェ?」
「…………」
前門の虎に後門の狼。逃げ場のない絶体絶命の状況。それでもディープスノーは最後の希望をしてることなく自らの持つ二つのDBに力を込める。戦って勝利することは不可能。クッキーだけでも難しかったにもかかわらず今はオウガもいる。万に一つも勝つ目はない。いや、ネクロマンシーである以上ドリューを倒さない限り勝つことはできない。ならば残されたのは撤退。ゼロ・ストリームの風によって視界を塞ぎ、五十六式DBによる身体能力でこの場を離脱する。だがそれすらもこの二人相手に通用する可能性は限りなく低い。だがそれしか今のディープスノーには残されていなかった。だがその最後の希望さえ消え去ることになる。
「ほう……どうやらてめえは運が良いみたいだぜ。いや、こいつは運が悪いのかな。最後の花火が見られるんだからな」
オウガはディープスノーから大きく視線を外し、そのまま夜空を見上げる。そのあまりに唐突な行動にディープスノーも同様に同じように空を見上げる。そこには確かな明りを灯した月と無数の星空。戦場でなければ目を奪われてしまうような絶景。だがそこにディープスノーは確かに見た。
「銀の……船……?」
銀の輝きを放つ一つの大きな星を。それが船であることに気づいたときには全てが決していた。ディープスノーは知らなかった。その銀の船の正体を。
「目に焼きつけときな、あれはシルバーレイ、禁じられし銀術の最終兵器。てめえが最後に見る景色だ……やれ、ゴブ」
オウガの狂気にも似た号令によって全てが消え去っていく。兵も民間人も関係ない。その場にいたということが彼らの不運。銀の光が全てを包み込んでいく。永くの眠りから解き放たれた銀術の力。世界を巻き込んだ争乱の狼煙。
その夜、帝都は地図から姿を消した――――