多くの建物、人によって溢れかえっている街、ソング大陸最大の都エクスペリメント。その中のビルの屋上に二つの人影があった。それは男女の二人組。美青年と美女の二人組。見る人が見れば皆お似合いの恋人、カップルに見えるだろう。だが二人の関係はそんな甘いものではない。
「ねえジーク。いいかげん休憩しましょうよ。もうかれこれ半日以上このままなのよ?」
二人組の内の女性、レイナがどこか不満げに愚痴を漏らす。既に疲れてしまっているのか座りこんだまま。だがそれは無理のないこと。こうして建物の屋上に陣取ってから半日以上経過しているのだから。レイナでなくとも休憩を提案するのは当たり前だろう。だが
「するなら勝手にしろ。オレはもう少し続ける」
二人組の内の男性、ジークはレイナに振り返ることもなくそのままじっとビルの屋上から眼下に広がる景色を見下ろしている。その瞳にも姿にもまったく疲れがみられない。レイナとは対照的な姿。まるで何かの強迫観念にでも突き動かされているのではないかと思ってしまうほどの真剣さ。
「この街にいることは分かってるんだからそんなに焦らなくてもいいじゃない。ちょっと下に降りて食事にでもしない?」
それを前にしながらも持ち前の気楽さ、気安さでレイナはウインクをしながらジークを誘う。気分転換とデートを兼ねての誘い。容姿についてはジークはまさに美青年、イケメン。一緒に歩いても絵になるであろうことを見越してのレイナの提案。だが
「…………」
ジークはそんなレイナの言葉が聞こえていないかのように全く反応することなく自らの使命、任務に没頭している。まるでレイナのことなど視界に入っていないかのような振る舞いだった。
(まったく……相変わらず真面目なんだから! 気を遣ってるこっちが馬鹿みたいじゃない!)
レイナは大きな溜息を吐き、心の中で愚痴を漏らしながらも再び眼下に広がる街並みに目を向ける。だがレイナはそれを眺めているだけでその役目を果たすことなくそれを全てジークに任せていた。
二代目レイヴマスターの捜索。
それが今レイナとジークが行っていること。既にDCの諜報部員によってレイヴマスターがこのエクスペリメントに滞在しているという情報をレイナたちは入手し、その捜索のために街を見はらすことができるビルの屋上で捜索を行うことになった。だが普通の人間なら街を見下ろすだけで人探しなどできるはずもない。しかしそれを為し得る力をジークは持っている。魔導士であるジークにとっては人探しはさして難しいものではない。しかしいかなジークといえどもこれだけ大きな街。すぐに発見することはできないでいた。レイナには街を見晴らすだけで人探しができるような力は無いためほとんどジークにそれをまかせっきり。最初の内は目を凝らしながら行き交う人混みの中からレイヴマスターを見つけようと躍起になっていたのだが一時間ほどであきらめあとはただひたすらに無言のジークに付き合うというある意味罰ゲームのような状況に陥ってしまっていた。今回のレイヴマスター抹殺の任務はレイナが行うことになったもののそれを見つけることについてはジークの役割。だがレイヴマスターだけの捜索ならジークといえどもここまで鬼気迫った様子をみせることはなかっただろう。
(ま……無理もないかしらね。二年間ずっと探してた女の手掛かりをやっと見つけたわけだし……)
それは3173の女。魔導精霊力の娘がレイヴマスターと共に行動をしていることが判明したから。
きっかけはある写真。それはDC諜報部からジークにもたらされた物。二代目レイヴマスターとその仲間と思われる者が映った写真。抹殺任務を行う上でターゲットの容姿を確認するための情報。レイナも同時にその写真を目にすることになった。二代目レイヴマスターは銀髪をした少年。その髪の色から探す際には目立つため都合が良いとレイナは安堵する。もう一人が黒髪の青年。こちらについては特に詳しい情報もなかったためレイナは特に気にすることはなかった。だが一緒に映っている少女。それによってジークは一瞬で表情をこわばらせ、魔導士としての顔になってしまう。金髪の少女。おそらく十六歳程だろうか。ジークは殺気を纏いながらもレイナに告げる。その金髪の少女こそが3173の女であると。そして今、ジークはレイヴマスターの捜索と共に3173の女の捜索を行っている。もしかしたらレイヴマスターなど眼中になく女だけを探しているのではないかと思えるほどその姿は鬼気迫っていた。だがそんなジークの姿を見ながらもレイナは咎めることはない。それは女を探すことは必然的に一緒に行動しているであろうレイヴマスターを探すことと同義であること。そしてもう一つ、大きな理由があった。それは
(まさかあの娘が3173の女だったなんてね……こういうのを運命って言うのかしら?)
レイナは3173の女を既に知っていたから。それは一年ほど前。アキを尾行している際。アキに向かって近づいて行っていた金髪の少女。おそらくはアキと親密な関係にある少女。
まさかその少女が魔導精霊力の娘だとはレイナは思ってもいなかったため言葉を失うしかなかった。何故そんな少女とアキが親しいのか。何よりも何故今それが二代目レイヴマスターと共にいるのか。様々な疑問が浮かんでくるもののレイナはそれを抑え込んだ。それはジークに無駄な詮索を、疑念を持たれないようにするため。もしアキが金髪の悪魔だった場合、それと通じていた、もしくは3173の女のことを知っていたと思われればレイナ自身面倒なことになりかねない。いかにジークが相手といえどもレイナは後れを取るつもりはないが下手に敵を作るほど慢心してもいない。それ以上にレイナは自分のこれからの行動を決めかねていた。
(そろそろアキもやってくる頃だろうし……どうしようかしらね……)
それはアキの存在。レイナは既にこの街にアキを呼び出してある。もちろん表向きはデート、もとい先のキングの招集の結果報告のため。こちらの恩を売るような内容で呼びだしたのでアキは十中八九やってくるだろう。それとジークを引き合わせることがレイナの計画。金髪の悪魔と面識があるジークならばアキが本当に金髪の悪魔なのか確かめることができる。もし違うのなら顔合わせとすればいい。そして本当に金髪の悪魔だとすれば選択肢は二つある。
一つは排除すること。
DCにとって害をなす存在であればそれを排除しなければならない。レイナとジークの二人がかりならいかに金髪の悪魔が相手だとしても問題ない。それによる多額の報奨金もメリットの一つ。
もう一つがDC側に引き込むこと。
もしこちら側につく意志があるのならそれに越したことは無い。金髪の悪魔であることを黙っておくのを条件にレイナ個人としての探し物に協力してもらうこともできる。その際にはアキと共にジークを排除することになる。それは今回の任務の一つでもある。既にキングはジークが裏切り者であることを見抜いている。それを分かった上で利用していたらしい。故に排除してもなんら問題ない。
どちらにせよアキ次第。DCに潜り込んでいる理由。そしてDCに忠誠を誓い協力する気があるのか否か。それによってレイナの立ち位置も変わってくる。だが3173の女についてはレイナも予想外だった。アキの知り合いであるなら危害をくわえるのは得策ではない。それによって敵対関係になってしまう可能性もある。だがジークの目的からすればそれを邪魔することになってしまう。できるなら先にアキと接触し、方針を確定してから3173の女については対処したい。レイナはそう考えていた。だが
「……っ!」
「ちょ、ちょっといきなりどうしたのよ?」
そんな思惑を打ち砕くかのように変化が起こる。それはジーク。自分が何を話しかけても反応を示さなかったジークが凄まじい速さで自らの後ろに振り返る。ジークが先程まで見下ろしていた方向とは真逆の方向。突然の事態にレイナは驚きながらも声をかけるもジークの意識は既にそちらに、いや彼女に向いていた。
「見つけたぞ……3173の女……!」
ジークは感じ取っていた。それは大気の震え。魔導士であるジークにはそれと共に凄まじい魔力の波動を感じ取った。魔導精霊力。それが覚醒しかけている前兆。ジークは目だけではなく、その感覚をもって魔力を探知しようとしていたのだった。そしてそれがついに実を結ぶことになる。
ジークはそのまま魔力によって風を纏いながらビルから飛び去って行ってしまう。自然の力、風のエレメントを操ることによって。それがエレメントマスターと呼ばれるジークの力。
「ま、待ちなさいよ、ジーク! 私を置いて行く気っ!?」
ヒステリックにレイナが抗議の声を上げるもジークはそれを意に介すことなくそのまま飛び去って行ってしまう。いかな六祈将軍とはいえレイナは空を飛ぶことなどできずそのままジークを見送ることしかできない。置き去りにされてしまったことに怒りをあらわにしながらもレイナは考える。これからどうするべきか。このままジークを追って行くか、それともここに来るであろうアキを待つか。
それを決めかねている中、ある光景がレイナの瞳に映る。それは偶然。だがまるで出来すぎたそのタイミングにレイナ自身驚いてしまう。どうやら本当に運命と言うのは気紛れらしい。
「……まあいいわ。アキが来るまでは時間があるし、それまでに終わらせましょうか」
レイナは微笑みながらも立ち上がり、ドレスを翻しながらビルを飛び降りる。その腕にある銀の蛇に手を当てながら。自分の本来の役割を果たすために。
その瞳には街を歩いている銀髪の少年の姿が捉えられていた―――――
(さて……やってきたはいいもののどうしたもんかな……)
多くの人が行きかうエクスペリメントの大通り。その中をフードを被ったアキは歩いていた。そのフードの影で困惑した表情をみせながら。もっともそれはある意味いつもどおりなのだが人々はそんなアキに気づくことは無い。まるでアキの姿が見えていないかのように。だがそれは間違いではない。今、アキの姿は人々には全く見えていないのだから。それはDB、イリュージョンの力。それとハイドの力によって姿と気配を消しアキは移動していた。その目的地に向かって。そしてそれこそがアキが憂鬱になってしまっている理由だった。
『召集の結果を教えてあげるからデートに付き合いなさい♪ もし来なかったらどうなるか分かってるわよね?』
そんなレイナからの呼び出しもとい脅迫。それがアキがやってきた理由。明らかに来なければ殺すといわんばかりの怨念がこもったメッセージ。その圧力に負けアキは待ち合わせの場所に向かっている途中だった。
どうも……アキです。ダークブリングマスターです……何故か同僚に脅迫されてデートに向かっています。いや、まあ何となく理由は分かってるんですけどね……恐らくは文句を言うためだろう。欠席することを伝えたまま丸投げしちまったし……悪いことしたなーとは思ってたけどまさかこんなことになるとは……しかし、そのまま油断するほど俺は甘くは無い。もうそれで今まで散々な目に会っているのだからいい加減学習するというもの。常に最悪を、不測の事態を予測しながら動く必要がある! ということで今はステルスモードになっています。それはレイナの言葉の裏を考えてのこと。もし先の招集で俺の処刑が決定されている可能性も十分ある。とりあえずは様子を見る必要がある。何よりもこの時期にエクスペリメントという場所。いくら鈍い俺でもそれぐらいは察しが付く。恐らくは魔導精霊力編が始まっている可能性が高い。ならばジークがレイナと共にいる可能性も高い。それと接触してしまう危険を考えた上での行動。
『情けない……もっと堂々とすればいいものを』
『黙っとけ。文句があるならアジトに送り返すぞ』
『ふん……それよりも何だ。ホワイトキスの主には興味がなかったのではないのか?』
『あ、当たり前だろうが! これは前の招集の結果を聞きに行くだけだっつーの!』
『どうだかな……お主は巨乳に弱いからな。せいぜい騙されないように気を付けることだ』
『お、お前……』
アキは胸に掛けられたマザーと言い合いをしながらも頭を抱えるしかない。マザーと共にDCの幹部達がいる近くで行動すること。それがアキが憂鬱になっている大きな理由だった。
こ、こいつ……またいつかと同じようなことを。確かに巨乳は好きだが……じゃなくって!? なんでこいつにそんなこと言われにゃならんのだ!? お前は俺の母親か何かか? いや、まあマザーだからあながち間違ってはいないのかもしれんが。そもそもエリーにはハルが、レイナにはムジカっていう相手がいるんだから俺が入り込む隙間なんてないっつーの……まあこいつに言っても分かるわけないが。それはともかくレイナの呼び出しは結果オーライだったかもしれん。そのおかげでエクスペリメントに違和感なく来れたわけだし。介入はできないにしても様子を伺うぐらいはしたいと思ってたところだったからな……接触するのは無理だが。エリーはともかくハルと、レイヴマスターと接触すればマザーがどう動くか分からんし……
アキはそのままマザーに気づかれないように辺りを見渡す。視認できる範囲にはハルもエリーも見当たらない。とりあえず危険はなし。アキ個人としてもまだハル達と再会する気は無い。早すぎる上に危険の方が大きすぎるからこそ。とりあえずレイナから任務について聞き、魔導精霊力の発動と封印を遠目に確認できればいいという狙い。もし本当にどうしようもないレベルの差異や危険があった場合には動かざるを得ないがそれは最終手段。魔導精霊力編は本当に世界が崩壊しかねない危険があるため致しかない。もっともマザーがいるという不安要素、爆弾を抱えているようなものなのでアキも容易にはその手段はとれない、というか取りたくないのだが。
(まあとにかく、レイナの居場所を探るとすっか……)
アキは軽く現実逃避をしながらも意識を集中させる。それはDBの気配を探るため。この数カ月の間にアキが習得した技術の一つ。ダークブリングマスターだからこそできるもの。一定の距離にあるDBの存在と力を感じ取ることができる能力だった。これまでも近くにあるDBについては可能であったその範囲を広げたようなもの。これからの展開によってはDCの動きを探る必要があるため有用になるであろう能力。もっともレイナの奇襲への対抗策の意味合いが大きかったのだが(その証拠に前回は奇襲を回避することができた)アキは意識を研ぎ澄ましそれを行う。レイナの居場所、そしてそれ以外の六祈将軍などが身を潜めていないかを確認するため。だが
「…………え?」
アキは知らずそんな声をあげてしまう。まるであり得ないことが起こったかのような顔を見せながら。アキはそのまま一瞬呆けるものの理解できない事態に狼狽することしかできない。
それはDBの気配。それが二つあったから。
一つは言うまでもなくレイナの持つホワイトキス。六星DBに相応しい力を持つものであり、アキもその気配を知っているため間違いない。その位置から待ち合わせのビルにいるらしい。だがもう一つが問題だった。
それは六星DBに匹敵するほどの力を持つDB。だがそれは六星DBではない。そのどれとも気配が異なる。だがそんな強力なDBを持てる、扱える者は限られる。だがその正体がアキには見当がつかない。そして何よりも驚愕するべき点。それは
(こいつ……とんでもないスピードでレイナのいる方に向かって移動してやがるっ!?)
そのDBがあり得ないような速度でレイナがいる方向に向かっていること。
『……っ! お、おいマザー! お前も感じるだろ!? あれは何のDBだ!?』
『……さあな。我にも分からぬ』
『な、何だよそれ!? お前シンクレアだろうが!? 何で分かんねえんだよ!?』
『喚くな、騒々しい……あれは我が生み出したDBではない。それだけだ』
『ど、どういうことだよ……?』
『前にも話したであろう。我は五つに別れたシンクレアの一つ。あれはその中の一つが生み出したものだ。恐らくはアナスタシスの奴か……もっと近づかなくては力までは読めん』
『ちくしょう……じゃあ近づけば分かるんだな!?』
どこか淡々とした中に不機嫌そうな雰囲気を纏いながら呟いているマザーの姿に気づくことなくアキは音速の剣を持ちながら疾走する。その謎のDBの気配に向かって。
だがアキは既に心のどこかで悟っていた。そのDBが何であるか。そしてその持ち主が何者であるかを。
(どうなってんだ、ちきしょう……!!)
アキは焦りながらも走り続ける。何故この時期に、こんな場所に。そんな疑問を持ちながらも今はただ走り続けるしかない。イレギュラーに対処するために。
自分もまたイレギュラーであることに気づかぬまま――――