アキはただその姿に目を奪われていた。まるでこの世の物とは思えないような美しさ。まさしく絶世の美女がそこにはいた。だがアキがその場に立ち尽くしてしまっているのはその美しさに見惚れていたからではない。それは圧倒的存在感と力。女は何もしていない。ただその場に立っているだけ。にも関わらずその前に立っているだけで膝を着いてしまうような重圧が襲いかかってくる。蛇に睨まれた蛙どころではない。かつてアキが出会ったことのある中で最強の存在であるDC最高司令官キング。それすらも霞んでしまうほどの力。
それが四天魔王『絶望のジェロ』だった。
な……何なんだこれ……? 体が勝手に震えるんですけど……? 今にも倒れちゃいそうな感覚が襲いかかって来るんだけど……何の冗談? だって相手は何もしてないんですよ? ただ目の前に立ってこっちを見てるだけ。そう、それだけ。なのにまるで金縛りに会っちまったかのように身動き一つ取れないですけど? 今なら最終決戦時のジュリアの気持ちが分かる。
『ジェロ……様……』
もうこの言葉に全てが込められている。魔界人ではない俺ですら思わず様付けをせざるを得ない程の力が、カリスマがジェロにはある……じゃなくてっ!? お、落ち着け俺っ!? 何走馬灯のように現状を把握しようとしてんだっ!? まだ死んでねえっつーのっ!? いや死ぬ一歩手前のような気もするがともかく現実逃避はまだ早い! と、とにかくこの状況を打破する方法を探すんだっ! もうどうやっても逃げることができないのはさっき身を以て味わった。というか目の前に来られてしまった時点でアウト。ならば残る手段は二つ。戦いか話し合い。その二択。そして自分がどちらを選ぶべきかなど考えるまでもない。話し合いだ! 平和的手段で解決できればそれに越したことはない! もっとも話し合いと言うよりは命乞いと言い変えた方がいいかもしれん。チキンだの何だの言われようが知ったことじゃない! 六祈将軍ならともかく四天魔王相手に戦って勝てると思うほど俺は馬鹿じゃねえっつーの!? と、ともかく話しかけてみなくては。そ、そうだな……まずは何で俺を追って来たのかだな……う、うん……もしかしたら別に俺を狙って来たわけでもないのかもしれんし……
「な、何だ……俺に何の用だ……?」
アキは内心の恐怖を何とか抑えながらジェロに向かって話しかける。だが声が震えるのを隠しきれてはいなかった。もっともジェロに向かって話しかけることができただけでも精神的には一般人のアキにとっては精一杯。むしろ良くやったと言えるレベル。だがそんなアキの内心も様子も知る術のないジェロは一瞬な怪訝なそうな表情を見せた後それに応える。それは
「何を言っている。お前が私を目覚めさせたのだろう……」
アキにとってとても理解できないような、最悪の答えだった。
え……? 何だって? 耳が遠くなったのかな? なんか理解できないような答えが返ってきたんですけど……? 俺が目覚めさせた? ジェロを? いやいや何で俺がそんなことするわけっ!? というかそんなことするわけないだろ!? 何が楽しくて原作終盤の、最強クラスの危険人物を俺が目覚めさせなきゃならんのだっ!? そもそもそんな方法知らねえっつーの!? 確かあの時はただマザーの様子がおかしかっただけ……で……?
そこでようやくアキは思い出す。ジェロが目覚める直前の出来事を。あの時何が起こっていたのか。アキはそのままゆっくりと視線を自らの胸元に向ける。そこにはどこか白々しい態度をとっているマザーの姿があった。まるで悪戯がバレてしまったかのような。アキは悟る。そう、この状況が間違いなく自分の胸にかかっているマザーによって引き起こされたものなのだと。
て、てめえの仕業かマザ――――っ!?!? どういうつもりだてめえっ!? 何であんな化け物を目覚めさせてんだよっ!? 俺を殺す気かっ!? は? 俺がなかなか実戦をしないからこっちが用意してやった? 存分にやれ? ふざけんなああああっ!? なんでいきなり初戦が最終決戦レベルなんだよ!? 色々すっ飛ばしすぎだろがあああっ!? まだ六祈将軍すら倒せないレベルの俺があんな奴に勝てるわけないだろうが!? え? 六祈将軍なんて俺の敵じゃない? 何言ってんだお前? い、いや確かに蒼天四戦士には勝てるようになったけどお前、あの幻は本物よりも弱いって言ってたじゃねえか!? え……? 嘘……? お、お前そうならそうともっと早く言えやこらあああああっ!? じゃあ何か!? 俺は今まで自分よりも弱い相手にずっとビビりまくってたってわけか!? 何の嫌がらせだ!? 何? 本当のこと言うと俺が調子に乗りそうだったから? お、お前……確かにその通りだがもっと他にやり様が
「話は済んだかしら?」
アキとマザーのやり取りがまるで聞こえているかのようなタイミングでジェロが一歩アキに向かって歩みを進める。だがそれだけで十分だった。アキはその瞬間悟る。もはや話し合いなど通用しないのだと。ジェロから放たれている力と空気。それが全てを表している。既にマザーはもちろん他のDBたちも戦闘態勢に入っていた。
「力を示しなさい……母なる闇の使者を持つ者。器足りうるかどうか試してあげるわ」
さらに一歩。氷が割れるかのような音を響かせながら絶望が近づいてくる。それを前にして知らずアキは自らが持つ剣、デカログスを構える。もはや条件反射に近い動きだった。
あれ……? なんかもう俺以外はやる気満々ですか。そうですか。ははっ……もう笑いしか出てこないんですけど? だって俺、これが初戦ですよ? その相手が四天魔王とか何の冗談!? 無理ゲーってレベルじゃねえだろっ!? だれか修正パッチ持ってこい!? ゲームバランスが明らかにおかしいっつーのっ!? 例え六祈将軍より俺が強くても何の意味もない程の強さなんですけど!? でももうどうしようもない……ちくしょう……ああ、やってやるよ! やってやるよこんちくしょう! もうこうなったらどうにでもなれだ! いくぞお前ら! ダークブリングマスターの力みせてやんよ!
アキは半ばやけくそになりながらも覚悟を決める。命を賭けて戦う覚悟を。自分よりも遥かに強いであろう相手を前にしながら。既に退路はなし。もはや戦う以外に選択肢はない。何よりもアキは気づいてしまった。もしこの場から逃げることができても何の意味もないことに。パンクストリート全てが氷漬けにされてしまった。それはつまり鍛冶屋ムジカも氷漬けにされてしまったということ。もしかしたら銀術師の方のムジカも巻き込まれているかもしれない。どっちにしろこのままでは詰み、ゲームオーバー。ならば何としても目の前の相手、ジェロを倒し呪術を解くしかない。例えそれが絶望的な戦いだとしても。
「早くなさい。殺すわよ」
まるで人形のように生気のない姿を見せながらもジェロが宣告する。逆らうことを許さない絶対的強者のみが持つ言葉。
その瞬間、ダークブリングマスターアキの初めての戦い、自らと世界の命運を賭けた戦いの火蓋が切って落とされた――――
先に動いたのはジェロだった。アキが戦う意志を見せた瞬間、ジェロは自らの手を口の前にかざしながらまるで息を吹きかけるような動きを見せる。だがそれは唯の息ではない。その息はまるで吹雪のような激しさと共にアキへと襲いかかって行く。既にパンクストリートは氷の世界へと変えられてしまっているにもかかわらずさらにそれを凍らせかねない程の力。氷の息吹とでも言うべき呪術、魔法。それが絶望のジェロの力の一端だった。例え魔導士であったとしても防ぐことができないほど圧倒的な力。だがそれを前にしながらもアキはすぐさま自らの持つ剣、デカログスを構える。
「はあっ!」
掛け声と共にそれを振り切った。瞬間、氷の息吹がまるで見えない力によって切り裂かれたかのように力を失い霧散していく。アキはそれを確認しながらも一端ジェロから大きく距離を取る。それはジェロの攻撃を自分が防ぐことができるかを確認したかったから。
『封印の剣』
十剣の中の一つ。あらゆる魔法を切り裂く魔法剣。原作では最強の闇魔法ですらかき消した力。その力は四天魔王のジェロにも通用するものだった。
(よし……! ジェロの攻撃は思った通り封印の剣で防げる……!)
アキはわずかな希望が見えてきたことに喜びを隠しきれない。ジェロの魔法を防ぐことができるか否か。それが大きな問題点だった。ジェロは四天魔王の中でも遠距離、魔法戦を得意にしている描写が多かった。敵を氷漬けにする氷の息吹などがその例だ。だが相性によってはジェロは最悪の相手になりうる。原作ではベルニカという絶対回避魔法と呼ばれる回避魔法をもつ魔導士がいることでジュリアたちは勝利することができた。もし彼女がいなければジュリアはジェロに近づくこともできずに氷漬けにされてしまっていただろう。それはレットやムジカ達も例外ではない。だがアキには封印の剣という防御手段がある。加えて初めての実戦ということで上手く体が動いてくれるかどうかの心配があったがそれも問題ない。どうやら十年以上の修行の成果は体に染みついているらしい。あの地獄のような修行がやっと功を為したことに心の中で涙を流しながらもアキはすぐさま思考を切り替える。それはどうやってジェロに攻撃するか。アキが自分が可能な攻撃方法、手札を模索しようとした瞬間
「……そう。面白い剣を持ってるわね。ならこれはどうかしら」
静かに呟きながらにジェロはその手をアキに向かってかざす。自分の攻撃が防がれてしまったにも関わらずそこには全く驚きも動揺もない。まるで表情一つ変えることのない人形。その姿にアキは総毛立つ。気づいた時には既に後ろに飛んでいた。まさに直感とも言えるもの。その刹那、あり得ない光景がアキの目に飛び込んでくる。
「なっ!?」
それは氷柱だった。先程まで自分が立っていた地面から巨大な氷に柱が次々に生えてくる。アキは戦慄する。もしあのままあの場に残っていれば自分がどうなっていたか。間違いなく串刺し。即死だった。同時に自らが持つ剣、デカログスから油断するなという叱責が飛ぶもののアキは気が気ではなかった。
な、何だあれっ!? あんな攻撃があるなんて聞いてないんですけどっ!? どういうことっ!? ま、マジで死ぬところだったわっ!? と、とにかく体勢を立て直さない……と……?
アキが何とか着地しながら体勢を立て直そうとした瞬間、まるでそれを許さないとばかりに氷柱がまるで地面を這うかのように凄まじい速度で襲いかかってくる。しかも一つだけではない。四方八方からまるで取り囲むかのように氷柱が、氷の槍がアキを串刺しにせんと迫ってくる。悪夢のような光景だった。
「ち、ちくしょう……!」
それを紙一重のところで躱しながらもアキが襲いかかってくる氷柱を何とかしようとした瞬間、さらなる絶望が襲いかかってくる。それは氷の息吹。氷柱と共に氷の息吹までもが同時にアキへと迫ってくる。だが氷の息吹の速度は氷柱とは違い躱すことができない程のもの。アキはそれを封印の剣で防ぐしかない。だが封印の剣では氷の息吹を防ぐことはできても氷柱を防ぐことはできない。封印の剣は実体があるもの斬ることはできないからだ。だがアキは他の剣に形態を変えることもできない。そんなことをすればその瞬間、氷漬けにされてしまう。かといってこのままでは氷柱に追い詰められ串刺しにされてしまう。魔法と物理の同時攻撃。一瞬でアキが持つ剣の力を看破したジェロの無慈悲な攻撃にアキは追い詰められるしかない。だがこのままではすぐに限界が訪れる。
は、反則にも程があんだろっ!? く、くそっ……こうなったら一か八か……!
混乱しながらもまるでもう一人の自分がいるかのように冷静に戦略を立てている自分にアキが気づいた瞬間
「終わりね」
つまらないと言いたげな言葉と共にその鋭利な氷の刃がアキの足を貫く。だがそれだけでは飽き足らないと言わんばかりに次から次へと新たな氷柱が地面からアキの体を貫いていく。まるで獲物を捉えたかのように。後には氷柱によって磔にされてしまったアキの姿が残されただけ。それが為す術なく敗れ去ってしまった哀れな敗者のなれの果てだった。
だがそれを前にしてもジェロは表情一つ変えることはない。例え格下の相手であったとしても戦闘し、そして勝利した瞬間のはず。だがジェロは身動きどころか瞬き一つ見せない。まるでまだ戦闘が終わっていないかのようにじっと磔にされてしまったアキの亡骸を見つめていた。そして一瞬の間の後
「くだらないわね」
どこか落胆したかのような声と共にジェロは凄まじい速度で振り返りながら自らの拳を放つ。だがそこには誰もいない。知らない人か見ればまるでジェロがまるで何もない空に拳を切ったかのように見えただろう。だがそこには確かにあった。
「がっ……!?」
凄まじい金属音と共にそれが姿を現す。まるで蜃気楼のように。そこにはデカログスを構えたアキの姿があった。だがその姿は五体満足。とても氷柱に貫かれたとは思えないような体。アキは驚愕の表情を見せながらも何とかデカログスによってジェロの拳を受け止める。だがその桁外れの力を受け流すことができずそのまま遥か後方の建物にまで吹き飛ばされてしまう。その衝撃と威力によって辺りは氷に残骸と煙によって包まれてしまう。ジェロはそんなアキの姿を見ながらもただ静かに歩きながら近づいて行く。まるで獲物を嬲るかのように。いや、今のアキはジェロにとっては獲物ですらない。道端に転がっている小石同然だった。
「ぐっ……! あっ……!」
アキは失いかけた意識を何とか繋ぎ止めながらも立ち上がる。だが少なくないダメージを受けてしまっていた。初めて実際に感じる痛みに苦悶の声を漏らしながらもアキはただ驚愕し、恐怖していた。悠然とこちらに向かって歩いてきている存在。四天魔王ジェロの桁外れの力に。
じょ、冗談だろ……!? ちゃんと防御したのにこの威力かよ!? まともに食らってたら一撃で終わりだったわっ!? 肉弾戦はそうでもないとか思ってたらこれですかっ!? っていうかどうなってんの!? イリュージョンを使った攻撃が初見で見破られるとか……というかアイツ俺のこと見てもないのに何で背後にいるってバレたんだよっ!?
アキは戦慄する。一つはジェロの拳。アキはジェロは遠距離戦を得意としている分肉弾戦は劣ると考えていた。実際原作ではジュリアも肉弾戦であればある程度ジェロと戦えていたからだ。だがそれは大きな間違い。アキは知らなかった。ジェロが絶望を与えるためにわざとジュリアに合わせて肉弾戦を行っていたのだと。
もう一つがイリュージョンによる幻が全く通用しなかったこと。先程アキは氷柱に串刺しにされる前に二つの力を使った。一つが自分の身代り、幻を置くこと。そしてもう一つが自分を風景と同化させてジェロの背後を取ること。確かに身代わりの幻については気づいてもおかしくはない。実際に攻撃の手ごたえがないのだから。それでも一瞬の隙すら生まれないとは思っていなかった。しかも背後にいる透明な自分を振りむくことなく気づき、拳を放ってくる。いくら戦闘ではハイドが使えず気配を消しきれないとはいえ信じられないような反応。
「どうしたの、もう終わりかしら……?」
全く慈悲も容赦も感じさせない冷徹な言葉と共に再びジェロが氷の息吹と氷柱を放ってくる。だが封印の剣もイリュージョンも目の前の相手には通用しない。そんな小細工が通用するレベルを、次元を遥かに超えたところに目の前の相手はいる。ならば余計なことを考える必要はない。今の自分が持つ最高の攻撃。それしかない。
「――――師匠っ!!」
叫びと共にアキはデカログスを自らの前にかざす。同時に自らの力をデカログスへと注ぎ込む。瞬間、それに呼応するように剣が新たな形態を形作っていく。それは
「真空の剣メル・フォース――――!!」
第六の剣『真空の剣』 その名の通り真空を巻き起こし突風によって相手を攻撃する力を持つ剣。アキの渾身の力を込めたそれは氷の息吹と氷柱を全て吹き飛ばしながらジェロへと襲いかかって行く。だが
「無駄なことを」
ジェロは身動き一つせずそれをその身に受ける。躱そうとする素振りすら見せない。何故ならジェロは自らの体に絶対の自信を持っているからこそ。ジェロは無敵と言ってもいい身体を持っている。外からのダメージでは決して倒すことはできない。何よりも魔王としてこの程度の攻撃など恐るるに足らないという自負の現れ。それを証明するかのように渾身の一撃を以てしてもジェロには傷一つ与えることはできない。真空の剣では、いや今のデカログスの技ではジェロを倒すことはできない。しかしそれはアキとて知っていた。故にこの攻撃はジェロを倒すためでなく、ジェロの動きを一瞬でも止めるためのもの。真空の剣の特性の一つ。使った相手を一時的に動けなくする力。だがジェロの前ではそれは一瞬。だがその一瞬こそアキが欲しかった勝機だった。
「っ!」
瞬間、初めてジェロの表情に変化が生まれる。その目が見開かれる。その瞳の先には一つの力があった。それはまるで球体のような力の塊。それがアキの前に生成されている。ジェロは瞬時にそれが何であるかを悟る。
アキが持つ母なる闇の使者であるマザーの力 『空間消滅』
触れたもの、空間すらを消し去る絶対の力。かつて世界を震撼させたシンクレアの力の一端。それが今、アキの手によって力を増し、解き放たれようとしていた。その力は十年前の比ではない。扱うアキですら恐怖を覚えてしまいかねない程の力。その証拠にアキは実際にはマザーの力を使ったことはほとんどなかった。使われた相手は絶対に命を落としてしまう程の禁忌の技。だがそれを今、アキは放たんとしている。
本当なら真空の剣からの連携技にデスペラードボムと呼ばれるものがある。キングが得意としていた技であり、アキもそれを習得している。だがアキはあえてマザーを選択した。デスペラードボムであってもジェロにはダメージは与えられないという予測、そして何よりもダークブリングマスターとして戦うことの誓いに似た想いがそこにはあった。
「マザ―――――!!」
咆哮と共に闇の光がマザーから放たれる。自らの主に応えんと、その力を振るえることへの喜びと共に極大の力が解き放たれる。氷の息吹も氷柱も関係なく全てを飲みこみ消していく。それは一瞬。だがジェロはその一瞬を動くことができない。真空の剣の力によって。凄まじい爆発音と共に光と音が消え去っていく。
残されたのはまるで隕石が落ちてしまったかのように切りとられてしまった大きなクレーターだけだった。
「ハアッ……ハアッ……!」
肩で息をしながらもアキは何とかデカログスを杖代わりにすることで立ち上がる。渾身の力を込めた真空の剣と空間消滅の連続技によってアキはほとんどの力を使い果たし今にも倒れてしまいそうな有様。だがアキは安堵していた。先程の攻撃。間違いなく直撃だった。動きを一瞬止めたおかげもあるが絶対に避けれない規模の攻撃を放った。いかに外からの攻撃に無敵のジェロといえどもこれには耐えきれない。自分が生き残ることができたと、そう思った瞬間
「それがお前の持つ母なる闇の使者の力か。確かに凄まじいけど……残念ね」
消え去ったはずの者の声がアキへと響き渡る。もはやアキは声を上げることもできない。そこには絶望がいた。その姿は全く変わっていない。傷一つ負っていない無傷。あり得ないような事態にアキはどこか放心状態でその場に立ち尽くすことしかできない。
それは決してアキが弱いからではない。先の攻撃も間違いなく即死に至る攻撃。だがそれすらもジェロの空間すら凍りつかせる力の前には無力だった。もっともジェロを一瞬だけでも驚かせただけでも称賛に値する。だがそれでもまだそれはジェロを納得させるだけのものではなかった。
「どうやら底が見えたようね……さあ、絶望なさい」
一度大きく目を閉じた後、ジェロは最後の攻撃を開始する。まるで子供に慈悲を与えるかのような声色を出しながらも無慈悲に、残酷に、そして冷酷にその氷の魔力がアキへと襲いかかって行く。アキはまるで逃げまどうように動きながら、マザーの力を放ちながら距離を取ろうとするもその全てが通用しない。
空間消滅はジェロには通じず、ジェロの攻撃は防ぎきれない。その証拠に徐々にではあるが体が凍りつきつつある。手足はかじかみ、痛覚がマヒしてくる。既にほとんどの力を使い果たし疲労困憊。いつ倒れてもおかしくない状態。だがそんな中、アキは奇妙な感覚に囚われていた。
(これは……?)
まるで自分とマザーが一つになっていくような感覚。マザーと契約した時に感じたダークブリングマスターとしての力。それが漲ってくる。まるで自分が自分でなくなるかのような、生まれ変わるかのような感覚。今まで何度修行をしても感じることのなかった感覚が今、アキを支配していた。
それがデカログスがかつて指摘したアキに足りなかったもの。幻との修行では身につけられない、命を賭けた戦いの中でしか得られない感覚。そして何よりも足りなかったのが覚悟。アキが心のどこかでずっと抱いていた疑問。欠けていたもの。
自分がこの世界で生きているのだと言う実感。
この世界で生きて行くのだという覚悟。
それが今、ようやく成し遂げられた。
それがアキが本当の意味でこの世界の一員となった瞬間だった―――――
アキはそのまま必死に抵抗しながらも追い詰められていく。いかにダークブリングマスターとしての力が増そうと既に満身創痍。そして相手は魔界を統治する四人の王の一人。キングすら敵わない遥か頂きの存在。だがアキには一つだけ勝機があった。それはアキでしか知り得ない勝機。それは蜘蛛の糸を掴むほどの勝機。だがアキはその瞬間を待ち続ける。そしてそれは訪れた。
「もう鬼ごっこは飽きたのかしら?」
「………」
アキは満身創痍の体を引きづりながらもジェロの前に姿を現す。それはまさに自殺行為。その距離はもはやジェロの攻撃を避けれる距離ではない。気が触れたとしか思えないような行動。ジェロはそれをアキのあきらめ、自棄だと判断する。そうなってしまうほど今のアキは呼吸も乱れ、立っているのもやっとの状態。そしてジェロが最後の慈悲を与えようとした瞬間
「はあああああっ!!」
アキが残ったわずかな力を振り絞りながらマザーの力を放つ。だがそれは最初の一撃とは比べ物にならない程威力が落ちたもの。避ける必要がないと断ずる程の無様な攻撃。
「無様ね……死になさい」
ジェロは手をかざしながら魔力を放つ。それはアキが放った攻撃もろともアキを氷漬けにしていく。逃れることができない圧倒的な力の差。アキはそのまま為すすべなく氷によってその身を捉えられてしまう。この街の住民たちと同じように白い彫像へと姿を変えて行く。だがその時ジェロには全く違うものが見えていた。
「興醒めだわ……もういいわ。さっさと絶望なさい」
それは自分の背後から襲いかかろうとしているアキの姿。もっともジェロは直接目で捉えることなくそれを感じ取っている。熱。それをジェロは感じ取ることができる。結界によってこの街は全てジェロの領域。その中ではどんな存在でもジェロから逃れることはできない。いくら姿を消したところで、身代わりを用意したところで意味はない。まさにイリュージョンにとって天敵と言ってもいい力。
そしてそれ以上にジェロは落胆していた。最後に何か仕掛けてくるかと思えば最初の攻防の焼き回し。興が覚めてしまう程愚かな行為。どうやら器足る存在ではなかったらしい。マザーの余興に付き合うのもこれまで。この程度の使い手ならば放っておいても勝手に命を落とすだろう。ならばここでそれを摘みとってやるのが王としての務め。
ジェロはそのまま自らの拳に魔力を込めながら背後から奇襲をしようとしているアキに向かって放つ。今度は防御しても防ぎきれない程の力と魔力を込めて。文字通り絶望するに相応しい最期の一撃。それがアキの体を粉砕せんとした瞬間
まるで瞬間移動したかのようにアキの姿がジェロの前から姿を消した。
「なっ!?」
瞬間、ジェロが初めて驚きの声を上げる。当たり前だ。いきなり目の前にいた筈のアキが消えてしまったのだから。しかも間違いなくさっきまでいたアキは本物だった。熱を誤魔化すことはできない。ならば一体どこに行ってしまったのか。それはまさに刹那の時間。油断と呼ぶにはあまりにも短い時間。だがその間で全ては決まった。
それは剣だった。ジェロはその光景に目を奪われる。自分の体から剣が生えている。いや違う。剣によって腹を貫かれている。誰に。考えるまでもない。アキによって。ジェロは気づく。
自分の背後からアキが剣によって自分を串刺しにしていることに。だがあり得ない。それは先程までアキがいた場所とは自分を挟んで正反対の場所。だがそれをアキは為し得る。
『ワープロード』
瞬間移動のDB そしてアキがこの瞬間まで取っておいた最期の切り札。ワープロードは離れた場所を移動することができるDB。だがそれは決して近い場所を移動できないということではない。マーキングによって指定された場所に飛ぶこと。それがワープロードの力の本質。だがその数は無限ではなく、マーキングした場所でなければ移動できないため戦闘中には扱いづらい能力。何故ならあらかじめ用意した場所ならともかく初めて戦う場所ではマーキングをしながら戦わなくてはならないのだから。しかも常に戦闘中動きまわればマーキングが無駄になってしまうことの方が多い。一時的な退避には使えるが扱いづらいことには変わらない。ましてや相手はジェロ。イリュージョンを初見で看破した相手。一度でもワープロードを使ってしまえばこの奇襲は通用しない。そしてマーキングの場所までジェロをおびき出すこと。はっきり言えば確率はゼロに近かった。だが王たる者の慢心、油断。そこに全てを賭けてアキは掴み取った。常に修行で自分よりも強い相手と戦って来たアキだからこそできる戦法だった。
ジェロは悟る。自分が知らず目の前の相手を侮っていたことを。だがそれでもここまで。普通の相手ならば剣を突き立てた時点で勝負は決まる。だがジェロには通用しない。無限の再生力を持つジェロには剣は通用しない。
そう、それが唯の剣であったなら。
ジェロは気づく。それはアキの手にある剣。だがそれは一本ではない。自分を突き刺している剣とは別にもう一本アキは剣を持っている。それは双剣。朱と青、対照的な色持つ双剣。その内の朱色の剣が自分を貫いている。それが何なのかジェロが気づくよりも早く
「あああああああああああっ!!」
瞬間、全てが燃え去った。それは炎。この氷の世界の中であまりにも不釣り合いな光。それがアキの持つ、ジェロを貫いている剣から生まれ出る。それこそがアキの真の狙い。
『双竜の剣』
氷と炎の属性をもつ二刀剣。その内の炎の剣こそがアキの切り札。体の内側からの炎ならばジェロを倒し得る。それを知っているアキだからこそできる逆転の方法。
その瞬間、ジェロはまるで氷のようにその身を溶かしながら消え去って行った―――――
「や……やった……?」
その場に膝を突きながらもアキはどこか心ここに非ずと言った風に一人誰にでもなく呟く。まるで夢が終わったかのような気分。今までのがはたして現実だったのかどうかすら、今自分が生きているのか死んでいるかのも分からない。
だがそれでも確かにあった。ジェロを貫いた感触が。確かに見た。溶けていった姿を。何よりも自分が生き残った。しかもあの四天魔王の一角、絶望のジェロを倒して。その実感がアキの中を駆け巡って行く。
お、おい……やったぞマザー! やったぞこんちきしょう! 見てたかこの野郎、これでもうヘタレだの何だの言わせねえぞ! イリュージョンもワープロードもよくやってくれたな! し、師匠見てくれましたか!? これで俺も一人前ですよね!? え? 何でみんな無視すんの? 確かに戦闘で疲れてるのは分かるけど全員でシカトすることもない……だろ……?
瞬間、ようやくアキは気づく。DBたちがまるで何かに気づいているかのように黙りこんでしまっていることに。そして何よりも、この氷の世界が、呪術が解けていないことに。それはつまり
「驚いたわ……まさか身代わりを使わされるなんてね……」
まだこの氷の世界の女王は健在であるということ。
アキの背中に冷たい感触が伝わる。それは手。女性の細い美しい手。そしてこの世の物とは思えないような冷たさ。座りこんでいるアキの背後、見下ろすように女王、絶望のジェロは君臨していた。出会った時と変わらない、顔にひび割れがある以外全く傷一つない姿で。
はは……やっぱ無理ですよね……
そんな遺言と共にアキの意識は途切れるのだった―――――