静まり返った記憶の水晶と漆黒の空が支配する星の記憶の中で二人の少年が向かい合う。金髪に銀髪。黒と白。レアグローブとシンフォニア。DBとレイヴ。ダークブリングマスターとレイヴマスター。全てが対照的な、故に対極の位置する存在。
ルシア・レアグローブとハル・グローリー。
九月九日。時が交わる日において二人は再び相見えることになった。
「……ハルか。ようやくまともに戦えるようになって来たらしいな」
ルシアは立ち上がり、その瞳で自らの前に姿を現したハルを捉える。いつもと変わらない、いつも以上の決意を感じさせる瞳。背には新たなTCMが、レイヴがある。聖剣レイヴェルトと世界のレイヴ。共に真のレイヴマスターでしか持ち得ない最高の装備。その実力も見るだけで充分に伝わってくる。もはやかつてのハルとは別人。今まで自分が持ち得たアドバンテージはない。ハルよりも先に旅立ち、シンクレアを手にし、戦いを乗り越えてきたが故にあったハンデは消え去った。かつてルシアが心から待ち望んだ状況。自らを、エンドレスを倒し得る力を得た証。だがルシアの心は何一つ昂ぶらない。感慨も、喜びもない。あるのはそう、無常感だけ。ただの予定調和。勇者によって倒されるという大魔王の役目を全うするだけ。
自らの背にある愛剣、ネオ・デカログスを手に取りながらルシアは一歩一歩ハルへと近づいて行く。その胸中には様々な感情に、思考にまみれていた。何故エンドレスはわざわざハルをこの場に呼び寄せたのか。エリーの持つ魔導精霊力とまではいかなくともハルの持つレイヴはかつてのレイヴではない。世界のレイヴ。五つ全てが一つとなった本来の完成形。エンドレスを倒すことができなくとも、かつて五十年前、初代レイヴマスター、シバ・ローゼスが見せたようにエンドレスにダメージを負わせることは可能なはず。そんな危険な存在を何故。
(いや……いくら考えても関係ねえ……俺は俺の役目を果たすだけだ……)
ルシアはその全てを振り切ってただ己が剣に力を込める。何を考えようと、策を講じようともはや意味はない。既に賽は投げられているのだから。賽を投げることができるのはエンドレスであり自分ではない。最後の抵抗であるムジカ達の排除は成し遂げたもののそこまで。裏をかかれエリーの元には四天魔王が送り込まれてしまった。もはやどうしようもない。ハルにそれを伝えることもできない。そんなことを許すほどエンドレスは甘くはない。伝えたところで間に合わない。悪戯にハルの精神を乱すだけ。ならばできるのは唯一つ。
「いつかの時の続きだ……どちらが生き残るか、最期の戦いを始めるとしようか……」
この場で全ての決着をつけること。今までの因縁を断ち切るために。世界を賭けた戦いを始めんとするも
「……違う。オレはお前を倒すためにここに来たわけじゃない」
ハルもまた自らの剣を手にしながら向かい合う。だがその言葉には明らかな否定が含まれていた。ルシアの言葉への確かな否定が。
「……どういう意味だ」
「オレが倒しに来たのはエンドレスだ。アキじゃない。オレもエリーもお前を倒すためにここに来たんじゃない」
ハルは一片の迷いもなく、ただルシアを見つめている。その迷いない瞳にルシアはただ呆気にとられるしかない。一体何をハルが言っているのか理解できない。できるのはただいつもと同じように無表情のまま、仮面を被ったままハルを見据えることだけ。その全てを見透かすようにハルは告げる。
「――――オレ達はお前を助けに来た。それだけだ」
助けに来た、と。倒すのでもなく、止めるのでもなく、ただ助けに来た、と。あまりにも場違いな、理解できない宣言。最終決戦において、その最大の敵を前にしてもなお、未だにそんなことができると本気で思っている愚か者。お人好し。
「――――は」
思わずルシアの笑いが漏れる。何の意図もない、ただ単純にあまりにも呆れて出てしまった失笑。
本当なら心から喜ぶべき言葉だったはず。こうしてハル達に助けてもらうことを目的に動いてきた。なのにいつからだろう。自分が生き残ることをあきらめたのは。いつからだろう。そんなハルの姿が鼻につきはじめたのは。いつからだったのか。それが綺麗事に聞こえ出したのは。
決まってる。全てを知った時。自分がどうあがいても生き延びることができないと悟った時。生き延びることがそのまま死ぬことと同義だと知らされた時。自分が何も知らなかったのだと突きつけられた時。なのに―――が自分のためにただあってくれたと知った時。
なのにハルは自分を助けるなどとほざいている。ただ笑うしかない。あまりなお人好しぶりに吐き気すらする。知っていた。ハルがそうであることに。例え敵であっても手を差し伸べずにはいられないことを。ただ今はそれが心底目障りだ。
「ははっ……ほんとに昔から何にも変わらねえな……お前は……」
何も知らないくせに。何も知らない癖に知ったような口を。ただ心がざわつく。ただハルを目の前にしただけで得もしれない感情が溢れてくる。そんな自分に心底吐き気がする。この期に及んで―――かもしれないなんて希望を抱かせるハルが目障りで仕方がない。
「……御託はもういらねえ。言いたいことはその剣で語るんだな――――!!」
ただそれを抑え込むために、振り切るためにルシアは駆ける。瞬間、ハルとルシア。二人の少年の最期の戦いの幕が切って落とされた――――
音を置き去りにしかねない速度でルシアは走る。闇の音速剣。十剣の能力を極限まで引き出すことができるネオ・デカログスだからこそ辿り着くことができる領域。ただルシアは己が力を剣のみに注ぐ。ルシアは知っていた。自分とハルの戦いは十剣の、剣士としての戦いだと。
世界のレイヴ。それはその名の通り、世界のために造られたレイヴ。DBに対抗するための生み出された本来の役目、その能力はDBの無力化。それを前にすればルシア、担い手はシンクレアもDBの能力も扱うことはできない。だがその例外がルシアが手にする十剣。ルシアは己の力を全て剣のみに注ぐことで対抗する。同じ力。対極であるがゆえに互角であるレイヴとDB。能力が互いを打ち消し合うことは必定。故に勝負は唯一つ。
ハルとルシア。互いの担い手の差がそのまま勝敗を決めるということ。
「闇の爆発剣―――!!」
ルシアは音速を維持しながら一瞬で間合いを詰め、剣を振るう。闇の爆発剣。一突きで大地を崩壊させて余りある力を持つ一撃。だがそれを
「光の爆発剣―――!!」
同じ爆発剣でハルは切り返す。だがその剣はかつてのTCMではない。世界のレイヴ、一つとなったレイヴを手に入れたことでTCMもまた新たに生まれ変わっている。ネオ・デカログスと対を為す、同等の存在。
光の爆発剣と闇の爆発剣。両者の激突は大地を崩壊させながらも完全な拮抗、互角で終わりを告げる。破壊の余波によって記憶の水晶は跡形もなく吹き飛ばされ、辺りは全て消え去っていく。そんな中にあってもルシアとハルは互いに無傷のまま、音速剣の速度を纏いながら幾度も交差する。
崩壊していく大地を意にも介さず、ただ音速剣が無数の火花を散らしていく。金と銀。黒と白。かろうじて見える、目に見えないような速さで二人は剣を合わせ、弾き、駆けて行く。一際大きな衝突と衝撃音とともに両者の間に距離ができると同時に二人もまた新たな剣の形態を見せる。
「闇の真空剣―――!!」
「光の封印剣―――!!」
闇の真空剣と光の封印剣。大地を切り裂き、谷を生み出すほどの威力を持つ真空剣を同じく全ての非物理を切り裂く封印剣が無力化する。だが互いにその光景に驚くことも、焦ることもなくルシアとハルは再び距離を詰めながら互いの十剣でぶつかり合う。
爆発。音速。封印。双竜。真空。重力。太陽。月。
それぞれが一本の剣として成立する能力を持つ剣。 TCMとデカログス。十剣と十戒の名を持つ名剣。レイヴとDBの力を引き出すための剣。同じ形態、異なる形態を用いながらハルとルシアはぶつかり合うも結果は同じ。互いの一撃は相殺し合い、無効化される。同じ力を持つ剣であること、何よりも互いに十剣を知り尽くしているからこそ。故に二人には互いの思考も、動きも読める。
「闇の爆撃波―――!!」
「光の真空波―――!!」
互いの大技、連携技がぶつかり合うも結果は同じ。変わるのは辺りの景色だけ。美しかった、幻想的な星の記憶の姿はもはやどこにもない。あるのは全てが消え去った荒野だけ。それが今のルシアとハルの戦い。
二人はそのまま立ち尽くしたまま見つめ合う。これほどの戦いを見せながらも未だ無傷。息も切らせていない。しかし明らかな違いがあった。ルシアはそのまま怒りにも似た表情を見せハルを睨みつけている。対するハルは最初から変わらない。
「何のつもりだ……何で聖剣を使わねえ。手加減でもしてるつもりか……?」
ルシアはそのままハルを視線で射抜くもハルは応えることはない。まるで先のルシアの言葉通り。言葉ではなく、剣で全てを語るかのように。
『聖剣レイヴェルト』
TCMの最後の剣にして最強の剣。破魔の力を持つ聖剣。それを手にしているはずにもかかわらずハルは未だ見せていない。十剣という勝負の中で唯一、最大の差であるにも関わらず。ルシアが唯一手にしていない第十の剣。魔剣ダークエミリア。どんなに修行を積もうと、戦いを切りぬけようと手にすることができなかった剣。偽物のルシアである自分には扱うことができない剣であるとあきらめていたもの。故に先の戦いでハルが聖剣を見せていれば勝負決していた。聖剣には魔剣でしか対抗できない。他の剣では届かない到達点。にも関わらずハルはその剣を使うことはない。まるで今のルシアには使う必要がないのだと告げるかのよう。
「……そうか。ならいい。さっさと終わらせてやるよ」
ルシアは乾いた笑みを浮かべながら剣をかざす。瞬間、ルシアの体から光が溢れだしてくる。黒の光。闇の力の象徴とでも言えるエンドレスの力の奔流。
『エンドレス化』
エンドレスの力をその身に宿す奥義。神の力を引き出す『バルドル』の能力。だが今ルシアはそれを自らの力のみで成し遂げていた。魂すらエンドレスと繋がり、囚われているルシアだからこそできる芸当。物理も非物理も超越した頂き。単純な強さを超えなければ破ることができない闘気。今のルシアのそれはかつてのウタ戦を遥かに凌駕している。一つとなったエンドレスと一体化したルシアは神にも等しい力を持っている。
だがその闇の飲まれながらもルシアは感情に支配されかけていた。これはいわば負けるための戦い。ルシアが勝ったとしても得るものはない。自殺に近い意味がないもの。にもかかわらずルシアは知らず苛立っていた。本気を出していないであろうハルに。全てを見透かすような、自分を試しているようなハルの姿に。そんなこと気にする必要もないというのに。何故こんなにも心がざわつくのか。悔しいのか。負けたくないと思うのか。
今の自分には戦う理由など無いというのに。そんな物、とうの昔に、失くしてしまったはずなのに――――
「はああああ―――――!!」
子供のように、ただがむしゃらにルシアは力のまま向かって行く。世界のために、ハル達のために負けなければならない。ルシアを演じなければならない。それだけが今の自分に残された道。そう信じ、そう言い聞かせてルシアはここまできた。それを貫き通すためにルシアはただ全力でハルへと向かって行く。
手を抜くこともない、手加減がない正真正銘の全力、全身全霊をもって。手加減をすればエンドレスに露見してしまう。そうなれば操られた自分をハルは倒すことができないかもしれない。その隙を突かれればハルが殺されてしまうかもしれない。ただ今のルシアにできるのは戦うことだけ。まだルシアは気づかない。気づけない。その行動の意味を。
「――――アキ!!」
その名を呼びながらハルはルシアの一刀を受け止める。その速さは先の比ではない。エンドレスを身に纏ったルシアの速さは閃光すら凌駕する。驚異的な身体能力。だがその一撃をハルもまたその力で受け止める。奇しくもルシアと対照的な光をその身に纏うことによって。魔導精霊力、レイヴの力をその身に宿す、レイヴマスターの奥義。
光と闇。白と黒の光がぶつかり合い全てを飲みこんでいく。そこに存在できるのはハルとルシアの二人だけ。両者は互角であり、対となる力を持って剣を交えて行く。
『剣聖』
剣の頂点であり世界最強の剣士である証。ハルはシバから、ルシアはウタからその称号を受け継いでいる。まさしく剣の頂点を決める戦い。そこに差は全くない。剣技において両者は全くの五分。剣の結界とでも言うべき剣舞が巻き起こる。
『担い手』
レイヴとDBを操る者。魔導精霊力とエンドレスの力を受け継ぐ者。そこにも力の差はない。共に五つに分かれた石を一つにし、その力を宿している以上、それはあり得ない。力も技も互角。故にこれはどちらが先に力尽きるか。それが勝負の決め手となる。だがそれは
「ぐっ――――!?」
ルシアの苦悶の声によって終わりを告げる。
ルシアはハルの剣によってわずかではあるが押し負け、後退してしまう。本当にわずかな、何かの間違いだと言えるような差。だがそれは確かに存在する。
「アキ――――!!」
叫びと共にハルは光を宿した剣をルシアへと振るってくる。ルシアもまた闇を宿した剣で迎え撃つもその剣撃によって徐々に押し込まれていく。剣技でもない。力の差でもない。見えない力がルシアを追い詰めて行く。確かな重さがルシアへとのしかかってくる。
(これは……!?)
ルシアはその光景を知っていた。覚えていた。かつてウタと戦った時。その時に起きた変化と同じことが今、ハルと自分の間で起こっている。ルシアはその正体を知らない。だが本能で悟っていた。
『想いの剣』
誰かのために。想いを剣に乗せることで剣に重みを与える。剣聖ではないもう一つの剣の終着点。ハルの想いの剣がルシアの剣を圧倒していく。力でも技でもない。心の差。覆しようがない、覆すことができないもの。
「くっ……!! 俺は……まだ……!!」
それを見せつけられながらもルシアは何度も立ち向かって行く。みっともなく、転がりながらも、泥だらけになりながらもただ必死に。もはや自分が何のために戦っていたのかすらも忘れ、ただがむしゃらに。
負けたくない。そんな、子供のような理由だけを胸に抱きながら。
そんなルシアの剣を受けながらハルもまた全力でそれに応える。純粋な剣と剣の勝負。その中でハルは初めてアキへと問いかける。今のアキになら、それが通じることを悟ったからこそ。
「アキ……お前は何のために戦ってるんだ!?」
何のために戦っているのか。自らの根源に対する問い。かつてシバによって問われた命題。同時に自分が自分であるための立脚点。その問いと想いを込めながらハルはアキへと剣を振るう。
「何のために……? 決まってる……俺のためだ!! 俺は自分のために戦ってる!! 今も、昔も……俺はそれだけのために戦って来た!!」
ハルの剣に弾き飛ばされながらも踏ん張り、ルシアは己が心の内を叫びながら剣を返す。
自分のために。それがルシアの答えであり、行動理念。そこに間違いはない。ただ自分が生き延びるために動いてきた、抗って来た。そのために全てを利用してきた。その結末がこの結果。みっともなく、子供のような駄々を見せるしかない愚か者、操り人形の姿。
「――――違う!! お前は自分のためなんかに戦っていない!! なら何でオレ達を助けるような真似ばかりして来たんだ!?」
咆哮と共にハルはアキへ剣を返す。明確なルシアの言葉への否定。それに圧倒されながらもルシアはただ抗う。いつかの戦いと同じように。自らの本音を吐露しながら。
「―――俺が助かるためだ!! そのために……お前らを利用するためにそうしただけだ!! てめえに何が分かる!? ただ真っ直ぐ進んできただけのお前に俺の何が分かるってんだ!?」
ただ叫びながら、力のままに剣でルシアはハルへと応える。全ては自分のためだったと。同時に八つ当たりを口にする。星跡の洞窟の時と同じ。否、同じではない。明確な嫉妬。どうして自分だけが。理不尽に対する生き場のない怒り。
「違う!!なら……ならどうしてお前は姉ちゃんを助けたんだ!?」
その怒りはハルの予想外の問いによって消え去ってしまう。瞬間、ルシアの脳裏に蘇る。ここにはいない、それでも自分帰りを待ってくれている一人の女性を。
「エンドレスを倒すためなら……姉ちゃんを助ける必要なんてお前にはなかったはずだ!! なのに何でお前は姉ちゃんを助けてくれたんだ!? 姉ちゃんのためじゃねえのか!?」
「ち、違う……!! 俺は……俺はただ……!!」
ハルはただ叫ぶ。自分のため、生き残るためだけなら何故姉であるカトレアを助けるような真似をしたのかと。ハルは知っていた。かつてシュダがガラージュ島を襲った時にアキがカトレアを、自分を救ってくれたことを。本当に生き残るためだけなら、ハルを助けるだけでよかったはず。なのに何故カトレアを助けたのか。
「自分のために戦って何が悪いんだ!? 自分のためでも……お前はオレ達を助けてくれた!! それじゃいけないのか!? お前がいたからみんな生きてる! それのどこが悪い!? オレは知ってる……お前が、お前が自分のためだけに戦ってたんじゃないことを……!」
全ての想いを込めた剣を以ってハルはルシアと剣を交差させる。瞬間、二人の力が拮抗し、辺りの全てが吹き飛んでいく。かつてのゲイルとキングの衝突の再現。違うのはその規模。魔導精霊力とエンドレスの力のぶつかり合い。その中にあっても勝敗を分けるのは唯一つ。心の強さ。全てが互角であるハルとルシアの決着はその一点にこそ集約する。
ハルは知っていた。アキが何に苦しんでいるかを。今までどんな思いでここまで戦って来たかを。エリーから全てを明かされた今なら分かる。あの時も、あの時も。全ては自分たちを助けるため、生かすため。アキが言うようにそのきっかけは自分のため。でもそれが全てではないことハルは知っている。かつてハルはその重さを感じたことがある。
星跡の洞窟。自らが羅刹剣に飲まれ、狂気に落ちようとした時。そんな自分を救おうとしてくれた一刀。そこには確かな重みがあった。自分だけのためでは持ち得ない、想いの剣が。今、アキは失ってしまっているだけ。それを思い出させることがハルの役目であり、エリーとの約束。
「お前は『誰の』ために戦って来たんだ、アキ―――!!」
エリーが信じ、アキが想ってきた誰かのために。その名をあえて告げることなくハルはアキへと問いかける。瞬間、初めてルシアの動きが止まる。まるで忘れていた、忘れようとしていた何かに気づいたかのように。その瞳は確かな動揺がある。ルシアを演じる中ではあってはならない揺らぎ。だがそれをルシアは抑えることができない。まるで太陽の光に照らされる月のように、ハルの言葉で、剣で心が揺さぶられていくのが分かる。
「俺は…………」
ルシアは無意識にその手を自ら胸元に伸ばす。その手がそれを手にすることはない。それが何だったのか思い出そうとした瞬間
『……茶番はそこまでだ。人形は人形らしく役目を果たすがよい』
終わり亡き者の声によってそれは途切れてしまう。
「っ!? これは……!?」
ルシアはただ声を上げることしかできない。ハルもまたそれは同じ。ルシアの視線は自らの右手、ネオ・デカログスに向けられている。そこにはただルシアを侵食しようとする異形があるだけ。それが何であるかを二人は知っていた。
羅刹の剣 サクリファー。
担い手を戦うだけの羅刹へと堕とす狂気の剣。その特性ゆえに二人とも先の攻防では見せなかった禁忌。その力をエンドレスは強制的に発動させる。ネオ・デカログスは自らの主を守らんとするもエンドレスに抗うことはできない。それはダークブリングマスターであるルシアもまた同じ。ルシアはただ為すすべなく、羅刹剣に飲み込まれ、羅刹へと身を落としていく。それこそがエンドレスの策。例えルシアが手を抜こうと関係ない。羅刹剣を発動させることで強制的にレイヴマスターであるハルを排除する仕掛け。
「うああがあああああああ―――――!!」
その腕を侵食されながらただルシアは咆哮と共にハルへと飛びかかる。その速度は先を大きく超えている。エンドレス化をした状態での羅刹剣。元々が魔剣であるがゆえにその親和性、力はかつてハルが見せたものを遥かに凌駕する。
「―――!! アキっ!!」
ハルは瞬時に反応するもその剣閃と速度に対応することができず腕を切り裂かれる。出血が宙に舞うもそれによって血の味を覚え、羅刹剣はハルへと襲いかかってくる。ハルはただ羅刹剣にされるがまま。レイヴの光を纏っている防御ももはや通用しない。単純な強さにおいて今の羅刹と化したルシアはハルを凌駕している。力も、技も、ハルは羅刹には及ばない。
だがそれでもハルはあきらめない。
ハルは力と共にその力を解き放つ。瞬間、まばゆい光が辺りを照らし出す。
聖剣レイヴェルト。
友が自分のために創り上げてくれた唯一無二の剣。世界の剣。その破魔の力にハルは全てを賭ける。これはあの時の焼き回し。ハルが羅刹剣に飲まれた時、アキが助けてくれたように、今度はハルはそれを為す。
「アキ――――!!」
己が全ての力と想いを込めた聖剣が羅刹剣を止めんと振り切られる。瞬間、二つの剣がぶつかり合い閃光を生み出していく。本来ならハルは羅刹となったルシアと剣を合わせることはできない。身体能力と剣技において全て上回っているルシアにハルは敵わない。例えレイヴェルトを持っていたとしても覆せない剣士としての限界。しかしハルには一つの勝機が、希望があった。
それは羅刹剣の浸食。本来なら担い手全てを飲み込むはずの浸食が腕の部分で止まってしまっている。すなわち今のルシアには確かに心が残っているということ。その可能性に賭けたハルの聖剣が羅刹剣を捉え、刀身にはヒビが入って行く。剣の破壊による羅刹剣からの解放。
(そうか……俺は……ただ……)
その刹那、アキは全てを思い出す。羅刹剣に飲まれたことも、その顛末も。本当に全てをあきらめていたのなら、自分のためだけなら羅刹剣に飲まれた時点で自我は消失する。にもかかわらず、まだ微かにでも心が残っている理由。
馬鹿げている。事ここに至るまで気づかないなんてどうかしている。そのせいでハルにこんな手間まで掛けさせてしまった。どんなに謝っても頭が上がらない。だがそれでも構わない。おかげで思い出せたのだから。
かつて命を落とし、全てをあきらめた時に聞こえた誰かの声。その声を聞きたかったからこそ自分はまだみっともなく足掻いているのだと。世界のためでも、ハル達のためでもない。
『マザーに会いたい』
それが自らの望み。自分の、マザーのためのたった一つの願い。
永い旅路の末にようやくルシアからアキに戻った瞬間だった――――
「アキ……」
ハルはただその姿に目を奪われていた。そこにはかつてのルシアの姿はない。いつか見た、ガラージュ島にいた頃のアキがそこにはいた。その手には新たな剣が握られている。
羅刹剣ではない魔剣。本来なら破壊されるはずの聖剣の一撃に耐えたことがその証。アキがその心を、想いを取り戻したことの証明。
『魔剣 ダークマザー』
ルシアではない、アキだからこそ持ち得る第十の剣。アキのマザーへの想いが形になった魔剣だった。
「……悪い、ハル……面倒かけちまった……」
アキはただ顔を伏せながらも、自らの剣を見つめているだけ。そこには見間違うはずのない自らの心の具現がある。聖剣レイヴェルトにも劣らない、ハルの想いにも劣らない力をアキは取り戻す。本当の意味でレイヴマスターとダークブリングマスターが対等になった瞬間。
「ああ。でもこれでやっと『アキ』に戻れた。だろ、アキ?」
ハルは満身創痍の体をものともしない満面の笑みでアキに微笑む。いつもと変わらない、アキが知るハルの姿。自分の友であり、そうありたいと憧れた少年の姿にアキは苦笑いするしかない。ハルもまたそれは同じ。アキの心と想いを取り戻すこと。それがハルの役目であり、エリーとの約束であったのだから。
だがそれで全てが終わったわけではない。状況は大局的に見れば何一つ変わっていない。エンドレスは健在。エリーの元には四天魔王がいる。しかしアキはただ感謝していた。最後の瞬間であっても、ルシアではなくアキとしての自分に戻れたことに。アキがその言葉を述べようとした瞬間
「ホムぅ……どうやらここまでのようじゃの」
それまで存在しなかったはずの、第三者の声がハルとアキに向かって掛けられる。だがアキだけは知っていた。それが誰であるかを。
もはやかつての小さな老人の面影は残っていない。巨大な、悪魔が具現化したような禍々しい容姿。その体には無数のDBが組み込まれている、圧倒的な魔の力を感じさせる魔王。
『魔石王 アスラ』
生きたDBと呼ばれる四天魔王、漆黒のアスラの真の姿だった。
「アスラ……何でお前がここに……」
「ホム、最初からじゃよ。お主らが下らぬ茶番を演じておる時からな。さしものお主も気配と姿を消したわしには気づけなかったようだな」
どこか満足気に邪悪な笑みを浮かべながらアスラは明かす。最初から自分がその場にいたことを。アキとハルの戦いを監視していたことを。それは
「もう少し様子を見ておこうと思ったが無駄なようだの。だが役目を十分果たしてくれたな、ルシアよ……いや、アキか。もうこれでお主らはわしに、エンドレスに対抗する力を失ったわけだ」
心底可笑しいとばかりにアスラは全てを明かす。これが最初からエンドレスの策であったことを。アキをハルにぶつけることでハルを消耗させること。それがこの戦いの意味。わざわざハルだけをここに呼び寄せたのも全てこのため。例えアキがハルに負けたとしても消耗したところをアスラが止めを刺す。アキが裏切ろうが手を抜こうがエンドレスの勝利となる策。万全のハルであればアスラといえども万が一があるために用意した周到な罠。
「さて……それではさっさと幕引きと行こうか。特別にお主らには真のダークブリングの力を見せてやろう……」
瞬間、アスラの体が凄まじいエンドレスの力に包まれていく。エンドレス化という担い手でしか扱えないはずの奥義。しかしそれをアスラは為し得る。生きたDBと言われる所以。アスラはいわばエンドレスの器、分身にも等しい存在。故にエンドレスの力を思うがままに扱うことができる。それこそがエンドレスの代案。例えアキを失おうとも戦うことができる策。いわばアキはそのための捨石。ハルの力を削るための駒。対して他の四天魔王もまたエリーの力を削るための駒。結果こそが全て、人の心を持たないエンドレスの所業だった。
ハルとアキが目の前の状況に言葉を失っている中、さらなる絶望が生まれ出てくる。
それは無数の石だった。アスラが、エンドレスが力を解放した瞬間、突然その場に現れたかのように無数の兵士たちが全てを埋め尽くしていく。それが何であるかを理解できるアキはただ言葉を失うしかない。
「これは……DB……?」
魔石兵。本来なら魔界で最も硬いとされる鉱物からできる兵士でありアスラの僕。だが今アキ達の前に現れたのはそうではない。その全てがDBでできた兵士。エンクレイムによって生まれた生きたDB。ただ破壊だけを目的とした人形達。DBでできている兵士。それはすなわち魔導精霊力、レイヴ以外では破壊することができない無敵の軍勢であるということ。しかもその兵士一人ひとりが六星DBに匹敵する能力を有している。力の上ではキングにすら匹敵する出鱈目さ。エンドレスの切り札にしてアスラの能力。
「分かったか? お主らに勝ち目は万に一つもない。この無限の軍勢に敵う者など存在せん」
見渡す限り、地平線の彼方まで埋め尽くすほどの無限の軍勢。数という圧倒的な暴力。質よりも量を体現した魔王の姿。例えハルが、エリーが万全であろうとも後れを取らない最強の存在。それがエンドレスの力を手にしたアスラの、もう一つのダークブリングマスターの在り方だった。
その光景にもはやハルに言葉はない。既に体は満身創痍。アスラだけでも怪しいにも関わらず、無限にも見えるDBの兵隊たち。だがそれでもハルにはあきらめはない。ようやくエリーとの約束も果たした。後はエンドレスを倒すだけ。しかしその前には覆すことができない数の壁がある。生身の人間である以上覆すことができない真理。
「……ハル、今すぐエリーの所に行け。ここは俺が引き受ける」
アキはその手に魔剣を持ちながら一人、アスラに向かって近づいて行く。そこにはもはや迷いはない。ただこの事態に陥ってしまった償いをするため、自分を救ってくれたハルのためにアキは単身、エンドレスと対峙する。
「アキ!? 何言ってんだ、お前も……」
「無理だ。俺はこいつらからは逃げられねえ……今はとにかくエリー達を連れて星の記憶から脱出しろ。後は俺が引き受ける」
ハルの必死の訴えも聞くことなくアキは覚悟を決めていた。その言葉通り、アキはエンドレスによって縛られている。逃げることなどできはしない。今この瞬間、繋がりを切られれば消えてしまう仮初の存在。もうエンドレスの力の大半はアスラに持って行かれてしまい戦う力すら満足に残っていない。完全な詰み。
「ほほう……この期に及んでも逆らうとは……やはり人間というものは理解できぬ。せめてもの情け、戦いながら壊れるがよい」
エンドレスの代弁者たるアスラの号令と共に一斉に魔石兵たちがアキへと迫る。それに抗う術はアキにはない。だがその手に自らの心を持ちながらアキは迎え撃つ。その背中にいるハルを守るために。
「悪い、ハル……カトレア姉さんにすまねえって言っといてくれ」
あっけらかんと、どこか場違いな声でアキは己の唯一の心残りを伝える。こんな自分を待っていてくれるであろう家族への遺言。いつか、アキがガラージュ島を出る時に口にした言葉。
ハルはそれを止めんとするももはや間に合わない。アキも羅刹剣によって負傷している。ハルもまたそれは同じ。ハルはいつかと同じようにアキの背中を見ることしかできない。ハルが涙と共に叫びを上げんとしたその時
「―――いいえ。その必要はないわ、アキ」
透き通った、聞き慣れた氷の女王の声が確かに聞こえた。
瞬間、全てが凍りついて行く。大地も、空気も、DBでさえも例外ではない。この世のすべてを凍てつかせるに足る吹雪が荒れ狂う。その全てがアキを守るように踊り、アキを襲わんとした無数の魔石兵を元の動くことない石人形へと変えて行く。
それすらも些事だと言わんばかりに氷の女王はゆっくりとアキの前に降臨する。いつもと変わらない圧倒的な存在感。違うのは絶望ではなく、希望をアキに与えるためであるということ。
「……ジェロ?」
四天魔王 『絶望のジェロ』
表情を変えることのない、無慈悲な氷の女王が今、確かにルシアの前に現れたのだった。
「ホム……誰かと思えばお主か、ジェロ。これはどういうことだ。まさか本当にその裏切り者に加担するつもりではあるまい?」
予想外の出来事でありながらもアスラは動じることなく、アキを庇うように姿を現したジェロに問う。可能性だけならば想定していた展開。マザー同様、アキに加担する意志が見えていたジェロがエンドレスを裏切る展開。それが現実となっただけ。だがジェロはそんなアスラを前にしても全く動じることはない。
「裏切る……? 何のことかしら……? 裏切ったのは私ではないわ。お前達の方よ」
ジェロは一歩、また一歩とアスラに、エンドレスに向かいながら宣言する。儀式の時から変わらない、自らの誓いを。
「私が忠誠を誓ったのはアキよ。お前たちではないわ」
自らの主足るのはこの世においてアキただ一人。それに牙をむく者は全て敵であると。例え生みの親であってもそれは変わらない。四天魔王ではない、絶望のジェロの答えだった。
「そうか……ならば仕方あるまい。その人形と共に滅びるがよい」
もはや言葉は必要ないとばかりにアスラは手を動かす同時に全ての魔石兵をジェロへと差し向ける。確かにジェロは四天魔王であり同格の相手。だがそれは過去の話。エンドレスの力を手にしたアスラはもはやエンドレスそのもの。いくらジェロといえどもその力によって生まれた魔石兵たち全てを相手にすることはできない。圧倒的な数の暴力。倒すことができない無敵の軍勢。それを示すようにジェロの冷気を逃れた半数の軍勢がジェロを圧殺せんと迫る。だがアスラは知らなかった。
氷の女王と対を為す、炎の獣もまた存在するということ。
それは一条の光だった。まるで大地を切り裂くような紅の光。そして一瞬の間の後、それは天へと昇る炎へと姿を変えた。
「なっ――――!?」
それは果たして誰の声だったのか。ただその場にいる者達はその光景に目を奪われる。その咆哮と共に魔石兵たちが為すすべなく吹き飛ばされ、炎によって飲み込まれていくのを。
同時に一匹の獣が空中から地上へと舞い降りる。獣であるにもかかわらずその二本の足の着地によって地面は大きく抉れてしまう。まるで隕石が落ちて来たような衝撃と煙の中から彼は現れた。
「ふむ……足止めぐらいにはなったか?」
四天魔王 『獄炎のメギド』
ジェロと対を為す炎の化身。先の光はその咆哮であり炎。自らの主であるアキを救うための一撃だった。
「メギド……? 何でお前がここに……」
アキは一体何が起きているのか分からぬままただ問うことしかできない。エリーを倒すために姿を消していたにもかかわらず何故こんなところに。しかも自分を助けるような真似を。ジェロならばいざしらずメギドにはそんな素振りは全くなかった。
「済まぬな、アキよ……アスラがいるあの場ではああする他にはなかった。もしあの場で戦いとなればお主を救うこともままならかったのでな」
心からの謝罪と共にメギドは己が本心を告げる。その場での言葉は偽りであったと。もしジェロに加え自らまでエンドレスへと抵抗を見せればその瞬間、アキの命が危うかったからこそ。アキを救う手立てが見つかるまでアスラを、エンドレスを欺くことこそがメギドの選択。
「メ、メギド……貴様正気か!? わしらを、エンドレスを裏切るなど……こんな偽りなどに……」
もはやアスラに先程までの余裕は全くない。ジェロだけならまだしも、メギドすら裏切るなどあり得ない。メギドは誰よりも理解している。この世、並行世界が偽りであることを。しかしそんなアスラの言葉を聞きながらもメギドは微塵も揺らぐことはない。ただ不敵な笑みと共に自らの真実を告げる。
「我は獄炎のメギド。大魔王アキに従う獣。主が望むのであればこの偽りすらも真実。そのためなら王位すら捨てよう」
大魔王であるアキこそが真実であると。故にそれに仇為すエンドレスは敵であると。その炎が消えるその時までそれは変わることはない。ジェロに劣らない絶対の忠誠。
(馬鹿な……こんなことが……!? いや、恐れることはない。今のワシはエンドレスの力を得ておる。いくらジェロとメギドがいようとも負ける道理は……)
理解できない事態の連続にアスラは焦りを露わにするもすぐ冷静さを取り戻す。確かに二人の裏切りは想定外。だが今のアスラはかつてのアスラではない。いわばエンドレスそのものと言ってもいい力を持っている。DBである以上、四天魔王であっても傷一つつけることはできない。絶対の真理。だがすぐアスラは思い出す。
そう、ジェロとメギドが対をなすように。自らにもまた、対となる者が存在することを。
それはただ悠然と現れた。一歩一歩、大地を踏みしめながら。だがその所作だけで充分だった。
その場にいる全ての者がその男に目を奪われる。戦装束に身を包み、不敵な笑みを浮かべた魔王。威風堂々。風によって装束をはためかせながらも男はアキの前で歩みを止める。その背中が全てを語っていた。
質と量。アスラはその量を極限まで追求した存在。対してその男は質を極限まで追求した存在。一騎当千という言葉すら霞んでしまう武の体現。
「さて……では『オレ達』の戦を始めるとしようか、アキよ」
四天魔王 『永遠のウタ』 戦王の称号を持つ男。
今ここに、それぞれの信念に従い、ルシアではなく、アキの元に三つの四天が集う時が来た――――