どこか温かさを感じる小さな家の中で包丁の音がリズムよく響き渡る。その音の主は長い黒髪にエプロン姿をした女性。カトレア・グローリー。ハルの姉でもあり、島一番の美人と言われるほどの美女。カトレアはそのまま慣れた手つきで次々に料理を作っていく。男ならその後姿に見惚れてしまうほどに家庭的な雰囲気が溢れている。だが
「……あ、そっか」
何かに気づいたようにカトレアは動きを止めてしまう。料理に不手際があったわけではない。ただ単純な間違い。料理の人数分を間違えてしまっただけ。一人分でいいにも関わらずいつもの癖で二人分作ってしまった料理にどうしたものかとカトレアが悩んでいる中
「んふー! ただいま戻りました。いやー思ったよりも話し込んでしまいました」
鼻息をふかしながら突如カトレアの背後の壁に巨大なおっさんの顔をした花が現れる。初めて見たならホラ―以外の何者でもないのだがカトレアは驚くことはない。彼女にとってはこの程度の出来事は日常茶飯事、慣れたものなのだから。
「ナカジマ、またゲンマのところに行ってたの?」
「ええ。いつも通り暇そうにしていたのでつい。コーヒーを頂いてきました」
「もう……またラーメンが食べたいとか言って困らせたんじゃないでしょうね?」
「そ、そんなことはしていませんとも! 出前を頼むにも一週間以上かかってしまいますから流石に私もあきらめましたとも……」
へなーんとしおれながら名残惜しげに嘆いているのはカトレアが年少の頃から濃家に取りついている謎の生物ナカジマ。一応家族のようなものなのだが未だその生態や言動は理解できない部分が多い存在。もっともそんなことはもはやカトレアは気にすることはない。気にするだけ無駄であり意味がないことを悟っているからこそ。
「まあいいけど……でも最近よくゲンマのところに行くようになったのね」
「それはまあ。常連だったシバさんがいなくなってしまいましたからね。私なりにゲンマさんを慰めに行っているのですよ」
「シバが……そうね、よく通ってたものね。ただ冷やかしに行ってたわけじゃなかったのね」
「し、失礼な!? 私だって何も考えてないわけではありませんよ!? ええ、無料でコーヒーを飲ませてくれるなんて思ってもいませんとも!」
痛いところを突かれたからか慌てながらナカジマは弁明するも心の声は駄々漏れ。だがそんなナカジマに気づくことなくカトレアはそのままいつもならシバが座っているはずのイスへと目を向ける。
ハルが旅立ってから入れ替わるようにシバはこの家に居候のように住み着くことになった。もっともシバにとってこの島は故郷であり、帰郷と言った方が正しい。成り行きではあったもののそれはカトレアにとっては喜ぶべきことだった。本当ならハルがいなければこの家に一人きり(ナカジマはいるものの)になってしまっていたのだから。
だがそんな生活もつい数か月前に終わりを告げた。アルバイン・スパニエルと呼ばれる人物からシバ宛てに届いた一通の手紙。その内容は教えてもらえなかったもののシバはそのまま島を旅立って行った。その際、最後の挨拶を残して。
今生の別れ。シバは自分の余命があとわずかであることを知っていた。安静にすれば一年、旅をするならば半年。だがそれでもシバは旅立って行った。自分のやり残したことを成し遂げるために。それを前にして止めることなどカトレアにはできなかった。できるのはただ笑って見送ることだけ。
「ほんとに、どうして男の人ってのはみんな遠くに行っちゃうのかしら」
誰にでもなく、呟くようにカトレアは己が本音を漏らす。自分の周り、島にいる男性はどうして自分の傍から、島からいなくなってしまうのか。
父であるゲイルも、家族であるアキも、弟であるハルも。皆、島を離れ、旅立ってしまった。自分はただそれを見送り、待つことしかできない。もどかしさも感じながらもカトレアにはそうすることしかできない。父であるゲイルは戻ってくることはなかった。シバもまた戻ってくることはない覚悟で去って行った。
ただそれでも、ハルとアキ。二人の家族が必ず帰ってくると信じること。二人の帰る家を守ることがカトレアができる唯一のことだった。
「ご、ごほんっ! 心配することはありませんよカトレア様! アキ坊ちゃんもハル坊ちゃんも元気にしてらっしゃるに違いありません!」
「ふふっ、そうね。でもハルが出て行ってからもう二年か……二人とも大きくなってるかも」
「っ! そ、そうです思い出しました! カトレア様、坊っちゃんたちが戻ってきたらもう一軒家を建てるというのはいかがですか?」
「もう一軒? どうして?」
「いえ……坊っちゃん達も大きくなっているでしょうし、流石にこの家だけじゃ狭いのではないかと。それにハル坊ちゃんに彼女ができでもしたらなおのことです!」
「ハルに彼女ね……できてるかしら? あの姉ちゃん姉ちゃん言う口癖が治ってないと難しいと思うけど……」
カトレアは自分が想像もしていなかったナカジマの提案に首を傾げるしかない。確かに二人とも年齢でいえば十七歳。この家だけではせまくなってしまうかもしれないがハルの彼女というのは考えてもいなかった。確かにあり得ない話ではないがカトレアの記憶にあるのは自分にべったりのハルの姿だけ。現実味がない話だった。
「それにどうしてハルだけなの? アキだって彼女を連れて帰ってくるかもしれないじゃない」
「それは……ええ、実は私には高名な預言者の知り合いがいまして。昔その方にアキ坊ちゃんの恋愛について占っていただいたことがあるのです。あまりにもカトレア様と結婚するなど何だの言っていましたので……」
「そう……で、結果はどうだったの?」
「それがこの世界の女性と結ばれることはない、と。よく分かりませんがとにかくここに戻ってこられても彼女がおられることはないということです、んふふー!」
まるで一本取ったかのようにナカジマは誇らしげな笑みを浮かべているもののもはや突っ込みを入れる気はカトレアには毛頭なかった。そんな胡散臭い予言を信じるほどカトレアは単純ではない。ナカジマの知り合いという時点で怪しさは抜群だった。
「それは置いておいてですね……実は私の知り合いにこの島に興味を持っている者がいまして……いえ、決して私の恋人などではないのですが……ごほんっ! もし新しい家ができるのであればぜひ移住したいと……」
「いけない、料理が冷めちゃうわ。ナカジマ、一緒に食べる? 一人分多く作っちゃったんだけど……」
「なんと。でしたら私はぜひカブトムシが」
「いらないのね。分かったわ」
流れるようにナカジマの奇行を受け流しながらカトレアは食事の準備を進めて行く。確かにナカジマが気にしていることは分かるがとにかく二人が無事に帰ってきてくれれば。後のことはその時考えればいい。そう考えていた時
「雨……?」
「おや、どうやら嵐でもきそうな雰囲気ですね。今日は私も家の内側で過ごさせてもらいますよ」
ぽつぽつと、そしてすぐに大ぶりの雨は降り始める。昼間であるにもかかわらず空は雲に覆われ薄暗くなっていく。嵐の前触れのような不気味さがガラージュ島を包み込んでいく。その光景に知らずカトレアは得もしれない不安に襲われる。一年前、父であるゲイルが大破壊を止めるために戦い、命を落としたあの日の再現のような光景。
(ハル……アキ……)
窓の外を眺めながらカトレアはただ二人の家族の無事を願い続けるのだった――――
「くしゅんっ!」
「どうしたの、ハル? 風邪?」
「いや、何でもない。誰かが噂でもしてんのかもな……」
鼻をかみながらハルはどこか不満げな顔で歩き続けている。そんなハルの姿に笑みを浮かべながらエリーもまたその後を着いて行く。それに続くように小さなお共達も動き出す。
「ハルさん、エリーさん。地図が正しければもう少しで目的地に着きますよ」
「ほんと? 思ったよりも近かったんだね」
「はい。でも助かりました。エバーマリーさんの地図がなければもっと時間がかかっていたでしょうから」
「流石グリフポヨ! マッパーの名は伊達じゃないポヨね!」
両手で地図を持ちながらグリフはマッパーの面目躍如とばかりに上機嫌にハル達を先導していく。その後をルビーとプルーも楽しそうに着いて行き騒いでいる。ある意味いつも通りの賑やかな旅。しかしそんな中、ハルだけはどこかもじもじと落ち着きがない。まるで何かが気になって仕方がないといった風。
「ハル、さっきからどうしたの? ずっとそわそわしてるけど……」
「ウンコポヨか?」
「ち、違えよ! ほんとにそのリベイラって街に行ってていいのかと思ってさ……」
ルビーのあんまりな突っ込みに呆れながらもハルは愚痴らずにはいられない。
今、ハル達は星跡の洞窟から一番近い街であるリベイラへと向かっていた。だがそれはただ単に闇雲に街を目指しているのではない。預言者であるサガ・ペントラゴンの予言に従ってのものだった。
「だってあのおじいさん、凄い占い師なんでしょ? だったら言う通りにした方がいいんじゃないの?」
「そうですよ。あの有名な黙示録を書いた預言者ですし。何よりも私達も占ってもらった内容は当たってたじゃないですか」
「それはそうだけどさ……ムジカやジークにばっかり迷惑をかけてちゃってるし……そもそもTCMを壊しちまったのは俺なんだからやっぱり俺が行った方が……」
ハルはどこか苦渋の表情を見せながら自分の背中に視線を移すもそこには何もない。正確にはいつもはあるはずの物がない。
TCM。レイヴマスターの剣でありシバから受け継いだ魂。しかし今その姿はない。先の戦いでTCMはルシアによって両断されてしまった。文字通り完璧な敗北を意味するもの。それ自体にハルは後悔はない。羅刹剣の暴走という場合によって仲間すら危険に晒しかねない危機をルシアによって救われたのだから。だが自らの武器を失ってしまった事実は変わらない。今の自分は完全なお荷物、足手まとい。もし今この時ルシアや四天魔王が襲ってきたとしても何の役にも立たない。いてもたってもいられない焦燥感がハルをはやし立てていた。
「そこまでにしておくんだな。今のお前が動いても邪魔になるだけだ。黙ってお前はその娘を守っていればいい。TCMとシンクレアのことはジーク達に任せておけ」
そんなハルに釘をさすようにハル達の後ろを着いてきていたシュダが忠告する。今ハル達の中にはいるはずの二人の人物がいなかった。
ムジカとジークハルト。
先の星跡の洞窟の戦いの後、一時的にエリーが行方不明になり騒然としたものの翌日には何とか全員が合流することができた。だがそのまま留まればいつ襲撃を受けるか分からないためジークの空間転移によってハル達はミルディアンへと移動することになる。
ジークの故郷であり時の民、魔導士達が住む都。加えて最後のシンクレアが封印された場所。そこで二日静養した後、各々の事情でハル達は動き出すことになった。
まずはムジカ。
星跡の洞窟での戦闘には直接参加しておらず、無傷であったムジカはすぐさまTCMの修復のため鍛冶屋ムジカがいるパンクストリートへと向かった。鍛冶屋であるガレイン・ムジカは銀術師ムジカにとっては祖父にもあたるためその方がやりやすいだろうという狙いもあった。幸いにもミルディアンには魔導士の力で動くルーンウイングと呼ばれる小型の飛行機があったため魔導士であるニーベルの協力の元ムジカはすぐさまパンクストリートへと飛んだ。
次にジークハルト。
ジークはハル達をミルディアンへと避難させた後、最後のシンクレアであるラストフィジックスを守るためにミルディアンに残ることになった。ミルディアンハートに封印された以上、シンクレアの気配はルシアですら感じ取れない。すぐに見つかることはないだろうが万が一に備えての措置。同時にエリー、ルビーには魔力を隠すためにマジックディフェンダーを渡すことになった。魔導士であるジェロからの追跡をかわすため、エリーに関しては魔導精霊力の暴走を抑止する意味も兼ねたもの。
残るはハル達。
ハルはTCMを失っているため戦えないためシュダが護衛として着くことになった。そのまま五つ目のレイヴを探すためイーマ大陸に戻らんとするがその瞬間、ある人物の言葉によってハル達行動は大きく変わることになる。
預言者サガ・ペントラゴン。
未来のレイヴを通じてサガはハル達に予言を与える。リベイラの街へ行くこと。それがハル達の運命において大きな意味を持つと。正確にはエリーがその場に行かなければならないことが告げられ、ハル達は予言に従いリベイラへと向かっているのだった。
「そうだよハル。ムジカもジークも頼りになるんだから。あたしたちはあたしたできることをしよ? じゃないと前みたいなことになっちゃうよ」
「わ、分かったよ……だから手を離してくれ!」
「よろしい!」
満足したかのようにそれまでハルの顔を両手で挟んでいたエリーは手を離す。ハルはどこか恥ずかしげに自らの頬を触るも心の中で感謝していた。自分の焦りを分かった上でエリーが諫めてくれたのだと。だがそんな中、思わずハルはエリーの姿に見惚れてしまう。正確には以前とは変わった髪型に。
「……? どうしたの、ハルまだ何かあるの?」
「いや……何で急に髪を切ったのかなって」
「またその話? 言ったでしょ、秘密だって。教えてあげない」
「なんでだよ。気になるだろ」
「いいの。それと……ごめんね。今はまだちょっと時間をちょうだい。ちゃんとハルには答えるから」
「え? あ、ああ! い、急がなくてもいいさ! あれはその、うん! オレこそいきなりあんなこと言っちゃたし気にしないでくれ!」
どこか申し訳なさげなエリーの表情にハルは慌てて対応するしかない。知らず顔は赤面してしまっている。先のルシアとの戦いの中でのエリーへの告白。その事実自体ハルは無我夢中であったため忘れてしまっていたのだが他ならぬエリーの口からその事実を聞かされたハルは動揺するしかない。しかしエリーの答えは未だ得られていない。もう少し時間が欲しいというエリーの真意は分からないものの、ハルはエリーの言葉を受け入れ待つことにしたのだった。
「それに今はアキを止めることを考えないとな。レイヴもシンクレアも残り一つずつだし、あのエンドレスっていうのも復活しちまった……時間もあんまり残されてないみたいだ……」
「…………」
「……エリー?」
とりあえずこれからのこと、アキを止めることに話題を移すもエリーは黙りこんだまま。そんなエリーの様子に思わずハルは声をかけてしまう。いつもならアキに関しての愚痴を漏らしたり、冗談じみたことを口にするのがお決まりだというのにエリーは口を開くことはない。その表情から感情を読み取ることはできない。
「……ねえ、ハル。もしあたしが間違ったことをしちゃったらハルはどうする?」
「間違ったこと……? 何だよ間違ったことって……?」
エリーが絞り出すように告げた言葉にハルは首を傾げるしかない。エリーが何を言わんとしているのかハルには分からない。ただ分かるのはエリーが何かに悩んでいるのだろうということ。恐らくは自分の記憶に関することなのだろうと当たりをつけるもそれ以上はハルには想像することはできない。しばらくの沈黙の後、エリーが口を開こうとした瞬間
「……お前達、後ろに下がっていろ」
静かなシュダの警告がハル達の動きを止める。そこでようやくハル達は目の前にまで目的地であるリベイラの街が迫っていること気づく。だがシュダの言葉にはそんな喜びはない。あるのは戦士としての空気だけ。
「あれは……!」
「DCの兵士ポヨ! まさかもう追手が来たポヨか!?」
叫びを上げるルビーが示すように目の前にはDCの兵の大群がハル達に向かって迫ってくる光景がある。まさかこんなにも早くDCの追跡が来ていたとは完全に予想外。だがハルには戦う術はない。エリーも慌ててガンズトンファーを構えるもののもし幹部クラスの敵がいるとすれば敵わない。この場はシュダに頼るしか手はない。
ハル達の中に緊張が走る。その中核であるシュダが刀とDBに力を込め、応戦せんとした瞬間
「ち、ちくしょう!! 覚えてろよ、お前達―――!!」
黒いスーツを着たどこか情けない空気を纏った男の逃げる敵のお決まりのような捨て台詞が辺りに響き渡る。そのまま男に続くようにDC兵たちは脱兎のごとく街から逃げ出していく。まるで嵐が去っていくかのような出来事。ハル達は身動き一つできず、ただ去っていく男達を見送ることしかできなかった。
「あれ……? みんな逃げて行っちゃったよ?」
「もしかしてシュダさんが六祈将軍だと気づいたのでしょうか?」
「……いや、そんな気配はなかった。そもそも奴らはオレ達を見ていなかったようだ」
エリー達は理解できない事態に困惑するしかない。自分達はまだ何もしていないにも関わらずDC兵が逃げて行ってしまうという事態。
(今の……ブランチか? まさか……あいつがこんなところにいるわけ……)
そんな中、ハルは別の点が気がかりだった。先のスーツを着た黒髪の男。見るからに弱そうな、性格が悪そうな男にハルは見覚えがあった。思い出したくもない、ハルの唯一と言ってもいい嫌いな人物。
「ハル? 何かあったポヨか?」
「な、何でもない。ちょっと人違いだったみたいだ」
ルビーに話しかけられ我に返ったハルは,人違いだと自分に言い聞かせる。こんなところにブランチがいるはずがないましてやDCに属しているなど考えられない。ともかく街に入ってみようとするハル達だったが
「うむ、どうやら一足遅かったようじゃな、ハル」
「残念ね、もう少し早ければ私達の演技が見られたっていうのに」
そんなハル達を待ちかねたように二人組の男女が姿を現す。共に妙な仮面を被った怪しい二人組。かろうじてその服装から男女であることが分かるだけ。新たな刺客かと身構えるもプルーだけは喜びを示すかのように男の方にすり寄っていく。その光景と先の声によってようやくハル達は気づく。彼らの正体に。
「お前……もしかして!」
「久しぶりじゃの。済まぬな、遅くなった」
男は仮面を脱ぎながらハル達へと対面する。見間違うはずのない仲間。竜人レットがそこにはいた。
「レット! 無事だったのか! どうしてこんなところに……」
「ジェガンを倒してからすぐに後を追ったのじゃが途中で主らの匂いが消えてしまったのでな。一番近いこの村で待っておれば会えると思って待っていたのじゃ」
「そっかー。あたし達、ジークの魔法で違う街に瞬間移動してたからきっとそのせいだよ」
「とにかく無事でよかったですよ。ところでレットさん、隣におられる女性は一体……」
お互いの無事を喜び合っているのも束の間、グリフの言葉によってハル達は改めてレットの隣にいる女性に視線を集める。年齢は二十歳前後、どこか力強さを感じさせる瞳を持つ美女。
「初めまして、ジュリアよ。宜しくね」
どこか楽しげに女性、竜人ジュリアはハル達へと挨拶する。その名によってハル達は全てを理解する。レットの恋人であり、竜化してからはジェガンに操られていたジュリアが元の姿に戻ったのが彼女なのだと。
「お前がジュリアか! 元に戻れたんだな、よかった」
「ええ、おかげさまでね。あなたがハルね。レットから話は聞かせてもらってるわ」
「よかったね、レット! でもその格好は何なの?」
「……これはジュリアの提案じゃ。せっかくなら驚かせたいと言っての……ワシは反対したんじゃが」
「いいじゃない、驚かせられたんだから。それに舞踊大会でもちゃんと優勝したんだから完璧よ」
「舞踊大会?」
「そうよ。このリベイラでは年に一度、舞踊大会があるの。優勝賞金は百万エーデルもあるし、旅の資金にもなると思って頂いちゃおうとしたってわけ。もう少し早ければ私達の舞いを見せられたんだけど残念だったわね」
「だが舞踊大会は途中で中断されたじゃろう。なのに賞金をもらうわけには……ぐぼっ!?」
「何言ってるの!? あの時点では私達が一位だったんだからもらって当然よ! DCも追い払ったんだから文句は言わせないわ!」
ジュリアの拳によって突っ込みを受けながらもレットは蹲りながらも反論することはない。瞬間、その場にいる全ての者がレットとジュリアの力関係を悟る。恐らくレットはジュリアの尻に敷かれているのだと。レットから聞かされたジュリア像とはかけ離れている姿にハル達は苦笑いするしかない。
「そういえばそのDCだけどさ、さっき逃げてったんだけどお前達がやっつけたのか?」
「そうよ。色々面倒臭いことがあってね。直接そこのキザ男に事情を聞いたら?」
「え?」
ジュリアのどこか呆れ気味の言葉のままハル達はようやく気づく。自分達の近くにレット達以外の人影があることに。だがその姿は異常だった。およそ常人が着る物とは思えない服装をした、一言でいえば変態が着るような格好で踊りまわっている変態がそこにはいた。
「おお……これが仲間同士の絆というものなんだね。美しい! ただひたすらに美しい! この美しさの前ではこの僕でさえ霞んでしまう!」
元六祈将軍のユリウス。先の戦いでハル達に敗北し姿をくらませていたはずの男が何故か感動の涙を流しながらハル達の前で踊っていたのだった。
「こ、こいつは確か六祈将軍の……何でこんなところに……?」
「こっちが聞きたいわ。いきなり舞踊大会に参加してくるし、こっちが戦おうとしても聞く耳持たないし、勝手に狙撃されるわDCが乱入してくるわで散々だったわ。六祈将軍ってのはお笑い集団か何かなわけ?」
「…………」
「ワシも驚いたがどうやら本当に敵対する気はないらしい。もしそうならとっくに戦闘になっておるじゃろう」
「何を言っているんだい? 僕は生まれ変わったのさ。あの銀術師の絆の銀を目にした瞬間にね……ああ、どうやらここには彼はいないようだが残念だよ。もう一度ちゃんとお礼を言いたかったのに……」
無言のシュダをあえて無視し、この場にムジカがいなくて本当に良かったと思いながらもハル達はおおよその事態を把握する。レット達が舞踊大会に参加すると同時にユリウスもまた現れたこと。ユリウスを狙った暗殺者が狙撃を行うもユリウスは簡単に防いでしまったこと。ユリウスが六祈将軍ではないことを知らなかったDCの兵たちが勘違いし街を襲ったこと。それをレット達が撃退したこと。ようやくハル達は先のDC兵たちの奇行の意味を知る。あれはレット達から逃げ出していたのだと。
「でも、その暗殺者ってのはどうなったんだ……?」
「さあ? 何なら本人出てきてもらったらどう? そこに隠れてるお嬢さん、どうかしら?」
ジュリアがさも当然のように森ののある一点に向かって声を賭けた瞬間、動揺する気配が漏れてくる。しばらく静寂が続くも観念したのか森の中から暗殺者はゆっくりと姿を現す。
それは少女だった。年は十四から十五。エリーよりも幼い少女でありながらもどこか近寄りがたい危うさを持っている。
「どうして分かったの……?」
「お姉さんはちょっと鼻が良いの。しかも硝煙の臭いまでさせてるんじゃバレバレよ」
ジュリアはレットと同じ竜人であり嗅覚も優れている。暗殺者がそこに潜んでいることも、その性別も筒抜け。しかもこの人数差。もはや隠れても無意味なことは明らかだった。
「悪いが聞かせてもらえるかの。何故お主のような子供がユリウスを狙ったのか」
「……子供じゃないわ。ナギサ・アンセクト。それが私の名前よ」
「ナギサちゃんね。狙撃なんて素人にできるとは思えないんだけど……」
「私は解放軍の一員。だからそこの六祈将軍を狙ってるの。邪魔しないでくれる?」
「解放軍……DCや闇の組織から民衆を解放するための部隊のことだな」
シュダの言葉によってハル達は解放軍の存在を知る。帝国ではない民間の手によって結成された組織。DCだけでなく、闇の組織によって虐げられている町や村を解放するために戦っている人々。
「そう……でもさっきの通り、こいつはもう六祈将軍でもDCでもないわ。それでも殺すつもり? そもそもあなたじゃ相手にならないと分かったでしょ?」
ジュリアは子供に言い聞かせるように銃を下ろせと告げる。それはユリウスが本当に戦う意志を持っていないからでもあるが何よりも実力差を知っているからこそ。いくら馬鹿とはいえ元六祈将軍。狙撃という奇襲をもってしてもユリウスを殺すことはできなかった。素人目に見ても明らかな事実。それが分からない程ナギサは子供ではない。解放軍であるなら尚のこと。
「……いいわ。見逃してあげる。でもまた人々を苦しめるなら容赦はしないわ」
「おお、何と美しくない言葉を使う娘だろう。そんな心配はいらないよ。僕はただ新しい美しさを、絆の美しさを知ったんだから」
「……それにもっと大事なことがあるから。まさかこんなところで会えるなんて思ってなかったわ。ハル……あなたが二代目レイヴマスターね」
「え? そうだけど……」
「ならそこにいる女の子がエリー……そうなのね?」
「うん、あたしがエリーだけど……それがどうかした?」
突然自分たちに話題が移ったことにハルとエリーは戸惑うしかない。解放軍という今まで関わったことのない組織との接触。何よりもナギサのどこか決死さを感じさせる瞳に圧倒されるしかない。
「あなた達を探すこと……それが私の本当の役目だったの。一緒に着いてきて。パパ……解放軍のリーダーがあなた達に会いたがっているわ」
ナギサは己の本当の使命を告げる。レット達との再会を喜ぶ余韻もなくハル達はナギサに導かれ、解放軍のアジトへと向かう。
五十年前から受け継がれてきた一本の杖。それを本来の持ち主、エリーへと託すために――――
ウルベールグ。灼熱とマグマがその全てを占める魔界の一角であり、四天魔王メギドの領地。その城の中で不機嫌さを隠すこともなくは歯ぎしりしている男がいた。
(ちっ……! いつまでこんなことしてなきゃなんねえんだ!)
二メートルを優に超す巨体と悪魔を模したかのような体を持つ男。ベリアル。魔界においては伯爵に近い地位を持つ存在なのだが威厳を見せることもなく、べリアルはただ自らの苛立ちを隠すことができずにいた。
(こんなことになったのもあの陰気臭いババアのせいだ……! 何が絶望だ……大人しく凍りついて眠ってりゃいいものを……!)
ベリアルの脳裏には一人の女性の姿がある。四天魔王、絶望のジェロ。魔界における絶対の力を持つ四人の王の一人。その逆鱗に触れてしまったことでべリアルは人間からここ魔界まで強制召喚されてしまった。しかもメギドの元でこき使うようにというおまけ付き。その言伝通りべリアルは凄まじい激務を課せられている。その内容も本来ならジェロの領地である部分までフォローするためのもの。まさにジェロの尻拭いをさせられている格好。いくらルシアに対する不敬が原因だったとしても文句の一つも言いたくなる状況だった。
(だがここで反逆しても意味がねえ……そんなことしてもドリューの奴の二の舞になるだけだ。何とかルシアの下に戻れれば上手く行けば国の一つや二つ……)
だがべリアルは決して反逆や抵抗の意志を魔王に見せることはない。そんなことをしても無意味であることをべリアルは知っている。性格から勘違いされがちだがべリアルは決して自分の力を過信することはない。自分では四天魔王には天地がひっくり返っても敵わないことを知っている。だからこそ魔王の支配が及ばない人間界へと赴いた。もしドリューのように反抗すればどうなるかは語るまでもない。自分の器は誰よりもベリアル自身が知っている。魔界全てを支配することなどできはしない。なら国の一つならおこぼれとしてもらえるかもしれない、そんな狙いをもってルシアの下に着いていたのだがその狙いは外れてしまった。メギドのもとではそんな棚ぼたはあり得ない。何とかルシアの元に戻る方法はないかと画策する日々。その能力でメギドに認めてもらう手もあるのだがべリアルは完全に方向性を見失ってしまっていた。己の半身とも言えるDBを失ってしまったのも大きな要因。そんな中
「べ、ベリアル様……メギド様に至急面会したいとおっしゃる方が……」
「あ? 今日の謁見は終いのはずだろうが。さっさと追い返してこい」
「そ、それが……あの、あの方々は……」
自分の部下であり、門番である下級兵の動揺しきった姿にべリアルはつまらなげに見下すだけ。仮にも四天魔王の城の門番がそんな情けない態度を見せることなどあってはならないこと。何よりも既にメギドへの謁見の時間は終わっている。そもこんな深夜に尋ねてくること自体があり得ない。
「ケッ……まあいい。ちょうど退屈してたところだ。オレ様が直接追い返してきてやるよ」
どこか楽しげな笑みを浮かべながらベリアルはそのまま門へと向かって行く。途中で部下が制止の声を上げるも耳には入ってはいなかった。日々たまるだけのストレスをここで発散しておくのも悪くない。魔界に戻ってから力を振るう機会がなかったのでちょうどいい。だがそんなベリアルの考えは
「――――邪魔するぞ」
「ホム」
文字通り門をこじ開けながら現れた二人の王によって終わりを告げる。
ベリアルは言葉を発することもできない。
一人は戦装束を身に纏った黒髪の男。一挙一動に見る者を震え上がらせる程の威圧感がある。一際目を引くのがその片腕。隻腕というあり得ない姿。だがそれを微塵も感じさせない闘気が満ち溢れている。
もう一人は対照的に何も感じさせることはない。まるで無機質な置物を連想させるような小柄な老人。ひょこひょこと動くその姿は不気味さだけを振りまいている。この世の負の力を具現したような存在。
永遠のウタと漆黒のアスラ。
四天魔王の内の二人がそのまま何事もなかったかのようにメギドのいる玉間に進んでいく。それを拒むことができる者など魔界にはいない。
ベリアルはただ汗まみれになり、歩きながら土下座をするという離れ業を披露したままその場に固まることしかできなかった――――
「ふむ、お主らがやってくるとは……何かあったのか?」
突如訪問してきた二人に驚きながらもメギドは椅子に座ったまま尋ねるしかない。ジェロを除けば四天魔王が集結するなど本来ならそう度々あることではない。何か大きな事態が起こったと考えるのが妥当なためメギドの声は知らず重苦しい物になっている。
「オレはアスラに呼ばれて着いてきただけだ。話ならアスラに聞け」
そんなメギドの内心など知ったことではないとばかりにどうでもよさげにウタは隣にいるアスラに全てを丸投げにする。だがメギドはまるで気にする様子はない。ウタにとっての価値基準、興味は戦いとそれ以外。ただそれだけ。故にこの状況を知るのはアスラのみ。
「……ホム」
アスラはいつもとかわらぬ人形のような生気になさでぽつりと声を漏らすだけ。常人どころかダークブリングマスターのルシアであっても理解できない言葉。だが四天魔王であるメギド、ウタにはそれが分かる。正確にではないが、何を言わんとしているかは両者に伝わった。それは
「なるほど……戦の時が来たということか。面白い。あれからどれだけ自分が強くなったか試したかったところだったからな……」
ウタはただその言葉に愉しげな笑みを浮かべる。己が待ちわびた、戦の時がすぐそこまでやってきていることを意味するのだから。
「そうか……ついにこの時が来たか。予定ではこの場で再び集う予定だったがどうやらそうも言ってられぬようだな」
メギドはどこか感慨深げに眼を閉じる。その脳裏にはこれまでの己が人生が巡っては消えて行く。エンドレスより生まれし四天魔王。その役目に従うように長い間魔界を収め、ただ大魔王を待ち続けた。そしてついに大魔王は誕生した。後はその意志に従うのみ。そのためなら例え王位を捨て、偽りの世界を滅ぼすことすら厭わない。
「――――では往くとしようか、人間界へ」
玉座から腰を上げ、メギドは動き出す。ただ戦うための獣として。
ウタは動き出す。ただ戦うための鬼として。
アスラは動き出す。ただ戦うための魔石として。
今、全ての四天がルシアの元へ、人間界へ集う時が来た――――