「おお! 川平、すまない。実は厄介な事態が起きてしまってな……」
白いコートとスーツ、黒のオールバックの男、仮名史郎が自分の目の前に現れた川平啓太に向かってそう告げる。その声はいつもと全く変わらない、どこか真面目さがにじみ出ているもの。特命霊的捜査官、仮名史郎の人柄が伝わってくる。聖職者でもある彼はその人柄ゆえに捜査官としての信頼も厚い。
「ん? 君は川平薫のところの……ともはねか?」
仮名はふと、気づいたよう啓太の隣にいる少女、ともはねに気づき声をかける。仮名は仕事柄、啓太だけでなく薫とその犬神たちとも面識があった。だがその顔に疑問が浮かぶ。何故薫の犬神であるともはねが啓太と共にいるのか。ここは啓太の家だというのに。まあそれはともかく
「さっそくですまないが川平、君の力を貸してくれないか?」
仮名は真剣な様子で啓太のそう切り出す。できれば自分一人で解決したかったのだが状況が状況。どうしても人の手が必要だ。かなり癖がある人物ではあるが腕は確かな啓太の協力が得られれば心強い。そう判断しての物。だが
「………川平?」
「………」
いつまでたっても啓太の返事は返ってこない。一体何故。仮名が疑問を抱くと同時に啓太はともはねを自分の方に向かせ、その耳を塞ぐ。その光景に仮名はどこか嫌な汗が背中に流れ始めていることに気づく。
その動きはまるで……そう、自分の姿を、言葉をともはねに見せないように、聞こえないようにするかのよう。
「仮名さん……俺、今まで言わなかったけど……仮名さんのこと結構尊敬してたんだぜ……」
「な……何を言っている、川平……?」
どこか哀愁に満ちた表情で啓太は仮名に語りかける。その眼はここではないどこか遠くをみつめ、かつての日々に想いを馳せているかのよう。その瞳が自分を見下ろしている。そう、床に這いつくばっている自分を。仮名はやっと気づく。今、自分が両手を後ろに回し、両足を海老反りの体勢であったことに。そして目の前の啓太がとんでもない誤解をしているのであろうことに。
「ま、待て川平! 君は何か大きな勘違いをしている! これは」
「いい! もういいんだ仮名さん! 俺は分かってる! 仮名さんだって人間だ……人に言えない趣味の一つや二つあってもおかしくないさ……」
「川平、少し私の話を……!」
「でもさ……いくら知り合いでも……他人の家でそんなプレイをするのはどうかと思うんだ……」
「けーた様、どうしてあたしの目と耳を塞いでるんですか?」
仮名が必死に言い訳をしようとするも啓太はそれをどこか憐れみの目で見つめているだけ。可哀想な人を見るような、そんな表情を見せながら。目の前にいる床を這いずり回っている男性の姿と言葉にこんな幼いともはねを晒すわけにはいかない。いったいどんな悪影響を与えるか分からない。そんなことになれば薫に会わせる顔がない。そしていくら知り合いだといってもしていいことと悪いことがある。プレイだけならともかく、人の家に不法侵入しての行為。間違いなく犯罪行為だ。親しき仲にも礼儀あり。ここは心を鬼にしなければ。
啓太はそのまま自らのズボンのポケットからあるものを取り出す。それは携帯電話。そして素早くそれを操作しどこかに電話をかけようとする。
「ま、待て、川平! どこにかけようとしているんだっ!?」
「え? どこって110番だけど」
「や、やめろ! これにはわけが……それに私は警察だ!」
「あ、そう言えばそうだっけ」
「けーた様、もういいですか? 早く遊びましょうよ!」
「と、とにかく起こしてくれ! 自分では起き上がれんのだ!」
「うーん……」
そう言えばこの人、警察だったな。まったく、こんな人が警察だなんて世も末だな。ここは一つ仮名さんにも留置場で洗礼を浴びてきてもらった方がいいんじゃねえかな。まだ自分がヘンタイだって気づいてないみたいだし。あそこならきっと趣味を理解してくれる奴らがいるだろう。現にそれっぽい奴を見たことあるし。そんなことを考えていると仮名さんがまるで芋虫のように動きながら俺に迫ってくる。どこか必死さを感じさせる形相を見せながら。
なにこれ……すごく気持ち悪いんですけど。これからは依頼を受けるのも控えた方がいいかもな………
訳が分からないカオスな様相を見せながらも何とか三人は落ち着きを取り戻し、改めて向かい合うのだった―――――
「で、そうなっちまった理由ってのはなんなんだよ?」
「ふむ、話せば長いことながら……その前にともはね、私を突つくのをそろそろやめてほしいのだが……」
「あ、ごめんなさい! つい……」
仮名は何とか身の潔白を証明しようとするのだがその前に自分をまるでおもちゃのよう突っついているともはねを嗜める。ようやくそのことに気づいたともはねは少し慌てながら二人と同じように正座をし、ちゃぶ台を挟んで向かい合う。だが仮名の姿は普通ではなかった。先程のように床に這いつくばってはいないものの両手を後ろにしたまま正座している。まるで両手を縛られているかのように。その光景に猜疑の目を向けてくる啓太を前に、一度咳ばらいをした後、仮名は状況を説明していく。
逃げたムジナを捕まえること。一言でいえばそれが今回の仮名の任務だった。
だが当然そのムジナは唯のムジナではない。それは元々天地開闢医局で捕獲されていたもの。それはそのムジナによる感染症が犬神にはあるため。その予防接種のために少しムジナの血を分けてもらうことが慣習になっているらしい。だが今回それが脱走し、医局の人間だけでは手が回らずやむを得ず仮名が駆り出されたという話だった。
「ふーん、じゃあなでしこもその予防接種に行ってるわけか……でもそれと今の仮名さんの状況が関係あるの?」
「き、君はまだ疑っているのか……と、とにかくそのムジナにはモノとモノをくっつける能力を持っているんだ。私も何とか君の部屋まで追い詰め捕獲しかけたのだがいかんせん素早くてな……取り逃がした際に情けないが両手と両足をくっつけられてしまったのだ……」
「それで俺ん家にいたのか……」
全くそうならばそうと早く言えばいいのに、人騒がせな人だ。もっとも不法侵入自体は間違いないのだろうがそれはまあ目をつぶろう。何よりも依頼、そしてなでしこの予防接種のためにも協力するしかない。
「分かった、手伝うよ。仮名さん。どっちみちその格好じゃあ動けねえだろ?」
「そうか、すまない。依頼料の方は色をつけておこう」
「そーいえば仮名様、そのムジナってどんなすがたをしてるんですか?」
いつのまにかともはねが身を乗り出しながら仮名さんに尋ねている。どうやら興味がわいてきたらしい。本当に子供だな、いや実際子供なのだが。
「ふむ、大きさは普通のムジナと変わらない。イタチのような姿で霊能力者に惹かれる性質を持っている。この部屋に逃げ込んだのも川平の霊力に惹かれたからだろう」
「へえ、じゃあまだこの部屋にいる?」
「恐らく。だが隠れてしまったのか見当たらん。手分けして探すしかないな」
「仮名様、そのムジナってこんな子ですか?」
「おお、そうだ。まさにそんな大きさのムジナだ。川平もよく見ておいてくれ」
「了解、じゃあしらみつぶしにベッドの下から………え?」
「……ん?」
まさに捜索を開始せんと動き出した啓太と仮名は同時に動きを止める。なんだろう、さっき何か見逃してはいけない違和感があったような……。二人は一瞬、硬直した後すぐさま振り返る。そこには
「どうしたんですか、お二人とも?」
『きょろきょろきゅ~』
さも当然のように鳴き声を上げている白いムジナを抱えたともはねの姿があった。
「と、ともはね、そいつどうしたんだ!?」
「え? えっと、いつのまにかひざの上に乗ってたんですけど……」
「よくやってくれた、ともはね! ムジナを私に近づけてくれないか」
「こうですか……?」
予想外の出来事に驚きながらもともはねは言われるがままにムジナを仮名へと近づける。その瞬間、まるで何もなかったかのようにくっついていた両手両足が解放される。どうやら捕まってしまったことでムジナの能力も解けたらしい。仮名はようやく拘束から解放されたことで大きな背伸びをしながら溜息を突く。どうやら海老反りの体勢はそうとうに堪えたようだ。
「ふう、何とかなったようだな」
「おお!」
「ほんとにくっついてたんですね!」
「君達……」
実は半信半疑だった啓太とともはねは興味深々にその光景に目を奪われている。仮名はまだ自分が疑われていたことに頭を痛めることしかできない。だがこれで一件落着。そう油断した瞬間
『きょろきょろきゅ~!』
「あ、だめ、ムジナさん!」
「なっ!?」
「いかんっ!」
仮名に気を取られたともはねの隙を付いてムジナがその手から抜け出し、再び逃げ出そうとする。ともはねは咄嗟のことに動くことができない。だが啓太と仮名は同時にそれに反応する。いくらヘンタイだとしても彼らはプロ。全く同時に二人はムジナを逃がすまいと飛びかかる。だがそれは一歩遅かった。いや、それが命取りとなってしまう。
「きゃっ!」
二人がムジナに向かって飛びついた瞬間、部屋が光に包まれる。それはムジナが能力を使った際に起こる光。それに驚き、目をつぶってしまったともはねは目をこすりながら慌てて部屋を見渡す。だが既にムジナの姿は見当たらない。どうやらまたどこかに隠れてしまったらしい。せっかく捕まえたのに逃がしてしまったことでともはねは意気消沈しながら二人の方向に目を向ける。だがいつまでたっても二人から反応がない。
「……けーた様? 仮名様?」
恐る恐るともはねは二人に近づいて行く。そこには
まるで恋人のように抱き合っている啓太と仮名の姿があった。
「な、なんじゃこりゃああ!?」
「お、落ち着け、川平! ムジナの力でくっつけられてしまったんだ!」
仮名は慌てながらも冷静に状況を啓太へと伝えてくる。だが啓太はそれどころではなかった。そう、ただくっつけられただけなら構わない。だがその場所が問題だ。自分たちがくっつけられてしまっているのは下半身。しかも紛うことなき股間が密着している。ズボンが間にあるため直接くっついているわけではないがそれでもその感触が伝わってくる。その事実に啓太の背中に冷や汗が流れ出す。このままでは取り返しにならないことになると。
「と、とにかく離れてくれ、仮名さん!!」
「痛たたたっ!! やめろ、川平これは力づくでは取れん! 落ち着くんだ!」
「落ちつけれるかーっ!? ピ――の仮名さんとこんな体勢でいられるわけないだろ!」
「なっ!? また君は誤解を招くようなことを!? 私は断じてピ――ではない! 私は女性が好きだ!」
「俺だって女の子の方が好きだ! なんで仮名さんと下半身押し付け合って抱き合わなきゃならんのだ!? そんなイベントはいら――――ん!」
「気をしっかり持て、川平! とにかく一旦落ち着くんだ、このままではどうしようもない!」
「あ、ムジナさん! 待って!」
啓太は両手を使って何とか仮名を引きはがそうとするのだがどうやっても叶わない。腰が、いや股間が離れない。だが啓太は必死だった。
何でだ!? 何で俺ばっかりこんな目に会うんだ!? というか仮名さんからの依頼ではいつも俺はこんなのばっかりな気がする。何だ、この人はそんな依頼ばっかり受けてるのか。特命霊的じゃなくて特命変態的捜査官の間違いじゃないのか!? と、とにかく早く離れないとあの時のあれが……トラウマが蘇ってくる……!! たくましい筋肉、ほとばしる汗、がっちりとした体格。記憶から消し去ったはずの悪夢が再び俺の中の開けてはいけない扉を叩き始めてしまう!!
「……っ!! そうだ、川平! これは私の時のように体がくっついているわけではない、ズボンがくっついているだけだ! 同時に脱げば離れることができるはず!」
「そ、そうか! さすが仮名さん!」
「待ってー! ムジナさーん!」
俺は息絶え絶えに落ち着きを取り戻す。既にマラソンでも完走したのではないかと思うほど体力を使ってしまっている。それは仮名さんも同じようだ。互いに息を切らせながらも打開策が見つかったことで俺たちの顔には安堵が浮かんでいる。
何だろう、こう言い表せないような感情が俺の中に生まれてくる。まるで長い間共に戦い続けてきた戦友の様な、この世で信じられるのは仮名さんだけのような……これがブラシ―ボ効果とかいう奴なのだろうか。まあとにかく一刻も早くこの状況から脱出しなくては!
「じゃあ仮名さん、タイミングを合わせて脱ぐぜ……」
「ああ、慎重にな……」
互いに頷き合いながら俺たちはズボンのチャックに手を掛ける。タイミングがずれれば上手くズボンを脱ぐことができない。慎重に、だが流れるように俺たちはズボンのチャックを下ろし、互いのズボンに手を掛ける。何故か緊張感によって大きく息を飲む。まさか男のズボンを脱がす日が来るとは思ってもいなかった。というか普通はあり得ない。だが仕方ない。このまま密着したままでは不測の事態が起こりかねない。色々な意味で。
だが啓太は気づいていなかった。いや、気付けなかった。ズボンを下ろすにしてもお互いのズボンを脱がせ合う必要はどこにもなかったことに。それは啓太が開けてはいけない扉に片足を突っ込みかけている証だった。場に流されているとはいえ仮名も同様だった。
そして二人はついにやり遂げる。同時に、絡むことなく互いのズボンを脱がすこと、そしてその呪縛から解き放たれることが。
「ふう……何とかなったな。助かったぜ仮名さん」
「いや、礼には及ばん」
啓太と仮名はどこかさわやかな笑みを互いに向け会いながら讃えあう。まるで何かを成し遂げたかのような充実感が二人を支配していた。そんな中、まるで何かの袋が落ちたような音が部屋に響き渡る。啓太は驚きながらその方向、玄関に目を向ける。そこには
どこか呆然とした様子で自分を、正確には自分たちを見つめているなでしこの姿があった―――――
その光景に啓太はただ目をぱちくりさせることしかできない。それはなでしこも同様だった。互いに言葉を交わすことすらできない。当たり前だ。
なぜならなでしこの前には何故かパンツを丸出しにした啓太と仮名が互いのズボンを下ろし合っている光景が映っていたのだから。加えて何故か薫の犬神であるともはねが何かを追いかけるように部屋中を駆け回っている。まるで現実とは思えないような異次元空間が展開されていた。
………あれ? わたし、部屋を間違えたのかしら……? そういえば買い物をしたはずなのにそれがない。忘れちゃったのかしら? いけない、ちゃんと買ってこないと……
なでしこはそのまま自分が買い物袋を落としたことにすら気づかないまま部屋を後にしていく。まるで夫の浮気現場に出くわし、現実逃避をするように。いや、この場合はまだその方がマシだったのかもしれない。
「ま、待ってくれ、なでしこ―――――!!」
「川平、とにかくまずはズボンを履くんだ」
「ムジナさーん、どこにいったのー?」
考えうる最悪の展開によって錯乱しパンツ一丁でなでしこを追って行こうとする啓太、それをあくまで冷静に嗜める仮名、一人本来の目的であるムジナを追いかけているともはね。
まだまだ啓太の受難の日は収まりそうにはなかった―――――