月明かりだけが頼りになるほど暗く、静けさに包まれた森の中。その中でも一際大きな木の頂上に一人の犬神の姿がある。それははけ。はけはいつもと変わらぬ優雅さと共にその手に扇子を持ちながらどこかをずっと見つめている。普通なら何も見えないであろう程離れた場所。だが人ならざる、犬神であるはけには見える。そこで何が起こっているか。いや、何が起ころうとしているのか。
「やはりこうなりましたか……」
溜息と共にはけは一人愚痴をこぼす。そう、こうなることは分かり切っていた。ようこが啓太を前にすればどうなるか。それは火を見るよりも明らか。ようこの啓太に対する想い、執着がどれほどのものか、それを自分は誰よりも知っているのだから。恐らくは自分が宗家に抱いている想いに匹敵、あるいは凌駕するもの。いや、比べること自体が間違っているのかもしれない。ようこが啓太に抱いているのはただの独占欲でも忠誠でもない。それはなでしこと同じ、一人の女として恋慕、そして嫉妬。その前では自分の宗家への想いすら霞んでしまうほどに激しく、凄まじい。だがそれでも釘は刺さなかったわけではない。それは啓太と引き合わせる際のようことの取り決め。
『決して無理やり啓太に自分を犬神にするように強制してはならない』
それは犬神であるなら決して破ってはならない決まり、掟。自分達犬神は犬神使いに仕える身。あくまで犬神を選ぶのは犬神使い自身であり、その逆があってはならない。それを何度も自分はようこに言い聞かせ、そしてようこもそれを了承した。それによって自分はようこに啓太を引き合わせた。いや、正確には引き合わせざるを得なかった。それはようこの言葉。約束の期限を超えても啓太に引き合わせてもらえず、我慢の限界を超えた証。
『これ以上約束を破るんなら……オトサンに言い付けるんだから』
それはようこにとっての最後通告、今まで決して切ることのなかった切り札。それを口にすれば今まで自分を庇ってくれていたはけすら敵に回しかねないもの。だがようこにはそれに全く恐れることなくそれを口にした。本気で、命を賭けて。もしこれ以上約束を破るのなら許さない、と。例え封印されても構わない、心中しても構わない。狂気にも似た炎を秘めた瞳を前にはけは冷や汗を流すことしかできなかった。
今のようこは実力以上に怖い。もし戦えば自分もただでは済まない。いや、最悪相打ちになりかねない。そしてそんなことになれば封印されている大妖狐がどうなるか。今は封印されている大妖狐だがそれを力づくで破ってしまいかねない。それほどに大妖狐は娘であるようこを溺愛している。故にはけはようこを啓太へと引き合わせざるを得なかった。元々引き合わせなければならないと考えていたので問題はなかったのだがそれでも間違いなく寿命が百年は縮んだだろう。なでしこもそんなこちらの事情も汲み取ってくれたに違いない。
そして今、ようこは恋い焦がれた、待ちに待った啓太との再会を果たした。だがやはりそれによって我を失いかけてしまっているらしい。もはやなりふり構わず啓太を手に入れんとしている。本当ならこの時点で割って入るべきなのだろう。約束を破ったようこを戒めるために。だが他人の恋路を邪魔する者は……の言葉が表す通り、今のようこには 何を言っても聞かないだろう。ならば後は啓太に任せるしかない。全てを押しつけるのは忍びないが結局のところこれはようこと啓太の問題。ならば啓太に全てをゆだねるしかない。もう自分にできることは何もない。賽は投げられたのだから。どんな目が出ようとそれを受け止めるだけ。自分が与り知らぬところで面倒事に巻き込まれるあの方の不幸に同情は禁じ得ないが仕方ない。
「やはり女心というのは難しいものですね……」
願わくば、ようこの悲願が成就されるように。大妖狐の娘としてではなく、犬神としてでもなく、一人の少女として。ようこの幸せを願いながらもはけは山の中で一際大きな光を放つ狐火を眺め続けるのだった―――――
「力づくでも……わたしのものにしてあげる、ケイタ」
どこか狂気すら感じさせるようこの言葉と姿に啓太は身動き一つできない。できるのはただその光景に目を奪われることだけ。そうせざるを得ない程の魔性がそこにはある。そこにいるのは先程まで子供のようにはしゃいでいた少女ではない。それはケモノの姿。犬神という人ならざる者、いや犬神とさえ思えないような圧倒的な存在感。啓太は何とか混乱しながらも今の状況を振り返る。
えーっと……うん、まずは落ち着こう。落ち着かなければ。ふう……よし、全然よくはないがまずはよし! まずは本当に最初から。俺はこれが試験だと思ってた。でもそうやらそれは間違っていたらしい。目の前の……えっと……そう、ようことかいう犬神の反応からもそれは間違いない。じゃあ一体この状況は何なのか。というかこいつの俺に対する態度は一体何だ!? 明らかに自分の主人になってもらいたい人に対する態度ではないだろっ!? なのに何でこんなに俺の犬神になることに固執してんの!? 訳が分からん、一度も会ったことないのに……いや、俺が気づいてないだけで儀式の日にあいつからは見られてたのかもしれんが……
それにしてもやってることがむちゃくちゃだ! というかこの豹変ぶりは何だ!? 目がイッちゃってません!? さっきまでの猫かぶりとは全然違うんだけどっ!? なんて言うか……本性が出てきていると言った方がいいのかもしれない。死神との戦いでみたなでしこの姿に近いものを感じる。 そう、そしてこいつは間違いなくさっきその言葉に反応した。なでしこという言葉に。
「お、お前……一体何言ってんだ……? 冗談にしても笑えねえぞ……?」
「冗談なんかじゃないよ。ケイタはわたしのものだもん。だからここからは逃がさないってだけ」
「な、なんじゃそりゃっ!? 何で俺がお前のものなんだよっ!? 普通は逆だろうが! 犬神が犬神使いのものになるんだよ!」
「知ってるよ。でも、ケイタはわたしを犬神にしてくれないんでしょ……?」
「そ、それは……仕方ねえだろ? 俺にはもう」
瞬間、凄まじい殺気と霊力が啓太を襲う。啓太はそれによってそれより先の言葉を口に出すことができない。いや、口に出すことを許されなかった。啓太はその姿に息を飲む。そこには先程の以上の鋭い釣り目で、眼光で啓太を射抜いているようこがいた。啓太は悟る。なでしこという言葉。それを自分が口にしたために、そして口にしようとしたためにようこがそんな姿を見せているのだと。まさしく自分が地雷を踏んでしまったのだと。
何!? 何なんだ一体!? 一体俺が何したってんだっ!? っていうか俺が何でそんな目を、獲物を見るような視線を向けられなきゃならんのだっ!? それに殺気もだけどこの霊力、マジで半端ないんですけど……本気のなでしこには到底及ばないけどはけに匹敵するんじゃねえのか!? おかしいだろっ!? はけはなでしこ除けば最強の犬神のはずなのに……
「だからしょうがないよね。ケイタをわたしのものにするしかないんだもん。逃げようとしても無駄だよ。わたしにはしゅくちがあるから。この山から出れないようにしてあげる」
「ふ、ふざけんなあああっ!? 何で俺が閉じ込められなきゃいけねえんだ!? そ、それにそんなことしたらお前だってずっとこの山から出られねえぞ!?」
啓太は冷や汗を流しながらも何とかようこを説得しようとする。何故なら啓太は感じ取ったから。ようこが間違いなく、本気でそれを口にしていると言うことに。その瞳が、声が、それが嘘でも冗談でもないことを何より如実に物語っている。
「いいよ。どうせずっとここからは出られないんだし……でもケイタが一緒ならそれでいいもん……ねえ、ケイタ、もう一度だけ聞くよ。わたしのものにならない? もしなってくれたらわたし、何でもしてあげるよ。 ケイタが望むこと、何でも」
それはようこの最後通告、いや誘いだった。最初に口にした言葉とは全く逆の意味の言葉。犬神使いと犬神。その関係を全く無視した契約の誘い。だがそれはようこにとっては些細な違い。ようこにとってはそんなことどうでもよかった。自らが望むこと。その結果が得られるのならどちらが上かなど問題ではない。ようこは己の差し出すこと、渡すことができる全てをもってそれを告げた。
え……? こいつ、本気でそんなこと言ってんのか……? それって俺を下僕にするってこと? いや、この場合、俺が飼われることになるのか? しかも何でもしてくれるって……やっぱりそう言う意味ですよね? だってさっきから殺気と共にエロスも半端ないし、明らかに誘惑されてるぞ、俺。何でここまで俺に固執してんのかはさっぱり分からんが……だが、しかし、マジでこれは半端ない! ここで頷けば俺は間違いなくある意味、一つの理想郷を手に入れることができる。俺の直感が告げている。そう、これを選べば俺は―――――
啓太はその光景が見えた。何故か自分の首に首輪が付けられている。まるで飼い犬のように。その鎖を目の前の少女、ようこが嬉しそうに握っている。まるでいつか見たなでしこと自分の姿。だが間違いなく、俺はようこに飼われていた。まさにSとM。いやドSとドMの組み合わせ。それが恐ろしく絵になっている。それはヘンタイ三賢者の一人、係長が告げた予言が現実となった光景、未来だった―――――
「ち、違――――う!?!? 俺には、俺にはそんな趣味はねえええっ!?」
啓太は絶叫を上げながらようこの言葉を拒絶する。というかもはや現実逃避に近かった。それは本能。数多の危機を乗り越えてきた啓太だからこそ持てる第六感とも言える物。それは正しい。もし、あのままようこの誘いを受けていれば、間違いなくその未来が、いや、それを超える凄惨な未来が訪れていたのだから。だが
「そう……じゃあ仕方ないよね。ケイタの気が変わるまでずっとこのままにしてあげる」
その代償として、乗り越えなくてはならない試練が啓太に目の前に立ちふさがる。ようこはどこか優雅さを感じさせる動作でそのまま山の木の枝に腰を下ろし啓太を見下ろす。まるで啓太を見下すように。いや、自分がその命運を握っているのだと誇示するかのように。その挑発的な態度に、そして次から次に起こる理不尽な状況に流石の啓太も我慢の限界だった。
うん……もういい加減いいよな? というか何で俺、こんなにこいつに気を遣わなきゃなんねえわけ? 犬神って言うのは主人に仕える存在だろうが! それが何だっ!? 燃やされ水をかけられ、訳分からん力で走りまわされた揚句、最後は脅迫ですかっ!? いくら俺でも我慢の限度っつーもんがあるぞ……
「てめえ……さっきから下手にでてりゃあ調子に乗りやがって……いい加減にしねえと容赦しねえぞ!!」
啓太はようこの視線に霊力に抗いながら徹底抗戦の姿勢を見せる。その眼がぎらついている。啓太の胸中はもはやたった一つ。
この目の前にいるふざけた犬神を調教し直す!(決してエロい意味ではない)
ただそれだけだった。
「ふん、そんな顔したって怖くなんてないもん」
べーっと舌を出しながらようこは啓太を挑発する。全く啓太のことを恐れていないと、そう誇示するかのように。それが最後の分かれ目だった。啓太は悟る。もはや言葉は通用しない。犬らしく、どちらが上か思い知らせなければようこは止まらないのだと。
「上等だ……後になって後悔しても遅えからな!!」
「くすくす……やっと面白くなってきた……遊んであげるね、ケイタ♪」
戦闘態勢になりつつある啓太を前にしてようこは緊張するどころか目を輝かせる。先程までの冷たい、凍てつくような雰囲気と霊力も薄れていっている。先程までみせていた悪戯好きな少女へと戻ってゆくかのように。啓太はそのことには気づかない。そしてその理由にも。
互いの思惑がかみ合わないまま、それでもたった一つの単純な答え。どっちが強いのか。そんな子供の様な理由によって川平啓太とようこの戦い、いや勝負が始まった―――――
「いくぜ、この馬鹿犬がっ!」
啓太はそのまま全速力でようこに向かって突進していく。だがそんな啓太をようこはどこか馬鹿にしたように木の枝に座ったまま見下ろしている。全く自分を警戒していないかのように。
こ、こいつ……とことん人を馬鹿にしやがって。いいだろう、人間様の恐ろしさをたっぷり教えてやる! その後にあんなことやこんなこと……じゃなかった、きっちり躾をしたやらねば!
そんなまるっきり悪役のようなことを考えながらも啓太はその場所に辿り着く。そこは先程までようこがいた場所。そこにある物を取り戻すことが啓太の狙い。啓太は一瞬でそれらを手に掴む。蛙の消しゴム。啓太が持つ力、霊符だった。
啓太はそのままそれを指の間に挟みながらその矛先をようこへと向ける。本来なら使うべきものではないが仕方ない。同時にそれらがまるで弾丸のように射出されていく。その力を以て相手を倒さんとするために。
一応手加減はするが犬神なんだし大丈夫だろ。というかそれ以上にひどい目にあわされてるんだからこれはそう……正当防衛、何も遠慮することはないはず!
「白山名君の名において告ぐ……蛙よ、爆砕せよ!」
言霊と共に啓太はその力を解き放つ。その瞬間、蛙の消しゴム達は大きな爆発を起こし、ようこを巻き込んでいく。絶対に避けられないタイミング。啓太は勝利を確信する。少し大人げなかったがこれであいつもこっちの話も聞く気になったはず。そう啓太が安堵しかけた時
「残念、外れでした~♪」
啓太の背後から楽しげなようこの声が響き渡る。啓太は驚きながら振り返るしかない。そこにはあごを手で支えながら優雅にこちらを見下ろしているようこがいた。全く無傷で、息一つ切らすことなく。
「なっ!? お、お前、どうやって……!?」
啓太は慌てて振り返り、構えながらも混乱する。当たり前だ。先程の攻撃は間違いなく避けることができない完璧なタイミングだった。にも関わらずようこは何のダメージを受けていない。そんなことがありうるのか。死神の黒衣のような力があの着物にあるのか。だがそれは間違いだとすぐ啓太は悟る。それはようこの位置。それが自分の背後になっている。それも一瞬で。まるで瞬間移動したかのように。そう、ようこが持つしゅくちと呼ばれる力。それによってようこが自分の攻撃を文字通り消えて躱したのだと。まさか自分まで移動させることができるとは思っていなかった啓太は唖然とするしかない。本当にでたらめな力だった。
「ふーん、思ったよりも力があるんだね。しゅくちにも気付いたみたいだし、ちょっとは見直してあげてもいいよ」
「や、やかましい! 二度も同じ手が通用すると思うなよ!」
まるで遊んでいるかのようなようこの態度に翻弄されながらも啓太は再び霊符を放つ。だがその手には既に次の霊符が用意されている。例えしゅくちによって再び避けられても、もしくは自分が、霊符が瞬間移動させられたとしても対応できるように啓太は身構える。どんなに便利な力でも使えば隙は生じる。加えてようこの霊力も無限ではない。なら持久戦、根競べに持ち込んでやる。それが啓太の狙いだった。だが
「じゃえん♪」
言葉と共にようこがその人差し指を振るった瞬間、それは現れた。炎。あり得ないはずの現象が巻き起こる。夜の闇を照らし出すかのように炎が現れ、そしてまるで生きているかのように放たれていく。その炎弾が啓太の霊符をまとめて焼き放っていく。だが啓太もそれを黙って見ていたわけではない。瞬時に霊符の力を発動させ、炎に対抗しようとしたがまるで歯が立たない。炎をかき消すどころかその力を弱めることすらできない。全ての霊符を難なく焼き払った後、ようこは人差し指の先にライターの様な灯を見せながら啓太に笑みを向ける。まるで勝ち誇るかのように、いや、自らの力を自慢するかのように。
「な、なんだそりゃっ!? それもしゅくちってやつかよっ!?」
「そういえば言ってなかったけ? これは『じゃえん』 わたしが使える霊力の内の一つで炎を作り出すの」
啓太の戸惑いをよそにようこは人差し指をタクトのように振るうと炎が大きく、そして縦横無尽にダンスを踊る。まるで手品のように。だが間違いなくそれは本物の炎。いや霊力によって生み出されたそれは普通の炎を遥かに上回る力を持っている。それを前にして啓太は呆然とするしかない。
こ、こいつ……まだそんな力もってやがったのかよ!? しゅくちだけでも反則なのにどういうこと!? しかもその力も桁違いだ。間違いなくはけレベルの力の持ち主。犬神の力が犬神使いを上回ってるのは当たり前だがそれでもここまで力の差があるとは……ち、ちくしょう……悔しいが今の俺じゃあ逆立ちしたって勝てる相手じゃねえ。死神程じゃねえけどまともにやりあうなら犬神使いとしてじゃなきゃ勝負にすらならねえ……
はあ……ほんとはひと泡吹かせてからにしたかったんだけど仕方ねえか……
啓太が予想外の事態に方針転換を決意しかけた瞬間、
「じゃあ、今度はわたしの番♪」
キャッチボールをするかの様な気軽さでようこはじゃえんを啓太に向かって放ってきた。容赦なく、間違いなく直撃コースで。
「どわあああっ!?」
啓太は思考を切り捨て、なりふり構わずその場から飛び跳ねる。まさに本能による回避。優雅さも何もあったものではない、純粋な反射だった。それによって何とか炎を回避するもその余波だけで火傷をしかねない程の力。そして地面は抉られ、炎はそのまま森へと着弾し、火事が起こり始める。そう、まさに山火事が。次々に火が燃え移り、その明るさが辺りを照らし出していく。まるでキャンプファイヤーのように。
啓太は絶句する。その光景に。いや、力に。もしあれが直撃していたからどうなっていたか。間違いなく黒コゲになってしまっただろう。いくらギャグ補正があるにしても限度があるレベルの攻撃だった。
「よく避けたね、ケイタ。当てるつもりだったのに」
「ふ、ふざけんなあああっ!? 殺す気かっ!? っていうかどうにかしろっ!? 山火事になっちまうだろうがっ!?」
「もう、そんなに怒らないでよ。ちゃんと手加減してるんだから」
え……? 今こいつなんて言ったの? 手加減してる? これで? いや、マジで? はは、冗談ですよね。だってさっきの攻撃、間違いなく複数の犬神じゃなきゃ出せない威力だったはずなんだけど……
「じゃあ今度はもうちょっと本気で行くね、ケイタ♪」
啓太はその言葉を顔面を蒼白にしながら聞くことしかできない。いや、もう啓太にそれを聞く余裕などなかった。ようこが再び人差し指を振るった瞬間、先程と同じ炎が、それ以上の勢いと速さを以て次々に啓太に向かって放たれる。無慈悲に、容赦なく。ようことしてはちゃんと手加減しているもの、その姿も無邪気といえるものなのだが啓太にとってはそんなこと何の意味もなかった。
「ぬおおおおおおおっ!!」
自分の生命が危機にさらされている。その事実だけ。啓太はひたすらに山の中を逃げ回る。駆けまわる。およそ人間とは思えない速さで、体力で。並みの人間なら最初の一撃すら避けられなかっただろう。それが啓太の常人離れした身体能力の為せる技。かつて天界での修行でセクハラばかりし、天女による折檻を耐えることによって得られた肉体の強さだった。
「あはははは! すごいねケイタ! こんなにわたしのじゃえんを避けれるなんて!」
「ちょっ、ちょっと待て!? このままじゃ死んじまうからマジでやめろっつーの!?」
ようこは夜の山の中を楽しそうに、縦横無尽に飛び回りながら啓太の後を追っていく。まるで鬼ごっこのよう。もっとも自分は鬼ではなく犬神、いや妖狐なのだが。
「えー? じゃあ降参してあたしのものになる?」
「な、なるわけねえだろうが!? これじゃあほんとにただの脅迫じゃねえか!?」
「む。脅迫じゃないもん。これは勝負だって言ったでしょ。わたしに勝ったら逃がしてあげる。でもわたしが勝ったらケイタはわたしのものだからね♪」
「ち、ちくしょう……!」
ようこは興奮しながらもじゃえんを絶えず逃げようとする啓太に向かって放ち続ける。それを何とか紙一重で回避しながらも啓太は為す術がなく逃げ回るしかない。鬼ごっこではあるがあまりにも鬼が強すぎる。暗闇にまぎれようにもじゃえんの光によってそれもできず啓太は全速力で走り続けるしかない。
「ふふっ。やっぱりケイタは面白いね」
ようこは啓太には聞こえない程の声でそう言葉を漏らす。その人差し指が唇に触れる。妖艶さと子供の無邪気さ。あり得ない要素を合わせもちながら。その瞳が捉える。自分から必死に逃れようとしている一人の少年の姿。
川平啓太。
ずっと、ずっと待ち続けた想い人。本当は不安もあった。自分がケイタに会ったのはケイタが子供の頃。もしかしたら自分が惹かれたケイタではなくなってしまっているのではないかと。だがそれは杞憂だった。間違いなくケイタはケイタだった。おかしくて、面白くて、楽しい。あの日、わたしが惹かれたままの、ううん、それよりもずっと魅力的な男の子になっている。
楽しい。こんなに楽しいのはいつ以来だろう。本当に初めてケイタに会って以来かもしれない。ずっと、ずっと待ってた。この日が来るのを。この時間が来るのを。ただ、ただそれだけを待っていた。そのためにずっとこの山の中で、結界の中で暮らしてきた。ケイタの犬神に、ケイタと一緒になるために。今、わたしはケイタと遊ぶことができている。本当に楽しい。
しかもケイタもわたしが思っていたよりもずっと強い。初めは偶然だったみたいだけど今は間違いなくこっちの動きを読んで攻撃を躱してる。そして隙があれば反撃をしてくる。初めはもっと簡単にあしらえると思ってたけど大きな間違いだった。ちょっとでも気を抜けばミスをしかねない。だからそろそろ終わりにしよう。ちょっと残念だけど、でも仕方ない。
もう二度と同じ間違いを犯さないために。もう二度とあの泥棒猫に、犬にケイタを渡さないために。
「………え?」
啓太はどこか間の抜けた声を上げる。それは影。自分の足元に影が現れたから。だがそれ自体はおかしいことではない。今は夜だがようこのじゃえんのせいで辺りは灯りに包まれている。だから影ができても何もおかしくはない。そう、それが自分の影ならば。
啓太はそのまま自分の頭上へと、上空へと視線を向ける。まるで月を見上げるかのように。だがそこには月はなかった。あるのはただの巨大な木、いや木の群れとでも言うべき影。それが自分の頭上に浮いている。だが違う。それは浮いているのではなく、ようこのしゅくちによって飛ばされてきているのだった。
「そ、そんなんアリかああああ!?」
絶叫と共に啓太は為すすべなくその木の雪崩に飲み込まれる。その質量と重量の前にはいかに啓太といえど敵わない。凄まじい落下音と衝撃が山を襲う。それが止み、煙が収まった後には無残に粉々になった木の破片があるだけだった。
「あれ……? もしかして死んじゃった……?」
全く気にした風もなくようこがぽつりと呟く。だが内心、ようこは焦っていた。しゅくちによる森の木々を使った足止め。それがようこの作戦だった。もっともじゃえんだけで十分だと思っていたのでこの方法を使う予定はなかったのだが。だが啓太の予想外の強さ、そして頑丈さを前にして使っても大丈夫だろうと判断したのだがやりすぎてしまったのだろうか。ようこが少し慌てながらもその場に近づこうとした瞬間
「こ、殺す気か、お前っ!?」
啓太は息も絶え絶えに、瀕死の様子で木の残骸の中から這い出して来る。何で生きているのか分からない程の惨状だった。間違いなく啓太以外であったなら命を落としかねない大惨事だった。そう言った意味では既に啓太は既に人間を超えていると言えるかもしれない。だがそれを見ながらもようこはどこか楽しそうな笑みを浮かべる。その笑みに啓太は戦慄する。それはそう、まるで待ちわびたおもちゃを前にした子供のよう。
「ほんとに頑丈なんだね。なら、これでも大丈夫だよね……」
「え? ちょ……お前何を」
啓太が恐怖に顔を引きつかせながらも制止しようとするもそれよりも早く
「だいじゃえん!」
ようこの叫びが響き渡る。瞬間、極大の炎によって全てが吹き飛ばされていく。それが金色のようこの力。そして二人の戦いの幕引きだった―――――
辺りは既に焼け野原と化していた。一体が焼き払われ、炭と焼け焦げた匂いだけが充満している。まるで戦争でもあったのではないかと思えるほどの荒れ具合。もっともある意味戦争に近いものではあったのだが。
そんな中に一人の人影がある。それは啓太。だがそれは既に啓太かどうかすら定かではない。その姿は黒コゲ。だが間違いなく息がある。それは一応ようこが手加減していたからこそ、そして何よりも啓太だからこそ為し得る一つの奇跡だった。
「ちょっとやりすぎちゃったけど……でも、これでもう勝負はついたでしょ? これでケイタはわたしのものだからね♪」
ようこが笑いをこらえきれないように告げる。それは勝利宣言。この鬼ごっこの、勝負の決着がついたことを意味した言葉。ようこは月を舞うように宙を飛びながら嬉しそうに啓太へと近づいて行こうとする。啓太は何とか体を起こしながら体中についた煤を払う。同時にせき込んでしまう。あれだけの爆発に巻き込まれたのだから当たり前。むしろそれだけで済んだという事実の方が驚きだったのだが啓太にとってはめちゃくちゃな目にあわされたことには変わりない。啓太はそのまま大きな溜息を吐き立ち上がりながら
「はあ……悪いけど、この勝負は俺の勝ちだ」
そう、ようこに向かって自らの勝利を宣言した。
「……? 何言ってるの、ケイタ? まだ勝負続ける気なの?」
ようこはどこかぽかんとした様子を見せながらも問いかける。もしかしてまだ戦う気なのだろうか。あんなにボロボロになっているのに。何度やっても結果は変わらないと分かる程の力を見せつけたのに。負け惜しみなのだろうか。だがようこは気づく。それは啓太の姿。そこに嘘がないことに。啓太が本当に自分に勝った気になっているのだと。
「そう……じゃあもう少し遊んであげる♪」
ようこが気を取り直しながら再び啓太に向かってじゃえんを放つ。その威力を抑えながら。もう啓太に戦う力が残っていないことは一目瞭然だった。そしてそれが啓太に届こうとした瞬間
それはまるで何もなかったかのように消え去ってしまった。
「………え?」
ようこはそんな声を漏らすことしかできない。目の前で起きたことが理解できない。自分の放ったじゃえんがかき消されてしまった。それも一瞬で。だが啓太は身動き一つしていない。霊力を使った様子も、何か道具を使った様子も見られない。一体どうして――――
瞬間、ようこの息が止まる。その目が見開かれる。その瞳が捉える。それは鳥居。それが自分と啓太の間にある。そう、この山の出入り口である鳥居。その向こう側に啓太がいる。
それこそが啓太の真の狙い。ようこを倒すことではなく、この山から、ようこが追ってこれない、手を出すことができない山の外まで脱出することだった。
啓太は初めからそれを計算して動いていた。きっかけはようこのしゅくちによって山の中を走りまわされた時。あの時、ようこは自分が鳥居をくぐる前に必ずしゅくちを使っていた。初めは偶然かと思ったか何度繰り返してもそれは同じ。加えてようこの発言。この山から出られない、自分をここに閉じ込めるという内容。それらから啓太は推測した。ようこは何らかの理由でこの山の結界を抜けることができないのだと。
ようこの力が自分では手に負えないレベルであることを悟った啓太はすぐにようこを倒すことではなく、本来の目的、山からの脱出に切り替えた。それに気取られないようにするためにわざとようこを煽り、攻撃を加え、この状況までもってきた。
それが啓太の実力。霊力の強さだけではない、戦う者としての、犬神なしで四年間戦い続けた中で身に付けた力だった。
ようこは戦慄する。この状況に、何よりもこの状況を作り出した啓太に。自分が初めから踊らされていたのだと。知らず、この場所まで、そして自分が油断する瞬間を待っていたのだと。全てが啓太の掌の上。ようこは忘れてしまっていた。啓太が紛れもない犬神使いであったことを。
「っ! しゅ、しゅくちっ!」
ようこはすぐ我に返り、その力を振るう。啓太を自分の傍にまで瞬間移動させるために。だがいくら待っても啓太はやってこない。その力が届かない。手を伸ばせば届くほどの場所にいるのに。
「しゅくちっ! しゅくちっ! しゅくちっ!!」
ようこは何度も、何度もしゅくちを使おうとするもそれは結界に阻まれ、啓太に届くことはない。そんなことは分かっている。この山に三百年間封じられていた間、数えきれない程試したこと。自分はこの山を越えてはしゅくちもじゃえんも使えない。覆すことができない、絶対の境界。だがそれが分かっていてもようこは力を振るい続ける。まるでだだをこねる子供のように。その表情には先程まであった余裕は全くない。ただ焦り、息を荒げている少女の姿がそこにはあった。
「ったく……酷い目にあったぜ……」
そんなようこの姿をどこか呆れ気味に一瞥した後、啓太は大きな溜息を吐きながら歩き始める。川平本家の屋敷への道へと。既に体中ボロボロ、いつ倒れてもおかしくない程。死神との戦いよりも重傷とか何の冗談だ。だが一体何だったのか。あれよあれよという間に巻き込まれてしまったが何一つ事態が掴めん。分かることは間違いなく俺が人生で一、二を争う危機を迎えたこと。そしてそれを何とか乗り切ったことだけ。内容としては散々だったが。勝負に勝って試合に負けた……いや、試合に勝って勝負に負けただったっけ? まあどっちでもいいか。何とか脱出できたわけだし。あのまま閉じ込められるなんて絶対御免だ。しかも炎によって燃やされると言うおまけ付き。何かの罰ゲームかっつーの……とにかくばあちゃん家に帰るとすっか、文句を言ってやらねば!
どこか恨みを感じさせる様子を見せ、啓太がそのままその場を去ろうとした時
「ま、待って、ケイタ!」
ようこのどこか鬼気迫った声が啓太に向かって響き渡る。そこには鳥居の入り口を通ろうとするも、まるで見えない壁に阻まれるかのようにその場から進むことができないでいるようこの姿があった。
「何だよ? 勝負なら俺の勝ちだろ。確かにお前は倒せなかったけど勝ちは勝ちだぜ」
「っ!? そ、そうだけど……ちょっと待って、ケイタ! わたしまだケイタと話したいことが一杯あるの! だから戻ってきて! もうしゅくちもじゃえんも使わないから……!」
啓太はまるで捨てられる子犬のような姿を見せているようこに圧倒されてしまう。まるでさっきまでとは別人だった。その瞳には涙が滲んでいる。必死さが、鬼気迫っているかのような気配が結界越しでも伝わってくるかのよう。
う、うーん……何だか可哀想な気もするが……まあ仕方ないか。もう一度山に入って閉じ込められたら同じ手は二度と通用しないだろうし……それにもしかしたらこれも演技かもしれん。最初、俺も猫かぶりにあっさり騙されちまったし、女は怖いとごきょうやに習ったしな。まさかこんなにも早く体験することになるとは思わなかったが。それにどっちにしろこれ以上この子には関わらない方がいいだろう。なでしこがどう言ったかは知らないかやっぱなでしこ以外の犬神を持つのは問題あるだろ。何よりも確信がある。こいつとなでしこは相性が悪い。さっきの反応からも何か因縁があることは間違いない。それに俺、こいつをコントロールできる自信もないし……
「……悪いけど、俺行くわ。お前ももう少し大人しくなればきっと新しい主人が見つかるって。じゃあな」
啓太はどこか罰が悪そうな表情を見せながらもそのまま踵を返し、山を後にする。そのまま啓太は来た道を戻って行く。犬神達の世界から人間の世界、外の世界へと。
「っ!? 待って、ケイタ!? 違うのっ! わたしはケイタの犬神になりたいのっ! 他の人間の所なんて……!」
その事実に、姿に一瞬呆然としてしまっていたようこだがすぐに結界に張り付きながらも懸命に訴える。自らの気持ちを、本当の想いを。だがそれを聞きながらも啓太はその足を止めることもなく立ち去って行く。だがそれは無理のないこと。狼少年。今のようこはそれに近かった。先程まで散々啓太をからかい、力を振るってしまった自分の言葉には啓太を止めることができる力がない。
「あ、あ……ご、ごめんなさい! あ、謝るから……! ちょっと悪戯がしてみたかっただけなの! ケイタのことが嫌いだからしたわけじゃないのっ! もう、もうしないから……」
声を震わせながらも、しどろもどろになりながらもようこは必死に訴える。たどたどしい言葉で。だがそれ以外に言葉が出てこない。こんな時になんて言えばいいのか分からない。だって言えるわけなかった。
ケイタのことが好きで、でもそれを言うのが何だか恥ずかしくて意地悪をしてしまったなんて。
自分のことを忘れてしまっていたケイタに少し悪戯をしたかっただけなの。ケイタと話すのが楽しくて、遊ぶのが楽しくて、それが本当に嬉しくて……
「だから……だから行かないで……ケイタ! わたし、わたしずっと待ってたの……ケイタが来るのを……会えるのを……」
三百年前、オトサンが封じられてしまってからの日々。何もない、ただ時間だけが流れて行く日々。生きているのか、死んでいるのかすら分からないような灰色の日々。でもそれに一筋に光がさした。それがケイタとの出会い。もう全てにあきらめて、死んでしまおうと思った時に現れた小さな人間の男の子。その子と遊ぶのが楽しくて、わたしはあの時、きっと初めて笑ったんだと思う。
あの子と一緒にいたい。
わたしは生まれて初めて、心から何かを願った。
でも、それは叶わなかった。盗られてしまった。奪われてしまった。全部、全部、全部。
やっと、それを手に入れれるかもしれない。そう思ってたのに。どうして。
「ケイタ……待って……」
どうしてまた失敗してしまったのか。もう二度と失敗しないように。そう思ってたのに。もうケイタの姿は見えなくなってしまった。後には何もない、いつもどおりの静かな、夜の闇だけ。三百年間、ずっと変わることない世界。わたしにとっての檻。決して逃れることのできない呪縛。そう、何も変わらない。今までと同じ、灰色の日々。それに戻ってしまっただけ。
「置いてかないで……もう……もう嫌だよ……」
でも、もうきっと耐えられない。だって知ってしまったから。その温もりを、楽しさを。それを忘れることなんてできない。火を使い出せば、決してそれを手放すことができないように。わたしはもうきっと、今までの日々に耐えることができない。一人ぼっちなのはもう……
「う、うう……うああ………」
もう、何も分からない。自分が涙を流しているのも、その場に蹲ってしまっていることも。ただ悲しかった。ケイタにもう会えないことが、一緒にいられないことが。たったそれだけの、でもわたしにとっては何よりも大切なこと。
「ああ……ああああ……」
ただ泣き続ける。人目をはばからず、子供のように。誰にも聞こえるはずのない泣き声と共に。冷たい夜風の中。そのまま全てに絶望しかけた時
「……ったく……これじゃあ俺が悪者みたいじゃねえか……」
「………え?」
そんな声と共に確かな温もりがわたしの頭に乗せられる。冷え切ったわたしの体がそれだけで温もりに包まれてしまうかのような温かさかがその手にはあった。ようこは涙によってぐちゃぐちゃになった顔を上げる。だがその涙に濡れた瞳で確かに捉える。どこか呆れかえった表情で自分の頭を撫でているケイタがそこにいた。
そう、鳥居を超えて。自分が越えられない境界を、何でもないことのように超えながら。
「ケイタ……? どうして……?」
「まあ、その、なんだ……俺もちょっとカッとなっちまったからな。そのお詫びだ。でもこれ以上は謝らねえからな。半分以上はお前のせいなんだからな」
啓太はどこか恥ずかしそうにしながらそっぽを向いてしまう。それが啓太の精一杯の妥協点。流石に犬神とはいえ、女の子を泣かしたままというのは宜しくない。なんだかんだで結局甘い、ある意味啓太らしさと言えるものだった。
「うっ……ううっ……ケイタ……ケイタああああっ!!」
「お、おい! ちょっとお前、離れろって!?」
「うあああああん! わあああああん!」
ようこはまるでせきを切ったかのように泣き叫びながら啓太に縋りついてくる。本当に親に縋って来る子供のようだ。もっともその姿は少女のそれだが。だがいくらあやしても一向に泣きやむ気配がない。あまり気は進まないがいつまでもこのままではいけない。啓太は一度、大きな深呼吸をした後、
「おーいっ! はけっ! どっかで見てんだろっ!? いい加減出てきたらどうだっ!?」
そう、自分達を見守っている、もとい覗き見ているであろう存在に向かって声を上げた。
「気づいておられたのですか、啓太様……」
その声に応えるようにすうっと突然実体化したかのように啓太とようこの前にはけが姿を現す。その姿にようやく自分の状況に気づいたのかようこは慌てながら涙を拭いながらはけに対面する。どうやらはけの前では醜態をさらしたくないらしい。やっと解放されたことに安堵しながらも啓太はどこか非難の目をはけへと向ける。
「当たり前だろ。覗きが趣味のお前が俺とこいつを残したままなんて考えられねえからな」
「………」
啓太の刺がある言葉にはけは何も言い返すことができず、背中に嫌な汗が滲むのを抑えることができない。ある意味、啓太が言っていることは事実なのだから。やはりこの方には敵わない。
「とにかく、事情を聞かせてもらうぜ。俺だけ何も知らないのはおかしいだろ?」
異論、反論は許さないとばかりの不敵な笑みを見せながら啓太ははけへと迫る。まるで一本取ったといわんばかりの喜びようだった。だがようやく落ち着きを取り戻したようこは何故か顔を赤くしている。まるで恥じらう乙女のように。
……何だ? 何でそんな反応示してるわけ? 確かにずっと泣いてたのは恥ずかしかったのかもしれんが明らかに様子がおかしい。一体何が……
啓太は困惑しながらも事情が分からず、首を傾げたまま。そんな啓太の姿にはけは一度改めて目を向けた後、
「とりあえず……啓太様、まず何か着られてはいかがですか……?」
そういつもと変わらない鈴やかな声で進言する。啓太はその言葉の意味が分からず一瞬フリーズしてしまう。それが解凍された後、啓太は改めて自らの体を見下ろす。
そこには生まれたままの、しかも煤によって黒ずんでしまっている自分の裸があった。
「………」
「ケイタ……その、ごめんね……」
放心状態になっている啓太に向かってようこがこれまでで一番申し訳なさそうに謝罪する。そこでようやく啓太は思い出した。
自分がしゅくちによって服を取られてからずっと全裸であったことを。
それが啓太とようこの出会い、再会。そして四年前の続きの始まりだった――――――