「ふう」
大きな溜息と共にショートカットの少女がゆっくりとその体を湯船へと浸ける。同時に溢れたお湯によって辺りが湯気に包まれる。しかし湯気に隠れてもなお、その少女のプロポーションは隠しきれていない。引き締まったウエスト、豊満なバスト、スラッとした脚線美、まさにモデル顔負けの肢体。それが薫の犬神、序列三位、たゆねだった。
今、たゆねは日課であるジョギングを終え、ひと汗流しているところ。運動が好きな彼女にとってこの瞬間は満足感と解放感に浸れる楽しみな時間だった。だが
「う~~」
たゆねはどこか不機嫌な、いや何かを気にした素振りを見せながら口元まで湯船につかる。だがたゆね自身それが何なのか、何故自分がこんな気分になっているのか分からないと言った風。たゆねはそのままぶくぶくと口元から泡を出しながら考える。そう、彼女も心の中ではそれは何なのかは分かっている。それは
(啓太様……大丈夫だったのかな……)
川平啓太。その存在が気にかかっているからに他ならなかった。
たゆねにとって啓太は近づいてはいけない、変質者、ヘンタイだった。当たり前だ。神聖な儀式で労働条件の連呼という前代未聞の珍事を起こし、ストリーキングで何度も留置場送りになり、街のヘンタイ達と知り合い。何よりも自分の胸を揉まれるというえっちでスケベな男。それがたゆねにとっての啓太だった。故に彼女は啓太とは決して交流を図ろうとはせず、そっけない態度を取り続けていた。それはツンデレでいうツンですらなかった。ただ単にお近づきになりたくなかっただけ。だがそれが少しずつ変わっていったことをたゆねは思い出す。
きっかけは啓太となでしこが薫の、自分達の屋敷に泊まりに来た時、ともはね達と一緒にフリスビーをして遊んでいるのを目にした時、『あれ?』と思ったのがきっかけだった。ともはね達が楽しそうに遊んでもらっているのが羨ましかった(本人は頑として認めていない)のもあるがそれ以上にその時の啓太の姿に興味を抱き、惹かれてしまった。それはまさに犬を扱う者の姿。その仕草、笑い方、扱い方、全てが間違いなく犬を従えさせ、懐かせるに相応しい魅力があった。しかもどうやら啓太は全く意識せず、無意識にそれらを行っているらしい。犬神使いの儀式においても犬神達は山を歩いている人物のそれらの要素を見定め、その器量を、実力を感じ取る。そういった意味でたゆねは目の前で遊んでいる啓太が凄まじい才能を、器を持っていることを感じ取った。(もっともこの時のたゆねはそれはきっと何かの勘違い、気の迷いだと思っていた)
その仕草も自らの主である川平薫とよく似ている。だがそれは正確には違う。たゆねには与り知らぬことだが薫の仕草に啓太が似ているのではなく、啓太の仕草を薫が真似て、自分の物にしているのだった。だがそんなことなど知らないたゆねにとっては興味をひかれるには十分なものだった。
ちょっとお近づきになってみよう……これは仲良くなりたいんじゃなくて……そう! いぐさ達に危険がないかどうか調べるために! 決して僕が興味があるわけじゃない!
そんなツンデレの見本、鏡のような言い訳を自分自身にしながらたゆねはその機会にめぐり会う。ともはねのお世話係をしている時に偶然、啓太に出会うことができた。どうやらなでしこへのプレゼントを買いに来ていたらしい。しかもリボンを。その意味を知らないままに。別にその理由をすぐに教えてあげてもよかったのに何故かたゆねはそれをしなかった。その理由をたゆねは後に気づくことになるのだがそれはまだちょっと先の話。
そんなこんなで僕ははともはねと一緒に啓太の依頼に同行することになった。表向きはともはねの面倒をみるためという理由で。どうやら啓太様は僕には付いてきてほしくなかったみたい。誤魔化してたけどバレバレだった。それがちょっと頭に来て色々いじわるをしてしまった。少しやりすぎてしまったかも。でも啓太様と話していると不思議と楽しかった。もっとえっちな話題やセクハラをされるかと思ってたけどそうではないらしい。そう思った瞬間に下半身を露出すると言うヘンタイ行為を見せられたんだけど……っといけない! もうあの時のことは思い出さないようにしないと!
そして僕たちは新堂ケイという女の子の屋敷へと招待された。そこで僕は本当に何年かぶりにスカートを、いやドレスを着ることになってしまった。着方自体は知っていたので問題なかったけど。(せんだんによって小さい頃よく着せさせられていたため)でもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。全てはせんだんによって植え付けられたトラウマ……というのは大げさだが忌避感によるもの。でも啓太様は僕のドレス姿を褒めてくれた。それがお世辞ではなく心からのものであることが分かるほどに。素直になれずに反発しちゃったけど、褒められるのはやっぱり嬉しい。
うん……まあちょっとなら今度スカートを履いてみようかな。啓太様に見せるためじゃないけど……そう! 薫様にみてもらうために!
だけどそんな気持ちもすぐに吹き飛んでしまう。後からやってきたなでしこのドレス姿に見惚れている啓太様の姿によって。その態度の違いは明らかだった。いや、それはドレスによるものじゃない、もっと根本的な違いによるものであることに僕は知ることになる。
そう、あの死神との戦いの後に。
僕はあの死神に負けた。完膚なきまでに、手も足も出せないまま。確かに慢心が、油断が全くなかったと言えば嘘になる。でもそんなことなど何の意味もないほどに死神の強さは圧倒的だった。その力の前に啓太様も為すすべなく敗れた。あの力の前ではきっと誰も敵わない。そう絶望してしまうほどの力の差だった。
でも啓太様は臆することなく再びあの死神に戦いを挑んだ。はけ様が憑いてくださっていたけど、それでも敵わないかもしれない程の戦い。文字通り命がけの戦い。そして啓太様は勝った。自分が手も足も出なかったあの死神を倒したのだった。一人の少女を救うために。
たゆねは強い者、存在に憧れを持つ、惹かれる性格を持っている。加えて薫の犬神達の中でも特に正義感が強い。そんなたゆねにとってその時の啓太の行動はまさに心にどストライクのもの。加えて今までの啓太に対する評価が最低(だいたいフラノのせい)だったこともあり、そのギャップのせいでさらにそれはうなぎ上りになった。そしてそれと共に脳裏にこびりついて離れないもの。それは
(あの時のなでしこ、ほんとに嬉しそうだったな……)
戦いの後に海岸で啓太からリボンを贈ってもらったなでしこの姿だった。それを贈られて目から涙を流している、喜んでいるなでしこの姿は本当に綺麗だった。思わず羨ましいと思ってしまうほどのもの……全裸だったのだけは認められなかったが。たゆねはそのまま自らの指にはめられた銀のリングに目を向ける。それは薫との契約の証。とても大切な贈り物。でもなでしこがもらったあのリボンはきっとこれとは全く違う意味を持つ物。好きな相手に自分の想いを伝えるための物。女の子っぽいことは嫌いなたゆねですら羨ましい、嫉妬してしまうほどの光景だった。でもそれ以上に何か胸にもやもやするものがある。それが何であるか少女は気づいていない。だが心では理解していなくても知らず行動には現れてしまっている。
それはジョギングのコース。それが啓太が死神を倒した日から変化していた。川辺に沿って走るコースへと。それが何を意味をするかなどもはや語るまでもない。もっとも結局一度も会えてはいなかったのだが。
(う~~! このままずっともやもやしててもよくない……うん! 今度ともはねと一緒に会いに行こう! もうすぐ呪いが解けそうだってはけ様から聞いたし……お見舞いとしていくことにしよう、それなら問題ないよね!)
たゆねは湯船から上がり、バスタオルで髪と体を拭きながらそう決断する。きっと一度会えばこのもやもやも消えてなくなるだろう。自分は啓太を心配しているだけなのだから。そう決めれば何だかすっきりしてきた。何かに悩んでるのは僕の性に合わない。そんなことを考えているとホールの方から何か大きな音と叫び声が聞こえてくる。ここまで聞こえてくるなんて相当の騒がしさだ。今は自分とともはね以外はみんな出かけてるから必然的のその犯人は一人だけ。その証拠に近づくにつれそのやかましいテレビの音とともはねの大声が聞こえてくる。どうやらまた大音量でテレビゲームをしているらしい。その騒がしさはいつもせんだんの頭を痛めさせている程のもの。いくら自分以外いないとしても騒ぎすぎだ。
「ちょっとともはね! もうちょっと静かにしなよ、風呂場にまで聞こえてきてるぞ!」
たゆねは頭をバスタオルで拭きながらともはねに向かって声を上げる。いつものように、人目を気にしない乱れた格好のまま。そして
「………え?」
たゆねはそんな声を上げることしかできない。何故ならそこにはいつもならあり得ない人物、先程まで考えていた存在、川平啓太がいたのだから。啓太はともはねの隣に座ったまま。どうやらともはねと一緒にゲームをしていたらしい。そんなともはねはたゆねの言葉に気づいていないのか一心不乱にゲームに夢中になっている。だが啓太はそれに気づき、たゆねの方に振り返ったものの口を開けたまま固まってしまっている。その視線がたゆねの服装へと釘づけになってしまっている。
風呂あがりで赤く上気した肌、いつも通りのホットパンツに丈の短いTシャツ。だが誰もいないと思っていたためそれはいつもより乱れ、下着も露わになっている。いわゆる破廉恥な格好。家族の前でしか見せないような格好だった。しばらく啓太と無言で見つめ合い、ようやく自分の姿に気づいた瞬間
「いやあああああああ―――――っ!?」
「お、おい!? どこ行くんだ、たゆね――――っ!?」
悲鳴と共にたゆねは光に包まれ、脱兎のごとく壁を破壊しながら逃げ去ってしまったのだった――――――
「ほんとに大丈夫なのか……お前……?」
「だ、大丈夫です! ちょとびっくりしちゃっただけで……」
「けーた様、このケーキもう一つもらってもいいですか?」
「一人一個ずつしか買ってないから我慢しろって……」
「む~、は~い……」
啓太はともはねの言葉をあしらいながらも大きな溜息を吐く。今、啓太達はテーブルでお茶をしているところ。目の前には買ってきたケーキが並んでいる。もっともともはねは既に食べ終えてしまったため他の物に手を出そうとしているが仕方ない。薫のところは大所帯のためにお土産を買うのにも一苦労だ。間違いなく今月の小遣いは厳しいことになる。元々死神のせいで困窮しているのでなおのことだ。しかし残念ながらともはねとたゆね以外は皆出かけてしまっているらしい。まあ休日だしな。お目当ての二人がちょうど残っていてくれたのが救いだ。これで誰も居なかったら目も当てられない。しっかし最近薫の奴とほんとに会わねえな……一番最近会ったのが前のバレンタインの時か。もしかして俺、避けられてるんじゃねえ?と勘ぐってしまうほどのすれ違いっぷりだ。それはともかく
啓太はその光景に目を向ける。そこには外まで続いている壁の穴があった。言うまでもなくたゆねの突撃によって開けられた穴である。その威力は全く衰えていない、いや増しているのではないかと思えるほど。
今回はどうやらたゆね自身、自分に非があるせいか逃げ去る方に矛先が向いたが、これがもし俺が風呂を覗いたり、セクハラをすれば間違いなく矛先はこちらに向いていたはず。その事実に背中に冷たい汗が流れる。せっかく死神の呪いが解けたのに病院生活とか冗談じゃない。下手すりゃ告白してすぐになでしこを未亡人(結婚しているわけではないのだが)にしちまうところだ。マジでこいつと会うときには細心の注意を払わなければ……。
「いいのかよ、あの穴そのままにしといて……?」
「い、いいんです! 後で僕が直しておくんで!」
「たゆね、直すの得意なんですよ、けーた様!」
「そ、そうか……」
どうやらたゆねのことを褒めているつもりらしいともはねの言葉に苦笑いしかできない。たゆねもそれは同じ様だ。それはつまり器物破損の常習犯だということ。それが人身事故をおこさないことを願うしかない。主に俺の身の危険という意味で。
「そ、それよりも啓太様。今日はどうされたんですか? いきなりいらっしゃるなんて……」
「ああ、やっと死神の呪いが解けたんでな。ちょっとお礼とお詫びに来たんだよ」
「オワビですか?」
「お前ら巻き込んじまったからな。怪我とかはねえとは聞いてたんだけど一応な。呪いのせいで直接会えなかったし、たゆねは大丈夫なのか?」
「はい! ともはねは元気いっぱいです、けーた様!」
「お前はもう聞いたっつーの……」
いつも以上の元気を振りまいているともはねに溜息を吐くことしかできない。どうやら一ヶ月間俺と遊べなかったのを取り戻さんばかりにはしゃいでいるらしい。ある程度予想はしていたのがそれを遥かに超える元気さだ。まあ怪我がなかったのは良かったが。
「ぼ、僕も平気です! 元々怪我はしてなかったんで……」
「そっか……でもアイツに何かされてたろ? 確か相手の恐怖を蘇らすとかいう技。それはなんともなかったのか?」
「え!? えっとそれは……」
俺の言葉にたゆねは何故かあせり、誤魔化そうとしている。やはり何か後遺症でもあったのだろうか。だが
「けーた様、たゆねはユーレイに襲われる夢を見せられたんですよ」
「……? 幽霊?」
「こ、こらっ! ともはね、余計なことは言わなくていい!」
そんな心配はともはねの暴露によって吹き飛ばされてしまう。たゆねは顔を赤くしながらともはねを追いかけ回し、言ってはいけないことを言ってしまったという風にともはねもそれから逃げ回っている。まさに犬の追いかけあいっこ、鬼ごっこ。もっとも犬神であるためその騒がしさは犬の比ではないのだが。
しっかし、幽霊ねー。以外と言えば以外だな。そんなタイプには見えないんだが。むしろその強さを見れば幽霊の方が尻尾を巻いて逃げ出すんじゃないか。もっとも口には出せないが。
「……何か言いたそうですね、啓太様?」
「い、いや、気のせいだろ? ははは……」
ともはねを捕まえて逆さ吊りにしているたゆねがジト目で睨んでくる。どうやらこちらの心の声が態度に出てしまっていたらしい。き、気を付けなければ……病院送りだけはマジで勘弁してほしい。
「ふん、全然元気そうですね。心配して損しちゃいました」
「え? お前心配してくれてたの?」
「あ……い、いえ、啓太様に何かあるとその、なでしこが可哀想ですから!」
思わずポロリと言ってしまったかのようなたゆねの言葉に驚きを隠せない。どうやら本当に心配してくれていたらしい。めちゃくちゃ嫌われてると思っていたのだがどうやらそのぐらいは心配してくれるらしい。まあそれでも嫌われてることには変わりないようだが。その証拠に会ってからずっと態度がそっけない。フラノによる誤解(大半は真実)のせいでがもはや弁明するのもあきらめているので仕方ない。できる限り気に障らないように接するようにしなければ。俺自身のために! そんな中
「けーた様! あたしすごい薬作ったんですよ! お部屋にあるので見に来てください!」
「薬? 何の薬だ?」
「強くなれるお薬です! これがあればもう死神にだってともはねは負けません! 今度こそけーた様の役に立って見せます!」
「そ……そうか。でもお前、そんな趣味があったのか。知らなかったぜ」
「はい、ごきょうやにも手伝ってもらってるんです! でも今回のはあたし特製の薬ですからもっとすごいですよ!」
それはもっとヤバイの間違いではないのか。そう突っ込みたいのだがあえて口にしなまま啓太はともはねによって引っ張られていく。まあやばそうだったら止めればいいか。九割方そうなるような気がするが。そんな中
「け、啓太様、その……僕も……」
たゆねがどこかもじもじしながら何かを言いかけた瞬間、けたたましい着信音が鳴り響く。それは啓太の携帯からの物。突然の出来事に驚きながらもすぐさま啓太はそれを取る。一体誰だろうか。
「もしもし……」
『久しぶりだな、川平。休みのところすまない。実は急ぎの』
ブツンッと啓太はその通話を断ち切る。それはまさに電光石火。目を見張るほどの早技、相手に全く用件を言わす暇を与える隙すらないものだった。
「よし、じゃあたゆねも一緒に行くか。ともはね、さっさと案内してくれ」
「え? けーた様、さっきの電話よかったんですか?」
「いいのいいの。ただのイタズラ電話だったから。ほら、たゆねも行こうぜ」
「は、はい……」
啓太は何事もなかったかのように歩き始める。その姿にともはねとたゆねは首をかしげることしかできない。だがすぐさま啓太の携帯が再び鳴り始める。啓太はそれに出ることなくずっと放置している。まるで何も聞こえていないと言わんばかりに。それでもやまない携帯を何度も切りながら啓太は歩き続ける。しかし着信音は何度切られてもあきらめることなく鳴り続けている。掛けてきている相手の執念が滲みでてくるかのようだ。ついにそれに根負けしたのか啓太が一度大きな溜息をついた後、再び電話に出る。
「もしもし……」
『か、川平! 少し落ちついて話を聞いてくれ! 私だ、仮名だ! 仮名史郎だ!』
「仮名……? どちら様ですか? 俺、そんな人知らないんだけど?」
『な、何を言っている!? 特命霊的捜査官の仮名だ! いつも仕事を依頼しているだろう!?』
「ああ、そんな人も居たっけ。死神の呪い以来全然連絡が取れなくなって、音信不通になってたんですっかり忘れてたわ。で、その薄情な仮名さんが今更俺に一体何の用?」
『ぐっ……す、すまない。それはどうしても仕事柄やむを得ず……あ、ああ、待てっ!? 落ち着け、川平、悪かった、悪かったから話を聞いてくれたまえ!? 依頼料にも色を付ける!』
「……なんだか釈然としねえけど分かったよ。で、どんな依頼なんだ。あんたのヘンタイ魔道具の封印ならよそを当たってくれ」
『っ!? い、いや……今回はその類ではない! あとそれは私の魔道具ではない! 私の先祖が』
「どっちだって同じようなもんだろ。さっさと話を進めてくれ」
『か、川平……そうとう根に持っているようだな……』
啓太のあまりにぶっきらぼうな対応に仮名は冷や汗を流すことしかできない。電話口からでもその恨みが伝わってくるかのようだ。だがそれも無理のない話。生活に困窮し助けを求めたにもかかわらず無視され、呪いが解けた途端に依頼をしてくるのだから。もっとも啓太も本気で怒っているわけではない(ある程度は怒っている)ので一通り恨み言を済ませた後、改めて依頼の内容を聞くことにする。何だかんだいって先立つものがないと生活できない。今はなでしこが貯めていたへそくり(という名の啓太の学資)で生活している。何とかそれを脱するために背に腹は代えられない。金が溜まったらしばらく仮名の依頼は受けないことにしようと考えながらも啓太はその内容を聞かされる。
『ごほんっ!……今回は君となでしこ君に力を貸してほしいのだ』
「なでしこにも? なんで?」
『うむ、少し事情があってな。女性の犬神の力が必要なのだ。そう言った意味で君たちはうってつけ、いやこれ以上にない依頼相手だ。もちろん依頼料はその分出そう』
「それは構わねえんだけど、なでしこは戦えねえぞ? それに今は出かけちまってるし……」
少し考え事をしながら啓太はそう答える。仮名はなでしこが戦えることを知らないはず。薫の犬神達もそのことは知らない。たゆねも死神を倒したのは俺とはけだと思ってる。もっとも未来視をもっているフラノとその予言を聞いていたごきょうや、てんそう、そして一度なでしこの体になったことがあるともはねはそのことには気づいているようだが。俺もよっぽどのことがない限りなでしこを戦わせる気はない。
『何? ……そうか。戦ってもらう必要がない依頼だったのでなでしこ君にも頼めると思ったのだが……そうなると、そうだな……川平薫のところの犬神の誰かに手伝ってもらうしかないか……』
「……? よくわかんねえけど、俺、今薫の家にいるぜ」
『何っ、本当かっ!? 誰か犬神はいるか、ともはね以外の子だ!』
「ともはね以外の……? 今はたゆねだけだけど……」
『うむ、悪いがたゆね君に手伝ってもらえるように頼んでみてくれないか? 川平薫の方には私から話を通しておく』
「あ、ちょっと待て、仮名さん! たゆねはちょっと……」
仮名の言葉に啓太が思わず声を上げる。流石に昨日の今日でまたたゆねを巻き込むのは気が引ける。もうないとは思うが以前のようなことがあれば大変だ。何よりももしまた全裸にでもなれば俺の命が危ない。いや、もう全裸はあきらめるにしてもそれだけは。だが
「だ、大丈夫ですっ! あれからちゃんとトレーニングしてますから、もう前みたいなことにはならないですっ!」
「ずるい、あたしも一緒に行きたいです、けーた様!」
仮名との電話の内容を聞いていたたゆねが何故かやる気満々の姿で宣言する。なぜここまでやる気になっているのかは分からないがどうやら本気でまた付いてくる気らしい。何故か除外されてしまっているともはねも納得がいっていないようだ。こうなっては収拾がつかない。気は引けるが仮名さんも付いてるし……まあ大丈夫か。
「分かったよ……で、依頼はどんな内容なんだ?」
啓太はあきらめの溜息を吐きながらそれを尋ねる。それに
『うむ、今回は除霊だ。最近被害が増えていてな。では待ち合わせ場所はメールで送っておく。宜しく頼んだぞ!』
仮名はそう言い残したまま電話を切ってしまう。それから何度も掛け直しても繋がらない。どうやら車にでも乗っているらしい。
「「…………」」
そのまま俺とたゆねは無言で見つめ合う。状況がよく分かっていないともはねが不思議そうに俺とたゆねを見比べている。俺はたゆねを見つめ続ける。その顔が引きつっている。先程までのやる気に満ちていた姿は一瞬で消え去ってしまった。
『除霊』
その聞き逃すことのできないフレーズによって。
それでもあきらめきれないのかたゆねはやせ我慢したかのような表情で啓太を見つめている。まるで捨てられまいとする子犬のような哀愁がある。だがそれを見ながらも
「………まあ、無理すんなって」
啓太はそう慰めるように告げた後、仕方なくそのまま一人で仮名との待ち合わせ場所へと向かうのだった―――――
「ただいまー!」
「誰もいないのー? ……ってなにこれええっ!? たゆね、あんたまたやったのっ!?」
「薫様が戻ってくる前にちゃんと直しなさいよ!」
外出から戻ってきたいまりとさよかがホールの惨状に悲鳴を上げながらもその場にいたたゆねに声をかける。だがいつまでたっても返事が返ってこない。いつもなら売り言葉に買い言葉。言い返してくるはずなのに。
「……どうしたの、なんかあった?」
「そういえばともはねは? 家で留守番してなかったっけ?」
「…………知らない」
たゆねは何故か部屋の隅で体育座りをしたまま拗ねるように、落ち込んだまま。事情が分からない双子はそのまま顔を見合わせ、立ちつくすことしかできないのだった―――――