「けーた様、だいじょーぶですか?」
ともはねは少し心配そうな表情を見せながらその指で何かをつっついている。だがそれはそんなともはねに何の反応も示さない。いや、つっつかれていることにも気付けない程落ち込んでいるといった方が良いかもしれない。そこにはまるで燃え尽きたような、真っ白な灰になってしまったかのような犬神使い、川平啓太の姿があった。啓太は何かをぶつぶつ呟きながら部屋の隅っこで座り込んでいる。さながら受験に失敗した受験生といったところ。
「啓太様……」
「大丈夫です、啓太様♪ まだ時間はありますから、当たって砕けろですよ♪」
「うるせえ! 何が当たって砕けろだ!? 当たる前にお前が砕いたからだろうが!?」
どこか楽しそうなフラノの言葉に今までずっとふさぎこんでいた啓太が抗議の声を上げる。だがその必死さを前にしてもフラノは全く気にした風もなく、むしろ楽しそうですらある。ともはねはよく事情が分かっていないもののどうやらいつも通りの啓太に戻ったことだけは感じ取り、啓太の周りでうろちょろしている。てんそうは変わらずぼーっとしながらもその動向を観察し、ごきょうやは悩ましいとばかりに額に手を当てながら皆の姿を見つめていた。
今、啓太達は薫の屋敷の客間、啓太が今日泊まる部屋に集まっていた。今この場にはなでしこはいない。どうやらせんだんに誘われてどこかに行ってしまったらしい。そのため啓太を含めれば五人がこの場には揃っていた。その理由。それは言うまでもなく、たゆねをはじめとした四人の犬神達の誤解を解き、仲良くなるという目的を達成するための物。いや、正確にはそれに完膚なきまでに失敗した後だった。
「……確かに、そうかも」
「ほら、てんそうだってそう言ってんじゃねえかっ! お前がハードル上げたせいでこんな目に会ってんだからちょっとは協力しろっつーの!」
「ひどいです~啓太様~! フラノはちゃんと協力してますよ~?」
「やかましいっ! 余計な茶々入れてくるだけで悪化させるだけだったろうが!」
全く悪びれた様子のないフラノの姿に啓太は怒りを通り越してあきれ果てるしかない。先程の食堂に会しての親睦会。といっても歓迎されているとは思えないような光景を思い出し啓太はがっくりと肩を落とす。自分が嫌われている、避けられている理由を知った啓太はその後、何とかその誤解を解こうと奮闘した。だがそれはものの見事に失敗、玉砕する。
まず接触をしたのがたゆね。ある意味でもっとも手強く、早急に何とかしたい相手。だがその強力さは啓太の想像を遥かに超えていた。できる限りフレンドリーに、さわやかに話かけたのだがその全てを一言、二言であっさりと切り捨てられ、それでも何とか食い下がろうとしたのだがその凄まじい拒絶のオーラ、ジト目を前に啓太は為すすべなく撤退するしかなかった。
こうなっては他の三人を先にするしかない。啓太は持ち前の前向きさ(現実逃避ともいう)をもって双子の犬神いまり、さよかと眼鏡をかけた犬神いぐさと交流をはからんとする。だがそれも思うようにはいかなかった。いまりとさよかに関してはたゆねのように全く口を聞いてくれないわけではないのだがやはりどこか警戒したような様子を見せたまま去って行ってしまい、いぐさにいたっては話しかけた途端、まるで変質者に会ったような反応を示しながら食堂から逃げて行ってしまった。ある意味で一番ショックを受けた光景だった。そんな散々な結果に啓太の心は完全に折れてしまったのだった………
「ちくしょう……何でこんな目に会わなきゃならんのだ……」
「あきらめたらだめですよ~啓太様~! たゆねちゃんはつんでれですからきっと恥ずかしがっているんですよ♪」
「あれのどこかツンデレだっってんだっ!? デレなんてこれっぽっちもなかっただろうがっ!?」
「……きっと、フラグが足りなかった」
「なんじゃそりゃっ!? ってゆーかお前ら一体何の話をしてんだっ!?」
「けーた様、人気ないんですねー」
どうやらおおよその事情を悟ったともはねがどこか慰めるように啓太の頭を撫でてくる。いつもとは完全に立場が逆転してしまっている。だがその優しさが今の俺にとっての唯一の癒しだった。
くそう……何でこんなことになっちまったんだ……。相変わらずフラノとてんそうはマイペースだから当てにならん……しかし、あそこまで毛嫌いされているとは。フラノの噂(嘘は含まれていない)のことを差し引いてもそれが伝わってくるようだ。まあ里の犬神達に嫌われているのは儀式の時から分かっていたことではあったのだがやはり目の当たりにするときついものがある。今を思えば確かに労働条件の連呼はやりすぎだったかもしれない。恋人募集とかそういう方面で攻めるべきだったか……
しかしそう考えれば考えるほどどうしてなでしこが俺に憑いてくれたのか見当がつかん。現になでしこ以外は一匹も寄り付きもしなかったのだから。まあ、理由を聞いても教えてはくれないのだが俺の中の七不思議のひとつだ。
「け、啓太様、そんなに焦ることはありません。今はまだ会って間もないのですから……。もう少し時間をかけて交流をすればきっと啓太様が……いえ、啓太様の人柄を分かってくれるはずです」
「そ、そうか……?」
「はい。現にわたしたちは啓太様のことをお慕いしております」
目に見えて落ち込んでいってしまっている啓太を見かねたごきょうやがどこかあやすような口調で励ましの言葉を掛ける。それによって少しは気を持ち直してきたのか啓太の表情に明るさが戻って行く。実はごきょうやが『啓太がヘンタイではない』と言いかかったもののそれを言いなおしたことには全く気付いていないようだ。
「あらあらあららぁ~? それはごきょうやちゃん、啓太様に恋の稲妻ですか~?」
「フラノ、今度の定期検診はわたしが担当になるがそれでもいいか?」
「じょ、冗談ですぅぅ~!」
面白いネタを見つけたとばかりにフラノがごきょうやに絡むも、慣れた様子でそれを捌かれフラノは涙目になっている。フラノの扱いに慣れているごきょうやだからこそできる芸当だった。
やっぱりこいつらは掴みどころが分からんな……。まあ、ごきょうやが上手くまとめてるみたいだけど……そう言えばさっきのやり取りといい、以前の依頼の時といい、ごきょうやって何というか……なでしこに近い感じがあるな。もっとも容姿も雰囲気も全く違うのだが。なんて言うか……
「なんて言うか……ごきょうやって母親っぽいよな……」
啓太はどこかぽつりと、呟くように言葉を漏らす。それは特に他意はない自然な感想。だがその瞬間、ごきょうや達の動きが止まる。特にごきょうやは驚いたような表情をみせながら何故か顔を真っ赤にしている。それはいつものクールな姿からは想像できないようなもの。
「なるほど~。ごきょうやちゃんは啓太様の継母役を狙ってたんですね~♪」
「フ、フラノっ! 啓太様に失礼なことを言うな!」
「え~? でもごきょうやちゃんにはぴったりの役だと思いますよ~?」
「……? どういう意味だ?」
「それは」
「な、何でもありません、啓太様! それよりもこれからどうなさいますか!? よければ屋敷をご案内しますが!?」
「……ごきょうや……フラノが気を失いかけてる」
ごきょうやは瞬時にフラノの口を塞ぎながら矢継ぎ早に啓太に問いかける。だがその力が強すぎるせいかフラノが呼吸困難になり気を失いかけている。本当なら止めるべきなのだろうがまあいい薬だろう。そんな中
「けーた様! あたしお庭で一緒に遊びたいです!」
待ってましたとばかりに手を上げながらともはねが大きな声で宣言する。そんなともはねの言葉に啓太達は呆気にとられてしまう。だがともはねははしゃぎながら、期待に満ちた様子で飛び跳ねている。それがともはねの楽しみ。今日啓太が屋敷にやってくると聞いてからずっと考えていたこと。もちろんともはねは啓太の家で頻繁に遊んでもらっている。啓太が疲労で疲れこんでしまうほどに。だがやはり部屋の中では狭く、また公園でも人目があるため思う存分遊べなかった。しかし屋敷の庭ならその心配もない。思いっきり遊べることができるチャンス、それをともはねはずっと狙っていたのだった。
そんなともはねの提案に啓太は顔を引きつらせることしかできない。いつもともはねと遊んでいるのに何故薫の屋敷に来てまで同じことをしなくてはいけないのか。加えて明日から修学旅行も控えている。できれば体力は残しておきたい。だが
「楽しそうです~フラノたちも一緒に混ぜてください~♪」
「こ、こら、フラノ! 啓太様を困らせるんじゃない!」
「じゃあごきょうやちゃんは参加しなくてもいいですよ? フラノとてんそうちゃん、ともはねの三人で遊んでもらいますから♪」
「そ、それは……」
「ずるい! あたしが遊んでもらおうって言ったのにー!」
「みんな一緒なら問題ないと思う」
いつのまにかごきょうやの拘束を抜け出したフラノが中心になり啓太を置き去りにしたまま四人はもみくちゃになっていく。どうやら啓太の意志は全く考慮されていないらしい。啓太は溜息を吐きながらもあきらめる。どうやら結局家にいる時とそう変わらないことになりそうだと。
「とりあえずお前ら……遊ぶのはいいけど噛みついてくんじゃねえぞ。もう体中歯形だらけになるのは御免だからな」
「はい! 大丈夫です、ちゃんと我慢します!」
「心配いりませんよ、啓太様。フラノは嗜みのある淑女ですからそんな野蛮なことはしません♪」
「嘘つけっ!? 前散々噛みついてきたじゃねえかっ!?」
「……啓太様にとっては御褒美」
「おいっ!? さらっと誤解を招くようなこと言ってんじゃねえっ!?」
「申し訳ありません、啓太様……」
「じゃあ、あたしボールとフリスビーもってきますねー!」
いつもと変わらない、いやいつも以上の騒がしさの中、啓太は四人の犬神の遊び相手をするはめになったのだった―――――
啓太たちがそんな大騒ぎをしているのと同じ頃、屋敷のある一室で二人の少女が、犬神が向かい合って腰かけていた。それはなでしことせんだん。二人はその手に高級そうなティーカップを持ちながら紅茶を口にしていく。なでしこはもちろん、その容姿と相まってせんだんはまさに絵になっているといった様子。ここが日本であるとは思えないような空間だった。
「こうしてあなたとお茶をするのも久しぶりね、なでしこ」
「ええ、あなたも相変わらずのようね、せんだん」
どこか親愛を感じさせるせんだんの言葉になでしこもまた微笑みながら答える。今、なでしこはせんだんにお茶に誘われ部屋に招かれていた。少し啓太が心配ではあったがごきょうやたちも一緒だし大丈夫だろうと判断し、好意に甘える形でお茶をいただくことになったのだった。
「やはりこうして静かにお茶を飲める相手というのは貴重ね。家の子たちはお淑やかさが足りないところがあるから」
「ふふっ、でも賑やかそうじゃない。九人もいると色々と大変そうだけど」
「ええ、若い子たちが多いからね。でもいぐさやごきょうやが上手くフォローしてくれるから助かってるわ。そっちはどうなの、なでしこ?」
「わたしも問題ないわ。楽しくお仕えさせてもらってる」
そんななでしこの偽りない笑みにせんだんはどこか安堵する。どうやら本当に上手く、楽しくやっているようだ。実はかなり心配していたのだが。何故なら
「そう……それと謝っておくわ。たゆねたちのこと。悪気はないのだけれど、どうしても啓太様には失礼なことをしてしまっているわ」
「それはまあ……でも啓太さんも怒ってらっしゃらないから」
せんだんの言わんとしているところを悟ったなでしこは苦笑いしながらも紅茶に口を付ける。その味は市販のティーパックとは比べ物にならない。紅茶にそれほど詳しくないなでしこでもその違いは明らか。そんな中、なでしこは考える。
確かに自らの主である啓太に対して失礼なことを口にしたり、態度をとったりしているのは気分が良いものではない。契約した頃はそんな態度を取る相手に対しては敵意を向けていたのだがそれを当の啓太に止められてしまった。どうやら啓太自身はそれほど気にしてはいないらしい。まあ、全く気にしていないわけではないようだが。そして何よりも一つ、大きな理由がある。それは優越感。
『落ちこぼれの犬神使い』
それが啓太さんの二つ名。不名誉な、誇ることのできない烙印。川平家からも、犬神達からもそう啓太は見られている。実際それは当たり前のこと。その素行や行動からみれば当然といえるもの。
でもわたしは知っている。いやわたしだけが知っている。自らの主の本当の姿を、本質を。恐らくは『犬神使い』として最も大切なものをあの人は持っているのだと。それはある意味天才と呼ばれる川平薫とは対極の魅力。わたしだけがそれを知っている、独占できていることがなでしこの密かな優越感だった。もっともともはねは子供であるがゆえにそれに気づいているようだが。
「そう言ってもらえると助かるわ……。でもたまにはあなたも山に顔を見せなさい。お父様……最長老様も心配してたわよ」
「ごめんなさい、なかなか帰る機会がなくて……」
「まあ、わたしも最近は戻れていないのだけれど……どうやらお兄様は苦労されているらしいわ。」
「はけ様が……?」
「ええ、聞いていないの? 何でもあのようこが最近山で面倒事ばかり起こしているらしいの。それを納めるのに苦慮なされているらしいわ。全く……大妖狐といい、面倒事ばかり起こすのだから……」
「…………」
せんだんは困った表情を見せながら紅茶を手に取る。犬神になりたいと言いだしてから少しは大人しくなったとばかり思っていたのにどうやら元の鞘に収まってしまったらしい。父である最長老、兄であるはけも何故かようこには甘いところがある。何故封印してしまわないのか首をかしげるところだ。そんな中、ふと気づく。なでしこが先程からずっと何かを考え込んでいることに。
「……どうかしたの、なでしこ?」
「……いえ、何でもないわ。それよりも薫様はいつ戻ってこられるの? もう修学旅行にはいかれてるんでしょう?」
「ええ、あさってには戻ってこられるわ。啓太様よりは一日早くね。あなたもきちんと挨拶したことはないのでしょう?」
「そうね、何度かお見かけしたことはあるのだけど」
なでしこはどこか強引に話題を変えながらせんだんへと話しかける。その違和感に気づかないせんだんではないがあえて触れることなく話を続ける。それが序列一位たるせんだんの資格、力でもある。
「そういえばなでしこ、ずっとあなたに聞きたいと思っていたことがあるの……聞いてもいいかしら?」
「? ええ……?」
どこか気を取り直しながら尋ねてくるせんだんになでしこはぽかんとした表情を見せる。一体何なのだろうか。せんだんはそんななでしこを見ながら一度咳払いした後、尋ねる。
「あなたは……どうして啓太様に憑いたの……?」
そんな、なでしこにとって自らの主からも何度も聞かれたことのある質問を。なでしこは一瞬驚いたような表情を見せながらも改めてせんだんに目を向ける。そこにはいつもと変わらないせんだんの姿がある。だが彼女自身の好奇心が隠しきれていない。厳格な彼女にしては珍しい姿。それは薫の犬神達全員共通の疑問だった。それを感じ取りながらも
「……内緒です♪」
どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながらなでしこは答える。いつもと同じように。それがこの質問をされた時のなでしこの対応。そんななでしこの姿に呆気にとられていたもののせんだんはどこか一本取られたと言った風に苦笑いするしかない。
「そう……残念。ずっと聞きたかったのだけれど……」
せんだんはどこか誤魔化すように自らの部屋の窓に目をやる。だがその瞬間、せんだんの目にある光景が映る。そこには庭で遊びまわっている啓太とともはねたちの光景があった。
「……どうしたの、せんだん?」
そのまま何かを見つめたまま固まってしまっているせんだんになでしこは不思議そうに声をかける。だがせんだんはずっと何かに気を取られたまま。何かあったのだろうか。なでしこの位置からはそれを見ることはできない。だが
「いえ……少しあなたが啓太様に憑いた理由が分かったような気がしただけよ」
「?」
せんだんは一度目を閉じながら再びお茶を飲み続ける。そんなどこかおかしなせんだんに首をかしげながらも席を立つのも失礼だと考えなでしこも同じようにお茶を楽しむことにするのだった―――――
(ああもう、イライラする……!)
どこかイライラを募らせながら、不機嫌な様子を見せながら一人の少女が屋敷の廊下を早足に歩いている。それはたゆね。たゆねはそのまま一直線に屋敷の玄関に向かって行く。その不機嫌さの原因は言うまでもなく今日の来客、啓太にあった。元々怒りっぽい、子供っぽいところがあるたゆねだが誰かれ構わずこんな態度を取るわけではない。根はかなり正直、純粋なのだが天の邪鬼とも言っていい性格のせいでたいてい初対面の相手に対しては誤解を与えてしまうのが彼女の悩みの種だった。しかし、今回は事情が違う。何故なら相手はあの川平啓太なのだから。
神聖な儀式で労働条件を連呼しながら走り回るという前代未聞の行動。えっちでスケベ。ストリーキングで何度も捕まり、ヘンタイたちとも知り合いだと言う極めつけの変人。何故なでしこがあんな奴に憑いたのか理解できない。しかも自らの主である薫もどうやら啓太のことを慕っているらしい。ともはねはともかくごきょうや達もそれは同じ。訳が分からない。一体みんな何を考えているんだろう!? あいつは他人の胸を揉むようなヘンタイなのに! 僕は絶対にあんなやつに騙されない!
たゆねはそのまま靴を履き替え、玄関から外に出て行く。それは日課であるジョギングにでかけるため。本当なら時間ではないのだがこのイライラを解消するため、そして啓太から離れるいい口実ということでたゆねはそのままジョギングを始めようとする。だがそんな中、ある光景を目の端に捉える。
(あれは……?)
たゆねはその光景に思わず目を奪われる。そこには庭の中でフリスビーで遊んでいる啓太、いや啓太にフリスビーで遊んでもらっているともはねの姿があった。だがそれだけならここまでたゆねが目を奪われることはない。ともはねが頻繁に川平啓太の所に遊びに行っていることはみんな知っている。ならおかしいことはない。
だがともはねだけでなくフラノたちもその中に加わっている。何よりも普段はクールでそういった遊びの類には加わらないごきょうやまでが加わっている。それだけでもたゆねの興味を引くには十分すぎる物だった。たゆねはばれないように静かにその場に近づき様子を伺う。
「いくぞ、お前ら――――!」
大きな声を上げながら啓太は複数のフリスビーを次々に投げ放って行く。その姿はさまになっている。何だかんだ言いながら楽しそうなその姿はやはり啓太が犬神使いであることの証でもあった。
そしてその投げられたフリスビーに向かってともはねたちは駆けながらまるで犬の様にそれを口にくわえキャッチする。皆まるで野生に帰ってしまったかのような俊敏な動きを見せている。二足歩行ではなく、両手を使った本来の四足歩行でともはね達は庭を駆けまわり、いつもは隠している尻尾があらわになっている。ともはねに至っては尻尾だけでなく犬の耳まで現れてる始末。もっともごきょうやだけはいつも通りの姿でそれに参加しているものの、やはりその本能を隠しきることができないのか尻尾が現れてしまっている。
「けーた様―! 取ってきましたー!」
「よし、よくやったぞ、ともは……ぶっ!? や、やめろ!? いてええええっ!?」
「けーた様! 今すぐ狩りに行きましょう! きっと楽しいですから!」
「いいですね~♪ フラノもお供しますよ~♪」
「わたしも」
「お、お前達! やめないか!」
ともはねを皮切りにしてフラノ、てんそうもまるで山に帰ったかのように啓太に飛びつき、噛みついて行く。啓太はその痛みに悲鳴をあげて逃げ回っているがそれをまるで獲物のようにともはね達は追いかけ回し、ごきょうはそんなともはね達を何とかしようと奔走する。いつの間にかフリスビーではなく鬼ごっこになってしまっていた。もっとも追われているのは啓太だけだったが。
(ふ、ふん……みんなして子供みたいに遊んじゃって……)
心の中でそんな言葉を吐き捨てながらもたゆねはその光景に釘づけになってしまっていた。知らず体がうずうずし、尻尾が姿を現している。それは犬神としての本能。一緒にあれに混じって遊びたいというもの。特に若いたゆねはそれが強い。加えてたゆねは薫の犬神の中でも体育系、動くことを得意としている犬神。その証拠にたゆねはジョギングを日課にしている。
主である薫にもフリスビーで遊んでもらうことはある。だが薫の前であること、恥ずかしさからあまり本気はしゃぐことはできなかった。だが目の前のともはねたちは間違いなく本気で遊んでもらっている。とても楽しそうに。(実際楽しいのはともはね達だけ)その姿に思わず自分もあの輪に加わりたいという欲求が湧いてくる。だが天の邪鬼なたゆねにそれができるはずもない。何よりも相手はあの啓太なのだから。そんな中
「お前らいい加減にしろっ!! 鬼ごっこじゃなくてフリスビーだっつーの!!」
啓太が息も絶え絶えにその手にあったフリスビーをともはねたちに向かって投げる。だがすっかり啓太を追いかけ回すことに夢中になってしまっていたともはねたちはそれに反応することができない。そしてフリスビーがそのままあさっての方向に飛び去ってしまいそうになったその時
ぱく。
そんな音が聞こえてきそうな光景がそこに姿を現す。その光景に啓太はもちろん、ともはねたちも目を奪われ、動きを止めてしまう。そこには
フリスビーを咥えたたゆねの姿があった。
「…………」
「「「…………」」」
瞬間、空気が、時間が止まる。一体目の前の光景が何なのか分からないといった風に。だがそれはともはねたちだけではない。当の本人であるたゆねが一番この状況に驚き、固まってしまっていた。自分の方に飛んできたフリスビーを思わず咥えてしまった。それは本能、条件反射の様な物。犬神の悲しい習性だった。
「なにやってんだ……お前……?」
啓太がどこか呆れ気味に、ぽつりと口にする。啓太とすればどうしてたゆねがここにいるのか、というか何故フリスビーを咥えているのか理解不能だったから。
「~~~~~~っ!?!?」
瞬間、たゆねは声にならない悲鳴を上げながら脱兎のごとく森の中へと向かって駆けて行く。まさに一瞬の出来事。陸上選手もかくやというスタートダッシュ。だが啓太は思わず声を上げそうになる。それはたゆねの進行方向。その前には森の木々がある。だがたゆねはそれに気づかないようにまっすぐそれに突っ込んでいく。このままではぶつかってしまう。啓太は咄嗟にポケットにあった蛙の消しゴムを取り出そうとするが
たゆねはそのまま木々をなぎ倒しながら森のなかへ突込んでいってしまう。まるで暴走する機関車のように、木など無いかのように。その体に光を纏いながら。
「…………え?」
啓太はその光景に唖然とするしかない。後にはまるで戦車でも通ったかのように抉られてしまった地面となぎ倒された森の無残な姿があるだけ。とても現実は思えないような光景。
それは『破邪走行、発露×1 たゆね突撃』と呼ばれるたゆね専用の技。自らの霊力を体内で増幅し、相手をなぎ倒す一種の自爆技と言ってもいい物だった。
「きゃああっ!? たゆね、あんたまたやったのっ!?」
「これで今月三度目だよっ!? 直すあたしたちの身になってよっ!?」
音を聞きつけてやってきたいまりとさよかがその惨状に悲鳴を上げる。どうやら森の管理をしているのは彼女達らしい。だがその声も何のその。たゆねはそのまま遥か彼方、姿は見えなくなってしまった。
「相変わらず恥ずかしがり屋ですね、たゆねちゃんは♪」
「まったく、困ったものだ……」
「けーた様―! 早く続きをしましょうー!」
啓太はともはねに体を引っ張られながらも全く反応しない。どこか放心状態になってしまっていた。それは気づいたから。
もしあの時、自分がともはねの姿でなければどうなっていたか。
啓太は誓う。絶対にたゆねにセクハラの類は行ってはならないと。そんなことすれば命がないと。比喩でなく文字通りの意味で。
早くこの屋敷から出て行きたい。そう心の底から願う啓太だった――――――