啓太はその光景を前にして身動きできず、ただその場に立ち尽くすことしかできない。それは啓太だけではなくその後ろに付いて来ていたなでしこ達も同じ。何故ならそこには部屋の床に白目をむきながら仰向けに倒れている特命霊的捜査官、仮名史郎の姿があったから。
え……何、この状況? 何でこの人、部屋のど真ん中で倒れてんの? しかも白目をむいて。というか何でこの人また勝手に人の部屋に入ってんの? もしかしてわざとやってんじゃ……でもそれにしても今回はちょっとタチが悪すぎる。まるで死んでいるかのように倒れ込んでいる。流石にこれは悪ふざけにしても限度を超えてるぞ。
「おい、仮名さん! こんなところで何やってんだよ!」
俺はそのまま声を荒げながら倒れ込んでいる仮名さんへと近づいて行く。いくら依頼主とはいえ、捜査官とはいえやっていいことと悪いことがある。こんなだからいつも変な依頼ばっかり受けることになるんだ。今回はちょっとその辺のところをきつく言わせてもらわなければ。そう意気込みながら俺は仮名さんの目の前まで迫る。だが
仮名さんは俺の言葉に全く反応を示さなかった。
「仮名さん……?」
そう、まるで本当に死んでしまっているかのように。
え………あ、あの……全く反応がないんですけど……これ、どういうこと? いくら眠ってるにしても、気を失っているにしてもおかしくないか? というか、何だかそこはかとなく尋常じゃない気配を感じるんですけど……いや、生気を全く感じないんですけど……
啓太はどこか心ここに非ずといった風にその手を仮名の口元に近づける。そしてただ静かに時間が流れて行く。そんな啓太と仮名の姿をなでしこたちはじっと見続けている。そして啓太は一度大きな深呼吸をした後
「仮名さん……息してないんだけど……」
どこか顔を引きつかせながらぽつりと呟いた。
瞬間、ぱたりとなでしこがその場に倒れ込んでしまう。啓太は慌てながらそれを抱きかかえるもなでしこは気を失ったまま。だが無理もない。いきなり知り合いが自分の部屋で倒れて死んでいるのだから。というか気を失わない方がどうかしている……
っていうか何でこの人死んでるのっ!? いや、この際死んでいることはいいことにする。全然よくはないのだが百歩譲ってそれはいいことにしよう。でも何でよりによって俺の部屋で死んでんのっ!? 死んでまで俺に迷惑かけるなんてどういうことっ!? と、とにかく今は何とかなでしこをどうにかしなければ!
「なでしこっ!? しっかりしろ、なでしこっ!?」
俺は何度かなでしこに声をかけるが起きる気配がない。仕方なく俺はそのままなでしこを抱きかかえたままベッドへと寝かしつける。いつもなら役得だと思えるようなシチュエーションなのだが流石にそんな場合ではない。一刻も早くこの状況を何とかしなければ! 意識を切り替え、心を落ちつけながら振り返ったそこには
「仮名様、早く起きてください~もうお昼ですよ~!」
仮名の体に馬乗りになりながら往復ビンタをかましているフラノの姿があった。しかもそのビンタの勢いは普通ではない。もはやビンタではなく張り手の域に到達しかねない威力があるのがその勢いと音からあきらか。何も知らない人が見ればおかしなプレイを受けているのではないかと疑われかねない状況だった。
「フラノっ、お前何やってるんだっ!?」
「え? 何って仮名様を起こして差し上げようとしてるんですよ~」
「ふ、ふざけんなっ! とどめ刺してるようにしかみえんわっ!?」
俺の必死の訴えによってフラノはどこか不満そうな表情を見せながらもしぶしぶその理不尽なビンタをやめその場から離れて行く。いくら何でもやってることがむちゃくちゃだ。しかも恐らくフラノは気が動転してたわけじゃなく素でやってたに違いない。まだ会って数時間だが確信がある。こいつは事態を悪化させることに恐ろしい才能を持っている……このまま好きにやらせてしまえばどうなるか分からない。ここは大人しくしてもらわなければ……
だがそんな暇すら啓太には与えられない。啓太は既視感を覚えながら振り返る。それは半ば直感に近いもの。そこには先程と同じようにスケッチブックを手に絵を描いているてんそうの姿がある。そして、てんそうが何を描いているはもはや語るまでもない。
「お、お前、こんな時に何描いてるんだっ!?」
「いえ……仮名様の殺害現場の状況、残しておこうと思って……」
「そんないらんことせんでいい! っていうか殺害ってなんだおい!?」
「え? 啓太様がやったんじゃないんですか?」
「んなわけあるか―――! お前らと一緒に部屋に入っただろうが!?」
「………」
俺の抗議を受けながらもてんそうはもくもくとスケッチブックに絵を描き続けている。この状況だと言うのにこの二人のペースは全く変わらない。いやむしろ悪化してるんじゃないか!? このままではいけない、一刻も早くこの場を納めなければ……だが頼りになるなでしこは気を失ってしまっている。ど、どうすれば……そうだ! まだ俺の力になってくれる奴がいるじゃないか! この二人とは違い、常識的な(はず)のごきょうやが! 最後の希望を胸に俺はごきょうやへと目を向ける。そこには
「やはり脈はなし……呼吸もなし、心停止に近い状態だな……」
どこか救急救命士顔負けの雰囲気を纏いながら冷静に、いやどこか生き生きとした様子で仮名の状態を確認しているごきょうやの姿があった。
「ごきょうや、お前何でそんなに冷静なんだよっ!?」
「あ……いえ、すいません、つい……」
啓太の言葉によってふと我に返ったのかごきょうやはどこか慌てながらあたふたしている。どうやら診断に夢中になってしまっていたらしい。
確かに冷静に状況を分析してくれるのは嬉しいし頼もしい。伊達に白衣を着ているわけじゃないのだろう。だがそれが逆に怖すぎる! フラノやてんそうのようにふざけていない分(本人たちは至って真面目、ふざけているつもりはない)余計に今の状況の深刻さが伝わってくる……お、落ち着け俺……まずは深呼吸を……
「これでいいですか~てんそう?」
「もうちょっと、右」
そんな息継ぎすら与えないと言わんばかりに再び二人のやり取りが聞こえてくる。そこにはフラノによって両手を胸の前で合わせ、顔に白いハンカチをかぶせられた仮名とそれを描いているてんそうというわけが分からない光景が広がっていた。
「何やっとるんじゃお前らあああっ!?」
「仮名様がお亡くなりになったのできちんとしないといけないと思って~」
「冗談にも限度があるわ! てんそうもこんな縁起でもないもん描くのはやめろ!」
「遺影の代わりに……」
「どこに死んだ後の姿を遺影にする奴がいるんだよっ!?」
もはや突っ込みが追いつかない。マジでシャレにならないって! フラノは巫女姿だから余計やばい、絵になってる分冗談のレベルを超えてる。このままでは収拾がつかないと判断し、力づくで二人の襟元を掴みながらひとまず仮名さんから距離を取ることにする。
「と、とにかく……ごきょうや、仮名さんはその……本当に死んじまってるのか?」
一度大きな咳払いをした後、隣にいるごきょうやに尋ねる。ひとまず状況の確認が第一だ。この場で頼りになるのはごきょうやだけだ。もしごきょうやまで二人のようになってしまえば俺はもうこの現実から逃避するしかない。それほどの破壊力をフラノとてんそうのコンビは持っている。
「はい……呼吸も心臓も止まっています。間違いなく死亡しているはずです。ですが……」
「? 何か気になることがあるのか?」
「ええ、死後時間が経てば当然体は冷たくなるはずなのですが仮名様の体は温かいままなのです。死後、あまり時間が経っていないにしてもおかしいレベルです」
「それじゃあ……」
「はい、恐らくは仮名様は何らかの理由で仮死状態のようなものになっているのではないかと」
その言葉に一縷の希望が生まれてくる。そう、仮死状態だとするならばまだ仮名さんを生き返らせることができるということ。この訳が分からない異次元空間を脱することができるかもしれない。だが
「でも一体何が原因で……」
何が仮名さんを仮死状態にしているのか。それが分からないことにはどうしようもない。まさか自分で仮死状態になったわけではないだろう。いくら仮名さんがヘンタイだといってもそこまではできないはず。いや、できないと言いきれないところがあるのは事実だが……現にこんな状態を作り出してるわけだし……
「啓太様、これは憶測なのですが……仮名様が今回の依頼で封印しようとしていた魔道具に関係があるのではないでしょうか?」
「魔道具?」
「はい~♪ フラノ達はそれを封印するためにここまで来たんですよ~♪」
「……それが、薫様の命令」
「何でも複数の人手がなければ封印できない代物らしく、それでわたしたちが呼ばれたのです」
「なるほど! それで、それはどんなものなんだ!?」
啓太は身を乗り出しながらごきょうやに迫る。少し顔が近すぎたせいかごきょうやが赤くなっているがそんなことは啓太の頭にはなかった。もはや薫の犬神達と仲良くなるという当初の目的など消え去ってしまっている。曲がりなりにも人一人の命がかかっているのだから。もっともフラノ達の暴走のせいでそれどころではなくなってしまったのが一番の理由だったのだが。
「す、すみません……わたしたちもそれがどんな物かまではお聞きしていないので……」
「そ、そうか……」
「だいじょうぶですよ、啓太様~。それが原因ならきっとまだ仮名様が持ってるはずです~♪」
「おお、確かに!」
フラノの言葉によって絶望しかけた空気に一筋の希望が生まれる。そうだ、確かにそれが原因なら仮名さんがその魔道具を持っているに違いない。だからこそこの場に倒れていたのだろう。もっともやはり不法侵入であることには違いないが。とにかくそれを見つけ出さなければ。だがぱっと見ただけでは仮名さんは何も手には持っていない。とすれば後はポケットとかか……
「う~ん、特に見当たらねえな~」
「啓太様、仮名様は捜査官です。すぐに見つかってしまうような場所には持たないのでは……?」
「確かにそうかもな……」
「もっとくまなく探すしかないですよ、啓太様~」
「わたしも、そう思う」
そんなフラノ達の言葉に頭を悩ませる。確かにこのままでは埒が明かない。ここは思い切って一気に仮名さんの体中をくまなく探すしかない。本当ならお金をもらっても遠慮したいところなのだが状況が状況だ。涙を飲んでヘンタイの汚名を被る覚悟で俺は仮名さんの服に手を掛けんとする。だが
「じゃあフラノは上半身を探しますね~♪」
さも当然のように仮名のスーツをフラノはどこか慣れた手つきで脱がせていく。それに続くようにてんそうも加わって行く。
「え? お前らそんなことして大丈夫なの?」
一応女の子だろ。と言わんばかりの視線を啓太はフラノへと向ける。しかし
「だいじょうぶですよ~♪ フラノは十八禁きゃらですから♪」
「そ、そうか……じゃあそっちは頼む。俺は下半身を探す。ごきょうや、お前も手伝ってくれ!」
「え? あ、は、はいっ!」
何が十八禁きゃらなのかは分からないが手伝ってくれるならありがたい。てっきり変態扱いされるとばかり思っていたせいかどこか肩すかしを食らった気分だ。いや、それどころかどこか頼もしさすら感じてくる。何だかこいつらとならこの状況も乗り越えられると思えてきた。よし、なら犬神使いとしてこいつらに恥じない姿を見せなくては!
啓太は決意を新たに気迫を以て仮名のズボンを脱がしにかかる。もはや自分が何をしているかもよく分かっていない。度重なる異常事態と予測不能、理解不能のフラノ達の行動によって啓太の常識は既に遥か彼方に吹き飛んでしまっていた。
それは啓太だけではなくごきょうやも同じ。普段の彼女ならこの状況のおかしさに気づくだろうが仮名の状態、そして思うところがある人物である啓太と接していることでそれに気づくことができない。
それはさながら獲物に群がるハイエナ。無抵抗な相手を追い剥ぎしているかのような光景だった―――――
「おっかしいなあ……」
「変ですね~」
啓太達は首をかしげることしかできない。辺りには仮名が着ていたスーツの残骸が散らばっている。だが結局それらしいものは見つけることができなかった。もう探すところは残っていない。一体どうすれば。そんな中
「あの……」
どこか恐る恐ると言った声が啓太達に掛けられる。驚きながら振り返った先には先程まで気を失っていたはずのなでしこがいた。どうやら意識を取り戻したらしい。
「なでしこ、大丈夫なのか!?」
「は、はい……みなさんこそ、一体何をされてるんですか……?」
「いや、見ての通り仮名さんがこんなことになっちまった魔道具を探してたんだ」
「そうなんです。でも全然見つからないんです~」
「……みつからない」
「しかしこれ以上仮名様が隠し持てるような場所は……」
啓太達は顔を見合せながらも困り果てるしかない。やれるだけのことはやった。こうなってはもう打つ手はない。そんな空気が流れ始めた時
「あの……それってこの本のことですか……?」
「「「え?」」」
なでしこがその手にあるものを四人に見せる。そこには一冊の本がある。だがその魔力からそれが普通の本ではないことが一目瞭然。だが一体どこに。そんな疑問が四人の頭によぎるが
「仮名様が倒れていた近くのちゃぶ台上にあったんですけど……」
なでしこの言葉に四人は無言で互いを見つめ合う。その胸中は皆同じだった。だがそれを口に出す者は誰もいない。そのまま四人の視線は同じ物に向けられる。そこには
黒のボクサーパンツ、黒の靴下、そして裸の上半身に何故かネクタイをしたまま白目をむいている仮名史郎が倒れている。
なでしこはそんな光景を前に一度笑みを浮かべた後、再び意識を失うのだった―――――