ナニモノデアルカ?
曹孟徳の口から放たれた言葉は、ある意味で予想された衝撃というべきものを一刀に与えていた。
言葉にすれば簡単だ。
平成生まれの日本人。
或いは、聖フランチェスカ学園の2年生だったというのも付け加えていいかもしれない。
だが、それが果たして曹孟徳が理解し、納得するかと言えば、それは困難であると言えるだろう。
平成とは、日本とは、聖フランチェスカ学園とはなんぞや、となるのは目に見えていた。
だが、その部分を話さずに、全てを見抜かんとばかりの目をした曹孟徳が納得する様には見えなかった。
とはいえ、どう言葉にすれば良いのかと悩む。
荒唐無稽の事を話、狂人であると思われるのではないか、と。
元譲のみならず、この曹孟徳や夏候妙才とも比較的に良い関係を築けた現状、それを自分の告白が壊してしまうのではないかと思えば、一刀の口が重くなるのも仕方の無い事であった。
「………」
それを見て曹孟徳は、何らかの事情があるのかと、一刀の状況を考えた。
或いは、抱えた秘密を口にするにはまだ信頼されていないのか、とも。
一刀は常に曹孟徳の事を曹刺史、乃至は曹孟徳殿と呼んでいた。
であれば、それを進めてやれば良い。
或いは、更に進めて信用させれば良いのだ。
その為の切り札は1つ、真名だ。
男に真名を許すのは、父や祖父などの身内以外では初めてであるが、それだけの価値はある。
そう思えたのだ。
だから兗州刺史の印綬を首から外し、又、身分のよさを示す外套をも脱いだ。
「兗州刺史としてではないわ。我が真名、華琳に対して聞かせてくれないかしら?」
軽く真名を担保にした曹孟徳、華琳に一刀は腹の底から己が負けと思った。
真名とは、その信頼関係の礎となる言葉なのだ。
この世界に降り立って、少なくない時間を過ごした一刀は、その意味を、その意味の重さを思った。
官位を外し、真名を預けてきたのに、口を閉ざすのは人の道理に悖ると、覚悟を決めた。
「ありがとう御座います。では私も、私の真名である一刀をお預かり下さい」
「一刀、そう、それが貴方の真名ね、似合っているわね、預かるわ。でも一刀、2人の時はもう少し砕けて良いわよ。それが真名で呼び合う関係でもあるのだから」
真名で呼び合える関係、即ち朋友である場合に、礼儀を必要とする場所意外では、砕けない言葉遣いの方が失礼なのだ。
その指摘に一刀は、益々もって負けたなと思った。
故に、腹を決めて全てを話す決意をした。
だが話す前に麦湯を支度を行った。
「長い話になりそうだから、先ずは…」
香ばしさを漂わせる湯飲みを、そっと差し出す。
それを受け取った曹孟徳は、面白そうに麦湯を見る。
「これもそうよね。お茶とは違う、私の知らない飲み物」
麦湯の元となる大麦自体は流通しているのだが、この時代、食料が常に潤沢とは言えないので、この手の嗜好品は発達していなかったのだ。
一刀は麦湯で口を湿らせると、話だした。
事実を。
「華琳が察した通り、俺はこの地の生まれじゃない」
語りだす一刀。
今とは違う時間、今とは違う場所で生まれ、ごく普通の人間として育ち、そしてある時、何故かこの世界で目覚めたのだと。
国の名は日本、時代は今より遥か先である事も。
「日本?」
「この大陸の東方、海の向こうにある島国で、今は倭なんて呼ばれてた筈」
荒野で目覚めて、行き倒れになる寸前に、あの寒村の村長に救われたのだと言う。
「にしても未来、遥か1800年も先の時代………流石に想像がつかないわね」
「信じる?」
「そうね、俄かには信じがたいね。だけど、この大陸で生まれ育ってないって部分には納得出来るわ」
「何でまた簡単に?」
「貴方の態度よ、一刀。真名の流儀と言っても良いわ。この大陸で生まれ育った人間は、それを許されたとしても、そうそう直ぐには態度を崩せないもの。にも関わらず、貴方はそれをした。その理由として、元から真名という風習の無い場所から来たと考えれば、至極、納得できるわ」
「流石、歴史に名高い曹操って事か」
「そんなに有名なの、未来の私は?」
「ああ。曹魏の始祖、文武に通じた英雄であり、この時代の主人公の1人って感じかな」
その言葉に、華琳はくすぐったそうに笑った。
それから悪戯をする様に尋ねる。
「そう、では私はどう見えたかしら?」
「可愛くておっかない、多分、天才の人」
「多分?」
ジロリっと、音がしそうな目で睨まれた一刀は、慌てて弁明する。
「や、だって、そこまではまだ見てないし!」
「そうね」
そういって華琳は噴出した。
一刀の謝罪が面白くて、ではなく、引っ掛かった事を笑ったのだ。
その事に気付いた一刀は、幼子の様に顔を膨らます。
「酷いじゃないか!」
「貴方がすまし顔だったのが悪いわね」
「意味が判らないって!!」
ひとしきり笑った華琳は、麦湯のお代わりを要求する。
それに不承不承といった顔で一刀は応じる。
「これも又、天の知識という奴なの?」
「天? 何で天??」
「あら、貴方は知らないのね。この数年前、そうね、丁度貴方がこの地に来た頃に庶民の間で広まってた噂があったの。管輅なる占い師の予言で曰く。天の国より遣いが降り立ち、世を救うだろう ―― とね。恐らくこれは貴方を指しているのでしょうね」
華琳は占い師という単語を、まるで卑猥なる言葉の様に蔑して使った。
占い師自体の胡散臭さは同意する一刀だが、だからこそ、華琳がその噂を知ってる事に驚きを覚えた。
「信じてたの?」
「まさか。占い如きで左右される程に私は迷信深くないわ。だけど、貴方を見て否定する程に頑迷でも無い積りよ」
是々非々、或いは柔軟か。
為政者の鏡でもあるな、とばかりに一刀は感じていた。
そんな感心する一刀とは別に、華琳は麦湯を飲み干すと、艶然と笑った。
「だから貴方の才、知は存分に使わせてもらうわよ」
確認ではなく決意の言葉。
それは正しく、覇王の貌であった。
真・恋姫無双
韓浩ポジの一刀さん ~ 私は如何にして悩むのをやめ、覇王を愛するに至ったか
【立身編】 その7
「それはあんまりです華琳様!」
そう悲鳴を上げたのは、元譲であった。
陳留の刺史府にて華琳と一刀、夏候妙才と共に一刀の知と、その由来を聞き、そしてその活用を華琳が宣言した事への、反射的な発言だった。
それに、楽しげに口を開く華琳。
「あら、どうしてかしら?」
基本的に嗜虐癖のある華琳にとって、元譲の悲鳴は心を擽るものがあったのだ。
そして同時に、この年上の可愛い娘が閨以外で、そんな必死な声を上げるなんてと驚いてもいた。
もしかして色気の類であるかと、心配もした華琳への返事は、色々な意味で実に元譲であった。
「元嗣が居ないと私は、我が隊は立ち行かないんです!!」
だから持っていかないで下さい華琳様! と堂々と、情けない事を言い切っていた。
華琳から痛ましいものを見る目でみられる元譲だが、本人は至って本気である。
「春蘭………そうなの、秋蘭?」
「はい。残念ながら、姐者からの書類は、最近ではほぼ北元嗣が処理しており………」
元譲は、事務書類の一切を一刀に丸投げしていたのだ。
その点に関しては、正直、夏候妙才も歓迎はしていたので、やや口が重い。
何故なら、一刀の出す文章は要点を抑えた読みやすい報告書や、理解しやすい請求書なのだ。
曹家私兵隊の裏方の取りまとめをする夏候妙才にとっては、如何に元譲大好きであっても仕事の相手としては一刀であって欲しい。
一刀と夏候妙才が一緒に仕事をした時間は短いが、その短い時間であっても、そう思わせるものがあったのだ。
そんな、鎮痛な表情を見せる夏候妙才、そして苦笑いを浮かべている一刀を見た華琳は、可愛らしく笑った。
そして、元譲の頬に手を当てる。
「そんな心配はいらないわ、春蘭」
愛おしげに呟き、それから一刀を真っ青にさせる発言をする。
「一刀は貴方の副官のまま、取り上げたりはしないわ。だから、安心なさい」
「華琳様!」
「ちょ、華琳!?」
元譲の歓喜の声を打ち消すような大きな悲鳴を上げた一刀。
その反応も当然だろう。
華琳の言葉は、副官のままとは即ち、元譲の副官の仕事に足して一刀に文官の仕事を増やすという宣言なのだから。
だが、それに同意する人間は居なかった。
「華琳様のお役に立てる事の何処に不満があるんだ?」
胸を張って言う元譲と夏候妙才の姉妹。
そして華琳は、一言だけだった。
何が、と。
「いや、何がじゃなくて、仕事量の面で追いつかなくなる恐れがあるから」
兗州刺史としての仕事は多岐に渡っており、また、その量も多い為、それを手伝おうとすれば自然と元譲の副官としての仕事に障りが出る。
そう一刀は思ったのだ。
その一刀の不安を理解した華琳は、納得の笑いをした。
「大丈夫よ、刺史としての仕事を手伝えって訳では無いわ。将来へ向けての、私が太守みたいな地位を得た時の為に、貴方の知識でこの世界をどう変えられるか、豊かに出来るかを纏めてくれれば良いのよ」
実務面ではなく献策をしろと、華琳は言っているのだ。
刺史とは、元々が州の政務の監察を担っており、これに賊討伐などの広域警備任務が付いているのが現状なのだ。
華琳は陳留に刺史府を構えてはいるが、郡太守の如く支配している訳では無いのだ。
その意味で、今は一刀の持つ知識、見識は活用できる場は無かった。
だからこそ、将来の雄飛に向けての献策を行えと、華琳は言っているのだった。
「そういう事なら………ああ、頑張る」
「頑張りなさい。その才、期待しているわよ」
のんびりと茶を飲む一同。
華琳の設けた席なので、高級品である茶が用意されているのだった。
その味に楽しみながら、ふと、元譲は1つの事に気付いた。
「なぁ元嗣、何時からお前は華琳様の真名を許されたんだ!」
激発する ―― とまでは言わないが、それまでの穏やかさを放り捨てた驚きようであった。
しかも、華琳様も元嗣を真名で呼んでいる!! と吼えた。
男なのに、曹家の人間でも無いのに、とも。
「あら、今頃に気付いたの?」
「華琳様ぁ~!」
子犬が飼い主に構ってもらおうとする様な声で、元譲は華琳の名前を呼んだ。
それに、華琳は笑って応える。
否、先ずは元譲の頬に口付けをして、そして笑った。
「可愛いわよ、春蘭」
その一言だけで、機嫌が天にも昇るような按配へと変わった元譲の姿に、一刀も又、これは可愛いものだと頷いていた。
一刀だけではない。
夏候妙才も、酷く嬉しげに、愛おしげに笑っている。
「本当に、姐者は可愛いなぁ」
実に妹馬鹿な発言をする夏候妙才に、華琳も笑って肯定した。
それから、元譲の頭を撫でながら言葉を紡ぐ。
「私が真名を許したのは、この一刀の秘密を共有するが為によ」
「なら華琳様、秘密を知った私も真名を預けます! 元嗣、我が夏候惇の真名は春蘭だ。今後はこの名で呼べ。その代わり、私も一刀と呼ぶからな!!」
「華琳様と姐者が預けたのだ、であれば、私が預けぬのも、寂しいな。知っているとは思うが、秋蘭だ。今後とも宜しく頼むぞ、一刀」
「こちらこそ春蘭、秋蘭」
「しかし、一刀があの天の遣いとはな」
感心したような、驚いたような、そんな声で頷く春蘭に、一刀は本気で嫌そうな表情をする。
「そんなご大層な者じゃないし、そもそも酷い肩書きだよ、それは」
「あら、そう呼ばれるのは嫌なの?」
「かなりね」
虚栄心に欠ける事では人後に落ちない一刀は、それ故に、ご大層過ぎる呼ばれ方は嫌だった。
或いは、もう少し若ければ喜んだかもしれないが、今は虚名に興味は無かった。
が、それに華琳は釘を刺す。
悪いけど、と。
「虚名を嫌がるのは立派だけど、必要があれば使わせてもらうわよ」
「必要って、どんな時に」
「さぁ? だけど、全てには可能性はあるわ。その可能性を私は潰したくないの」
現時点で “天の遣い” 等と名乗る事は、危険極まりない行為だと言えるだろう。
天とは、天意とは皇帝の背負うべきものであり、それを指して天子とも皇帝は呼ばれているのだ、それが有力とは言え一刺史の配下に居るとなれば、それは漢帝国への叛意の表れと取られるだろうから。
だから華琳としても、今は一刀に名乗らせる積もりは無かった。
今の華琳の配下としては、春蘭の副官としては、壊撃の名だけで十分なのだ。
だが、将来はどうなるか判らない。
だから、覚悟だけはしていてと、告げるのだった。
「そんな未来が来ない事を祈るよ」
恥ずかしいからと、ぼやくように一刀は呟いていた。