陳留に来てはや一週間。月日は矢の如く流れ、その中で一刀は夏候元譲隊に関わる書類仕事をはじめとして、様々な仕事をこなした。
様々とは具体的には夏候元譲隊の状況把握と、その上部組織である兗州刺史府の各部署との顔を繋ぐ事である。
始めましてから始まって、いやいやどーもや、どうですか調子はなどの世間話をし、顔を覚えてもらい、仕事が簡単に回るようにするのだ。
夏候元譲隊は、元譲が刺史曹孟徳の覚えが良いというか直臣なので、その威光のお陰で今までは物事が簡単に通っていた。
が、人間同士なのだ。
威光だけで物事を通していては、万が一の時が怖いと一刀は考えたのだ。
尚、根回しの下準備に掛かる事を告げられた元譲は、いっそ清々しいまでの笑顔で、元嗣が何を言ってるか判らないと返していた。
そして同時に、元嗣が必要だと思うのであれば、そうなのだろう、とも。
山賊相手の一戦で、元譲は元嗣を全面的に信頼する、そう決めたのだと言う。
そのあからさまな信頼の表現に、一刀は赤面を自覚しつつも、任せてくれと返したのだった。
そんなこんなの一週間が経過し、一刀の仕事も少しづつではあるが安定してきていた。
書類仕事も、夏候元譲隊の訓練も、ついでに言えば乗馬訓練も何とか、人並みの足元程度には出来る様になってきた。
だからだろう。
ふと、元譲が我侭を言い出したのは。
「私は元嗣の武が見たい」
書類仕事が一段落し、麦湯を片手に休憩をしていた一刀は、その余りにも唐突な意見に、面食らっていた。
真・恋姫無双
韓浩ポジの一刀さん ~ 私は如何にして悩むのをやめ、覇王を愛するに至ったか
【立身編】 その5
「いや、元譲?」
一刀の声に、些か以上の困惑というか苦笑の成分が入っていたのは、仕方の無い事だろう。
既に武は見せているのだ。
木剣での立ち木打ちを見せ、木剣での軽い立会いもしているのだから。
木剣での立会いでは散々に打ち込まれた一刀としては、何で又、というのが正直な所であった。
だが元譲にとっては違う。
元譲は不満げに、唇を歪めて言う。
「だがアレは木剣であったではないか」
木剣と真剣はまったくの別物であり、それでだからこそ元譲は真剣での、本当の一刀の武を見たいと言うのだ。
木剣での立会いでは、実戦で一撃で相手を叩き潰したという “壊撃” が感じられない。
だから真剣でのを見てみたいのだと。
だがそれを、一刀は拒否する。
曹孟徳が、一刀が剣の練習で真剣を使用する事を禁止していたからだ。
理由は簡単である。
壊すからだ、一刀が、剣を。
陳留で一般的に流通している剣では一刀の力、薬丸自顕流の打ち込みに耐えられないのだ。
硬い立ち木に打てば、簡単に歪み、或いは折れた。
よって、立ち木打ちで剣を3本駄目にした所で、曹孟徳が良い剣が手に入るまではという条件付けで、練習での真剣の使用を禁止したのだった。
剣も一品モノではないとはいえ、決して安いものではないのだ。
実戦で武器を駄目にするのは仕方が無いが、練習で潰され続けては堪らないと曹孟徳が判断するのも当然であった。
「だが、曹刺史の命令を無視する訳にはいかないだろ?」
「そうなのだが………」
無念と、元譲は両手で碗を手に持って言う。
曹孟徳への敬愛と同時に、武への渇望がその内にあった。
「七星餓狼がもう一本あれば………」
悔しげに言う元譲。
彼女の愛剣である七星餓狼は夏候家伝家の逸品、大業物であり一刀の力を優に受け止め、その力を発揮させ、立ち木を一撃で断ったのだ。
だからこそ曹孟徳も、良い剣が手に入るまではと条件付けていたのだ。
売っているのを発見すれば、刺史府で金を出すので買えとも言っていた。
配下が全力を出せる環境を整備するのも上に立つ人間の務めだとも。
どうやら一刀の武、修めた薬丸自顕流は、曹孟徳が愛でるに値する才であった様である。
とはいえ、例え剣が得られたとしても一刀としては、元譲と立会いたいとは全く思わなかった。
一刀が修める薬丸自顕流とは、凡その意味において、元譲の持つ武とは異なるからだ。
唯の剣術、或いは剣道であれば差異は小さなものであっただろう。
だが薬丸自顕流は違う。
その本質は、余人と切磋琢磨しあって磨き上げる様なものではなく、ただひたすらに己を鍛え上げ、一刀一撃で人を殺すという事に収斂した剣術なのだ。
活人だの精神修練だののお題目を鼻で笑う薩摩の武、それが薬丸自顕流の本質であった。
だから、立ち会いたく無いのだ。
まだ元譲との付き合いは短いものでしかないが、一刀はこのやや早合点の気はあっても、気のいい女性を気に入っていた。
そんな相手に殺意なんてぶつけられる筈が無かった。
一刀は、初めて殺した相手を、柘榴のように砕けた相手を思う。
平和の時代に育ったが故の思い、命を断った事への自己嫌悪などが無いとは言わない。
だがしかし、同時に裕福とは言えない時代で、余人のものを奪う事を生業とするような外道非道の手合いを討つ事に後悔や懺悔の念は無い。
無かった。
賊の被害者を見れば、残された人間の慟哭を見れば、命であればどの様なものであれ大切である等とは口が裂けても言えぬのだ。
だから、これからも一刀は賊を相手として剣を振るう事に拒否は無い。
だが、だからこそ一刀は味方に剣を向けたく無かったのだ。
尤も、そんな一刀の気持ちとは逆に、元譲は立会いをしたくて堪らなかった。
地力や総合力として見た時、元譲は一刀より圧倒的に勝っている。
10度戦えば、9度は元譲が勝つだろう。
残る1度とて、一刀が引き分けを狙えば成る、かもしれないという程度のものである。
だが、それでも尚、一刀の打ち込み ―― その一太刀目だけは脅威であると思ったのだ。
斬るという事に全てが集約された剣を、斬るという修練の成果を、立ち木を打ちではなく、間近で見たい、と。
元譲の気持ちとは、一刀の持たない武を探求する者としてのの欲であり、であるが故に一刀の理解しえぬ領域であった。
或いはこう評すべきかもしれない。
これが、歴史に武にて名を残る者の本質である、と。
そんな、元譲の本質を理解しきれぬままに、一刀は嘆息する。
「無いもの強請りは、悪い癖だな」
「むー 元嗣は達観し過ぎているな。修練は体に良いのだぞ!」
「それは否定しないけど、流石に真剣での立会いは勘弁だ」
子供の頃より剣術の修行を繰り返してきた一刀は、体を動かす事の喜びを知っている。
ただ、味方と真剣で立ち会いたくないだけなのだから。
「よし、では立会い以外で体を動かそう。元嗣、これから遠乗りに出るぞ」
「はっ?」
唐突の言葉に一刀は目を丸くしたが、元譲はそんな事は見えないとばかりに快活に笑う。
良い事を思いついたとばかりに。
「元嗣は、騎乗がまだ下手だからな。今日は腰が抜けるまで馬に乗るぞ、弓を持って野の兎を狩っても良いな」
「いや元譲、それは不味いだろ?」
「何でだ? 書類の仕事は今の出終わったんだ、後は修練だが、その科目が乗馬なだけで」
「終わってないし!」
慌てて否定する一刀。
纏めねばいけない報告は、まだまだ山積していた。
だが、終わったと言う元譲の言葉も事実ではあった。
近日中に仕上げなければ成らない報告書だけは終わっているのだから。
「元嗣、明日出来る事は明日すれば良いのだ」
元譲は、凄く良い笑顔で断言する。
その笑顔に一刀は気付いた。
元譲、机に向かうのに飽きたのだな、と。
生粋の、頭の上から爪先まで武の人として育っている元譲は、文官の仕事は一切が苦手だった。
字が汚いし、そもそも書くのも嫌だし、座っているのすらも苦痛だった。
だから、一刀が夏候元譲隊の副官として元譲の執務室に入った時に見たのは、未決裁のまま放置された竹簡や書簡の、文字通りの山であった。
それは、早まったかもしれんなと一刀が思わず漏らす程の、山脈であった。
それから1週間で、2人は不要不急の書類を処理し終えていた。
一刀が文章として纏めたり要約して元譲に告げ、決断と印を元譲が担当するという、主に一刀が元譲の尻を叩く形で、であったが。
だからという訳では無いだろうが、元譲は日常の修練以上のレベルで体を動かす事を望んだ。
それ故の一刀との立会いであり、遠乗りであったのだ。
「仕方が無い、か」
そんな元譲の気分を察し、一刀はため息交じりに受け入れていた。
物騒な訳でもないし、と。
一刀も又、基本は体育会系の為、体を動かす事への拒否など無いのだから。
良しと、体に気合を入れて立つ。
「では元譲、妙才殿に城を空ける事を言っててくれ。私は馬具の手配をしておくから」
「何だ? 秋蘭も誘うのか??」
「元譲、貴方は曹刺史の兵のまとめ役で私は副官なんだ。それが揃って居なくなっては、万が一が大変じゃないか」
「おぉ、流石だ元嗣! 気が回るな!!」
本気で感心した元譲に、一刀は少しだけ、今までの夏候妙才の苦労に思いを馳せていた。
陳留刺史府の厩舎へと赴いた一刀、既に手には弓矢他の装具を持ってきている。
夏候元譲隊の、曹孟徳の私兵部隊が保有する軍馬は、100頭から数えるという、その規模として見れば比較的大規模に揃えられていた。
騎兵としてのみならず、曹孟徳は伝令としても騎馬を重視しているからだった。
そんな大規模な厩舎で、一刀は管理官から元譲の馬と、自分用の適当な軍馬を出してもらう。
鞍を載せ、馬具を整えていく。
それが終わったら弓の支度をし、防具を身に付けていく。
今の一刀の格好は、この陳留に来て用意したものだった。
元譲が金を出した服だが、戦闘時にも着込む為、生地は厚手のものとなっている。
下はズボンというかカーゴパンツに似た余裕のあるデザインであり、上は細めの綿シャツと、その上に防具を兼ねる革のダブルのライダース風ジャケットを着込む。
その全てが中華風とは全くもって言い難いデザインだ。
戦場では、この他にチャップス風の革製ズボン防具を着込む事にしている。
本来、一刀はもう少しこの世界で一般的な服を選ぶ積もりであったが、元の世界への郷愁から、店でそれらを見て心惹かれたのだ。
その事に気付いた元譲が、気を利かして購入したのだった。
尚、この他に礼服としての漢服も、一式丸ごと購入してもらっていた。
この時代の被服は決して安く無いにも掛からずのこれは、今はまだ必要ないだろうが将来は必要になるだろうとの、元譲の心遣いだった。
まだ元譲が来ていない為、時間つぶしにと軽く柔軟体操を始めた一刀。
と、その耳に罵声が飛び込んできた。
「何を考えているの!!」
若い女性の金切り声だ。
何事かと声のした方へと慌てて駆け出す。
ここは刺史府の一角とはいえ兵舎の区画、 万が一にも若い兵士が、女性相手の馬鹿をやったのであればとの意識があった。
だが、厩舎を出た一刀が見たのは予想の全く逆、うな垂れた兵とそれを胸を反らして睨む若い女性の姿だった。
少女と言っても良い年頃と見える。
が、その表情は知性が光るが、それ以上に、何と言うべきか狷介さが漂っている。
「何事?」
思わず一刀がそう呟いたのも道理だった。
その声に反応した2人は、一刀を見る。
反応は見事に分かれていた。
少女は胡乱なものを見る目つきで一刀を睨み、対して兵士は助けの神を見たと言わんばかりの表情となった。
否、声を上げた。
「北副長!!」
何とも縋る様な按配である。
それを見て、何だ事前の予想とは全く異なっている事に安堵を憶えながら、声を掛けた。
「どうした?」
兵士は必死になって事情を話しだす。
何でもこの兵士、訓練に必要な道具を取りに来た所、この少女 ―― 具足糧秣の管理監督官から怒られたのだと言う。
必要な道具を取りに来ただけなのに、と。
対して少女は眦を上げて叱る。
「官給装具の持ち出しには100人長以上の人間の印が必要だって、曹孟徳様がお決めになってるのよ!」
基本的に士気及び規律の厳しい曹家私兵隊は、古参に限れば不心得物など居ないのだが、規模拡張などで入ってきた新人が官給装具を持ち出し、そのまま市井に売りつけるなどの事をしでか事があったのだ。
それ故に作られた新しい、一刀が来てからの規則であった。
そしてこの兵士。100人長では無いが古参であったので、以前の様な気分で、細かい事は良いだろ? とばかりに書類を出さずに持て行こうとしたのだ。
「規則を守れないなんて、それも、曹孟徳様のお定めになった規則を守れない兵士なんて、死んだ方が良いわよ!!」
苛烈に言い放った少女。
兵士の方は殆ど涙目である。
流石に可愛そうになった一刀は、助け舟を出す。
「だが、まだ決まったばかりだ。周知徹底がなされないのは仕方が無いんじゃないか?」
「何を言っているの! そんな、ちょっとぐらい良いだろうみたいな緩い奴、戦場で曹孟徳様の指示を守れず死ぬのが関の山、迷惑よ、ここで腹をかっさばけ!!」
「ひっ!」
歴戦の風格が見える兵士が怯える様な気迫を見せる少女、その矛先は一刀にも向く。
「あんたもよ、副長みたいだけど、規律1つ守らせられないのであれば、指揮官失格よ!!」
その言は真に正論であり、この少女の知性の高さを示していた。
だが、その勢いに一刀は折れない。
そっと受け止める。
「貴方の話も判るけど、これはそこまで深刻な話じゃない。人は一度の過ちは許されるべきだよ、如何に曹孟徳の精兵といえど人間なんだしね。細かい事で罰し続けていては最後は兵士が居なくなってしまう。それに、貴方とて今まで一度も過ちを犯した事は無い、とは言わないでしょ?」
「むっ!」
一本取られたかと言う表情を見せた少女、その隙を突く形で一刀は兵士に告げる。
印を貰っておいで、と。
その言葉を受けて兵士は脱兎の如く逃げ出したのだった。
兵士に逃げられたことに少し不満げな表情を見せた少女は、それから一刀を正面から見る。
挑むような目つきだ。
否、値踏みする視線と言えるだろう。
「北副長って言ったわね。あなた、名は?」
「夏候元譲殿の副官、姓は北、名は郷、字は元嗣です」
「そ、憶えておくわ」
それだけ言うと、少女は肩を怒らせて厩舎から出て行く。
「いや、自分は!?」
「ふん、汚らわしい男に名乗る訳無いでしょ!! 馬鹿じゃないって、名前を覚えてもらうだけ有難く思いなさい!!!」
「えっ!」
その余りにも乱暴な言い切りっぷりに一刀は思わず絶句していた。
無人の野を行く2頭の馬影、一刀と元譲だ。
2人は先ほどまで全力疾走をし、それから軽く流しているのだった。
「酷い目にあったものだな」
そう言いつつも、元譲の口調には笑いの色があった。
対する一刀の口元には、笑みは笑みでも苦味の入った笑みが浮かんでいた。
「全くだ。気性の強い女性の知己は増えたけど、あれ程に強い人は初めてだよ」
当然話題は、先ほどに一刀が出会った少女だ。
「具足糧秣の管理監督官と言えば、威勢の良い奴だと、100人長の、誰だったかが言っていたな」
相当な男嫌いだとも続ける。
名前は荀何とかだったとも。
具足糧秣の管理監督と言えば比較的重要な役職ではあるのだが、そこら辺をかつては夏候妙才に、そして今は一刀に放り投げている元譲にとっては、重要では無かったのだ。
自分を、曹孟徳の矛として、その武の切っ先としてのみ理解している元譲らしいと言えば、らしい態度であった。
尤も、それを一刀は、何時か修正しようと考えてはいたが。
後方を軽視する将は危ない、と。
腹が減っては戦も出来ぬと信じていたのだから。
「だが、正論ではあるんだよね」
「む、元嗣は強気の女性が好みか?」
「そこは程度問題だ!」
楽しげに笑いあう2人の声は、野原に広がっていった。