山賊を追いかけていった元譲。
それが意気揚々と帰ってきたのは、その日の夕方近くであった。
賊の一報があったのが午前中であったので、ほぼ半日に及ぶ捕り物となっていた。
無論、その甲斐あって、逃げ出した山賊の悉くを召し捕ったのだ。
400名近い人間に追いかけられた山賊は、何処までも追ってくる元譲達の姿に心を折られ、そして体力を使い果たした人間から一人づつ捕縛されたのだという。
陽光が黄色味を帯びだす頃、元譲は怪我人を1人として出す事無く、20余名全員を捕縛して帰ってきた。
それは、それだけは見事であった。
「お見事な戦果で」
が、一刀の言葉には、呆れの色があった。
或いは感嘆と言えるかもしれない。
比較にならない少数の、それも山賊相手なのだ。
まず負けないだろうとは思っていたが、ここまで一方的な展開、或いは鎧を着ていたにも関わらず、着てない山賊相手に体力勝ちとか、それは有得ないと云う気持ちであった。
元譲恐るべし。
自らが仕える事となった相手の底なしの体力っぷりに、一刀はある意味で恐怖していた。
彼らと一緒に動く、という未来図が見えたからだ。
尤も、そんな一刀の様子を気付く事無く、元譲は良い笑顔で応じた。
「うむ、これで陳留周辺で活動していた山賊もあらかた掃討出来た事になるな」
元譲が胸をはって喜んでいる。
その顔を一刀は眩しげに見て、それから少しだけ顔をしかめた。
曹孟徳からの厳命があったので、それを伝える必要があるからだ。
何かを誤魔化すように微笑を浮かべたままに、報告する。
「曹刺史が、帰還次第即座に報告に来るようにと仰せられておりましたので、元譲殿は至急、執務室へとお向かい下さい。此方は私が手配しておきますので」
「む、大丈夫か?」
今日から入った人間が手配出来るのかと言う元譲の疑問に、一刀は大丈夫だと返した。
「夏候妙才殿に教示して頂く事になっておりますので」
「そうか、秋蘭になら大丈夫だな。では頼むぞ元嗣」
「はい ―― ご幸運を」
「ん?」
報告へと向かうのに幸運をとはこれいかに。
そんな一刀の言葉への疑問を感じた元譲だが、その疑問への関心は直ぐに雲散霧消する事となった。
何と言っても、同時に数日振りに曹孟徳と合えるのだ。
それだけの事で、元譲は浮ついた気分となって、走り出した。
その様は、まるで恋人の下へと駆けるような、或いは飼い主の下へと走る犬の様な勢いであった。
その様を、夏候元譲隊の面々は微笑ましげに見送っていた。
一人、痛ましげな一刀を除いて。
嬉々として曹孟徳の部屋へと入った元譲が見たのは、机に向かっていた曹孟徳であった。
元譲がきた事に気づくと、ゆっくりとした仕草で筆を置いた。
それは奇妙な程に、ゆっくりとした動作だった。
もっとも、その事に気付かぬままに元譲は背筋を伸ばし、楽しげに報告する。
「華琳様! 山賊を討伐してきましたっ!!」
「ご苦労様。だけどね、夏 候 元 譲………」
曹孟徳が、笑顔のままに力を込めて名前を呼んだ。
それだけで元譲は震えだした。
「かっ、かっ、かっ華琳さま!?」
曹孟徳の執務室より、元譲の悲鳴が上がった。
それは陳留刺史府に響くような悲鳴であったが、それを耳にした誰もが粛々と己の仕事を続けていた。
元譲が曹孟徳の叱責を受けている頃、その臣となった一刀は忙しく動いていた。
山賊を牢に収め、怪我人へと医療の手配をし、勲功を計る。
その他にも、襲われていた隊商からの情報を集める事などもあった。
山賊相手の、戦ではないとはいえ、一合戦という按配だったのだ、仕事など幾らでもあり、それらを夏候妙才の指示に従って処理していく。
どれ程の時間が経ったのであろうか。
陽は夕暮れを通り越し、夜の帳が完全に降り切った頃、漸くながらも仕事は一段落していた。
「ご教示、ありがとう御座います」
頭を下げた一刀に、夏候妙才は涼やかな笑いを浮かべて答えた。
「なに、貴君だけではなく姉者の為でもあるし、なにより、遡れば孟徳様の為だ」
落ち着いた物腰は、正に才女の風格といった按配である。
そんな夏候妙才に、一刀は感謝の念以上に謝意を憶えた。
10人と三国志に登場する人間の名を覚えていない一刀にとって夏候淵なる人物は、2人居る夏候の影の薄い方という程度の相手だった。
曹操に仕えていたのだから有能なんだろうな、という按配である。
が、現実はその上にあった。
夏候妙才は、実に有能な人間でだったのだ。
のみならず、聞けば曹孟徳と共に洛陽まで往復した後だというのに、自分の書類仕事は別として、一刀への教示を行っているのだ。
頑健であり有能でもある。
しかも一刀が手順などで勘違い、失敗をしても、それを優しく説き教えてくれるのだ。
過去にして未来の自分の行為を謝罪したくなるのも当然であった。
流石に口に出す事は無いが。
「ですが、一番に助かったのは私ですから」
「そう言ってもらえると、手助けした甲斐はあったな」
そう笑った夏候妙才は、麦湯を飲む。
仕事中に一刀が気分転換にと出した所、好評を博していた。
香ばしさが良い、と。
後、茶と違って温くなっても風味が損なわれないのも良いと夏候妙才は言う。
「博識だな、本当に」
「なに、唯の雑学ですよ」
「それを使いこなせているのであれば、博識と評して問題は無いのだ」
「褒められ過ぎですよ」
「そうかな? だが、何にせよ私としても嬉しい話なのでね」
照れて笑う一刀に、夏候妙才は少しだけ才気を漂わせた眼差しで返した。
はたで見ていても初めてと判る書類仕事をそつなくこなして見せた一刀を、夏候妙才は昼の剣才も含めて姉は良い買い物をしたのだと思っていた。
大概の、才ある人間は、その才を誇り、驕る。
文字を知っているだけで、否、人よりも書物を1つ多く読んでいるだけで、他人よりも自分が偉いと断ずる手合いを夏候妙才は見てきていたのだ。
が、この北元嗣という人間、彼は実に謙虚であり、同時に、人に教えを受ける際にも、きちんと頭を垂れられる人間なのだ。
しかも、傍に居て人品を見る限り、卑しさも無い。
この様な人間が、これから姉を支えてくれるというのは、実に嬉しいものだと考えていた。
夏候妙才にとって、姉である夏候元譲は可愛くて仕方のない相手であった。
曹孟徳に向けるのとは別種の愛があり、故に、自分が姉を支える事が嫌などある筈がなかった。
がしかし、それも今だけの事でしかない。
今後、曹孟徳が出世をしていけば、夏候姉妹の仕事も又、増えていく。
そうなれば今のように簡単に、傍で姉を支える事は難しくなるだろう。
そう思えばこそ、夏候妙才は一刀が姉の傍に来たことを歓迎出来たのだ。
「では、その期待を裏切らない様に精進します」
「そうだな、頼むぞ北殿」
「努力致します」
真剣な顔で頷いた一刀、だが、その真剣さを粉砕する音がした。
空腹、腹の虫である。
音を出したのは、まだまだ成長期である一刀のだった。
山賊を退治してから、麦湯程度しか口にせずに仕事をしていたのだ。
腹が減るのも道理であった。
間の抜けた音に赤面した一刀に、夏候妙才は柔らかく笑いかけた。
「はははっ、なら、今日は姉者の所へ来てくれた歓迎と言う事で私が手を振るおうか」
喰えぬものなどないな? と確認する夏候妙才に、一刀は1つだけお願いがあります。
と、真剣な眼差しで返していた。
真・恋姫無双
韓浩ポジの一刀さん ~ 私は如何にして悩むのをやめ、覇王を愛するに至ったか
その4
兵卒の食堂は、盛り上がっていた。
酒が振舞われた訳では無いが、それを補って余りある興奮、大捕り物の大勝利である。
元譲に率いられていた者たちは、自分の捕まえた山賊の体力の無さを笑い、一刀に率いられていた者たちは、自らの倍の相手を打ち破った武功に酔っていた。
怪我人も居たが、命に関わる様なものが無かったお陰で、総じてその雰囲気は明るかった。
「しかしあの北という副長、やりますね」
感心した様に笑う兵たち。
彼らの、一刀の評価は悪いものでは無かった。
文官に似た雰囲気であるが、最後の突撃では自ら先頭に立ち、何よりも勝ったのだ。
これを評価しない兵など居なかった。
「あの剣も凄いなっ!」
「奇声を上げた時には狂ったかと思ったが、相手の剣ごと潰したんだ、見事なものじゃ!!」
薬丸自顕流の一撃は、それを防ごうとした剣すらも、その勢いで押し潰して斬ったのだ。
相手の頭は、真っ二つではなく、4つに叩き潰されていた。
それは正に惨状であったが、兵たちはそれを平気で思い出しながら、飯を食らう。
命の値段が軽い時代の事、その程度で食欲を失う人間は兵になっている筈も、兵であり続ける筈も無かった。
それに、惨状ではあったが、それによって山賊たちは士気崩壊をして、簡単に取り押さえる事が出来たのだ。
である以上、一刀の剣術を否定的に見る人間がこの場に居る筈も無かった。
「斬撃といよりも、壊撃というべきか?」
「確か、あの剣も曲がって壊れておったから、それが似合いだのう」
「壊撃、壊撃か」
笑い声を上げる一同、その中にあって年嵩の男、昼の戦いで一刀へ助言した古参兵が、給仕に呼ばれた。
手招きで食堂の外へと誘っている。
馬鹿笑いはしていても、食器を壊すなどの騒動している訳で無いのに何事かと行ってみれば、そこには話のネタとなった一刀が立っていた。
「おお、これは北副長、どうなさった?」
物事の表裏に通じた古参兵らしく、先ほどまで一刀をネタにしていた事をおくびにも出さず笑顔を見せる。
馬鹿にしていた訳ではないし、実際問題としては褒めていたのだが、当人の居ない積もりで話した内容を当人が聞いていたというのは、中々に厳しい状態であるが、それを欠片も見せない。
まるで、その事を口にすれば野暮天かの様な態度である。
ふてぶてしい面構えの古参兵に、一刀は映画とかに出ている下士官がこんな感じだよなとの感慨を抱いた。
否。
それどころか古参兵が下士官で若年兵が兵卒なら、そんな兵士の楽しみを邪魔するのは確かに野暮天だとも思っていた。
なので、話題の事に触れる事も無く、酒瓶を出した。
「これは?」
流石の古参兵もその意図を読みきれずに面食らっており、その事に満足を抱きながら一刀は酒瓶を持たせた。
当然この酒瓶の中身は酒である。
それも、夏候妙才に頼んで譲ってもらった逸品である。
「昼間の礼だ。夏候妙才殿から許可も貰っている。今日はゆっくりと飲んでくれ」
元譲の副官としての立場があるので、一刀もぶっきらぼうな口調をせざる得なかったが、その気持ちは本当である。
礼、即ち昼間に助言して貰ったお礼と、そして怪我人を出させてしまった謝罪を兼ねての事だった。
自分に無い視点でのサポートは大変に有難く、その結果もあっての勝利だし、それとは別に、もう少しだけ兵を多く残してもらっていれば、怪我人は出なかっただろうと一刀は考えていたのだ。
だから、夏候妙才に頼んで、給与の前借りとして酒を出して貰おうとしたのだ。
尤も、夏候妙才も、酒を貰う理由が、それであればと、快く自分の持っていた酒を譲ってくれたのだ。
一刀の、曹孟徳の御旗への参陣祝いとして。
「こっ、こりゃまた有難く……」
驚いたという表情を顔に貼り付けた古参兵は、少しだけ言葉が乱れていた。
それだけ、酒瓶からの上等な酒の匂いと、その振舞われた理由に驚いていたのだ。
そして同時に、一刀への評価を上方修正していた。
武の才も持つが、それだけでは無い、と。
そしてもう1つ、面白いと感じていた。
兵卒の命が、路傍の石にも匹敵する ―― 少なくとも大多数の武官や文官にとっては、その程度の扱いの相手を労わった一刀と言う人間への興味とも言えるだろう。
だから古参兵は、酒瓶を渡した事で用事は済んだと背を向けた一刀に、声を掛けていた。
「北副長!」
「どうした?」
「私は姓を珂、名は施。字を桓々と申します。今後とも宜しくお願いします」
珂桓々は、礼を正して名乗りを上げた。
それを受けて一刀も、背筋を伸ばしてその名乗りを受ける。
「私は軍をまだ知らぬ事も多い、宜しく頼む」
「はっ!」
食堂へと戻った珂桓々に、同席していた連中が興味津々と聞いてくる。
当然だろう。
兵卒と親しくし、労を共に分かち合う事で兵卒から莫大な信頼を得ている元譲ですらも、兵卒の食堂にまで現れる事はそうそう無いのだ。
戦場ではともかく、日常では線を引いているのだ。
元譲の家、夏候家が名家である事も理由ではあったが、一般的に言って、この時代のみならず、将と兵卒との関係としては、それが標準的なものであった。
だからこそ、一刀が現れた事に、多くの人間が興味を持ったのだ。
何事であるか、と。
「何事だったんで?」
興味津々といった兵卒達に、珂桓々は全てを端折って答えた。
振る舞い酒だ、と。
一刀が夏候元譲隊に参加しての初陣にして初勝利だったのでの、祝い酒だと。
兵卒にとっては、それで十分な理由だった。
卓に乗せられた酒瓶に、兵卒達は目の色を変えて、酒を注ぎだす。
途中からは、昼に一刀の指揮下に居た者達だけではなく、食堂に残ってた連中が杯を出してくる。
酒瓶はさして大きく無い為に、1人あたりの量は少なかったが、それでも、この食堂に居た全ての人間の杯には注がれた。
そして、珂桓々が流れとして音頭を取る。
「では壊撃の北元嗣、我らの副長に!」
乾杯、そう唱和して、杯は干されたのだった。
深夜。
曹孟徳は自らの閨の寝台にて、その痩身に薄手の夜着を羽織って寝そべっている。
手には杯を持ち、楽しげな表情で喉を潤している。
その横では、豊満にして引き締まるという二律背反な肢体をした夏候妙才が、力なく寝台に身を横たえている。
此方は上気すると共に、何処かしら満足した疲労感というものが漂っている。
そんな甘い情事の残り香が漂う部屋で、だが曹孟徳が紡ぐ言葉は愛のものではなかった。
「そう、面白いわね」
面白がる対象は、一刀である。
曹孟徳は、夏候妙才が横から見ていた仕事ぶりから、 “河内の賢人” との噂の真偽、真相を見たのだ。
その結果は可、である。
戦場での働きもだが、書類仕事もしっかりとこなし、気配りも出来るのだ。
春蘭は、自らを支えるに足る良き臣を得てきたと褒めたい位である。
但し、才を、才人を愛する曹孟徳は、自分が愛でるには、足りないとも思っていた。
曹孟徳の趣味として、もう少し形から外れた才人が好みであり、その意味で、今日で見えた北元嗣という人間は些か、小さく纏まりすぎている様に思えたのだ。
剣の才は、兵卒より優れては居ても夏候の両蘭は当然ながらも自分にも及ばぬだろう。
書類仕事に関しても、並みの文官より優れてはいても、同じであり、この満天下に名の知れた軍師の才を持つ者達と比較する事など無理であろう。
その意味で一刀は、曹孟徳にとっては愛でるに値せぬ相手であった。
だが同時に曹孟徳は、見極めが足りないとも思っていた。
会話など僅かしか交わしていないが、何かが一刀の奥に潜んでいる様にも感じたからだ。
だからこそ、呟くのだ。
面白い、と。
「華琳様……」
薄闇の中で笑う曹孟徳。
その魅力に酔った様に夏候妙才は、その名を呼んだ。
それに、艶然と曹孟徳は応じる。
「そうね秋蘭、夜は長いわ」
2人の影がそっと重なる。
夜はまだ始まったばかりであった。