夏、本番――
全国高校野球選手権西東京大会は開催から既に2週間が経過し、お目当ての暁大附属は順当に勝ち上がり、決勝まで駒を進めていた。
「んん~好調好調。結構ケッコーこけこっこーっと。隣り、宜しいかねお嬢さん?」
ダイヤが乱れた影響でプレイボールに間に合わないと言う失態を犯したが、運良く座席を確保出来た。
察するに学校関係者。親族の応援にしては淡々とし過ぎているが、そういえば確か、セカンドの四条君に妹が居て云々と聞いた気がする。風貌も、どことなく似ているしな。
3年生の男子マネージャーが記録員としてベンチ入りしている為、他の部員と一緒に応援に回っていると言ったトコロか。
スタンドにベンチすらない地方球場とは違い此処、神宮の杜にはどちらの応援と言うワケでも無い高校野球ファンも多数集まり、大いに賑いを見せていた。当然、今年の有力ドラフト候補であるエース左腕を目当てに御同業も大集結。
中には“いっちのせさ~~ん、キャー☆”だの“塔哉くんコッチむいてェ!”だのと黄色い声援を送る追っかけも目に付き、対戦相手の中にも今日活躍すれば注目されるでは?などと淡い期待を膨らませている者は1人や2人じゃないだろう。
別に悪いコトじゃない、是非そうあって欲しいモノだ。何しろ、私はその為に足を運んでいるのだからね?
「今日の調子なら完全試合も有り得るぞ…コールドにならなければ、な」
別に話し掛けているつもりは無いが、ついつい声に出してしまう。が、反応はナシ。
まぁこのクソ暑い中、ヨレヨレのジャケットにニット帽の見知らぬ中年オヤジに話し掛けられても迷惑なだけだろう。世の中には平日休みの企業だって数多く存在するが、普通のサラリーマンじゃないのは一目瞭然なのだから。
露骨に席を立たれたり、不審者扱いをされないだけ有難い。
ユニフォーム姿の補欠組や吹奏楽部とは違い、懸命に声援を送ったりはしないが、一心不乱にグラウンドを見詰めつつデータ集計に勤しむ横顔は凛として美しい。ウム、これは将来有望だな。
時折、額に貼り付いた髪を掻き上げる度に汗とシャンプーの匂いが混ざり合った、芳醇な香りが漂って来る。
…良い年をしたオッサンが催すには、余りにも犯罪的な劣情で申し訳無い。縮こまった背筋を伸ばしつつ、ブラウスから透けて見えるブラジャーについつい目が行ってしまうのは男の性なのだ。
「こりゃ争奪戦は必至だな。後はもう怪我さえなければ…本人には悪いが、いっそ甲子園に行かないでくれた方が助かる」
彼ほどの知名度を得てしまった選手では最早手遅れだろうが、思わず本音が出てしまう。高額な契約金で有望選手を買い叩くご時世にあって、私の様な昔気質のスカウトもめっきりと減った。
セ界屈指の大砲、と呼ばれるまでに成長した福家花男や今シーズンの新人王当確左腕、神童裕二郎の如き逸材を下位指名で確保出来れば、向こう5年は枕を高くして眠れる。
一昨年の新人戦から追い続けた逸材の成長は実に喜ばしい。だが、野に埋もれたダイヤの原石の発掘に至上の喜びを憶える私にとって、今の一ノ瀬塔哉には些か興を削がれた感が有るのもまた事実。
そんな独り善がりな苦笑とは裏腹に、試合は周囲の期待を裏切らない快刀乱麻のピッチングショーが演じられた。
「相手の…阿畑君も悪くない。悪くはないが…もう、限界だろうな」
そよ工の項目をチラリと確認し、再びグラウンドに目をやる。彼の力投に対する援護も無いまま、味方のエラー絡みで失点を重ねる悪い流れ。苛立ちから制球を乱しており、自滅寸前だ。
「いや、もう自滅してると言っても差し支えあるまい。仮にこの回を乗り切っても大勢は決しているしな」
それでも彼に替わるピッチャーを送り込めないのが、そよ工の苦しい台所事情を如実に現している。カキーンと言う乾いた金属音と、それに少し遅れて沸き上がる歓声は、本日2本目となる一ノ瀬塔哉のホームランに対する称賛であった。
「おやおや、随分と気前の良いこった…しかし誰の為のサービスかね?」
7回裏。2アウトながら満塁の場面でクリーンアップの一角を担う二宮瑞穂が三球三振に倒れる。スコアは5-0で暁大附属がリード。残すは2イニングだがあと2点入ればその場で試合は終了していた。
『――続きまして、暁大付属の選手交代をお知らせします。ピッチャー、一ノ瀬くんに代わりまして、猪狩くん』
続く8回表。僅かに手元が狂ったのか、彼の投じた1球は高校球児には不似合いな長髪選手の腕を僅かに掠めた。その直後、未だノーヒットノーランの可能性を残したまま突如告げられた選手交代の報に球場が騒然となる。
「どうしたんだ一ノ瀬は? 何があったんだクソッ、猪狩って何年の選手だよ、誰か知ってるか?」
「こ、交代の理由は?…誰か医務室を確認して来い!彼の故障歴は?どこかに古傷でも抱えてたのか?! 」
「なんでぇ?どーして代えちゃうのよバ監督!」
「一ノ瀬くんを出せー!出さなきゃ帰っちゃうんだからぁ~」
7回と0/3を投げて被安打ゼロ・四死球1・奪三振11。投球数は百球にも満たない。
完全試合必至かと思われた展開で起こったまさかの交代劇に、故障発生かと慌てふためく未熟者共。ドラフトの目玉投手を相手に、その程度の情報量なのかと思わず鼻が鳴る。
部下だったら馬鹿モン、勉強不足だ!と拳骨を喰らわせるトコロだが商売敵なので大いに歓迎しようではないか。
「しかし、こんな場面でワザワザ秘蔵っ子を送り出すなんて一体ー…あぁ、なるほど」
マウンド上では猪狩守と会話を交わした後に激昂しだした二宮瑞穂を一ノ瀬塔哉が宥めていた。大方はエースを降ろす事で完全試合達成の為にみすみすコールド勝ちをフイにした恋女房に対しての制裁だろう。
彼は一ノ瀬塔哉を実兄の如く慕っている様子だし、猪狩守とは犬猿の仲と言った感じでこれほど当て付けに相応しい人物は居ない。小さなアメと恐ろしいムチを巧みに使い分け、時には冷酷なまでに信賞必罰を徹底する千石采配の真骨頂だ。
「おお、アレが猪狩コンツェルンの御曹司か…リトルシニアの天才児がどう成長したんだかねぇ」
「何だ、初めて見るのかよ? まぁお前んトコにはセ界がひっくり返ったってなびかねーぜ。諦めな」
「なにあのコ?チョー可愛い!」
「あ~~~ん、なんか萌えーっ」
「しかしハイエナの群れにわざわざご馳走を投げ込むとは、千石君も人が悪い…これで面倒な仕事が増えそうだ」
私が渡り歩くのは大抵球団名を出すとガッカリされるBクラスどころばかり。だから、担当エリア内に花形選手が存在しても上からの命令が無い限り、極力接触は持たない事にしている。
特に逆指名権も無い甲子園のアイドル達は経験上、個人的に思い入れのある地元出身選手でもない限り徒労に終わるからだ。
「…その時間を他の逸材探しに充てた方がどれほど有益か。理解のある上司に恵まれない宮仕えとは辛いモノだな」
ノーアウトランナー1塁。阿畑やすしとバッテリーを組む石原泰三はこの点差でもセーフティ気味にバントの構えを見せている。
初球、サイン違いの影響で二宮瑞穂がボールを後ろへ逸らした間に走者が進塁し、ノーアウトランナー2塁。状況が変わり送りバントの構えは無し。
カウント1-1からの3球目、バッターが1-2塁間への進塁打を放つもセカンド四条の好守に阻まれ3塁タッチアウト。
間一髪のところで併殺だけは免れ、場面が1アウトランナー1塁に切り替わると思い出作りの一環か、次の打席には3年生の控え選手が立った。どうやらせめて一矢報いんとする気力も失せたらしい。
僅か2球で追い詰めると三球三振を狙った模様だが、ストレートが気持ち甘く入った。打ち取った当たりにも見える打球はフラフラと二遊間の頭上を越え、センター前へ。所謂ポテンヒット。
だが、ショート六本木は背走しながらこれに追い縋り、ボールは宙を舞う彼の差し出したグラブの中に吸い込まれる。更に目前にまで猛進していたセンター八嶋に絶妙なグラブトスを繰り出すと、彼はそれに呼応し1塁へ好返球。
一気に本塁まで駆け抜けるつもりだったランナーは帰塁動作に入る事すら許されず6-8-3のダブルプレーが完成。スタンドからは悲鳴と歓声が沸き起こった。
「ゲームセット!」
そして8回裏、コールド勝ちを決める猪狩守のサヨナラ2ランホームランが、彼らの夏に終わりを告げた。