「そぉ言ゃ四条先パイは元気でヤってー…うへぇ、そりゃご愁傷サマ。可哀想なコトしちまったナ」
猪狩守が安藤梅田学園最後のバッターを大会通算最多奪三振記録となる89個目の三振で打ち取り、6試合連続完封勝利を収める瞬間まで、私達は試合とはまるで関係の無い世間話をしていた。
兄・四条賢二は獣医を目指してアニマル大学へ進学し、1人暮らしを開始。遠距離恋愛と愛犬に会えない生活は辛いと嘆いていて、案の定10週間後にフラレていたわ。
その他のメンバーは二宮瑞穂がスワローズに入団し、打撃と将来性を買われて開幕1軍スタート。三本松一と七井アレフトは首都体育大学、五十嵐権三は官僚大学、九十九宇宙は近代学院大学へと進学。
結局暁大學に進んだのは、六本木優希と八嶋中の2人だけだった。しかも、六本木優希は心臓手術を理由に休学・渡米して回復後も現地でUBLプレイヤーを目指し、スペース・レッドエンジェルス傘下のスカイ・イエローイーグルスにプロテストを経て入団。そのまま中退となっている。
一時代を築いた英傑達が一堂に会し、再びグラウンドに立つ日は2度と訪れ無かった。
「夢を見ていたのかもね、私達ー…そして夢の終わりが訪れた、ただそれだけの事。アナタと過ごした時間、忘れないから。本当に」
1998年11月20日。グランドプリンセスホテル新高輪・飛天の間にて行われた新人選手選択会議では、猪狩守の名が都合12回も読み上げられた。抽選の壇上に全球団の代表が居並ぶ姿を目の当たりにするのは、私の人生の中でも恐らく最初で最後になるんでしょうね。
『相思相愛!! トラの真恋人は帝実・山口か?! 』
『ワシが育てる!二刀流育成プラン提唱で猪狩もグラリ?』
『貫く巨人愛。マウンドの貴公子、91.7%の確率で暁大進学へ』
ドラフト直前まで連日センセーショナルな見出しが躍るスポーツ新聞各紙。12球団競合か?1本釣りか?世間の注目は猪狩コンツェルン御曹司の進路へと一心に注がれ、マスコミ各社の予想は真っ二つに割れていた。
「…息子の進路?この私の後を継ぐ他に、どんな選択肢が有るのと言うのかね?進学だろうが、就職だろうが、そんなモノは社会勉強の一環に過ぎんよ」
ただ、実父である猪狩茂氏の威光を恐れてか、ネガティヴなイメージを伴う報道は一切なされていない。アンチファンの間では伝説の12球団指名でさえ、猪狩コンツェルンが仕掛けたパフォーマンスだなんてトンデモ説が飛び出してるわね。
真相はどうあれ、そうした星の下に生まれた者の宿命なんでしょう。契約内容や水面下の駆け引きについてはあくまで選手と球団側の問題であって、プロ野球ファン個人の預かり知る所では無いわ。
『続きまして、第2回・第1位選択希望選手ー…山口賢。18歳、投手、帝王実業高校ー…抽選の結果、ブルーウェイヴが交渉権を獲得しました』
大学・社会人の有力候補達は皆、逆指名によって2位での囲い込みが完了しており、後はリスクの回避を決断するか否か。ただ、ハズレ1位の有力候補として名前が挙がっていた青龍高校の滝本太郎と帝王実業の山口賢の2人は進学希望を口にしていて、指名予想は混迷を極めていた。
今にして思えばプロ志望届と言う至極真っ当な制度が、何故もっと早くに施行されなかったのだろう?そうすれば、あの不幸な事件は起こらなかったのかも知れないのに。
「尊敬する選手はチームのエースである桑田眞澄投手。プロでの目標は、桑田さんから背番号18を継承する事です」
目映いフラッシュを一身に浴びながら、頬を紅潮させた猪狩守が努めて冷静に、力強く答える。天の配剤か、自身と長嶋英雄監督の持つ強運がそうさせるのか、彼との交渉権はギガンテスにもたらされた。
夏春夏3連覇を達成したマウンド上でも一仕事終えた満足感からニコリと微笑むだけだった彼も、あの時は安堵と歓喜を曝け出しそうになる自分を無理矢理押し殺している風に見えたわね。
「インタビュー乙。しっかしアレだけの報道陣の前で完全否定されちまったら猪狩も立場がねーょ、貴公子涙目でマジワロタwww 」
学園側が設けた記者会見の場には千石監督と猪狩守だけでは無く、何故か私まで引っ張り出されていた為、下位指名が始まってからも一向に席から離れられくなってしまった。
歴史的瞬間の1コマに立ち会えたのは実に光栄だと思うけれど、ヤキモキした気持ちのまま臨んだせいで、その時の答弁の内容を陸すっぽう憶えてないの。
会見の途中で“十十も指名されました!”との一報が届くのを、どれだけ待ち焦がれていた事か。ソレが無いまま会見が終了した時の落胆がどれ程の物だったのかは、誰にでも理解出来るコトじゃないわね。
「…駄目だったみたいね」
「ぅん、なんだったら今から乗り換えたって良いんぢゃよ?」(>ω<)ゞ
巨人の猪狩守誕生は一切の回り道をせずに現実のものとなり、その後の活躍はご存知の通り。新人王・村沢賞・大正義太郎賞・シリーズ&シーズンMVP――僅か3年で先発投手が獲れないタイトル以外は総嘗めにしている。
「別れの言葉まで私の口からに言わせる気?…そう」
キャプテンとして、マネージャーとして、エースで4番の猪狩守を陰から支える内助の功。彼との浮名はそれまでにも、その後にも幾度か流されたけれど、私自身にそんな気持ちは毛頭無い。
「夢を見ていたのかもね、私達ー…そして夢の終わりが訪れた、ただそれだけの事。アナタと過ごした時間、忘れないから。本当に」
その栄光の陰で事故の後遺症を懸念された十十の内内定は取り消され、傷モノのレッテルを貼られた球児は、どの球団からも指名されなかった。
「応、お世話になりました。綺麗サッパリ忘れられちまうんだろーけど、コンゴトモヨロシク」
入院以来、スッカリ気の抜けてしまった彼はドラフトが終わるまでゆっくり養生すると宣言。野球部引退後は練習もせずフラフラと遊び歩き、再三プロテストを受ける様にと説得する私の言葉は、彼の耳に、心に届かなかった。
本人曰く、体のドコにも支障は無いが5ツールの全てが私の算出データで表現するところのGランクにまで低下してしまったのだ、と。
「じゃあ、また一から頑張りましょう?…頼まれなくっても、勝手に支えさせて貰うから」
「えっ」 (゚ Д ゚;)
「アナタが私を見捨てても、私はアナタを見捨てたりなんかしないわ。私の心はとっくの昔にアナタだけの物なんだから」
「ゑ?」 ( ゚ Д ゚ )
「アナタならきっと夢を勝ち取れるって、信じてるから」
「ぇ゛ー」ヽ(゚∀゚ヽ ≡ ノ゚∀゚)ノ
ありったけの勇気を振り絞って贈った期待のメッセージだったけど、何と言うか、こうして思い返してみると熟々重たいオンナでしかないわね。今でも口論になって旗色が悪くなると、決まってあの時の会話を持ち出して来るし…恥かし過ぎて死にたくなる。
夢を掴み取れ。アナタの目指す未来は必ず、此処から続いているから。諦めないで明日へ繰り出そう、どんなに遠く見える光でも2人でならきっと何時か辿り着ける筈。
そう信じて幾つもの障壁を乗り越えるうちに、月日は駆け足で過ぎて行き――十十は影山スカウトの出版した著書の一章節に、自身の項を記させた。神童裕二郎や福家花男と並び、読者の興味を惹く1コンテンツと成り得る程度には、活躍出来てるんじゃないかしら?
【四条澄香女史寄稿:栄冠ナイン、暁の軌跡より転載】