「ぅ、嘘でしょ?私、初めてなのに…」
戸惑う私に、十十が優しく語りかける。
彼のバットを握ると、えも言われぬ高揚感が満ち溢れてくる。
「ふふ、でもスンナリ入っちゃったょ?」
初めての体験に少し戸惑いながらも、私はソレを受け入れた。
激しく突き抜ける快感に身を委ね、次に訪れる衝撃を焦がれつつ乱れた呼吸を整える。
胸や腰、背中の辺りから滴る汗が心地よい。
汗を流すのが爽快だと思ったのは、いつ以来だろうか?
火照ったカラダを鎮める、大っきいのが最後に欲しい。
――その一心で、しっかりと十十のバットを握り締めた。
「ふぅー…凄いのね、この鬼瓦バットって」
バッティングセンター自体には何度か足を運んだ事はあっても、それまでは兄とそのチームメイトの打撃を見守るだけだった。
試しにやってみたらどうか?と誘われた機会も幾度かあったけど、口先だけじゃないかと笑われるのが嫌で固辞していたから。
「気に入って貰えてオニィチャン嬉しいょ。さぁ、そろそろお昼ご飯にしよっか?」
自分の言う通りに振れば大丈夫、と愛用のバットを借り受け半信半疑で打席に立ったのだが、非力な私でも真芯で捉えればホームラン性の当たりを放つ事が出来た。
あの時は凄く嬉しくて、今でもストレス発散や運動不足の解消に、とコッソリ通ったりもしている。
「ぅ゛ ちょっと待ってて。その前にそのー…お化粧室に行かせて欲しいの」
「あぁ、大丈夫だよコインシャワー有るから。汗一杯かいちゃったろ?バスタオルも用意しといたんでデオドラントなんぞ使わんでおk」
「…もう少しデリカシーが欲しいわね、お 兄 ち ゃ ん ?」
ただ、マシン打撃のように始めからゾーンや球種を絞れる状況でなければこのバットの扱いは非常に難しく、ストレートを待ちながら変化球にも対応なんて器用な真似は、極めて困難だと思われる。
こんな得物を使いながら真剣勝負の場で、どうやって両左腕を攻略したのであろうか?興味は尽きない。
不可解な設定付じゃ無ければ申し分ないデート内容で、また誘われたとしても都合さえ合えば断ったりはしないだろう。
割と上機嫌でシャワールームを出ると“コレを着用!”とのメモ用紙が貼り付けられた袋が置いてあり――中には去年、六本木優希がウェイトレスとして着用していた衣装が入っていた。
前言撤回。冗談では無い、こんな服を着れるものか。私に似合う筈が無いじゃないか?
断固拒否せんと抗議したのだが今日の私は十なぎさであると一蹴され、なりきりが出来ないのであれば許しを乞うか、2度と話し掛けるなと再び選択を迫られる。
こんな変態に付き合う義理は無いと即刻後者を選ぼうとしたのだが、十十はもう少しで私の望みを叶えられるのに、と外国人並のオーバーリアククション付きで呟いた。
「…本当に?」
「あぁ、写真集なんかを愛でてるより本物を抱きしめたくないか?説得出来なかったらオレの負けで構わん」
「でも、アナタなんかにそんな事っ」
「いくら見た目がヌイグルミみたいでも、野良なら保健所に通報されちまえば即アウトだろ常考?」
「ぅぅッ‥‥‥その約束、絶対守って貰うわよ?」
ダメ押しの一言に葛藤をする間も無く、私の中で何かが折れた。
覚悟を決めて着替えに取り掛かるが、スポーツブラの替えが無い。ジャージで来たのでストッキングも無い。ヘッドドレスは見逃して欲しいが駄目だった。
「んっんー、まぁ~だ固いなぁ。ウィッグも追加しる」つ爪
「こ、これ以上何をっ‥‥‥もぅ、勝手にしなさいよ莫迦ァ」
要求を甘受し、実在するのかどうかも不明な少女を演じる方を選んだ私にカツラを被せる。これではまるで着せ替え人形だ。
でも仕方が無い。ここで帰宅して怒らせたりしたら、あの仔の身に何が起こるか判ったものでは無い。それにしても、十十が高等部に入学するまで彼との面識は一切無かった筈。
この男は何を求めているのか?私が前世で何か仕出かしたとでも言うのだろうか?当然、この頃の私には知る由も無かった。
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「――16番、十!」
祈るような気持ちで臨んだレギュラー発表。あと1人と言うところでなされた千石監督の非情なる宣告により、私は絶望に打ち拉がれた。
1番から9番は不動のメンバーで固定され、猪狩守にも2ケタの背番号が与えられている。後の6人は全て3年生が選出されるものと思い込んでいた所を、またしても十十が信じられないイレギュラーを巻き起こす。
もうイチイチ驚く気も失せる。これでまた月イチで恥辱を味わうのかと思うと、私の心はアノ日よりも意気阻喪となった。
その年の全国高校野球選手権西東京大会は常勝無敗・完全勝利のスローガンに恥じない完璧な内容で幕を閉じている。準々決勝のパワフル高校戦まで全て5回コールドで勝ち進み、準決勝・決勝も難無く勝ち星を挙げていた。
特に決勝は全国の球児が憧れる夢の舞台への最終関門である筈なのに、無安打無失点の好投を続ける一ノ瀬塔哉を途中降板させる余裕振り。今大会、台風の目とも言われた阿畑やすし-石原泰三の自称黄金バッテリーを擁するそよ風工業も、調整相手にしかならなかった。
十十には代打の機会すら無かったが、監督が導入したプロ仕様のバッティングマシーン・球仙人相手に毎日快音を響かせ採点記録を更新し続けていた。
そのせいもあってか彼より一足先に公式戦デビューを果たし、好成績を残した猪狩守も迂闊に挑発出来ずにいた模様。デートの話?正直、その後は記憶が曖昧なのだ。
「かぁいい!超キュート♡ 」(; ゚∀゚)=3
「知らないっ」
「そんな捨て鉢にならんと、嘘偽り無くお前さんは可愛いんだし、後は演技に徹してくりゃりゃんせ♪ 」
「こんなカッコで褒められても、嬉しくなんか‥‥‥ない」
間近で見なければ、恐らく家族ですら私だとは気付くまい。髪の毛の色も長さも全然違うし、小学生の頃から裸眼で過ごした時期の方が圧倒的に短い。そんな姿で外を出歩くなんて、自分でも信じ難いのだから。私のアイデンティティが完全に崩壊している。
そのままファミレスで食事をし、ウィンドウショッピングをしながら夕方遅くまで連れ回されたのだが――何を食べたのか、どんな会話をしたのか、何を見て回ったのかも良く覚えていない。
羞恥に身を捩らせ、好奇の目に晒される自分に煩悶としいているうちにデートは終わった。
着替えた後も帰りのモノレール内で恋人の如く寄り添う十十を拒む気力も失せ、彼の肩に頭を乗せたまま手付代わりに、と贈られた青い子犬のキーホルダーをボンヤリ眺めていた。