第50回春季関東地区高等学校野球大会。
その年はお隣り埼玉県での開催と交通アクセスも良く、東京都から春季大会を制したパワフル高校と準優勝の聖マリアンヌ恋恋学院が。他県からも選手権大会での対戦が予想される海東学院や大東亜学園の他、錚々たる顔ぶれが出揃っていた。
実戦経験を積む点に措いては練習試合を組むより遥かに有益であると判断した千石監督は、出場推薦を受諾。深紅と紫紺の大優勝旗を掲げる母校は並居る強豪を蹴散らし、全国一の実力を誇示したまま勝ち進んで行く。
『プレイボール!』
決勝カードは昨夏の西東京大会以来の顔合わせとなるパワフル高校との一戦で、本番前には願ったり叶ったりの対戦相手。
私も情報収集と解析に全力を注いでいて、例えばパワ高先発は2年の松倉宗光などは外野手としてレギュラーの座を確保しながらもエース的存在だった花崎薫が転校してしまったチーム事情から、止む無くコンバートされた…なんてエピソードが残っているけれど、実際のところ彼はシニア時代の大半をピッチャーとして過ごしていた。
野手転向の理由は、おそらくイップス。中学生の段階で既に180センチを超える高身長から投げ下ろす剛球サウスポーとして期待を集めながら、猪狩兄弟と対戦する度に手酷い敗北を喫している。それはもう、入部時の自己紹介でセカンドをやっていましたと言わしめる程に。
『ストライク、バッターアウトっ』
投手復帰後にはミット目掛けて長い腕を鞭ようにしならせる豪快なフォームがスッカリ鳴りを潜め、制球を重視した変化球ピッチャーへと変貌を遂げていた。ランナーを3塁に置いた場面でも低めへのフォークを多投出来るのは、相棒である香本富久雄との絶対的な信頼関係があってこそだろう。
一文字大悟や半田小鉄など、一部の例外を除けば絶滅危惧種となっているドカベン体型のキャッチャーで、凸凹コンビとなどと揶揄されてはいるがサイン無用の阿吽の呼吸は猪狩兄弟に勝るとも劣らない。凡そプロで通用するとは思えないが、少々の失投など掻き消してしまう壁役として抜群の安定感を誇っている。
その一方で多少深めに守っていても内野安打の心配は無い、と敵にまで安心感を与えてしまう欠点も併せ持つのだが、狙い球を絞って強引にスタンドへと運ぶ長打力は決して侮れない。彼らの他にもガッツでファイトの切り込み隊長・矢部明雄、走攻守3拍子揃ったユーティリティプレイヤー・駒坂瞬と後のNPBプレイヤーや大学・社会人のステージでも好成績を残した実力者がズラリと名を連ねる。
「ヤバい。パワ高ヤバい。まじでヤバいよ、マジヤバイ。98年度版パワフル高校ヤバい。まず4番戸井とか言うぐう畜。もう4番なんてもんじゃない。超4番。アリャ主人公補正とかそういうレベルじゃない。まさかの全真芯。スゲェ!強振多用とかじゃないの。パワー習得済&PH&広角打法とかを超越してる。しかもロックオン。ヤバイよ、ロックオンだよ。だって普通のバッターはロックオンとかしないじゃん?勝手にバットがボールに吸い寄せられたら困るし。ブラッシュボールの時とかどーすんのょ。1年の時はファールチップが精々だった奴に、3年の最後の集大成で全打席被本塁打とか泣くっしょ。だからフツーはロックオンとかしない。話のわかるヤツっーか、根本的にスルシナイの話じゃないんだけど。けど戸井はヤバイ、そんなの全然気にしない。例えるなら皇貞治の御前で56号とか平然と打つタイプ。絶好調キレ4レベル7のアバタボールとかでも一切関係無い。ヤバすぎ。全真芯ったけど、もしかしたらチゲーかもしんない。でもそうなるとじゃあ、全球スタンドインってナニ原理よ?って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にもわからないなんて凄過ぎる。それと守る方。掟破りの逆ミット移動見せない。ヤバイ、打てな過ぎ。凡打の山。アレは猪狩守との対戦だから許されるんだと思うんだ、オレは全っ然平気だけど。バックの動き自体はオート操作で強い程度だけど絶対落下点表示とかしてる。だってセンターが常にダイビングキャッチ。メガネ飛ばすし。見せろ。素顔を晒せ。見られたら自害しなきゃならん掟でもあるのか?キン肉族ならともかくメガネ一族に惚れるなんて1億と2千年経っても有り得ねーが超絶気になるんだょ。不眠症になるでヤンス。他にも控え投手にむらさわ憑依とかチーム総合評価Aとか色々あるんだけど、とにかく貴女様方はパワ高のヤバさをもっと知るべきだと思います。そんなパワ高を真っ向勝負で捩じ伏せた開幕片反高校とか超凄い。もっと頑張れオレ。超ガンガレ」
2回表。十十が警戒する戸井鉄男が初回から3者連続三振と絶好調の猪狩守からセンターバックスクリーン直撃の先制アーチを描くと、4回と7回にも3打席連続となる場外弾を浴びている。
『ゲームセット!』
救いだったのは彼が打席に立った時にランナーが居なかった事と、4打席目が廻って来なかった事。我彼のパワーバランスは均衡状態に近付いてはいるが、夏春連覇の王者としての面目はどうにか保てた。
「でも、実際に勝てたじゃない。逆転優勝の殊勲者がズイブンと御謙遜なさるのねー…内定を貰って牙が抜け落ちてしまったのかしら?」
戸井鉄男との相性の悪さが際立つ一方で、その他のナインには1度も3塁を踏ませず2ケタ奪三振を記録。相手の4番に仕事をさせず、自軍のエースが普段通りの力を発揮出来れば勝てる相手だと確信出来た。本番へ向けての調整と考えれば、上々の収穫だろう。
「ぁ、ありのままイマ起こった事を話すぜ!2アウト満塁の場面でサヨナラタイムリーを放ったのにキャプテン括 最愛の人 弧に謂れのない侮辱を受けた。ナニを言ってるかワカラネーと思うがー…ちょっ、お願いッ、最後まで言わせてぇぇ」
全試合出場を果たしながら、十十のバットから快音が響いたのは最終打席のみだった。
影山スカウトに口説かれた十十は栄養費代わりに提供されたミゾット社製のプロ仕様の野球道具を仲間内にバラ撒いたり、学園OB名目で練習設備の寄付を取り付けたりしていた。
彼の後暗い後援の影響で、最終学年となった同級生達の底上げが若干有ったのは事実。彼らとて曲りなりも猪狩世代の、暁大付属の1軍メンバーなのだから資質や力量は並の高校球児を凌駕している。あと一押しが欲しい時期でも有り、その助けになったのは否めない。
まだフィールディングに違和感を感じると称してファーストに就く十十が推挙した1年の豆山ヰ反の台頭、冬コミ以降2軍暮らしで長いスランプからようやく脱しつつあるヤーベン=Dの1軍復帰。その状況であってなお、互角なのだ。
「私はキャプテンである前にマネージャーなの。試合が終わったんだから帰り支度をしないとー…アナタもサッサと着替えたら?」
「ぇーと、もしかして昨日遊園地(お化け屋敷)で脅かしたの怒ってらっしゃる?でしたらお詫びに映画でもどう?」
でも私は釈然としなかった。当然、十十の力は怪我を負う以前と同程度まで回復していて、それなのに彼のプレーには随所に緩慢な所作が散見する。指導者もその理由を解した上でスタメン起用をしているのだ。
「違うわよー…手、出して」
「ふぇ?あばばばばばばっ」
ズッと支えて行きたいと願う相手の夢が叶う。喜ばしい事の筈なのに、どうしても受け入れ難かった。汚いオトナの甘言に絆された恋人と、ソレを止められなかった自分が許せなかったのだろう。
「痛くて実力が出し切れて無いみたいだから、ツバでも付けておけば治るんじゃないかと思って」
「口惜しい!でも感じちゃうっー…で、行く?ハロハロウィン(ホラー)ってぇの」
言われた通りの演技をする為に、結果として自身とチームを貶めんとする不慮の事態が訪れる。最愛の人が仲間達の未来を恣意的に踏み躙り、台無しにするかも知れない。その現実に嫌悪の情が募っていた。
「絶っっっ対に厭!私、帰るからっ」
「わけがわからないよー…どうしてお前さんはそんなに魂の在り処に拘るんだい?」
この日の試合の様に、本気にならざるを得ない状況に直面しない限り、十十は本気を出さない。出そうとしない。それならば、その状況を作り出すしかない。そう思った私は、腹いせに彼から預かっていたお守りを猪狩進に渡さなかった。
愛憎入り混じる小娘は、自らの行いによりどういった悲劇が巻き起こるのか、推察する機能すら喪失していたのだ。